2023年8月22日,1日目。
今回の旅は,午前7時40分発のFDAで,県営名古屋空港から出雲縁結び空港まで向かうことからはじまりました。出雲縁結び空港到着後は,連絡バスに乗って松江駅前まで行き,この日は松江市内を観光することにしていました。
今から46年前,大学3年生だった私は,秋休みを利用して,1週間ほど山陰地方を旅しました。当時は,学割を使うと国鉄の普通列車の運賃は半額でした。しかも,周遊券というのがあって,現在のJRである日本国有鉄道,つまり国鉄は,決められた範囲で路線が乗り放題だったので,私は,中国地方の周遊券を使って旅をしました。
そのころの学生が旅先で宿泊するのは,安価なユースホステルというところでした。当時のユースホステルは,男女別の相部屋,今でいうドミトリーで,風呂とトイレは共同でしたが,夕食後は集まってミーティングと称する雑談会があったり,それはそれは楽しいものでした。
また,今とは違って,大学の夏休みは7月のはじめから8月の終わりまでで,9月の前期試験が終わると,10月のはじめに1週間ほどの秋休みがありました。10月というのは旅をするのに最適な季節であり,しかも,どこも夏とは違って空いていました。また,当時は外国人観光客なんて,めったにいませんでした。
その後,私は多くの旅をしましたが,今でも最も印象に残っているのは,そのときの旅でした。
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名古屋駅から乗った普通列車は,東海道線で京都まで行き,そこから山陰本線に入りました。当時の山陰本線は電化されておらず,また,単線だったので,時間ばかりかかりましたが,それもまた,いい思い出です。
たかが山陰地方への旅だったのですが,はじめてのひとり旅だったので,緊張しました。今にして思えはかわいいものです。そして,天橋立で1泊して,翌日,さらに山陰本線を西に向かいましたが,余部鉄橋に差しかかると,車掌さんの案内放送が入りました。余部鉄橋など知らなかったので,そのときの印象は強烈でした。
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2020年,そのころの思い出をたどって,私は車で天橋立から余部鉄橋のあるあたりまでドライブしました。そして,今回は空の上から天橋立と余部鉄橋を見ることができました。46年前,まさか,空の上からそれらを見ることがあるなんて,予想もしませんでした。
46年前の旅では,天橋立で1泊したのち,鳥取のユースホステルに泊り,鳥取砂丘を観光して,次が大山のユースホステルで,なんと大山の登山もしました。そして,その次が松江のユースホステルでした。
松江では,宍道湖に沈む夕日があまりに美しいので感激しました。同宿になった人から,玉造温泉のユースホステルでは,夕食にマツタケが出たという話になって,うらやましかった思い出があります。それととともに,そのときに,玉造温泉という名前を知りました。
私は,松江では,松江城には行ったのですが,時間がなく,小泉八雲の旧居や記念館などに行くことができなかったので,今回,ぜひ,行ってみたいと思っていました。そして,その夢が実現することになりました。
定刻に出雲縁結び空港に到着して,預けてあったキャリーバッグを受けとると,空港を出たところで待っていた連絡バスに乗り込みました。空港からのアクセスは,空港によって違っていて,着いてみないと勝手がわからないものですが,出雲縁結び空港から松江駅までの連絡バスはとても便利でした。飛行機との接続も完璧だったので,それだけでも気持ちがよいものでした。バスに乗ったのは5,6人でした。バスは宍道湖の南側を走る高速道路を経由して,約30分で松江駅に到着しました。
1泊目のホテルは,松江駅前の東横インを予約してあったので,チェックイン前でしたが,荷物だけを預かってもらって,早速,松江市内の観光に出かけることにしました。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは