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しらびそ高原から国道152号線に戻ってきました。
今回は,ここから国道152号線を南に走り,途中で国道151号線に通じる国道473号線に右折して,今度は国道151号線を北上して飯田市までまで行き,国道153号線でさらに北上して,国道361号線に左折して権兵衛トンネルを越えて,国道19号線に出て南下,目的地の木曽駒高原に行くことにしました。こんなバカげたジグザクの遠回りをするのは,平行する国道152号線,国道151号線と国道153号線,そして,国道19号線がそれぞれ,杖突街道,伊那谷,木曽谷と,別の谷を通っていて,その間に険しい山脈があって,ほとんど東西を結ぶ道路がないことと,これまで走ったことがないところがどうなっているかを知りたかったことにありました。
特に,長野県上田市から八ヶ岳や南アルプスの山間部を縦断して,静岡県の天竜川や支流の水窪川に沿って浜松市街に下る国道152号線は車両通行不可能な分断区間が2箇所に渡って存在し,赤石山脈沿いの山岳路では自動車1台分の道幅しかありません。また,地蔵峠と青崩峠には車道は通じていないので,峠を越えるためには登山道を徒歩で登っていくか,林道で迂回する必要があるなど,「酷道」のひとつに数えられているということで,これまで私は地図で見ただけで,どんな山の中かと思っていたのです。
しかし,走ってみて驚きました。山の中を狭い道路だけが続いているのかと想像していたのに,結構多くの民家があったからです。こんな不便なところに住んで,一体何を生業としているのか,私には謎でした。日本では,どこまで山奥に行っても人が住んでいます。それはそうと,中央構造線があったり,広く快適だった道路が突然狭くなり工事中だったりと,走っていて飽きることはなかったものの,これまで,四国地方や紀伊半島を走ったときに,日本の山の中は今もこんな感じなんだ,と衝撃を受けたのですが,まさか,中部地方でも同じだということをこれまで知りませんでした。
ちなみに,国道152号線は三遠南信道という100年後も完成しないといわれる高速道路に準じた道路が作られる計画があるのですが,それが一部開通していたり,あるいは,工事中だったりしています。
ところで,私が国道151号線を走ったのには,また,別の理由がありました。それは,東栄町御園というところに行ってみたかったからです。
まず,国道151号線沿いに,「レストハウス東栄」という食堂があったので,おすすめの「旬のランチの定食」を注文しました。おそばだけでも十分なほどすごい量でしたが,なかなかおいしい食事ができてすっかり満足しました。ここの女将さんはとてもいい人でした。
さて,東栄町の町から北に山の中を入って行った御園という集落には,かつて,御園天文科学センターがありました。金子式プラネタリウムを開発した豊橋向山天文台の金子功さんが,豊橋市内では星が見られなくなって山の中に引っ越して作った施設・御園天文台を拡張したものでした。学生のころ,満足に星を見たことがなかった私は,ここならきれいな星空が見られるだろうと憧れていたところでした。当時は車をもっていなかったので,国鉄といったころの飯田線に豊橋駅から乗って東栄という駅で降り,1日に数本しかないというバスに乗り損ねたので2時間くらい歩いて御園まで行って,金子功さんにお会いしたのが今から45年前のことでした。
金子功さんは2009年に90歳で亡くなったということなので,当時59歳だったのです。初老のすてきな人で,アポイントもなく行ったのですが,暖かく迎えてくれました。廃校になった御園小学校の旧校舎を利用したところで,金子式プラネタリウムと口径30センチメートルの天体望遠鏡が備えられていました。ミカンを食べながら話が弾み,ここに住んでみないかと言われたのですが,当時は,まさか,と思いました。弟子入りすればよかったのに,惜しいことをしました。しかし,もし,そんなことをしても,こうした田舎で私が生きていけたとは思えません。
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当時,金子功さんは,御園天文科学センターを単なる天体観測施設ではなく,所有していた天文機材のほとんどを町に寄付し,つぎのような「文教の里づくり構想」を打ち出しました。
1.天然自然に恵まれた地域の特性を生かした「天の利」
2.土地の生産力を高め経済力をつけるための「地の利」
3.数々の施設を中心とした文化活動を通じての「人の和」
しかし,この構想はこの地の人には理解されませんでした。
行政側は施設建設さえ終わってしまえばあとはさして関心を示すこともなく,天文施設は町のお飾りになってしまったのです。 行政側からは「天文台を自分のもののように勝手に運営している」だとか「何を企んでいるのか信用できない」という声が上がりはじめ,悲嘆に暮れる日々が続くようになりました。
結局,田舎自治体の保守的・封建的な考え方が金子功さんの自由な発想に追いつけなかったわけです。
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その後,御園天文科学センターは廃止されて,町主導で新しく作られたのがスターフォーレスト御園でした。私も一度行ったことがあるのですが,何か金子功さんの意思とは違うなあと,あまりいい印象は持ちませんでした。また,私は,こうした一般の人を対象とする施設は嫌いなので,それ以後は行っていません。
今はどうなっているのかな,と思って今回寄ってみたのですが,御園天文科学センターは使われないまま未だ存在し,スターフォーレスト御園は健在でした。昔話でもしようとスターフォーレスト御園を訪ねてみたのですが,田舎の排他的な空気を感じ,特に星好きでもなさそうな職員の人のお役人的対応にすっかり気分が悪くなりました。夢から覚めた気持ちでした。
私は,ここで星見をする気もなく,過去の自分の足跡をたどる,というか,曖昧になってきている記憶を書庫にいれるような旅をしているだけなので,何方道(どっちみち),もう来ることはないけれど。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは