しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

June 2024

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 私が長島ダム駅で下車したのは,午前12時2分でした。ここから次のアプトいちしろ駅まで〈-長島ダム周辺-アドベンチャーウォーク〉に従って歩いたのですが,アプトいちしろ駅に着いたのは,午前12時40分ごろでした。よく歩く1日です。
 次の列車は午後1時31分だったので,50分程度の待ち時間がありました。この列車に乗れば,千頭駅到着が午後2時13分。千頭駅に車を停めてあるので,午後5時には帰宅できそうです。
 アプトいちしろ駅には自動販売機があっただけで,あとは何もありませんでした。近くの食堂は2キロメートル以上先なので,ここでも昼食を食べ損ねました。千頭駅周辺には食堂があるのですが,帰りを急いだので,結局,この日,私は千頭駅から車で帰る途中にあったコンビニでパンを買って遅い昼食にしたのでした。
 話を戻しまして…。
 アプトいちしろ駅は大井川に接していて,ここには,長さ107メートル,高さ11メートルの市代吊橋がかかっています。この橋は渡れたのですが,私は通行禁止と勘違いをして渡りませんでした。残念なことをしました。市代吊橋は,もともとは木材を運ぶ鉄道用に建設されたもので,これもまた鉄筋で,まったく怖いものではありません。

 自動販売機で買った缶コーヒーを飲みながらアプトいちしろ駅のホームでボーッとしていると,まだ午後1時31分が来るには早い時刻なのに,列車の来る音が聞こえてきました。それは,アプト式ラックレール対応補機を先頭にした貨物列車でした。大井川鐡道井川線は,今も貨物列車が走っていることを知りました。列車はアプトいちしろ駅で停車して,アプト式ラックレール対応補機の切り離しをしました。切り離すのを私ひとりが見学できるなんて,ここまで歩いてきた甲斐があったというものです。
 切り離されたアプト式ラックレール対応補機は先に進み,貨物列車の進路を作るために別のレールに退避しました。そして,貨物列車は千頭駅に向かって走っていきました。しばらしくして,アプト式ラックレール対応補機がもとのレールに戻り,再び,長島ダム駅に向かって走っていきました。どうやら,この区間はこの1台きりのアプト式ラックレール対応補機が列車を接続しては行ったり来たりしているようです。
 しばらくすると,再び,先ほどのアプト式ラックレール対応補機が,今度は,私の乗る列車を先頭にしてやってきました。アプトいちしろ駅に停車すると,再び,切り離しをしました。私はこの列車に乗り込み,車内で車掌さんから切符を買いました。あとは,千頭駅で降りて,帰宅するだけでした。

 こうして,奥大井湖上駅に行く,という目的を2度目にしてやっと達成することができました。
 まだまだ行くことができなかった場所があるので,次回は,SLに乗るでもなく,大井川鐡道井川線に乗るでもなく,車で来て,見落としたところを巡ってみたいと思っています。それとともに,6月からは,週末にSLの機関車トーマス号が新金谷駅と家山駅の間を走っているので,これにも乗ってみたいものだと思ったことでした。
 これまで,大井川鐡道と町営バスの接続が悪い悪いと書いたのですが,不便であるがゆえに,奥大井は訪れる人も少なく,また,奥が深く,実におもしろいところです。

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 先に,私は,観光案内所でもらった「奥大井の歩き方」というパンフレットにあった〈奥大井湖上駅・接岨峡エリアふらっと秘境ウォーク〉に従って歩きました。このパンフレットには〈-長島ダム周辺-アドベンチャーウォーク〉も乗っていて,これは,長島駅からアプトいちしろ駅までの間,今は使われていない旧線の跡を歩くものです。途中「ミステリートンネル」と名づけられたふたつの真っ暗なトンネルを歩きます。ふたつのトンネルの間は,キャンプ場となっています。
 せっかく来たので,今度は〈-長島ダム周辺-アドベンチャーウォーク〉に従って,歩くことにしました。

 接岨峡温泉駅を午前11時45分に出発した列車は,9分後の午前11時54分に次の奥大井湖上駅に着きました。奥大井湖上駅では,多くの乗客が,列車が来るのを待っていました。ほとんどの人は,私が乗ってきた午前10時29分に奥大井湖上駅に着いた列車で降りて,1時間25分をこのあたりで過ごしたものと思われます。また,乗客が話していることを聞くでもなく聞こえてきたら,私が前回やろうと思っていた,バスで午前11時23分に奥大井湖上駅の展望台にやってきて,奥大井湖上駅に降りて,わずか31分後の午前11時54分発のこの列車に乗り込んだ,という人もいたようです。
 多くの乗客を乗せて,列車は奥大井湖上駅を出発して,次のひらんだ駅を過ぎ,長島ダム駅に到着しました。私はここで下車しました。
 列車は長島ダム駅でアプト式ラックレール対応補機と接続します。登るときも降りるときも,アプト式ラックレール対応補機の力を借りるのです。私は,ホームを出て,かなりの急勾配を下ることになりました。途中で振り返ると,列車が長島ダム駅を出発して,ゆっくりした速度で走りだしました。

 〈-長島ダム周辺-アドベンチャーウォーク〉は,まず,飛沫橋(しぶきばし)を渡ります。長島ダムのたもとにある長さ114メートル,高さ22メートルのこのつり橋は,列車から見たときは,かなりスリルがあるように見えたのですが,鉄筋のしっかりしたものなので,ダムからの放水で飛沫が飛んでくる以外はまったく大したことがなく,がっかりしました。。
 飛沫橋を渡り終えて,そのまま進んでいくと,いよいよひとつめの「ミステリートンネル」になります。中は電灯がなく真っ暗ですが,ときおり,人を察して電気がついて,お化けの人形が光るので,楽しいです。また,トンネルを出たところがキャンプ場なので,キャンプを楽しんでいる親子連れが懐中電灯をつけて反対側から歩いてきたりして,一瞬ゾッとします。
 トンネルを出ると,広いキャンプ場になります。2,3組の人たちがキャンプを楽しんでいました。
 やがて,ふたつめの「ミステリートンネル」になります。今度のトンネルは375メートルと長いものです。先のトンネルと同じく,中は真っ暗で,ときおり,お化け人形が光ります。
 「ミステリートンネル」を出ると,アプトいちしろ駅に到着です。

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 どうにか午前11時45分発の列車に間に合うように,接岨峡温泉駅に着きました。 接岨峡温泉駅は,長島ダムのダム湖の末端付近にある駅で,小さいながらも,駅名のとおり,周辺集落には接岨峡温泉があり,駅に隣接する施設もあります。しかし,わざわざ大井川鐡道井川線に乗ってやってきても,それらを楽しむ方法がありません。よって,かなりさびれています。
  ・・・・・・
 接岨峡温泉駅,もとは,長島ダム湖に沈んだ長島集落から川根長島という駅名でした。民家そのものといったような佇まいの木造駅舎で,右手前の区画が旅客スペース,奥が駅事務室です。入口に道場のような木製縦書きの駅名表示板があります。委託の窓口が営業しています。つまり,無人駅ではありません。ホームは1面2線で,カーポートのような上屋がかかっています。
  ・・・・・・

 私がこの窓口で切符を買おうとしたとき,中に,年配の係の人が暇そうにしていました。のどかなものです。購入した切符は昔懐かしい硬券でしたが,金額が古いままで「運賃変更」というゴム印が押されていて,かなりの年代ものでした。接岨峡温泉駅から長島ダム駅までなんていう切符を買う人はほどんどいないのでしょう。それはそれで,鉄道ファンには貴重なものに違いありません。
 改札口を通ってホームに入り,停まっていた列車に乗り込みました。私以外に乗客はいませんでした。
 私が乗り込んだ列車はこの接岨峡温泉駅が始発でしたが,大井川鐡道井川線は,接岨峡温泉駅から先,さらに,尾盛駅,開蔵駅,そして,終点の井川駅とあって,1日に2本だけ,井川駅まで行きます。尾盛駅は,鉄道でなければたどり着くことができない秘境駅中の秘境駅として知られているそうで,かつて,ここにダム建設の作業員の宿舎や学校なども設けられていたということです。その先に,関の沢橋梁があって,これは,高さ70.8メートルと日本一高いところにある鉄道橋で,観光客へのサービスとして列車は橋の上で停車することもあるそうです。こんなことを知ってしまうと,また来たくなりますが,列車の本数も少なく,また,泊まるところもほとんどないので,どのように観光すればいいのか,思案のしどころです。

 私は,以前,紀伊半島の中央部がどうなっているのだろう? と疑問に思って,そのあたりに何度か行って,すっかり納得したことがあります。紀伊半島の疑問が解けた次に疑問に思ったのが,静岡県の北の先の県境が尖がったところでした。
 大井川鐡道は,この場所の根元まで走っていたのですが,大井川は,さらにその先まで続いていて,道路も通じていて,何と,白樺荘という宿泊施設もあります。白樺荘は南アルプスへ向かう登山者向けの宿泊施設のようです。
 どうやら,その先は一般車は通行止めらしいですが,その先の上流に田代ダムがあり,やがて大井川は源流となります。その場所に,現在,リニア新幹線のトンネルを建設しようとして,議論が起こっています。そんな辺鄙な場所,どうやって工事をするのだろう?
 一般車は通行止めですが,徒歩か自転車ならば,田代ダムへ行くこと可能だそうで,それを実行した興味深いYouTubeがありました。

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 前回書いたように,私は,観光案内所でもらった「奥大井の歩き方」というパンフレットにあった〈奥大井湖上駅・接岨峡エリアふらっと秘境ウォーク〉に従って歩いています。
 レインボーブリッジ展望所で奥大井湖上駅の景観を楽しみ,写真に収めたあと,県道388号線を「南アルプス接岨峡大吊橋」に向けて歩きました。見どころとしてあったのは,岩瀧不動堂と不動の滝くらいのもので,後は,単なる一般の車道でした。やがて,右手の大井川に沿って親水公園,左手の山側に長島公園が見えてきました。親水公園は,この時期,夜になるとホタルの乱舞が見られるそうですが,それを見るには,ここまで車で来るしか方法がなさそうです。長島公園には広い駐車場があって,数台の車が停まっていました。

 「南アルプス接岨峡大吊橋」が見えてきました。私は,県道388号線の道路の端を歩いていたのですが,車道の両脇にしっかりしたガードレールがあって,「南アルプス接岨峡大吊橋」に行くことができません。どうやら,長島公園まで行けば,ガードレールが途切れて,そこから駐車場に降り,さらにむこうに県道388号線をくぐるトンネルを見つけたのですが,そこまでかなり遠回りでした。しかも案内表示すらありませんでした。〈奥大井湖上駅・接岨峡エリアふらっと秘境ウォーク〉といいながら,実際に歩く人のことをまったく考慮していないのでした。
 トンネルをくぐって歩いていくと「南アルプス接岨峡大吊橋」に出ました。このつり橋は長さ240メートル,高さ31メートルですが,つり橋といっても,鉄筋でできていて,揺れもしません。
 渡り終えて左手に進むと,欅橋,栃の木橋,桜橋,水楢橋,椿橋,桑の木橋,宮沢橋,犬返り橋という8つのつり橋でつながる「八橋小道ラブロマンスロード」という狭い遊歩道が続いていました。どうやら,ここが秘境ウォークの目玉なのでしょう。登ったり下りたり,けっこうタフな遊歩道でした。中でも,宮沢橋が62メートルと長く,これは,階段式つり橋としては日本一の長さだそうです。

 宮沢橋を渡り終えると,河内地蔵堂があって,接岨峡温泉の集落に出ました。温泉といっても,宿泊できる施設は大井川の左岸にある民宿タブの家と右岸にある民宿なかむらの2軒だけです。このあたりで昼食を,と思っていたのですが,食事ができるのは,接岨峡温泉会館に併設された食堂だけでした。時間があれば,この食堂で昼食をとることができたのですが,時間がありません。パンでも買おうと入っていきましたが,食パンがあるだけだったので,断念しました。
 「南アルプス接岨峡大吊橋」を渡ってきたので,大井川の左岸を歩いてきたことになりますが,大井川鐡道井川線は大井川の右岸に沿って線路があります。接岨峡温泉駅は小高い場所にあって,すでに列車が停まっていました。また,接岨峡温泉駅の周りには,数軒件の民家と資料館やまびこがありました。
 橋を渡り,接岨峡温泉駅に向かいました。
 資料館やまびこは開館していましたが,見学する時間はありませんでした。接岨峡温泉駅は目の前なのに,そこに行くには,くねくねに曲がった山道をかなり歩く必要があって,焦りました。
 せめてあと30分の時間があれば,食事をしたり,資料館を見学したりできたのに,と思いました。どうも,奥大井の観光は,大井川鐡道と町営バスの接続が悪く,何もすることがないのに1時間以上も待ち時間が必要だったり,その反対に,〈奥大井湖上駅・接岨峡エリアふらっと秘境ウォーク〉で奥大井湖上駅から接岨峡温泉駅まで歩いてきたら,せっかく接岨峡温泉に着いても,食事をしたり資料館を見学する時間がなかったりと,かなりちぐはぐです。

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 以前,「プロ野球の2軍戦でも見にいくか」を書いてから,行く機会をさがしていたのですが,2024年6月25日に,実現することができました。2軍の公式戦,中日VS阪神,ナゴヤ球場です。
 試合開始は午前12時30分ということで,午前11時に自宅を出て名鉄電車で山王駅まで行って,そこから歩きました。山王駅は,以前はナゴヤ球場前駅という名前でした。そして,その前は中日球場前駅でした。久しぶりに歩いてみると,けっこう距離があるのにおどろきました。

 私は,20代前半までは,地元名古屋の中日ドラゴンズのファンで,よくゲームを見にいきました。当時の球場が,このナゴヤ球場でした。座席は狭く,観客のガラは悪く,場末感にあふれていました。その当時,読売巨人の本拠地であった東京の後楽園球場を見て,えらく違うなあ,と衝撃をうけたものです。
 現在,中日ドラゴンズの本拠地は「バンテリンドーム ナゴヤ」,つまり,ナゴヤドームです。移転したのは,1997年といいますから,今から27年前のことになります。このころには,私は,日本のプロ野球というものに,まったく興味がなくなっていたから,ナゴヤドームには1度しか行ったことがありません。ロサンゼルスのドジャースタジアムは5度も行っているのに。
 私が日本のプロ野球に興味をなくしたのは,アメリカでMLBを見て,その違いに衝撃をうけたことと,そのころ,広島カープのスタジアムでやっていた鳴り物入りの応援がほかのチームにも広がり,うるさくてそれに嫌悪感を抱いたことです。そもそも,ベースボールというのは,ピッチャーが構えたときに球場内がシーンとなることが醍醐味だったはずです。
 それ以来,阪神タイガーズのスタジアムでやっていた風船飛ばしも他球団に伝染し,もう,これは絶望的な状況です。それに比べて,MLBの何とすばらしいこと!

 私は,アメリカではメジャーリーグよりマイナーリーグのほうが好きなくらいです。日本でも,マイナーリーグ,いや,2軍のゲームなら,1軍のゲームよりのんびりと楽しく観戦できるのでは…,という期待を持って,行ってみました。ゲームがはじまる前は,アメリカのマイナーリーグの雰囲気を思い出し,購入したコカ・コーラもアメリカサイズのカップで,これなら,と思ったのですが,それも,わずかな時間でした。
 ナゴヤ球場が中日ドラゴンズの本拠地でなくなってから,幾度かの回収を経て,外野を後ろに下げてグランドの広さはナゴヤドームの広さと同じにしたそうです。客席は少なくなり,スコアボードも新しくなり,以前の場末さはなくなりました。せっかく改修するのなら,もっと徹底的にやればいいのに,と思ったのですが…。また,アメリカのボールパークは,グランドに手が届くほどフェンスが低いのに対して,何だこれは! 周囲が異常に高い金網で囲まれていて,まるで檻の中。格闘技の金網デスマッチではありませんか。
 それにしても,選手にとっては修行の場でも,見にきた観客には娯楽の場。お金を取って見せている以上,アメリカのマイナーリーグのように,とまではいかずとも,もっと楽しませる工夫があってもいいのに,と思いました。これもまた,国民性の違いなのか。
 そもそも,日本の野球に興味がなく,ひとりの選手も知らないから,そんな私が見にいくのが場違いなのでしょう。3回まで見て,退屈になって,引き揚げました。

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 来てみてようやくわかったのですが,奥大井湖上駅に行く方法は次のようなものでした。これではまるで頭の体操です。
  ・・・・・・
●車で直接
 奥大井湖上駅は,付近に駐車場があるので,直接車で来ることもできます。奥大井湖上駅を見るのが目的ならこれでできますが,かなり遠いです。
 また,奥大井湖上駅から大井川鐡道井川線に乗って戻ってくることこともできます。この場合,奥大井湖上駅と千頭駅の時刻は,①午前11時54分発午前12時56分着で行き,午後1時25分発午後2時29分着,あるいは,②午後1時5分発午後2時⒕分着で行き,午後2時40分発午後3時49分着で戻ってくる2択となります。また,反対方向の奥大井湖上駅から井川駅に行くには,③午前10時29分発午前11時12分着で行き,午前12時20分発午後1時5分着,あるいは,④午前12時⒕分発午前12時58分着午後2時発午後2時42分着で戻ってくる2択となります。井川駅と千頭駅の両方に行って戻ってくるには,③と②を使えばできます。
  ・・
●大井川鐡道を利用して日帰り
 大井川鐡道井川線を利用するとき,新金谷駅からSLに乗って直接千頭駅に来ることができればいいのですが,現在は,途中の川根温泉駅から千頭駅までが不通です。その間は町営バスに乗る必要がありますが,接続が悪いのです。
 私が前回利用したように,新金谷駅午前9時50分発のSLが家山駅に着くのが午前10時18分,町営バスは1時間以上後の午前11時27分発で千頭駅到着が午前12時40分です。そして,千頭駅発の井山線は午後1時25分発で奥大井湖上駅着が午後2時29分となります。
 奥大井川湖上駅からの折り返しは,午後2時42分発千頭駅午後3時45分着,午後3時31分発千頭駅午後4時33分着,午後4時9分発千頭駅午後5時11分着とあるのですが,どれに乗っても,千頭駅発家山駅着の町営バスは,午後5時15分発午後6時着の1本しかないのです。そして,家山駅からの大井川鐡道が午後6時48分発で金谷駅午後7時25分着というように,この1択しかありません。
 とにかく,町営バスの時刻がひどすぎるというのがすべてです。これでは,まるで,観光客に,日帰りでは来るな,といっているようなものです。
  ・・
●大井川鐡道を利用して1泊2日
 そこで,私が前回来たときのように,寸又峡に1泊することになります。
 1日目は,新金谷駅午前9時50分発のSLに乗って,家山駅着午前10時18分,町営バスは1時間以上後の午前11時27分発で千頭駅到着が午前12時40分。10分後の午前12時50分千頭駅発のバスで寸又峡に行きます。
 寸又峡に宿泊して,2日目の寸又峡始発のバスが午前8時25分発で,千頭駅に着くのが午前9時5分。これなら,今回,私が乗ったのと同じ午前9時25分発の井川線の列車に乗れるわけです。また,その次のバスは午前10時5分発で,これでも,千頭駅着が10時50分で,1日1本だけある午前11発のバスに乗ることができて,奥大井湖上駅午前11時13分着。これだと,奥大井湖上駅午前11時54分発で折り返せば千頭駅午前12時55分着なので,午後1時20分発の町営バスに乗ることができて家山駅午後2時5分着なので,家山駅午後3時32分発新金谷駅午後4時着のSLに乗れるのです。
 このように,大井川鐡道のSLに乗ることと奥大井湖上駅の両方をかなえたいのなら,1泊2日にするのが良案かな。
  ・・
●千頭駅まで車で来て大井川鐡道井川線に乗る
 大井川鐡道井川線の千頭駅発の列車は,午前9時25分,午前10時10分,午前11時8分,午後1時25分,午後2時40分の5本しかありません。奥大井湖上駅着が,それぞれ,午前10時29分,午前11時13分,午前12時14分,午後2時29分,午後3時49分で,それぞれ,午前11時54分,午後1時5分,午後2時42分,午後3時31分,午後4時9分の列車で,千頭駅にもどることができるようになっています。また,私のように,奥大井湖上駅から次の 接岨峡温泉駅まで50分程度で歩いたときも,約1時間10分後の接岨峡温泉駅発の列車で千頭駅にもどることができます。
 といっても,千頭駅発家山駅着のバスは午後1時20分発と午後5時15分発の2本のみなので,大井川鐡道井川線千頭駅発午前9時25分の列車にに乗車して,折り返し午前11時54分奥大井湖上駅発の列車に乗れる場合のみ午後1時20分発のバスに乗ることができて,それ以外は,すべて午後5時15分発のバスしか乗れないのです。
 そこで,新金谷駅から家山駅までのSLに乗るのでなければ,千頭駅まで車で来て,千頭駅から大井川鐡道井川線に乗るのが最も便利,ということになります。
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 といった理由で,今回,私は,千頭駅まで車でやってきたのでした。

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 アプトいちしろ駅から長島ダム駅の間は日本一の急勾配,そして,長島ダム駅から奥大井湖上駅までの間は湖とそこに浮かぶ絶景の線路が続きます。
 奥大井湖上駅は,長島ダムの建設に伴い誕生した接岨湖に突き出した半島の先に立地しています。その両脇には接岨湖をまたぐように鉄橋「奥大井レインボーブリッジ」が架かり、まるで湖の上に浮かんでいるかのような駅です。
  ・・・・・・
 計画から30年をかけ誕生した長島ダムは,洪水調節や流水の正常な機能の維持,灌漑用水,水道水の確保などの目的のために造られました。接岨湖は,高さ109メートル,全長 308メートルのダム湖で,広さ2.33平方キロメートルは東京ドーム50個分に相当し,総貯水量は78,000,000立方メートル,有効貯水量は68,000,000立方メートルです。接岨湖には,家屋43戸を含むいくつかの集落が湖底へと沈んでいます。
 接岨湖では午前9時から1時間おきに10分間,高さ50メートル近くまで真っ直ぐに音を立てながら,巨大噴水が吹き上がります。巨大噴水は,バリエーションが豊富で,放射線状に奇麗な花を咲かせている時もあれば,鶴が湖面に舞い降りたかのように鶴翼に三方に吹き上げるときもあり,また,ただ左右に放物線を描いているだけのときもあります。
  ・・・・・・

 午前10時29分,列車は奥大井湖上駅に到着しました。ほとんどの乗客がこの駅で下車しました。奥大井湖上駅から少し高台に登ったところに「レイクコテージ奥大井」があって「湖上駅カフェ晴耕雨読」が週末のみ営業しているということでした。この日は月曜日でしたが,営業しているようで,多くの乗客はカフェを目指して登っていきました。
 私の目的地は,奥大井湖上駅を見渡せるレインボーブリッジ展望台でした。レインボーブリッジ展望台へは,まず,接岨湖にかかる線路の横の湖上遊歩道を歩き,渡りきったところから,トンネル脇の絶壁の法面を直登するような高低差23メートルの急勾配の128段の階段を登ります。そこから,今度は71段の階段を降りて,道路をしばらく歩くことになります。レインボーブリッジ展望所までは,約15分です。
 おそらく,ここまで来た人のほとんどは,展望を楽しんだあと,奥大井湖上駅に戻ることでしょう。しかし,私は,その後,観光案内所でもらった「奥大井の歩き方」というパンフレットの〈奥大井湖上駅・接岨峡エリアふらっと秘境ウォーク〉に従って,次の接岨峡温泉駅まで歩き,午前11時45分発の列車で戻ることにしていました。これは,約50分のコースだったので,奥大井湖上駅でそれほど時間をとることはできなません。そこで,残念ながら,「レイクコテージ奥大井」に行くのはあきらめました。
 レインボーブリッジ展望所に着きました。天気もよく,美しいところでした。やっと来た,という感じでした。これで,念願の写真をとることができました。もし,前回,バスで午前11時23分に奥大井湖上駅の展望台にやってきて,奥大井湖上駅に降りて,わずか31分後の午前11時54分発の列車で帰っていたら,今回のような感動を味わえたかどうか? そして,今回のような秘境ウォークを楽しむことができたたどうか?
 これもまた,雨で前回予定をキャンセルしたことで実現したわけで,まさに塞翁が馬でした。

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 列車はアプトいちしろ駅に到着しました。ここから次の長島ダム駅までが,大井川鐡道井川線最大の見せ場であるアプト式ラックレール対応補機による運行です。
 アプトいちしろ駅は,ダムのほとりの,周囲に人家のない駅です。1990年(平成2年)長島ダム建設に伴うルート変更で川根市代駅の駅名を改称し移転したものです。アプトいちしろ駅から長島ダム駅の間は,勾配は90パーミル(水平1,000メートルに対して90メートルの高低差)という日本の鉄道路線で最も急な勾配で,これを登るためにラックレールという,歯形レールと歯車がついた機関車をかみ合わせながら進むアプト式という日本ではここでしか見られない運転方式がとられました。また,この区間は電化されています。アプトいちしろ駅で,アプト式ラックレール対応補機の連結が行われるので,それを見学するため、多くの乗客が列車を降ります。私も列車を降りて,見学し動画も撮影しました。補機の電気機関車は客車やディーゼル機関車(DL=Diesel Locomotive)よりひとまわり大きいものです。

 アプトいちしろ駅で補機を連結し,補機によって後ろから押す形になって列車はトンネルの急坂を上っていきます。トンネルから出ると,長島ダムのダム湖である接阻湖(せっそこ)が眼下に見られるようになって,かなりの勾配を登ったことが実感できます。
 やがて,列車は長島ダム駅に到着しました。ここで補機の連結を解放します。
 駅舎は中央に尖塔のある教会のようなモダンな形状をしていますが無人です。長島ダム駅は,周辺に集落はなく,坂を下ったところに新しい国道と広い駐車場があります。
 アプトいちしろ駅と長島ダム駅の間,今は使われていない旧線のトンネルの一部が「ミステリートンネル」と名づけられ,廃線跡を利用した遊歩道となっています。キャンプ場を挟みふたつのトンネルがあって,長いほうは375メートルもあり中は真っ暗,ということです。

 列車は,この先,長島ダムを旋回するように走っていき,平田トンネルを出るとひらんだ駅に到着します。駅名のひらんだは平田と表記するのですが,難読なため仮名表記となりました。ひらんだ駅は接阻湖の湖畔にある駅で,接阻湖に水没した川根唐沢駅の代替駅として,長島ダムの整備時に,ダムサイト,長島地区等とともに親水公園的に整備する計画で整備されたものです。駅前に広場があり,カヌーの絵が描かれたトイレと詰所がありますが,これは,2003年(平成15年)に行われた第58回国民体育大会「わかふじ国体」のカヌー会場となったところで,現在,静岡県立川根高等学校のカヌー部が使用しています。
 ひらんだ駅を過ぎると,列車は接阻湖を渡る赤い鉄橋に差しかかります。さあ,いよいよ奥大井湖上駅です。

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Strawberry Moon 2024.

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 千頭駅は大井川鐡道大井川本線の終点であり,井川線の起点です。SLの運転のため,明治時代に作られた転車台が設置されています。現在は,大井川本線は不通なので,井川線の起点でしかありません。
 私が先頭車に乗り込んだ列車は,午前9時25分に千頭駅を出発しました。
 昔の森林鉄道を観光用にしたような列車なので,狭く古く,扉も手動で,これが実にいいのです。テーマパークの列車なんて,目じゃありません。列車は,かなり遅い速度で,すごい振動を立てながら進みます。
 千頭駅の次が川根両国駅です。ここは「両国つり橋」に行く最寄りの駅ですが,だれも下車しませんでした。というか,この列車の乗客のほとんどの行先は,奥大井湖上駅なのです。「両国つり橋」は長さ145メートルで高さ8メートルだから,私がすでに渡った長さ90メートルの「夢のつり橋」より長く,長さ220メートルの「恋金橋」よりは短いのですが,橋の幅がせまく,怖いものではないそうです。橋の上から大井川鐡道を写すことができる絶好のフォトスポットのようです。次回渡ってみよう。
 次の澤間駅は,その昔,寸又峡方面に約40キロメートル鉄路が延びていた千頭森林鉄道の起点だったところだそうで,その面影がありました。

 やがて,列車は大井川から寸又川が流れだす場所にさしかかりました。このあたりの景観は実に見事です。そして到着したのが土本駅です。土本駅は,駅の周囲に4軒(うち3軒が土本姓)の人家があり,平成に入って道路が通じる前は,唯一の交通手段が井川線だったということです。
 井川線の駅はみな秘境駅です。
 その次の川根小山駅は,蛇行する大井川沿いの山中の駅で,駅の周囲には人家は見えませんが、近くに10軒程度の集落,少し離れて白沢温泉のある集落があるそうです。
 そうこうするうちに到着した奥泉駅は,寸又峡温泉方面へのバス乗換え駅で,駐車場もあるので,奥大井湖上駅に行くには,私にのように千頭駅に車を停めないで,奥泉駅に停めると,寸又峡温泉に行くのに便利だと観光案内所で聞きました。駅のホームによくわからない人形がありました。このちんけさがたまりません。この駅には女性の駅員さんがいて,運転手さんと「この先サルが出たという話だよ」「出たらひき殺そう」などと,物騒な冗談を言っていました。
 千頭駅と奥泉駅の間の沿線は,川根茶の産地として知られていて,窓の外には,緑が美しい茶畑が広がっていました。川根茶は,南アルプスを源とする水に恵まれ,寒暖の差が大きい環境を生かして育てられています。
 奥泉駅とアプトいちしろ駅の間には61ものトンネルがありますが,トンネルを出ると,右手に赤く塗られた美しい泉大橋をみることができました。

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 午前8時30分に千頭駅に到着しました。
 千頭駅に隣接して道の駅があって,多くの車を駐車することができることを,前回調べてあったので,そこに車を停めました。
 大井川鐡道が台風によって,家山駅,もしくは川根温泉笹間渡駅から千頭駅までの間が不通になっていなければ,今回のように,車で千頭駅に来る必要もなかったのですが,現在は,家山駅から千頭駅までの間は町営バスによって代行運転がされていて,しかも,町営バスの接続がかなり悪いので,大井川鐡道を利用して日帰りで奥大井湖上駅に行くことは困難なのです。そこで,今回は,奥大井湖上駅に行くことだけを目的に,千頭駅まで車でやってきたわけです。直接,奥大井湖上駅まで車で行くことも可能で,奥大井湖上駅近くに駐車場もあるのですが,それでは大井川鐡道井川線に乗ることができません。実際,直接,奥大井湖上駅に車で来ていた観光客を見かけましたが,これでは奥大井の魅力のほとんどを味わうことができないのになあ,と思いました。
 道の駅にはかなりの車が駐車できますが,ハイシーズンには,それでも満車となることがあるようです。そのときは,千頭駅からほど近いところにある農協の駐車場が利用できるということです。

 千頭駅では,まず,前回来た観光案内所に寄って「また来たよ!」とあいさつをして,次にお茶を売っている店「川根物産」に行って元祖川根茶ソフトを食べました。さすがに川根茶,おいしいソフトクリームでした。
 私は,午前9時25分発の列車に乗るのですが,まだ時間があったので,少し,千頭駅付近を散策することにしました。このあたり,散歩コースがあるのですが,散策コースを1周するほどの時間はないので,川根大橋を渡るだけにしました。川根大橋のたもとにあったのが,小便小僧像とこいのぼりでした。この町,けっこうおもしろいところだったので,時間をとって滞在してみるのもいいな,と思いました。
 千頭駅あたりの町は,大井川鐡道が全線開通しているのなら,大井川鐡道で金谷まで楽に行くことができるのですが,今は列車と町営バスの接続が悪いので,車がないと大変です。
 さて,列車の出発する時間,午前9時25分が近づいたので,千頭駅に入って,切符を購入して,いよいよ列車に乗り込みました。平日の朝,どのくらいの人が乗るのかな,と思ったのですが,けっこうな人が乗車しました。

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 2024年5月27日から5月28日にかけて,ふと思い立って出かけた大井川鐡道,SLに乗ることはできたのですが,大雨が降って,奥大井湖上駅には行くことができませんでした。しかし,そのときに,この場所はどういうところかよくわかったので,翌週6月3日,天気がよかったので,今度は,車で千頭駅まで行き,大井川鐡道井川線に乗って,奥大井湖上駅に向かいました。
 自宅から千頭駅までは,車で,約3時間です。午前9時25分千頭駅発の列車に乗るため,午前5時すぎに自宅を出ました。新東名高速道路を経由して,金谷インターで降り,そこから大井川沿いに北上します。その途中で見かけたのが塩郷の吊り橋,通称「恋金橋」でした。
 前回来たときに,寸又峡の「夢のつり橋」を渡りました。
 千頭駅前にあった観光案内所で「奥大井にはつり橋が12あるということで,私が渡った「夢のつり橋」よりも怖い「恋金橋」というのがあるということを聞いたので,次回はぜひ渡ってみようと思いました」と前回書いたのですが,その「恋金橋」です。特に意識していたわけでなかったのですが,偶然見つけました。
 これは渡るしかない,と思って,近くにあった道路際の駐車場に車を停めて,つり橋に向かいました。早めに家を出たので,渡る時間があったのが幸いしました。
 「恋金橋」は大井川にかかっているつり橋の中で最長で,長さ220メートル,高さ10メートルです。大井川鐡道,県道,民家の上に掛けられていて,落ちたらどうするのだろう? と考えてしまい,スリル満点でした。本来は,足の下をSLが通過するのですが,残念ながら,現在は不通なので,SLが走るのを見ることはできません。

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 昔,久野脇(くのわき)の名主・槙エ門(まきえもん)の家に,おつまというひとり娘がおりました。おつまは,大地主の一人娘,大事な跡取り娘ですが,毎年1月7日の佐沢薬師様のお祭り・ヒヨンドリ祭の日だけは夜遅くまで祭を楽しむ事を許されていました。
 ある年のヒヨンドリ祭で,地名(じな)の甚太という若者と知り合い,ふたりはいつしか愛し合うようになりました。ふたりのことは,槙エ門の知るところとなり,「おつま,甚太のような水呑百姓のこせがれとこっそりつき合っていたとは何事だ。今後一切逢うことは許さん」。それからは,おつまは泣く泣く部屋に引きこもっていましたが ,考えるのは甚太のことばかりでした。
 そうだ,お薬師様に甚太さんに逢えるよう,お願いしてみよう。
 その夜,暗い夜道を必死になって薬師堂まで登っていきました。「お薬師様,どうか甚太さんと逢わせてください。お願いします」1日も休まず通い続け祈りました。
 ある晩のこと,お薬師様がおつまの夢枕にたち 「おつまよ。日の子の刻お堂の前まで来るがよい」 それだけ言うと,お薬師様はスーッと消えてしまいました。
 その日,父・槙エ門は,寄り合いがあって出かけ,昼過ぎ,代官所に届ける上納金を預かって家に帰ってきました。 振舞酒に心地よい気持ちになり,そのままごろりと寝てしまいました。目をさまし,懐に手を当て「アッ,無い,金が無い,胴巻が無い」 驚き慌てて辺りを探したが見つかりません。
 おつまは,父親のことが心配でなりませんでしたが、そっと家を出ると,急ぎ薬師堂へ登って行きました。すると,お堂の前に甚太さんが立っていました。「おつまさん,どうして此処へ」 「不思議なことがあるものだ。おらも夕べ同じような夢を見て,ここに来てみたんだ」「さあ,こうしてもいられん。おらたちどこか知らない土地へ行って,ふたりで暮らすことにしよう」 と手を取り合って渡し場の方へ降りていきました。
 周りを気にしながら歩いて行くと,おつまは,何かに躓いて転びそうになりました。 「あっ,あった。お父つぁんの胴巻」 「そんな大事な金,お父つぁんが困っている。すぐに帰らざぁ」 甚太に言われ,ふたりは急いで家に帰っていきました。
 家には,疲れ切った父親が座っていました。「おつま,甚太,どうしたんだ。なぜこの胴巻をお前たちが持っているのだ」「甚太さんに逢わせてくださいと毎晩お薬師様にお願いしたの。今夜,薬師堂の前で逢え,ふたりで知らないところで暮らそうと歩いていき,渡し場付近で胴巻を拾って,甚太さんに訳を話したら,お父つぁんが困っている。すぐ帰らざぁと言われ,ふたりで帰ってきたの」
 「わかった,わかった。わしは財産さえあれば人は皆幸せだと思っていた。ふたりの事も,おつまの幸せのため許せないんだと思っていたが,間違っていたようだ。ふたりには,長いこと,辛い思いをさせてしまった。申し訳ない。 許しておくれ」と涙ぐみながらふたりの前に両手をつき謝りました。「甚太くん。わしからも改めてお願いする。おつまと一緒になってこの家を守っていってくれないか」
 こうして、おつまと甚太は皆から祝福されて夫婦になりました。
 働き者の甚太はおつまと一緒に朝早くから夕方暗くなるまで畑に出て働き,子供にも恵まれ, 家は益々栄え,末永く幸せに暮らしたそうです。
 そんな事から,誰言うとなく,胴巻を拾った渡し場付近を「恋金」(こいかね)とよぶようになりました。塩郷(しおごう)と久野脇に架かるつり橋。このつり橋は,大井川に架かる一番長い橋で,その塩郷の吊り橋を「恋金橋」とよぶようになりました。
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 午前10時55分,バスが発車する時間になったので乗車して,午前11時40分に家山駅に戻りました。家山駅ではさほど待ち時間もなく,午前12時1分発の大井川鐡道に乗ることができました。この列車は川根温泉笹間渡駅からやってきたもので,すでに数人の乗客が乗っていました。列車は直接金谷駅まで行くので,新金谷駅で乗り換えをする必要がありませんでした。
 来るときはSLが出発するのが新金谷駅だったので,金谷駅から新金谷駅まで行って乗り換えたのですが,このときに乗ったのは,元近鉄電車の車両でした。今回は,元南海電鉄の車両ということで,調べてみると,大井川鐵道では,元南海電鉄21000系,元近鉄電車16000系統,元東急電車7200系の3車種を毎日ローテーションして使用しているということでした。そのうちの2種類の車種に乗れたのは幸運でした。
 この南海電鉄の中古車両はかなりの座席が使用不可能となっていたり,ほころんでいたりした場所にハート型のあて布がしてあったりと,かなりの年代物でした。このプアさが哀れっぽくたまらなくすてきでした。

 来るときに乗ったSLは急行だったので,途中の駅はすべて通過したのですが,今回は各駅停車だったので,大井川鐡道大井川本線におもしろい名前の駅があることを知りました。駅名は,順に,家山駅,大和田(おわだ)駅,福用(ふくよう)駅,神尾駅,門出駅,合格駅,日切(ひぎり)駅,代官町駅,新金谷駅,金谷駅です。また,家山駅以前に,抜里(ぬくり)駅,川根温泉笹間渡(ささまど)駅とあって,現在,そこまで復旧しています。
 神尾駅には置物のタヌキがいっぱいでした。これは,初代SL専務車掌の故・石原さんが,車内パフォーマンスで乗客からもらったチップを貯めて作ったものです。そして,神尾駅を,通過するだけでなく下車して楽しんでもらえる駅にしようと「たぬき駅化計画」もはじめたそうです。とはいえ,下車してしまうと,次の列車が来るのは約2時間後なので,そう容易く下車できるものではありません。その次の駅が門出駅,そして,合格駅と続くので,この両駅とともに神尾駅を巡って幸運を掴もうというのが「たぬき駅化計画」で「開運たぬきっぷ」なるものが販売されています。
 観光客頼みの大井川鐡道では,こうしたさまざまな企画を行なっているのですが,それにしても,現在不通となっている川根温泉笹間渡駅と千頭駅間の連絡がもうすこしスムーズなら,というのが惜しまれるところです。今のように,家山駅でバスの待ち時間が2時間以上なとどいう状態では,金谷駅から千頭駅まで行くのはかなり困難なことなのです。

 さて,午前12時36分に金谷駅に到着した私は,当初は在来線で名古屋駅まで戻る予定でしたが,夕方からは豪雨予報だったので,掛川駅から新幹線に乗ることにしました。
 金谷駅にやってきた在来線に乗って,掛川駅で降りました。私の持っていた切符は在来線経由だったので,これで特急券を買えば掛川駅から名古屋駅まで新幹線に乗ることができるかどうか? 途中で車掌さんが来たので試しに聞いてみると,彼は「わからないから掛川駅の窓口で聞いてくれ」といいました。こんなことも知らないで車掌をやっていていいのでしょうか。プロ意識の欠如です。実は,東海道線と山陽本線は,在来線の乗車券で特急券を買えば新幹線も乗ることができます。
 掛川駅で昼食でも,と思っていたのですが,新幹線の特急券を購入してすぐに改札を通ってしまったのが大悪手で,その先には売店すらありませんでした。その代わり,ホームに出たとき,何と偶然「ドクターイエロー」が通過していきました。これもまた,塞翁が馬でした。
 ということで,また,昼食を食べ損ねてしまったのですが,そういえば,名古屋駅のホームにある立ち食いのきしめんを食べたことがなく,一度食べてみたいと考えていたことを思い出しました。そこで,少し遅い昼食として,名古屋駅に着いて,きしめんを食べました。

 このように,今回の大井川鐡道の旅は,天気が悪かったことで予定通り進まず,晴れ男の面目丸つぶれでした。しかし,望外のできごともいろいろあって,結局,かなり有意義なものとなりました。これだからきままなひとり旅は楽しいのです。
 そしてまた,この旅で奥大井湖上駅に行くことができなかったことが,逆に幸いだったという結果が,後日生まれるのです。

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 旅館の裏手に外森神社があったので,行ってみました。長い石段を上ると,社殿とその横に「落ちない大石」がありました。
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 昔,南アルプス最南端の2,592メートルの光岳(てかりだけ)に住む天狗が,寸又峡の小高い社にある大きな石の上から辺りを見渡すと,畑も食べ物も少なく寒々としていたので,穀物の神様に五穀を持参するようにお願いしたところ,神様から五穀がもたらされ,今の集落ができたという言い伝えがあります。
 天狗が登ったとされる大きな石は,崖から落ちそうで「落ちない 大石」として,今では,受験生や高所作業者などの守り神として祀られています。
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 私は,「落ちない大石」と聞いて,思い出した「事件」がありましたが,後で調べてみると,それはこの場所の「落ちない大石」のことではなく,高知市北部の山中にある観光名所「ゴトゴト石」でした。
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 「ゴトゴト石」は,崖っぷちにある重さ数トンの巨石で,子どもの力でも簡単にゴトゴト揺れるにもかかわらず決して落ちないことから「願掛けスポット」として多くの受験生らが訪れていました。
 「ゴトゴト石」を,「俺たちで落としてやろう」と,2022年11月26日,東京からレンタカーで6人の大学生がやってきて,現地調達した工具を使うなどして石を落とそうとするもできず,道具を放置したまま帰ったことで,石の向きも変わり動かせなくなってしまい,高知東警察署へ刑事告訴されました。
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 さて,旅館にチェックインして,後は,温泉三昧に食事三昧となりました。
 問題は翌日のことでした。小雨くらいならともかく,台風の接近に伴う豪雨という予報で,大井川鐡道が不通になる可能性すら出てきました。帰れなくなったら困ります。迷ったあげく,これは天のおぼし召し「また来いよ」といっているのだろうと思い,奥大井湖上駅には行かず,そのまま帰宅することにしました。せっかく帰りのSLも予約してあったのですが,それより早い時間の普通列車に乗ることにしました。
 午前8時25分発始発のバスの乗って,寸又峡温泉から千頭駅に戻りました。千頭駅到着は午前9時5分でした。次のバスが午前10時5分で,これに乗っても千頭駅着は午前10時45分なので,家山駅までのバスは午前10時55分だから間に合うのですが,来たときに千頭駅滞在がわずか10分だったので,千頭駅を散策しようと,早いバスにしたのです。
 しかし,待ち時間が長すぎたので,時間を持て余すことになりました。
 まず,千頭駅前にあった観光案内所で,次回来るときのために,いろいろ話を聞いて,地図などをもらいました。奥大井にはつり橋が12あるということで,私が渡った「夢のつり橋」よりも怖い「恋金橋」というのがあるということを聞いたので,次回はぜひ渡ってみようと思いました。そして,近くにあったお茶を売っている店「川根物産」で川根茶がいただけるというので中に入って,時間をつぶしました。

 私は来るまで知らなかったのですが,この辺りは狭山茶としてとても有名なところでした。
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 「色は静岡,香りは宇治よ,味は狭山でとどめさす」とうたわれるように,狭山茶は「静岡茶」「宇治茶」と並んで「日本三大茶」のひとつです。
 狭山茶の特徴はコクのある濃厚な味わいです。
 狭山茶は茶産地としては冷涼であるため,冬の間,茶樹を十分休ませることができます。
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ということでした。またひとつ新しいことを知りました。
 お土産に狭山茶を買いました。

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 チェックインの時間には少し早かったので,旅館に荷物だけ預けて,散策に出かけることにしました。寸又峡温泉には「夢のつり橋」を渡る1周約90分の周遊コース「寸又峡プロムナードコース」があって,ここを歩くのを楽しみにしていました。
 又峡温泉の中心部から夢のつり橋へは歩いて約30分で到着します。その途中にあるのが「天子トンネル」です。昭和初期まで,寸又峡では林業が盛んでした。「天子トンネル」は,切り出した木を運ぶトロッコ列車の線路跡です。
 やがて,寸又川の眼下に「夢のつり橋」が見えてきました。このあたり,川幅がとても広くなっていますが,それは,ここが,電源開発によって作られた大間ダム湖だからです。「夢のつり橋」がかかっているのは,寸又川が注ぐダム湖の上で,1963年(昭和38年)に,南アルプスから流れ出る大間川と寸又川の合流地点に水力発電を目的につくられたものです。大間ダム湖に注ぐ寸又川の水は大変美しいため,光が水中深くまで届き,その途中でチンダル現象により赤い光は吸収されてしまうので,美しい水がある程度の深さまで溜まることで,より深みのある,光によって移り変わる青色が表れているということです。
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 水が青色に見えるのは,自然界の物理的な作用によるもので,発見者の名にちなみ「チンダル現象」とよばれています。わずかな微粒子が溶け込んだ非常にきれいな水の場合,微粒子の影響で波長の短い青い光だけが反射され,波長の長い赤い光が吸収されるという現象が起こります。これが「チンダル現象」です。
 「夢のつり橋」がかかる寸又川の水は,微粒子やプランクトンがごく少ない,水の底まで大変きれいな水であるため,そのような水に光が差し込むことで,波長の短い青い光だけが反射され,「チンダル現象」が見られるのです。
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 かつては,ここに集落があって,木こりや村人が住んでいました。つり橋は,集落を行き来する人々の生活道でした。また,「夢のつり橋」の先には湯山という集落があって,温泉地として知られていました。

 「夢のつり橋」までは,けっこうな階段を下る必要がありました。
 紅葉の時期などは多くの観光客がやってくるらしく,10人までしか渡ることができないつり橋は,それを渡るために長い行列ができるようで,階段の途中に「ここから待ち時間2時間」といった表示がありました。この日は,シーズンオフでもあり,雨でもあり,私ひとりしかいなかったので,待ち時間などなく,それはそれで,恐怖を感じました。
 「夢のつり橋」は,長さが90メートル,高さが約8メートルです。板のかかっている部分が思った以上に狭く,スリルがありました。何せ,私は,傘をさして渡っているのです。たとえ天気がよくても,渡っている途中で足がすくむ人もいるかもしれませんが,渡りきる以外に選択肢はありません。
 「夢のつり橋」は一方通行で,渡った後は,そのまま周遊コースを進むことになります。
 歩いてきた寸又峡温泉街から「夢のつり橋」へと伸びる道路は,かつての森林鉄道の線路跡で,昭和初期から昭和50年代にかけて,林業が盛んだったころ走っていたのがディーゼル機関車でした。「夢のつり橋」を対岸へ渡り,そのまま周遊コースを歩いていくと,尾崎坂展望台に到着しました。 ここには当時活躍した古いディーゼル機関車が展示されていました。
 さらに進んでいくと「飛龍橋」というコンクリート製の橋があって,今度は,その橋を渡って戻ることになります。

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 家山駅は,これまで多くの映画やテレビドラマのロケに使われた場所です。映画「鉄道員(ぽっぽや)」はJR根室本線の幾寅駅で撮影されたものということですが,この家山駅でも撮影されていました。
 奥大井湖上駅を見下ろすことができる高台に行くには,奥大井湖上駅からは15分ほど山道を登る必要があるというように,結構大変なのですが,ネットにあったある情報に,千頭駅からバスに乗ると直接高台まで行くことができて,その後,奥大井湖上駅に下り,奥大井湖上駅から大井川鐡道井川線に乗って千頭駅まで戻ることができる,とありました。登るのは大変でも下るのはそれほどではないだろう,ということです。ただし,そのバスは,午前11時千頭駅発の1日1本で,奥大井湖上駅を見下ろす高台に午前11時23分に到着し,31分後,奥大井湖上駅発の11時54分の列車に乗る,ということでした。
 私はこの案を採用して,あす,それを実行します。この日は,すでにそのバスは出てしまっているので,千頭駅からバスで寸又峡温泉に行って宿泊して,翌日,寸又峡温泉から千頭駅へ,午前11時のバスに乗れるように戻ってくることにしました。

 午前11時55分,家山駅に千頭駅に行くバスが来ました。私と同じようにSLでやってきて,バスを待っていた数人の乗客が乗り込みました。バスは,大井川に沿って北上し,千頭駅に着いたのが午前12時40分でした。
 千頭駅は大きな駅でたくさんのホームがあり,駅の周辺には多くの店があるのに驚きました。
 千頭駅のホームには,機関車トーマス号が3両停まっていました。2022年9月に発生した台風15号の影響で甚大な被害を受けた大井川鐡道は,約40キロメートルにわたる本線の約半分の区間で運休しているので,これらの機関車トーマス号は,新金谷駅に戻ることができず,働く場をなくしてしまっているのでしょう。なお,大井川鐡道の全線復旧には約19億円の費用がかかるので,復旧の目途は立っていないそうです。
 寸又峡へ行くバスは,待ち時間がほとんどなく,10分後の午前12時50分でした。私はすぐにバスに乗り換えました。出発したバスは山の中に入っていき,40分かかって,午後1時30分に寸又峡温泉に到着しました。
 私が選んだ寸又峡の旅館は「湯屋 飛龍の宿」というところで,バス停から雨の中を10分ほど歩きました。期待以上のすばらしいところでした。

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 大井川鐡道といって思い浮かべるのは,SLとともに奥大井湖上駅だと思われます。大井川鐡道は,金谷駅から千頭駅までが大井川本線,千頭駅から井川駅までの山岳地帯が井川線になっていて,千頭駅で乗り換える必要があります。SLは大井川本線を走り,奥大井湖上駅は井山線にあります。
 しかし,現在,大井川鐡道は,家山駅の次の川根温泉笹間渡駅から千頭駅までが不通で,その間は,町営バスが連絡しています。大井川鐡道のSLに乗るのが目的なら,家山駅に到着したら,そのまま折り返すSLに乗って新金谷駅に戻ればいいのですが,私は,湖上駅に行くのが第2の目的だったから,町営バスにのることになります。しかし,調べてみると,町営バスの接続は,想像を絶するほど悪いのでした。どうしてこんなことにしているのだろう,と思いました。マイクロバスで接続して,SLで家山駅に到着した乗客をそのまま千頭駅まで送り届ければ,井山線の乗客が増えるのに…。
 SLが家山駅に到着したのが午前10時18分でしたが,家山駅から千頭駅まで連絡する町営バスの出発は,何と午前11時55分と,1時間37分も待ち時間があって,来れるものなら来てみろ,乗れるものなら乗ってみろ,みたいな感じなのです。これでは,奥大井湖上駅まで行って,日帰りで帰宅するのは不可能に近いのでした。
 考えこんでしまった私が見つけたのが寸又峡温泉でした。ここに1泊すれば,何とかなりそうでした。そこで,寸又峡温泉に適当な旅館を見つけて予約をしたのです。

 さて,せっかくだから家山で1時間37分観光しよう,とはいえ,家山というところに何があるのだろう? と思いました。
 ともかく,昼食をとることにしました。SLに乗る前,新金谷駅のPLAZA LOGOで,家山の地図をもらいました。聞いてみると,駅の近くに喫茶店が1軒と,町中に「たいやきや」という食事ができる店が1軒あるということでした。「たいやきや」というのは,文字通り,たい焼きが食べられるのですが,メニューにラーメンとか焼きそばもあるということでした。そこで,「たいやきや」に行くことにしました。
 狭い路地を歩いていくと,目指す店がありました。私は,焼きそばを注文しました。この店では,たい焼きは注文してから焼くというのどかなもので,それ以外にはおでんもありました。時間はたっぷりあったので,のんびりと昼食をとりました。それでも,まだ,時間をかなりもてあますことになるのですが。
 店内に,鉄道写真家の中井精也さんのサインがありました。聞いてみると,よく来るよ,という話でした。大井川鐡道は,絶好の被写体ですが,結局,私のように,家山で時間をもてあますのは同じなのです。有名な写真家が身近に感じられました。常盤貴子さんも来たらしいです。
 また,カウンタに「この店は英語がわかりません。翻訳アプリを利用してください」という意味の紙が置かれてありました。こういう店にも外国人がくるのだなあと,インバウンドのすごさを感じました。以前,私が頻繁にアメリカに行っていたとき,地方の小さな町にこのような店があっても,入る勇気はなかったなあ,ということを思い出しました。

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 平日でもあり,天気があまりよくなかったこともあるのか,とても空いていて助かりました。これなら,当日,気が向いたときに出かけてSLに乘ることができそうです。
 私を含めて,乗客は,ホームで写真を撮っていました。私の子供のころは,SLは現役だったから,珍しいものではないのですが,SLの音を聞いていると,気持ちが盛り上がってきます。なにより,機関車も客車も古く,昔のままなのがいいです。
 やがて,出発の時間午前9時50分になったので,出発しました。

 なにさ,SLといったところで,乗ってしまえば同じさ,と思っていたのが大いなる誤解でした。
 機関車の振動や汽笛は,SLならではのものでした。
 私が一番驚いたのは,新金谷駅付近では,住宅街の中をSLが走っていくことで,住んでいる人は,いつもこんな真っ黒な煙を受けていて大丈夫なか? ということでした。これでは,洗濯物や布団を外に干すこともできません。
 やがて郊外に出ると,列車は,大井川に沿って走っていくことになります。また,車内ではお土産の販売もはじまりました。思った以上に楽しいものです。
 現在は,途中の家山駅までしか運行していないので,列車に乗っている時間はわずか30分程度と,少し物足らないのが残念でしたが,ともかく,満足なSLの乗車となりました。

 なお,家山駅では,機関車の方向転換ができないので,列車は最後尾に電気機関車が接続されていて,帰りは,電気機関車が引っ張る形となり,SLは反対向きに進みます。
 SLが走る様子を写真に収めるなら,列車に乗らずとも,沿線のどこかでカメラを構えていてもいいかな,と思いました。

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 大井川鐡道のSL列車は有名で,多くの人が乗りたいと思っているのですが,不便なところなので,実行できないでいるようです。私もそのひとりでした。
 無知な私は,大井川鐡道の奥大井湖上駅を,先日行ったJR飯田線の秘境駅のひとつだと勘違いをしていて,それを悟って,急に,奥大井湖上駅に行ってみたくなったのでした。奥大井湖上駅までは,車なら,3時間ほどですが,それでは大井川鐡道で走っているSLに乗れません。そこで,日帰りで,大井川鐡道に乗って奥大井湖上駅を見てこようという計画を立てはじめました。しかし,大井川鐡道は,2022年の台風15号による被害で,途中の家山駅から千頭(せんず)駅までの区間が不通となっていて,その区間がバスによる代替輸送であり,しかも,バスの本数が少なく,日帰りでは不可能,ということがわかりました。
 そうこう調べていくうちに,1日目は,途中の寸又峡温泉に宿泊して寸又峡温泉の周辺を観光し,翌日,湖上駅に行くというコースを見つけ出したので,それを実行しようと計画を立てました。
  ・・
 計画の実行は,2024年5月27日から5月28日の1泊2日。平日でもあり,梅雨の前だから天気もよいだろうと思いました。そして,行きと帰りのSLと寸又峡温泉の宿泊を予約しまました。

 さて,出発当日になりました。
 意外にも,5月27日から5月28日は両日とも雨。しかも,台風の接近に伴って大雨,という予報でした。自他ともに認める晴れ男の私には,かなりのショックでした。よほどキャンセルしようかと思ったのですが,ともかく,一度は様子見だと,,行ってみることにしました。
 大井川鐡道は,静岡県のJR金谷駅に並ぶホームが始発駅です。JR金谷駅までは,名古屋駅から早朝,在来線で行きました。しかし,SLが出発するのは,金谷駅ではなく,その次の新金谷駅,ということで,まず,1駅だけ,普通の列車に乗る必要があったので,金谷駅で150円の切符を購入しました。

 やがてやってきた列車は,昔近鉄電車で使われていた特急列車の中古車両でした。シートがところどころ破れていたりしました。これだけでも何がしかの感慨をもちました。
 さて,列車は,金谷市街を大きく迂回しながら,新金谷駅に到着しました。迂回しているので,かなりの距離に思えましたが,地図で調べると,直線なら,歩ける距離です。雨が降っていなければ歩いたかもしれません。
 到着した新金谷駅は古びていましたが,それがまたいいというか,大井川鐡道は,昭和ムード満載なのです。駅前にあるPLAZA LOCOというところで,予約してあったSLの乗車券を購入しましたが,この日は空いていて,予約をしなくても,直接,乗車券は購入できるようでした。
 すでに,ホームには,SLが停まっていて,ムードが盛り上がりました。

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 日光橋から東南東へ,国道119号線に沿って歩いていくと,東武日光駅に戻ることができます。20分ほどかかりますが,ずっと下り道なので楽です。道路は,はじめの3分の1程度は工事中でした。完成すれば,東武日光駅から日光橋まで,美しい街並みができあがることでしょう。
 予定よりも早く日光観光を終えたので,時間がありました。来るときはわき目も振らず日光橋まで行って,どこも見なかったので,のんびり散策することにしました。

 まず,右手に見えた美しい建物は,旧日光市庁舎本館でした。訪日外国人旅行者を対象としたホテルとして大正時代に建築されたものですが,ホテルとして営業したことはなく,寮や市役所として利用されたそうです。現在は,建物の周辺は公園として整備され,2022年(令和4年)に旧日光市役所記念公園の名称で開園しました。耐震基準を満たさないため,建物の内部に入ることはできません。
 さらに進んでいくと,日光郷土センターがありました。ここには,観光案内所,江戸時代に作られたとされる弥生祭本家体,日光彫,日光下駄などの伝統工芸品を紹介するコーナー,日光の歴史を紹介するコーナーなどがあって,観光客が立ち寄ることができるのですが,一見,敷居が高そうで,あまり活用されていない状況でした。私は,駐車場に停まっていたキッチンカーでフルーツを買って,日光郷土センターの休憩所で食べました。
 さらに歩いていくと,仁右衛門という変わった名前の陶芸店に併設されたカフェを見つけたので,アイスコーヒーを飲みなら休憩しました。この店に「1,000円札が不足しています」と書かれてあったので,その理由を聞くと,手数料が高いのでクレジット払いはやっていないので,現金が必要だけれど,外国人観光客がATMでお金をおろすと10,000円札と2,000円札!ばかり出てくるので,おつりに大量の1,000円札が要る,という話でした。

 やがて,東武日光駅に着きました。
 まだ時間が早かったので,そこから歩いて,JR日光駅まで行ってみました。JR日光駅は,明治のロマネスクの香りを残す駅舎でした。1890年(明治23年)開業の木造建築の駅で,夜になるとライトアップによって,白亜の駅舎が幻想的な姿で浮かび上がるそうです。
 待合室にはたくさんの外国人観光客が列車を待っていました。東京から日光までは,私のように,東武浅草駅から特急に乗って東武日光駅に行くのが所要時間も51分でもっとも簡単ですが,東京駅から東北新幹線で宇都宮駅まで行き,JR日光線でJR日光駅まで行くと約1時間50分,また,安価で行くなら,東京駅からJR宇都宮線で栗橋駅で乗り換え,東武日光線で東武日光駅に行く約3時間コースもあります。多くの外国人がJR日光駅で列車を待っているのは,おそらく,JAPAN RAIL PASSを使うからだと思われます。


 JR日光駅から東武日光駅の間には松並木があります。そこを歩いて,東武日光駅に戻りました。
 もともとは,午後5時24分東武日光駅発の「リバティけごん」44号で帰る予定でしたが,時間が早かったので,午後4時22分東武日光駅発の「リバティけごん」40号に変更しました。簡単に変更できたのですが,その後,予約をした乗客が多かったらしく,出発時点では,満席でした。
 列車の中で食べようと,東武日光駅の売店で「宮の釜めし」という駅弁を購入しました。駅弁には「宇都宮・駅弁発祥の地」とありました。
  ・・・・・・
 日本初の駅弁として定説となっているのは,1885年(明治18年)7月16日,日本鉄道から依頼を受けて「白木屋」という旅館が販売した駅弁です。この日に開業した日本鉄道宇都宮駅で販売され「おにぎり2個,たくあん2切れ」を竹の皮に包んで5銭という内容でした。
  ・・・・・・ 
 そうそう,駅弁に気持ちがいってしまい,コインロッカーに預けてあった荷物を取ることを忘れていたことに,列車に乗る直前に気づきました。危うく大変なことになるところでした。

 北千住駅で降りて,地下鉄の千代田線に乗り換え,二重橋駅で降りて,東京駅からすでに購入してあった新幹線を変更して,予定より早く帰宅しました。
 北千住駅では,何と,東武電車と地下鉄の駅の間は改札口がなく,そのまま地下鉄のホームに出てしまい,「NIKKO MaaS」で旅をしていた私は戸惑いました。二重橋駅で地下鉄を出るときに有人の改札口だったので助かりましたが,無人だったら自動改札が出られませんでした。ICカード利用のときの利便性ばかりを追求し,駅の無人化を推進していますが,こうしたことまで考慮されていないことをいつも感じます。

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 私が行きたかったところはすべて見終えたので,昼食をとることにして,ちょうどいい場所に食事処があったので入りました。
 食事を終えて,まず,日光東照宮の宝物殿に行きました。
 日光東照宮の宝物館には,徳川家康の遺愛品をはじめとして,朝廷や将軍家や大名家からの奉納品,祭器具などを収蔵,展示公開していました。徳川家康着用の「南蛮胴具足」や名刀「勝光宗光」などの刀剣類,寛永の大造替に際して上棟祭に用いられた「大工道具及び箱」,「東照社縁起」,徳川家康の画像などを見ることができました。

 次に,日光山輪王寺へ行きました。
 日光山輪王寺は,勝道上人が四本龍寺を建てたのがはじまりです。天台宗総本山は比叡山延暦寺で,大本山は関山中尊寺,日光山輪王寺,東叡山寛永寺,定額山善光寺ということです。ここにある「三仏堂」は日光山最大の規模を誇る木造建造物で,千手観音,阿弥陀如来,馬頭観音という三体の巨大な金色の仏像が祀られていて,外国人観光客でごった返していました。
 また,日光随一の護摩祈願所として1998年に新築された大護摩堂があって,家内安全,身体健全,商売繁昌など現世利益を不動明王様の火炎によって祈願する護摩祈願が行われるところだったので,参列しました。護摩祈祷というのは密教の秘法で,火中に供物を投げ入れて供養し,その加護を願う儀式ということで,私は,はじめて見ました。
 護摩の焚き方は宗派や流派によってさまざまで,天台宗では,建立曼荼羅護摩儀軌(こんりゅうまんだらごまぎき),真言宗系では金剛頂瑜伽護摩儀軌(こんごうちょうゆがごまぎき)という仏様を供養する方法が書かれた本を基に行われるそうです。
 最後に,輪王寺の宝物殿と「逍遥園」という庭園に行きました。宝物殿では「家康公の遺宝と日光山」という展示が行われていました。おもしろかったのは,強飯式に関わる宝物でした。強飯式は,「日光責」の名で知られる全国でも稀な日光山を代表する古儀で,寺伝によると,山伏が入峰行(にゅうぶぎょう)の際,行場(ぎょうば)の本尊にお供えした御供(ごくう)をもち帰り,人々に与えたことがはじまりと云われています。
 また,「逍遥園」は江戸時代の日本庭園で,苔むした池泉回遊式の園内に,シャクナゲ,ツツジ,サツキなどが咲き,美しいところで,落ち着いたときを過ごすことができました。あれだけ人が混みあっていても,そのほとんどは団体客なので,こうした場所にはまず来ないのです。逆にいえば,団体ツアー旅行をしても,こうした場所には行くことができない,ということになります。

 これで帰ろうかと思ったとき,日光東照宮の五重塔が特別公開されていることを知って,戻りました。
 日光東照宮の五重塔は,酒井忠勝により1818年(文化15年)に建立されましたが,落雷のため一度焼失し,現在のものは,1818年(文政元年)に酒井忠進によって再建されたものです。高さは36メートルあります。
 日光東照宮の五重塔の特徴は,屋根からぶらぶらと吊るされている心柱です。この建築様式は東京スカイツリーでも採用されていて,その理由のひとつは,屋根は上から被せているだけなので屋根を固定するための重石がわりにしていること,ふたつ目は,地震が起きた際に,横揺れ,縦揺れを振り子のように揺れ,力を逃がす役割を果たしていることです。また,屋根は,屋根を支える柱の結合部分に杭や釘が使われおらず,上下の凹みに柱がはまり乗っているだけの作りになっていることで,地震が起きたとき,結合部分に柔軟性が生まれ,揺れの力を吸収するという仕組みになっています。
 一階部分の層には,東西南北の4つの面に,日光・富田宿の名工・後藤正秀が手掛けた「十二支の彫刻」があります。

 最後に,「神橋」を渡ることにしました。
 別名を山菅橋や山菅の蛇橋(じゃばし)という「神橋」は,二荒山神社の建造物で,日光山内の入り口にかかる木造朱塗りの美しい橋です。奈良時代の末に勝道上人が日光山を開く際,大谷川の急流に行く手を阻まれ神仏に加護を求めたところ,深沙王(じんじゃおう)が現れ,2匹の蛇を放ち,その背から山菅(やますげ)が生えて橋になったという伝説をもちます。
 現在のような朱塗りの橋になったのは1636年(寛永13年)の東照宮の大造替のときですが,1902年(明治35年)に洪水で流されてしまい,1904年(明治37年)に再建されたものです。日本三大奇橋のひとつで,夜間はライトアップを実施しているということです。

 こうして,私は,この日,日光2社1寺をすべて見て回ることができて,すっかり満足しました。

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 2024年6月8日,NHK交響楽団2024年6月Aプログラムを聴きました。
 毎年,6月の定期公演は,私にはなじみのない曲であることが多いのですが,今回は,とりわけ,全曲スクリャービンと,私にはまったく縁遠いもので,すべてはじめて聴く曲でした。スクリャービン(Aleksandr Nikolaevich Skryabin)は,1872年に生まれ,1915年に亡くなったロシアの作曲家です。
 指揮・原田慶太楼さん,ピアノ・反田恭平さんと,今,注目されるコンビに加え,コンサートマスター・郷古簾さんという,若々しいメンバーで,これだけでうれしくなりました。
 曲目は,「夢想」(Rêverie),ピアノ協奏曲,交響曲第2番でした。

 「夢想」は,当初の題名が「前奏曲」。とても美しい曲で,さあ,これから楽しい音楽の夢の時間がはじまりますよ,という感じがしました。文字どおり,この演奏会の「前奏曲」になりました。
  ・・
 ピアノ協奏曲は,ショパンの影響が濃厚に残る作品で,第1楽章は,短い導入のあと,メランコリックな旋律の第1主題,明るく甘い響きをもつ第2楽章が対位法的に旋律が絡み合う展開部を経て,再現部,そして,コーダと続きます。第2楽章は変奏曲。感傷を極めたかのような旋律の主題が,ピアノの細かいパッセージがセンチメンタルさを更に強調する第1変奏が第2変奏で前向きに一瞬動き出すものの,第3変奏で重厚なピアノが悩ましさを醸し出し,第4変奏では管弦楽が対位法的に絡み合い,最後に回帰した主題をピアノが装飾します。そして,第3楽章では,悲しくも力強い第1主題と祈りが上昇してゆくような第2主題が核になって,最後は,おもに第1主題が変奏されてクライマックスを迎えます。
 やるせなく美しい第1楽章,ピアノの枠に収まりきれずに滴り落ちるようなロマンの薫りの第2楽章,オブラートで包まれたような柔和な第3楽章からなる,美しく甘い旋律に彩られたこの曲は甘い香りのする極上のピアノ協奏曲でした。「もっとも美しいピアノ協奏曲」といわれるように,本当に美しく,感動しました。
 アンコールはグリーグ(Edvard Hagerup Grieg)の叙情小曲集から「トロルハウゲンの婚礼の日」(Wedding Day at Troldhaugen)でした。これがまたすばらしかった。
  ・・
 交響曲第2番は1901年に完成した初期の集大成で,ワーグナーに熱狂していたスクリャービンでしたが,ここでは,更に一歩前へ進んで,リヒャルト・シュトラウスにも接近しているそうです。全5楽章で,第1楽章と第2楽章,第4楽章と第5楽章は,それぞれ切れ目なく続けて演奏されます。
  第1楽章は,クラリネットが低い音域で奏する陰鬱な循環主題Ⅰと,ヴァイオリン,次いでフルートが独奏する明るい響きの循環主題Ⅱが全楽章を統べる主題となっていて,「悪魔的な詩」(Poeme Satanique)と称されるそうです。
 第3楽章は,フルートとヴァイオリンの掛け合いが小気味よく美しく,ブラームスのピアノ協奏曲第2番のチェロの独奏を思い出しました。
 スクリャービン自身は「作曲したときには気に入っていた曲ですが今となっては満足できません。終楽章が陳腐なもので」といい,いずれは終楽章を書き換えることも計画していたといわれますが,実現しませんでした。聞きやすい曲だという感想がみられますが,私は,第3楽章の美しく神秘的な曲が,最後にはただの平凡な曲になってしまったような気がして残念でした。
 3部構成に集約されているという観点から,マーラーの交響曲第5番の構成法にもよく似ています。スクリャービンは,生涯に5曲の交響曲を書きましたが,次第に楽章数を絞っていく方向に向かい, 最終的には単1楽章構成にたどりつきます。

 オールスクリャービンプログラムなんて,だれが聴きにくるのかな? 今日はガラガラだ,と思ったのですが,私の予想に反して,反田恭平さん効果なのか,満員札止めでした。私は,予習をして聴きにいったのですが,事前に思っていたよりもはるかに楽しく,久しぶりに,曲にのめりこみました。
 いい演奏会でした。

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 日光山輪王寺大猷院(たいゆういん)へ行こうと思ったのに,修学旅行生でごった返していたので,ひとまず二荒山神社に行きました。しばらく経って,空いただろうと思ったので,再び,日光山輪王寺大猷院へ向かいました。
 ちょうど修学旅行生が去ったところで,静寂に包まれていました。

  ・・・・・・
 大猷院は徳川家光の法号です。祖父である徳川家康を深く尊敬していた徳川家光は, 1651年(慶安4年)4月20日に若さで世を去りました。臨終に際して「死後も魂は日光山中に鎮まり東照公のお側近くに侍り仕えまつらん」と遺言,廟所は仏式で,荘厳は決して東照宮のそれを超えないようにと命じたと伝えられています。それに従って,4代将軍徳川家綱によって,この地に廟所が建造されました。
 建物は,本殿,相の間,拝殿に加え,壮麗な二天門,竜宮城を思わせる皇嘉門(こうかもん)からなります。また,大猷院の建物は日光東照宮の方角を向き,見守るように建っています。
  ・・・・・・
 徳川家光の墓所と宝塔は通常は非公開で,前回公開されたのは,350年目の命日である2000年だったそうで, 次の公開は400年目の命日である2050年になるそうです。今から26年先のことなので,私には,それを見ることは不可能です。
 これで,徳川将軍の墓所はすべて訪れることができましたが,徳川家光のものがもっとも豪華でした。

 大猷院の本殿,相の間,拝殿を見学することができました。
 ちょうど,説法が行われていて,龍神破魔矢(りゅうじんはまや)を勧めていました。私はテレビを見ないので知らないのですが,龍神破魔矢はテレビ番組で紹介して以来,入手困難なものとなっているそうです。
  ・・・・・・
 龍神破魔矢は,破魔矢発祥の烏摩勒伽(うまろきゃ)が持つ矢をかたどった物で, 昇り龍が彫刻してあり,一生まつれる破魔矢です。
 悪いものを祓い,願い事を叶える力があるといわれております。
  ・・・・・
という説明をしていました。
 大猷院には,日本でここにしか祀られていない東西南北を守護する阿跋摩羅(あばつまら),犍陀羅(けんだら),毘陀羅(びだら),烏摩勒伽(うまろきゃ)の四夜叉が鎮座しているそうです。
 私は,こうしたものには興味がないので,うまいこと商売しているなあ,と思っただけでしたが,人によっては,ありがたいものなのでしょう。

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 日光東照宮に徳川家康が祀られているのは知られていますが,3代将軍徳川家光の廟所が日光にあることは知らない人も多いと思われます。私も知りませんでした。そこで,今回,ぜひ行ってみようと思っていました。場所は,日光山輪王寺の離れにある日光山輪王寺大猷院(たいゆういん)です。
 日光東照宮の次に,そこへ向かいました。
 日光東照宮ではものすごい修学旅行生に迷惑をしていたのですが,さすがに,日光山輪王寺大猷院へは行かないと思っていたのが浅はかでした。ここもまた,大量の修学旅行生に占領されていました。もう少し後で行くことにして,その途中にあった二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)に寄ることにしました。
  ・・・・・・
 二荒山神社は式内社の論社,かつ名神大社(みょうじんたいしゃ)で,下野国の一宮です。
 律令の施行細則である延喜式によって官社に指定された神社の一覧(延喜式神名帳)に記載された神社を式内社といい,現在,それと同一もしくはその後裔と推定される神社のことを論社といいます。また,名神大社は,名神祭の対象となる神々を祀る神社のことで,ある神が名神と認められる条件は,官社に列し,大社に昇格している必要があるとされます。
 なお,下野国の二宮は不明です。
 日光三山を神体山として祀る神社で,男体山の山頂に奥宮(おくのみや),中禅寺湖のほとりに中宮祠(ちゅうぐうし),山内に本社がそれぞれ鎮座していて,境内は日光連山を含む3,400ヘクタールの広大な敷地で,神域には華厳滝やいろは坂も含まれます。
 神体とする男体山の古名が二荒山とされます。
  ・・・・・・

 祭神は大己貴(おおなむち),田心姫(たごりひめ),味耜高彦根(あじすきたかひこね)。大己貴は「日本書紀」に書かれた名で 「古事記」では大国主(おおくにぬし)。 田心姫は「日本書紀」に書かれた大己貴の妻で須佐之男の娘。味耜高彦根は「日本書紀」に書かれた子の名です。
 二荒山神社は,パワースポットとしても知られていて,二荒霊泉は日光二荒山神社の裏手にある恒霊山の洞窟の薬師の霊泉と日光二荒山神社の別宮である滝尾神社境内の酒の泉が流れ込んだ水で,飲むと眼病が治ったり若返ったりするといい伝えられているといいます。 さらに,縁結びのご利益でも有名で,滝尾神社の境内に生えている笹にお祈りをすると,恋愛だけでなく仕事や日常の人間関係でも良縁に恵まれるとされます。

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 まずは,日光東照宮です。
 私は,徳川家康が日光に葬られた以前,日光という地がどんな場所であったのか知りたかったので,まず,そこから調べてみました。
  ・・・・・・
●古代
 日光は,766年(天平神護2年)勝道(しょうどう)上人が男体山の登頂のために大谷川を渡って四本竜寺を創建したのがはじまりです。東の空に神々しい紫の雲が立ち昇るのをみて,この地に草庵を結び紫雲立寺と称したのが転じて「四本龍寺」となったといわれています。勝道上人が山頂を極めたのは16年後の782年(天応2年)でした。
 勝道上人は,男体山中腹の湖畔に神宮寺を創建し,のちに中禅寺として,山岳信仰の拠点となりました。
● 中世
 日光は,山岳信仰に神仏習合の信仰が加わって,二荒山(ふたあらやま=神が宿る山)と日光山(仏が護る山)の双方の名称を併用し,男体,女峰,太郎の三山にそれぞれ神(男体権現,女体権現,太郎権現)と仏(千手観音,阿弥陀如来,馬頭観音)が宿るという日光三所権現信仰が広まっていきました。さらに,関東における護(まもり)としての位置を築いていきました。
●近世
 1617年(元和3年),徳川家康の死後,その霊柩が久能山から日光へ移され,東照社が創建されたことで,日光は徳川家の霊地となりました。徳川家康の遺言を実行して日光に立派な社殿を造営し,東照大権現という神として祀った人物は南光坊天海です。1636年(寛永13年)3代将軍徳川家光の時代,「寛永の大造替」が行なわれ,豪華絢爛な社殿と結構美が整えられました。そして,日光山の最高責任者として法親王が迎えられるのが慣行となりこれが輪王宮として継承することとなりました。
●近代
 明治政府による神仏分離・廃仏毀釈によって,輪王寺宮は廃されましたが,保存運動もあって,一時は満願寺という寺号までまとめられた寺院組織は輪王寺の寺号が復活し,東照宮と二荒山神社の社格が定められ,2社1寺としてそれぞれ存立することになりました。
  ・・・・・・
 日本の多くの史跡は,第2次世界大戦で灰燼(かいじん)と化してしまいましたが,幸運にも日光がそれから守れられたことで,現在も当時の姿を見ることができます。

 私は,このところ,徳川将軍の霊廟のそのほとんどを見てきました。残るは,徳川家康と徳川家光ということも,今回日光を訪れた理由です。
 徳川家康の遺言によって,1周忌に2代将軍徳川秀忠によって造営されたのが日光東照宮の奥宮にある宝塔です。徳川家康の遺骸はこの中に葬られているとされます。宝塔は最初は木造,後に石造りになり,さらに1683年(天和3年)の大地震で破損したものを5代将軍徳川綱吉が現在の唐銅(からかね)製に造り変えたものです。私は,前回,日光に来たとき,ここを見逃したような気がしていたので,今回,長い険しい石段を歩いてやってきました。
 通説では,久能山から運ばれてきた家康の霊柩が日光に到着したとあり,徳川家康の遺体はこの地にあるとされます。しかし,それ以前,久能山に葬られた徳川家康の遺体は今も久能山にあり,日光には神霊だけが遷し祀られたはず,という説があります。
 ならば,私は,まだ行ったことがない久能山東照宮にも行ってみたい,と思ったことでした。
 日光東照宮は,外国人観光客ばかり,と聞いていたのですが,実際は,それよりも,中学生の修学旅行生だらけで,その人混みに私はげんなりしました。

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 2024年5月13日から5月14日まで1泊2日で行った日光への旅を書いています。
 旅の2日目。宿泊していた湯元温泉から,午前7時33分のバスに乗りました。このまま,東武日光駅まで行きますが,1時間16分かかります。
 今回,日光の旅をするにあたり,私としてはめずらしくガイドブックを買ったのですが,位置関係やどのくらいの距離があるのかなど,ガイドブックを見ても,全く把握できませんでした。
 実際は,多くの人が日光といってイメージするのは日光東照宮ですが,このあたりには,2社1寺といって,日光東照宮,日光山輪王寺(りんのうじ),二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)があって,これらは,東武日光駅から,バスもありますが,歩いても20分程度で行くことができて,半日あれば,見て回ることができます。また,華厳の滝というのが,次にイメージするものだと思いますが,華厳の滝は中禅寺湖の湖畔にあって,先に書いた2社1寺からバスに乗って50分ほど西に行ったところにあります。その途中で通るのが,いろは坂です。そこで,2社1寺と華厳の滝で浅草から1日コースとなります。
 私が泊まった湯元温泉は,中禅寺湖からさらに北西に,戦場ヶ原を越えて行くことになります。湯元温泉と戦場ヶ原,そして,中禅寺湖を観光しようとすれば,1泊以上必要ですが,これは,車で行かないと不便です。私は,今回,車でなかったから,戦場ヶ原も中禅寺湖もバスの車内から見るだけだったのが残念でした。

 さて,この日はとてもいい天気でした。早朝のバスは空いていて,戦場ヶ原,中禅寺湖を眺めながら,景色を楽しみました。
 やがて,いろは坂を越えて,バスは,日光市内に入ってきました。観光シーズンだと,このあたり,大渋滞することは容易に予想できますが,朝早かったこともあるのか,車は少なく,助かりました。これなら,心配していた人混みもなさそうだと,期待しました。
 やがて,東武日光駅に到着したので,バスを降りました。
 ちなみに,東武日光駅とJR日光駅は,歩いて5分ほどです。
 私が,途中で降りず,東武日光駅まで行ったのは,コインロッカーに荷物を預けるためでした。
 東武日光駅に観光案内所があったので,どういうコースで回ればいいかを聞いて,地図をもらいました。2社1寺までは歩けるということだったので,歩きだしました。東武日光駅からの道路は整備しなおしている途中でした。すべてがなだらかな上り坂でしたが,行きが上りで帰りが下りだから救われます。20分ほど歩いて,2社1寺の手前まで到着しました。

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 翌朝は,いい天気になりました。私はとても早起きなので,この日も,早朝起床して,朝食の時間まで,湯ノ湖畔を1周することにしました。
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 湯ノ湖は,北東にある三岳火山の噴火によってつくられた堰止湖で,湖畔にある日光湯元温泉からの湯も流れ込んでいます。標高1,478メートルで,面積0.32平方キロメートル,最大水深12メートルで,1周約3キロメートルあって,遊歩道が完備されています。
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 1時間ほどで歩くことができるというので,散歩を楽しみました。
 まだ朝早いので,ほかにだれもおらず,鳥の音も聞こえて,とても気持ちがよい時間を過ごすことができました。

 湯ノ湖の南側に湯滝があります。
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 湯滝は,高さ70メートル,最大幅25メートルで,華厳の滝,竜頭の滝と並んで奥日光三名瀑のひとつです。また,華厳の滝,竜頭の滝,裏見滝,霧降の滝で日光五名瀑のひとつともされています。
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 私は,湯ノ湖の周りを歩いていたので,湯滝は,上からしか見ることができなかったのが残念でしたが,すごい迫力でした。
 湯滝を流れ落ちた水は,戦場ヶ原を流れる湯川となり,竜頭の滝を下って中禅寺湖へ流入します。
 滝の側面には遊歩道が設けられていて,落ち口,滝壺,側面の三面から滝の姿を鑑賞することが可能ということなので,次回来ることがあれば,訪れてみたいものだと思いました。この日は天気がよかったので,通り過ぎただけで,少しもったいない気がしました。
 なお,湯滝という名前ですが,流れ落ちるのは,湯ではなく水です。

 旅館に戻って,朝食をとりました。
 湯元温泉から東武日光駅に向かうバスは午前7時33分で,これを逃すと,次が午前8時25分だったので,早々に朝食を済ませてチェックアウトをして,バス停に向かいました。

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 華厳の滝を見終えて,次のバスが来るまでの間,栃木県立日光博物館に行きました。そこで聞いてみると,ここはコロナ禍のころは,自然がたくさんあるということで人気だったということです。今は逆に来る人が減ったという意外な話でした。中禅寺湖のあたり,とてもいいところでした。魅力的でした。ただし,先に書いたように,ここに来るには,いろは坂を走らなければならない,というのが最大の問題です。

 さて,日光といってもどこがどこかわからなかったので,ネットで適当に調べて,ここなら安価だし食事もついているし温泉だし感じがよさそうだったから,というだけの理由で予約したのが,湯元温泉の「奥日光万蔵」という旅館でした。バスの終点,湯元温泉で降りると,その目の前に目指す旅館がありました。こりゃ便利だと思いました。
 旅館は,古いものでしたが,食事もおいしく,なにより,温泉が最高でした。
 旅館の周りを歩いてみました。
 湯元温泉もまた,すばらしいところでした。私が理想とする場所のひとつだ,と感じました。日本にこんなところがあるんだなあ,と思いました。

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 788年(延暦7年),四本龍寺(紫雲立寺)を建立した勝道によって発見されたのが発端の湯元温泉は,冬の寒さが厳しいため,昭和の初期までは夏だけの湯治場でした。
 湯ノ湖畔に約23軒のホテルや旅館がありますが,歓楽色はありません。湯には湯の花が浮かび,温泉街には温泉地ならではの硫黄臭が漂います。
 源泉地は温泉街のはずれの湯ノ平湿原にあり,ここの源泉が日光湯元の各旅館への配湯だけでなく,近くの光徳温泉や中禅寺温泉まで分湯されています。また,源泉地の隣にある日光山輪王寺別院の温泉寺にも温泉が引かれていて,参拝客は男女別の共同浴場として利用できます。
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 わたらせ渓谷鐵道に乗ってみたい,ということからはじまって,ついでに日光へ行こう,となって,そして見つけた「NIKKO MaaS」でした。私は「相老・赤城ルート」というもので旅をしているのですが,ここで,ふたつの大いなる誤算に気づきました。
 そのひとつは,わたらせ渓谷鐡道の最終地点である間藤(まとう)駅,足尾駅,通洞(つうどう)駅から,東武日光駅までの区間は,東武鉄道が発行しているサービスであるにもかかわらず,東武バスには乗ることができない,ということでした。この区間は,本数の少ない,日光市営バスしか乗ることができないのです。
 ふたつめは,私が予約した旅館があるのが,奥日光で,それは承知していたのですが,奥日光までも「NIKKO MaaS」の「相老・赤城ルート」では利用できない,ということでした。
 どうやら,「NIKKO MaaS」の「相老・赤城ルート」は,わたらせ渓谷鉄道を使ったのちは,日光市営バスに乗って,直接,東武日光駅まで行くのであればいいのですが,今回の私のように,奥日光で1泊して,翌日,日光を観光しようという目的にはそぐわないのでした。しかし,それでは
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 「MaaS」(マース=Mobility as a ServiceMaaS)は,公共交通を含めた自家用車以外の全ての交通手段による移動をひとつのサービスとして捉え,シームレスにつなぐ移動の概念,また,それを目的としたサービスのことです。
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という目的にはほど遠いものです。

 さて,私は,この日に日光観光をして,翌日に奥日光を観光するか,その反対にするか迷っていたのですが,この日は,直接,奥日光に行くことにしました。そこで,わたらせ渓谷鐡道を通洞駅で降りて,足尾銅山観光をしたのち,日光市営バスに乗って,途中の清滝で降りました。清滝から奥日光に向かう東武バスに乗り換えることになります。
 足尾銅山で昼食を食べそこねた私は,清滝は乗り換えができるようなバス停だから,その周りにレストランがあるだろう,そこで昼食を,と思っていたのが間違いでした。たった1軒あったのが,焼きそば専門店で,日光まで来て焼きそば? と思ってやめました。しかし,このあたり,この店のほかにも,焼きそば専門店があったから,焼きそばは,日光のソウルフードなのでしょうか。
 やがて,バスが来たので乗り込みました。
 けっこう多くの人が乗っていました。
 私がめざすのは,奥日光の湯元ですが,その途中の中禅寺湖で降りることにしました。目的は華厳の滝です。以前来たときに行った覚えがあります。このあたり,華厳の滝以外にも,中禅寺湖畔に何かありそう,戦場ヶ原も楽しそう,と思ったのですが,今回はどういうところかわからないので,パスしました。
 中禅寺湖に行く途中に走ったのが,いろは坂でした。前回来たときもバスでこの坂を通って,そのときに,これが有名ないろは坂か,と思ったことを思い出しました。
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 毎年紅葉シーズンになると全国各地から多くの人がドライブで訪れるいろは坂。下り専用の「第一いろは坂」と上り専用の「第二いろは坂」であわせて48のカーブがあるので「いろは48音」になぞらえてこの名前がつけられたとされています。道の全長は15.8キロメートル,標高差は440メートルあります。
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 標識に,実際「い」「ろ」… と表示されていて,「ん」を見ると感動しました。
 奥日光に行くには,西の沼田市から,冬には閉鎖になるくねくね道を通る以外は,いろは坂を走るしか方法がありません。こんな急カーブを走るのは,観光目的ならともかく,毎日と考えると,憂鬱になります。湯元も中禅寺湖も戦場ヶ原もいいところですが,この道を走らないと行けないと考えると,次回行くには二の足を踏みます。
 
 やっと坂を上りきって,中禅寺湖に着きました。
 ここでバスを降りました。バスターミナルのあたりに,2,3軒の食堂があったので,その1軒に入りました。湯波そばがおすすめということだったので,それを注文しました。私は無知だったのですが,日光では湯波そばが名物でした。
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 ゆばは,豆乳を煮つめたときに表面にできる被膜をすくい取ったものです。
 京都府と日光市が産地として有名で,京都府では湯葉と表記されますが、日光市では湯波とされます。
 京都では,端から引き上げるため1枚の葉になるから湯葉,日光では,真ん中から引き上げるため2重になって全体に波のようなシワができるので湯波。
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だそうです。

 やっと昼食をとることができたので,華厳の滝に向かいました。少し歩くと,華厳神社と広い駐車場があって,それを超えると,華厳の滝のまわりのみやげ物店が見えてきました。
 華厳の滝は,歩いて展望台に行くこともできるようでしたが,エレベータを使えば,滝を下から見上げることができる,とあったので,躊躇なく,それに乗りました。実際,エレベータを使わないと,高い所から遠くにある華厳の滝を見ることになり,エレベータを使うと,真下から迫力ある華厳の滝を見ることができるようでした。
 エレベータの到着を待っていると,やがて扉が開いて,定員以上の大量の中学生が降りてきて驚きました。彼らと一緒にならなくてよかったと思いました。ゴールデンウィーク後のこの時期,観光地はどこも空いているのですが,強敵はインバウンドの団体,旅行社のツアーに加えて,修学旅行生です。中でも,修学旅行生は,主体的に来ているわけではないので,最大の難敵です。
 あまり雨が降っていないので,滝は迫力に欠けましたが,それでも,水が落ちていただけマシだったというか…。後でネットで見たら,台風のあとの華厳の滝はものすごい迫力のようでした。

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 足尾銅山は,1550年(天文19年)に発見されたと伝えられ,1610年(慶長15年)に百姓ふたりが鉱床を発見し,江戸幕府直轄の鉱山として本格的に採掘が開始されました
 江戸時代の足尾の町は「足尾千軒」といわれる発展を見せました。
 その後,一時は採掘量が極度に減少し,幕末から明治初期にかけてはほぼ閉山状態となっていましたが,古河市兵衛が足尾銅山の経営に着手し,1881年(明治14年)に有望鉱脈を発見し,20世紀初頭には日本の銅産出量の40%ほどの生産を上げる大銅山に成長しました。
 しかし,足尾山地の樹木が伐採されたり,鉱石を製錬する工場から排出される煙が大気汚染を引き起こしたりという広範囲な環境汚染を引き起こし,足尾鉱毒事件が起きました。
 1973年(昭和48年)2月27日をもって採鉱を停止し,銅山としての歴史を閉じました。
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 現在は,銅山の歴史を伝える施設である足尾銅山観光が1980年(昭和55年)に開業し,トロッコで坑道に入り見学することができます。また,近隣には,古河足尾歴史館があるのですが,開館しているのは土曜日,日曜日,祝日のみなので,私が行った日は閉まっていました。

 わたらせ渓谷鐡道の通洞駅から足尾銅山観光まで歩いて5分ほどということでした。おそらくそこにレストランでもあるだろうから,お昼を食べて,3時間程度を過ごせばいいか,と何となく思い,ともかく,行ってみることにしました。
 駅を出て右手に向かって進むと広い駐車場があって,その向こうに,入口がありました。ここは,鉱山として観光用に開放している施設としては国内有数の規模だそうです。入抗料金を払って中に入ると,15分ごとというトロッコがすぐに出発したのは,幸運でした。乗っていたのは5,6人でした。
 トロッコは3両編成の人車の前にバッテリーロコがついた編成で,出発して100メートルほど程進むとバッテリーロコは切り離されてバッテリーとモーターを内蔵した人車で,さらに100メートルほど坑内に進んで行って終点です。そこから順路に従って徒歩で坑内を観て行くものでしたが,江戸時代,明治時代,昭和時代と,古い時代から順を追って作業の様子や施設の状況を人形や音声を用いて紹介しています。
 300メートル程の坑内を見終えると坑外に出て,そこに削岩機やバッテリーロコ,ロッカーショベルが展示されていました。そこから出口に至るまで,一旦屋内に入ると展示がありましたが,そこには,小学生がいっぱいでうんざりでした。
 一応,レストランらしきものがありましたが,やっているのやら,いないのやらでした。

 以前,佐渡の金山に行ったことがあるので,私には新鮮なものでもありませんでしたが,足尾銅山がどういうものかわかって,納得しました。足尾銅山に寄ることができるかどうかわからなかったので,行くことができて満足しました。
 時間を見ると,午前11時7分に通洞駅前にやってくる日光市営バスに間に合いそうだったので,駅に戻ることにしました。ということで,バスに乗ることができましたが,せめてあと30分あれば,もっとゆっくりできたのに,と思いました。

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 わたらせ渓谷鐡道は,始発から終点まで,約44キロメートルで,1時間30分ほどです。私の住む地方には,樽見鉄道というものがあって,これは約35キロメートルなので,同じような感じですが,樽見鉄道の場合は,終点の樽見駅まで行っても,結局は戻るしかなく,それに比べれば,わたらせ渓谷鐡道は,終点の間藤駅まで行ったとき,バスで日光へいくことができるだけ,救いがあります。
 ちなみに,先日乗った只見線は約135キロメートルあって,4時間45分かかるので,それよりはずいぶん短いです。
 こうした地方鉄道は,住民の足であれば,必要不可欠なものですが,どこかへ観光で行くついでに,となると,けっこう不便です。本数も少ないから,1日かけて,単に列車の旅を楽しみ,沿線の景色を楽しみ,途中下車を楽しむ,と割り切ったほうがよいのかもしれません。

 わたらせ渓谷鐡道の魅力は,風景でしょう。だから,桜の時期とか紅葉の時期に,トロッコ列車に乗るのが正当な観光なのでしょう。しかし,私は,人混みはきらいなので,わざわざ混雑すると思われる時期を外してやってきたことに加えて,雨が降っていたので,乗客はたったふたりでした。途中で,みやげ物を売りに来たのですが,何せ,私が買わねばだれが買う,という状況に追い込まれてしまったので,普段はまったくみやげ物は買わない私ですが,やむを得ず,1品購入することになってしまいました。
 ちょうど半分くらいすぎたところに神戸(ごうど)という駅がありました。この駅には,列車のレストランというものがあって,昼食をとったり弁当を購入することができます。ただし,私の乗っている列車が神戸駅に着いたときは,午前10時前,ということで,それもままならず,そのまま過ぎました。
 神戸駅を過ぎると,渡良瀬川には草木ダムがあって,列車は長い草木トンネルに入ります。草木トンネルは長さが5キロメートル以上もあって,体感ではもっと長い距離のような気がしました。やっとトンネルを抜けると,沢入(さわいり)駅で,このあたりが,わたらせ渓谷鐡道でもっとも景色が美しいところだそうです。また,沿線にサルが出没する,という話でした。

 そうこうするうちに,列車は通洞(つうどう)駅に到着しました。終点のふたつ前の駅です。
 このあたりにあるのが,足尾銅山で,最寄りの駅は,この通洞駅です。せっかく来たのだから,足尾銅山を見学したいものだと思ったのですが,わたらせ渓谷鐡道は本数も少ないので,次の列車までの時間をどう過ごせばいいのかわかりません。また,ここからは日光市営バスに乗り換えることもできるのですが,その本数も少ないので,どうしようかと迷っていました。
 通洞駅に到着したのが午前10時21分で,通洞駅から接続する日光市営バスの時間が午前11時7分,そして,その次が午後1時17分です。午前11時7分では,40分程度しかなく,その次の午後1時17分になると,今度は,3時間もあるのです。せめて2時間後なら,と思いました。
 何かねえ,これでは「MaaS」の意味がありません。
 あれこれ迷いつつ,通洞駅で下車してしまいました。

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