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大手門をくぐり,茨城大学教育学部附属幼稚園と水戸第三高校の間から角櫓まで続く遊歩道を通ると,水戸城二の丸角櫓(すみやぐら)に行くことができました。見学は無料とかかれてありました。私は,水戸城は何もないと聞いていたので,驚きました。長い長い土塀を歩いて行くと,それは見えてきました。
櫓の前には発掘された当時の礎石が展示されていました。中に入ると,水戸城に関する展示があって,水戸城について何も知らなかった私は,興味深く見ることができました。
2021年6月27日の東京新聞に「水戸城二の丸角櫓(すみやぐら)が完成,きょうから一般公開」という記事がありました。
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水戸城で復元が進められていた二の丸角櫓の一般公開が27日からはじまる。
角櫓は高さ9.6メートルで,角櫓から大手門に延びる全長約470メートルの土塀とともに,2018年3月に着工し,昨年9月に完成した。 昨年2月には正門に当たる大手門が完成しており,角櫓の完成で水戸城における一連の復元プロジェクトは完了した。
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とありました。
であるなら,私は,今回もまた,非常に幸運で,これまでずっと行ってみたいと思っていた水戸に今やっと来ることができたおかげで,完成したばかりの二の丸角櫓を見ることができたのでした。それ以前なら,何もない水戸城に落胆しただけだったことでしょう。
前回も触れたように,水戸城は大規模な土塁とともに,城の西側の台地に五重の堀, 東の低地に三重の堀をめぐらせた堅固な土造りの平山城で,二 の丸には御殿を造営し御三階櫓がありましたが,戦災で焼失しました。
2009年(平成21年)水戸城の城門と伝わる 扉が坂東市の古刹で発見されたことが契機となって,2014年(平成26年)水戸城復元事業が本格的にスタートし,2020年(令和2年)に大手門を復元,そして,6月に水戸城二の丸角櫓と土塀の復元工事が完了しました。
そこで,私が訪れたときは,水戸城跡は当時にタイムスリップ したような感覚になる空間に生まれ変わっていたわけです。
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二の丸角櫓は水戸城内に存在していた角櫓のひとつで,二の丸の南西部角に位置していました。櫓本体は2階建の角櫓とその北側・東側に接続される2つの多聞櫓(=北多聞櫓・東多聞櫓)から構成されていて,L字型をしています。 かつて,城内には4基の角櫓が建てられていて,城の北側よりも南側(城下町側)にかたよって設けられていたことから、城下から城を見上げた際の視線を意識してつくられたと考えられています。
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また,遊歩道の際に,水戸城跡二の丸展示館があって,内部は,水戸城だけでなく,水戸の歴史,また,全国の城郭に関する展示がありました。
展示館の外に,この展示館の係の人がいたので,少しお話をしました。私が「さすが徳川御三家の水戸だけのことはあってすばらしいですね」と言ったら,「なんのなんの。御三家といってもたかが36万石の小大名だったし,観光客は来てくれないし」というようなことを言いました。さらに「ここの産業は何ですか」と聞いたら,「産業と言っても特にないし…」みたいな感じで,全くもって,地元に誇りを感じていないかのようでした。話しぶりから,全体的にいじけた雰囲気がいっぱいでした。
はじめに引用した新聞の記事の最後に
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高橋靖市長は「歴史景観づくりにおけるハード面の整備が終わり,これからはソフト面をどう展開していくかが大事。観光振興などの目的を達成していきたい」とあいさつした。
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とあったのですが,せっかくこれだけのものを作ったのだから,それこそ,観光振興のために何か知恵を絞ればいいのに,このやる気のなさはいただけないと思いました。水戸城はとてもいいところだったのに。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは