しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

January 2023

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 今日で2023年の1月も終わりです。徹底的な断捨離に明け暮れて,あわただしい毎日で,1日はあっという間に過ぎていくのに,その割に月日が経つのが遅く感じられ,やっと1月が終わる,と感じるのが不思議です。

 徹底的な断捨離をして,しみじみ思ったのは,要らないものは買うべきではないということとともに,必要がなくなったらすぐに処分すべきだ,ということでした。
 特に大量に溜まってしまっていたのが書籍でした。
 ミカン箱7箱分処分して,結局,今も手元に残ったわずかな書籍のほとんどは若いときに読んだものだったというのが皮肉でした。30歳を過ぎて購入した本の多くはムダだったというわけです。知らないときにその本ではじめて知識を得た,という記憶が今もその本への愛着となっているのでしょう。要するに,成長段階で手に入れた知識が今の私のすべてだということです。
 また,カメラを大量に処分したと以前書きましたが,私は,写真や星見に興味があっても,それに凝って高価なものをたくさん買う,ということまではしなかったので,救われました。たとえば,100万円以上もする交換レンズや天体望遠鏡など持っていたとしたら,その処分をどうしたことでしょう。
 天体望遠鏡といえば,先日亡くなった天体写真家の藤井旭さんが雑誌などに書いていた白河天文台に感化されて,私の世代ではマイ観測所なるものを作った人も少なからずいたようですが,もし,車で自宅から2時間もするような山の中にそんなものを作っていたら,それが不要になったときどう処分すればいいのでしょう。とにかく,私はそうしたことに手を出さなくて正解でした。

 若いころ,別荘を持っているという人に招かれて,冬にお邪魔したことがあります。到着して驚いたのは,水道管は凍り水も出ず,部屋は掃除が必要でした。そのときしみじみ思ったのは,別荘など買ってしまうと,それを維持をすることがとても大変だということでした。
 私は,若いころにそんなことを知って本当によかったと思うわけです。何事も買うのは簡単でもそれを維持するということがとても大変なことなのですが,それを知らない若い人は,何でも欲しくなってしまうわけです。しかも,業者は商売だから売ればいいわけで,おいしい話ばかりを伝えます。しかし,別荘を建てるお金があれば,そのお金で何度旅ができることか,と考えたほうがよさそうです。持ち家も同じです。借りるより買ったほうがお得というのは業者の方便ですが,その維持費を考えるとそうもいえません。長年住んであちこち痛んできてリフォームしようとしても巨額なお金が必要です。そもそも,この少子高齢化の日本では,不要になっても売れないので,それは財産ではなく負債となります。これだけ空き家があることを考えるとそれは明白です。
 地位や名誉を手に入れた人や有名人ともなれば,その後の生き方がたいへんです。人のもっとも大切な「自由」を捨てることにつながります。それと同じように,ともかく,モノは極力持たないほうがいいのです。


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 私は,語学の勉強は好きですが,まるきり才能がありません。しかし,旅行の経験だけは豊富なので,海外に行くと,生きるのに不自由しない程度の英語はできます。これまでの経験で,最も英語が進歩したのは,今から20年近く前にアメリカで交通事故にあって,アメリカの病院に入院したときでしょう。このときは,帰国後,すっかり頭が英語脳になっていたのが,時差ボケの解消のために睡眠薬を処方してもらってぐっすり寝たとき,まるで,タイムマシンに乗ったかのように頭の中がぐるぐる回転して,頭がすっかり日本語脳に入れ替わるという,奇妙な経験をしました。
 今は,ボケ防止と,いつかまた,大好きなオーストリア旅行をしたい,という希望を捨てないために,ほそぼそとドイツ語の学習に取り組んでいるのですが,まるで上達しません。文字を見れば,一応,簡単なドイツ語なら意味はわかるようになったのですが,聞き取れず,また,全く話せません。

 そんな私が,久しぶりに手にした本は,以前,朝日新聞の読書欄に載っていて興味をもった,高野秀行さんが書いた「語学の天才まで1億光年」という本でした。このごろ,まったく活字の読めなくなった私が,334ページもある本をあっという間に読了してしまったことから,いかにおもしろい本であったかがわかるというものです。
 同姓同名の将棋の棋士がいますが,まったくの別人です。
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 1966年生まれの高野秀行さんは辺境をテーマに旅する探検家であり,ノンフィクション作家であり,翻訳家です。20代のころ,アフリカのコンゴの奥地で幻獣「ムベンべ」を探し,ミャンマーでは北部の麻薬地帯「ゴールデン・トライアングル」に潜入。反政府ゲリラ組織でケシ栽培を体験し「ビルマ・アヘン王国潜入記」を著しました。
 「誰も行かないところへ行き,誰もやらないことをし,誰も書かない本を書く」というのがポリシーである高野秀行さんが,探検家としての体験から,数々の言語をいかに習得し,使ってきたかを描いているものです。
 2002年に「西南シルクロードは密林に消える」の取材で,出国スタンプなしで中国を出国し,以降正式な国境検問所を一切通らずにミャンマー北部のゲリラ支配域を横断しインドに入国。在カルカッタ日本大使館員に相談の上インド当局に自首した結果国外追放処分となり,日本に強制送還された。この際に通過したナガランド州が反政府ゲリラ闘争を抱える地であったこともあり,入管のブラックリストに載せられ以降インドへの入国が出来なくなった。というようなエピソードをたくさん残しています。
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 高野秀行さんは,この本の中で
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 私ほど語学において連戦連敗をくり返し,苦しんでいる人間はそうそういないはずだ。
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と書いていますが,何の何の,それはあくまで謙遜で,本当に語学の苦手な私とはまったく違って,多くの言語を,しかも,実地訓練を通じて身につけてしまう人は,そうはいないでしょう。この人が語学を会得するための実地訓練というのが普通ではなくて,実際に現地に行って,その地の人との交わりの中で覚える,というものであるところがすごいというか,私のポリシーと一致するというか。
 人間,20代ははちゃめちゃに行動し,多くの体験を積むべきだと思っている私ですが,高野秀行さんほどの人は知りません。はじめての海外旅行先のインドで身ぐるみはがされ,謎の怪獣をさがしにアフリカのコンゴに出かけ,できもしないイタリア語の医学論文の翻訳を完成させ,タイ・ラオス・ミャンマーにまたがるゴールデントライアングルでケシ栽培を行ってアヘンを作ろうと企てたり…。
 私がかつてロサンゼルスで置き引きにあって,パスポートも全財産も帰りの航空券を失くして途方にくれたなんていうだけの経験では,足元にも及びません。
 ことばは学問ではなく,ましてや,入試で点数争いをするものでもなく,コミュニケーションの手段であるという当たり前のことが当たり前に行われていない,この国の語学教育をあらためて考えさせてくれるすばらしい本です。

 ただひとつよくわからないのが,この本の題名です。語学の天才までは1億光年もの距離がある,というのか,そのくらいの距離を旅すれば語学の天才になれる,というのか。
 ちなみに,1億光年とは,9,461,000,000,000,000,000,000キロメートル(94垓6,100京キロメートル)であり,1億光年先にある天体は二重銀河NGC3314など。ただし,残念なのは,人類が見ることができる最も遠い距離というのは138億光年先なので,もし,この本の題名が語学の天才には手が届かない距離にある,という意味ならば,むしろ,「語学の天才まで138億光年」としたほうがよかったかも。というのは余談です。

NGC3314


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☆☆☆☆☆☆
 1度は写そうと思っていたZTF(ズィーティーエフ)彗星(C/2022E3)ですが,2023年1月17日の深夜に写すことができたので,すっかり満足していました。それから1週間ほどした1月末から2月はじめにかけて,5等星くらいまで明るくなり,しかも北極星に近い,一晩中沈まない周極彗星となるので,晴れていたら最も高度が高い午前4時ごろに見にいこうとずっと思っていたのですが,寒波が襲来して,星見どころか雪の心配が強くなっていました。それでも,1月28日の早朝は,昨日の雪も消え,快晴の予報だったので,寒さに打ち勝って再び見にいくことにしました。
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 ZTF彗星(C/2022E3)は,2022年3月にパロマ山で行われている観測プロジェクト「ZTF」で発見された,オールトの雲からやってきた彗星です。この彗星は発見からおよそ10か月後の今年2023年1月13日に太陽に最接近しましたが,その距離は太陽と地球間の距離よりも遠く,あまり明るくなりませんでした。その後,彗星は地球に接近し,2月2日の地球との最接近では約4,250万kmと,太陽と地球間の距離の30パーセントという近い距離になるので,現在,次第に光度を増しています。
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 午前3時に起床して,出かける準備をして,観測場所に着いたのが午前3時40分ごろでした。今回はZTF彗星(C/2022E3)を写すことだけが目的だったで,望遠鏡を組み立て,極軸を合わせ,彗星を視野に入れて,午前4時に撮影をはじめて,午前4時40分には帰宅していたので,その間わずか1時間でした。
 彗星はとてもわかりやすい位置にいて,望遠鏡のファインダ―でそれらしき位置を確認すると,簡単に彗星をファインダーで見ることができました。5等星くらいで,双眼鏡を向けると,感動的な美しさでした。彗星は地球に近い位置にいるので動きが早く,町に近く空が明るいので露出は30秒として,10枚程度撮影して,帰宅してからコンピュータでメトカーフコンポジットすることにしました。メトカーフコンポジットというのは,彗星の動きに合わせて写した複数枚の写真を合成してくれることで,天体画像処理ソフトウェアの「ステライメージ」を使うと,自動でやってくれます。便利な時代です。
 もっと暗いところで写せば長く尾が伸びた姿が写せることでしょうが,この寒さでは行く気になりません。
 ZTF彗星(C/2022E3)は,次第に地球から遠ざかります。見かけ上は,おうし座の方向に進み,次第に光度を落とします。また,月齢が増すので,明かりの影響で,見るのが困難になってきます。その先は太陽系の彼方に飛びさってしまうのですが,太陽に接近したことで離心率が小さくなりつつあり,現在の双曲線軌道から楕円軌道に変化し,将来的には,周期5万年程度の長周期彗星となるそうです。

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ペンタックストプコンミランダ

 今から55年ほど前,私の通った小学校では,天体望遠鏡やカメラのカタログ集めが流行っていました。ホンモノを買うことはできなかったから,カタログで我慢していた,ということもあったのですが,当時のカタログには夢が詰まっていました。何度も何度も見直しました。私の年代で同じようなことをしていた人は少なくありません。
 以前にも書いたことがありますが,まったく根拠はないけれど,当時の価値観で,親にねだれるのは3万円までだと勝手に思っていました。だから,天体望遠鏡もカメラも,3万円以上のものは,自分には縁のないものでした。
 そこで,定価が29,800円ならいいのですが,32,000円となると,手が出ないということになるわけです。ちなみに,その当時は消費税もなく,オープン価格というものもなく,また,何かを買うには値切るのが当然で,およそ「8掛け」つまり定価の8割で買うのが当然でした。
 当時の3万円は現在の12万円ほどの価値だから,値引きして今の10万円,という感じだから,それでもけっこうな大金です。

 そんなわけで,天体望遠鏡なら,カートン光学という会社から発売されていたものが29,800円で,それに対して,ミザールというブランド名だった日野金属産業というところのH100という人気製品は32,000円だったので,わずか2,000円ほど違うだけなのに3万円という「大台」を超えるから,これは購入対象からはずれてしまうのでした。
 この「大台」については,カメラは,旭光学から発売されていたアサヒペンタックスSPというカメラが何とか買えて,日本光学工業,つまり,現在のニコンの製品は高値の花であったのです。さらに,トプコンとかミランダといったブランドの,なぜか気になるカメラは,普段は実物をみたこともなく,当時は1年に1度デパートでカメラショーというものが開催されて,そこではじめて手にすることができるという代物でした。また,めったにカタログすら手に入りませんでした。

 という,古きよき時代を過ごした私の平和な少年時代。手に入らないというのは憧れに通じて今でも欲しいと思うのだから,何というすてきなことなのでしょう。
 それ以来,ずっと今の今まで,カメラや天体望遠鏡のカタログを見るのは,私にはとても楽しいことでした。それにまた,不思議なことに,特に,カメラのカタログというのは,車のカタログ同様,伝統的に非常に豪華なのです。それが,家電やコンピュータのカタログとの違いです。どうしてなのでしょう?
 だったのに…。
 カメラが売れなくなった今,カタログもまた,次第に魅力がなくなってきました。そこで,あれほど楽しかったカタログ集めも,私はあきちゃったのです。
 先日,久しぶりにカメラ店に行って,カタログをいくつかもらってきました。そして,がっかりしました。私にはまるでチラシのように思えました。このカタログなら今でも憧れるなあ,と思ったのは,ペンタックスのレンズカタログだけでした。
 これが,この国の「斜陽」を表わしているのなら,寂しい限りです。あるいは,これもまた,スマホに浸食された現象のひとつなのでしょうか。だって,iPhoneには立派なカタログはありませんから。

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 購入したニコンZ50は思った以上にとても使いやすいカメラでした。私には,この大きさのカメラが最適だし,かつ,この大きさが限界です。これで,これまで使っていて今回処分したニコン1と1 NIKKOR VR 10-100mm f/4-5.6レンズの代わりに,今回一緒に購入したNIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VRをニコンZ50につけて,これからの旅のお供に,どこにも持っていくことができそうです。とても楽しみにしています。
 ただし,使いはじめるにあたって,私には数々の問題がありました。問題というのは,カメラの性能のことではありません。それは,現在のカメラは,自分で多くの設定ができるようになっているのですが,私がどのような設定をすればいいのかがわからない,ということでした。
 今の人たちは,ピントは自動で合うものだと思っているようだし,露出もまたしかりです。しかし,私のような不良老人は,ピントは自分で調整したいし,露出も補正したいのです。写真を撮るというのはそういうものだと思っているわけです。そして,それが「腕」。だから,カメラ雑誌に,このカメラはオートフォーカスで追えないとか露出が甘いとかカメラのせいにするような記事が書かれているのを読むと抵抗があります。
 先日ウェブサイトを見ていたら,ニコンFEというカメラが使いやすかった,という記事がありました。ニコンFEというのは,1978年に発売され,ニコンの一時代を築いたフィルムカメラです。私も使っていました。ニコンFEがなぜ使いやすかったかというと,それは,とても設定が簡単だったからです。オートフォーカスでないので,ピントはマニュアルで合わせます。露出のオート設定は絞り優先しかないので,絞りを設定するのですが,設定した絞りに適正なシャッタースピードをカメラが決めてくれます。そう,言い忘れました。現在のデジタルカメラではISOもカメラの性能の範囲で自由に決められますが,フィルムカメラでは使用するフィルムでISOは決まってしまいますから,工夫の余地があるのは露出補正だけなのです。そんな操作しかできないので,むしろわかりやすく,ピントが合っていないとカメラが判断するとシャッターが下りないなどということもないわけで,シャッターチャンスを逃しませんでした。

 今回購入したニコンZ50は,大きさはニコンFE程度ですが,その中身は比べ物にならないほど複雑です。値段も3倍くらいします。どうやら,45年の月日は,カメラをまったく別の機材と変えてしまったようです。
 オートに設定すれば,静止画も動画も,カメラ任せで写真はとれます。しかし,これまでのように,自分の好みの露出にするとか,ピントをねらったところに合わせたいとか,そういうことをしようとすると,オートには頼りたくないわけです。そのために,カメラを自分好みに設定にしようとすると,選択肢があまりに多いので,どうすればいいのか判断ができないということなのです。しかも,説明書を読んでも,根本的な仕組みがわからないから,〇〇ができる,とは書かれてあっても,カメラ初心者は,その設定によってどんな点が便利でどんな点が不便か,というようなことが不明なので,何を選択すればいいのかがわからないわけです。
 それでも,私は,静止画の撮影に関しては,自分が何をどう設定すればいいのかを知っているから,まだ何とかなるのですが,動画はさっぱりわかりません。フルHDとか4Kとか書かれてあっても,それが何を意味するのかわからないのです。また,フレームレートを自由に選べといわれても,どの設定にすればいいのか,通常はどのくらいが適正なのかわからないのです。これでは,スマホで写真の楽しみを覚え,ではカメラデビューをしようと購入したような人は,この時点でどうすればいいのか途方にくれてしまうことでしょう。
 それでも,以前なら,わかりやすい解説書がたくさん市販されていたので,それを購入して書いてあるように設定すればなんとかなりました。しかし,今はインターネットの発達によって情報が溢れているために,そうした本は売れなくなり,したがって,わかりやすい本が出版されなくなってしまいました。そんな事情で,現在の書籍は,カメラの使い方に限らず,ハウツー本は,内容が劣化してしまいました。というか,本が存在しなくなりました。売れないから作れない,ということなのだと思います。だからといって,インターネットで情報を探しても,そこは玉石混交で,初心者が信頼できる情報にたどり着くことはかなり困難です。

 昨年の夏に車を変えたときもそうでしたが,多くの最新の装置がついてはいても,その使い方がさっぱりわからないから,宝の持ち腐れとなってしまうわけです。
 少し話は逸れますが,車といえば,実は最強なのはトヨタのプロボックス(ProBox)という商用車なのです。プロボックスの四輪駆動車を買えば,私のように星見に行く人には,悪路も走れるし,荷物も多く詰めるし,ファイルや飲み物を置くスペースもたくさんついているし,しかも,燃費もよくよく走り,また,値段も安い,というように,いいことづくめなのです。先日,プロボックスのカタログを見る機会があったのですが,それがまた,実にわかりやすいのです。
 ワークマンという,現場作業や工場作業向けの作業服や関連用品の専門店があります。この店の商品が若者や女性からもバカウケということです。それは,商品が,プロ向け作業着の品質を生かした激安で高機能でしかもオシャレだから,というのが理由だそうです。
 つまり,そういうことなのです。800万円の高級車よりも180万円のプロボックス。私はそういう価値観をもつ人を尊敬します。
 カメラもまた,しかりです。
 実用に徹すれば,安価で高機能なことが容易にできるのに,売らんがために,使いもしない付加価値をたくさんつけるのです。しかし,その理由は,趣味の雑誌などに,使わないような機能についてあれこれと言及し,いろいろなメーカーの機種を比較して評価をしているからです。これが,機材を使いにくくしている原因なのでしょう。カメラはピントと露出を合わせればいいだけなのに。
 スマホの普及でカメラが売れないといいますが,私は,買った人が使いにくく,しかも親切なマニュアルすらない,ということのほうが,ずっとカメラが売れない理由のような気がします。これでは,せっかくカメラを買っても,使いこなせないから飽きてしまうことでしょう。このように,本当にメーカーは売る気があるのか,私にはそれが疑問です。きれいな写真をたくさん載せたカタログもけっこうだけれど,そうした写真を1枚写すのに,どれだけ多くの設定をしなけばならいか? メーカーは,本当にカメラを売りたいのなら,もっと操作を簡単にするか,豪華なカタログよりも,初心者にもわかりやすいガイドブックを作る努力をすべきでしょう。

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 ついにニコンZ50を購入しました。
 以前,次のように書いたことがあります。
  ・・・・・・ 
 ニコンZ50の発表された次の日,ニコンのサービスセンターに立ち寄ったので,はやばやとニコンZ50に触れる機会がありました。魅力的なカメラではありました。(中略)[三脚座のない現行よりも小さなマウントアダプターnewFTZ]と,発表されたレンズのロードマップにも記載されている[18ミリから140ミリのズームレンズ]ができるだけ小さくて軽いものであること,そして,これがもっとも私には重要ですが,[天体撮影用にIR改造されたもの]が条件です。そうした条件を満たす,いわゆる「ニコンZ50A」が発売されるなら,そのときにやっと,私はこのカメラを欲しいと思うのになあと残念に思ったことでした。
  ・・・・・・
ということだったのですが,[三脚座のない現行よりも小さなマウントアダプターnewFTZ]と[18ミリから140ミリのズームレンズ]が発売されたのが,今回購入した動機のひとつではありました。[天体撮影用にIR改造された]カメラではないのですが,それは別に持っているので,今回の購入したZ50にその役割は与えないことにしました。

 年末の引っ越しで,私は大規模な断捨離を決行しましたが,このことはすでに書きました。そして,その際に,今から40年以上前から,たびたび新機種を購入しても,それまで使っていたものを売らなかったために,結果として使いもしないのにため込んでしまった,ニコンF3/TやニコンFMをはじめとする20台近い多くのカメラの,そのほとんども処分しました。そして,手元に残ったのは,今も使い続けている,天体写真を写すための[天体撮影用にIR改造された]ニコンD5100とキヤノンEOSKissX8iとX9,そして,通常の撮影に使っている2台のニコンD5300の合計5台となりました。
 新たなものは買う気がなかったのですが,処分したときの代償として手に入れた金額が想像以上だったことで気をよくして,そのお金で,旅行に持っていくための小さなミラーレス一眼を1台買うことにしました。
 私は,プロのカメラマンでもなければ,写真が上手なわけでもないので,性能がどうのとか,そういったこだわりよりも,いつも旅行に持っていくことができる,軽くて,しかも,レンズ交換をしないでも1本のレンズでほぼ事足りること,というのが機種選択の条件でした。まず,その候補となったのが,キヤノンのEOSR10とRF-S18-150mm F3.5-6.3 IS STMというレンズで,ほぼ,これを購入することに決めていました。しかし,量販店で手に取っていろいろ試していて,どうもその安っぽさが気に入らなくなりました。そこで,もうひとつ上位機種のEOSR7にしようと思ったのですが,すでにその大きさがだめで,買う気が失せました。
 メーカーは,「軽量の機種=ビギナー,重量級で多機能な機種=ハイアマチュア,プロ」という考えを改めるべきです。

 そうこう考えていてやっと思い出したのがニコンZ50だったというわけです。そこで私は,ニコンZ50にNIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VRをつけて購入することにしました。
 しかしまあ,いつもニコンという会社は不出来な息子というか,これまで長年つき合ってきたのでそんなことは承知しているのですが,相変らず商売が下手で,私の考えたレンズをつけたキットは用意されておらず,Z50には,NIKKOR Z DX 16-50 f/3.5-6.3 VRのレンズキットか,NIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VRとNIKKOR Z DX 50-250mm f/4.5-6.3 VRダブルズームキットしかないのでした。そこで,私のような買い方をしようと思えば,Z50のボディだけとNIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VRを別途購入することになるのですが,ボディだけとレンズキットはの値段がさほどかなわないので割高なのです。
 私にはこれには理解ができません。
 ダブルズームキットというものがいつも設定されているのですが,レンズを1本いつも持ち歩くのは不便なのです。旅に出るときにレンズを1本持参するようなバッグのスペースはありません。それに,いざ使おうとなったときにレンズ交換をする手間は予想以上に大変なのです。おそらく,多くの人が使ってみるとおそらくそれを実感すると思うのです。
 とはいえ,ダブルズームキットを購入した人がその不便さゆえに,新たにNIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VRを買おうとすると,すでに持っているレンズが粗大ゴミ化してしまうのです。しかし,現在のような価格設定では,NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VRを買う人は限られてしまうことでしょう。つまり,NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VRは冷遇されているのです。果たして売る気があるのかな? とさえ思えます。
 ともあれ,私は,こうしてニコンZ50とNIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VRとすでに持っていたFマウントの対角魚眼レンズを使うために[三脚座のない現行よりも小さなマウントアダプターnewFTZ]であるFTZⅡ,そして,予備のバッテリーを手に入れたのでした。
 実際に使ってみての感想は,また,次回。

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 相変らず運の強い私です。
 日帰りで東京へ出かけた2022年1月21日土曜日は,翌週から大寒波という予報でしたが,大寒波の前の週末だったので,幸い,とてもよい天気でした。しかし,寒い一日でした。
 行きの新幹線は久しぶりに左側の席だったので,富士山がきれいに眺められるものと楽しみにしていました。新幹線の窓からは思ったよりも遠くから富士山は見えはじめるのですが,最もきれいに見えるのは富士川を過ぎ,新富士駅を過ぎ,山に隠れるあたりまでです。
 遠くに見えたときは快晴だったのに,富士川を越すあたりから雲が出て,肝心の山頂を見ることができませんでした。それが今日の3番目の写真です。
 富士川駅あたりは製紙工場が多く,その煙突が富士山の美しい景観を邪魔してしまうのが残念です。よくネット上に載っている新幹線の車内から写したという富士山は,新富士駅を過ぎてしばらくして,煙突が写真の画角から外れたところから写したものです。
 私もそのときには雲が切れることを期待していたのですが,この日はずっと雲がかかっていてダメでした。
 それを過ぎるとほどなく山が迫り富士山は見られなくなります。実は,その後も,少し後ろを振り返らないといけませんが,三島駅の近くで再び富士山は顔を出します。その時を狙っていたら,今日の4番目の写真のように,さきほどの雲がウソのようにきれいに雪をかぶった富士山を山頂まで見ることができました。

 さて,前回書いたように,長谷川町子記念館を訪れた私は,その帰り,桜新町の駅付近にあるであろう感じのよいレストランかカフェで昼食を,と思っていたのですが,イメージどおりの店はなく,マクドナルドなどのチェーン店ばかりでした。また,土曜日のお昼ということもあってどこも混雑していました。仕方なく,ロイヤルホストに入ってクラブサンドを注文しました。
 東京はどこも人ばかりなのが嫌いです。私の住んでいるところなら人が少なくゆったりできるようなチェーン店やショッピングモールは,常に人が溢れています。人混みの苦手な私は,いかに便利であっても東京には住みたくありません。毎日品川駅を利用して通勤するのなら,いかに高額のお給料をもらったところで地獄だなあ,と通るたびにいつも思います。
 東京は,今の私のように,コンサートや美術展があるときに出かけるだけのところです。そうすれば,東京もまんざら悪くない都会です。

 さて,この日の午後はNHK交響楽団の定期公演を聴いたら早めに帰ることにしていて,午後5時30分過ぎののぞみに乗りました。
 ここ10年以上東京駅を頻繁に利用していますが,10年ほど前はずっと工事中だった駅の構内もすべて完成して,華やいだ巨大な駅になりました。しかし,駅や地下街にこれだけ多くの店舗やレストランがあっても,どこもかもがすごい人であるのはいただけません。そこで,私にとって最も快適なのは,駅弁を買って,新幹線の車内で食べることです。ということで,松坂牛めしなるものを購入して乗り込んだのですが,この駅弁,作られたのは名古屋だったので,ちょっと芸がなかったと反省しました。
 週末の終末の新幹線は,あれだけの本数が走っているのに,午後7時ごろはとても混み合います。自由席など長蛇の列です。私がいつも利用している,普段は静寂なグリーン車にも自由席からあふれた人がチケットを買って乗りこんできたりします。しかし,今回は利用した時間が早かったので,とても空いていて快適でした。
 時折り,車内に,どこかで見た顔の人がいるなあ,と思うことがあるのですが,この日は,同じ車内に,京舞の人間国宝,5世井上八千代さんをお見かけしました。

 さて,来月のNHK交響楽団定期公演は2月11日です。
 この日は,午前中は,東京都美術館でエゴン・シーレ展を見ることにしてすでにチケットを購入したのですが,その夜は東京に1泊して,翌日2月12日は,早朝から,これまで行ったことがなかった水戸へ梅を見に足を延ばそうと計画しています。水戸の偕楽園の梅まつりは2月11日からです。
 よくよく思うに,東京へ行っても,その近郊まで足を延ばすことがこれまであまりありまませんでした。そこで,これからは,NHK交響楽団の定期公演を口実にして,これまで行ったことがないところを巡りたいと考えています。たとえば,筑波とか房総半島1周とかです。ここ数年,海外旅行に行かれなくなったことをいいことに,国内の様々な場所に行くことを覚えましたが,それはそれで別の楽しみがあるものです。


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 2022年7月12日のTBSテレビのニュースから。
  ・・・・・・
●波平さんの毛がまた消えた!●
 「サザエさん」の街として知られる東京・世田谷区桜新町。波平さんの銅像の貴重な髪の毛がまたしてもなくなりました。波平像が被害に遭うのはこれで7度目。6月,6度目が発生した約5日後に「スピード植毛」されたばかりです。
 女の子「可哀想です。泣いてます」,男性「もうすごく太い1本にするしかない」。
 いったい髪の毛は,いつなくなったのでしょうか。「植毛」から約1か月で再びなくなってしまった髪の毛。「ばっかもーん」と波平さんは怒っているはずです。
  ・・・・・・
 ということで,今回,NHK交響楽団の定期公演に行く前の午前中に出かけた東京散策は,世田谷区の桜新町でした。この地は,かつて「サザエさん」の著者長谷川町子さんの住んでいたところで,現在は,長谷川町子美術館と長谷川町子記念館があります。桜新町の駅を出ると出迎えてくれるのが,サザエさん一家の銅像ですが,私が見たのは「植毛」を終えて再び髪の毛のある波平さんでした。
 ずっと以前に一度来たことがあるのですが,そのときはまだ長谷川町子記念館はありませんでした。長谷川町子美術館に「サザエさん」に関する展示がたくさんあるものだと思っていたのに,長谷川町子さんの収集した絵画の展示がほとんどで少しがっかりした記憶があります。しかし,長谷川町子美術館に行くまでの通りがサザエさん通りとなっていて,「サザエさん」に出てくるような風景だったのには感激しました。

 少し前にNHKBSPで連続テレビ小説「マー姉ちゃん」の再放送をしていたことから,桜新町が懐かしくなって,今回再び訪れたわけですが,長谷川町子美術館の向かい側に長谷川町子記念館ができていて,そこには「サザエさん」や長谷川町子さんに関する展示がたくさんあったので,とてもうれしくなりました。また,長谷川町子美術館の裏手にはサザエさん公園もあります。
 なお,現在,長谷川町子美術館は,改修工事のため2月28日まで休館しています。
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 1985年(昭和60年)に開館した長谷川町子美術館は,長谷川町子さんと姉の長谷川毬子さんが集めた美術品を展示している個人美術館です。美術品の他,漫画の原画や菊人形,絵画,磯野家の間取りのミニチュア,「サザエさん」のアニメの映像が見られるコーナーがありました。また,売店では,この美術館でしか売られていないオリジナルグッズが多数販売されていました。
 2020年,向かいに分館「長谷川町子記念館」が開館され,長谷川町子記念館は,長谷川町子美術館から長谷川町子の作品に関連した展示物を移館し,従来よりスペースを広く取ってより充実した展示をしています。長谷川町子記念館の開館後,長谷川町子美術館は長谷川町子が収集した美術品を展示するという開館当時の様式に立ち返りました。
  ・・・・・・
 私が最も印象に残るのは,長谷川町子さんの描いた原画の美しさです。何気なく見ているだけの作品だったのに,ひとつひとつがこれほどこころを込めて書かれていたことに感心しました。
 館内にはカフェもあって,しばし,満ち足りた時間を過ごすことができました。

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 2月のNHK交響楽団第1975回定期公演の指揮者は,トゥガン・ソヒエフ(Tugan Taymourazovitch Sokhiev)さんでした。
 トゥガン・ソヒエフさんは2008年にはじめてNHK交響楽団と共演し,定期公演に登場したのは2013年だそうです。私は,毎年大勢来る外国人指揮者のひとりだ,くらいに思っていたのですが,コロナ以前の定期公演でそのすばらしさに目覚め,ぜひまた聴きたいと思うようになりました。
 2020年,NHKホールとは違って狭くステージと座席が近いので目の前で見ることができるNHK交響楽団名古屋公演の指揮者だったので楽しみにしていたのですが,コロナ禍で中止となり,とても残念でした。また,その後も,たまたまコロナ禍のために来日が中止となるといった不運が続き,やっと今回,3年ぶりの来日がかないました。
 ロシアのウクライナ侵攻後,ロシアの音楽家はその対応で苦慮しているのですが,トゥガン・ソヒエフさんは,2008年から音楽監督を務めていたトゥールーズ・キャピトル管弦楽団の役職と2014年に就任したモスクワのボリショイ劇場の音楽監督兼首席指揮者の座を自らの意思で退いたということで,そのニュースには驚いたと共に,私の好感度はさらにアップしました。
  ・・・・・・
 トゥガン・ソヒエフさんは,1977年に旧ソビエト連邦・北オセチアのウラジカフカスで生まれ,サンクトペテルブルク音楽院でムーシンとテミルカーノフに指揮法を師事したのち,1999年にプロコフィエフ国際コンクール指揮部門で最高位を得て注目を集めました。マリインスキー劇場での仕事を通じてゲルギエフの薫陶も受けています。
 また,2012年から2016年までベルリン・ドイツ交響楽団で音楽監督兼首席指揮者を務めました。
  ・・・・・・

 Cプログラムだけの楽しみであるN響メンバーによる開演前の室内楽を楽しんだ後にはじまった今回の定期公演の曲目は,ラフマニノフの幻想曲「岩」と チャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」でした。
 幻想曲「岩」は,20歳のラフマニノフの管弦楽作品で,レールモントフの詩「切り立つ岩」の印象にもとづいて書かれたというものだそうですが,私ははじめて聴きました。NHK交響楽団の冬の定期公演では,毎年何がしかのラフマニノフの曲を聴くことができるということです。
 交響曲第1番「冬の日の幻想」は,第1楽章と第2楽章で広大なロシアの冬の情景を喚起し,独特なリズムをもつ軽快な舞曲を奏でる第3楽章,そして,明るく勇壮な第4楽章で,華やかに幕を閉じます。
 2作品とも,というか,ラフマニノフもチャイコフスキーも,聴いて楽しい曲であっても,私は,あえて聴きたいというものではありません。出てくればおいしくいただいても自分からは注文しない料理のようなものです。そこで,今回は,午後の暇つぶし,みたいな感じで聞いていましたが,なかなかよかったです。

 それよりも,注目に値したのは,トゥガン・ソヒエフさんの指揮ぶりでした。
 11月に聴いた井上道義さんが,体の内面から湧き上がる感性を表現した「踊る指揮者」であったのに対して,トゥガン・ソヒエフさんのほうは,音楽そのものを体で表現した「踊る指揮者」でした。ピアノになれば体をかがめ,フォルテになれば大きくし手を広げ,また,主題を奏でる楽器の方を向く,というように,音楽を聴かなくても指揮を見ているだけで曲が理解できるわけで,これがとてもおもしろかったのです。
 私は楽器が弾けないのでわからないのですが,演奏する側はとてもわかりやすく,かつ,楽しいのではないだろうか,と感じました。

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 とある事件をきっかけとして,新興宗教が関心を集めています。しかし,新興宗教に限らず,人は何かに洗脳されてしまうと,熱病に侵されたかのように,理性を失ったり,財産を失くすのです。
 恋愛も同じでしょう。恋は盲目といいます。ときにはストーカーになって,相手を不幸にします。
 組織における出世願望も同様です。だれしも,周囲にやたらと偉くなりたい病の人がいることでしょう。概して,偉くなりたい病というのは,自分の身の丈を越えた高級車に乗りたい人やブランドのカバンを持ちたい人と同様に,劣等感の裏返しであることが少なくありません。
 そのことは,権力という熱病に侵された政治家もまた同じです。しかし,政治家がより危険なのは,自己満足を越えて,他人を巻き添えにして世界を恐怖に陥れることがあるからです。歴史的にみても,カリスマ的な指導者は,多くの人を洗脳して,世界を地獄に落としてしまいます。
  ・・
 そう考えてみると,物質欲を煽る広告もまた,それを見ることで,欲しくもなかったモノを手に入れたくなる熱病に侵されるということでは,それと同類です。しかし,これこそが資本主義社会の原理なのです。
 景気がいいとか悪いとかということが常に話題となりますし,やたたと成長率ということばが飛び交います。しかし,景気がいいというのは,本来は,必要でもないモノを広告によって買ったり買わせたりすることから生まれるのです。そう考えれば,これもまた,洗脳のひとつです。そうした広告は,以前なら,テレビで流れるコマーシャルであったり,新聞や雑誌の広告でした。あるいは,しつこいほどの電話による勧誘,さらには,訪問販売,そして,睡眠商法でした。
 それが今では,SNSにとって代わりました。
 依然として,テレビのコマーシャルや新聞や雑誌の広告もあるのですが,そうした広告は,若返り化粧品とか医療品ばかりとなりました。それは,そのような媒体を今でも必要としている人が,SNSについていかれない老人ばかりとなってしまったからです。これもまた,ひとつ間違えば,老人に対する洗脳となります。

 もともと私は,必要のないものは買わないし,必要なものですら,自分に過分な性能があるものは買いません。そうなると,うざったくて仕方がないのが,SNSで時をかまわず出没する広告です。
 まず,最もうざったいのが「FaceBook」で大量に表示される広告です。いくら拒否しても出没します。SNSが人工知能を駆使しているのなら,私がそうした広告に拒否感をもっていることなど容易にわかるはずなのに。そんな広告をいくら表示したところで反感をいだくだけだから逆効果以外の何ものでもないと私は思うのですが。
 「YouTube」の広告もまた,反感を買う以外に何の効果ももたらしません。そもそも,玉石混交の「YouTube」のコンテンツです。そして,その8割以上は「玉」ではなく「石」ですが,その程度のコンテンツなのにさらに広告が流れると,それがダメ押しとなって,その広告に反感が募ります。ただし,今では,知る人ぞ知る「Brave」というブラウザを使えば,広告のすべてを非表示とすることができるので,きわめて快適となりました。
 「Twitter」にも広告が表示されますが,これは,必要のないものは簡単に削除できるし,広告として表示されるものよりも,自分からツイートしたアカウント自体が広告の役割を果たしているから,今はそれほど害ではありません。とはいえ「Twitter」はイーロン・マスク(Elon Reeve Musk)がかき混ぜはじめたから,今後はどうなるか不明です。
 最後に「Instagram」ですが,これは,タレントがグラビアを展示している意義しかないようなものだと私は思っていて,ほとんど情報価値がありません。また,見るときも,モバイルのアプリでなく,PCからウェブを使えば広告が表示されないので,私はもっぱらそれを愛用しています。

 このように,SNSの多くは,うまくつき合わないと,有益なコンテンツというよりも,わずらわしいだけのものとなりつつあります。本当に手に入れたい情報であるならば,オプトアウトではなく,オプトインで,自分から探してでも手に入れようとするわけで,押しつけられるものではないのです。
 私がこれまで若気の至りで広告の影響で押しつけられて購入したもので,買ってよかったと思うものはひとつもありません。


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最後に訪れたのは,ガイドブックに「八重山最古の寺院」とあって興味をもった桃林寺でした。桃林寺は離島ターミナルの近くにあって,これまでも何度かその前を通ったところでした。
駐車場があったので,そこに車を停めて中に入りました。私ひとりしか観光客はいませんでした。
  ・・・・・・
桃林寺は,臨済宗妙心寺派の八重山列島で最古の仏教寺院.。山号は南海山,本尊は観音菩薩です。
薩摩藩から八重山への社寺建築の進言を受けた琉球王国第二尚氏王朝7代目国王尚寧王によって,1614年に鑑翁西堂を開山とし桃林寺が創建されるとともに,隣地に権現堂が創建されました。
桃林寺は当初は真言宗でしたが,禅宗となった後,現在は臨済宗妙心寺派の寺院になっています。また,権現堂には熊野権現(伊弉冉尊・速玉男尊・事解男尊)が祀られています。御神体の銅鏡は,1772年に沖縄県内で鋳造された最古のものです。
  ・・・・・・
静かな院内でした。江戸時代の初期に,すでにこの地に寺院ができたというのが驚きでした。

これで,私のはじめての沖縄,しかも,石垣島に滞在して八重山諸島を巡った旅はおわりです。
レンタカーを返すところまでは順調だったのですが,車を返却して空港まで送ってもらった後で,レンタカーのトランクにキャリーバッグを忘れたことに気づきました。どうもこのごろ,齢のせいか,こんなことが多くていけません。コロナ禍以降,キャリーバッグを持って旅をするということがなかったのがいけなかったようです。電話をしたら,ターミナルに送迎する次のお客さんとともに私のもとに戻ってきて事なきを得ました。
  ・・
石垣空港のターミナルは,オーストラリア・ブリスベンの空港に似ていました。私は,出発時間までスターバックスでくつろぎました。
やがて搭乗時間となって飛行機に乗り込みました。滞在中はずっと天気に恵まれていましたが,晴れ男の私がいなくなると同時に,石垣島は雨天になりました。
帰りは約2時間のフライトでした。行きに比べて飛行時間が短いのは,偏西風の影響だと気づきました。さすがにこれだけの距離になると,国際線と変わらず,西に向かうのと東に向かうのとでは飛行時間が異なります。しかし,これだけの時間を異常に狭い座席で飲み物1杯も出ることなく過ごすのは苦難でした。格安航空だから仕方がないといえばそうかもしれませんが,いくら安価であっても,もう少し快適に旅ができる工夫があってもいいというか。FDAを少しは見習ってほしいものです。

禅の修行のような2時間を過ごし,やがて,セントレア・中部国際空港に着きました。この日の名古屋はずっと雨だったようですが,晴れ男の私が戻ってきたときはすでに雨は上がっていました。
第1ターミナル2階の西安刀削麺 -ここは空いているので愛用しています- で夕食を食べてから,車で帰宅しました。セントレアの駐車場に5日も車を停めると駐車料金は結構な値段になって,さらに,名古屋までの高速料金も加えると1万円を越すというように,セントレアから石垣島に行くよりも高額になってしまうというのが皮肉というか,何か納得できないことでした。もよりの公共交通機関は頻繁に不通になるから乗る気がしない名鉄しかないし,ターミナルは飛行機を降りた後出口まで延々と歩かなければならないし,セントレアはとても不便な空港です。絶対に県営名古屋空港の方が便利だし快適です。

八重山諸島は,もっとのどかな南の島を想像していたのですが,私のそんな想像とはイメージが違いました。距離的にも中途半端だし,観光地というには何かいまひとつだし。それより何より,利用した格安航空ピーチの雰囲気がひどすぎました。客室乗務員は,客が言いつけを守っているかどうかを監視してたえず機内を歩き回っているだけの存在だし,明るさもない。
格安航空には2種類あります。そのひとつが,基本料金は安くても,やたらとオプションをつけて値段をつり上げていくというやり方で,私が利用した中でこれをしているのがピーチやジェットスターです。
八重山諸島は,どんなところかを知るために1度行くにはいい経験だけれど,私には「2度目」はないなあ。旅は日常を忘れ,非日常を楽しむためにするからこそであって,苦難を味わいに行くものではありません。レストランにせよテーマパークにせよ,リピートするかどうかが評価のすべてであって,アンケートの結果やクチコミではないです。

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サビチ洞を出た私は,石垣島の東海岸沿い,国道390号線を南に走っていました。途中でどこか適当なところを見つけて昼食をとるつもりでした。ところが,石垣島には私のイメージするような,どころか,そもそも食堂やレストラン自体まったくないのでした。コロナ禍でハワイなどに行くことが難しくなって,そうした観光客が沖縄の離島に流れていると聞きます。国内なら安価だし入国のわずらわしさもないので,こりゃ,ハワイへ行くよりいいや,と私も来た早々はそう思いました。しかし,どうも,イメージが違うのです。
食事をするところが見つからず,そのまま白保という集落まできました。ここがおそらくもっとも石垣島を代表する集落だろうと思いました。しかし,私が行った八重山諸島はどこもそうだったのですが,道が狭く,何か排他的で,よそ者が入る余地がないのです。どこかに車を停めて町歩きをする,という空気感がありません。白保の集落も,そんなわけで,車で入り込んでみたものの,特に何もなく,結局,通り過ぎただけでした。
さらに進むと,石垣市役所とか石垣市総合体育館とか中央運動公園とか,そういった建物がある石垣島の官庁街に着きました。私は驚きました。そこには,本土にあるようなチェーン店がたくさんありました。私が思うに,八重山諸島は本土から,というか,沖縄本島からも遠く離れていて,チェーン店へモノを運ぶには,非常に効率が悪いから,わざわざこの地に出店をするメリットがわかりません。いずれにしても,ここは,私の住むところと何ら変わるところではなく,わざわざ沖縄の離島まで来て散策するようなところではありませんでした。
マクドナルドもあったのですが,さすがにここでマクドナルドに行っても仕方がないので,和風亭というお店に入って昼食を取りました。

考えてみれば,4泊もしたのに,石垣島のことはほとんど知りませんでした。そこで,帰りの飛行機の時間まで,石垣島の,これまでに行っていなかったところをまわることにしました。
まず,地図で見つけたのがバンナ展望台でした。バンナ展望台はバンナ公園の中にあって,車なら簡単に登ることができます。展望台からは島の風景が見渡せるということだったのですが,天気が悪くなってきてすごい風だったので早々に引き上げました。
展望台から霧った町並みをどうにか見ることができましたが,この地に生活する人々がこんなにいるという現実は,地図を頭に思い浮かべたとき,ここは本土からは遠く離れた東シナ海に浮かぶ小さな離島であり,すぐとなりは台湾なんだ…,そんなことがまったく想像できないものでした。
ガイドブックには「セグウェイでバンナ公園を疾走」とか書かれてあったのですが,何の何の,平日で,かつ,この天候では,公園には人っ子ひとりおらず,さびれた感満載で「風を切りながら亜熱帯の南の島ならではのダイナミックさ」のかけらもありませんでした。

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 天気がずっと悪かったことと,めぼしい彗星がなかったことと,引っ越しで忙しかったことで,しばらく星見に行くこともありませんでしたが,明るい彗星が近づいてきたので,2023年1月17日の早朝午前3時,家の近くに,彗星の写真を写しに出かけました。

 明るい彗星の名前は,ZTF彗星。ZTFはズィーティーエフと読むそうですが,変わった名前です。これまで聞いたこともありませんでしたが,調べてみると,すでに,2020V2,2021D2,2021E3,2021N1,2022P2,2022P3,2022E3と,7個の彗星にZTFの名前がつけられています。
 ZTFはウェイブページに
  ・・・・・・
 The Zwicky Transient Facility (ZTF) is a public-private partnership aimed at a systematic study of the optical night sky. Using an extremely wide-field of view camera, ZTF scans the entire Northern sky every two days. The resulting large area survey will enable the astronomical community to pursue a broad range of time-domain science ranging from near-Earth asteroids to the study of distant superluminous supernovae. ZTF is funded in equal part by the US National Science Foundation and an international consortium of universities and institutions.
  ・・
 (天文学者フリッツ・ツビッキー(Fritz Zwicky)にちなんで名づけられた)ツビッキートランジェント天体探査装置(The Zwicky Transient Facility=ZTF)は,光学を使って夜空の体系的な研究を目的とする官民パートナーシップです。ZTFは非常に広い視野カメラを使用して,2日ごとに北の空全体をスキャンします。広い領域を調査することで,地球に接近する小惑星から遠方の超新星に至る幅広い領域を天文学的に追求できる結果をもたらします。
  ・・・・・・
とありました。
 どうやら,この,ZTFによるサーベイもまた,地球接近天体の大規模検出プロジェクトのひとつのようです。使われる機材は,カリフォルニア州パロマ天文台にある「サミュエル・オシン望遠鏡」(The Samuel Oschin telescope)に取りつけられた新しいカメラです。「サミュエル・オシン望遠鏡」は,口径48インチ,126センチメートルのシュミットカメラで,9.75 インチのシュミット補正板と72インチ反射鏡で構成されています。ここに新しく取りつけられたのが,6,144×6,160ピクセルの16個のCCDで,1回の露出で47平方度の領域をカバーし,超新星,ガンマ線バースト,ふたつの中性子星の衝突,彗星や小惑星などの移動物体など,明るさが急速に変化する一時的な物体を検出するように設計されているということです。
 日本でも,木曽観測所にシュミット望遠鏡があって,少ない予算の中で現在はトモエゴゼンという名のついたCCDで天体の捜索をしていますが,さすがアメリカ,日々進化して,最新の装置に次々交換して成果をあげているようです。
 なお,フリッツ・ツビッキーは,1898年に生まれ1974年に亡くなった,アメリカで活動したスイス国籍の天文学者です。1930年代にウォルター・バーデ(Wilhelm Heinrich Walter Baade)とともに超新星が中性子星に移行する過程であること,超新星が宇宙線の発生源であることを示唆する論文を発表しました。また,パロマ天文台にサムエル・オシン望遠鏡の前身となる超新星探索用のシュミット望遠鏡を設置させるのに成功し,100個以上の超新星を発見しました。

 さて,私の目的は,ZTF彗星のうちC/2022E3という符号のついたもので,現在は北極星近くのうしかい座にいて,深夜に昇ってきます。やっと月明かりの影響がなくなってきて,しかも,天気がよさそうだったので出かけたのですが,午前3時の気温は2度でした。東の空低く,昇ってきたばかりの月齢25.4の月が赤く輝ききれいでした。このくらいの月齢だと星の光にはあまり影響はありません。街中だというのに,空は澄んでいて,うしかい座の星の並びが確認できたので,簡単に位置を特定し,写すことができました。約6等星で,彗星らしい姿が写りました。今日の1番目の写真です。
 さらに星図を見ていると,その下方,りゅう座に約9等星のパンスターズ彗星(C/2022A2 )が,そして,北極星を挟んで反対側のカシオペア座に約10等星で別のZTF彗星(C/2020V2)がいたので,これもまた,簡単に場所がわかって,写すことができました。それぞれ今日の2番目と3番目の写真です。
 C/2022E3は北極星を巻くようにして東から西に動いていって,1月下旬から2月上旬にはさらに明るくなるようなので,今後が楽しみです。

キャプチャ

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太陽面に黒点がいっぱい。

左下の最も大きなものは
日食グラスを使って
肉眼でも見ることができました。New1az


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黒島からの帰りです。
石垣島を出港するときは同じ時間だったのですが,黒島の出港は,八重山観光フェリーと安栄観光で時間が異なっていて,多くの人は,先に出港する安栄観光の小さな船に乗り込みました。私は後に出港する八重山観光フェリーの大きい船でした。船が黒島を出港して石垣島に着く間に日没となって,船からの夕日をとても美しく眺めることができました。
最終日の明日は離島に行く予定はないので,これが最後の船旅となりました。
ほとんど計画も立てず,というか,天気次第だと思っていた八重山諸島への旅は,天候にも恵まれて,竹富島,小浜島,そして,黒島と,3つの離島に行くことができました。
石垣島に戻って,この晩は,公設市場の3階にある食堂に行くことに決めていたので,そこで夕食を取りました。注文したのは,石垣牛ということばに惹かれて,石垣牛肉野菜炒め定食にしました。

5日目 2022年11月30日水曜日
いよいよ最終日になりました。
この日の朝食は洋食でした。私はこのペンションに4泊連泊しました。要領も得ず,何をするのが楽しいのかもわからず過ごしたのですが,なかなかすごしやすいところでした。
八重山諸島に来てわかったことは,もし「2度目」があるのなら,今度は,何をするかを決めて来るところだということです。スノーケリングが好きならとても魅力的なところでしょう。星や自然を観察しながらのんびり過ごすのも悪くありません。おいしいものを食べてお酒を飲むのを楽しむのもありです。しかし,そのいずれにしても,すべては天気次第なので,なかなか予定が立てづらいというのが難点です。
この日は天気が次第に悪くなるということだったので,あまりテンションがあがらなかったのですが,幸い,雨にはなりませんでした。

ペンションの近くにサビチ洞という鍾乳洞があって,気になっていたのと,天気が悪くても大丈夫そうだったので,まず,行ってみることにしました。なぜか私がもってきたガイドブックには載っていなかったし,レンタカーを借りたときにもらった地図にも書いてないし,車が入っていく気配もなかったので,さびれているのかなと思ったのですが,せっかくだからと,案内標示に従って,道を曲がりました。
意外にも,広い駐車場には結構車が停まっていて驚きました。
あとで調べてみると,石垣島にはいくつかの鍾乳洞があって,中でも,最も大きいのが石垣島鍾乳洞ということで,これは,私のもってきたガイドブックに載っていました。それにくらべたら,サビチ洞は約230メートルと,半分ほどのひろさということでした。結局私は,石垣島鍾乳洞には行きませんでしたが,これまで,アメリカでなかりの鍾乳洞に行ったことがあるので,特に行きたいとも思わなかったし,期待もしていませんでした。
約2億7千年前の地殻変動によって生まれたというサビチ洞ですが,洞窟内にはシャコガイの殻やダバネサンゴなどの化石があって,そこが昔は海の中だったのだと実感することができます。サビチ洞の特徴といえば,鍾乳洞を抜けると海に出ることができる,というものでした。そして,海に出て海岸を右手に回ると見えるのが幸せになれるパワースポットとして有名な亀の形をした岩でした。
私が好感をもったのは,サビチ洞は,写真を写そうがドローンを飛ばそうが自由だ,というおおらかさでした。

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黒島では多くのチョウを見ることができます。
今日の写真はリュウキュウマダラだと思うのですが,私はチョウには詳しくないので違うかもしれません。調べてみると,リュウキュウマダラは,スジグロカバマダラとともに,八重山で最も普通に見かけることができるチョウで,集落近辺の草花が多い所や海岸べりなど,いたる所で見ることができるとありました。
そしてまた,黒島といえば,何といっても牛です。
黒島は,島のほとんどが牧場といってもいいほど牧畜が盛んなところです。黒島の牛は,やや小柄の高級ブランド「黒毛和牛」で,全国各地のブランド牛の一部は幼少期をこの島で過ごしています。ここの牛が松坂にいけば松阪牛となり,神戸に行けば神戸牛となる,ということらしいのですが,牛のことをまったく知らなかった私は驚きました。日本の牛の流通はかなり複雑なのだそうです。
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牛の生産・流通過程は「種つけ・ 誕生・仔牛セリ・ 肉牛セリ・と畜」の5過程にわけられ,また,農家も,繁殖・仔牛の飼育を専門とする「繁殖農家」と,肥育を専門とする「肥育農家」にわかれていて,繁殖農家が種付け・妊娠を行い,誕生させ,8か月から10か月飼育した仔牛を,肥育農家がセリで仕入れ,およそ10か月から20か月をかけて肉牛となるまで肥育させるのが一般的。
  ・・・・・・
とありました。
八重山諸島全体の肉用牛飼養頭数は約35,000頭だそうです。周年牧草生産に恵まれた草地の造成などが進み,採草地・放牧地の草地面積が拡大し,放牧主体の低コスト生産による経営を実現したなどで,黒島は,帰島し畜産業に就く若者が増えて,地場産業の発展が期待されているということです。

さて,黒島灯台から海岸に沿って西に走っていくと,仲本海岸にでました。
ここには休憩所があって,自動販売機もあったので,少し休息しました。休憩所から海を眺めると,遠くに波照間島の島影を見ることができました。
それに続いて,宮里海岸に出ました。
このあたりにあったのがビジターセンターで,建物の中には少しだけ展示がありました。そこにいた人は本土から移住してきた人で,のどかな島で静かに暮らせるから最高の場所だ,ということでしたが,海に出れば魚は釣れるし,生きるには困らない,と言っていました。ここに住んで,星やチョウを研究して過ごせるなら退屈しないかもしれません。
都会に住んでいると,日々生活に追われ,人と競争し,お金がすべて,という価値観になってしまうのですが,そんなことは,実は,どうでもいいのかもしれません。こうした離島に行くと,生きるって何だろうと,わからなくなってきます。

そこから少し北に行くと,黒島研究所という水族館兼資料館がありました。
黒島研究所でさまざまな魚を見ることができたのですが,ウミガメが大きな水槽で泳いでいるのにはびっくりしました。黒島もまたウミガメの産卵の地で,西の浜というところに上陸するそうです。
最後に,「プズマリ」を見て,黒島の見学は終わりです。
「プズマリ」は火番盛のひとつで,昔は電話がなかったため,異国船を発見した場合,石垣島の琉球府の役所へ狼煙を上げて連絡していたのですが,八重山諸島や宮古諸島には,この火番盛がいくつかありました。これらを総称して,先島諸島火番盛とよばれているということです。
黒島の「プズマリ」は,黒島で最も高い場所としても知られ,琉球石灰岩を積み重ねた円錐形の天辺を切り取ったような小山にあります。10年ほど前までは登ることができましたが、倒壊の恐れがあるとのことで,今は登ることができません。波照間島や竹富島などの離島にも同じようなものがあるのだそうですが,その中で最も大きいのが黒島のものということです。
黒島に来てはじめに行った展望台は。この「プズマリ」を似せて作ったものだそうです。

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室戸岬まで来ました。2017年にはじめて来たときはずいぶん感動したものです。
室戸岬には中岡慎太郎の銅像あります。高知県には,ほかに,桂浜に坂本龍馬,足摺岬にジョン万次郎の銅像があって,私は,そのすべての銅像をみたいものだとずっと思っていたのですが,それも達成した今になっては,そのころが懐かしいです。
まだ太陽が沈むには1時間ほど早かったのですが,この季節はすでに夕暮れ感が漂っています。夕日を見ようと中岡慎太郎の銅像の裏手の展望台に登ると,太平洋と太陽を美しく見ることができました。

室戸岬まで行くのに思った以上に時間がかかったので,ここでコーヒーブレイク,という余裕もなくなり,高知龍馬空港に急ぐことにしました。本当は室戸岬で太陽が沈むのを見たいのですが,それでは帰ることができなくなってしまいます。
国道55号線を戻りながら,その途中で太陽が沈んでしまうので,どこかで夕日が沈むのを見たいものだと思っていたのですが,なかなか車を停める適当なところがありません。あきらめかけていたとき,羽根岬というところに出ました。駐車場があって,海を見ることができるようでした。そこで,車を停めて,太陽が沈むまで眺めることにしました。
幸運なことに,この日はまったく雲がなく,太陽がすっかり海に隠れるまでを見ることができました。私が海を見ていたとき,となりにネコがいて,同じように夕日を眺めていました。ネコにもその美しさがわかるのかな,と思わずうれしくなりました。

太陽がすっかり沈むのを見届けて,再び出発しました。
午後6時30分ごろに高知龍馬空港に着きました。空港の2階に食堂があることを前回知ったので,レンタカーを返却して,そこで夕食を取る予定でした。
ターミナルに入って,まず,私の乗る飛行機が予定通りだということを確認しました。私の乗る飛行機の出発には1時間以上あるというのに,それがこの日の空港の最終便だったので,すっかり空港内のお店は終了ムードでした。2軒ある食堂のうち,1軒はすでに閉店していたので,選択の余地はなく,もうひとつの食堂に入って,夕食を取りました。
  ・・
こうして,今回の,幸運を取り戻すためにさくらサーカスを見るという私の高知への日帰り旅行が終了しました。10月に行った2泊3日の四国旅行の3日目のやり直しができました。
わずか50分程度のフライトです。機内からの名古屋の夜景がきれいでした。私にとってFDA による日本の旅は最高の癒しです。次に四国に来るときは,まだ行ったことがない佐田岬の先端を目指そうと,今から楽しみにしています。

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念願のさくらサーカスを見終わって外に出たら午前12時を過ぎていました。帰りの飛行機は午後7時55分なので,たっぷりと時間があります。とはいえ,何をするかという計画はまったくなく,何となく高知市でぶらぶら,そしておいしいものでも食べようか,と思っていただけでした。
しかし,人の多いところはもともと嫌いなので,気が変わって室戸岬までドライブすることにしました。そして,その途中でおもしろそうなところあがあれば寄ることにしました。こうした当てのない旅というのがもっとも楽しいのです。

まずは昼食ですが,チェーン店に行ってもおもしろくありません。今回はクーポンの類はもっていないので,むしろ気が楽です。好きなところに入ればいいのです。
室戸岬まで国道55号線を海岸に沿って走ります。四国では,時折,四国八十八か所の巡礼をしている人が歩いているのを見かけるものですが,今回はまったく見ませんでした。
ずっと海岸線の美しいところを走っているとはいえ,観光地でもないから,なかなか魅力的なところが見つからず,そのうち,安芸市に着いてしまいました。
安芸市といえば,阪神タイガースの春季キャンプ地としてその地名を知っていただけのところですが,今の私は日本のプロ野球にはまったく興味はないので,安芸市で今も春季キャンプをやっているのかどうか知りませんでした。帰ってから調べてみたら,どうも今は安芸市ではやっていないみたいです。
この地は岩崎彌太郎の生まれたところということで,生家跡という案内標示があったので,行ってみることにしました。安芸川に沿って堤防道路を走っていきます。この道路は,NHKBSPで放送している「にっぽん横断こころ旅」の2022年10月13日放送で火野正平さんが自転車で走った道でした。道路の側道が下り上りになっていて,これが小さな子にはジェットコースターに思えた,という内容でした。
私はこの道を自転車でなく車で走ったわけですが,岩崎弥太郎の生家へ行く途中に安芸城というものがあって,その城下が昔のまま残っていることがわかったので,寄ってみました。そこにあったのが,廓中ふるさと館という建物で,食堂が併設されていたので入りました。こういうところでは地産地消のものが食べられます。ほかにお客さんもおらず,願ったりかなったりでした。
そこで食べたのが,名物というかき揚げシラス丼でした。私は普段シラス丼など食べないのですが,名物となれば,これを選択しない手はありません。なかなかのものでした。

すっかり満足して,食後にそのあたりを散策しました。安芸城跡の小高い山にも登ってみました。また,公開されている武家屋敷も入ってみました。
歴史民俗資料館にも行きましたが,そこで私が興味をもったのが,五藤齊三さんの作ったプラネタリウムでした。
五藤光学研究所という,以前は天体望遠鏡を製造していて,今はプラネタリウムを作っている会社が府中市にあるのですが,その会社を創業したのが五藤齊三さん。そして,五藤家というのは,江戸時代,この安芸藩の家老を務めていた家柄ということでした。
高知県は,彗星捜索家として有名な関勉さんが,はじめは高知市上町の自宅で,そして,高知市の空が明るくなってからは高知市の東にある芸西村で天体観測をしていたところだし,「月刊天文ガイド」の裏表紙を長きにわたって飾っていたいかにもホンモノ感あふれた望遠鏡を載せた五藤光学研究所の広告など,子供のころに知ったいろいろなことがこうして結びついてきてとても楽しいです。
  ・・・・・・
五藤家は尾張黒田の出で,山内一豊の父山内盛豊のときから家臣としてささえました。越前攻めの際,山内一豊は朝倉軍の敵将三段崎勘右衛門の首を獲ったものの自ら顔面に矢を受け,家臣の五藤吉兵衛為浄が山内一豊の顔面を草鞋のまま踏みつけてようやく矢を抜いたという逸話で有名です。土佐へ入国後五藤家は家老となりました。
その子孫である五藤齊三さんは,1891年に生まれ,1982年に亡くなった技術者であり実業家です。
戦前,現在のニコンである日本光学工業は小型の天体望遠鏡を製造していて,五藤齊三さんはこれらの営業を担っていましたが,価格が高く販売が伸び悩んでいました。ドイツから日本光学工業へ招聘されていた光学技術者から「優れた光学機器を作れば必ず儲かる」と聞かされたことで,天体望遠鏡をもっと広く気軽に使える価格とするべく,日本光学工業を退社し自ら五藤光学研究所を設立したのです。
  ・・・・・・

そして,再び車を走らせて,岩崎彌太郎の生家に行ってみました。さすがに天下の三菱を創設した人の生家だけあって,今は立派に整備されているのですが,岩崎彌太郎といえば,2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で香川照之さんが演じたみすぼらしく貧しい姿を思い浮かべるので,何かイメージ違うなあ,と思ったことでした。
  ・・・・・
岩崎彌太郎は,土佐国安芸郡井ノ口村一ノ宮の地下浪人の子として,1835年(天保5年)に生まれました。
岩崎家の先祖は安芸地域を治めていた安芸国虎の家臣だったようで,のち戦国時代に土佐を治めた長我部元親に仕えたといわれています。関ヶ原の合戦後,山内氏が土佐藩主となってからは山野に隠れて農耕に従事していましたが,江戸時代の中期に再び藩に仕えることで下級武士(=郷士)となりました。
しかし,岩崎彌太郎の曽祖父・岩崎彌次右衛門が金に困って郷士の身分を売り払ってしまったことから,農民とほとんど変わらない「地下浪人」という身分に転落してしまいました。
  ・・・・・・
とあるので,この生家の立派さとそれが私にはうまく一致しませんでした。

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NHKBSPで放送された「サーカス家族世界一への挑戦」という番組でさくらサーカスを知って,いつか見てみたいものだと思いました。このサーカス団はまだ立ち上げたばかりで,決して有名ではありません。そこで,まさか,さくらサーカスの公演が高知でやられているなどということは知らなかったので,偶然出会って驚いたわけです。これは何かの幸運に違いがないと思ったのです。
様々な幸運はつねに身近にあるのですが,それをつかむかどうかがその人次第なのです。私は運が強いといわれるし,自分でもそう思っているのですが,運が強いというのは,そうした運に出会ったときそれをつかむことなのです。そんなわけで,前回の高知の旅で出会った幸運をつかみ損ねたことがずっと気になっていて,こういうことをすると次に訪れる幸運も逃げていってしまうと思ってずいぶんと後悔していました。そこで,逃がした幸運を引き戻すために,サーカスを見るという目的だけで,日帰りで高知に行ってきたのです。
昨年末に珍しく高知で雪が降りました。もし,私が行く日も雪だったらどうしよう,と心配しましたが,まだ私の幸運は逃げていなかったようで,雲ひとつない快晴となりました。

さくらサーカスの代表は小深田尚恵さんという人で,以前はハッピードリームサーカスというサーカス団の団員をしていたということです。旦那さんのアラン・マルチネスさんはコロンビア出身のサーカス一家の4代目で,長男はアラインさん,次男はアラン・ダビッドさん,3男については情報がないのですが,4男は世界最高峰の舞台「モンテカルロ国際サーカスフェスティバル」で最年少チャンピオンになった嵐さん,そして,長女の咲花さん,5男の 亜蘭さん,次女の花音さん,6男の新太さん,3女の彩玲奈さん,4女の美花さん,5女のやまとさんと続く,6男5女の子供がいる大家族です。
現在,さくらサーカスは,アラン・マルティネスさんが団長を務め,アランさん一家やアランさんの兄弟家族などがメンバーの総勢40人で,本拠地は和歌山県です。
ヨーロッパではサーカス文化が根づいていて,クリスマスなどにオシャレをして家族3世代で見にいくのですが,日本にはそのような文化がないということが立ち上げた動機だそうです。

さくらサーカスがつくられたころは,お客さんがなかなか集まらず苦労したそうです。私が見た日は3連休の次の日でしたが,6割程度の入りでした。何でも,前日まで1月7日から1月9日の3連休は満員だったということです。
  ・・
公演は1時間30分程度で,前半と後半にわかれていて,それぞれ順に団員さんが得意技を披露して,交代の準備の間はピエロがお客さんを沸かせます。出演したのは10人程度だったから,日々交代で出演しているもののように思われます。
さくらサーカスでは動物はなく,アクロバティカルなものが中心です。また,手作り感満載のところが好感がもてました。同じ人間として,よくもまあ,あんなにすごいことができるものだと感動しました。また,日々,こんな危険なことをしているのがすごいというか怖くないのかな,とも感じました。
高知公演が終わると,次の公演は姫路だそうですが,名古屋からは距離的には近くても,空路のない姫路よりも空路で高知へ行った方が安くかつ早いというのが魔訶不思議な話です。

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飛行機の座席は自分で選ぶのですが,いつも進行方向に向かって左側を選択してしまいます。 県営名古屋空港から高知龍馬空港までは紀伊半島の東海岸沿いを進み,四国の室戸岬の上空を通っていくので,左側の座席だと,時折地上が見えるだけで,眼下はずっと海です。はじめて利用したときは感動しましたが,よく考えてみると,右側の座席であれば,ずっと地上を見ることができるわけです。次回利用するときは忘れずに右側の座席にしようと思いました。
わずか50分程度のフライトなので,室戸岬の先端がみえ,そして,高知の桂浜が見えるようになると,すぐに着陸です。
飛行機を降りて,空港内にあるレンタカーのカウンタに向かい,送迎してもらってレンタカーの営業所に着いて,車を借りました。これもまた,10月に来たときと同じです。あのときは旅の高揚感があったように思うのですが,今回は日常のようになってしまっていました。
いずれにしても,私はこうした旅が好きです。

高知龍馬空港を出て,西に海岸に沿って県道14号をしばらく走り,浦戸湾にかかる橋を越え,そこから県道14号は桂浜花街道という別名の道路になります。桂浜花街道の美しい風景を眺めながらしばらく行って,右折してさらに走ると高知競馬場に着きました。
  ・・
私が前回来たときは,反対方向に高知龍馬空港に向かって走っていたときに偶然見つけたさくらサーカスですが,その開催地が高知競馬場の広い駐車場でした。サーカスは午前10時30分の開演で,その1時間ほど前の到着で,ほかにまだお客さんはいませんでした。
予約していた旨を告げて,チケットをもらい,開場の時間まで待ちました。周りでは開演の準備に忙しく,そうして働いていた人たちは出演者でした。サーカス一座とはよくいったもので,これは村芝居と同じで,その感じがなかなかのものでしたが,こうした少ない人数で興行を行うというのも大変だなあ,と感じました。
次第にお客さんが集まってきて,やがて開場となりました。
せっかく遠くからきた私はBOX席を購入したのですが,BOX席であればあとは自由席ということで,一番先に並んでいた私は,当然正面の最前列の特等席を陣取りました。
ついに念願のさくらサーカスの開演が目前となりました。

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2022年10月20日から2泊3日で四国を旅したのがはるか昔のことのように思えます。そのとき
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かずら橋を渡ること,ホビートレインに乗ること,そして,素朴な温泉宿で温泉と和食を賞味すること,という私の高知旅の目的は,天気がよく,すべて達成することができました。だから,これで大満足だったはずなのです。 それなのに,最後の最後に,せっかく,さくらサーカスを見る機会があったのに,それを逸してしまったこと,そして,クーポンの亡霊に悩まされて,昼食を食べ損ねたことだけが残念でした。
  ・・
「人はしなかったことだけを後悔する」というように,できたことよりもできなかったことがあとあとまで残ってしまうのです。そんなわけで,帰宅後,近々,今度は日帰りで高知へ行って,さくらサーカスを見てくることにして,さっそく航空券とサーカスのチケットを予約しました。
  ・・・・・・
と,このブログに書きました。そして,年が明けて,ついにそれを実現しました。
そこで,昨年秋の四国の旅の3日目をすっかり置き換えることにして,今回から,そのときの旅の続編を書きます。

2023年1月10日火曜日
今回は日帰りです。いつものように,FDAを利用して名古屋と高知を往復します。午前7時20分に県営名古屋空港を出発して,午後7時55分の便で高知龍馬空港から帰りました。天候は,これもまた,いつものように,雲ひとつない快晴となりました。旅の目的は,前回,目の前にあった幸運をつかみ損ねてしまったさくらサーカスを見ること,その1点でした。
さくらサーカスの高知公演は1月15日で終了です。FDAの料金が安い日でサーカスが開催されていて私に別の用事がない,という日を探しに探し,ついに見つけたのが1月10日でした。
早朝,気温は低かったのですが快晴で,飛行機に乗り込むときちょうど日の出でした。
あまりに気分がよかったので,機内に入るとき,客室乗務員の女性に「今日もいい天気ですね。私は晴れ男なんですよ」と声をかけました。

先日石垣島に行ったときに利用したピーチという格安航空は
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これまでさまざまな航空会社を利用したのですが,結論からいうと,ピーチは,よくいって幼稚園バス,実際は,まるで囚人を護送するような感じでした。これでは,乗客がマスクをしていなかったので降ろされたとかで訴訟が起きるのも無理がないなあと思いました。
旅は楽しいから行くのであって,悪い雰囲気では沈みます。こんな空気の中で3時間近く狭い機内に閉じ込められ,飲み物の1杯すら出ないのではたまりません。でありながら,商売っ気だけは満載なのです。このごろよく利用するFDAとは大違いでした。
  ・・・・・・
でした。やはり,FDA は最高だな。と改めて思っていたら,飛行中にお茶とパンが配られたときに,声をかけた客室乗務員の女性からメッセージをもらいました。最高の気分でした。旅はこうでなきゃ。だからこそ,FDAをリピートするのです。
飛行機は北向きに離陸したので,旋回して進路を変えます。私は進行方向左側に座っていたのですが,窓から富士山がきれいに見えました。いい旅になりそうです。

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展望台を登ってから伊古桟橋まで行って,次に,黒島の中央にある集落に来ました。
黒島の中心部に位置する集落を東筋集落といいます。ここには,郵便局や伝統芸能館など生活に必要な施設が揃っています。というか,人口がわずか200人程度,戸数は50ほどの黒島の生活に必要なものがすべてなければ生活できません。
集落の町並みは,竹富島のように,サンゴの石垣が並んでいて,風情がありました。また,今は季節でないのですが,夏にはハイビスカスやブーゲンビレアの花々が美しい町ということです。
黒島の民家は,軒が低く平屋建てで石垣で囲まれた沖縄らしいのが特徴的ですが,これは,台風の上陸が多いので,大雨や強風の影響を減らす効果があるからです。また,雨の吹き込みがないように軒が深くなっていて,この軒のことを雨端(あまはじ)というそうです。
主要な道路は舗装されていないのですが,これは,道路の水捌けをよくするためです。
八重山諸島らしい景観を残しているのは竹富島と黒島の集落なのですが,竹富島との違いはシーサーやヒンプンがほとんどない,ということです。家の正面に目かくしの塀があり、これを「ヒンプン」といいます。 「ヒンプン」は,家の正面にある目かくしの塀です。表から建物の内部が直接見えないように造られたもので、外から魔が入ってくるのを防ぐというマジナイ的な意味をもち,屋敷の内と外の仕切りの役目も果たします。シーサーやヒンプンが黒島にないのは,シーサーやヒンプンはここ100年ほどので生まれた文化なので,黒島の東筋集落はそれよりも古いからなのだそうです。

東筋集落の西の入口にあるのが,赤瓦の屋根が特徴的な黒島唯一の郵便局・黒島郵便局です。
丸くて赤い昔ながらのポストがあり,ATMもあります。また,黒島唯一の日用雑貨の店・たま商店がありました。カフェや食堂も1軒ずつあるようにレンタサイクルの店でもらった地図にはあったのですが,目につきませんでした。診療所もあります。
私が最も興味深かったのは,道が交わった場所ごとに小学生の書いた将来の夢が立てられていて,その中のひとつに「志望校合格!! 量子力学を学ぶ」とあったことでした。黒島小中学校のホームページによると,昨年度は,小学校は2年ぶりの新入生を迎え,小学校1年生4人,3年生2人,4年生1人,5年生5人の12人,中学校は1年生3人,2年生3人,3年生2人の8名で,児童生徒が全員で20人,そして,教職員が16人なのだそうですが,規模は小さくとも,夢は大きいのです。
東筋集落の南には南神山御獄(パイハメマワン) があります。南神山御嶽は,兄の危険の際に祈りを通じて霊的な庇護を発揮したというある姉妹の霊力に対する信仰がオナリ信仰とよばれて,その祈りの地がこの御嶽となったそうです。

そこから島の南に1本の舗装道路が伸びていました。走っていったら,ずいぶんと距離がありましたが,海岸に出ました。そこにあったのが黒島灯台でした。
黒島灯台は,広大な牧草地の中をまっすぐのびる農道を行った先の何もない岩場に建つ小さな灯台です。
灯台の中に入ることはできませんが,ハートの形をした黒島の,ハートの先にあることから恋愛成就のパワースポットとしても知られる黒島灯台に来ると恋が成就するといわれているそうですが,残念ながら,私にはまったく関係がありません。
灯台の前には穏やかなエメラルドグリーンのリーフとその先に広大な外洋がひろがっていましたが,観光客は私以外にはだれもおらず,最高の気分でした。

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牛の島として有名な黒島はのんびりとした時間が流れるハートの形をした島です。人口約200人に対して牛の数は3000頭を越えます。
坂のない平坦な島で,牧場の緑の風景の中を自転車でゆっくりとサイクリングするのがベスト。また黒島の海は八重山でもトップクラスの美しさといわれ,産卵のためにウミガメが上陸してきます。
  ・・・・・・
というのが,ウェブにあった黒島の紹介です。
船で黒島に上陸すると,レンタサイクルの人が迎えに来ていました。とはいえ,私とともにこの島の上陸した観光客は6人ほどでした。
レンタサイクルのバンに乗り込んで店に向かい,電動自転車を借りました。生まれてはじめて電動自転車に乗ったのですが,きわめて快適でした。
さて,観光といっても,この島で見どころといえば,展望台,そして,伊古桟橋ということだったので,とりあえず,展望台へ行ってみました。高い山がないので,展望台に登れば島中が一望できるということでした。
5分ほど走ると,小中学校があって,その先に展望台,というか,ちょっと小高いモニュメントがありました。私は高い塔を思い浮かべていたのですが,まったく違いました。こんな低い展望台で一望できるのだろうか,と思ったのですが,登ってみると,ちゃんと見ることができました。

展望台から東の集落に向かって伸びるのが「日本の道100選」の道だそうです。
  ・・・・・・
「日本の道100選」は,道の日の制定を記念して,1986年度および1987年度に建設省と「道の日」実行委員会により制定された日本の特色ある優れた道路104本です。
沖縄県道213号黒島港線は,1981年度から1983年度にかけて道路の拡張が行われたときに,沖縄を代表する景観であり,地域の特徴にもなっている道路両側の住居を囲う琉球石灰岩の石垣や赤煉瓦の屋根などの観光地としての景観を損ねないように特段の配慮がなされ,その結果,黒島の海中景観に優れた自然環境や島の独特の文化に調和した南国の素朴さと文化を強調する景観を持つ道路として評価され,1986年「日本の道100選」に選定されました。
2005年に幅員を拡幅して,歩道とロードパークがもうけられ,ロードパークに国の史跡・先島諸島火番盛のひとつである「プズマリ」をイメージした展望台が整備されました。
  ・・・・・・
ということです。

次に行ったのが伊古桟橋です。全長354メートル,幅員4.25メートル,高さ1.8メートルの伊古桟橋は,2005年に国の登録有形文化財に登録されました。
伊古集落から近い黒島の北岸にあって,現在の黒島港より東寄りに位置します。伊古桟橋は,伊古集落で漁業で盛んだったころ利用されていました。最初の桟橋は1924年に建設された木造の桟橋でしたが,1933年に台風で破壊され,1935年に建設された現在のものは,石積造及びコンクリート造で表面はモルタル塗です。
現在,桟橋としては使用されていませんが,先端まで行くことができて,地元の人々が夕涼みや釣りにやってくるところだそうです。自転車でも先端まで行くことができて,とても爽快でした。
桟橋周辺はものすごく遠浅で,干潮時にはほとんど干上がってしまうので,満潮時のほうがきれい,ということですが,先に書いたように,午前中,干潮の川平湾でグラスボートを楽しんだ私は,ここでもまた運よく,満潮時に訪れることができたのでした。

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黒島へ行く船が出るのは午前12時30分なので,それまで時間がありました。そこで,天気のよいこの日は,石垣島の西海岸に沿って,海岸線をなめるように離島ターミナルまで走っていくことにしました。
まず,底地(すくじ)ビーチへ行きました。底地ビーチは川平湾から石崎半島をへだてた西側に南北に弧を描きながらのびる三日月のような青く美しい海と真っ白な砂浜がウリのビーチです。
  ・・・・・・
海岸沿いの林を抜けると目の前に広がるのが白い砂浜と静かに打ち寄せる穏やかな水面,そして,視線の遠くまで弧を描きのびる海岸線。
  ・・・・・・
という紹介がありました。
底地ビーチは,約1キロメートルにもわたるロングビーチ。湾の内にあるのでほとんど波がたたず穏やかで, 遠浅。また,モクマオウという名の木が防風林として立ち並び,快適な木陰を作っています。
西側に面しているので,絶好のサンセットスポットエリアということで,私はその時間に行くことはできなかったのですが,夕暮れになると,世界が黄金色に染まり,水平線に太陽が沈んでゆくとき空と水面が紫色から濃紺へと移ろって,やがて,夜空に満天の星空が広がるということです。
オーストラリアの,名も知らない湖のようなところに行ったとき,こんな感じのビーチがあったなあ,と私は妙なことを思い出しました。

次に目指したのは,御神崎灯台(おがんさきとうだい)でした。
坂道をぐっと登って行った先に駐車場があって,そこから少し歩いて,それから結構険しい階段を登ると,一面海が開けました。なかなかの景色でした。
高さ17メートルの御神崎灯台は,1983年に設置された石垣海上保安部が管理する灯台です。
ここもまた,島の西側に面しているので,夕日がきれいなところで,石垣島ナンバーワンのサンセットスポットとして名高く,夕暮れが近づくと 多くの人が集ってくるそうです。また,4月から5月ごろは,無数のテッポウユリが咲き誇り,夏のはじまりを告げてくれるのだそうです。
御神崎灯台は公開されていませんが,11月1日の灯台記念日に合わせて一般公開されることもあるということです。

美しい海と景色を堪能して,私は離島ターミナルに着きました。
今日もまた,離島ではお昼を食べ損ねるおそれがあったので,船の出発前に,まず,昼食をとることにしました。離島ターミナルの駐車場に車を停め,石垣島公設市場の中にある食堂へ行きました。

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4日目 2022年11月29日火曜日
私が石垣島に着いてから,連日,とてもいい天気でした。
ハワイと違って,沖縄は天気が読めません。以前の私のように沖縄について知らないと,夏は暑いから避けて冬は暖かだからいいように思えます。ガイドブックには年間降水量が書いてあって,冬は雨が少ないように読めます。そこで私も11月の下旬を選んだのですが,冬は北から風が吹いて海が荒れるから船が欠航することが多いのだそうです。ただし,私の滞在した5日間は異例でした。
ハイシーズンは夏なのだそうですが,台風の心配があります。聞くところによると,観光に最も適しているのは6月と10月なのだそうですが,勤めている人はこの時期に旅行は難しいです。

さて,4日目。
明日から天気が崩れるという予報でした。また,私は,すでに,竹富島と小浜島に行ったので,この日はどこに行こうか考えました。波照間島はすでに眼中になく,西表島は広くつかみどころがありませんでした。それよりも,私は,な~んもない,という島に憧れました。
鳩間島という本当にな~んもない島があると,昨日,コーラルビーチのカフェのオーナーが言ったので,よほど行ってみようかと思ったのですが,船は朝の1便と夕方の帰りの1便しかなく,その間,何をするかが問題,ということだったので,さすがにやめて,次に見つけたのが,人より牛の方が遥かに多いという黒島でした。そこで,黒島への船が午前12時30分発だったので,午後は黒島に行くことにしました。
そして,せっかくの好天なので,午前中は川平湾のグラスボートに乗ることにしました。

川平湾は石垣島の北西にあります。ペンションで朝食を終え,車で石垣島の北の海岸線を西に走りました。このあたり,ハワイ・カウワイ島の北の海岸に少しだけ雰囲気が似ていました。
  ・・・・・・
川平湾は世界的なガイドブックで最高ランクの三ツ星を獲得した石垣島屈指の絶景スポット。
白砂に澄んだブルーの海が映え,ため息が出るほど美しい景観を楽しめる,石垣島で絶対にはずせない王道観光地です。
天候や時間帯によって海の色が七色に変化するのが特長! 1日中眺めていられます。
砂浜から乗船するグラスボートも定番の楽しみ方。船底のガラス越しにサンゴの群生や色鮮やかな魚を見ることができます。
  ・・・・・・
ということです。

川平湾が見えてきました。なかなかいい雰囲気でした。
グラスボートは数社が営業しているようですが,私は「ぐるくん」というところのクーポンをもっていたので,そこを利用することにしました。
船の予約をしてチケットを購入しても,まだ出船には時間があったので,展望台に行って川平湾を一望しました
朝1番のグラスボートとはいえ,十人近くの観光客が乗り込みました。船は砂浜から乗船します。船の中央がガラスになっていて,海の中が見えるという趣向です。ハワイ島のカイルアコナで潜水艦ツアーというのに乗ったことがあるのですが,そのようなものです。ただし,潜水艦とは違って,あくまで海の上だから,あまり期待していなかったのですが,さにあらず,なかなかのものでした。
ただし,私が乗ったこの日は,最高の条件だったようです。これほどの透明度の高い日はまれで,しかも,潮が満ちているところだから,さらにいい時間だということでした。さすが晴れ男です。
とても詳しい説明があって,楽しい時間を過ごせました。熱帯魚がいっぱい泳いでいる海はとてもきれいでしたが,私が最も感動したのはウミガメでした。

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小浜島の観光を終えて,石垣島に戻ります。小浜島は期待以上の島でした。とはいえ,半日以上滞在しても,もはやすることもありません。
帰りの船がやってきて,乗船しました。小浜島から石垣島が見えました。
石垣島の港には,Japan Coast Guard,つまり,海上保安庁と書かれた船が停泊していました。
  ・・・・・・
海上保安庁は,海上における人命・財産の保護,法律違反の予防・捜査・鎮圧を任務とする国土交通省の外局です。1948年(昭和23年)にアメリカ沿岸警備隊(United States Coast Guard=USCG)をモデルに設立されたものです。
船舶に対する任務を海上保安庁が担うのに対して,国外の艦艇に対応する任務は防衛省の特別の機関である海上自衛隊が担当し,海上自衛隊は防衛大臣による海上警備行動の発令によってはじめて洋上の警備行動が取れるといいます。
  ・・・・・・ 
こういう姿を見ると,八重山諸島が外国にきわめて接していることに気づきます。

この晩は,まず,サザンゲートブリッジに行くことにしました。サザンゲートブリッジは離島ターミナルから徒歩5分くらいのところにあって,埋め立てて造られた人工島の南ぬ浜町(ぱいぬはまちょう)と離島ターミナルのある八島町とを繋ぐ青色の大橋です。離島ターミナルから美しい橋が見えたのでずっと気になっていたのですが,調べてみると,橋の上から見る夕日がきれいだということでした。
小浜島から戻ったとき,間もなく夕日が沈みそうだったので,慌てて橋まで歩いていって駆け上がりました。橋は片側だけ歩道が整備されていて,容易に自転車や散歩でも渡ることができるようになっていました。私は橋の最上部で夕日が沈むのを待ちました。あいにく水平線付近には雲があったのですが,雲の隙間から大きな赤い太陽を見ることができました。
夕食は,前日はお休みだったおそば屋さんにしました。
お店は結構混雑していましたが,何とか座ることができました。ラフテー&ソーキ定食というものを注文しました。ラフテーというのは,沖縄の郷土料理のひとつで,皮つきの三枚肉またはヒサガーという皮つきのもも肉を泡盛や醤油で甘辛く味付けした料理で,沖縄風の豚肉の角煮のことです。

ペンションに戻りました。
夜になると晴れ上がり,満天の星が見られました。私は,石垣島に星を見に来たわけではなかったのですが,三脚は持ってきたので,写真を写しました。
何年か前,ハワイやオーストラリア,ニュージーランドなどに出かけていなかったころなら,ここで南十字星が見られると感激し,夜を徹して星の写真を写していたかもしれません。

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小浜島もそれほど大きな島でなく,また,ディズニーランドのような竹富島とも違って観光客もそれほど多くはなく,水牛車のようなアトラクションがあるわけでもなく,おそらく,「ちゅらさん」のロケ現場でなければ,もっと無名の,しかし,素朴な島だったかもしれません。
私は,レンタカーで走っていたので,あっという間に島の観光を終えてしまいました。
最後に行ったのが「ちゅらんさん」を象徴する「結婚しようね 大きくなったら結婚しようね」のロケ地である「細崎港」でした。ここは,古波蔵恵里が幼いころ「結婚しようね」と防波堤を走りながら上村文也にさけんだところです。「 細崎海岸」(くばざきかいがん)はマングローブ林が近く,貝やサンゴが落ちていたりする場所ですが,潮の流れが速いので遊泳はできません。
その奥にあるのが「海人公園」(うみんちゅこうえん)。この近辺は細崎集落があって海人を生業とし生活する小さな集落です。「海人公園」には,屋根が巨大なマンタで作られている展望台がありました。

帰りの船まで時間があったので,午前中に行ったコーラルビーチに再び行って見ることにしました。確かカフェがあったように記憶していたからです。ビーチの駐車場に車を停めて,少し手前のカフェに入って,ケーキと飲み物を注文しました。カフェはオープンテラスで,海が眺められ,とてもいい雰囲気でした。
実は,私は,今回の旅で,こうしたシチュエーションを期待していたのですが,石垣島も竹富島も期待に反して,レストランどころかカフェすらほとんどないのでした。
飛行機で石垣島に着いたときは,こりゃハワイより近くていいや,と思ったのですが,しだいに,私の思っていた南の島でゆっくりバカンス,というのとは違うところだなあ,という気持ちになってきていたところだったので,これで蘇りました。
オーナーは私と同じくらいの齢の人で,少しお話をしました。

何でも,本土からの脱サラで,どこかいいところはないかと探していて,この場所を見つけ,買ったのだそうです。コーラルビーチのリゾートエリアには,ホテルもあるのですが,移住してきた人の住む家もあります。ここに住んでいる人は,退職して,老後の場所として選んで住んでいる人も多いそうです。
  ・・
日本は,受験戦争に勝ち抜いて学歴を手に入れ,まあまあの会社に就職して仕事一途で働いて,まあまあ偉くなって定年まで勤めあげ,その間に家を買ってローンの支払いに明け暮れ,巨額の教育費を使って子供を育て,退職したらツアーで旅行をする,というような,人任せの「おまかせ定食人生」を過ごすなら,これまでの世代なら,これほど楽な国はなかったのです。これからの若者は,そうした「おまかせ定食人生」すらおくれませんが…。
しかし,不登校になったり仕事を辞めたり病気になったり,といった理由で,そんなレールから一旦外れてしまったり,あるいは,自分らしく生きようとすると,これほど夢が実現できず,選択肢もない,生きづらい国はありません。そうした人は,海外へ,あるいは,沖縄の離島へ,さらには,テレビ番組の「ポツンと一軒家」で出てくるような山の中へと,居場所を求めて右往左往するのです。
沖縄の離島はそうした選択肢としてそれなりに魅力的だけれど,何か寂れてしまっているし,ハワイのマウイ島に多くある,アメリカの大金持ちが住むようなリゾートタウンを知っている私としては,それと比べてはいけないけれど,とても寂しい気持ちになります。

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石垣島や西表島のような大きな島では,海岸沿いの港の近くに集落がありますが,竹富島,小浜島,そして,明日行くことになる黒島のような小さな島では,集落は島の中央にあります。コーラルビーチを出た私は,今度は,小浜島の集落に向かうことにしました。
先日竹富島で昼食を食べ損ねた私は,なんとか集落で昼食にありつけないものかと,まずは思いました。集落の中は意外と道路が狭いのですが,ほとんど車も通らないので,路上のどこでも車を停めることはできます。そこで見つけたのが,一軒の食堂でした。お客さんは誰もいませんでした。そこで私は,確か「八重山そば」を注文したと思います。しかし,今,写真で見ても,それが「八重山そば」だったのか「ソーキそば」だったのか定かでないのです。いずれにしても,地元の三流グルメには違いがないのですが。
私の住む地方では,「味噌煮込みうどん」が定番で,特に寒い季節はこれに限るのですが,これもまた,麺が堅い店もあれば柔らかい店もあるし,トッピングもさまざまだったりするので,それと同じでしょう。当然,厳密な定義などないわけで,ただ,地元民は食べなれているからその違いが店の特徴として認識できるのですが,行くまでまったく知識のなかった私にその区別がつくわけがありません。
いずれにしても,地元のものを食べたい,という意思だけは堅いのです。
このお店,午後2時過ぎに通ったときはすでに閉店していました。

この島の集落で,観光の目玉というのは,いまでもはやり「ちゅらさん」です。
そこで,はじめに「ちゅらさん」で民宿という設定だった「こはぐら荘」に行ってみました。
「こはぐら荘」として想定された民家は実際に人が住んでいて中に入ることはできないので,入口付近から見るだけの場所でしたが,まあ,感動しました。
集落のはずれに結構大きな小中学校があって,ここは古波蔵恵理が通った学校としてドラマに出てきます。さらに先に行くと「シュガーロード」があります。古波蔵恵里が自転車で通る場所で,両脇にさとうきび畑が広がっている… はずなのですが,平原でした。というか,牧場があって牛さんいました。

帰ってから,当時の番組の総集編を見直してみました。
私が行ってきた場所がいっぱい出てきて,かなり感動的でした。しかし,ドラマで描かれた画面から得たイメージと,実際に行って見てみたイメージは違うものだなあ,とも思いました。
「こはぐら荘」はもっと海岸に近い場所だと思っていたし,また,「ガジュマルの木」は,すでに切られてしまっていて,また,かつて「ガジュマルの木」を見ることができた「ちゅらさん展望台」も口蹄疫ウイルスの侵入防止の為に閉鎖されてしまいました。
  ・・・・・・
「ガジュマルの木」とは「ちゅらさんの碑と和也の木」です。撮影のために植えられた木は土地になじめず枯れてしまいました。
「ちゅらさん展望台」は,古波蔵恵里が「結婚しようね」と寝言を言っていたことを古波蔵勝子に冷やかされた場所,そして,和也君との約束を果たすために上村文也が古波蔵恵里にプロポーズをした,「ちゅらさん」最大の見せ場で有名な「ガジュマルの木」が見おろせた場所でした。
  ・・・・・・
と,時の流れには勝てず,いろいろなことがすでに思い出の中だけのことになっていたとしても,まさか小浜島に行くとはまったく思っていなかった私には,実に感動的でした。

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レンタカーを借りるときに島の地図をくれて,詳しい説明がありました。まさにこの島はハワイ・モロカイ島のようなところでした。
まず,少し左手に行ってそこを右折して坂を登ると展望台に出るといわれました。展望台のある場所は大岳(うふだき)といいます。けっこうな坂道で,レンタカーを借りて正解だったと思いました。
駐車場に車を停めて,展望台まで登ることになるのですが,思った以上の階段でした。私はどこに行ってもこんな坂を登る気はないのに,なぜか坂を登ってばかりいます。しかも,この日は11月下旬だというのに摂氏30度を超す暑さで,しっかり汗をかきました。
登る途中で,3人組の女性とすれ違いました。「まだまだですか?」と問うと「まだ大変ですよ」という返事があってにんまりされました。それが真実なのか? はたまた,からかわれているのか? どちらにしても,私はすでにめげていました。「まだ大変ですよ」というほうが真実でしたが,それでもなんとか展望台にたどり着くことができました。展望台からは島のまわりが一望できました。
  ・・
世界中どこに旅しても,その場にいるときは,自分は地球のこんなところにいるのか! という実感がわきません。これまで行った中でも,あとで振り返って地図を見ると,ハワイは太平洋のど真ん中だったんだ,と驚くし,アイスランドに至っては大西洋の孤島ではないですか!
八重山諸島もまた,帰宅してから改めて地図で探すと,こんなにも本土と離れているのか,と驚きました。緯度は台湾と同じくらいだし,日本本土よりも中国大陸のほうがずっと近いのです。すぐ隣は尖閣諸島です。こりゃ,中国大陸からミサイルでも飛んできたらひとたまりもないなあ,とぞっとしました。

展望台を降りて,次に目指したのが,コーラルビーチでした。
小浜島にはカナンリゾートがあります。
  ・・・・・・
小浜島にもともとあった建物を利用して2017年に新しくオープンしたリゾートホテル。小浜島の北側に位置していて,オーシャンビューの客室のバルコニーからは小浜島の北東にある無人島の嘉弥真島(かやまじま)を望むことができます!
他のリゾートホテルに比べるとリーズナブルな価格のため,小浜島に数日滞在する方にはオススメ!
  ・・・・・・
ウェブにこのような紹介があるのですが,シングルルームは10,000円くらいで宿泊できるようです。
また,リゾートホテルの周りには住居もあって,この島で暮らすのを夢見て移住してきた人たちが住んでいるという話です。
何度も書きますが,この島は,ハワイ・モロカイ島のようなところで,私はモロカイ島のリゾートで3泊もしたのですが,そこは古くさびれていました。ここもまた同じような感じでした。ともかく,何をするでもなく,何か魅力があるでもなく,しかし,のんびりするにはこれ以上のところはなし,という感じでした。
その,カナンリゾートを越えてさらに行くとコーラルビーチという穴場に出るのですが,一見,道路がリゾートホテルの私有地のように思えるので,知らないとたどり着けません。小浜島のビーチといえばここくらいのものです。
  ・・
レンタカーを借りるとき,だから,ここは穴場だと得意げに紹介されました。
行ってみると,多くない人たちが海を眺めていたり,水浴びをしていたりしていました。そこにいたのが,さきほど展望台ですれ違った3人組の女性たちでした。そして,彼女たちに写真を撮ってもらおうと声をかけたのが,別の2人組の女性たち。この別のグループ,ともに埼玉県から来たという話でした。
調子に乗った私が,彼女たちが写真をとるときに「飛べ!」と声をかけると,実際に彼女たちは「と・ん・だ」… のでした。

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3日目 2022年11月28日月曜日
以前「波照間島の亡霊」と題して,波照間島に行こうかどうしようか迷っていたことを書きました。当初の予定だと,この日はペンションの朝食をキャンセルして,早朝に出発し,離島ターミナルから波照間島へ日帰りで出かける予定でした。しかし,いろいろ調べた結果,結局,私は波照間島へ行くのをやめて,フェリーをキャンセルしました。船が欠航になって帰ることができなくなるという心配と船酔いの心配,このふたつが迷っていた理由だったのですが,それ以上に,私は,波照間島に行きたい,という気持ちにならなかったということがありました。私が波照間島に行こうと思った動機は,単に,帰ってから自慢しよう,ということだけだったのです。
結論からいえば,私が滞在していた間だけ,非常に天気がよく,船は欠航することもなく波照間島に行ってくることは可能でした。11月という時期は船が欠航する確率は50パーセント以上ということなので,行きたいという人にとってはものすごくうらやましいと思えるかもしれません。事実,私も惜しいことをした,という気持ちがないわけでもないのですが,とはいえ,自宅に帰ってきてからも,まったく行かなかったことに対する後悔はないのだから,実際,行く気はまったくなかったのでしょう。

さて,波照間島に行くことをやめて,ペンションでゆっくりと朝食をとりました。そして,波照間島に代わって,小浜島へいくことにしました。実は,私がもっとも行きたかったのが,この,小浜島でした。
小浜島は,2001年に放送されたNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」の舞台です。
  ・・・・・・
「ちゅらさん」は沖縄県の小浜島を主要な舞台とした作品です。脚本を岡田惠和が担当しました。
 沖縄と東京を舞台に,国仲涼子さんが演じるヒロイン古波蔵恵里の成長物語を中心に,上村文也との恋の行方,両親や兄弟,祖母など恵里を見守る家族との強い絆,個性的な「一風館」の住人達や看護師として働く職場の人々の人間模様を描いた群像劇でした。
「もう一度見たいあの番組リクエスト」の連続ドラマ部門で第1位となり, 続編,続々編,さらに続々編が制作されました。
  ・・・・・・
私は,「ちゅらさん」というドラマは大好きでしたが,実は,小浜島がどこにあるのかさえ,知りませんでした。まさか行くとも思っていませんでした。それが,石垣島に行くことになって,小浜島が石垣島の近くにあるということがわかって,大変驚きました。こりゃ,行くしかない,と思いました。ということで,私がこの旅で最も楽しみにしていたのは,小浜島へ行くことだったのです。

午前11時30分発のフェリーに乗ることにしたので,時間ができました。
朝食後,ペンションのまわりを散歩していたら,ペンションの庭に,小さな看板があって,ビーチと書かれていました。その看板に従って進むと,あまり気づかない狭い通路があって,そこをかき分けていくと,海岸に出ることができたのです。
生まれたはじめてハワイに行ったときに私はハワイ島のペンションに宿泊したのですが,そこもまた,まったく同じように,狭い通路を進むと,海岸に出ることができたのです。それと同じ感じでした。
私は,このペンションにやってきたとき,海岸沿いにあるものだと思っていたのに,海を見ることができないのにがっかりしていました。それは誤解だったのです。
しばらく海を眺めました。この海は,太平洋でも日本海でもなく,東シナ海でした。

ペンションを出て,離島ターミナルに着きました。私が乗る船の名前はなんと「ちゅらさん2」でした。
おそらく,ドラマが放送されたころは,大ブームで,多くの人が訪れたと思いますが,放送されてからすでに20年も経って,さすがに,そういうこともないだろうと思ったのですが,まだまだ結構人気の島でした。
島までは約30分程度でした。
ガイドブックでは,小浜島は竹富島とは違って坂が多いので,レンタサイクルでは大変で,電動アシスト自転車かオートバイ,またはレンタカーがふさわしい,とありました。私は,この時まで電動アシスト自転車に乗ったことがなく,オートバイもまた同様だったので,レンタカーがいいなあ,と思ったのですが,予約もしていないのに,レンタカーなど借りられるのだろうか,と心配でした。
やがて,船が小浜港に到着しました。船が到着したのは「ちゅらさん橋」。小浜港には,以前はターミナルがなかったそうですが,今では立派なターミナルがありました。
案ずるより産むがやすし,というのは,旅をしているといつも感じることです。船が港に着くと,レンタカーと大きく書かれた看板が目に入りました。急いでそのお店に行くと,書類1枚書いて免許証を見せるだけで,ガソリン代込みでレンタカーが簡単に借りられるのでした。これではレンタカーをかりるというよりもレンタサイクルを借りるのと変わりません。
お店の前に,私が乗る赤い軽自動車が停まっていました。

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竹富島を堪能して,石垣島に戻ってきました。この時点では,私はまだ石垣島の町を知りません。
私の宿泊しているペンションは島の北にあって,離島ターミナルから車で30分ほどかかります。それは承知で宿泊先を決めたのでいいのですが,問題は夕食です。島の北にも食堂はあるのですが,夜は早く閉店してしまうので,町で食事をとってからペンションに戻るしかありません。
しかし,私は気楽に考えていました。せっかく来たのだから,少し贅沢に沖縄料理を味わおうと。ところが,この日が日曜日であったので,いくつかの店が閉まっていたことに加えて,この島には飲み屋しかないのでした。要するに,石垣島の人は飲むことが最高の楽しみ,のようでした。私も車でなければ問題はなかったのですが,なにせ,車でペンションに帰るほかないのです。
数年前,ハワイ・モロカイ島に行ったことはすでに書いたのですが,モロカイ島で最も苦労したのは食事でした。なにせ,レストランがない。飲み屋はあったのですが,そのときもまた,酒を飲まない私には利用するのに抵抗がありました。しかし,実際は,その飲み屋でおいしい食事をとることができると知ったのは,数日後のことでした。
ずいぶんと探して,ついに,というか,やっと,というか,まともな食事にありつけるお店を見つけたので入りました。そこもまた,一応,飲み屋ではあるのですが,ちゃんとした定食がありました。沖縄料理の定食でした。

私はこれまで沖縄料理というものを食べたことがありませんでした。そこで,今日は,まず,そばをテーマに沖縄料理を語ります。
八重山地域全般で食べられているのが「八重山そば」です。「八重山そば」は,そばが細めで断面が丸く縮れがないのが特徴で,食べる際に好みで香辛料にヒパーチという島胡椒を使います。トッピングとして,八重山かまぼこやソーキそば,三枚肉などを載せます。
それに対して「沖縄そば」は沖縄本島全般で食べられるそばで,麺は太めで少しねじれています。トッピングは,カマボコ,三枚肉やソーキ,紅ショウガやネギなどで,紅ショウガが入っています。
これらのそばで,ソーキというスペアリブが入っていると「ソーキそば」とよびます。
「八重山そば」「沖縄そば」が和そばとは異なるのは,そば粉は使わず小麦粉のみで作られかん水を加えて打つことで,製法的には中華麺と同じですが,麺は太めで和風のだしを用いる点が異なります。私は,リンガーハットの麺と似ているなあと思いました。とても気に入りました。
  ・・
次にお酒です。私は普段もほとんどお酒を飲まないので特にお酒が飲めなくても問題はなかったのですが,お酒好きの人が石垣島へでかけるのなら,離島ターミナル付近にホテルを取って,思う存分酒づけになるのがよいのでしょう。
沖縄のお酒といって有名なのは,まずはオリオンビールです。オリオンビールは沖縄県に本拠を置く大手ビールメーカーで,麒麟麦酒・アサヒビール・サッポロビール・サントリーに続く日本国内第5位のシェアで,といっても0.9パーセントですが,沖縄県では最大のシェアを誇ります。
ライトビールなので,味は軽く,泡立ちがよいそうです。アメリカのビールのようなものでしょうか。
次に,泡盛です。泡盛は単式蒸留焼酎,本土の焼酎と同じ仲間ですが,製法が違います。
まず,原料にタイ米を使用します。次に,黒麹菌を伝統的に使用しています。
仕込み方法にも違いがあって,泡盛は,原料の米すべてを米麹にし水と酵母を加えて発酵させます。それに対して,焼酎は,まず,米麹あるいは麦麹をつくり,それに水と酵母を加えて発酵させ,その途中で主原料となる芋や麦,米,そばなどを仕込んでさらに発酵させます。さらに,蒸留段階で,泡盛は常圧蒸留で,焼酎は減圧蒸留です。
石垣島に限っても,請福酒造,高嶺酒造,玉那覇酒造,池原酒造,八重泉酒造,仲間酒造と6社もあります。泡盛ランキングの第1位は,川平村の高嶺酒造が造っている「高嶺・おもとゴールド6年古酒43度」,第2位は,石垣島でもっとも愛されている請福酒造の「直火請福30度」,そして,第3位は,古くからの村・宮良村の酒として造られていた仲間酒造の「宮之鶴30度」だそうです。また,番外として,泡盛の中で幻とよばれているのが波照間島の波照間酒造所「泡波」ということです。
次に来るときがあれば,真剣に酒浸りになりたいものです。ああ,また,新しい魅力を知ってしまった。

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☆☆☆
初日の出。

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Happy New Year 2023.
◇◇◇

 2023年になりました。今年はどんな1年になることでしょうか。
 「おわりのはじまり」と書きましたが,これは,日本の現状を憂いて書いたのではありません。私自身がおわりにむけて,何かをはじめよう,という意味なのです。若い人にとっては,日本の現状は大変なのでしょうが,過去は忘れ何の後悔もなく,また,将来への憂いも夢も展望もなく,とはいえ,日々,楽しく充実した生活をおくっている私には,もはや,そんなことはまったく関係がなく,やりたいことばかり,行きたいところだらけ,なのです。今年もまた,夢いっぱいです。
 この齢になると,自分が何をしたいのか,何が必要なのかがよくわかります。そこで,要らないものは買わないし,したくないことはしないで済みます。今回,断捨離をしてみて,若いころは,いかにムダなものを買ったのか,しなくていいことをしたのかが身に染みました。しかし,そうしたムダな買い物や不要な行動があったからこそ,そうしたことがわかるのでしょう。

 私は,若いころにしたかったことをすべて実現し,行きたかったところにすべて行ってしまった今,喪失感に襲われるどころか,不思議なことに,それを越えた楽しみが洪水のように押し寄せてきました。
 今もっともやりたいことは,人の少ないどこかに出かけて,時間を忘れ,ゆったりと過ごすことです。そんな心境になって以来,昨年までに行ってよかったと思うところは,北海道の留萌,東北の花巻温泉と湯野上温泉,紀伊半島の十津川温泉,四国の四万十川近郊の松葉川温泉,そして,石垣島をはじめとする八重山諸島でした。今年は,まず,水戸へ行って梅が見たい,そして,佐渡島で飛んでいるトキを見たい,と思って,計画を立て,予約をしました。その先はまだ未定なのですが,また,どこかに行きたくなってくることでしょう。
 海外はいつになったら行くことができるかわかりませんが,紆余曲折のあげく,私がまた行きたいと思うのは,オーストリアとニュージーランドだということが確信できるようになりました。オーストリアでは鉄道で旅したい,そして,ニュージーランドでは車で走りたいのです。
  ・・
 次に,良質のクラシック音楽をコンサート会場でたくさん聴きたい,ということです。クラシック音楽はとてもこころが休まります。
 マスコミは何らかの思惑があって報道しているだけで,そこにきちんとした方針もなければ正義もありません。売れると思うことを伝えているだけです。そしてまた,購買意欲を煽るために人を不安にしているだけです。そんなことがわかってしまった今は,テレビもほとんど見なくなったし,新聞や雑誌の類も,恥ずかしいような内容ばかりなので,読む気にならなくなりました。
 それよりも,純粋に音楽に浸って過ごすほうが,ずっと幸せだなのです。いい音楽を聴き,創造者とこころの中で向き合うのです。そして,音楽を聴いた後でおいしいものをこころおきなく食べる,これ以上の幸せがあるだろうか,と思うのです。
  ・・
 そして,最後に,もっと星を見たい,そして,宇宙に溶け込みたい,ということです。だれもいない深夜に宇宙と会話をするのはすばらしいことです。
 昨年は忙しかったことと天気があまりよくなかったことで,なかなか星見をすることができませんでした。年末の引っ越しを機会に,これまでに買いためた多くのカメラや望遠鏡を処分して,自分の必要とする機材だけを手元に残しました。そこで思ったのは,物質欲から一線を引いて少ない機材を使い込んで,それ以外はなるべくこの目で星見ることのほうが楽しいということでした。

 このように,私の「はじまり」は,旅と音楽と星。これだけで十分です。
 ということで,私にとって2023年は,まさに「おわりのはじまり」。過去の自分をすべて捨て去って,新たな一歩を踏み出すのです。
 果たして,どれだけのことができることやら。それにしても,時が過ぎるのが早すぎると感じるこのごろです。


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