2024年4月16日。今回の旅も最終日となりました。
せっかく青森駅前の東横インに宿泊したのに,結局,青森市周辺には行きたいところもなく,最終日もまた,弘前市に行くことにしました。というのも,前日,りんごを食べながら話をしている途中で,弘前市に太宰治が下宿していた家が保存され公開されているという話を聞いて,ぜひ行ってみたいと思ったからでした。
ということで,東横インで朝食を済ませ,チェックアウトをして,青森駅に向かいました。私が乗ったのは,午前7時4分秋田駅行きで,弘前駅到着は午前7時50分でした。
この日の予定は,弘前駅から徒歩で,弘前東照宮,熊野奥照神社,弘前八幡宮と北上して,そこで引き返し,最勝院(さいしょういん),そして最後に,太宰治が下宿をしていたという旧藤田家住宅に行くことでした。これまで2度弘前市に来たのですが,すべて,行ったことがないところでした。
弘前駅から西に歩いていくと,まず,目についたのが旧青森銀行津軽支店の建物でした。
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1880年(明治13年)の弘前大火を教訓に1883年(明治16年)宮本甚兵衛が防火建築として設計した角三呉服店は,当時の洋風建築の要素を取り入れたものでした。
1917年(大正6年)に津軽銀行に譲渡されたとき,玄関前には洋風柱と印象的な棟飾りのポーチ,内部にはカウンターなどが設けられ,近代銀行建築に改装されました。1943年(昭和18年)からは青森銀行津軽支店として,1998年(平成10年)まで活用されてきました。
弘前市で現存する近代洋風建築の中では最古の建物とされていて,現在は「弘前市立百石町展示館」として一般公開されています。
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まだ朝早く,中に入ることはできませんでしたが,外観を見ることができました。
そこから北に向かって,弘前東照宮を目指して歩きました。
GoogleMapsが示す場所に到着したのですが,そこには薬王院という立派な寺があるだけで,それらしきものがありませんでした。歩きまわっていると,薬王院の裏手に空き地があって,そこに本殿だけが存在していました。
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弘前天満宮は,弘前藩2代藩主・津軽信枚が南光坊天海を通じて幕府に日光東照宮から東照大権現の神霊を迎えることを願い出て,1617年(元和3年)に,弘前城天守の傍らに東照大権現を勧請したのがはじまりです。
1624年(寛永元年)に現在地に遷座し,社殿を造営,薬王院が管掌することとなりました。
明治期に住民の希望で神仏判然令により薬王院と分離しつつ復興されました。
平成に,境内で運営していた結婚式場への過大投資が原因で経営難に陥り,宗教活動を停止し,本殿も売却されることになりましたが,2015年(平成27年)弘前市が収得し,祭神は黒石市にある黒石神社へ移されました。
本殿は創祀当時の建物で,素木造である上に彫刻や金具をほとんど用いない簡素な造りとなっています。
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といった経緯があって,現在は,本殿であった建物だけが囲いに覆われて存在していました。
北に歩いていって,熊野奥照神社に到着しました。
地図ではかなり遠そうだったので,行くことができるか不安だったのですが,それほどの距離ではありませんでした。
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熊野奥照神社は,紀元前85年,阿部比羅夫が秋田・能代の蝦夷を討ち津軽に所領を定めた際に,熊野三所大権現を奉ったのが最初といわれます。
津軽藩祖津軽為信が社殿を修復し,現在の本殿は2代目藩主津軽信牧の再建による,弘前最古の建造物です。
1880年(明治13年)に阿部比羅夫,坂上田村麻呂を合祀したことで,熊野奥照神社となりました。
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一見,単なる神社ですが,こんな歴史があるのだと思いました。
熊野奥照神社からさらに北に進むと,大きな鳥居があって,その向こうに社殿が見えたのが弘前八幡宮でした。
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弘前八幡宮は,津軽総鎮守,弘前総鎮守,弘前城鬼門守護の社です。
古来「弓矢八幡」武神として武家信仰の中核で,津軽地域の「一代様信仰」として,戌(いぬ)年,亥(いのしし)年生まれの守護神と崇敬されています。
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ということでした。
従来の本殿は裏手にあって,見るには許可が必要とありました。許可を取るのは簡単そうでしたが,それほど興味があったわけでもなし,面倒になってやめました。
そこで引き返し,ずいぶん南まで歩いていって,最勝院に着きました。
遠くからでも目につく五重塔が満開の桜と調和してきれいでした。弘前市の見どころは弘前城だけではありません。
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市民から「五重塔の寺」として親しまれている最勝院は,真言宗智山派の寺院で,山号は金剛山,寺号は光明寺。
1532年(天文元年年)常陸出身の弘信が現在の弘前市堀越に堂宇を建立したことにはじまります。
2代藩主津軽信枚が弘前城を築城したことにともない,城の鬼門に寺院を移転し,弘前八幡宮の別当寺(寺社をかんりするための寺)とされました。
明治時代の神仏分離令で,最勝院以外は廃寺となり,最勝院は廃寺となった寺院の檀家を引き受けて現在地に寺籍を移転しました。
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最勝院は大きな寺で,伽藍は,本堂,仁王門,五重塔,如意輪観音堂,五智如来堂,護摩堂,聖徳太子堂,薬師堂,庚申堂,鐘楼がありました。本堂は1970年の再建で,本尊は大日如来です。
五重塔は,1667年(寛文7年)に完成した日本最北端のものということです。
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弘前市にこれほど立派な寺があるのに驚きました。
まだ梅が咲いていて,梅と桜のそろい踏みが見られました。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは