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まず,2020年の秋に私が写した京都の姿をご覧ください。
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今から30年ほど前の京都は,本当にすばらしいところでした。桜の季節,紅葉の季節はもちろんのこと,夏も,冬も,そして,とりわけ,ハイシーズンが来る少し前の10月の京都は,私が最も好きだった季節で,静寂に包まれて,おだやかな時間を過ごすことができました。
それが何ということでしょう。
2019年のころには,京都は,すでに,行くべき場所ではなくなりつつありました。インバウンドやらで,やたらと外国人が押し寄せるようになって,それまでの暗黙の秩序もなくなり,他人の家に土足で踏み込むようなマナーの悪さから,街中には注意書きが溢れていました。また,食事をしようにも,どの店も満員,交通機関も満員,そして,市内の繁華街はカオス状態と化していました。私の大好きだった京都はどこに行ってしまったの? と思いました。
それが,天の恵みというか,天の裁きというか,2020年の春になると,外国人どころか日本人観光客すらまったくいない京都になりました。私は,こんなことはもう二度と起こらないから,今こそ,京都へ出かける千載一遇の機会が来た,と思って,春も秋も,毎週のように,車で京都へ出かけました。
そこには,静寂に包まれたむかしの古都の姿がありました。
そのとき私は,しばらくしたら,再び,2019年のころの京都が戻ってくるだろうから,もう,この街のこの静寂に包まれた姿は二度と来ないだろうと思って,別れを告げてきました。
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そして,今年2023年の秋。
はやり,聞くともなく聞こえてくるのは,大渋滞の京都です。しかも,そのほとんどは外国人で,日本人はどこに行ってしまったの? 状態だそうです,私の周囲の京都好きだった人たちも,もう行かない,と言っています。私も同様です。
すでに書いたように,私は,今年の10月,別れたはずの京都に行きました。それは,将棋竜王戦第2局の前夜祭に出るためでした。それでも,10月ならまだ大丈夫だろう,というのが甘い考えでした。そこで見たのは,2019年の時と変わらぬ無秩序な京都の姿でした。そこで,このときも,前夜祭に行っただけで,京都見物をすることはありませんでした。
いつも思い出すのは,今から30年ほど前に,毎週のように京都に出かけて,ほとんど全ての神社仏閣を訪ねたときのことです。
あのころは,本当によかったな。あの京都はもう,どこにもない。それは,まるで,亡き人を懐かしむのと同じ気持ちです。
そうだ京都,もう行くのよそう。よき思い出を忘れないために。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは