しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

March 2025

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【Summary】
After departing in the late afternoon, I began exploring Miyako Island without much prior knowledge. Heading north, I bypassed several spots before reaching Ikema Bridge, unaware that other bridges connected nearby islands. Crossing to Ikema Island, I circled it clockwise, discovering Ikema Lighthouse and Kagimmi Beach but missing Ikizu Beach, famous for its heart-shaped rock. I also visited Ikema Wetland, a significant site for migratory birds, formed through land reclamation projects from 1924 to 1982.

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宿泊先を出発したのが午後4時前だったので,これから島を1周,といっても,どこまで行くことができるなか,と思いました。ともかく,行けるだけ行って,あとは次の日,と思いました。この時点では,まだ宮古島のことはほとんど何も知りませんでした。
宮古島は北に向かって島が細長く,半島のようになります。そこを走っていくわけですが,まず見つけたのが砂山ビーチというところでした。しかし,そこはまた縁があれば,ということで通過して,さらに進みます。次に見つけたのが宮古島海中公園という看板でした。ここもまた,通過して進みます。
やがて,島の先端近くまで来ました。そこにあったのが雪塩ミュージアムでしたが,雪塩とは何ものか? と思っただけで,さらに,池間大橋に向かいます。

ついに,池間大橋に到着しました。ここから池間島(いけまじま)まで,1425キロメートルの海上橋を渡ります。
いくら何も調べてこなかったといっても,宮古島は隣の島まで,橋が架かっている,ということくらいは知っていたので,この橋を渡るのが楽しみでした。
いや,私は,それもまた,勘違いをしていました。
この時点では,島と島を結ぶ橋はこれだけだと思っていたのです。実際は,伊良部島とを結ぶ伊良部大橋と来間島とを結ぶ来間大橋がありました。これらの橋は翌日にわたることになります。

さて,池間大橋を渡り終えて,池間島に着きました。ともかく,丸い池間島を,時計回りに1周することにしました。
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池間島は,宮古島の北西1.5キロメートルに位置し,面積2.83平方キロメートル,周囲10.1キロメートルの島で人口は約600人です。
沖には八重干瀬とよばれる巨大な干瀬があって,ダイビングスポットとしても有名です。
池間島自体,かつては南北に走る細長い海峡で隔てられたふたつの島で,16世紀のはじめ,海峡の北側に,狩俣の豪族「四島の主」が石橋を架けふたつの島を行き来できるようにしたそうですが,ほどなく堆積した砂によって石橋は埋もれてしまい,ふたつの島はつながって,現在の姿となりました。
  ・・・・・・

池間島の見どころは,イキヅービーチということでしたが,何も知らず走っていた私は,見逃しました。イキヅービーチにはハート岩があって,これはNHK連続テレビ小説「純と愛」の ロケ地としても使われたものだそうです。そもそも「純と愛」を見ていなかったので,話になりませんが。「自然の力でハート型にくり抜かれた岩から宮古ブルーの海が浮かんだように見える光景はまさしく絶景」ということで,ここは 恋人たちのメッカだそうです。
私がまず見つけたのは,1940年(昭和15年)初点灯の池間島灯台でした。南方に宮古島北西端の西平安名岬を望むこの灯台は高さ23メートルで,平坦な池間島においてランドマーク的な存在となっているそうです。
次に見つけたのがカギンミビーチ(池間ロープ)でした。
そこから島の内部に向かう道路があって,その先に池間湿原(ユニムイ,ユニムイ湿原)があるというので,行ってみました。
池間湿原は,渡り鳥の飛来地としても重要なばしょだそうです。堆積した砂によってふたつの島だった現在の池間島ですが,かつての海峡は細長い入り江となり「イーヌ・ブー」(北の入り江)とよばれるようになっていました。1924年(大正13年)から1934年(昭和9年)にかけて,このイーヌ・ブーの干拓事業が行われ,約20ヘクタールの干拓地が造成され,さらに,1963年(昭和38年)から1982年(昭和57年)にかけての漁港工事によって外海との水路が完全に遮断されたことで,現在の湿原となりました。

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【Summary】
On March 29, 2025, I attended the Nagoya Philharmonic Orchestra’s open dress rehearsal for its 95th Civic Hall Masterpiece Series concert. The rehearsal featured movements from Sibelius’s Symphony No. 1 and Yuzo Toyama’s Symphony "Nagoya". The symphony, commissioned in 1984, incorporates local folk melodies, making it accessible and evocative.

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 2025年3月29日の夜,日本特殊陶業市民会館フォレストホールで名古屋フィルハーモニー交響楽団の第95回市民会館名曲シリーズ〈和欧混交Ⅴ/外山雄三,山本直純とシベリウス〉が行われたのですが,そのお昼に,「次シーズンの定期会員券または市民会館名曲シリーズセット券を検討中の皆様を対象に「公開ゲネプロ」を実施いたします」という話があったので,応募したら当選したので,聴いてきました。
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 ゲネプロは,ドイツ語で「Generalprobe」,英語では「Dress rehearsal」。
 オペラやバレエ,演劇などの舞台芸術やクラシック音楽において,初日公演や演奏会の本番間近に本番同様に舞台上で行う最終リハーサル,「通し稽古」のことを意味する。
 無観客であることを除けば,完全に本番と同じである。部分的な練習はゲネプロとはよばれない。
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とWikipediaにあって「無観客であることを除けば」と書かれているのに,それが公開とは何ぞや,とも思うのですが,まあ,細かいことは抜きとして,こういうのは興味深いものです。

 当日,ゲネプロのあとで行われた演奏会の内容は,名古屋フィルハーモニー交響楽団音楽監督・川瀬賢太郎さん指揮,名古屋少年少女合唱団の児童合唱,名古屋フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター・小川響子さんのヴァイオリンで,曲目が外山雄三の交響曲「名古屋」,山本直純の児童合唱と管弦楽のための組曲「えんそく」,そして,シベリウスの交響曲第1番でした。
 約1時間の公開ゲネプロでは,その中で何が聴けるのかな,と思いましたが,実際は,シベリウスの交響曲第1番と外山雄三の交響曲「名古屋」でした。時間が限られているので,全曲を通して,というわけにはいかず,それぞれ,楽章ごと約8割程度で行われました。
 以下,シベリウスの交響曲第1番はなじみの曲なので,それ以外の演奏された曲目の紹介をします。
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●外山雄三の交響曲「名古屋」
 1984年に書かれた外山雄三の交響曲「名古屋」は,開局15周年を迎えた「中京テレビ」による委嘱作品で「名古屋」をテーマにした4楽章,演奏時間約25分の曲です。当時,名古屋フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を務めていた外山雄三が,第1楽章・熱田神宮の1月行事「踏歌神事」の催馬楽,名古屋城築城の木遣り等による幻想曲,第2楽章・「北設楽郡」の田植え歌「田峰田楽」,美濃地方の「谷汲踊」をテーマにしたスケルツオ,第3楽章・「子守唄」,そして,第4楽章・「木曽川護岸工事唄」をテーマにしたロンド形式によるフィナーレという内容で,日本の原風景も感じ取れ親しみやすい作品です。
  ・・
●山本直純の組曲「えんそく」
 山本直純という人は,20世紀後半に活躍した作曲家兼指揮者で,NHKの委嘱で1964年に作曲された「えんそく」は,山本直純が32歳のときに作曲した 阪田寛夫の詩に作曲した児童合唱組曲で,遠足の1日を題材としている児童合唱組曲の草わけとして知られているそうです。
 山本直純は,「オーケストラがやってきた」という,クラシック音楽の啓蒙番組をやったり,テレビのチョコレートのコマーシャルに出たりと,まるで,大家らしくなかったので,私には,変なおじさん,というイメージしかありませんが,実際は,祖父は実業家,祖母は作家・有島武郎の妹,母はピアニスト,父は作曲家で指揮者の山本直忠という血統書つきの人でした。
 時代が悪かったのか? 家族のために生活していかねばならなかったからか? お酒を飲みたかったのか,あるいは,当時,日本フィルハーモニー交響楽団が財政難になって,それを小澤征爾さんが天皇に直訴したというのが話題になったりしたことがあったのですが,独立して新たに発足した新日フィルハーモニー交響楽団の窮地を救うために仕事を作る必要だったためか…。「遠足」のヒラメキと自然さに満ちた作品が書けた彼が,タレントとしてあのような形でオーケストラ界に足跡を残したことが彼にとっていいことだったかどうか…? という話で,井上道義さんは「あの番組(「オーケストラがやってきた」)は山本直純さんにとっては両刃の剣のようなツールではなかったか?」と書いています。
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 「えんそく」は聴くことができませんでしたが,交響曲「名古屋」は聴きやすい曲だったので,ゲネプロでは全曲を聴くことができなかったのが残念でした。

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【Summary】
I arrived at my accommodation at 3 PM. It was a renovated house with several rooms, but I was the only guest. The place was disorganized, but I only needed a place to sleep. Attracted by the rental car, I set off to explore. Compared to Tanegashima, Miyako Island's landscape was less pristine. Despite its small size (158.9 km²) and lack of remoteness, it had a dense population of 50,000, similar to Ishigaki Island but more crowded than other remote islands like Sado or the Oki Islands.

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ともかく,チェックイン時間ちょうどの午後3時に宿泊先に着きました。
改装中の1軒屋に数部屋客室がありましたが,宿泊者は私だけでした。2階のひと部屋があてがわれました。寝るだけが目的だったので,これでよかったのと,今にも壊れそうな軽自動車つきで安価っだことに惹かれて予約したのですが,ちゃんとした「わ」ナンバーでした。車のキーをもらって,さっそく外に出ました。

そもそも,これまでにも書いたように,何も調べてこなかったので,この島に何があるのか皆目見当がつきませんでした。ともあれ,島を時計回りに1周することにしました。西海岸に沿って,北に進みました。宮古島の北端の先には池間島があるのですが,1992年に池間大橋が開通して,橋を渡って島まで行くことができるようだったので,まず,そこをめざしました。
つい1週間ほど前に種子島へ行ったので,どうしても比べてしまうのですが,島の中も道路も,そして,海岸も美しかった種子島にくらべると,宮古島は,たしかに海岸は美しかったのですが,島のさまざまな建物も道路も決してきれいでありませんでした。それにしては,観光客が多い島でした。それに,石垣島に行ったときに感じたような最果て感もないなあ,というのが私の第一印象でした。
私がこれまでいろいろなところに行き過ぎたからかもしれません。

石垣島は面積222.2平方キロメートルで人口は約5万人,宮古島は158.9平方キロメートルで人口は約5万人。ちなみに,種子島は面積445.1平方キロメートルで人口は約3万人です。
もう少しつけ加えると,佐渡島は面積855.7平方キロメートルで人口は約5万人,隠岐諸島は島後が面積243.0平方キロメートルで人口が約1万5,000人,島前が西ノ島,中ノ島,知夫里島の3島合わせて108.0平方キロメートルで人口が約6,000人です。
つまり,宮古島は狭いのに人口が多い島,ということになります。

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桜満開。

名古屋市東山動植物園の桜が満開です。
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【Summary】
On March 4, 2025, I flew ANA from Chubu Centrair to Miyako Island, arriving at 2:30 PM. I hadn't checked my hotel’s location beforehand but found it in the city center. Taking a local bus, I reached my hotel by 3 PM. Miyako’s buses operate loosely, lacking tickets or fare charts.

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2025年3月4日。
今回は,セントレア・中部国際空港午前11時30分発のANAに乗ります。セントレア・中部国際空港までは,事故やら架線故障で頻繁に遅れたり不通になる名鉄はまったく信用できませんが,今回はその名鉄で行くことにしました。時間に余裕がるから,もし名鉄が不通になっても,何とかなるでしょう。
セントレア・中部国際空港から宮古島までは2時間50分もかかります。さすがに,宮古島までは遠いなあ,と思いました。オーストラリアのブリスベンからニュージーランドのクライストチャーチまでと同じくらいです。

この日は風が強く,出発は10分程度遅れました。
JALもANAもそうですが,LCCと違って,搭乗案内も機内放送も,いろいろとうるさすぎます。たかが国内線で,座席のグレードによって搭乗の優先順位を設けるなんて馬鹿げています。さっさと後部座席から乗せればいいのです。また,乗ってからも,単にシートベルトをしてください,というだけでいいのに,くだらない注意事項を,何度も何度も,まるで,小学生の生活指導です。もう少し,静かにしてもらえないものでしょうか。これでは,機内でもくつろげません。特にANAはひどいです。乗りたくありません。
LCCは不快な会社と快適な会社にわかれます。先日,LCCで行った石垣島は最悪で,いくら安価でもこれでは二度と乗りたくないと思いました。今回の宮古島はANAだったので,少しはましかと期待したのですが,座席の狭さもLCC並みで,たいへん残念でした。
機材はボーイング737- 800で,一般の客席は横に通路を挟んで3席ずつありました。

午後2時30分に宮古空港に着陸しました。
到着前「宮古島の気温は現在6度」というわけのわからない機内放送があってびっくりしましたが,すぐに「26度」という訂正がありました。飛行機から外に出ると,蒸し暑い空気が襲いました。暑い!
宮古空港は滑走路が短い空港で,長さが2,000メートルしかないので,着陸時のブレーキが強く,急に減速しました。ちなみに,セントレア・中部国際空港の滑走路は3,500メートルあります。
プロペラ機の離陸には最低1,000メートル,ジェット機の離着陸には1,500メートルから2,000mが必要とされています。また,国際線のような長距離便では3,000メートルほどが必要とされています。

今回は,まったくモチベーションの上がらなかった旅だったから,2泊する宿泊先がどこにあるのかさえ事前に調べてこなかったので,急遽,飛行機に乗る前にネットで見たら,宮古島の市街地の真ん中でした。私は,てっきり空港の近くだと思い込んでいたのですから,いいかげんな話です。
今回は,宿泊先にレンタカーがついているので,いつものように,空港でレンタカーを借りません。そこで,宿泊先までなんとかたどり着かなくてはならないのですが,空港から市街地までは歩ける距離でなく,どうやって行くのかさえわかりませんでした。まあ,何とななるわ,と思っていました。
飛行機を降りて,空港ターミナルに入ると,目の前に案内所があったので,市街地までどうやって行くのか急いで聞きました。どの市街地ですか? と言われたので驚きました。このとき,宮古島に市街地がたくさんあるのかな? と思いました。実際は,宮古島で市街地といえば,宮古市の市街地しかありませんでした。おそらく宮古市役所まで行けば何とななるだろうと思いなおして,宮古市役所まで行くバスはどこから出るのか,と聞きなおすと,空港の左手という話でした。ちょうど2時35分発のバスがあるというので,急いで行ってみると,ちょうどバスが2台来ました。

先に来たバスの運転手に聞くと宮古市役所に行くのは後ろのバスだというので,後ろにいた5系統のバスに乗りこみました。乗った後,持っていたiPhone の GoogleMaps を見たら,宮古市役所は空港の近くで,市街地にはないことがわかって,愕然としました。まあ,方向的には間違ってないから,宿泊先に近づいていくのを確かめて,離れて行ったらそこで降りるつもりでしたが,幸運なことにバスは私の望んだ市街地に進んでいきました。そのうち,私の予約した宿泊先に最も近い市場通りというバス停に差し掛かったので,そこで降りました。240円現金で払ってバスを降りました。バス停から5分くらい歩くと,宿泊先に何とかたどり着きました。ちょうど午後3時でした。奇跡的に大正解,最速でした。
ところで,宮古島のバスは,たいへんいい加減な乗り物でした。乗るときに整理券がないのにもかかわらず,料金が乗車したバス停によって違うのです。しかも,料金表すらどこにも掲示してありません。そこで,降りるときに自己申告をして運転手のいわれるままお金をはらうことになります。当然Suicaなど使えません。こんないいかげんなやり方で運用できているのが私には不思議なことでした。

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【Summary】
I impulsively booked a trip to Miyako Island after finding a cheap ANA ticket, despite having no particular interest or plans. I then reserved a budget stay that included a free rental car. Unlike my well-planned trips, I did no research and lacked motivation, especially after an unexpectedly great trip to Tanegashima. The forecast was poor, but with Japan facing a cold wave, Miyako’s 25°C weather was a relief.

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何となくやっている離島めぐり。種子島から帰って来たばかりなのですが,今度は宮古島へ行ってきました。ということで,今日からは,2025年3月4日から3月6日まで,2泊3日の宮古島の旅行記です。
それにしても,昨年は,只見線や津軽鉄道と,冬の間,北に向かって旅をしていたのに,その1年後は南に向かって旅をしていることが,自分でも不思議です。

どうして宮古島へ行く気になったのか,自分でもよくわかりません。
そもそものきっかけは,ANAの国内航空券格安セールというのがあって,沖縄本島にでもいこうかな,と何となく思っていたら,宮古島,というのを見つけてしまって,衝動的に予約した,ということなのです。
私は,沖縄本島にはまだ行ったことがありません。はじめての沖縄県というのが石垣島だったのですが,今回もまた,そのような衝動的理由によって,宮古島に行くことになって,沖縄本島に行きそびれてしまいました。とはいえ,宮古島には全く興味がなかったし,何をしに行く,というあても何もなかったのだから,ひどい話です。

航空券を買ってしまったので,その次は宿泊先だと調べて行くと,素泊まりの宿で,軽自動車が無料で借りられて,1泊7,000円程度,というよくわからないものを見つけたので,まあ,寝られればいいや,とばかりに,これもまた,衝動的に予約をしてしまいした。私は,何事も,リッチにやるかチープにやるかの2択です。今回は,チープにやることにしたわけです。
事前にやったのはこれだけのことでした。離島旅のお供は,「地球の歩き方・島旅」ですが,今回はそれすらを買ったわけでもないし,ネットで見どころを調べたわけでもないし…。しかも,種子島の旅行が期待以上だったことから,宮古島へ行く気も完全に失せてしまい,まったく,モチベーション上がらず,行く日がやってきました。
そんなことも影響したのか,天気予報も散々でした。ただし,この時期,本州から北海道は,またまた寒波ということで,最高気温が10度ほど,しかし,宮古島は25度とか書かれてあったので,何を着ていくのか,何を持っていくのか,かなり迷うことになりました。

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【Summary】
I concluded my trip to Tanegashima, returning via Kagoshima Airport to Centrair. Tanegashima Airport was peaceful, and I watched planes from the observation deck. On the way back, I saw Yakushima, Mageshima, Kaimondake, and Sakurajima. Though tranquil, Tanegashima has an ongoing Self-Defense Force base construction. With few inbound tourists, it was an enjoyable trip.

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2泊3日の種子島の旅もこれで終わりです。
帰りは,行きと反対に,日本コミューター午後6時種子島空港発,午後6時35分鹿児島空港着,そして,ソラシドエア午後8時45分鹿児島空港発,午後10時セントレア・中部国際空港着でした。しかし,遅れていて,鹿児島空港発が15分ほど遅れていました。
種子島空港は,以前行ったニュージーランドのクイーンズタウンの空港ととてもよく似ていました。プロペラ機のみが発着する空港は,どこもこんな感じです。こののどかさがたまりません。
空港に着く前,種子島宇宙センターから種子島空港に向う間,左手に屋久島がとてもきれいに見えました。山頂には雪がありました。また,途中に横峯遺跡という縄文時代の遺跡がありました。

やがて,種子島空港に到着して,レンタカーを返しました。係員がいなければ,車をロックして,カウンタにキーを返却すればいい,と言われていたのですが,まず,レンタカーの駐車場がどこにあるか戸惑いました。入口の左側の駐車場のはずなのですが,進入禁止とあったのです。この表示は正しくなく,レンタカーは侵入してもよかったのです。迷っていたら,レンタカー会社の人が来たので,助かりました。私の到着が早く,ちょうど,種子島に到着する便の前の時間だったので,係の人がいたようでした。
飛行機の離発着をみることができる展望台があったので,そこでしばらく飛行機を眺めていました。とはいえ,この空港は1日に4便ほどしかありません。待合室もあってないようなものでした。
やがて,搭乗時間になったので,乗りこみました。旅行者はそれほど多くなく,地元の人が利用するから,最終便の機内は空席がけっこうありました。

やがて,眼下に馬毛島が見えました。
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種子島の沖合おおよそ10キロキロメートルの地点にあ る無人島・馬毛島では,自衛隊基地の建設が進められ ています。この基地は,空母艦載機が東京・硫黄島で暫定実施 している訓練(FCLP=Field-Carrier Landing Practice) で使用されることを目的に建設されます。基地は通常は自衛隊が使用し,年に数回,在日米軍が訓練使用するというものです。
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ということで,この平和そうな種子島も,また,きな臭いところでした。そのために,種子島には自衛隊関係者が多く滞在しているということでした。
そのうちに,鹿児島の薩摩半島の開聞岳が見えてきて,そのあと,巨大な桜島が見えました。左手に座ったのがよかったのでしょう。

定刻に鹿児島空港に到着しました。ちょうど夕食時間だったので,何軒かある空港の食堂は混んでいました。適当に夕食を済ませて,あとは,ラウンジで過ごしました。
来る前は,何があるのだろう? と思っていた種子島でしたが,とてもたのしい3日間を過ごすことができました。なんといっても,インバウンド客が皆無だったのが最高でした。内緒にしておきたい穴場の離島でした。

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【Summary】
I attended a live performance of Beethoven’s String Quartets No. 14 and No. 15 for the first time. Sitting in the front row, I could see the sheet music clearly, making the experience even more engaging. The slow movements required great skill and coordination. Listening to string quartets in a small hall is a rare luxury, and it was a wonderful experience.

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 弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調は,ベートーヴェンが亡くなる1年前の1826年に完成したもので,第13番,第15番と並ぶベートーヴェン最晩年の弦楽四重奏曲の傑作です。特に第14番は最高傑作といわれます。また,第14番は第12番,第13番,第15番のあと15番目に作曲されたものです。
 最晩年,ベートーヴェンは,交響曲第9番のあと,弦楽四重奏曲を第12番から第16番まで5曲書きました。
 第14番は,依頼によって書かれたものでなく,自発的に作曲されたベートーヴェンの会心の作で,内側からの欲求によって作られたより芸術性の高い作品に仕上がっているといいます。
 7楽章からなり,全曲は休みなく連続して演奏されます。第1楽章は第2楽章の長い序奏,第3楽章は第4楽章への,そして,第6楽章を第7楽章への序奏楽段と位置づけて,拡大された4楽章であると解釈するといわれます。
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●第1楽章
 自由な形式のフーガで,はじめに歌われる第1ヴァイオリンの寂寥にあふれるふたつの動機によって楽章全体が構成されていきます。「音をもって表現しうる最も悲痛なるもの」とワーグナーが評しました。
●第2楽章
 いきいきとした主題を持つロンドですが,自由な形式になっています。
●第3楽章
 11小節しかなく,次の楽章への経過句です。
●第4楽章
 長大なもので,32小節と長い主題が第6変奏まで展開されます。
 ベートーヴェンが晩年に力を入れていた緩徐楽章における変奏曲形式の頂点であり,最後の変奏は主題の原型から大きく隔たった旋律にまで変化しており,変奏の可能性の極限を追求しようとしていることがみてとれる,と評されます。こころ休まる音楽です。
●第5楽章
 スケルツォに相当し,諧謔的な主題をもちます。
●第6楽章
 嬰ト短調というベートーヴェンには非常に珍しい調性をもちます。ヴィオラによって物悲しいカヴァティーナ風の旋律が歌われ,最終第7楽章への導入的性格が濃いといわれます。
● 第7楽章
 ソナタ形式。行進曲調の叩きつけるような第1主題がほぼ原形を保ったまま何度も現われます。
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 はじめて聴いたときは,エッ,7楽章? おもちゃ箱をひっくり返したようだなあ。晩年のベートーヴェンは何を血迷っていたのか,と若気の至りで思いましたが,こういう構成にしなければならなかった深い想いというものがあったのでしょう。本当にすばらしい曲ですが,演奏は大変そうです。

 弦楽四重奏曲第15番は,1825年に作曲したもので,第12番,第13番と同じくロシア貴族ニコライ・ガリツィン(Nikolai Borisovich Galitzin)に献呈されたもので「ガリツィン四重奏」といわれます。作曲順は第12番の次で第13番よりも前になります。
 当初は,通常の4楽章構成を考えていたようですが,病気のために作曲が中断され,快復して再着手した際にリディア旋法(Lydian)による第3楽章が挿入されたものだそうです。
 リディア旋法とは教会旋法のひとつで「ドレミファソラシド」をファからはじめた旋法。長音階「ドレミファソラシド」の第4音「ファ」を半音上げたものと同じです。
 ただし,リディア旋法「ファソラシドレミ」では主音「ファ」と第4音「シ」の間が増音程となってしまい, 中世ヨーロッパでは「悪魔の音程」として嫌われていたため,リディア旋法の曲では第4音「シ」にしばしば♭がつけられました。しかし,こうすると,これはもう普通の長音階(長調)と変わりません。…という解説を読んでも,私にはよくわかりませんでした。
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●第1楽章
 序奏つきソナタ形式。
●第2楽章
 スケルツォというよりもむしろトリオつきのメヌエットというべきものです。
●第3楽章
 リディア旋法。五部形式で 「リディア旋法による病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」と題された最も長い楽章です。この楽章は神々しく絶品です。泣けます。
●第4楽章
 二部形式の短い間奏曲です。行進曲風の前半部ののちに、レチタティーヴォ風の楽句がありすぐに終楽章につながっていきます。
●第5楽章
 交響曲第9番の器楽による終楽章だったのもが放棄され,弦楽四重奏曲第15番の第5楽章となりました。さすがに堂々とした曲で,これがオーケストラ用に編曲されていたらどんなものになっていたのだろうと興味があります。
 「私が音楽で知るうち最も美しいもの」とフランスの作家マルセル・プルーストは絶賛しました。また,トーマス・マンはこの作品を「最高級」と位置づけ,「私は「ファウストゥス」(Doktor Faustus=ファウスト博士-架空の近代音楽作曲家アドリアン・レーヴァーキューン (Adrian Leverkühn) の運命をファウスト伝説を下敷きにして描いた長編-)執筆中の数年間にあたかも摂理によるとでもいうように,幾度も確かに5度まで,聴く機会をもった」と記しています。
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 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番,第15番とも,これまで生演奏で聴いたことがなかったので,非常に興味深かったです。自由席で,座ったのが,最前列の第1ヴァイオリン奏者の真ん前だったので,楽譜(パート譜)がよく見えたから,楽譜(パート譜)を見ながら曲を聴くような感じになりました。
 テンポの速いところや聴かせどころはそれなりに聴けるのですが,テンポが遅いところを4人で合わせながら演奏するのはずいぶんと大変だなあ,と思いました。かなりの技術が必要だと実感しました。
 室内楽,特に弦楽四重奏曲を聴くのは,音楽を聴きこんでいない人には難しいだろうし,それを小さなホールで味わうのはこの上ないぜいたくなことだと思いました。すてきな時間になりました。

第1楽章第2楽章第3楽章第4楽章第5楽章第6楽章第7楽章


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【Summary】
The user attended the 5th Nagoya performance of KOTO QUARTET on March 23, 2025, at HITOMI Hall. The program featured Beethoven's late string quartets (No. 14 & No. 15). The quartet consists of musicians from different orchestras and backgrounds, united by chamber music. The user, a passionate listener of Beethoven’s late quartets, appreciates the intimacy and depth of string quartet performances.

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 2025年3月23日暖かな日曜日,KOTO QUARTETの第5回名古屋公演を聴きました。
 KOTO QUARTETは,ヴァイオリンが佐藤一紀,春日井久美子,ビオラが叶澤尚子,チェロが一樂恒というみなさんで,プログラムは,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番と弦楽四重奏曲第15番でした。
 会場は名古屋市千種区にあるメニコンのHITOMIホール,100人程度が入る小さな会場でしたが,満席でした。
 佐藤一紀さんは,いずみシンフォニエッタ大阪のコアメンバー。春日井久美子さんは,シュトゥットガルト在住で,日本ではKOTO QUARTET,名古屋弦楽四重奏団,室内楽集団レーベインムジークの奏者として活動している人,叶澤尚子さんは,名古屋フィルハーモニー交響楽団首席ヴィオラ奏者,一樂恒(いちらくひさし)さんは京都市交響楽団チェロ奏者です。

 私は,弦楽四重奏曲を聴くのが好きです。特に,晩年のベートーヴェンの弦楽四重奏は,演奏するのはもちろん,聴くほうも,みんな難解だといいますが,私には最高の曲です。私が通った中学校では音楽の授業のレベルがとても高く,そのときの先生が,ベートーヴェンの晩年のピアノ・ソナタや弦楽四重奏はすごく変わっている,と言ったのをずっと覚えていて,持ち前の好奇心が手伝って,そういったことを聞くと聴いてみたくなる私は,すっかりはまりました。とはいえ,今とは違って,YouTubeもなく,音源を探すのに苦労しました。学生にはレコードやCDは高嶺の花でしたし。
 今は,聴くだけなら容易ですが,生演奏に接しようとなると,東京ならともかく,私の住む地方では,室内楽の演奏会を聴く機会はあまりありません。残念だなあ,と思っていたら,見つけました。こりゃ聴かねばならぬ,ということで,出かけていったわけです。

 KOTO QUARTETが演奏するベートーヴェンの弦楽四重奏曲の演奏会は今回が第5回ということだったので,これまで知らなかったのがとても残念でした。
 普段オーケストラのコンサートを聴きにいくと,特に,私の苦手なR・シュトラウスなど,あふれんばかりの団員さんがステージにひしめいていて,えらい大げさな,こんなに多くのメンバーが必要なのか? と疑問に思うのですが,同じ感動を味わえるのなら,できるだけ質素のほうがすてきじゃないか,というのが私の言い分です。500ページもする小説と31文字の短歌の違いというか,日本文化の枯山水のようなものなのかもしれません。とりわけ,ベートーヴェンの作品はこころにしっとりと入ってきます。
 私は,まったく楽器が弾けないので情けないのですが,もし,ヴァイオリンやヴィオラ,チェロを弾くことができたのなら,こうした室内楽を楽しみたいものだなあ,と思うわけです。うらやましい限りです。ただし,聞くところによると,4人メンバーを揃えるのは難しく,また,揃ったとしても,音楽感の違いもあり,プライドもあり,なかなか仲よくやるのが大変なのだそうです。だから,気の合うメンバーと巡り会えたら,さぞ,幸せなことでしょう。
 今回のメンバーは,どういったつながりなのかな。

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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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【Summary】
On the last day in Tanegashima, I joined a bus tour of the Tanegashima Space Center. Before that, I climbed Kāmoni-no-Mine, which offered a great view despite the steep path. The tour visited the Rocket Garage, the assembly building, and the launch site, where the H-IIA No. 50 was being prepared. It ended at the control center. Finally, I visited Takezaki Observatory, where the media covers rocket launches.

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1日目に種子島に来たとき,真っ先に向かったのが種子島宇宙センターでした。しかし,バスツアーがあることを知らず,参加し損ねました。そこで,最終日にバスツアーに参加しようと,午後1時出発のものを予約してありました。バスツアーに参加すると,一般には見ることができないロケットの打ち上げ場や総合管制棟を見学することができるということでした。
午前11時30分ごろに到着したので,まず,1日と同じように,食堂に行って,昼食をとりました。しかし,後で考えれば,ここで昼食をとらずとも,南種子町の「食堂・美の吉」で昼食をとれば,インギー鶏を食べることができたのでした。残念なことをしました。

昼食を終えて,宇宙科学技術館はすでに見たので,バスツアーの集合時間まで,カーモリの峯という,種子島宇宙センターを一望できる小高い山に登ってみました。カーモリの峯は,宇宙科学技術館前が登り口となっていました。
  ・・・・・・
標高75メートルカーモリの峯展望台からは,全長32.57メートル,重量90.38トン、直径2.44メートルのN-1ロケットの実物大模型をはじめ,遠くには点在する小島も見え絶景です。
  ・・・・・・
ということで,難なく登れるように書いてありましたが,実際はかなり険しく,大変でした。
しかし,登りきった展望台からは,象の水飲み岩という名前のついた岩もよく見えました。また,その向こうには,雪を被った屋久島が展望できました。

カーモリの峯から戻って,ロビーで時間まで待ちました。
バスツアーの参加者は,私のほかには,老夫婦が1組と男性3人でした。あとでツアーのガイドをしている女性が教えてくれたことには,この男性3人のグループのうちのひとりが,元管制官ということで,その人が知人を連れてやって来たようでした。
バスツアーは,まず,ロケットガレージに行きました。ここには,打ち上げられなかったHⅡロケットが展示されていて,ここだけは写真撮影可ということでした。そのあと,ゲートをくぐって,大型ロケット組立棟を経て,大型ロケット発射場へと向かいました。
現在,ロケットはHⅡAロケットの最後となる50号機の組み立て準備がはじまるところということで,普段は閉まっている大型ロケット組立棟の扉が開いていました。そして,HⅡAロケット50号機の機体が愛知県から運び込まれているところでした。HⅡAロケット50号機は,温室効果ガス,水循環観測技術衛星「GOSAT-GW」を打ち上げ予定ということです。
最後に,総合管制棟を見学して,バスツアーが終わりました。楽しい時間でした。
最後に,ロケットの打ち上げのとき,報道は,竹崎展望台から取材をするそうです。ここの屋上が開放されているというので行ってみました。ここからの景色が,まさに,ロケットの打ち上げ時に見られるものでした。

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【Summary】
At a concert conducted by Nodoka Okisawa, Dai Fujikura's Double Concerto for violin and flute received its Japan premiere. The interplay between the violin (Mayumi Kanagawa) and flute was impressive, requiring strong coordination. The performance was captivating, with solos by concertmaster Rinon Aida also standing out.

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 今回の演奏会の曲目のうち,藤倉大作曲「ダブル協奏曲-ヴァイオリンとフルートのための」の日本初演は,いわゆる現代音楽なので,どうなることか,と思いました。
 藤倉大(ふじくらだい)さんは1977年生まれの現代音楽の作曲家です。15歳で単身イギリスに渡りハダースフィールド国際現代音楽祭で作品が初演されました。今回の「ダブル協奏曲-ヴァイオリンとフルートのための」について,藤田大さんがこのように書いています。
  ・・・・・・
 この作品の作曲のきっかけはパトリツィア・コパチンスカヤからの依頼だった。
 「もしもし。あなたのコンサートのアンコールで僕の作品を弾いてくださったと聞きました」
 「私にダブル協奏曲を書いて! もうひとりのソリストはクレア・チェイスね!じゃあね!」
 突然,ヴァイオリニストのパトリシア・コパチンスカヤさんから僕の携帯にかかってきた電話。 僕はすぐにクレアにメッセージを送ってみた。彼女もこのダブル協奏曲の話には驚いた様子だったが,それ以上にとても喜んでいた。
  ・・
 この作品のイメージは,ヴァイオリンとフルートのソロが時折一体となり,まるで空を自由に飛び回る鳥のような存在だ。二羽は時に輪を描くように,また,時にはスパイラルを作りながら飛び回る。オーケストラは,そんな二羽の飛び回る残像を描くように,この二羽を先頭に自由に舞う鳥の群れ,いわゆる 「Swarming」 を表現しているようだ。
 二人のソリストは常に繋がっており,オーケストラと二人も繋がっている。もしかすると,皆で1羽の大きな鳥なのかもしれない。
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 今回の演奏会は,ヴァイオリンが,パトリツィア・コパチンスカヤに代わって金川真弓さんです。金川真弓さんもまた,私は,今回はじめて聴きました。今回の曲は,ヴァイオリンとフルートの丁々発止の掛け合いの妙がおもしろく,よほど息が合わないとむずかしいものだろうなあ,と感心しました。
 このところ,諏訪内晶子さん。神尾真由子さんと,女性ヴァイオリニストの演奏を聴いているのですが,それぞれ個性があって,とても楽しいです。

 というように,沖澤のどかさんの指揮する演奏会を聴きたくて足を運んだのですが,それ以外に,さまざまな新しいときめきを味わうことができました。
 いうまでもなく,沖澤のどかさんの指揮は期待通りすばらしく,よく音が鳴るし,メリハリがあるし,また,2曲目の「英雄の生涯」でヴァイオリンのソロを弾いたコンサートマスターの会田莉凡さんもすばらしく,楽しい時間をすごすことができて,とても幸せでした。


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【Summary】
In March 2025, I attended a concert conducted by Nodoka Okisawa with the Kyoto Symphony Orchestra in Hyogo. The program featured Dai Fujikura's Double Concerto (Japan premiere) and R. Strauss's Ein Heldenleben. Having been impressed by her NHK Symphony Orchestra performance on FM radio in 2024, I eagerly anticipated experiencing her live for the first time.

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 2025年3月16日,兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホールで「沖澤のどか指揮 京都市交響楽団〈英雄の生涯〉」と題した演奏会を聴きました。その前日,京都市交響楽団第698回定期演奏会として京都コンサートホール・大ホールで行ったものと同じ曲目の演奏会でした。京都市交響楽団常任指揮者・沖澤のどかさんの指揮で,曲目は,ヴァイオリン・金川真弓さんとフルート・クレア・チェイスさんの演奏する藤倉大作曲「ダブル協奏曲-ヴァイオリンとフルートのための」の日本初演とR・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」でした。
  ・・・・・・
 -指揮者・沖澤のどか,芸術文化センター初登場! 京都市交響楽団とその名を轟かす-
 2019年ブザンソン国際指揮者コンクール優勝。2020年から2年間,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で芸術監督キリル・ペトレンコの助手を務める。2024年には,生前の小澤征爾の指名によりセイジ・オザワ松本フェスティバルの首席客演指揮者に就任。
 今,世界の楽壇が熱視線をおくる指揮者・沖澤のどかが,常任指揮者を務める京都市交響楽団とやってくる!
 本公演における沖澤と京響の意気込みを感じずにはいられない。夢をふくらませて3月を待とう。
  ・・・・・・
 ということで,夢をふくらませて3月を待ちました。

 私は,これまで,沖澤のどかさんの指揮する演奏会を会場で聴いたことがありませんでした。2024年6月14日と6月15日に行われたNHK交響楽団第2014回定期公演Cプログラムで指揮をしたのをFM放送で聴いて,こりゃすごい,と関心をもったのがはじめです。沖澤のどかさんのすごさは,ベートーヴェンやブラームスなどのドイツ音楽はもちろんのこと,私が苦手とするフランス音楽だろうと,R・シュトラウスだろうと,そのどれも,聴いていてのめりこんでしまうところにあります。
 昨年は,2024セイジ・オザワ松本フェスティバルでブラームスの交響曲第1番と第2番を指揮して,話題となりました。
 ということで,今回,はじめて,生演奏を聴くことができるのをとても楽しみにしていました。

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【Summary】
Five years after the last visit, the user returned to Futagawa-juku on the old Tokaido road. The streets and atmosphere remained unchanged, but the narrow roads with heavy car traffic made walking unpleasant. They revisited the Futagawa Honjin Museum and had lunch there again. They wish to find a place free from car traffic for a more relaxing experience.

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 豊橋総合動植物園から二川駅まで戻ってきました。これから北東に歩いて行くと,旧東海道の二川宿に入ります。
 以前,二川宿を歩いたのは,今から5年ほど前のことでした。
 昔のブログを探してみると,日にちが書いていないので,よくわからなかったのですが,調べてみると,2020年1月17日金曜日,ハプスブルグ展を鑑賞してから上野動物園でパンダとハシビロコウを見て,夜はNHK交響楽団第1931回定期公演を聴いたあと小田原で1泊して,翌日1月18日に小田原から名古屋まで,蒲原駅と二川駅で途中下車をしながら帰ったようです。また,NHK交響楽団第1931回定期公演というのは,ツィモン・バルトという人がピアノを弾いたブラームスのピアノ協奏曲第2番という,今でも私がトラウマになっている演奏会でした。
 月日の流れは早いのか遅いのかよくわからねど,その後,コロナ禍が世界に猛威をふるいました。

 さて,再びやってきた二川宿ですが,5年前とほとんど何も変わっていませんでした。5年前にも
  ・・・・・・
 江戸時代宿場だったところはどこも車がすれ違いないくらいの幅で狭く,宿場を外れると道路が広くなって歩道ができます。そうした宿場町のなかには道路を拡張してしまい,そのために宿場にあった家々が無残に取り壊されてしまったところも少なくないのですが,二川宿は現在県道404号線となっている道路は宿場の中だけはそのままの幅で残っています。しかし,そうした道路にも現在生活道路としてけっこう車の行き交うところとそうでないところがあって,この二川宿は頻繁に車が行き交うので歩いていてとても不快になります。
  ・・・・・・
と書いたのですが,今回も全く同じで,ここは,街並みこそ旧東海道の名残があっても,あまりに車が多く通り,しかも道が狭いものだから,まったくもって,のんびりと街歩きをたのしむようなところではありませんでした。

 また,5年前に食事をした
  ・・・・・・
 江戸時代,二川宿には本陣と脇本陣がそれぞれ1軒,旅籠が約30軒ほどありました。二川宿の本陣は数度の大火に遭いながらもそのたびに再建されてきましたが,明治後も取り壊されずに残った本陣の一部が1988年に改修,復元が行われました。また,本陣のとなりには旅籠も当時のように再現されていて,その両者が「豊橋市二川宿本陣資料館」として公開されています。また,ここにはレストランがあって,手作りの昼食をとることができました。
  ・・・・・・
もそのままで,今回も,ここで昼食をとることができました。
 気候がいいときに,特に何をする,でもないところに出かけて,時間を費やすのは悪くありません。
 願わくば,車社会と無縁の場所を探したいと思ったことでした。

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【Summary】
On a rare warm and sunny March 14, 2025, the writer visited Toyohashi General Botanical and Zoological Park (Nonhoi Park) near Futagawa Station. The park, ranked 8th in size among Japanese zoos, was quiet on this weekday. They noted the comfortable enclosures, the limited number of Sumatran orangutans in Japan, and challenges like surplus males in breeding. After two hours, they left the park.

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 2024年の夏は異常に暑く,秋がなく,冬になったら今度は異常に寒く,2025年の3月になっても,依然として過ごしにくい気候が続いています。そんな中,2025年3月14日だけは,突然気温が高い晴れた日となったので,気候につられて外に出ました。
 旧東海道の二川宿を歩こうと,JR東海道線に乗って,二川駅に行きました。
 二川宿は,二川駅の北東に広がっています。と,その前に,二川駅の南,10分ほど歩いたところに豊橋総合動植物公園(のんほいパーク)があるので,寄ってみることにしました。
 2024年10月5日,機関車トーマス号に乗車した帰りにも寄ってみたのですが,そのときはすごい人でした。この日は平日ということもあり,きっと人が少ないだろうな,と期待しました。開園は午前9時で,その時間に入りましたが,やはりほとんど人はいませんでした。

 日本の動物園の広さは,1位が東武動物公園で61ヘクタール,2位が名古屋市東山動植物園で60ヘクタールということです。豊橋総合動植物公園は40ヘクタールで第8位だそうです。なお,約5ヘクタールがプロ野球のグランド程度です。
 私は,年間パスを持っていることもあり,名古屋市東山動植物園へはたびたび出かけるのですが,名古屋市東山動植物園の広さは植物園が貢献しているのであって,動物園は豊橋総合動植物公園のほうがずっと広いです。なんといっても,オリが広いというか,オリがない。ここで飼われている動物は居心地がいいだろうな,と思います。
 私が愛着をもっているのはオランウータンですが,動物園のオランウータンは激減していて,特に,スマトラオランウータンは,全国に7人しかいません。豊橋総合動植物公園にはペアでいたのですが,相性が悪いということで,子供が生まれず,現在,子作りのためにメスのウランは市川市動植物園に移ってしまい,雄のウータンくんしかいませんでした。

 動物は生き物であるゆえ,動物園にはさまざまな問題があります。
  ・・・・・・
 以前は,上野動物園にも多摩動物公園にもゴリラ,オランウータン,チンパンジーがいましたが,ゴリラは上野動物園に,他の2種は多摩動物公園に集約しました。そして,上野動物園はゴリラの運動場をふたつ造って群れづくりをはじめ, 多摩動物公園には国内随一の充実したオランウータン舎を造りました。他の動物も同様で,トラは上野がスマトラトラ,多摩がアムールトラと分担しました。
 このようにしてブリーディングローンを普及させているのです。
 それでも残る頭の痛い問題が「余剰個体」です。
 オスとメスが同数生まれるのに,野生では繁殖に参加できないオスが多い動物には必然的につきまといます。それは,オス1頭,メス2頭が自然の状態なのに,オス2頭,メス1頭だとオスどうしが大ゲンカして飼えないのです。このような問題が行き着く先はスペースとコストの問題です。
  ・・・・・・

 やがて,幼稚園や中学校の遠足で多くの若い人がやってきました。それでも,気候のいい季節の週末とは違って,閑散としていて,なかなかいい雰囲気でした。
 2時間程度滞在して,豊橋総合動植物公園を後にしました。

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【Summary】
My main goal that day was to join a guided tour of the Tanegashima Space Center at 1:00 PM. Before that, I visited the Hirota Site, a burial site from the late Yayoi to the 7th century, known for over 44,000 shell ornaments. Excavations revealed that the Hirota people were shorter than Yayoi people from northern Kyushu and had unique customs like tooth extraction and flattened skulls. The Hirota Site Museum opened in 2015, displaying artifacts and excavation sites. The connection between the Hirota people and Jomon people remains a mystery.

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この日の私の最大の目的は,午後1時からはじまる種子島宇宙センターのガイドツアーに参加することでした。それまで時間があったので,種子島宇宙センターの近く,太平洋に面した海岸砂丘上に広田遺跡(ひろたいせき)があったので,寄ってみることにしました。
  ・・・・・・
広田遺跡は,弥生時代後期から7世紀にかけての墓地遺跡で,国の史跡となっています。
1957年(昭和32年)から1959年(昭和34年)にかけて,盛園尚孝,国分直一,金関丈夫によって発掘調査が行われ,90基の埋葬遺構から157体の人骨,44,000点以上の貝製品が出土しました。特に「貝符」「竜佩形貝製垂飾」などの貝製品の出土で知られます。
  ・・・・・・
遺跡の隣接地に,2015年(平成27年)に「広田遺跡ミュージアム」が開館しました。立派な建物で,日広田遺跡から出土した資料などが展示されていました。また,遺跡公園として,発掘跡を見て回ることができました。

  ・・・・・・ 
弥生時代後期から古墳時代の種子島は,日本本土と異なり,古墳や墳丘墓などはつくらず,海岸の砂丘に墓地をつくっていたようです。埋葬された人骨を調べた結果,広田人は,身長が成人男性で平均約154センチメートル,女性で平均約143センチメートルしかなく,同じころの北部九州の弥生人と比べても10センチメートルほど身長が低い人々であることがわかりました。
また,上顎の側切歯を1本だけ抜歯したり,後頭部を扁平にしたりする特異な習俗をもつことがわかりました。
また,これらの人骨は、奄美・沖縄諸島でとれる貝を素材とした貝輪や玉,幾何学文が彫刻された貝符や,竜佩形貝垂飾など総数44,242点にも及ぶ豊富で多彩な貝製の装身具を身につけていました。
  ・・・・・・

種子島には,縄文時代の遺跡も数多くあり,古くから,この地に人が住んでいたことがわかります。そうした縄文人と,この広田人のつながりはどうだったのでしょうか?
私は,これまで,日本各地のこうした遺跡を訪れているのですが,いつも,不思議な気がします。

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【Summary】
I visited Nakatanegashima Town to see Japan’s largest cycad and the Furuichi Residence. The cycad, over 600 years old, stands in Sakai Toyouke Shrine. Nearby is the Hyōshi Stone, linked to Nichirō Shōnin’s missionary work. The Furuichi Residence, built in 1846, is the oldest house on Tanegashima. A staff member guided me inside, where many hina dolls were displayed.

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昨日時間がなくて行くことができなったのが中種子町にある日本一の大ソテツと古市家住宅だったので,この日は,西之表市から国道58号線を南下して,中種子町に行きました。中種子町の「歴史の里坂井公園」に広い駐車場がありました。そこに車を停めれば両方とも歩いていくことができます。ここもまた,私以外に車の1台もありませんでした。本当に観光客のいない島です。
日本一の大ソテツは,駐車場から歩いて1分ほどの神社の中にありました。調べてみると,この神社は,坂井神社とあったり,豊受神社とあったりしました。また,坂井豊受神社とかかれたものもありました。
  ・・・・・・
中種子町坂井本村に鎮座する坂井豊受神社の祭神は豊受大神です。
1477年(文明9年)坂井の地頭が12代・種子島忠時に請願して,浄光寺境内に社殿を設け,五穀の神・豊受大神を祀っています。その後,1869年(明治2年)の廃仏毀釈により浄光寺廃寺となり,社殿も改築し現在に至っています。
  ・・・・・・
とあるので,坂井という場所にある豊受大神を祀った神社なのでしょう。
境内には樹齢600年以上といわれる日本一の大ソテツがありました。雌株のソテツで樹高8メートル,樹長12メートル、根回りは2メートル以上あって,幹から何本もの枝がわかれ,その重さで折れないように鉄柱で支えられていました。

神社の前の広場にあったのが,日良法印御墓所跡でした。日良上人は,日典上人の遺志を継いで種子島をはじめ屋久島,口永良部島の3島を律宗から法華宗に改宗した人でした。
また,その隣に矢止石がありました。
  ・・・・・・
日典上人の遺業を継ぐために来島した法弟・日良上人は,領主・種子島時氏以下全島民を法華宗に改宗せしめました。しかし,邑主・坂井左京之進は律宗に確執し,日良上人に敵意を懐き,遠矢を以て上人を射殺しようとしましたが,遠矢は巨石に当って一矢も上人に当たらりませんでした。
ついに,日良上人の功力に心服して,一族挙げて法華宗に信順するようになりました。
浄光寺の門前に矢止石と称して之を保存します。
   ・・・・・・
と碑文にありました。

古市家住宅は,散策道を小川に沿って3分ほど歩いたところにありました。古市家住宅は種子島で最古の住宅です。
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古市家住宅は,建物に残されていた棟札から1846年(弘化3年)に建てられたものです。この家を建てた古市源助は,坂井村で庄屋や横目といった重要な役職を努めた郷士でした。
建物は座敷部と土間部からなり,平面はL字型をしています。
簡素によくまとまった中規模な住宅で,種子島を代表する民家建築といえるでしょう。
平成13年,14年にかけての解体修理工事で創建当時の姿に復元されました。
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入口に管理をしている人の小屋があって,係の人が出てきて,案内をしてくれました。家の中には,多くのひな人形が飾られていました。

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【Summmary】
Hongenji, founded in 1469 by Tanegashima Toki’ura, was the Tanegashima clan’s temple. Nearby is the clan’s second cemetery, Gohaito, where several lords are buried. The first cemetery, Gobou Cemetery, lies north of Nishinoomote. The Tanegashima clan ruled the island, introduced firearms in 1543, and later served as Satsuma retainers. The family continued as barons in the Meiji era.

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種子島を治めていたのは種子島家でした。種子島家の居城は赤尾木城で,現在の西之表市榕城小学校の校庭にありました。鎌倉時代以来種子島を領し,江戸時代には薩摩藩主・島津家の家老家として続き,維新後には士族,後に華族の男爵家に列しました。

西之表市街地までもどって来ました。
西之表市役所近く栖林神社の東側に本源寺があります。ここは昨日来ました。
  ・・・・・・
本源寺は,1469年(文明元年)に11代・種子島時氏が建立した古刹で,それまで律宗だったのを法華宗に改め,種子島家の菩提寺として建立されました。当時の本源寺は現在の広さの約10倍はあったとされています。
明治初期の廃仏毀釈で取り壊されましたが,1883年(明治16年)に再興され現在に至ります。
山門の右側に大きな鐘があり,毎日,朝夕6時に鐘を鳴らしているそうです。
  ・・・・・・

本源寺のとなりに種子島家の墓地「御拝塔」( おはーとう)があるということだったのですが,場所がわからず,昨日は行くことができなったので,昨晩調べなおして,行き方を確認し,再び挑戦です。見落としていた階段があったのです。
  ・・・・・・
11代・種子島時氏が本源寺を建て菩提寺としてから,その隣接地を種子島家代々の2番目の墓所と定めました。ここには,12代・種子島忠時,14代・種子島時尭,16代種子島久時,18代・種子島久時,19代・種子島久基,松寿院,永俊尼などの墓碑があります。
  ・・・・・・
永俊尼は,1575年(天正3年)に生まれ,75歳まで生きた島津忠清の妻でした。最初の夫は小西行長だったという説があります。1609年(慶長14年)に夫・島津忠清と共に家族で鹿児島に脱出し,娘が島津家久の側室となり,虎寿丸(後の島津光久)を産んだことで地位が向上し,島津忠清の死後は出家して永俊尼と号しました。1633年(寛永10年)に隠れキリシタンであることが発覚し捕縛され,2年後に種子島に蟄居・閉門となり,その地で病死しました。
なお,種子島家墓地は「御拝塔」だけでなく,もうひとつ,御坊墓地( おぼうぼち)があることを帰宅してから知りました。
調べてみると,御坊墓地は,西之表市市街の北にありました。これが種子島家の最初の墓地でした。初代から数代の墓は不明であったため,松寿院が初代から4代までを1基にまとめて法号を刻み詣り墓としました。ここには,16代・種子島久時,14代・種子島時尭の墓などもあるようです。

ここで,種子島家について紹介しておきます。
  ・・・・・・
家譜では,鎌倉時代初期,平清盛の孫・平行盛の遺児が北条時政の養子となり北条時信と名乗って種子島に入ったのが初代・平信基,ということですが,実際は,5代・平時基以前ははっきりしません。
鎌倉幕府滅亡後は国人として島を支配し,6代・種子島時充から「多禰嶋(種子島)」を称するようになりました。
1408年(応永15年)8代・種子島清時は屋久島も支配するようになりました。
1543年(天文12年)14代・種子島時堯の代に鉄砲が伝来し,豊富な砂鉄をもとに国産化に成功しました。
16代・種子島久時は島津家に臣従し,1595年(文禄4年)に所替えで一旦は薩摩国知覧に移封され,薩摩藩の家老に任命され,知覧から旧領の種子島に移封されましたが,屋久島は島津氏の直轄地のままでした。種子島久時の娘は島津家家老・伊勢貞昌の子・伊勢貞豊に嫁いで島津光久正室・曹源院を生み,それ以降,島津家当主は種子島家の血を引いていることになります。
23代・種子島久道は早世し,正室・御隣の方(島津斉宣の娘・松寿院)との間に男子後継者を欠いたので,取りつぶしの危機となりましたが,御隣の方は養嗣子の要請を行うと共に実質的な種子島氏当主となり政務を執り行いました。
後,ようやく島津斉宣の12男が養子となり24代・種子島久珍となりましたが,これにより種子島氏嫡流の男系血統は断絶しました。
25代・種子島久尚の代に明治維新を迎え,士族となり,27代・種子島守時は男爵に叙されました。
  ・・・・・・

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【Summary】
In the Kamakura period (late 12th–early 13th century), Taira Nobumoto, the ruler of Tanegashima, brought a salt-making group led by Kai Tarō, Kai Jirō, and Kai Saburō. They introduced Kamakura-style salt production using "Ajiro-kama" pans, which spread across the island. Ōsaki Salt Shrine, deeply connected to the island’s rulers, was the only shrine permitted to use the Mitsu-uroko crest. Salt production continued until 1905, when the salt monopoly system was enacted.

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2025年2月20日木曜日。旅の3日目,最終日です。
一昨日,昨日と2日間にわたって,種子島のほとんどの見どころをまわることができました。
おそらく,きちんと計画を立てておけば,1泊2日で種子島の観光はできるものと思われました。しかし,出たとこ勝負の私は,ガイドブックを持っていても事前に調べることもなく,失敗したり漏れていたりすることが少なくなかったので,結果的にもう1日あってよかったということになりました。
そんなわけで,2日目の夜に,これまで行くことができなかったところを調べ直してみました。そして,3日目は,そうした場所に行くことにしました。

まずは大崎です。
種子島に大崎という地名は,少なくともふたつあります。そのひとつはロケットの打ち上げ基地のあるところで,ネットで調べると,こちらのほうが表示されます。そして,もうひとつが,私が2日目に行くことができなかった西之表市上西の大崎です。
昨日は,県道581号線のどこに海岸に行く道があるのかわからず,素通りしてしまいました。
朝食を終えて,宿泊先であった「SADALWOOD」をチェックアウトしました。ここは長期滞在をしたいほどすばらしいところでした。
「SADALWOOD」は南種子にあるので,これから向かう大崎までは1時間ほど,つまり,島の最も南から最も北まで北上することになります。昨日とは違い天気がとてもよく,右手に昇る朝日を眺めながら国道58号線を延々と北上して,寄り道することもなく,西之表市街まで来ました。市街地に入ると,ちょうど通勤・通学時間で,人の少ない種子島とは思えないほど街中は込み合っていて,非日常を楽しんでいる私に日常が舞い戻ったかのようでした。

街中をぬけると,国道58号線は県道581号線となります。そして,昨晩調べておいたように,左手に大崎の集落に向かう狭い道路がありました。
  ・・・・・・
大崎は大隈海峡に面し,海岸沿いにある地域です。
海岸線は砂浜はありませんが,適当な岩などがあり,磯遊びもできます。
  ・・・・・・
ということで,大崎の先端が板敷鼻という夕日のベストスポットでした。
ごつごつした岩場のなかにある切り立った平らな大岩があって,釣り客に人気のところだそうです。この日は昨日とは違い,風もなく,すばらしい天気だったのが幸いでした。
近くには大崎塩屋神社があるのですが,どこなのかわかりません。板敷鼻からの帰路,どこなのかな? と走っていると,左手に小さな神社がありました。それが大崎塩屋神社でした。
由来記には
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建仁年間,鎌倉在中の平信基が島主として種子島入りしたとき,貝太郎,貝次郎,貝三郎を名乗る製塩集団を伴って来ました。これにより,島ではじめて鎌倉伝の網代釜による製塩がはじまり,ここ大崎から島内20塩屋浦を数えるまでに発展しました。
塩屋は天照を主神に,陪神に塩土翁,眷族神に貝太郎等を祀る浦も多く,中でも大崎は島主家との縁由が深く, 社殿は三鱗紋の軒瓦を許された唯一の塩屋でした。
製塩は明治38年,塩専売制施行まで続いた。
  ・・・・・・
とありました。

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◇◇◇
Worm Moon 2025.

2025年3月14日午後6時6分,月食終了直前?の満月の出。
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【Summary】
I traveled from the northernmost point of Tanegashima along the west coast to Minamitane. In Nishinoomote, I visited Getsusoutei, Hongenji, and the nearby "Gohaito" tombs of past lords. Getsusoutei was under renovation. I struggled to find Gohaito but located it the next day. Continuing on Route 58, I saw the Gajumaru windbreak, the Ouryu and Meryu Rocks, and Yakushima in the distance. In Nakatane, I visited a history museum, learning about local culture and the anime 5 Centimeters per Second. After returning to my inn, I relaxed in a hot spring and enjoyed shochu "Nansen" on the rocks.

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種子島の最北端まで行き,西海岸沿いに南種子まで戻っています。
西之表市街地では,他の見どころとして,月窓亭,本源寺,そして,それに隣接して「御拝塔」という歴代藩主の墓がありました。
  ・・・・・・
月窓亭は,種子島家の家老羽生道潔が1795年(寛政7年)に建てたものです。 庭の中心にあるイヌマキの大樹の下にこの家の構築物と考えられる石組が認められ,このイヌマキも樹齢約200年程度と思われます。羽生道潔の孫・羽生慎翁は東京へ移り住みました。
明治になって,旧家臣たちは27代種子島守時を種子島へ迎え入れる際,この屋敷を定めました。以来,平成12年まで種子島家住宅として使用されてきました。
現在は,西之表市が購入し,保存・保護・活用しています。
  ・・・・・・
武家集落の景観を今に伝える貴重な住宅ということですが,しかし,現在,月窓亭は大規模改修中ということで,閉館していました。
また,私は,旅先では,江戸時代,その地を治めた藩主の菩提寺を訪ねることで,その地の文化の土台を探るのを楽しみにしているので,今回も行ってみようと思いました。
しかし,本源寺は見つかったのですが,「御拝塔」の場所がよくわかりません。このあたりだということは見当がつくのですが,そこに至る道がないのです。ということで,断念しました。翌日,調べなおして行くことができたので,本源寺を含めて,そのことは後日書くことにします。
そんなわけで,これで,西之表市街地を後にしました。

西之表市街地から南種子までは国道58号線となります。海岸沿いは美しい景観がずっと続いていましたが,この日は異常に風が強く,高い波が岩に打ちつけていました。
途中,住吉という町に,ガジュマル防潮林というものがあったので,寄り道してみました。
  ・・・・・・
ガジュマル防潮林は,住吉港の堤防沿いに植えられていて,江戸時代に琉球から移植されたものだといいます。南の島では妖精がすみついていわれるガジュマルは,幹から発生した気根が幾重にも垂れ下がり独特な姿を見せまする。住吉では,砂や波しぶきを防ぐ防潮林として利用され,集落と平行して壁のように並んでたっています。
  ・・・・・・
という異様な姿を見ることができました。

その先しばらく走っていくと,海岸に雄龍・雌龍の岩がありました。海に向かって左側が雌龍,右側が雄龍岩とよばれている夫婦岩です。
  ・・・・・・
昔,現在星原小学校のある崖の地に,達五郎と達江という仲のよい働き者の夫婦が住んでいました。
ある嵐の夜,崖崩れに遭い,家もろとも海に投げ出されてしまいました。ふたりを見かける事なく数か月すぎたころ,その場所に突然大きな岩が仲良く寄り添うように立っていました。
人々はふたりの生まれ変わりであるとして,雄龍岩・雌龍岩とよぶようになったといわれます。
  ・・・・・・
ここは,ふたつの岩の間に沈む夕日が水面に反射し圧巻の景色を楽しめる場所だそうです。
遠くにかすんで見えた島影が屋久島でした。

ここから国道58号線は内陸部に入っていきます。
途中の中種子町に歴史民俗資料館がありました。中に入ると,学芸員の人がそれは詳しく説明をしてくれました。また,この場所は「秒速5センチメートル」というアニメの聖地なのだそうです。
予定以上の時間をここで費やし,午後5時ごろに宿泊先の「SANDALWOOD」に戻ってきました。夕食前に,近くの河内保養センターに行って,温泉を楽しみました。
この日の夕食,お供は焼酎「南泉」をロックでいただきました。

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【Summary】
While searching for a restaurant with parking, I stumbled upon "KOJIYA CAFETERACE SEAPORT," which turned out to be a highly recommended spot. After lunch, I visited the grave of Wakasa, said to be Japan’s first woman to marry a Westerner, aiding in the domestic production of firearms. Her story, like that of Saito Kichi in Shimoda, reflects the tragic fate of women in history.

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ちょうどお昼になったので,何か食べようと思いました。しかし,駐車場がある食堂がなかなか見つかりません。古民家を改装した「KOJIYA CAFETERACE SEAPORT」というよさげなところがあったのですが,車を停められないようだったのであきらめて,他にないかと,あてもなく車を走らせていました。
海岸に沿った道路を走っていると,駐車場がありました。この駐車場は「KOJIYA CAFETERACE SEAPORT」の裏口に面していて,この駐車場こそが「KOJIYA CAFETERACE SEAPORT」の駐車場だったのです。さっそく車を停めて,店内に入りました。
ランチを注文しました。思ったよりも時間がかかったのですが,おそらく,これがこの島の時間のペースなのでしょう。料理が運ばれてくるまで,私が持っていた「地球の歩き方・島旅」を読んでいると,何と,この店は,この本でイチ押しの「のんびり島カフェ」として掲載されたところだったのです。私が2泊する「SANDAL WOOD」もまた,この本でイチ押しの「種子島おすすめホテル」のひとつでした。
私は,これまで,こうしたイチ押しのところで食事をしたり泊まったりすることは多くなく,また,事前に調べないのですが,これにはびっくりしました。いい選択でした。というか,この島には,あまり多くの食堂や宿泊先がないのかもしれません。

食事を終えて,次にどこに行こうか考えました。
そこで,ぜひ行ってみたくなったのがわかさ姫の墓地でした。
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1527年(大永7年)に生まれた若狭(わかさ)は,種子島の刀鍛冶・八板金兵衛清定(やいたきんべいきよさだ)の娘でした。1543年(天文12年)の鉄砲伝来の際,ポルトガル人に嫁いで八板金兵衛清定の鉄砲国産化に寄与したという伝承があります。
  ・・・・・・  
「八板家系図」に「女子若狭大永7年4月15日生。母は楢原氏の娘。天文12年8月牟良叔舎(フランシスコ)に嫁ぎ蛮国に至る。(中略)天文13年蛮船に駕し来り父子相見る。数日して若狭大病にて死亡たると詐り,棺槨を当てて殯葬す。蛮人これを見て涙を流さず」とあって,この記録が史実であれば,日本人と西欧人の結婚としては日本初のものであるといいます。
14代当主・種子島時尭(ときたか)は,刀鍛冶の八板金兵衛清定に鉄砲製作を命じましたが,ねじの技術が最大の難関となりました。当時の日本にはネジの概念がなかったのです。苦悩する父のために、娘の若狭はネジの秘密と引き換えに南蛮人に嫁いだとされます。
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月も日も日本の方ぞなつかしや わが双親のあると思えば
  若狭
  ・・・・・・
わかさの墓とされる石の付近に「若狭忠孝碑」という小説家・海音寺潮五郎の歌碑が建っていました。
  ・・・・・・
あはれこゝ若狭の墓か白砂の もろく崩るゝ海のべの丘
   海音寺潮五郎
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先日行った伊豆半島・下田には,幕末開国後,外国人ハリスにかしずいた最初の日本人女性として喧伝され,後年「唐人お吉」の異名でよばれた斎藤きちという女性がいました。
どこまでが真実で,何が創作なのかわからねど,歴史の舞台には,いつもこうした悲劇の女性がいるのです。悲しくなります。

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【Summary】
In Nishinoomote City, navigating the narrow roads and finding parking was challenging. The first stop was the "Teppo-kan" museum, which showcases the history, culture, and nature of Tanegashima, including firearms and the extinct Ushiuma horse. Ushiuma, introduced in the 16th century, thrived on the island but went extinct in 1946.

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西之表(にしのおもて)市街地に入りました。よくある離島の港町でしたが,道路が狭く,坂が多く,車を停めるところもよくわらず,ずいぶん戸惑いました。
  ・・・・・・
西之表市は, かつて日本最南端の士族である種子島家の城下町として栄えました。現在は熊毛支庁や国の出先機関が置かれ,種子島および熊毛地区の政治・経済の中心を担っています。
  ・・・・・・
はじめての場所を旅して最も困るのは,こうした町に来たときです。車から降りて30分も徘徊すればわかってくるのですが,そもそも,この町では,そのためにどこに車を停めたらいいかがよくわかりません。駐車できる場所がなかなかないのです。困っていたら,市役所の駐車場があったので停めました。
普通,観光地には,有料,無料かはそれぞれですが,ともかく,車で来る観光客のために広い駐車場と大きな案内標示があるのですが,種子島は車でなければ観光できないのに,車で観光に来る人のための案内標示が皆無なのが不思議でした。逆にいえば,どこに停めてもいいよ,ということなのかもしれません。


はじめに行ってみようと思ったのは「鉄砲館」でした。ともかく,市役所に入って,職員の人に聞いてみると,「鉄砲館」は市役所の近く,ということでした。「鉄砲館」には駐車スペースがあったので,そこに車を移動して停めました。
  ・・・・・・
種子島開発総合センター「鉄砲館」は,西之表市にある博物館で,1983年(昭和58年)に開館しました。南蛮船をイメージした独特な外観が特徴的で,種子島の歴史,文化,自然を幅広く紹介しています。
特に,1543年に種子島に伝わったポルトガル銃や国産第1号銃をはじめ,国内外の古式銃約100点が展示されていて,鉄砲伝来の歴史を深く知ることができます。
また,種子島の文化や民俗を紹介するジオラマもあり,訪れるだけで島の全てを理解することができるでしょう。
  ・・・・・・
ということで,鉄砲だけでなく,種子島のことがよくわかりました。

私が,鉄砲以外の展示で興味をもったのがウシシマの像でした。
  ・・・・・・
ウシウマは、種子島などで飼育されていた日本在来馬の一品種でしたが,絶滅しました。
全高は1メートルほどで,全長は約1.5メートル。耳介が長く,たてがみや尾に長毛を欠みます。細く縮れた下毛のみが生えていましたが,夏にはほとんど無毛となりました。
1598年(慶長3年)慶長の役で明軍が使役していたものを島津義弘が朝鮮半島から10頭持ち帰ったのがはじまりともされます。1683年(天和3年)に島津光久が種子島久時に3頭与え,より気候が温暖な種子島で芦野牧を開設して繁殖が試みられたのが奏し,明治を迎えるころには約60頭まで増加しました。しかし,1869年(明治元年)に芦野牧が廃止されると頭数が急減し,太平洋戦争による食糧難や管理の不徹底により,1946年(昭和21年)絶滅しました。
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【Summary】
On the second day of the trip to Tanegashima, I reached the northernmost point around 11 AM after departing at 7 AM, stopping at various spots along the way. I then traveled back along the less touristy west coast, aiming to visit the nearby Kawachi Onsen Center before dinner. I first visited Urata Beach, one of Japan’s top 88 beaches, with a beautiful white sand shoreline. Continuing south on Route 581, I passed through Nishinoomote City but missed Itadakibana Cape. Along the coast, I noticed the variety of Japanese terms for capes, such as "misaki," "saki," and "hana," each with subtle distinctions, though all translate to "cape" in English.

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種子島の旅2日目にして,最北端に到達しました。午前7時過ぎに宿泊先を出て,午前11時ころのことでした。途中,様々なところに寄ったので,4時間ほどかかりました。このあとは,種子島の西海岸に沿って戻ります。
観光案内地図によれば,西海岸は比較的見どころが少ないようなので,午後3時ころには宿泊先に戻れるかな,と思いました。実は,今日のもうひとつの目的は,夕食前に,宿泊先の近くにある河内温泉センターに行くことだったのです。

さて,まず見つけたのが浦田海水浴場でした。ここは,日本の海水浴場88選のひとつということでした。種子島は,岩場も多いけれど,砂浜も多く,また,静かな入り江もあれば,サーフィンができる波の高いところもある,というように,ハワイなんかに負けないほど魅力のある海岸が続いているのです。
変な形の建物が見えてきました。これは,管理棟,シャワー,トイレ,展望デッキ,休憩所など機能的で使いやすい施設を完備した総合案内所「シーサイドハウス」ということでした。
広い駐車場がって,車が1台だけ停まっていました。シーズンオフで海水浴場は閉鎖されているのにもかかわらず,海で泳いでいるようでした。いくら種子島といえど,今は泳ぐ季節ではありません。どこへ行っても,世の中にはいろんな人がいるものだなあ,と思います。
「入り江の奥にできた砂丘の白い砂浜がまぶしいほど美しい」といわれる海水浴場は,実際,すばらしい景色でした。

この先,県道581号線を南下していくと,種子島で最も大きな町である西之表市の市街地に着きますが,その手前に鼻のように突き出た板敷鼻という岬があるので,寄ってみようと思っていました。しかし,そこへ行く道がわからず,通り過ぎてしまいました。
やがて,大きな港が見えてきました。ここがどうやら西之表港のようでした。

ここからは余談です。
こうして海岸線を旅していると,海に突き出た場所の地名として,日本語では,岬,崎,埼,碕,角,鼻といったさまざまな表現があって,私は戸惑います。青森県では龍飛崎,大間崎というように崎が使われていました。また,隠岐諸島では,弁天鼻,長尾鼻,高崎鼻といように鼻がとても多く感じました。同じ場所でも地図と海図で表記が異なることがあるそうです(野島崎と野島埼など)。
調べてみると
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●「岬」の原義は山に挟まれた谷の意味で「峡」と同義だったものが海側へ突出した陸地を指すようになったということです。「岬」は日本での用法で中国語では「角」となります。
●「崎」は山脚が海に突出した地形という意味です。
●「埼」や「碕」は突端部の地質に応じて区別されているそうです。
また,海図では「岬」の先端を「埼」,集落名や岬名は「崎」と区別しているそうです。
●「鼻」は「埼」や「碕」と同じく「岬」よりも小規模な地形につけられています。
  ・・・・・・
というように,わかったようなわからないような感じで,いかにも日本らしい話です。
いずれにしても,英語では通常,すべて「cape」です。

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【Summary】
On Tanegashima, I discovered a sign for a Hego (Cyathea spinulosa) colony near the island’s northernmost point. Venturing in, I found a primeval-looking forest. Later, I reached Kishigazaki Lighthouse, overlooking the Osumi Strait, an international shipping route. From the viewpoint, I saw the Osumi Peninsula, home to the Uchinoura Space Center, where rocket launches can sometimes be observed.

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何ともはや,種子島というのはすごいところでした。
最北端の地まであとわずか,というところで見つけたのがヘゴ自生群落という標示でした。ヘゴとは何か? さっぱりわからねど,寄り道してみることにしました。
すれ違いができるほどの幅はないけれど,道路は舗装されていたので,行けるところまで行ってみようと車を走らせていくと,次第に,太古の昔に戻ったかのような風景となりました。とはいえ,私は,太古の昔に行ったことはないので,あくまで想像ですが。
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ヘゴ(Cyathea spinulosa)とは,ヘゴ科ヘゴ属の常緑性大形の木生シダです。奥山に生え,湿度の高い林中を好む,茎の高さが2メートルから5メートルで,基部の直径が50センチメートルに達する異様な植物です。
紀伊半島南部や八丈島を北限とし,四国,九州南部,屋久島より南でよくみかけられます。
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西之表市にあるヘゴ自生群落は,小川の流域約1キロメートルに自生する大群落ということでした。

さて,いよいよ,種子島北端の喜志鹿崎(きしがざき)灯台が見えてきました。駐車場に車を停めて,展望台まで行ってみました。ここもまた,他に車の1台もなく,最果て感満載でした。
種子島の北端にある喜志鹿崎には灯台があります。喜志鹿崎と本土最南端にある佐多岬との海域は大隅海峡と呼ばれ国際海峡に指定されていて,各国の船が自由に航行できる海域になっており、喜志鹿崎の灯台と佐多岬は島の位置と船の位置を把握するための重要な目標となります。
この日は幸い非常に天気がよく,展望所からは,大隅半島を見ることができました。大隅半島には内之浦宇宙観測所があって,ロケットが打ち上げられるときは確認することができるそうです。

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【Summary】
Tenjogakura-yama in northern Tanegashima is a 238-meter-high mountain with a panoramic observatory, a shrine, and a cave linked to local legends. It is accessible via Prefectural Routes 75 or 591. The observatory offers a 360-degree view, and the area is used for camping and paragliding. Tanegashima is ideal for stargazing, though its clear weather is not frequent. Nearby, the Kashimia-maru Monument commemorates the 1885 rescue of American sailors, leading to a $5,000 donation from the U.S. Congress for local education.

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種子島の北の部分には小高い天女ヶ倉(あまめがくら)山があります。標高238メートルで,山中には天女ヶ倉神社と「天女隠れの岩」とよばれる岩屋があるそうです。
地図で見ると,どこから行くのかな? と思ったのですが,安納という町で左に折れる県道75号線をそのまま進んで右手に折れるか,県道75号線と別れを告げて,そのまま島の最北端にすすむ県道591号線を少し行ったところで左折するか、そのどちらでも,結局は山頂に至るようでした。
私は県道75号線を進んで右折しましたが,あっというまに山頂に着きました。

天女ヶ倉山の展望台には駐車場がありました。駐車場右側の階段を上ると,方角の記された展望台があって360度のパノラマを見ることができました。また,駐車場左側はキャンプや、ピクニックが出来る場所や景色を見渡せる整地された場所があり,更に,その先の芝生の丘はハングライダーやパラグライダーの離着陸にも利用されているようです。
きっと,晴れた日の夜には絶景の星空が広がるように思いましたが,この場所に限らず,種子島にはいたるところに星見に最適な場所があって,私は,日ごろ,星を見る場所を探していたのがばからしく思えました。ただし,種子島は晴天率がそれほど高くなさそうです。
また、安納林道方面から天女ヶ倉に着く手前には、天女ヶ倉神社がありました。天狗が種子島の南まで大きな石を運ぶ途中に休憩していて,石を背負っていた縄が切れてしまい,そのまま置いて行ったとされる石が祀られています。

西之表市に入ると,まずあったのが「カシミア号乗組員漂着碑」でした。
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1885年(明治18年)9月20日,アメリカ商船カシミア号が暴風雨のために遭難し,漂着しました。発見した古田貞吉は船員5人を介抱しました。帰国後,この出来事がアメリカ議会に知らされ,5,000ドルが贈与されました。贈与金は教育の振興に充てられたということです。
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【Summary】
While traveling along Prefectural Route 75 on Tanegashima’s east coast, I encountered the "Akou Arch," a unique tunnel-like formation of banyan trees. Further along, I reached Kanehama Beach, known for its iron-rich sand and as a surfing hotspot. It was also the setting for Life on the Longboard 2nd Wave (2019), a film about a skilled but troubled surfer seeking a fresh start on Tanegashima.

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この先は種子島の北の部分となります。種子島は,北の部分が西之表市で,市街地は西海岸にあります。中央部分が中種子町で,ここは種子島でもウエストが締まったところになり,市街地は内陸部の中央にあります。そして,南の部分が南種子町で,ここもまた,市街地は内陸部の中央にアあります。
引き続き,県道75号線を東の海岸沿いに走っていくと,安城という愛知県にも同じ名前のある町の集落になりました。そこにアコウのアーチという標示が目に入ったので右折すると,道路の上をまるでトンネルのように成長した珍しいアコウの木続いていて,アーチの下を通ることができました。
  ・・・・・・
アコウ(榕,赤榕,雀榕)とは,紀伊半島、四国、九州及び沖縄の沿海部に見られるイチジクの仲間で,幹を伝うヒゲのような気根や露出した根が入り乱れる姿が特徴的で,赤い小さな果実を「赤子(和歌山や高知の方言でアコ)」に見立ててアコウとよばれます。
葉は楕円形で分厚く,表面には光沢があり,葉脈が目立ちます。長めの葉柄を含めた葉全体の長さは8センチメートルから20センチメートル,幅8センチメートルほどで,ガジュマルに似ていますが大きく,葉柄も長いものです。
  ・・・・・・
大きなアコウがアーチとなっていて,奇妙な風景でした。 昔,このアコウは台風によって倒されて,そのまま幹部分から根が出てきて今の形になったものと推測されるということです。

そこからさらに海岸に向かうと,鉄浜(かねはま)海岸に出ました。
  ・・・・・・
西之表市東部に位置する鉄浜海岸は砂浜一帯に砂鉄を多くを含むことから「鉄浜」と名づけられました。種子島は島内で砂鉄を多く採取できたことにより国産火縄銃製造に成功したと言いわれています。
鉄浜海岸の陸側にはログハウスや別荘地が立ち並んでいますが,ここへ最初にログハウスを作ったのは武田鉄也だそうです。
  ・・・・・・
近年,この海岸はサーフィンのメッカとして有名で,全国からサーファー達がビッグウェーブを求めてやってきます。ハワイより近くていいかも,と思いました。
また,2019年に公開された「ライフ・オン・ザ・ロングボード2nd WAVE」という映画の舞台となりました。
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定年後にサーフィンに目覚めて種子島に移住した中年男性の第2の人生を大杉漣主演で描いた「ライフ・オン・ザ・ロングボード」の続編。
一流サーファーとしての実力がありながら生来の性格が災いして湘南の住居も追われてしまった梅原光太郎は,かつて自分を愛弟子のようにかわいがってくれたサーファー・工藤銀二を頼って種子島にやってくる。しかし,銀二はすでに亡くなっており,娘の美夏が銀二のサーフショップを切り盛りしていた。
無一文の光太郎は美夏に邪険に追い払われてしまうが,光太郎の眼前には鉄浜海岸の美しい海が広がっていた。
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【Summary】
Tanegashima’s Masuda area has more sights, including the Obuchi-Mebuchi Falls. This rare two-tiered waterfall flows year-round. Returning to the coast, I visited Umadate-no-Iwaya, a scenic cave eroded by waves. It was named after Lord Tanegashima Hatatoki, who disappeared there, leaving his horse waiting. Entry is now prohibited due to falling rocks.

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種子島増田地区には,ほかにも見どころがありました。
そのひとつが男淵・女淵(おぶちめぶち)の滝でした。町の中の狭い道路を走っていくと,だれもいない公園がありました。駐車場に車を停めて,向井川に沿った小道を歩いてくと,沢になりました。
向井川は,河口は太平洋に面し,秋佐野付近まで数箇所蛇行している川です。全長は約7キロメートルと推定され,1本川で支流はありません。
男淵・女淵の滝は上下二連で,小さいほうの上の滝を男淵,下の滝を女淵とよびます。淵全体も明るく,高地のない種子島では珍しい滝で,渇水期でも滝水が止むことはないということです。
昔はうっそうと木々にさえぎられて暗い場所だったそうです。

再び海岸線に戻りました。
県道75号線を横切ると馬立の岩屋という標示があったので,狭い道路を海岸に向かって下りました。想像以上に遠く,また,どんどんと坂を下っていくので心配になってきました。
やがて,海岸まで下りました。そこが馬立の岩屋でした。
  ・・・・・・
馬立ちの岩屋は,種子島の東海岸,中種子町と西之表市との境に近い場所にある本島屈指の景勝地で,
自然の洞窟や奇岩巨岩の美しい海岸です。
馬立の岩屋は,波の浸食によって作られた自然の洞窟。10代島主・種子島幡時(はたとき)がこの穴で消息を絶ち,愛馬が穴の前で主人の帰りを待っていたことから、この名がつけられました。
  ・・・・・
といわれています。
以前は穴の中に入れたようですが,落石があり,立ち入り禁止となっていました。

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【Summary】
Prefectural Route 75 leaves the coast and enters central Tanegashima, passing through Nakatane Town. This area once housed the WWII-era Kyushu Naval Air Corps base, built under harsh conditions but never used. Today, the site hosts JAXA’s Masuda Space Communications Center, which tracks satellites and rockets. Unable to enter, I viewed the exterior and returned the next day.

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私が走っている県道75号線は,この先,海岸線を離れて,種子島の内陸部に入ります。
種子島の中央あたりはウェストが狭くなります。その中央にあるのが,中種子町です。このあたり,これから何度も通ることになります。中種子町は小さな町です。
中種子町から,県道75号線は再び海岸に向かって進むのですが,次第に,ひろい平地になって,サトウキビ畑が広がっていました。現在はのどかな場所ですが,この地は,第2次世界大戦のとき九州海軍航空隊種子島基地のあったところで,数々の遺構が存在していました。

1941年(昭和16年),真珠湾攻撃で太平洋戦争がはじまり,海軍航空本部より中種子町役場に増田牛之原地区が飛行場基地として決定されたとの公文書が届きました。軍と住民との調整で移転が行われ,住民は先祖代々住み慣れた土地を離れ,秋佐野や中之町,郡原,古房集落などの各地区へ移転していきました。
飛行場の建設では,兵隊や飛行場建設に携わる作業員だけでなく,食事を作る人達や医務室で働く人達も必要でしたが,徴用という強制力によって,婦女子,老人,学徒,児童までもがかり出され,極めて劣悪な条件下で作業せざるをえませんでした。着工から航空隊開隊までの約2年4か月に動員された延べ人数は100万人にも及んだということです。
しかし,実際には使用することはなく、終戦を迎えてしまいました。昼夜兼行で滑走路建設に当たり,終戦前に2本の滑走路のうちひとつが完成していたのですが,終戦前の空襲でほとんどの施設が破壊されてしまい,残された施設も年月の経過とともに解体されてきました。
そうした遺構のなかで,現在,最も目立つのが煙突でした。近くに車を停めて,行ってみました。
この煙突の用途についてははっきりわからないそうですが,兵士の風呂場,あるいは烹水所ではないかといわれています。
こうしたものを見ると,いたたまれなくなります。

今から80年ほど前はそうした場所だったのですが,現在は,その地にパラボラアンテナが建っています。これは,宇宙航空研究開発機構(JAXA)の増田宇宙通信所。1974年(昭和49年)に鹿児島県の種子島に設けられたもので,人工衛星からの電波を受信し,人工衛星が正しい軌道,位置および姿勢を保っているかどうかを監視したり,搭載している電子機器が正しく機能しているかどうかを知るためのデータを筑波宇宙センターに送る施設です。
また,人工衛星の追跡管制設備とは別に,精測レーダによるロケットの追尾およびロケットから送られてくるテレメトリ信号を受信してロケットの飛行状態を監視する役割も果たしています。
施設見学ができるのですが,まだ時間が早く,この日は建物に入ることができませんでした。
その翌日の午後,再び行ってみました。そのときは,施設見学をすることができました。ここもまた,私以外にはだれも見学者はいませんでした。

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【Summary】
On February 19, 2025, I explored northern Tanegashima, traveling along the east coast first and returning via the west. I visited Tanegashima Mangrove Park, enjoying a quiet boardwalk stroll. At Chikura-no-Iwaya, I mistakenly entered a smaller cave at high tide, missing the main site. Lastly, I admired the stunning white sands of Hamada Beach.

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2025年2月19日水曜日。朝食をとって,さっそく出かけました。
この日は,種子島の最北端から見どころをまわってくるという予定でした。はじめは,最北端の喜志鹿崎(きしがざき)灯台まで一直線に行って,ゆっくりと帰ってくるつもりだったのですが,何もないと思っていた種子島にはけっこうな見どころが点在していて,それでは,西海岸と東海岸の両方の見どころをみることができません。そこで,行きは東の海岸に沿って,おもしろそうなところを見ながら北上し,帰りは,西の海岸に沿って南下することにしました。

まず見つけたのが種子島マングローブパークと書かれた看板でした。
マングローブ(mangrove)とは,熱帯および亜熱帯地域の河口汽水域の塩性湿地で植物群落や森林を形成する常緑の高木や低木の総称で,日本では,マングローブに分布が限定される種は,メヒルギ,オヒルギ,ヤエヤマヒルギ,ハマザクロ,ヒルギダマシ,ヒルギモドキ及びニッパヤシということです。
メヒルギ(Kandelia obovata)は常緑広葉樹の小高木で,樹高は成木で日本では最大でも7,9メートル程度です。メヒルギの自生地は種子島が北限地です。
「日本重要湿地500」に選ばれている南種子町の大浦川と西之表市の湊川のマングローブは「種子島のマングローブ林」として,ボードウォークを歩いてマングローブの中を散策したり,シーカヤックにのって楽しむことができるということです。朝早かったので,他にだれもおらず,私は,ボードウォークの散策を楽しみました。

次が千座の岩屋(ちくらのいわや)でした。
車が1台もいない駐車場に停めて,広く美しい砂浜を歩いていくと,洞窟があったので,中に入ってみました。こりゃすごいと思いました。ここにもまた,ほかにだれもいませんでした。
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千座の岩屋は,種子島の東岸, 中種子町と南種子町の境に位置する熊野浦の南端浜田海岸に海食によってできた岩窟で,内部の広さが千座,あるいは畳千枚ともいわれたことからこの名でよばれます。
周囲は砂浜で,沖合に浜島,竹島を望む景勝地として知られていて,洞窟に入れるのは干潮時のみ。自然が作り上げた岩のオブジェの美しさは,幻想的な雰囲気を漂わせます。洞窟内に入れる時間は,干潮時刻の前後2時間のみです。
  ・・・・・
と,行った後に読んだガイドブックにあったので,私は,なんと幸運な,と思ったのですが,調べてみると,私が行った時間は干潮どころか満潮でした。よくよく考えると,私が入ったのは,千座の岩屋の手前の小さな岩屋であって,本物は海水に満ち満ちていたのです。
ちょっとショックでした。しかし,海岸はとても美しい風景が広がっていて,満足しました。

さらに美しい海岸線が続きます。
次に見たのが浜田海岸でした。浜田海岸は白砂の美しい遠浅の海水浴場として知られ,夏になると,多くの海水浴客で賑わうそうです。それにしてもどこもすばらしい景色でした。

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【Summary】
I stayed at "SANDALWOOD" in Tanegashima, where my room had a private hot spring bath. The island has a few hot springs, but accommodations are limited, with no resort hotels. Instead, container hotels stood out. Tanegashima isn’t a typical tourist destination, and "SANDALWOOD" made my trip truly special.

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私が種子島で2泊するのは「SANDALWOOD」というところでした。
種子島にも温泉があります。まず,島の北側・西之表にあるのが種子島温泉「赤尾木の湯」。種子島あらきホテルというのが併設されているようで,宿泊できます。
中種子にあるのが温泉保養センター,これは日帰り温泉です。
そして,南種子にあるのが河内温泉センターで,これも日帰り温泉ですが,その近くに「わたり温泉館」という宿泊施設があるのですが,ホームページのリンクが切れていて,やっているのかいないのか定かでありません。私が宿泊した「SANDALWOOD」も河内温泉センターの近くで,こちらのほうが源泉ということでした。
ということで,私が選んだ「SANDALWOOD」は,夕食,朝食つきで,しかも,部屋にある風呂が温泉,という最高の場所でした。

1日目の夕食のお供は,焼酎「宝満」でした。
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宝満は、赤米の伝説をもつ玉依姫(たまよりひめ)が祭られる宝満神社にちなんで命名されました。
赤米を原料に白麹で仕込んだ焼酎です。赤米は赤色色素(タンニン)をもち,白米に比べたんぱく質や各種のビタミン・ミネラルが多く含まれています。赤米の醸し出すまろやかさと奥深い味わいが太古のロマンへと誘います。
芋の香りは控えめですが,赤米の醸しだす豊かな風味と奥深さがあり,まろやかな風味を残して喉に消えていきます。
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種子島の宿泊場所は,それ以外にもいくつかあって,小さなビジネスホテルも存在するのですが,いわゆるリゾートホテルというものはありません。それよりも目についたのがコンテナホテルで,まるで仮設住宅のようなものでした。
私が似ている,というハワイ・モロカイ島もまた,宿泊できる場所が本当に少なく,探すのに苦労をしました。また,壱岐島も,宿泊できるところが少ない離島でした。
種子島は,観光旅行をするような場所ではないのかもしれません。そこで,インバウンドは皆無だったし,私にはそのほうがずっと居心地がよかったのですが,宿泊するとなると,「SANDALWOOD」一択,のような気がしました。というか,ここがなければ,旅の思い出はずいぶんと違ったものであったことでしょう。
とてもすてきなところでした。

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【Summary】
I visited Cape Kadokura and then stopped by Uchūgaoka Park in Minamitane, which has a rocket launch viewing site. The park features a monument with a poem by Emperor Emeritus Akihito. Rocket launches in Tanegashima often face delays due to strong winds. I have seen H-II rockets at a Mitsubishi factory in Aichi and a launch in Florida but wished to witness a Saturn V launch.

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門倉岬までやって来ました。
私が種子島に来て,行きたかったのは,宇宙センターと鉄砲の伝来地だったので,まず,その目的を達成したことになります。
これでひとまずこの日の予定は終わり,宿泊先である南種子のホテル「SANDALWOOD」に行くことにしました。
そのまま行ってもよかったのですが。地図を見ると,南種子には宇宙が丘公園というものがあったので,そこへ寄り道することにしました。
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町民憩いの場として親しまれている宇宙ヶ丘公園にはロケット打ち上げ見学場も併設され,打ち上げ当日には島内外から多くの人が訪れます。
「大空に打上げせまるロケットは島の南の果に立ちたり」
この御製は,昭和58年歌会始(御題「島」)において,平成天皇が皇太子のときに詠んだもので,公園内に碑が建立されています。
  ・・・・・・
という場所でした。

ロケットが打ち上げられるときは,発射台から半径2キロメートル以内は危険区域として,立ち入り禁止となるということで,その区域外で見ることになります。そこで,南種子町は,ロケットの打ち上げが見られる場所をいくつか指定しているということで,宇宙ケ丘公園はそのひとつだそうです。
ロケットの打ち上げは,行ってみてわかったことですが,種子島は風が強く,ロケットの打ち上げには必ずしも条件がよい場所ではないな,ということで,延期が多く,ぜひ見てみたいという人の中には,キャンピングカーでやってくる人もいる,という話です。また,見学場所としてして指定されているところはけっこう遠く,どれだけのものが見られるのかな,と思いました。

私は,これまで,愛知県の飛島村にある三菱の工場で,実際に製造されているHⅡロケットを見たことがあります。また,アメリカのフロリダ州にあるケネディ宇宙センターで,たまたま打ち上げ時に車で走っていて,空高く飛んでいくロケットを目撃したこともありますが,かなわなかったのは,月着陸をめざして打ち上げられたサターンV型ロケットの打ち上げを見てみたかった,ということです。

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【Summary】
Route 75 leads to Cape Kadokura, the southernmost point of Tanegashima. Before reaching it, there is "Nanairo Observatory," a viewpoint known for double rainbows. However, many tourists mistake "Nanairo Observation Spot" for the observatory. The true observatory is accessible via a difficult road. Cape Kadokura, once called "Kumage Saki," was renamed after surveyor Kadokura Ichitaro in 1812. The site features the "Monument of Firearms Introduction," commemorating the 1543 arrival of matchlock guns in Japan, and Misaki Shrine, dedicated to deities including Hikohohodemi.

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県道75号線は,まもなく,種子島最南端の門倉岬(かどくらみさき)です。
その少し手前に南種子町の名所・七色観望台があります。道路際に広い駐車場があったので,車を停めて外に出ました。ここは,幸運のサインといわれるダブルレインボー,二重の虹が出現するポイントだそうですが,幸いというか何というか,この日はすばらしい天気だったので,虹は見えません。眼下には,南種子町の水田,海側の防風林,そして,前之浜海岸を一望することができました。
また,大型ロケット発射台も見ることができました。
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種子島は,晴れていてもいきなりスコールが来ます。また雨かと思ったらいきなり晴れることがあります。 こういうときにブルレインボーが出現すします。南種子町の七色坂の虹は,二重どころか,三重四重の虹が出現することもあります。
  ・・・・・・
とありました。

しかし,帰宅してから調べてみると,私が訪れたのは七色観望台ではなく七色観望「所」だったのです。
「 種子島観光で南種子町を訪れた際,名所・七色観望台(七色「坂」観望台=地元では,七色観望台を七色坂観望台ともいいます)になぜか観光客が来ません。それはなぜでしょう?」こんなブログがありました。その理由は,観光客は七色観望所を七色観望台と解釈してしまうからだそうです。私もそうでした。
ブログには,観光客は道路の反対側にある七色観望台の入口を見落としてしまう,とありましたが,私はしっかりと確認しています。なぜ行かなかったかというと「七色観望台」と書かれた案内板のある道路はかなりヤバイ感じだったからです。
  ・・・・・・
ここを登ると,道路の際にあるアコウの枝から垂れ下がるヒゲのような気根が垂れ幕のように道路を覆っていて,車の侵入を阻むように見えます。また,道路上は大量の落ち葉,そして,アコウの木には大量のカラスがいます。それを無視して約100メートル登り続けると開けた頂上が見えてきます。これが七色観望台。途中の道路脇を含め、たくさんの石碑があって,それを過ぎると絶景を見ることができる
  ・・・・・・
という話です。
七色観望台は,南種子町で多くの業績を残した浜田藤太郎が晩年に土地を寄進して設立されたようです。

やがて門倉岬に到着しました。岬の先端部は海食により,高さ約50メートルの断崖となっています。
門倉岬は,種子島の最南端にある岬です。門倉岬から喜界島を結び,屋久島望む右側(西側)が東シナ海で左側(東側)が太平洋です。
門倉岬の呼称は,1812年(文化9年)に伊能忠敬による種子島の測量南隊・門倉一太が苦難の測量を完了して「門倉崎」と自分の姓を記述したからだそうです。それまでは熊毛埼と記述されていました。
岬の先端部から太平洋側は,竹崎の種子島宇宙センターまで12キロメートルに渡る砂浜で前之浜自然公園となっています。
門倉岬は2011年に再整備された公園となっていて,鉄砲伝来紀功碑や御崎(みさき)神社があり,南蛮船の形状を模した展望台や遊歩道が整備されています。
鉄砲伝来紀功碑は 1921年(大正10年)に建立されたもので, 題字は27代当主種子島守時によるものです。
  ・・・・・・
天文12年(1543年)8月25日,西村の小浦(現在の前之浜)に漂着した明国船に乗船していたポルトガル人によって日本に火縄銃が伝えられた
  ・・・・・・
と記されています。
御崎神社は,岬の形状が動物の尻尾を思わせることから島尾大明神ともよばれました。大国主,彦火々出見(ひこほほでみ)を祭神とします。彦火々出見は日本神話に登場する神で,瓊瓊杵と木花開耶姫の子で,神武天皇の祖父。山幸彦として知られます。

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【Summary】
While driving on Prefectural Route 75, I saw a sign for "Ingy Chicken" and found them at Hanamine Elementary School. This unique breed originated from chickens gifted by British sailors in 1894. Though a designated cultural asset, its hybrid, Ingy Jidori, is served in local restaurants. I missed my chance to try it at "Shokudo Minoyoshi" and still wonder about its taste—travel is often full of such regrets.

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たねがしま赤米館を出て,さらに県道75号線を走っていくと,「インギー鶏」と書かれた看板に出会いました。
広い駐車場があったので,車を停めて外にでたのですが,どこにそのインギー鶏やらが飼われているのやら,わかりません。周りを見渡すと,南種子町立花峰小学校があって,その校庭の檻の中で飼われているようでした。勝手に学校に入っていいものやら,私のような都会に住む住民にはわかりませんでした。今や,学校は自由に出入りできる場所ではなくなったからです。しかし,この地は未だ昭和時代のようで,門も開いていて,それは,インギー鶏を見る観光客のためのようでした。
インギー鶏は2羽いました。それは,ちょっと変わった姿のニワトリでした。
インギー鶏は, 尾骨はあるが尾羽が縮れていて,尾がないように見えます。コーチン種の系統に属する中国南部の品種と考えられますが,100年以上にわたる改良,淘汰で,固有の鶏種として確立されています。

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インギーという名前は、イギリスの鶏をよびやすいようにつけた名前です。
1894年(明治27年)4月25日,イギリスの貿易帆船ドラメルタン号(The Drummeltan)が前之浜海岸に漂着しました。乗務員は救助され,手厚く介抱されました。
この温情に感激した乗組員は,この帆船で飼育していた鶏を下中の住民に贈ったのがインギー鶏の由来です。
  ・・・・・・
こういった説明を見ると,絶滅危惧種のように思えるのですが,さにあらず。

インギー鶏は,南種子町の特産品で,料亭でインギー鶏の料理を食べることができるということです。 インギー鶏を使った料理は,インギー刺身定食,インギー汁,インギー丼,インギー串焼き,インギー串焼き定食などがあります。
ということで,食用として飼育されているようです。ただし,インギー鶏は1992年(平成4年)に南種子町指定文化財に指定され,2013年(平成25年)に鹿児島県の天然記念物に指定されたことで指定を受けた88羽のインギー鶏は食用に供することができず,F1種のインギー地鶏が食用として飼育,生産されているということです。
帰ってから調べてみると,南種子町の「食堂・美の吉」というところで食べることができるということで,3日目の昼食として食べる時間があったのですが,それを逸してしまいました。
食べられなければさらに惜しくもなり,どんな味だったのか? 今も気になります。無計画で行き当たりばったりの旅はこんなことばかりです。

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JR東海のディズニー新幹線
「LUMIX・TZ99」のファーストショットです。
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