しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

December 2023

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 「国内旅行の最大の問題は,天候です。とにかく,天気が悪ければ,すべてが台なしですが,これは,自分の運を信じることにしましょう」と書きましたが,毎日とてもよい天気,しかも,冬とも思えない暖かな日々でした。今回も晴れ男の面目躍如です。
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 2023年12月9日土曜日。旅の最終日です。
 JR名古屋駅からJR名古屋駅の紀伊半島1周片道の旅は,今回のように2泊しなくとも,1泊でできるのですが,私が天王寺でもう1泊したのは,最終日に大阪か京都を観光しようと思ったからです。そして,JR京都駅からJR名古屋駅へは新幹線自由席で帰ろうと,切符を持っていました。ただし,大阪か京都のどこに行くかは全く白紙でした。というか,迷っていました。
 大阪を観光してもいいのですが,強いて行きたいところもありません。また,京都は,あまりの人混みで行く気が失せていました。ただし,先日行った将棋の竜王戦第2局の前夜祭のお土産で,対局場となった仁和寺の拝観券をもらったので,これを持参していました。そこで,いろいろと考えたあげく,混雑覚悟で,仁和寺に行ってみることにしました。

 まず,東横インの朝食を取るか取らぬか迷っていたのですが,とにかく1階に降りてみると,人がほとんどいなかったので,東横インで朝食を取ることになりました。天王寺に泊るような人は,前日の夜遅くまで出歩いていたのでしょう。朝が遅いのです。これもまた,うれしい誤算でした。朝食後,早々にチェックアウトして,JR天王寺駅に行きました。京都へは,JR天王寺駅から大阪環状線,東海道線と乗り継ぎます。
 しかし,JR天王寺駅が複雑でわからないこと! 近鉄の難波駅もそうでしたが,大阪は案内板がわかりにくいです。駅員さんに聞いて,何とか大阪環状線のホームにたどり着きました。この国で,東京や大阪を列車で旅することは,海外旅行をすることよりもずっと難解なのです。
 それにしても,JR西日本は,京都線,琵琶湖線,神戸線,嵯峨野線など,どうしてこんな名前をつけるのでしょう。これでは,この地に住んでいない人には理解不能です。東海道線上り・下り,山陰線でいいではないですか。そんな話をすると,東海道線ではわからない,琵琶湖線でなきゃ,と地元の人はいいます。私には,琵琶湖線というと何だか,私鉄やローカル線のように思います。どうやら,頭の中の地図のスケールが違うようです。関西の人は,関西地方だけをイメージし,私は,日本地図をイメージしているのだと,このごろ気づきました。
 ともかく,大阪環状線に乗って,JR大阪駅に着きました。ここで京都線とやらの東海道線上りに乗り換えです。私は,先に来た快速に乗ったのですが,途中で新快速に追い越されました。ほんとうにこれもまた,訳がわかりません。快速がどの駅に停まり,新快速がどの駅に停まるかという経路図が見あたらないのです。ともかく,このようにして,まがりなりにもJR京都駅に着きました。
 これでは,ヨーロッパを鉄道で旅するほうがずっと簡単です。

 JR京都駅で一旦途中下車して,コインロッカーに荷物を預けて,今度はSuicaで改札を入り,嵯峨野線とやらの山陰線に乗ってJR花園駅で降りました。仁和寺はここから北に歩くつもりでした。JR京都駅で降りて,京都市内を混雑するバスやら地下鉄に乗るよりマシだと思ったのです。私は歩くことは苦になりません。
 JR花園駅から北に向かって歩いていったのですが,観光客がほとんど見当たりませんでした。街中だからかな,と思ったのですが,やがて,仁和寺の二王門が見えてきても,やはり,ほとんど観光客はいませんでした。これもまた,うれしい誤算でした。
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 知恩院の三門,南禅寺の三門とともに京都三大門のひとつに数えられる仁和寺の二王門は,3代将軍徳川家光の寄進によって,1641年(寛永18年)から1645年(正保2年)ごろに建立されました。
 知恩院三門,南禅寺三門が禅宗様であるのに対し,仁和寺の二王門は平安時代の伝統を引き継ぐ純和様で建てられています。門正面の左右に金剛力士像,後面には唐獅子像が安置されています。
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 御室の仁和寺には久しぶりに来ました。仁和寺はさすが門跡寺院,立派です。門跡寺院とは皇族や公家が住職を務めたお寺のことです。
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 仁和寺は平安時代の886年(仁和2年)に58代光孝天皇によって発願され,888年(仁和4年)59代宇多天皇によって完成しました。897年(寛平9年)譲位した宇多天皇が出家し,仁和寺1世宇多法皇となりました。以降,皇室出身者が仁和寺の代々門跡を務めました。
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 12月だというのに,まだ,紅葉がきれいだったし,竜王戦で対局場となった「宸殿」(しんでん)も見ることができました。さらに,国宝の金堂北側部分に当たる空間「裏堂」の公開を見ることもできました。これもまた,ツイていました。2018年(平成30年)に372年ぶりに公開されて以来,5年ぶりの公開だそうです。
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 金堂内の本尊阿弥陀三尊の後壁裏に描かれた五大明王像の公開は,寛永年間に御所・紫宸殿を下賜移築されたものです。
 長期間光を受けず人の呼気にもあたらなかったので,輪郭は細部まではっきりしていて,朱が大変鮮やか,ということです。左から大威徳明王,降三世明王,不動明王,軍荼利明王,金剛薬叉明王と並んだ5人の明王は,恐ろしささえ感じます。
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 人が少なかったのが幸いして,久々に京都らしさを堪能しました。
 ゆっくりと仁和寺を鑑賞してから,二王門の前にある「松風」というおそば屋さんで昼食をとりました。紅葉のライトアップが終わって,急に観光客が減った,ということでした。
 京都はこうでなくちゃ。

 ところで,御室の仁和寺といえば,御室桜とともに有名なのは徒然草です。
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 仁和寺にある法師,年寄るまで石清水を拝まざりければ,心うく覚えて,ある時思ひ立ちて,たゞひとり,徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて,かばかりと心得て帰りにけり。
 さて,かたへの人にあひて,「年比思ひつること,果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも,参りたる人ごとに山へ登りしは,何事かありけん,ゆかしかりしかど,神へ参るこそ本意なれと思ひて,山までは見ず」とぞ言ひける。
 少しのことにも,先達はあらまほしき事なり。
  「徒然草」第52段
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 学生のころ知った「徒然草」でその名前を知ったのが,仁和寺とともに石清水八幡宮でした。そこで,石清水八幡宮へも一度は行ってみたいと思っていたのですが,なかなかかないませんでした。
 やっと,2016年になって,「仁和寺の法師」の教訓を得て,石清水八幡宮参道ケーブルで男山へ登って,石清水八幡宮を拝んでくることができました。

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☆☆☆☆☆☆
 12月の満月は「コールドムーン」。とはいえ,暖かい年の瀬です。
 月を見ていて思い出すのは,JAXAが2023年9月7日に打ち上げた無人月面探査機・着陸機「スリム」(SLIM=Smart Lander for Investigating Moon)です。
 高さ約2.4メートル,燃料を除いた重さは約200キログラムの小さな「スリム」は,H-IIAロケット47号機で鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられました。画像照合航法を利用して月面のクレーターを認識し,「かぐや」が収集した情報を活用しながら現在地を特定し,誤差100メートルを目標に「神酒の海」(Mare Nectaris)付近の「しおり」(Shioli)と名づけられたクレーター近傍への着陸をめざしています。成功すれば日本初の月面着陸機となります。

 当初は2018年度にイプシロンロケットで打ち上げる計画が示されたのですが,2019年度の打ち上げに変更されました。しかし,2016年のX線天文衛星「ひとみ」の喪失事故によって,再び変更されて,2021年にH-IIAロケットで打ち上げ予定のX線分光撮像衛星「クリズム」(XRISM=X-Ray Imaging and Spectroscopy Mission)との相乗りで打ち上げられることになったのですが,今度は,「クリズム」の開発が難航して,2023年の前半に再変更されました。 
 しかし,H3ロケットの打ち上げに失敗した影響からさらに延期され,8月26日に打ち上げ日が設定されたものの,天候の悪化で28日へと延期されたのですが,この日も強風のため打ち上げが中止となり,9月7日にようやく打ち上げられました。
 打ち上げ後は順調で,9月14日に地球周回運用期間に移行し,10月4日には地球を公転する月の重力を利用して軌道を変更する月スイングバイを実施し,12月25日に月周回軌道への投入に成功しました。

 現在のところ,2024年1月20日午前0時ごろに,月の高度15キロメートルから降下を開始し,約20分後に着陸をめざしています。
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 「スリム」にはLEV-1,LEV-2の2機の月面探査ロボットが搭載されています。
 LEV-1は, 月面をジャンプするように移動する月面探査ロボットで,2台の広角カメラを搭載し,直接地球にデータを送信することができます。また,LEV-2は,変形機構や動物の動きなどの玩具技術を応用した小型月面探査ロボットで,2台の広角カメラを搭載し,LEV-1を経由してデータを地球に送信します。
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 成功するといいなあと思います。

 ところで,着陸地点は,アポロ11号が1969年7月20日に月に着陸した「静かの海」(Mare Tranquillitatis)に近く,私は,このことのほうに想いがあります。1969年といえば,早いもので,今から54年も前のことになります。 アポロ17号が1972年12月19日に月に着陸して以来,人類は月の地を踏んでいませんが,アメリカは,2025年に再び人類を月に送ろうとしています。

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 JR天王寺駅に着きました。もう列車の中で駅弁の夕食を終えたので,天王寺で食い倒れをする必要もなく,ホテルに行って寝るだけでした。
 以前,大阪に行ったとき,東横イン大阪通天閣に泊ると言ったら,よくそんな治安の悪いところに…,と大阪に住む女性に驚かれたことがあるのですが,地元の女性は天王寺にそういう印象があるのでしょう。私にはそういう印象はなく,車で大阪に行ったときも,駐車料金が安いから,天王寺付近の駐車場に車を停めます。
 今回のホテルは,東横インあべの天王寺にしました。東横イン大阪通天閣でも東横インあべの天王寺でもどちらでもよかったのですが,強いていれば,あべの天王寺のほうがJR天王寺駅に近いかな? というのが理由でした。

 このあたりはよく知っているはずなのに,JR天王寺駅を出て,道を間違えました。西に行かねばならぬのに東に向かってずっと歩いていたのです。ということで,上町筋まで来てやっと気がついて引き返し,なんとかホテルに着いてチェックをしました。30分ほどロスをしました。あべの天王寺のほうがJR天王寺駅に近いかな? には何の意味もなくなってしまいました。
 東横インの3大欠点は,エレベータと朝食と部屋の壁がうすいことです。エレベータに関しては,東横インあべの天王寺は2基あったのでよかったのですが,1基しかないところはずいぶんと待たされます。朝食については今までに何度も書いているので,今回は書きません。壁のうすいのは致命的で,隣の部屋の人のいびきに悩まされます。私の身内にはいびきのうるさい人がいないので,よくもまあ,こんなにいびきのうるさい人がいるものだ,といつも感心します。
 部屋にいても,テレビを見るわけでもないし,ほかにすることもないので,外に出て,散策することにしました。私は,普段でも,友人に飲みに誘われない限り,夜の繁華街に出ることはまれです。こんな機会でもなければ,天王寺界隈なんて,夜に歩くこともありません。

 東横インあべの天王寺は国道17号線に面しています。北側が通天閣とジャンジャン横丁のある通称・新世界で,道路を渡った南側をずっと下っていくと,飛田新地です。好奇心が手伝って,まずは,飛田新地を歩いてみることにしました。このあたり,近ごろは,外国人の観光地のようになってしまっていて,多くの外国人が興味本位で闊歩していました。Trip.com という外国人対象のサイトに次のようなクチコミがありました。原語を機械翻訳したものらしいです。
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 飛田新地は日本政府観光局で,百年以上にわたる特色ある歴史文化を保存するために,わざわざ開拓した特区的な街区です。地元住民の歴史文化に対する畏敬と保護のほかに,また,日本は歴史を尊重し,多文化の国家特性を守っていることを世界中から観光客に伝えています。
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 各店の前には,露出した服を着た叔母と女の子がいて,通行人に笑顔を浮かべています。インターネットで調べて,これが合法的な歓楽街だと確信しました。ここを通って,大正期に残された日本の古い建物も見ることができます。
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 ちょっとなあ,という感じですが,外国人はこの場所をこのように捉えているのでしょうか。
 青春通り,メイン通りというところは多くの人が歩いていましたが,その南にある通称・妖怪通りとかいうところは,ほとんど人もおらず,さびれ感満載で,そんな通りでさびしげに客をひいてる女性を見ると,人生の悲哀を感じてしまいます。

 チャップリンが「ひとり殺せば殺人者で百万人殺せば英雄となる」といったように,私のような年寄りになると,是とか非,道徳とかいうことは,人間,その中でも権力者が勝手に決めたルールや倫理に過ぎない,ということがわかってきます。自分たちで,理性があるとか英知だとか,そんな自画自賛をしている傲慢な人類ですが,実際は,早かれ遅かれ,たったひとりの暴発すら止められず,殺し合いをして滅ぶ,それだけのおろかな生命体です。
 そこで,こうした場所を歩いていても,私は,ここがあの有名な飛田新地なのか,有史以来人間はこういうことをくり返してきたのだなあ,生きるのは大変だなあ,悲しいなあ,という,そういう気持ちになるだけでした。
 というわけで,早々に退散して,国道17号線を渡って,今度は新天地に行きました。
 こちらは性欲ではなく食欲を満たす場です。すごい人が飲んだり食べたり,あるいは,騒いだりしていました。驚いたのは,その昔はカラオケ屋台ばかりだったのに,近ごろは,やたらと遊技場があったことです。「実弾禁止」とかかれた看板が大阪らしいというか…。私は,こうしたことにも全く興味がなく,何が楽しいんだろう? と理解不能でした。

 東京では,旧吉原遊郭であった千束4丁目界隈から浅草まで歩いていくと,大阪の天王寺と同じように,性欲と食欲の入り混じった人間社会の姿を垣間見ることができるわけですが,雰囲気がまったく違うのが,東京と大阪の違いなのでしょう。日本は不思議な神の国です。表向きは法治国家となっていても,そんなものは都合のいいようにどうにでも解釈する,これが,日本という国の本当の姿です。
 年寄りの私は,性欲でも食欲でもなく睡眠欲です。人混みの中を歩き疲れたので,早々にホテルに戻って寝ました。

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 「アドベンチャーワールド」を出て,バスに乗って午後3時30分ごろにJR白浜駅に戻ってきました。午後4時20分発の特急「くろしお」28号に乗って大阪に向かいます。この日宿泊するのは天王寺の東横インなので,JR天王寺駅で降りることになります。もともとは天王寺で食い倒れることにしていたのですが,人混みが嫌いので,夕飯は駅弁で済ますことにして,JR白浜駅で駅弁を買いました。
 午後4時ころに,私の乗る「くろしお」がホームに来ました。「くろしお」28号はJR白浜駅始発です。
ホームに行くと,停車していたのは,パンダのデコレーションをした列車でした。また,座席のヘッドカバーもパンダでした。
 私は,さすが白浜,特急「くろしお」はパンダ仕様なんだ,とそのときは思いましたが,家に帰って調べてみて驚きました。それは「くろしお」がパンダ仕様なのはレアだったのです。しかも,パンダ仕様の「くろしお」は,通常「くろしお」26号なのです。どうして私の乗る28号がそうだったのかは今もってわからないのですが,私は,こうして,何も知らず,また,それまで興味もなかったのですが,「鉄ちゃん」なら憧れるパンダ仕様の「くろしお」に偶然乗ることができる,という幸運に恵まれました。
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 パンダ「くろしお」は「Smileアドベンチャートレイン」といいます。
 JR西日本が2017年で発足30周年,「アドベンチャーワールド」が2018年で開園40周年を迎えたことをきっかけに,パークのさまざまなシーンをデザインしたラッピング列車・パンダ仕様の「くろしお」「Smileアドベンチャートレイン」が運行中です。
 ラッピングコンセプトを「旅に「ときめき」を」とし,車体前頭部をパンダフェイス,車体にはパークで躍動する動物たちのさまざまなシーンをデザインしています。見る人、乗る人全てが旅することに「ときめき」を感じ,スマイル広がるラッピング列車を運行しています。
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 こうして,私は,白浜へ来るときはハイブリッド仕様の2両連結の特急「南紀」,白浜からはパンダ仕様の特急「くろしお」に乗って,紀伊半島を1周することができたのです。
 紀伊半島1周では,海岸をながめながら旅をしようと,海側の座席をとってあったのですが,誤算は,特急「南紀」では,ずっと太陽が当たる席だったということです。当たり前の話ですが…。そして,白浜から先は,線路のほとんどは海岸沿いでないので海が見えず,また,思ったよりも日が沈むのが早いので,暗闇で景色も見られない,ということでした。
 これは失敗したなあと思ったのです。ところが…。
 JR白浜駅を出て,しばらくすると,わずかな間だけ,海岸に沿って列車が進むのです。そして,なんという偶然か,その時間に太陽が海に沈んでいったのです。これまた,あり得ぬ幸運でした。ということで,すばらしい夕日を堪能することができました。
 JR天王寺着は午後6時32分なので,私は,午後5時30分をすぎたころに,車内で駅弁の夕食をとりました。
 特急「くろしお」は,JR和歌山駅を出るころには乗客が増えてきて,空席がほとんどなくなり,和歌山市は大阪の通勤圏だということを自覚しました。が,幸いなことに,私のとなりの席は,JR天王寺駅で降りるまで空席でした。

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 「アドベンチャーワールド」で,パンダ,サファリパークと楽しんだあとは昼食です。せっかく来たのだからパンダ尽くし,ということで,フードコート内の「マルシェ」で「特盛パンダカレー」を食べました。そして,昼食後に行ったのが,海獣館でした。
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 海獣館では「アドベンチャーワールド」に暮らす8種類のペンギンやアシカがいきいきと暮らしています。 センタードームの流れる滝の前にはレストラン・ショップが並び、ちょっとした休憩時間にご利用ください。
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 8種類のペンギンというのは,エンペラーペンギン(皇帝ペンギン),キングペンギン(王様ペンギン),アデリーペンギン,ヒゲペンギン(アゴヒゲペンギン),ジェンツーペンギン,ケープペンギン(アフリカペンギン),キタイワトビペンギン,フェアリーペンギンのことですが,種類もさておき,それぞれのペンギンの数の多さにも圧倒されました。また,水槽を横から眺めることもできて,泳いでいるペンギンを写真に収めようと夢中になりましたが,それにしても泳ぐのが早いこと!

 小腹が空いたので,「パンダクッキーサンドアイス」を食べつつ向かったのが,ビッグオーシャンでした。ここは,イルカがピーディーでダイナミックなパフォーマンスを繰り広げる「マリンライブ・Smiles」の会場です。
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 「マリンライブ・Smiles」は,人とイルカが繰り広げる笑顔溢れるパフォーマンスで,ビッグオーシャンを舞台に,バンドウイルカ、カマイルカ、ハナゴンドウ、オキゴンドウとトレーナーが共演する大迫力のライブパフォーマンスです。
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ということですが,私は,ずいぶん前にカリフォルニア州サンディエゴで,シーワールド・サンディエゴ(SeaWorld San Diego)に行ったことがあって,そのスケールに圧倒されたものだから,それと比べてしまうのがいけません。
 それよりも気になるのが,イルカショーの是非です。
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 【日本でイルカショーは禁止になるか?】
 欧米ではイルカショー廃止の流れが加速しています。スイスやイギリスなどではイルカの飼育施設自体が存在しませんし, 欧米ではイルカを飼育することが自体が倫理に反すること,ましてやショーを行うことは虐待に等しいという考え方が主流になりつつあります。
 イルカショーが廃止されている理由は倫理的な問題からです。
 太地町の追い込み漁で,イルカを入り江に追い込み,食肉用にナイフで解体する様子が「コーヴ」という映画で公開され,世界的な注目を集めました。そして,食肉用に使われなかったイルカが水族館に売られていたというのです。
 2004年に「世界動物園水族館協会」(WAZA)が「追い込み漁により捕獲されたイルカを受け入れてはならない」という決議を採択したことで,2015年に追い込み漁からのイルカ導入が禁止されました。その結果,イルカの展示が厳しくなっている水族館が増えているそうです。
 また,水族館でのイルカの繁殖の成功率が低いという問題もあり,出産の際にオスとメスを水槽を入れ替えマッチングさせる時点での身体的負担が問題視されているといいます。
 そんな中で,日本でイルカショーが存続するのか? という問いに対して,答えは少なくともあと10年は大丈夫ということだそうですが,その後のことはわかりません。
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 家で飼われている犬や猫などは家畜として生まれたからと肯定され,また,料理で食べる魚や牛や豚やニワトリも人間に食べられるものとして生まれたから当然とこととされておきながら,イルカやクジラはそれと同様に考えていけないという欧米的な割り切った考えもまた日本人の価値観とは異なります。かといって動物を人間の愛玩物として扱うことがいいともいえず,それが虐待につながっているとしたら素直に受け入れることもできず,というように,これは根深い問題です。

 最後に「アニマルアクション」を見ました。
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 「アニマルアトラクション」は,
  動物たちが大集合!
  楽しいパフォーマンスが盛り沢山!!
 カリフォルニアアシカやハリスホーク,ミニブタからイヌまで,「海,空,陸」のさまざまな場所に暮らす動物たちが魅力を活かして元気いっぱいのパフォーマンスを披露する,動物たちの本来の力,知られざる能力に驚きと笑いが止まらない誰もが笑顔になれるライブです。
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とあったのですが,このショー,動物が失敗したり,人間の思い通りに行動しないなど,内容がかなり緩く,むしろ楽しめました,動物ショーはこの程度でいいんじゃないの,と私は思いました。

 とまあ,これだけいろいろと楽しんで「アドベンチャーワールド」を堪能したので,そろそろ帰ることにしました。

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 1978年にオープンした営利団体「アドベンチャーワールド」は,「人間(ひと)と動物と自然とのふれあい」をテーマにした動物園,水族館,遊園地が一体になったテーマパークで,丸末という会社の関連会社・株式会社アワーズ(AWS)が運営しているそうです。ジャイアントパンダの飼育展示,広大な敷地に放し飼いにされた動物たちの中をケニア号が進むサファリツアー,イルカやアシカのショーや動物の食事タイムなど,自然界を代表する動物が総覧できるようになっているということで,私は,パンダの次に見にいきたいと思ったのが,サファリゾーンでした。
 サファリゾーンは,1周約1,500メートルの列車型牽引バス「ケニア号」,自転車,2階建てバス,ゴルフ用カートやジープなどの乗物を使って周遊します。また,徒歩でも1.5キロメートルほどのコースを自由に散策することができます。

 私は始発の「ケニア号」に乗り込みました。住み家がとても広く,悠々と多くの動物が闊歩しているのを見ることができました。とはいえ,私は,もっと巨大なこうした施設に行ったことがあります。それは,アメリカ・サンディエゴ郊外にある非営利団体の「サンディエゴ動物園サファリパーク」です。
 「サンディエゴ動物園サファリパーク」は場内を周回する列車に乗って見学します。
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 「サンディエゴ動物園サファリパーク」は,2010年まで「サンディエゴ野生動物公園」とよばれていました。カリフォルニア州サンディエゴのエスコンディード(Escondido)近くのサンパスクアルバレー(San Pasqual Valley)地域にある1,800エーカー(730ヘクタール)の動物園です。公園には,アフリカ大陸,アジア大陸,ヨーロッパ大陸,南北アメリカ大陸,オーストラリア大陸の種を含む多数の野生動物や絶滅危惧種が生息しています。
 広大なアフリカトラムでは,フリーレンジの囲いがあって,アンテロープ,キリン,バッファロー,ツル,サイなどの動物が生息しています。毎年200万人が訪れる公園には,2,600種以上の動物と3,500種の植物が生息しています。
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 それに比べれば,「アドベンチャーワールド」はかなりスケールは劣りますが,それでも,私がよく行く地元の名古屋市立東山動物園と比べたら,住居環境は段違いで,名古屋市立東山動物園に飼われている動物がかわいそうになってしまいます。

 そもそも,動物園というのは,動物という生き物を「人間の見世物として」飼っているわけだから,賛否両論があり,また,さまざまな問題が存在しています。
 三省堂の「新明解国語辞典」(新解さん)に
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 どうぶつえん【動物園】
 鳥獣・魚類などを(自然に近い状態で)飼い,観覧者に見せる公園風の施設。(初版から第3版)
 生態を公衆に見せ,かたわら保護を加えるためと称し,捕らえてきた来た多くの鳥獣・魚虫などに対し,狭い空間での生活を余儀無くし,飼い殺しにする人間中心の施設。(第4版)
 捕らえて来た動物を,人工的環境と規則的な給餌とにより野生から遊離し,動く標本として都人士に見せる,啓蒙を兼ねた娯楽施設(第5版)
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という記述があったことから,多くの議論をよびました。
 とはいえ,野生のままにしておいたら絶滅してしまう動物もあり,人間が環境を破壊せずとも,弱肉強食の世界では生き延びることができない動物もあり,簡単に結論が出るような問題ではありません。
 しかし,われわれ人間社会でもそれは同じで,国によっては,個人の自由がなかったり,権力者の思いのまま国民の生命が扱われていることもあります。また,動物も,牛や豚やニワトリのように,人間が食料とするために飼育されている場合もあるというようにと,何も,動物園だけが問われる問題ではありません。
 ということで,私は動物園に行くと,こんなことを考えてしまって,こころから楽しめないのですが,それでも,「アドベンチャーワールド」では,広い園内で多くの動物が生き生きと生活している姿を見ると,その迫力に圧倒されました。

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 「アドベンチャーワールド」に到着しました。すでにチケットは購入してありました。「アドベンチャーワールド」もまた,シニア割引がありました。本当に,名古屋市民のみ割引があるという名古屋市とシニア割が70歳以上という浜松市はどうかしています。
 到着したのは午前9時30分過ぎでした。開園は午前10時だったからか,まだ,人も少なく,駐車場もがらがらでしたが,開園後も空いていました。私は,もともと,人が少ないであろうという時期を選んで旅をしているのですが,目論見どおりになりました。開演時間まで入園口で少し並んだのですが,近くにいる人とおしゃべりをしていたら,まもなく時間になりました。
 この日の予定は「アドベンチャーワールド」だけだったので,気の向くまま,のんびりと園内をまわることにしていたのですが,お目当てのパンダは例外です。ということで,まずは,パンダのいる場所に直行しました。
 「アドベンチャーワールド」では,現在,パンダは母親と3頭の娘,合計4頭いて,入口近くの「パンダラブ」というところに3姉妹の1番若い「楓浜」と年長の「結浜」,奥まったところにある「ブリーディングセンター」に母親の「良浜」と「彩浜」がいます。
 「パンダラブ」の屋外にいた「楓浜」はとても活発で,多くの観光客を集めていました。そのとなりの室内にいたのが「結浜」でした。「結浜」は午前中は動いていましたが,午後は寝ていました。また,「ブリーディングセンター」にいた2頭のパンダは,ともに,木の上で寝ていました。

 「アドベンチャーワールド」には,パンダは最近まで7頭いたのですが,3頭中国に渡り,現在はメスばかり4頭います。「アドベンチャーワールド」では,これまで多くのパンダが生まれたのですが,父はすべて「永明」でした。「永明」は,現在は人間でいえば80歳を越す高齢で,余生を送るために中国に帰ってしまい,今いるのは母親と娘の3頭だけであり,すべて血のつながったメス。コロナ禍で3年ほどのブランクもあり,早く相性のよいオスが来ないと,この先が心配です。
 「アドベンチャーワールド」でこれまでに飼育されたパンダは次の20頭です。
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●「蓉浜」(ようひん)=メス
 1992年9月4日中国成都動物園生まれ,1994年9月6日「永明」とともに来園。
 子孫を残さず,1997年7月17日永眠したので系図には記載なし。
●「永明」(えいめい)=オス
 1992年9月14日中国北京動物園生まれ,1994年9月6日蓉浜」とともに来園。2023年2月中国へ。
 「梅梅」との間に「雄浜」「隆浜」「秋浜」「幸浜」「愛浜」「明浜」,「良浜」との間に「梅浜」「永浜」「海浜」「陽浜」「優浜」「桜浜」「桃浜」「結浜」「彩浜」「楓浜」誕生。
  ・・
●「梅梅」(めいめい)=メス
 1994年8月31日中国成都繁育研究基地生まれ,2000年7月7日中国で「哈蘭」(はーらん)との間に「良浜」を宿したまま来園しアドベンチャーワールドで出産。2008年10月15日永眠。
 「永明」との間に「雄浜」「隆浜」「秋浜」「幸浜」「愛浜」「明浜」誕生。
◎「良浜」(らうひん)=メス
 2000年9月6日アドベンチャーワールド生まれ。父は「哈蘭」,母は「梅梅」。
 「永明」との間に「梅浜」「永浜」「海浜」「陽浜」「優浜」「桜浜」「桃浜」「結浜」「彩浜」「楓浜」誕生。
  ・・
●「雄浜」(ゆうひん)=オス
 2001年12月17日アドベンチャーワールド生まれ。2004年6月中国へ。
●「隆浜」(りゅうひん)=オス/●「秋浜」(しゅうひん)=オス:双子
 2003年9月8日アドベンチャーワールド生まれ。2007年10月中国へ。
●「幸浜」(こうひん)=オス
 2005年8月23日アベンチャーワールド生まれ。2010年3月中国へ。
●「愛浜」(あいひん)=メス/●「明浜」( めいひん)=オス:双子
 2006年12月23日アドベンチャーワールド生まれ。2012年12月中国へ。
  ・・
●「梅浜」(めいひん)=メス/●「永浜」(えいひん)=オス:双子
 2008年9月13日アドベンチャーワールド生まれ。2013年2月中国へ。
●「海浜」(かいひん)=オス/●「陽浜」(ようひん)=メス:双子
  2010年8月11日アドベンチャーワールド生まれ。2017年6月中国へ。
●「優浜」(ゆうひん)=メス
 2012年8月10日アドベンチャーワールド生まれ。2017年6月中国へ。
●「桜浜」(おうひん)=メス/●「桃浜」(とうひん)=メス:双子
 2014年12月2日アドベンチャーワールド生まれ。2023年2月中国へ。
◎「結浜」(ゆいひん)=メス
 2016年9月18日アドベンチャーワールド生まれ。
◎「彩浜」(さいひん)=メス
 2018年8月14日アドベンチャーワールド生まれ。
◎「楓浜」(ふうひん)=メス
 2020年11月22日アドベンチャーワールド生まれ。
  ・・・・・・

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 日にちは前後して,2023年12月16日の話です。
 横須賀港で「ドナルド・レーガン」を見たあと,東京に戻ってきたのですが,NHK交響楽団の定期公演まで時間があったので,ずいぶん前に1度行ったことがあるだけだった上野の国立科学博物館へ行くことにしました。
 国立科学博物館(National Museum of Nature and Science)は,国立という肩書きがついていますが,独立行政法人が運営しています。施設は上野恩賜公園内に所在する上野本館,白金台に所在する附属自然教育園,つくば市に所在する筑波実験植物園と昭和記念筑波研究資料館(非公開)があります。私はこれまで,附属自然教育園にも行ったことがあります。
 驚いたというか戸惑ったのは,まず,国立科学博物館には,日本館と地球館があったことでした。日本館というのは旧館で,地球館というのは新館のことらしいのですが,私が前回行ったときは旧館にあたるところだけしかなかったのです。次に,65歳以上が無料だったことです。これはうれしい誤算でした。あやうくチケットを買いそうになりました。私が東京に住んでいるのなら毎日でも行くのになあ,と思いました。
 名古屋市民のみ65歳以上無料という名古屋市の施設は,これを見習ってほしいものです。
 ということで,入口で生まれた年を自己申告するだけで中に入れた私は,まず,新しくできた地球館に向かいました。地球館は,1998年に第1期工事が完了し,1999年から常設展示が公開され,第2期工事完了後の2004年にグランドオープンしたそうです。また,2014年に北側展示場が改修工事のため閉鎖され,2015年にリニューアルオープンしたということなので,今は全館が見られるわけで,ちょうどいい時期に訪れたことになります。

 私が国立科学博物館という名前にはじめて接したのは,ここに勤めていた村山定男さんと小山ひさ子さんのことを,今は亡き藤井旭さんが,その著書や「月刊天文ガイド」でよく話題にしていたことからでした。
  ・・・・・・
 村山定男さんは,1924年(大正13年)に生まれ, 2013年(平成25年)に亡くなった天文学者で,国立科学博物館に長く奉職し,生涯を通じて天文普及活動に尽力した人です。また,小山ひさ子さんは,1916年(大正5年)に生まれ,1997年(平成9年)に亡くなった天文学者で,50年間にわたり,国立科学博物館の口径20センチメートルの屈折望遠鏡で太陽黒点の観測と記録を続けた人です。
  ・・・・・・
 私は,ロサンゼルスにあるドジャースタジアムには4度行ったけれど,名古屋にある中日ドラゴンズのホームグランドには1度しか行ったことがなく,ワシントンDCにあるスミソニアン博物館には2度行ったことがあるのに,上野の国立科学博物館には1度しか行ったことがない,というように,これまで,海外に目を向けても日本にあまり興味がなかったので,日本のこうした施設に疎く,このごろ,やっといろいろなところに出かけるようになりました。
 とはいえ,国立科学博物館の展示内容は,海外の同じような施設で見たことがあるようなものばかりだし,展示されている科学的な内容はほとんどのことを知っていたりと,私にはあまり珍しいものもなかったことと,土曜日で人が多く,じっくりと見学することもできなかったので,その多くは素通りすることになりました。
 そんな中で,私の目的は,先に書いた,小山ひさ子さんが使用していて,今は現役を退いた口径20センチメートルの屈折望遠鏡が,今はドームから降ろされてどこかに展示してあるらしいので,それを見ることでした。なお,日本館の屋上に今もなお存在するドームの中には,現在は西村製作所製の口径60センチメートルの反射望遠鏡が設置されているそうです。
 やっと見つけたそれは,地球館の地下3階にありました。日本光学(現在のニコン)が当時の最高技術を使って作られた望遠鏡ですが,現在では口径20センチメートルというのは大口径でもなく,また,現在の目から見ると,口径の割にかなり大仰な架台だと感じました。

 口径20センチメートルの屈折望遠鏡とともに,興味深かったのは,ハワイ島マウナケア山に設置した「すばる望遠鏡」ハワイにある「すばる望遠鏡」の先端の主焦点に取り付けて観測に用いられ,2017年に現役を退いた,キヤノンが開発・製造したモザイクCCD(天体の光を捉えるための半導体素子)カメラ「シュプリームカム」(Suprime-Cam)の実物でした。「シュプリームカム」の展示がはじまったのが今年2023年3月というから,これを見ることができたのも幸運でした。
  ・・・・・・
 ハワイ島マウナケアにある「すばる望遠鏡」は,8.2メートルの大口径と広い視野が特徴の光学赤外線望遠鏡です。「すばる望遠鏡」の広視野観測は,CCDを何枚も並べたモザイクCCDカメラを使用し,そのカメラを望遠鏡の主焦点に取り付けることで実現しました。
 その広視野観測を支えてきたのが,「すばる望遠鏡」の主焦点カメラ「シュプリームカム」。10個のCCDを使用し,8,000万画素にも及ぶ巨大カメラは,2000年から2017年まで主要観測装置として活躍しました。現在は,これに代わり,さらに広視野・高画素(8億7,000万画素!)の超広視野主焦点カメラ「ハイパー・シュプリームカム」(HSC=Hyper Suprime-Cam)が多くの成果をあげています。
  ・・・・・・
 そういえば,国立科学博物館で実物を見ることできる,と以前読んだことがあって,見てみたいと思った記憶がよみがえりました。また,この階には,ノーベル賞を受賞した学者さんたちの論文などが展示されていて,私は,これらにもとても興味をもちました。
 この日の晩,ホテルで,めずらしくめったにつけないテレビをつけたら,偶然,NHKBSで「2時間でまわる国立科学博物館」という番組が放送されていて,これまた驚きました。

 今回の1泊2日の東京の旅は,こうして,横須賀港で空母「ドナルド・レーガン」を見て,上野の国立科学博物館へ行って,NHK交響楽団の第2000回定期公演を聴いて,「川崎家」でラーメンを食べて,さらに,「駒テラス忘年会」に出席するという盛りたくさんの経験をして,帰路に着きました。
 帰りは,新幹線の車内で,品川駅で買った駅弁「シュウマイ弁当」を食べました。
 今回もまた,天気にも恵まれ,楽しい時間を過ごすことができました。

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 横須賀市どころか,私には川崎市というところも謎につつまれた街だったので,昨年2022年の秋に行ってみたので,今回は2度目でした。どうして川崎駅前の東横インに泊ったかというと,近ごろ,やたらと何でも高くなって,それは東京都内のホテルもまた例外ではなく,そこで,ちょっと外れたところを選んだということと,この日,当初は三浦半島をめぐる予定だったというのが理由でした。結局,横須賀港に行先を変更したのですが,いずれにしても,川崎駅から電車に乗ればいいのだから,そのまま宿泊しました。
 12月16日,NHK交響楽団の定期公演を聴き終えて,ごったがえす渋谷を人をかき分けかき分け,どうにかJR渋谷駅に着いて,山手線,京浜東北線と乗り継いで,夜10時過ぎに東横インにチェックインしました。

 それ以後の予定は,翌日の午後2時開始の「駒テラス忘年会」に間に合うように東京に戻るということだったので,その前に,昼食として「川崎家」でラーメンを食べることにしました。
 「川崎家」というのは,藤井聡太八冠の兄貴分であり,ライバルの永瀬拓也九段のお父さんがやっているというラーメン屋さんです。調べてみると,「川崎家」というのは,本店と榎町店があって,本店は前回川崎市に来て散策した川崎球場だったところの近くで,榎町店は私の泊っている東横インの近くでした。どちらの店なのか,さらに調べてみると,私の目的とするのは榎町店のほうで,行ってきたというブログがけっこうありました。永瀬拓也九段はラーメン屋さんの宣伝に一役も二役も買っているようです。かくいう私もその影響を受けたひとりということです。

 すでに夕食はNHK交響楽団の定期公演の前に食べたのですが,夜食でも,ということで,外に出て,ついでに,「川崎家」がどこにあるか行ってみることにしました。
 川崎市は,JR川崎駅と京急川崎駅が少しだけ離れていて,JRと京急は平行に東京に向かって多摩川を渡ります。そして,京急電鉄に沿って,旧東海道があります。旧東海道は,1600年(慶長5年)に,徳川家康により六郷川 -これは多摩川の下流の別名で上流を丹波(たぱ)川というのですが- に六郷大橋を架けられ,それ以来,修復やかけ直しが行われましたが,1687年(元禄元年)の大洪水で流されたあとは架橋をやめ,明治に至るまで船渡しとなりました。渡船は,当初は江戸の町人が請け負っていましたが,1709年(宝永6年)以降は川崎宿が請け負うことになったことで,渡船収入が宿の財政を大きく支えたということです。
 東横インのある場所のひとつ西側の通りが旧東海道なので,散歩を兼ねて,六郷の渡し跡まで行ってみることにしました。そこには,現在は,川崎側に渡船跡の碑と明治天皇六郷渡御碑が建ち,欄干に渡船のモニュメントがあります。
 そこから東に少し行くと,国道15号線があります。旧東海道と国道15号線の間が,川崎堀之内として名高い川崎の風俗街で,近ごろは,風俗街といっても,客引きもいないから,興味本位で歩いているとそれなりにおもしろいので,そこを通り抜けて,国道15号線まで出て,道路を渡ったところに,「川崎家」を見つけました。

 さて,翌日。
 私にはめずらしく,のんびりと朝食を東横インのサービスでとって,そのあと,部屋に戻って,前日の晩に放送されたという「ローカル路線バス乗り継ぎの旅W」をTVerで見てから,午前10時にホテルをチェックアウトしました。今の時代,ホテルで泊まってもテレビをつけることもなく,必要ならばスマホでことたりるので,もはやテレビはまったく必要ないです。
 それから旧東海道の「東海道かわさき宿交流館」とか,宗三寺の遊女供養塔など,川崎宿にちなんだいくつかのお寺などをめぐりながら,開店時間午前11時の「川崎家」にその5分前に到着しました。
 私は,開店時間に行ったのですぐに中に入れましたが,そのあと,外に行列ができていました。

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 それまで行ったことがなく,どういうところか知りたくて,2023年5月13日に行ってみた横須賀市でした。そのとき,「YOKOSUKA軍港めぐり」に乗ったのですが,アメリカの原子力空母「ドナルド・レーガン」がちょうどその前日に出航してしまったと聞いて,とても残念に思いました。ぜひ,今度来たときは見てやろうと,それ以来,ずっと思い続けていました。政治的にはさまざまな問題があるそうですが,私は,単に見てみたいという好奇心だけの理由です。
 調べてみると,毎年,11月下旬ころにやってきて,翌年の5月ごろに出航するようだったので,そうであるなら,12月ころがチャンス,と思っていたところ,11月19日に寄港したということがわかったので,2023年12月16日,NHK交響楽団の定期公演で東京に行くついでに,午前中,「YOKOSUKA軍港めぐり」に乗ることにして,午前12時の便を予約しました。

 横須賀海軍施設(U.S. Fleet Activities Yokosuka FAC3099)は,横須賀市にある在日アメリカ海軍の基地で,通称「横須賀ベース」とよばれています。アメリカ海軍の仮想敵国と太平洋及びオセアニア諸国への前方展開拠点,および,修理・補給基地で,アメリカ海軍司令部や極東海軍施設部隊が置かれています。第7艦隊に所属する原子力航空母艦「ロナルド・レーガン」が,アメリカ国外で唯一の空母の母港としています。
  ・・・・・・
 「ロナルド・レーガン」(USS Ronald Reagan, CVN-76)は,ニミッツ級空母艦(排水量10万トンを超える世界最大,世界初の量産型原子力空母)の第9番艦です。
 1998年にニューポート・ニューズ造船所で起工,45億ドルが費やされ,2001年に進水,2003年に処女航海を行いました。
 なお,改修をを行うために,「ロナルド・レーガン」は2024年春に出港したのちは,「ジョージ・ワシントン」が代わりに入港する予定です。
  ・・・・・・

 天気だけが心配でした。せっかく左側の席を取ったのに,曇っていて,新幹線の車窓からは富士山を見ることができませんでした。しかし,東京に近づくにつれてとてもよい天気になりました。私が東京に滞在した12月16日と12月17日の2日間はともに快晴で暑いほどでした。
 やがて,JR品川駅に着きました。この日は川崎駅に近い東横インに宿泊するので,東海道線に乗り換えてJR川崎駅まで行きました。そして,東横インに荷物を預けて,今度は,京急電鉄に乗りました。わずか半年ほど前のことなのに,当時は,横須賀市に行くには,JRよりも京急電鉄のほうが便利で安価だということも知りませんでした。
 横須賀港は,横須賀中央駅よりもそのひとつ前の汐入駅のほうが近いです。私が乗ったのが特急だったので,汐入駅は停まらないので,金沢八景駅で乗り換えました。列車で旅をするといつも思うのですが,私鉄は,会社によってシステムが違っていて,わかりにくいのにもかかわらず,はじめに利用するとそれがわかるような表示がほどんどないのが不思議です。それはたとえば,特急は別に料金が要るとか要らないとか,また,普通とか急行,特急というのはなんとなくわかるのですが,快速とか快急とかいわれると,意味不明です。

 ともあれ,11時過ぎには汐入駅に着いたので,そのまま「YOKOSUKA軍港めぐり」のチケット売り場に行って,12時の予約を11時に変更してもらい,乗船しました。
 私の目的は,「ロナルド・レーガン」を見ること1点でした。多くの船が港から見ることができるのですが,「ロナルド・レーガン」は奥まったところに寄港していて,「YOKOSUKA軍港めぐり」で沖に出ないと見られませんでした。姿が見えてきました。あまりに巨大で陸のようでした。
 目的が果たせたので,あとは,ゆっくりと船旅を楽しみました。
 その後は,海軍カレーを食べたり,ドブ板通りを散歩したりして,昼過ぎに東京に戻りました。
 もともと,この日は,三崎口駅まで行って,三浦半島をめぐるつもりだったのですが,このように,「ドナルド・レーガン」を見るために横須賀湾に変更したので,次回来るときは,三浦半島めぐりをしたいものだと思いました。

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 2023年12月17日。NHK交響楽団の第2000回定期公演を聴きにいった翌日の午後に出かけたのが「駒テラス西参道」で行われた「駒テラス忘年会」でした。
 「駒テラス西参道」は
  ・・・・・・
 日本将棋連盟と渋谷区が協力して,2023年6月10日にオープンしたもので,「観る将=観る将棋ファンの聖地」を目指し,様々なイベントや教室,展示,映像配信など,将棋を通じた魅力あるまちづくりのための施設として,新しいあたらしい日常を発信していきます。
  ・・・・・・
というところです。まだ,オープンして間もないのですが,私はすでに何度か足を運びました。ここのいいところは,どこに行っても人だらけ,静かに時を過ごすことができる場所がほとんどない東京ですが,「駒テラス西参道」に併設されたカフェに入れば,ゆったりと過ごすことができるのです。

 この日出かけたのは,前日本将棋連盟会長だった佐藤康光九段と兄貴分の島朗九段のお話を聞く,という集まりに参加するためでした。事前の予約制でしたが,ちょうど東京にいる日だった私は,是非行ってみたいと予約してあったのです。
 はじまるのが午後2時だったのですが,その1時間ほど前に到着して,カフェに入ったら,偶然,隣の席に佐藤康光九段がみえて,お話ができたのが幸運でした。
  ・・・・・・
☗「駒テラス忘年会」
 駒テラス初の忘年会! 島朗九段・佐藤康光九段と2023年の将棋界をゆるくかつ濃密に振り返ります! 歴史的な2023年をともに語らいましょう!
【プログラム】
☆出演者よりご挨拶・乾杯
 佐藤九段といえばコーヒー。駒テラスのコーヒーで乾杯!
☆トークショー・歓談
 会長交代の話はもちろん,2023年の将棋界重大ニュースを,島九段・佐藤九段ならではのエピソードや裏話とともに濃密に振り返ります!
☆サイン会
 コラボ色紙を揮毫していただきます。揮毫した色紙を持った両先生のお写真をお撮りいただけます。 ☆両先生よりひと言・今後の抱負
☆直筆サインボードにサイン
  ・・・・・・

 「駒テラス忘年会」では,もともとの話題は,今年の将棋界を振り返る,というものだったらしいのですが,その前のさまざまなエピソードや棋界の裏話を話しているだけで,2時間以上が過ぎてしまいました。そんなわけで,もともとの話題がどこかにいってしまったのですが,エピソードや棋界の裏話というのがとても興味深くおもしろく,また,途中のサプライズで,森下卓九段の飛び入り参加もあって,楽しい時間となりました。
 最後に,色紙にサインをしてもらって,一緒に写真を撮りました。
 将棋は,自分で指すこと以外にも,観戦しても楽しいし,こうして,実際にプロの棋士の人たちと交流もできるのがすばらしいです。これからも,多くの棋士とこうしたイベントがあったらいいなあ,と思いました。

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 今回は,NHK交響楽団定期公演の第2000回記念ということなので,ある意味,お祭りです。どれだけのお客さんがマーラーの交響曲第8番「一千人の交響曲」を理解して足を運んでいるのかは知りませんが,もちろん満員で,私が座っている2階席後方のあたりは,いつもはほどんど誰もおらず快適なのに,この日だけは,ぎっしりと座っていて,窮屈に感じるほどでした。
 ベートーヴェンの交響曲第9番は,合唱があってもその意味をつかむのは容易です。マーラーの交響曲第2番や第4番,また,「大地の歌」も同様です。また,これらの交響曲には音楽だけの部分も多く,音楽の美しさにも惹かれます。しかし,交響曲第8番「一千人の交響曲」はそうはいきません。確かに,規模が大きくて,話題性に事欠かないにせよ,この曲は,ほとんどが意味のわからない声楽ばかりで,こうしたコンサートでもない限り,私は聴きたいと思うようなものではありません。
  ・・
 交響曲第8番「一千人の交響曲」は,他のマーラーの交響曲とは異なるものです。大仰なのです。
 先日聞いた交響曲第2番も大仰ですけれど,それはそれで,若気のいたりというか,情熱というか,そういうものを感じて,とっつきやすいのです。第3番は第2番にくらべたら,二番煎じの感じがしないでもないけれど,この曲もまた,聴きにくいものではありません。
 私が大好きなマーラーの交響曲は,第9番は別格として,第4番と「大地の歌」ですが,それに比べると,第8番は「やりすぎ」ちゃっているのです。しかし,マーラーは,第8番で,生命の泥臭さや高貴さをすべて吐き出してしまうことができたので,それに続く「大地の歌」や第9番の枯れた境地にたどり着けたのではないでしょうか。
  ・・
 交響曲第8番「一千人の交響曲」は,マーラー自身が初演し耳にすることのできた最後の作品でした。大規模な管弦楽に加えて8人の独唱者および複数の合唱団を要する巨大なオラトリオのような作品で,2部構成をとり,第1部は,中世マインツの大司教ラバヌス・マウルス(Rabanus Maurus Magnentius)作といわれるラテン語賛歌「来たれ,創造主たる聖霊よ」(Veni, veni creator spiritus),第2部は,ゲーテの戯曲「ファウスト第2部」(Faust part 2)の終末部分に基づいた歌詞が採られています。オラトリオとは「宗教的な題材を扱った演奏会向けの長編の声楽曲」で,基本的にはオーケストラの演奏を伴います。日本語では「聖譚曲」(せいたんきょく)といいます。
 マーラーはこの作品を妻のアルマに献げました。
 「一千人の交響曲」(Symphonie der Tausend )という名前は,初演時の興行主であるエミール・グートマン(Emil Gutmann)が話題づくりのためにつけたものです。この商売気たっぷりのたくらみが功をそうしたのか,マーラー生涯最大の成功を収めました。

 私がこの曲を聴くときの最大の問題は,キリスト教とか文学に疎いことです。ゲーテなんて名前くらいしか知らないし,もちろん,小説を読んだこともないのです。
 キリスト教的人生感,生と死。私にはそれが理解不能なのです。
 「ファウスト」では,この宇宙で人は孤独であること,だからこそ,孤独をまぎらわすために人との繋がりを求めること,不安をかき消す光を求めて自分たちは生きていること,そして,生きている限り不安や悩みは尽きることはないけれど,それでも自分たちは光を求めて歩いていくというのが救いになること,そうしたことが語られているらしいのですが,正直いって,私にはわかりません。だから,交響曲第8番「一千人の交響曲」の本当のよさを理解するには至れないのです。
  ・・
 クラシック音楽を聴くために足を運ぶのは,もちろん我慢大会ではないわけですが,この齢になると,この曲が理解できるように勉強しようとか,そんな向上心もなくなる代わりに,80分という曲を聴いても,退屈することもなく,聞きとおせてしまうのが救いです。だから,NHK交響楽団定期公演の第2000回記念のイベントに参加できた,ということだけでも,意義があったということにしておきます。

 「一千人の交響曲」と銘打っているのですが,ステージ上には500人弱の演奏者でした。合唱が上手なので人数が少なくてもよいということでしょうか。それにしても,聴きながら感心したのは,ステージにいるNHK東京児童合唱団の子供たちでした。客席はもちろんのこと,ステージ上でこの曲を聴いていて飽きたりしないものか…。という話を帰ってからしていたら,ある人が「私「一千人の交響曲」を演奏会で歌ったことがある」というので,さらに驚きました。
  ・・
 コンサートが終わって外に出たら,クリスマスマーケットのライトアップでとてもきれいでした。でも,ものすごい人混みでした。これが日本の実社会だと,現実に戻されました。
 いずれにしても,私は,このごろすっかりマーラーづいてしまっているわけですが,次に聴くのは,2024年3月9日に行われる井上道義指揮・新日本フィルハーモニー交響楽団の交響曲第3番です。

  ・・・・・・
●「ファウスト」第1部
 悪魔メフィストフェレス(Mephistopheles)が,多くの学問を究めてきた老博士ファウストの前に登場します。
 ファウストは,どんなに知識を学んだところで未知なることは無限に存在するし,自分の人生は学ぶ前も学んだ後も結局何ひとつ変わらないではないか,と嘆きます。生きることの充足感を求めていたファウストに,メフィストフェレスは,ファウストが死んだ後に魂を引き渡す代わりに,彼の欲望をすべてかなえようという「契約」をもちかけます。
 ファウストはメフィストフェレスの誘いに乗り,「時よ止まれ汝は美しい」(Werd’ ich zum Augenblicke sagen : Verweile doch! du bist so schon!)という言葉を言えば自分の魂を捧げる,というメフィストフェレスとの「契約」を結びました。
 メフィストフェレスの力で20代の姿となったファウストは,グレートヒェン(Gretchen)と出会い恋仲になるのですが,ファウストとの逢引のため,グレートヒェンは母に誤って致死量の睡眠薬を飲ませ死なせてしまい,さらに,彼女の兄もファウストとの決闘で殺されてしまいます。これが原因でグレートヒェンは次第に精神を病み,ついにはファウストとの子も殺し,自らも亡くなってしまいます。
 メフィストフェレスの計画は失敗に終わります。
  ・・
●「ファウスト」第2部
 絶望したファウストですが,アルプスの自然と精霊に囲まれ活力を取り戻し,メフィストフェレスの手引で神聖ローマ皇帝に取り入ります。ファウストは女神ヘレネー(Helen)の美貌に魅せられ,メフィストフェレスの力で神代の世界へ飛び,ヘレネーと結ばれます。しかし、彼女との間に生まれた息子は墜落死してしまいます。
 失意と共に現代へ帰ったファウストはメフィストフェレスの力で戦争に勝利し領地を得て,理想の国家を作ろうと大干拓事業に乗り出すのですが,立ち退きを求めていた地元の老夫婦を誤って殺害し,その報いとして盲目にされてしまいます。
 メフィストフェレスは手下にファウストの墓穴を掘るよう命じますが,盲目になったファウストはその音を土地の造成が進んでいるものと思い込むことで幸福を実感し,「時よとまれ汝は美しい」と呟き,人生の幕を下ろすのです。
 「契約」に従ってメフィストフェレスがファウストの魂を奪おうとしたとき,天上から天使が降り立ちます。かつての妻・グレートヒェンが聖母に捧げた祈りが届き,ファウストの魂は救済されるのでした。
  ・・・・・・

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 2023年12月16日,NHK交響楽団第2000回定期公演,マーラーの交響曲第8番「一千人の交響曲」を聴きにいきました。
 NHK交響楽団の定期公演は1927年からはじまったそうですが,それが今回2000回目を迎えたということです。コロナ禍で,2020年2月の第1935回定期公演のあと,2020年4月から6月まで1936回から1944回が予定されていたのが中止となりましたが,1年置いて,改めて2021年9月に1936回として再開されたので,切れ目なく続きました。しかし,2023年10月に1992回の定期公演が中止となったことで1回飛んでいるので,厳密には,今回は1999回なのです。というか,それ以前にも中止があったかもしれません。

 さて,記念すべき2000回の曲目は,事前にファン投票がありました。
 候補曲は,フランツ・シュミットのオラトリオ「7つの封印の書」,マーラーの交響曲第8番「一千人の交響曲」,シューマンのオラトリオ「楽園とペリ」でした。これら3曲から,となると,最も有名なマーラーの交響曲第8番「一千人の交響曲」になるのは,はじめからわかっていた,とブログに書いた人がいました。
 ちなみに,残りの2曲は,もし選ばれていたらN響初演ということだったので,それもありかな,と私は思っていました。というのも,私は,マーラーの交響曲第8番「一千人の交響曲」を生で聴く機会どころか録音でさえも聴くことなどまずないのですが,それでも,過去に1度生で聴いたことがあるのです。それは,私の地元名古屋で,1985年の年末,朝日新聞社名古屋本社発刊50周年記念特別演奏会として,外山雄三指揮,名古屋フィルハーモニー交響楽団の演奏したものを聴きにいったのです。こんな大曲,2度と聴くことはできないだろうと思って足を運んだのです。
 近年のNHK交響楽団では,N響90周年記念特別演奏会として,パーヴォ・ヤルヴィ指揮で2016年にNHKホールで行われたことがあるのですが,この演奏会は聴きにいきませんでした。FMでは放送されず,ただ1回だけテレビで放送されたようですが,私はそれも見逃しました。

 近年,ベートーヴェンの交響曲第9番は,テンポは早く早く,そして,オーケストラも小規模になって演奏されはじめました。これを仮に21世紀的演奏とします。それに対して,マーラーの交響曲第8番「一千人の交響曲」は,贅肉たっぷりのコテコテ演奏を聴衆は期待しているから,21世紀的演奏は似合いません。でないと,感激も何もなくなってしまいます。
 パーヴォ・ヤルヴィさんの指揮は,ベートーヴェンを指揮するときは21世紀的演奏になるのですが,ブルックナーやマーラーでは,そこに上手な味つけがされて,聴かせどころは聴かすのですが,コテコテにはならず,シンプルさを残して,分離と融合の使いわけがうまいので,20世紀的演奏に21世紀的な味つけがあってすばらしいものという評価だったので,それを聴いてみたいものでした。
 それに対して,今回は,ファビオ・ルイージ指揮です。
 私は,パーヴォ・ヤルヴィ対ファビオ・ルイージというのは,まあ,塩ラーメンと味噌ラーメンの違いのような気がするのですが,それはどちらがいいとかいうのではなく,持ち味が違うので,どちらも楽しめるのです。
 演奏のことは多く書かれるでしょうから,これくらいにして,私は,昔話をします。

 今から55年ほど前のこと。
 当時私が通っていた中学校は,今では考えられないほど大人びていました。ろくに英語もできないのにドイツ語の勉強をしたり,授業なんて最後の5分だけ聞いていればわかるからとずっと芥川龍之介を読んでいたり,ものすごく優秀なのに字が下手すぎて名前が読めないからお前はもう勉強しなくていいから書き方の練習をしろといって先生から字の書き方のドリルをもらったり,とそんな生徒だらけだったし,まったく勉強もしないで放課後も遅くまで教室に残ってしゃべくっていただけの女子生徒がめちゃくちゃ賢かったりしました。みんな後に偉い人になりました。
 学校の音楽の授業では,音楽家になるわけでもないのに,音楽大学さながら,小難しい音楽史やら楽典を習ったし,歌のテストの課題はドイツ語でベートーヴェン作曲の「Ich liebe dich」(きみを愛す)だったりしました。だから今でも歌えます。
  ・・・・・・
 Ich liebe dich,so wie du mich,
 Am Abend und am Morgen,
 Noch war kein Tag,wo du und ich
 Nicht teilten unsre Sorgen.
  ・・
 あなたを愛しています、あなたが私を愛するように、
 夕方でも朝でも。
 あなたと私が悩みを分かち合わない日など
 1日もないのです。
  ・・・・・・
 週末ごとに東京に通ってヴァイオリンの指導を受けていた生徒もいたのですが,彼女は,やがてプロになって,今はアメリカのオーケストラでヴァイオリンを弾いています。
 私は無知な生徒で,完全に落ちこぼれだったので,楽器も弾けませんでしたが,そんな環境の中で育ったので,自然に覚えたのがクラシック音楽でした。当時はレコードを買ってくるか,FM放送で流れなければ聞きたい音楽を聴くこともできない時代でしたが,帰りにレコード屋さんに行っては,こんな曲があるのだ,と語る友人の影響を受けて,知識だけが増しました。それは,たとえば,ニールセンには「不滅」などという大げさな題名の曲があるとか,ブルックナーには交響曲第0番やマイナス1番があるとか,マーラーには千人で演奏する交響曲があるとか…。
 それでも,今,コンサートを聴きに行くだけの知識ができたのだから,それでよかったのでしょう。今回のように,マーラーの交響曲第8番「一千人の交響曲」を実際にコンサートで聞く機会があると,そんなことを思い出します。

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 バスが来る時間が近づいたので,「白浜館」をチェックアウトして,バス停に向かいました。バス停の手前にあったのが,白浜薬師堂でした。
  ・・・・・・ 
 湯治客が病気平癒を祈願するため,湯治場には薬師堂があります。
 白浜薬師堂は,1966年(昭和41年),薬師寺管主の橋本凝胤上人が薬師寺の薬師如来を勧請して建立したといわれます。
  ・・・・・・
 バス停の裏側に公園がありました。そこで見つけたのが「津々浦々歩き旅」とかかれたリヤカーと若い男の人と女の人でした。何でも,ゴミを拾いながらリヤカーで日本一周をしているとかでした。
 帰ってから調べると,instagramとXに情報がありました。
  ・・・・・・
 日本一周∞ふたり歩き -2022年2月2日兵庫県西脇市出発-
 歩いて日本一周リアカー「難苦郞」を連れてワラーチを履いて外周をぐるっと一周中。何かできることをしながら旅したいという想いから「ゴミ拾い」をしながら歩いています。
  ・・・・・・
 日本国内や海外を多く旅しているといろいろな人に出会います。人生一度っきり。私のモットーは「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」というわけで,やりたいことがあればやったほうが後悔しないと思っているのですが,それでも,私にはこれはマネできませんし,しようとも思いません。

 定刻にバスが来たので乗り込みました。
 バスに乗っていたのは4,5人でしたが,途中で停まった白浜空港で,多くの人が乗ってきました。
 この日は金曜日で,これから週末にかけての旅行なのでしょう。そもそも,すでに書いたように,白浜の観光施設のほとんどが木曜日が休み,というのがいけません。だから,私も金曜日に旅をすることになってしまうのです。
 白浜空港の次のバス停は,空港口,展望台下,エクシブ白浜,アドベンチャーワールドとなります。白浜空港で乗り込んだ人たちのほとんどはアドベンチャーワールドで降りるだろうと思います。この多くの人たちと同じに降りることになるわけです。ということで,私は,ひとつ手前のエクシブ白浜で降りて,少し歩くことにしました。
 「エクシブ白浜」というのは会員制のリゾートホテルの名前です。
  ・・・・・・
 温暖な気候と温泉,そして,自然が織りなす景観の美しさで,古くから親しまれてきた伝統のリゾート南紀白浜。太平洋を見晴らす丘陵地に建つ「エクシブ白浜」は,その伝統が育んだホスピタリティと南欧の高級リゾートにも似た優雅さを兼ね備えたホテルです。
 恵まれた山海の幸と一流の技が絶妙な味のハーモニーを奏でる海鮮中華ダイニングやフランス料理レストランで,あるいは南国の陽光きらめくプールサイドでリゾートの真髄をお確かめください。
  ・・・・・・
というのがウリです。私は,リゾートというもの自体にまったく興味がないのですが,これが魅力的に写る人が多いのでしょう。

 エクシブ白浜のバス停からアドベンチャーワールドまではずっと坂を下る感じになるので,歩くことに問題はありませんでした。それよりも,エクシブ白浜のバス停で降りてよかったと思ったのは,高台で,白浜の町が一望できることと,もうひとつは,白浜の別荘地の中を歩けたことでした。
 白浜の別荘地は「白浜クリスタルタウン」といって,1,666区画の全棟温泉つき戸建て住宅です。私は,ああ,ここがそうなのか,と思いました。
 白浜は,中部地方からは遠いのですが,大阪からは近く,また,東京からも空路で来ることができる便利な場所です。景色がよく温暖で,しかも,温泉つき,となれば,お金持ちの別荘として,あるいは,老後の住み家として,魅力的なのでしょう。とはいえ,別荘といったところで,限りある時間,どれだけ来ることができるのやら。それに,大きな病院もなく,大型スーパーもなく,車がなければ移動も難しいし,別荘を持ってしまえば,他のところに行けなくなる,などと問題も多く,別荘なんて持たないほうがいい,というのが私の持論です。そんなお金があるのなら,さまざまなところを旅するほうがいい,と私は思います。
 また,老後の住み家として,では,一体何年住むことができるのやら…。亡くなった後で困るのが遺族です。売るに売れず,住むに住めず,遺産というより負債となります。実際,今でも,売りに出されているところや,廃墟化しているところが少なくありませんでした。こうして,また,この風光明媚なところがゴミだめになっていくのでしょう。日本各地にはこんなところがざらにあります。

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 2023年12月8日。紀伊半島1周の旅の2日目の朝です。
 「白浜館」は朝食がついていないので,昨日の晩,コンビニでペットボトルのコーヒーとサンドイッチを買っておきました。それで軽く朝食を済ませたあと,外に出ました。
 今日の予定は,この旅の目的地であるアドベンチャーワールドですが,私がいる白良浜からアドベンチャーワールドに行くには,午前8時51分のバスしかありません。それまでずいぶんと時間があるので,海岸を散歩することにしました。今日も快晴。白砂の広がる海岸はすばらしい景色でした。
 白良浜の片隅に,エディ・タウンゼント(Eddie Townsend)さんの碑がありました。
  ・・・・・・
 エディ・タウンゼントことエドワード・タウンゼント(Edward Townsend)さんは,1914年に生まれ,1988年に亡くなったハワイ出身のボクシングトレーナーです。
 ガッツ石松や井岡弘樹など6人の世界チャンピオンを育て上げた「名トレーナー」で,ボクシングに興味のない私でも,名前だけは知っています。
 エディ・タウンゼントさんは,11歳からボクシングをはじめました。1932年にハワイのアマチュア・フェザー級チャンピオンになりましたが,太平洋戦争でジムが閉鎖されたことで現役を引退し,指導者に転身しました。
 1962年に力道山に招請されて「日本からヘビー級のボクサーをつくる」ため,リキジムでトレーナーを務めましたが,1963年に力道山が急死してしまい,その後はさまざまなジムから招かれて選手の育成指導を続けました。
 ポール・タケシ・藤井(藤猛)を世界チャンピオンへと導いたことで注目され,それ以降,海老原博幸,柴田国明,ガッツ石松,友利正,井岡弘樹という6人の世界チャンピオンと赤井英和,カシアス内藤などの名ボクサーを育てました。
  ・・・・・・
 この碑が白良浜にあるのは,エディ・タウンゼントさんが生前好きな場所だったからだそうです。

 さらに歩いて行くと,1件の喫茶店があって,朝食が食べられました。私はすでに軽い朝食を済ませていたのですが,なかなか雰囲気がよかったので,中に入って,朝食を食べ直しました。
 この喫茶店,海が見えたらもっといいのになあ,と思いました。
 喫茶店を出て,「白浜館」に戻る途中で見つけたのが熊野三所神社でした。
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 白良浜の北端にある熊野三所神社は,伊弉冊尊(いざなみ),速玉男命(はやたまのお),事解男命(ことさかのお)を祭神とします。
 伝承によれば,658年(斉明天皇4年)に,斉明天皇が弟の有間皇子の勧めにより牟婁の湯(むろのゆ=白浜温泉)に行幸した際,腰を掛けた石を磐座として祭祀をはじめたとされ,後に熊野三所権現を観請して社殿を整えました。
  ・・・・・・
 境内は,それはそれは美しいいちょうの黄葉に包まれていて,幻想的でした。
 また,この場所には,古墳もありました。

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 京都大学白浜水族館を出て,海岸線を歩いて白井浜まで来ました。今晩の旅館は白井浜にある「白浜館」というところでした。選んだ理由は,単に宿泊代金が安かったというだけでした。
 私は,この1年,日本国内のさまざまな行ってみたかったところを旅してみて,日本国内を旅するときの宿泊の相場,というものがわかってきました。海外,特にアメリカでは,全国チェーンのモーテルがあって,ほとんどは,素泊まりか,申し訳程度の朝食がついているだけですが,どこもほぼ同じ仕様で当たり外れがなく,部屋には必ずバスとトイレがあります。
 日本では,都会のビジネスホテルはどこも同じようなものですが,観光地の日本風旅館だと,豪華な夕食と朝食がついていて,部屋にバスとトイレがあるものから,素泊まりでバスとトイレが共同,というものまで,非常にさまざまです。また,温泉があったりなかったり。そしてまた,値段もいろいろです。
 私は,高級な旅館や団体のツアー客が泊るような大きなところは,はじめから選択肢から外れるので,泊るところを選ぶのが大変です。私が旅をするのは,ほぼシーズンオフなので,どこも空いていて,快適な場合が多いですし,予想以上のところだと,とてもラッキーだと思うわけです。白浜は,2食つきだとどこもかなり宿泊料金が高くなるので,素泊まりにして,どこかで食事をすることにしました。

 「白浜館」は,場所は申し分ないところでした。また,部屋は,バストイレ付きで,しかも,とても広く,ベッドが3つもありました。ベランダには足湯もありました。とはいえ,かなり古い建物でした。おそらく,その昔は,夕食,朝食つきの高級な旅館だったのだと思います。それを,建て替えるでもなく,そのまま営業を続けているかのようでした。
 到着したのは,ちょうど太陽が沈むころでした。
 「白浜館」から道路を隔てたところに,白良浜(しららはま)という白砂が広がる海岸でした。
  ・・・・・・
 白浜という地名は,この白良浜に由来します。白良浜は,石英の砂からなる白い浜辺と白浜温泉で知られます。もともと,白良浜の白い砂がどうやってここに堆積したのかについては,はっきりしていないそうです。
 明治から大正にかけては,ガラスの原料として白良浜の砂が採掘されて大阪に運ばれていましたが,ガラス製造方法の変化で採掘されなくなりました。現在は,近畿地方屈指の海水浴場であり,夏は海水浴客で賑わい,60万人を超える客が訪れます。
 砂浜の砂は波によって流出し,開発により背後地からの砂の供給が途絶えたため,近年,目立って砂浜が痩せるようになりました。そこで,白浜町は,1982年より,冬季間の飛砂を防止するため防風ネットの施工をはじめたほか,1989年からはオーストラリア・パース付近の砂漠の砂を投入していますが, 砂の流出自体は止まっていないといいます。
  ・・・・・・
 部屋にカバンを置いて,夕日を見ようと,早々に海岸に行きました。
  ・・・・・・
  波寄する しららの浜の からすがひ拾ひやすくも 思ほゆるかな
      西行「山家集」
  ・・・・・・
 ほとんど雲のない,また,風もないすばらしい夕方で,美しい夕日を沈むまで楽しむことができました。

 「白浜館」に戻って,温泉に入りました。広い温泉はすばらしく,かつ,温泉には私だけ,という快適さでした。旅をするのは,シーズンオフに限ります。
 温泉から出て,夕食を食べようと,外に出ました。
 ところが,白浜の市街地には,気の利いた食事処がまったくないのでした。あるのは,焼き肉屋とか小料理屋とか,お寿司屋さんくらいのものでした。仕方がないので,というか,私は,旅先での食事は,豪華にするか,安価に済ますかの二択なので,今回は,安価に済ませることにして,ラーメン屋に入りました。このラーメン屋さん,一昨年に来たときもここで夕食をとったところです。つまり,白浜にはここしか選択肢がないのでした。前回は「和歌山ラーメン」を食べたので,今回は「白浜ラーメン」にしました。「和歌山ラーメン」は豚骨醤油味で,「白浜ラーメン」は鯛のダシを使用したあっさり塩味だそうです。
 しかし,翌日の早朝,海岸線を南に散歩していたら,おいしそうな炉端焼き屋さんを見つけたので,そこまで歩いてきたら,何とかなったのかもしれません。

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☆☆☆☆☆☆
 1年のうち,ある決まった時期に星空の中のある点の付近を中心として,流れ星が多く飛ぶことがあり,この現象を流星群とよびます。中でも,ふたご座流星群,しぶんぎ座流星群,ペルセウス座流星群は「三大流星群」といわれます。
 ふたご座流星群は,毎年12月14日前後に最も活動し,ほぼ期待どおりに流れ星を見ることができますが,今年は,ちょうど新月ということもあって,観望の好機となりました。
  ・・
 このところ,さまざまな事情で,星見から遠ざかっていました。しかし,ふたご座流星群の極大期の前日である2023年12月14日の早朝は,天気がよく,最高の条件だったので,流星を見にいくことにしました。翌日が極大期なのですが,天気予報では曇りです。
 私は,流星にはさほど興味がないのですが,だれもいない深夜に星を見ることがこの上もなく気持ちがよいことに加えて,明るく美しい流れ星が見られる,というので,午前3時に家を出て,木曽川の堤防に向かいました。
 写真の1枚でも写すことができればいいや,という気持ちで,ひさしぶりのことで戸惑いながら簡易赤道儀を組み立てていたときに,ものすごく明るい流れ星が飛んで,うれしいやらがっかりするやら…。いずれにしても,着いた早々,明るい流れ星をみることができて,興奮しました。
 ネットなどにある流星群の写真の多くは,何枚もの写真の合成なので,あのように見られるのかと誤解をします。しかし,流星群といっても,実際は,流れ星がビュンビュンと飛ぶわけでもないので,期待外れになってしまいがちですが,それでも,今回のふたご座流星群は,2,3分に1個ほど,明るい流れ星をみることができて,満足しました。

 流星群は,彗星や最近まで彗星だった小惑星(=彗星小惑星遷移天体)から放出されたダストが地球の軌道と交差する場合に見られます。ふたご座流星群の母天体は,「ファエトン」(3200 Phaethon)という名前の小惑星です。
  ・・
 アメリカ,オランダ,イギリスが共同で開発された,波長12,25,60,100マイクロメートルの赤外線バンドで全天を高感度で探査することを主な目的とし,液体ヘリウム冷却の容器に収められた口径60センチメートルの望遠鏡を載せた赤外線衛星「IRAS」(Infrared Astronomical Satellite)は,1983年に高度約900キロメートルの太陽同期軌道に打ち上げられました。
 「IRAS」の画像を調査していたイギリスのサイモン・F・グリーン(Simon F. Green)とジョン・K・デイヴィース(John K. Davies)が小天体を発見し,国際天文学連合回報(IAUC=International Astronomical Union Circulars)3878で仮符号1983TB として公表されました。また,アメリカの天文学者チャールズ・コワル(Charles Thomas Kowal)が,この天体は恒星状であると報告したことで,この小天体は,彗星ではなく地球近傍小惑星とされました。1983TB は,当時知られていた地球近傍小惑星の中で最も太陽に接近する天体であることから,ギリシア神話に登場する太陽神ヘリオス(Hēlios)の息子ファエトンにちなみ「ファエトン」と命名されました。
  ・・
 その後,国際天文学連合回報(IAUC)3881で,アメリカの天文学者フレッド・ホイップル(Fred Lawrence Whipple)が,「ファエトン」の軌道要素とふたご座流星群の軌道要素が一致すると報告し,「ファエトン」はふたご座流星群の母天体だと判明しました。
 21世紀初頭時点では,「ファエトン」からは,彗星の特徴であるコマ(coma)やダストテイルなどは観測されていませんでしたが,ふたご座流星群の母天体と確定したことやスペクトル分類がB型であることなどから,現在は,「ファエトン」は,塵を出し尽くした彗星の成れの果てであると考えられています。
 コマとは,彗星核の周囲を取り巻く星雲状のガスやダストのことで,彗星が長楕円軌道の近日点近くを通過するころに太陽エネルギーにより彗星本体が温められてその一部が昇華したものです。また,スペクトル分類がB型というのは,炭素質の小惑星のことですが,B型の小惑星は,小惑星帯の外側に多く,軌道傾斜角が大きいという特徴があり,太陽系初期のころの高揮発性の物体の残りが付着していると考えられています。
 日本では,惑星間航行中にダスト(固体微粒子)の組成をその場で分析し,「ファエトン」でフライバイ探査を行う「デスティニープラス」(DESTINY+ =Demonstration and Experiment of Space Technology for INterplanetary voYage with Phaethon fLyby and dUst Science)というミッションが進められています。

 しばらくぶりに星を見て,また,やる気が湧いてきました。
 なお,来年2024年は,ふたご座流星群の極大期は満月なので,条件は最悪となります。

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 白浜駅に着いて,心配だったのは交通でした。
 一昨年行ったときは車だったので,問題はなかったのですが,今回はバスに頼る必要があったからです。しかし,白浜町を走るのは明光バスという会社でしたが,白浜駅前にバス停があって,時間さえ調べておけば,特に問題なく移動することができました。ただし,ICカードは使えません。とはいえ,何とPayPayが使えたのです。PayPayは,降りるときにQRコードを読み取って金額を入力するというシステムでしたが,これでは,もしバスが混雑していたらすごく時間がかかりそうな気がしました。
  ・・・・・・
 白浜町は人口が約2万人で,古くはすでに奈良時代から温泉街として有名だったといいます。町は 観光業と農業,水産業が中心で,かつては,白良浜(しららはま)などの海水浴場付近を中心に,リゾート施設や別荘,保養所が集まっていました。また,熊野古道の大辺路ルートが2本通っています。
  ・・・・・・
 ということなのですが,現在は,白良浜から南のほうに行った海岸線に沿って大きな観光旅館がたくさんあって,白良浜の中心部はむしろ寂れた感がありました。まあ,私には,このほうがずっと快適ですが…。また,白浜は,私が翌日行くことになるアドベンチャーワールド目当ての観光客が多く,温泉地としては,斜陽のような雰囲気でした。
 ただし,私がそう感じたのはシーズンオフだからで,おそらく,夏は海水浴客で賑わっているのでしょう。

 白浜駅前に「さくらサーカス」のポスターがありました。この冬は和歌山市で公演をしているということです。昨年の今ごろは高知市で公演をしていて、私はそれが見たさに、日帰りで高知市まで行ってきました。早いもので、あれから1年です。その間、様々なところに行ったものです。
 さて、私は,白浜駅前から私がこの日宿泊するホテルのある白良浜までバスに乗ったのですが,途中で気が変わり,白良浜のひとつ手前の白浜バスセンターという停留所で降りました。ホテルに向かう前に,白良浜の北にある番所山公園に行こうと思ったからです。番所山公園は小高い山になっていて,南方熊楠記念館と京都大学白浜水族館があるということでした。
 なお,白良浜の南には,千畳敷と三段壁洞窟という見どころがあるのですが,これは一昨年行ったので,今回は行くのをやめました。
 白浜バスセンターの停留所から番所山公園まで,海岸線に沿って,けっこうな距離があったのですが,歩くことにしました。歩くというのは,その土地の空気が味わえるので,旅として,最高の贅沢なのです。しばらくしたら,円月島(えんげつとう)が見えてきました。
  ・・・・・・
 円月島は通称で,正式には高嶋(たかしま)といいます。
 国の名勝で,白浜のシンボルのひとつです。島の大きさは南北130メートル,東西35メートル,高さ25メートルで,島の中央に海蝕による直径約9メートルほどの円月形の洞が開いていて,春分,秋分の時期に,中心部の穴を通して夕日が見えるということで人気です。
  ・・・・・・
 この時期は,当然,太陽は中心部の穴を通して見ることはできないのですが,沈みゆく太陽と円月島がいい塩梅で調和して海岸線にあったので,インバウンドやらでやってきた中国人の乗った観光バスから多くの人が降りてきて,写真を撮っていました。

 番所山公園に着きました。私のお目当ては南方熊楠(みなかたくまぐす)記念館でした。
  ・・・・・・
 南方熊楠は1867年に生まれ,1941年に亡くなった生物学者です。
 言動や性格が奇抜で,人並み外れたものであるため,後世に数々の逸話を残しています。
 柳田國男からは「日本人の可能性の極限」と称され,「知の巨人」との評価もあるといいます。
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 これまで,南方熊楠はまったく知らなかったのですが,NHK朝の連続テレビ小説「らんまん」で登場して,興味をもちました。私は,今年,「らんまん」にちなんだところを多く旅してきましたが,まさか,白浜にもあるなんて! と思ったのが,わざわざ南方熊楠記念館までやってきた理由です。
 ところが,事前に調べてこなかったのが災いしました。南方熊楠記念館は休館だったのです。私が明日行くことになるアドベンチャーワールドが木曜日が休みであることは調べてきたのですが,白浜の観光施設は,アドベンチャーワールドだけでなく,どこも木曜日が休みなのでした。このところ,私が行った福井恐竜博物館も,境港市の水木しげる記念館も,行った日に限って休館でした。何かのツキに見放されているようです。まあ,「また来いよ!」と天の声に言われているのだと私は解釈しています。
 南方熊楠記念館については,入ることができなかったので,これ以上,書くことがありません。
 そこで,余談です。
 南方熊楠ファンは牧野富太郎が嫌いなのだそうです。それは次のような理由からということです。
  ・・・・・・
 南方が死んだとき、それは1941年の年末でしたが、牧野富太郎は「文藝春秋」に追悼文を書きました。これが南方熊楠ファンにはすこぶる評判が悪いのです。曰く、南方熊楠は植物学者として大変な大物だと思われているようだが,そんなことはない。文学者としては偉大だったが,植物学者としてはそんなにたいしたものではなかった,という内容でした。牧野富太郎は本心からそう思っていたのでしょう。
 牧野富太郎はフィールドワークの人であり,南方熊楠は書斎の人でした。
 南方熊楠は,ロンドンにいたときには大英博物館に,日本に戻ってからは和歌山の田辺に「籠もって」とても狭い範囲で生きていたのですが,このことが,牧野富太郎のような,身体を動かすタイプの研究者には相容れなかったのです。
  ・・・・・

 しかたがないので,ふもとにある京都大学白浜水族館に入りました。ここは,当てつけのように「年中無休」という大きな看板が掲げられていました。期待していなかったのですが,すばらしい水族館でした。民間の営利主義の水族館は多々あれど,ここは大学の付属施設ということで,純粋に,来館者に水族館の楽しさを味わってもらおうという工夫がいたるところにありました。
 南方熊楠記念館が休館でなかったらおそらく行っていなかったと思います。これもまた,塞翁が馬というものでしょうか。
  ・・・・・・
 通称・京都大学白浜水族館,正式名称は京都大学フィールド科学教育研究センター瀬戸臨海実験所水族館は,白浜町にある水族館で,京都大学フィールド科学教育研究センター瀬戸臨海実験所の付属施設です。1922年に開所した京都帝国大学理学部附属瀬戸臨海研究所の水槽室を,京都大学理学部附属瀬戸臨海実験所水族館の名称で,1930年から一般に公開している,日本の国立大学法人のもつ臨海実験所で博物館法による博物館相当施設の指定を受けている唯一の施設です。
 白浜町周辺に生息する水族を常時約500種展示していて,無脊椎動物は年間451種6349点と国内有数を誇ります。
  ・・・・・・

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◇◇◇ 無題


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 午前11時56分,那智勝浦駅に着きました。那智勝浦の温泉に泊るというのもひとつの案ですが,今回の紀伊半島1周の旅の大きな目的は白浜のアドベンチャーワールドへ行くことだったので,私のこの日の宿泊地は白浜にしました。そこで,那智勝浦駅で乗り換えて白浜駅まで行く必要がありました。
 那智勝浦駅で一旦途中下車して観光をするという方法もありますが,特に行きたいところもなかったので,そのまま先に進むことにしました。那智勝浦駅から白浜駅までは,特急「くろしお」ならば1時間20分ほどで行くことができるのですが,特急「くろしお」22号は那智勝浦駅11時48分発と,わずか8分前に出てしまっていて接続が悪く,その次の特急「くろしお」26号は13時46分発ということで,2時間近くも待ち時間があるというように,まさに,「乗れるものなら乗ってみろ」といった旧国鉄時代をほうふつとさせるダイヤでした。
 そんな理由もあって,私は,特急「くろしお」26号を待つこともなく,12時9分発の普通電車に乗り換えました。この普通電車にゆられること2時間弱で白浜駅に着くのです。那智勝浦駅から白浜駅までは紀伊半島の最南端を通っていくので,景色は抜群ですが,なぜか,JR西日本だというのに,列車の座席がお得意のクロスシートでなく,ロングシートなのでした。この区間が混雑するとも思えず,ロングシートにする必要もないわけで,不思議な気がしました。せっかく景色がよいのに,これでは十分にそれを味わうことができません。窓から外を見るために絶えず体をねじっている必要がありました。

 一昨年,このあたりを車で走ったことがあります。そして驚きました。海岸線にそって,不思議な形をした岩が点在して,それはそれはすばらしい風景でした。その中でももっとも有名なのは橋杭岩(はしぐいいわ)というものでしょうか。
  ・・・・・・
 橋杭岩は和歌山県東牟婁郡串本町にある奇岩群です。串本町の大字鬮野川(くじのかわ)小字橋杭の海岸から紀伊大島方面へ大小約40の岩が南西1列におよそ850メートルもの長きにわたって連続してそそり立っています。直線上に岩が立ち並ぶ姿が橋の杭のように見えることから橋杭岩とよばれています。
  ・・・・・・
 橋杭岩は車窓からちらりと見ることができました。
 やがて,列車は串本駅に到着しました。串本からさらに南に行くと,潮岬灯台があって,そこが本州最南端です。こうして,紀伊半島の先端をぐるりとまわって,列車は向きを変えました。私はちょうど太陽が動く方向にむかって進んでいることになるので,ずっと太陽を見ながらの旅となります。また,ずっと海岸線を眺めて進むことになりますが,列車の乗客がどんどん少なくなってきました。列車は2両編成のワンマンカーですが,1車両に載っているのはわずか数人になりました。
 14時7分,ついに白浜駅に到着しました。

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 今日の写真は,特急「南紀」の車内から写したものです。私は,このごろ,ガラスに景色が反射するのを避けるためにカメラのレンズにPLフィルタを常用しているのですが,これが失敗でした。
 ガラスの反射を消すどころか,ガラスによって,光が屈折して虹のようになってしまいました。いくら使ってみても,カメラはむずかしいものです。

 さて,私は,海が見える側を選んでチケットを購入したので,紀伊長島駅を過ぎたころから,車内から美しい海を眺めることができるようになりました。紀伊長島駅は紀北町というところにあります。
  ・・・・・・
 三重県の南に位置する紀北町。特にこれといったものはないけれど,紀北町へ来ると世界遺産熊野古道を歩けます。マンボウが食べられます。朝揚がった魚の海鮮丼がお値打ちに食べられます。
 おいしい干物が買える。日本農業遺産に認定された“尾鷲ヒノキ”の匂いがする。
  紀北町に来たらいいことあるかも!
  紀北町へ来たらこんなもの食べれます!
  紀北町へ来たらこんなもの見れます!
  紀北町へ来たらこんなところ泊まれます!
  紀北町へ来たらラブめし食べられます!
 たまには知らない遠い田舎に来てみませんか?
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 私は,紀伊長島について調べていて,大いなる勘違いをしていたことを悟りました。それは,これまで,戦国時代,長島の一向一揆が起きた場所がこの紀伊長島だとばかり思いこんでいたことです。
 学生時代,私が知っていた長島という地名は,現在,長島スパーランドのあるところだけだったのですが,確か,長島の一向一揆が起きた長島というのは,そこではなく,別の長島だと習ったように記憶していて,だから,紀伊長島だと思っていたのです。しかし,実際は,長島の一向一揆が起きたのは長島スパーランドのあるところで,学生時代に私が思った場所で間違いはなかったのです。どうして,このような誤解をしていたのだろう?

 閑話休題。
 さて,雲ひとつなく美しい海を見ながら,特急「南紀」は進んでいきます。私が夢見ていたとおりのすばらしい旅になりました。やがて,尾鷲駅に着きました。尾鷲という地名を知ったのは,1967年のNHK朝の連続テレビ小説「旅路」で,それ以来,尾鷲という場所が気になっていたら,天気予報で,いつも雨が多いところとしてこの地名が取り上げられるので,「尾鷲=雨の多いところ」というのが,私の尾鷲に関する連想となりました。
 さて,連続テレビ小説「旅路」は,私が最も印象に残るNHK朝の連続テレビ小説です。
  ・・・・・
 1967年に放送された,平岩弓枝作の連続テレビ小説「旅路」は,幼いころから鉄道にあこがれ,国鉄職員として生きた室伏雄一郎と妻・有里,愛情深い夫婦を中心にふたりをとりまく人々の群像を織り交ぜながら,北海道,東京,大阪,京都,三重を舞台にして,大正から昭和にかけた変動期を,素朴に力強く,平凡に生きることの幸せをつづったものです。
  ・・・・・・
 尾鷲にある竹林がドラマのロケ地だったのですが,しかし,そこがどこなのか,今まで知らず,確かめることもなく,しかし,ずっと気になっていました。そこで,今回,調べてみました。
  ・・・・・・
 尾鷲市の「土井竹林」は,トンネルを抜ければ大きな竹,別世界に来たようなところです。
 NHKのドラマ「旅路」で,雄一朗と有理がはじめて出会った場所として,また,戦死したという誤報のあった雄一郎が戦争から生きて戻ってきて涙の再会をした場所として,有名なところです。
 神秘的で行く人々を圧倒させる竹林は,約4,000平方メートルに広がり,直径30センチメートル以上の大きな竹は圧巻です。
  ・・・・・
 これまで,数度,尾鷲に行ったことがあるのに,竹林はどこなのかな,今でもあるのかな,と思いつつ,それ以上地元の人に聞くこともなかったのですが,この旅から帰って,その場所が「土井竹林」という場所であることをはじめて知りました。今も健在であるようなので,ぜひ,近々行ってみたいと思うようになりました。
 「旅路」は録画が存在しているようなのですが,アーカイブでわずか4分ほどのダイジェストを見ることができる以外は,なぜなのか,まったく放送もされず,メディア化もされておらず,今は見ることができません。とても残念です。

 特急「南紀」は熊野市駅を過ぎ,次は新宮駅です。このあたりは,ずっと海岸線に沿って進むので,すばらしい景色が続きます。新宮駅の手前で大きな川を渡ります。この川が熊野川です。熊野川の上流に「名勝・瀞峡」がある,という車内放送がありました。「名勝・瀞峡」は昨年2022年の夏に行ったところで,この車内放送で,そのときのことを鮮明に思い出しました。こうして旅をしていると,さまざまな想いがつながっていって,気分が盛り上がっていきます。旅は最高です!
 こうして,特急「南紀」での4時間はあっという間に過ぎ,やがて,終点の那智勝浦駅に到着しました。

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 念願だった紀伊半島1周の旅は,2023年12月7日から12月9日まで2泊3日でした。11月は旅のシーズンということでそれを避けて12月の初旬にしたのですが,心配だったのは天気だけでした。しかし,心配無用,3日とも快晴,しかも,初秋のような温かな日々でした。また,今回も,天候の他にも多くの幸運がありました。
 名古屋駅に着いたのは午前7時ごろでした。私が乗るのは午前8時2分発の特急「南紀」1号なので,まだ時間がありました。カフェでコーヒーでも,と思って探していたら,「Cafe Gentiane」と書かれた店を見つけました。店は空いていて,すぐに席に案内されました。
 メニューを見て驚きました。この店では「ぴよりん」を食べることができたのです。
 私は地元にいながら,今流行の「ぴよりん」を食べたことがなく,一度は食べたいものだとずっと思っていたのですが,私が知っている店はいつも行列ができていて,望みをかなえることができませんでした。それが,こんなふうに,期せずして実現するとは…。何という幸運なのでしょう。
  ・・・・・・
 「ぴよりん」は,愛知県の地元食材「名古屋コーチン」の卵を使ったプリンをバニラの香り豊かなババロアで包み込み,粉末状にしたスポンジをまとわせて,ふんわり「ひよこ」の形に飾りつけた生スイーツです。愛情たっぷり作るぴよりんは,ひとつずつ表情が異なってとってもキュート。ほんのり⽢くてなめらかなくちどけが特徴です。
 「ぴよりん」がブレイクしたきっかけは,藤井聡太八冠が,2021年当時,愛知県内の対局で「ぴよりん」をおやつとして食べたことです。そこから地元メディアがこぞって取材をして,全国区となったのですが,大変繊細で柔らかくて崩れやすいスイーツのために,搬送できないのです。
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 「Cafe Gentiane」。この店の名前は「ぴよりんステーション カフェ・ジャンシアーヌ」ということを後で知りました。そして,通常は,やはり,待ち時間が結構あるようで,私が待つこともなく入ることができたのは,朝7時という開店したばかりの早い時間だったから,ということがわかりました。
 お昼は列車の中で済まそうと,駅弁を買うことにしていたのですが,そこで見つけたのが新発売の「ぴよりん」弁当だったので,早々に購入しました。

 特急「南紀」1号に乗る時間が来たので,ホームに向かいました。
 私は「鉄ちゃん」ではないのですが,JRを利用して旅をするようになると,この国の複雑怪奇な鉄道を乗りこなすには,嫌でも詳しくなってきます。そして,詳しくなるにつれて,この列車に乗ってみたい,とかいう願望が湧いてくるので,まんまとJRの手口にはまってしまうわけです。
  ・・・・・・
 「南紀」は,JR東海,伊勢鉄道,JR西日本が,名古屋駅,新宮駅,紀伊勝浦駅間を,関西本線,伊勢線,紀勢本線経由で運行する特別急行列車です。
 1978年に紀勢本線の和歌山駅と新宮駅間の電化が完成したことで,従来,天王寺駅と名古屋駅間を紀勢本線経由で運転していた旧「くろしお」の運転区間を電化区間と非電化区間で分割することになり,旧「くろしお」の三重県内の運転は廃止され,名古屋駅と紀伊勝浦駅間に特急「南紀」を新設しました。
 1日に,名古屋駅と紀伊勝浦駅間に3往復,名古屋駅と新宮駅間に1往復の合計4往復が運転されています。停車駅は,名古屋駅,桑名駅,四日市駅,鈴鹿駅,津駅,松阪駅,多気駅,三瀬谷駅,紀伊長島駅,尾鷲駅,熊野市駅,新宮駅,紀伊勝浦駅です。
 2023年7月からはHC85系気動車が導入され,普通車のみの2両編成でそのうち1両が自由席となっています。HC85系気動車というのは,ハイブリッド式特急形気動車のことで,最高速度が時速120キロメートルと速くなり,また,曲線通過性能が向上したことで,スピードアップが実施されて,名古屋駅と那智勝浦駅を約4時間で結んでいます。
  ・・・・・・

 列車はガラガラでした。
 そもそも,三重県は近鉄全盛であって,JRの入り込むる余地がありません。「南紀」が走っているだけでもありがたいことです。私は,空いている,というだけでも非常に快適でしたが,それに加えて,天気もよく,思いがけず「ぴよりん」も食べられて,すばらしい旅のはじまりとなりました。
 午前11時過ぎ,いよいよ「ぴよりん」弁当の時間です。「ぴよりん」を形作っていたのが玉子焼きで,これはオムライスになっていました。

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 数年前までは,何があって,どうやって行けばいいのやらまったくわからなかった紀伊半島でしたが,車で何度か出かけて,今は,身近なところとなりました。しかし,それでも,私には,紀伊半島にもう一度行きたいという気持ちがずっとありました。
 その理由は,車で,紀伊半島を海岸沿いに走っていたときに見かけた列車に乗ってみたい,ということと,白浜にある「アドベンチャーワールド」に行ってみたいということでした。

 はじめに紀伊半島に行ったころは,日本の国内を列車で旅行する気はほとんどありませんでした。車のほうが便利だし,安価だった,というのがその理由でした。また,東北地方や四国地方,九州地方などの遠いところはFDAが飛んでいるので,FDAを利用して出かけて,現地でレンタカーを借りるという旅をしてきました。
 紀伊半島では,白浜に泊ったことがあるのですが,「アドベンチャーワールド」なんてまったく興味がなかったので,行くことはありませんでした。

 その後,ジパング倶楽部に入会したことで,列車の旅の魅力を覚えました。また,前回行かなかった「アドベンチャーワールド」が思っていたよりずっと魅力的なところだと知りました。そんなわけで,紀伊半島を列車で旅をして,途中,白浜で1泊して,「アドベンチャーワールド」に寄る,という旅をすることにしました。
 列車は名古屋市内から名古屋市内の片道だ,と思ってJRの窓口に出かけたのですが,その通りに切符を発券してもらえて,その知識は正解でした。私も,次第に「鉄ちゃん」になりつつあるようです。こうして,また,新たに興味が増えてきました。困ったものです。本当に,これまで散々海外旅行をして,旅慣れておいてよかったと思うこのごろです。
 国内旅行の最大の問題は,天候です。とにかく,天気が悪ければ,すべてが台なしですが,これは,自分の運を信じることにしましょう。

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 「岡山の反射望遠鏡」というのも,子供のころの私には憧れの望遠鏡でした。
 国立天文台の岡山天体物理観測所は,岡山県浅口市と岡山県小田郡矢掛町にまたがる竹林山山頂付近にあります。1960年(昭和35年)に「東京大学附属東京天文台岡山天体物理観測所」として開所し,2018年(平成30年)に観測プロジェクトが終了しました。
 現在は,国立天文台ハワイ観測所岡山分室によって管理されていて,共同研究グループによって機器の保全及び利用がなされています。

 標高372メートルの竹林寺山頂に位置しているこの場所は晴天率が高く,また,気流が安定していて,光・赤外観測にはうってつけの場所であったというのが設営された理由でした。また,標高が低いために山頂への道路等も既に整備されていたために運搬や調整などにおいて支障をきたさない点が評価されたといいます。
 私は,こんな都会に近いところに作ったらすぐに空が明るくなってしまうのに,と思ったものですが,実際行ってみると,思ったよりも山奥でした。そして,この山頂は,実際,不思議なくらい雲が切れて晴天率が高いのです。
 しかし,それでも,今は空も明るくなって,標高が高くないのは,利点というよりも,今となってはそれはデメリットでしかないようです。
  ・・
●口径188センチメートル反射望遠鏡
 主砲はイギリスのグラブパーソンズ社製の口径188センチメートル反射望遠鏡で,クーデ焦点に置かれた高分散エシェル分光器 (HIDES=HIgh Dispersion Echelle Spectrograph) を使った恒星の分光観測が精力的に行われたそうです。
 今はどうか知りませんが,私が行ったときには,ガラス越しに望遠鏡の姿をみることができました。
  ・・
●口径91センチメートル反射望遠鏡
 口径91センチメートル反射式望遠鏡は日本光学工業(現在のニコン)製の国産1号機となる大型反射式天体望遠鏡でした。
 私は一度でいいからその姿を見たかったのですが,こちらは見学ができません。

 こうした施設が作られたころは,今とは違って海外に観測施設を作るなどというのは夢のことだったので,日本国内でなんとかと工夫を凝らしたのですが,結局,日本国内で満足に天体観測ができるような場所はほとんどなかったと思われます。
 そしてまた,今となっては,ここに設置されたような望遠鏡は古く,最新の観測には役に立たなくなってしまいました。
 現在は,この地に,民間からの資金援助により,京都大学大学院理学研究科宇宙物理学教室・附属天文台,名古屋大学大学院理学研究科光赤外線天文学研究室,国立天文台岡山天体物理観測所,および,ナノオプトニクス研究所との連携研究により,国内最大の3.8メートルの新技術天体望遠鏡が建設されて,京都大学理学研究科附属天文台が中心となって国内の大学連携により共同運用がされ,突発天体や星形成領域の観測をしているそうです。 


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 「三鷹の東京天文台」と並んで,「京都大学の飛騨天文台」もまた,若いころに,飛騨天文台に口径65センチメートルの屈折望遠鏡が設置されたという写真が「天文年鑑」の表紙を飾ったときに知って,それを見にいきたくなったものです。
 そのころ,というのは,今から50年ほど前のことですが,アマチュアの使う天体望遠鏡は,口径65ミリメートルの屈折赤道儀というのがポピュラーでした。その10倍の口径の,同じような形の巨大な屈折望遠鏡が存在するということに当時の私は興味をもったわけです。

 飛騨天文台は,京都大学大学院理学研究科附属です。高山市の大雨見山の山上にあります。
 それまで,京都大学の観測拠点は,京都市の花山天文台や生駒山太陽観測所だったのですが,京都市の近代化に伴って精密観測が困難になってきたために,1968年(昭和43年)に移設されたものです。
  ・・
●65センチメートル屈折望遠鏡
 65センチメートル屈折望遠鏡は,1972年(昭和47年)に完成しました。
 飛騨天文台の安定した空気層環境で,長焦点を利用して惑星や彗星の核など,太陽系天体の精密を要する目的で設置されたということです。
  ・・
●ドームレス太陽望遠鏡
 ドームレス太陽望遠鏡は太陽研究のための望遠鏡で,口径60センチメートルのドームレス・クーデ式太陽専用望遠鏡として,カールツァイスによって製造されました。国内では屈指の大きさの太陽像を得ることができるものです。
 太陽はその表面で起こる様々な高エネルギー爆発現象の物理構造を詳細に解析できる唯一の天体で,宇宙の天体活動を理解する基盤となります。
 1979年(昭和54年)に完成したドームレス太陽望遠鏡は,地上観測で望み得る最高の空間分解能が得られるように設計されていて,高分解単色太陽像の撮影などを通して太陽活動現象のメカニズムを解明すると共に,宇宙電磁プラズマ現象の謎に迫ろうとしています。

 飛騨天文台は国立公園内にあります。一般には公開されていないのですが,見学会が行われていて,2010年(平成22年),私もそれに参加して,待望の望遠鏡を見ることができました。
 いろいろと解説してもらったうちで,この天文台が太陽観測に力をいれていることがわかったのですが,それまでは,太陽なんてまったく興味がなかったので,知識もありませんでした。説明を聞いて,太陽もおもしろいものだということを知りました。
 しかし,見学会では,65センチメートルの屈折望遠鏡の実物は見られましたが,その時点で,その望遠鏡がどのように使われているのかは説明もなく,よくわかりませんでした。実際のところ,今の時代,こうした旧世代の望遠鏡の活躍する場は限られている,というか,全くないように思いました。
 この国では,昔から東京大学と京都大学はライバル関係にあって,その内情は私にはよくわからないし,それを書くことが目的ではないから深入りしませんが,現在,東京大学の天文台は国立天文台として広く研究が行われているのに対して,飛騨天文台などは京都大学の付属施設として研究が行われているわけで,その関係が私にはよくわかりません。


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 以前,諸外国の天文台について書きました。今日からは,日本の天文台についてです。まずは,三鷹市にある国立天文台です。

 私にとって,三鷹という地名は東京天文台と同等でした。
 子供のころに見た図鑑に載っていたのは,「三鷹の東京天文台」にある(あった)大きな屈折望遠鏡と電波望遠鏡でした。子供のころの憧れというのはずっと先まで大きな影響力を与えるものです。そこにいつかは行って,実物を見てみたいものだと念願していました。
 あれから機構が改革され,東京天文台は,国立天文台となりました。そして,星が満足に見えない三鷹に,現在あるのは,日本の天文学のナショナルセンターです。かつての私の憧れの機材は,今は文化財となりましたが,私は,研究用の現役機材よりも,こちらのほうに興味があるのです。

 三鷹というところにはじめて行ったときは,落ち着いた町だなあ,という印象でした。天文台はJRの三鷹駅からはずいぶんの距離がありましたが,歩いていると,天文台のあたりは,東京外国語大学,国際基督教大学,深大寺,植物園などがあって,すばらしいところでした。
 日本において,天文台は1878年(明治11年)に本郷で東京大学観象台としてはじまり,1888年(明治21年)には東京大学東京天文台として港区麻布板倉に移されました。現在の三鷹大沢への移転は1914年(大正3年)から1924年(大正13年)にかけて行われ,その後,1988年(昭和63年)に文部省所管の「国立天文台」と改められ,国際協力事業の積極的な推進をめざし,さらに国立大学の共同利用機関として位置づけられ現在に至っています。
 今では,研究用の観測基地は世界中に広がり,三鷹はそのセンター的な役割を担っています。

 大正,昭和に建設された施設のうち現存のものは,文化財として,常時,または,期日を決めて公開されていて,見学することができます。
  ・・
●第一赤道儀室
 1927年(昭和2年)に設置されたカール・ツァイス社製の口径20センチメートル,焦点距離359センチメートルの赤道儀は,速度調整機構付重錘式時計駆動といって重力により赤道儀内の錘が下に下がることを利用して天体を追尾するものです。
 この望遠鏡では,天気がいいと黒点を見せてもらえます。私も何度も見ることができました。
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●大赤道儀室
 私の憧れだったのが,1929年(昭和4年)に設置された有名なカール・ツァイス社製の口径65センチメートル,焦点距離1,021センチメートルの屈折望遠鏡です。この望遠鏡が大赤道儀室にあります。
 現役時代は,ドームの床全体がエレベータ式で昇降するつくりだったそうですが,退役後は固定されていて,もはや,星を見ることはできません。2001年(平成13年)に「天文台歴史館」となりました。
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●太陽塔望遠鏡
 1930年(昭和5年)に建設された地上5階、地下1階建ての建物で,ドイツのベルリンにある「アインシュタイン塔」と同じ目的で建造されたため「アインシュタイン塔」といわれます。
 一般相対性理論から予見される重力効果を観測する目的で作られたのですが,重力効果を観測することはできませんでした。しかし,太陽黒点観測や太陽スペクトル観測などに成果を挙げ,1968年(昭和43年)に研究観測を終了しました。
 通常は公開されていないので残念だったのですが,幸運なことに,私は2018年(平成30年)の特別公開で内部を見ることができました。
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●太陽電波望遠鏡
 先に書いたように,私が子供のころに見た図鑑に載っていた電波望遠鏡ですが,現在は存在しません。その跡地に案内板だけが設置されています。
 一度,見たかったものです。


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 お金が無尽蔵にあるような「本物の富裕層」はともかく,私のような「インチキ富裕層」は,浪費をすればたちどころに貯えは底をついてしまいます。そこで考えるのは「コストパフォーマンス」です。
 男の道楽というのは限がありません。趣味として,単に鳥を撮るという楽しみのために,百万円以上もするような望遠レンズを買ったりする人もいれば,百万円の10倍もするような高級車を購入したりする人もいるわけです。
 人それぞれ楽しみが異なるので,その人が納得の上で浪費をすることは自由であって,他人がとやかくいうこともないのですが,私のように,やりたいことが次から次へと湯水のように出てくると,真剣に「コストパフォーマンス」を考慮する必要が出てきます。「コストパフォーマンス」というのは,百万円の望遠レンズを買うのと,そのお金で10回旅行をするのと,どちらが自分には快適なのか,というようなことです。

 実は,この3年間,私は「あること」のために,使う上限を決めた上で無駄遣いをしました。その目的は,そうした無駄遣いをすることで,自分の金銭感覚を確かめてみたかったということですが,その結果,いろいろなことを悟りました。だから,結果的にそれは駄遣いにはならかなったわけです。また,そうしたことによって,自分なりの「コストパフォーマンス」がわかるようになってきました。
 自分なりの「コストパフォーマンス」は,たとえば,旅に出たとき,何にお金を使うか,ということです。
 旅というのは,家を出てから戻るまでがすべて快適でなくてはいけない,と私としては思うわけです。だから,お金を節約して,混雑する車内で不快感を味わいながら何時間も移動する,などということは,なるべく避けたいのです。また,その反対に,高級旅館に泊まって大広間でバイキング形式の朝食をとる,などというのも,いくら食材が高級であっても,私には楽しくはないのです。
 そこで,私は,往復の列車はグリーン車を利用し空いた車内で快適に過ごしつつも,泊るのは,安価であっても,小さな旅館,できれば,お客さんが私ひとり,どいうほうが好ましいのです。だから,そのようなお金の使い方をするわけです。

 このように,ひとそれぞれ価値感や趣向が異なり,それに基づいてお金の使い方が異なるわけだから,何をもって贅沢か,というのは,一概にはいえないことになります。
 それよりも,最も大切なのは,どうお金を使うことが自分にふさわしいか,ということを知っているかどうか,ということなのでしょう。よく,無駄遣いをしないように,といわれますが,小さいころより,無駄遣いをしないように,というよりも,自分としてのお金の使い方を知ることのほうが大切に思います。


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 歳をとって,私のように,何の不安も不満もなく,好きなことをして生きていると,50歳を過ぎても,まだ,責任を背負って生きている人を気の毒に思ってしまいます。

 宇宙が創成して13,800,000,000年,地球が生まれて4,600,000,000年であり,その長い時間の中で,人類が文化をもってからはわずか3,000年です。それは,恐竜が地球上に繁栄していた150,000,000年のわずか50,000分の1でしかありません。
 そして,人の一生はたかだか80年。
 しかも,地球上の7,900,000,000人もいる人類の中のほんの数人の,まさに悪性の腫瘍のような人物の傍若無人な行いで,もう間もなく人類は滅ぼうとしています。
 しかし,人類が滅んでも地球は残ります。そして,再び,新たな人類が出現するかもしれません。もしそうなったとき,地球の歴史の中で,今の人類というものが存在したのは,そのわずか100,000分の1の一瞬の出来事だったことになるかもしれません。

 少し話題が逸れますが,地球以外の天体に知的生物がいるかもしれないと,天文学者が探していますが,もし,そういった天体があったとしても,その天体に知的生物が存在しうる期間は,その天体の長い歴史の中のわずかな期間に過ぎないわけで,そのわずか期間に遭遇する確率ははるかに小さいのではないか,と私は思います。
 その反対に,地球以外の知的生物がいて,知的生物を探しに地球にたどりついたことがあったとしても,地球上に人類が存在している(た)期間はほんのわずかなものだから,その時に人類と遭遇する(した)可能性なんてほどんどないのです。

 話を戻します。
 そんな小さな小さな存在でしかない人類。
 その中で,個人個人は,自分の意思とは無関係に生まれてしまったわけですが,生まれてしまった以上,自分が生きる目的やら意義を,何とか理屈をつけて,でないと,むなしいだけだから,生きてるわけです。ただそれだけのことです。
 だから,人に勝とうだとか,人の上に立ちたいだとか,高級な車に乗りたいだとか,大きな家に住みたいだとか,そんなものは所詮ははかないだけなのに,人は,生まれたときに,そうした「欲望」の「膿」をもつように,創造主は造ったのでしょう。そうした「膿」をたくさんもっているかどうか,それが,その人の人生をどれだけむなしいものにしているかどうかを決定づけているのです。
 宗教ではこれを「業」といいます。


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 津軽といって思い出すのは,ストーブ列車で,よくテレビの旅番組で出てきます。一面の雪原を列車が走り,車内にはストーブがあって,スルメを焼いているのです。それを見て,私は,乗ってみたいと思ったり,こんな寒いところは御免だと思ったり,あるいは,おそらく日本のことだから,ものすごい団体ツアー客でごった返しているのだろう,と思ったりと,複雑な気持ちになるのです。
 ともかく,そんなイメージしかなくて,具体的にそれがどこをどう走っているのか,私はさっぱり知りませんでした。そもそも津軽鉄道というのだから津軽半島に違いなのですが,私は大いに誤解をしていて,岩木山あたりの大平原を想像していました。そして,そんなだだっ広いところをどうやって旅するのだろう? などとと思っていたわけです。情けない話です。

 今年2023年の春に青森県に行ってみると,そんなわけがなく,岩木山あたりなんて大平原どころか山岳地帯だから,冬になっても大雪原なんかになるわけもなく,実際は,五所川原市から北に延びる平野のことだったのです。これなら簡単に旅できるわい,と思いました。ただし,極寒の地。真冬に旅ができるかといえば,正直,よくわかりません。青森市まで行ってしまえばあとはどうにでもなる気がしないでもないのですが…。
 それにしても,私はこれまで,氷点下30度の冬のフィンランドへオーロラを見にいったり,真冬の北海道・大雪山へスキーに行ったりしているのに,どうしてこうも青森県の冬に怖気づいているのでしょう? こんなの,行ってしまえば何とかなる… ような気がしないでもありません。思い切って,来年の2月にでもいってみようか,などと,考えたりもしていました。

 さて,そんな津軽半島ですが,何かがある,といえばあるし,何もない,といえば何もないわけで,果たして津軽鉄道に乗って終点の津軽中里までいったところで,その先,龍飛岬までどうやって行くの? とも思うし,未だ??? という感じがしていました。
 本当に,日本の旅というのは,行ってみない限り,読めません。
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 「小泊行きのバスは,一日に一回とか聞いてゐましたけど,」とけいちやんは立つて,台所に貼りつけられてある時間表を調べ,「あしたの一番の汽車でここをお立ちにならないと,中里からのバスに間に合ひませんよ。大事な日に,朝寝坊をなさらないやうに。」ご自分の大事な日をまるで忘れてゐるみたいであつた。
 一番の八時の汽車で五所川原を立つて,津軽鉄道を北上し,金木を素通りして,津軽鉄道の終点の中里に九時に着いて,それから小泊行きのバスに乗つて約二時間。あすのお昼頃までには小泊へ着けるといふ見込みがついた。日が暮れて,けいちやんがやつとお家へ帰つたのと入違ひに,先生(お医者さんの養子を,私たちは昔から固有名詞みたいに,さう呼んでゐた)が病院を引上げて来られ,それからお酒を飲んで,私は何だかたわいない話ばかりして夜を更かした。
    太宰治「津軽」
  ・・・・・・
 太宰治,いいなあ。

キャプチャ 津軽


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 2023年は夏が異常で,特に,7月から9月は地獄でした。もう秋は来ないのか,と思っていた10月になって,突然涼しくなりました。しかし,あっという間にそんな季節も過ぎ去って,今は12月,師走です。10月,11月は天候にも恵まれて,すがすがしい日々を過ごすことができました。紅葉もまた,思う存分楽しむことができました。
 あれだけ夏が暑いと,少しばかり寒くても感謝です。酷暑の3か月は二度と御免です。来年もそうだとすれば,何か策を考えなければいけません。

 ということですが,食欲のない暑い夏に,唯一,あれだけ食べたかったウナギですが,涼しくなると,まったくその気がなくなるのが不思議なところです。それに対して,食欲の秋,といいますが,秋から寒くなってきた初冬の季節は食がすすみます。豊かな日常を過ごすには,何といっても,おいしいものを食べるに限ります。
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 私が最も好むのは,味噌煮込みうどんです。私の住む地方では,他県から来る人は「名古屋めし」とかいって,みそかつ,手羽先,ひつまぶしなどを真っ先にあげますが,地元に住む私たちには,何といっても,味噌煮込みうどんです。世の中にこれ以上おいしいものはないのではないか,とさえ思います。
 味噌煮込みうどんは,味噌仕立ての汁でうどんを煮込んだもので,蒲鉾やネギ,シイタケなどの具材がたっぷりと入っています。味噌仕立ての煮込みうどんは各地にあるそうですが,豆味噌仕立ての愛知県のものが特に有名です。かしわや玉子を入れることも多く,かしわとして,名古屋コーチンを使うのが高級品です。
 戦国時代,武田信玄の陣中食であったほうとうが,のちに徳川家に召し抱えられた武田家遺臣によって伝えられたとか,明治時代に一宮市周辺で繊維産業に従事していた女性従業員たちがほうとうを参考にして豆味噌で煮込みを食していたものが伝わったというように,その起源はほうとうにあるようです。
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 また,次に私が好きなのは,菜めし田楽です。こちらは豊橋市の名物です。
 菜めし田楽は,米の飯に大根葉を乾燥させ炊き込んだものと味噌田楽を合わせた料理です。江戸時代初期,尾形乾山の道中記に,現在の豊橋市である吉田宿の隣にある現在の豊川市の御油宿で,菜めし田楽を名物として看板に掲げる店に入ったという記述があるそうで,渥美半島産の大根や三河国産の八丁味噌を用いた菜めし田楽が発祥ではないかということです。
 豊橋市にある文政年間創業の「菜飯田楽・きく宗」が老舗ですが,豊橋の菜めし田楽が有名になったのは明治時代以降ということです。
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 この地方のものではないのですが,スープカレーも好きです。体が温まります。
 スープカレーは,スパイスの香り,刺激,辛みのきいたスープと大振りの具が特徴であるカレー料理です。札幌市に開店した喫茶店「アジャンタ」が1975年ごろに発売した「薬膳カリィ」が原型といわれているそうで,その後,30年ほどをかけて札幌市内を中心に発展し,1990年代から2000年代に大ブームを引き起こしました。また,自分の店のカレーを「スープカレー」と命名したのは札幌市白石に開店した「マジックスパイス」で,これらが「スープカレー第1世代」。そして,第1世代の店に影響を受けて開業した「スープカレー第2世代」の店によって,スープカレーは一般に浸透したといいます。
 私の住む地方では,まだ,提供する店が少なく,食べる機会がなかなかないのが残念です。

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 一度行ってとても気に入った山形県ですが,あれ以来,まだリピートできていません。ほかにも行っていないところがたくさんあって,後回しになってしまっているからです。
 前回行ったとき,酒田市あたりまで足をのばすことができなかったので,次は行ってみたいと思っていました。また,出羽三山のうち,行くことができたのは羽黒山だけだったので,今度は雪のない時期に月山と湯殿山にも行きたいと思い続けているうちに,再び冬になってしまいました。
 私は,アメリカ50州に劣らず,日本のすべての都道府県にも一応は行ったのですが,その中で,もっとも印象の薄いのが秋田県です。秋田県は,田沢湖と角館しか行ったことがありません。山形県や青森県にもあまりなじみがなかったころ,行ったところで何があるの? と思っていたのと同様に,秋田県でも,きっと,今は,何があるの? と思っていても,何か惹かれるところがあるのだと思います。しかし,県営名古屋空港からは秋田空港までの直行便がありません。ではどうするか? と考えてみました。

 調べてみたら,FDAでおいしい山形空港まで行けば,秋田市まで,車でわずか2時間40分程度ではないですか。こりゃいいや,と思いました。これなら,再び行きたいと思っていた山形県も,これまで印象の薄かった秋田県も,ともに観光することができるではないですか。
 そんなわけで,秋田県に行くには,このコースがいいという結論になったわけです。
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 まず,山形県ですが,前回行くまでは全くの無知で,行きたかったのは天童市だけだった,というありさまだったのですが,実際は魅力がいっぱいで,ずいぶんいろいろなところに行くことができました。また,山形県には多くの有名な温泉があることを知らず,中でも,もっとも人気がある銀山温泉すら私の眼中にはありませんでした。また,上山市にある斎藤茂吉記念館は,前回行ったときはちょうど閉館日だったので,今度こそは行ってみたいのです。
 秋田県は,なぜか名前だけがずっと気になっているのが由利本庄市です。よくテレビ番組の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」で出て来る地名だから,というだけの理由です。さらに調べてみると,秋田県の観光地は,すでに行ったことがある田沢湖と角館くらいのもので,特にほかにみつからないのです。しいていえば,乳頭温泉,男鹿半島などかな。いや,きっと行けば,もっとあるはずです。

 ということだったのですが,実は実は,このことについて,私自身にも意外と思える展開がまっているのです。そのことは,いずれまた。

秋田


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 ある日友人が,五島列島へ行ってきたというので,このところ,離島に行くことがマイブームとなってきた私は関心をもちました。それまで,五島列島は,興味がなかったし,よく知りませんでした。それに,遠いし,ずいぶんたくさんの島々があるようなので,どこをどのように観光するのか,皆目見当がつきませんでした。
 すでに書いた尾瀬,黒部峡谷同様に,本の助けがないと,まったく把握ができないので,普段は本には頼らないのですが,今回は特別に「地球の歩き方JAPAN・島旅」の「五島列島」編を購入しました。そして,読んでいたら,次第に興味が湧いてきました。1年中,いつ行っても楽しい,というのも魅力でした。なかなか冬に行くことができるところがないのです。
 とてもよさそうで,こりゃハワイより楽しいかも,と思うようになってきました。

 五島列島へのアクセスは,飛行機でも行くことができるようですが,調べてみると,運賃が異常に高いのです。そこで,船,ということになるのですが,船は,長崎港や佐世保港,さらには,博多港から出ているようです。その中で,博多港からフェリーで行くには,かなり時間がかかるのですが,夜乗って,個室で寝ていれば着く,と書いてあったので,これがよさそうと,このルートに惹かれました。
 ということで,博多港から行くには,先日,壱岐島と柳川市へ行ったときのように,まず,県営名古屋空港から福岡空港までFDAで行ってから博多港へ出て,フェリーに乗る,という方法をとるのがいいと思いました。
 現地に着いたら,たっぷり時間をとって,最も南の福江島から北に向かって,船を使って,いくつかの島を順に観光する,というのが楽しそうです。そして,帰りは,もっとも北の宇久島から,博多港へ行くか,それとも,佐世保港や長崎港へ行って,そこで観光をする,という方法があります。あとは,日程次第です。

 狭い日本とはいえ,まだまだ,いろいろな場所があるものです。
 それにしても,離島へ行くのは,どの島もけっこう面倒であり,工夫が必要です。それを調べるのが楽しいともいえますが。

五藤列島


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