しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

June 2025

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【Summary】
On June 28, 2025, before attending Alice Sara Ott's recital in Nishinomiya, I visited the Itami City Museum to see the exhibition “Traveling Bashō.” The museum houses rare materials collected by former mayor and haiku scholar Kakimori, offering a moving experience that resonated with my love of travel.

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 2025年6月28日にに兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで行われたアリス・紗良・オットさんのピアノリサイタルを聴きに行った折り,午前中,伊丹市に寄りました。伊丹駅は大阪駅からJRで直通,また,兵庫県立文化センターのある西宮北口駅までも阪急電鉄で簡単にアクセスできます。
 と偉そうに書いていますが,昨年2024年12月14日に有馬温泉に行ったついでにはじめて伊丹市に寄ってみて,その場所を知ったばかりです。
 伊丹市に寄ったのは,JR伊丹駅と阪急電鉄伊丹駅の中間に位置する市立伊丹ミュージアムで「旅する芭蕉ー野ざらしを心に風のしむ身かなー」展を見るのが目的でした。
 市立伊丹ミュージアムは,旧伊丹市立美術館,伊丹市立工芸センター,伊丹市立伊丹郷町館,伊丹市立博物館,柿衞文庫を統合して,2022年4月に開館した新しい施設です。併設して,伊丹の酒造りを伝える旧岡田家住宅・酒蔵と旧石橋家住宅の継承と公開などもあり,無料で見学することができます。
 伊丹市は,江戸時代に酒のまちとして繁栄し,文人墨客が訪れる文化の香り高いところですが,市街地はとても美しいです。どうやら,1995年(平成7年)に起きた阪神・淡路大震災で被害を受けて,その復興が理由のようです。今は,歩いていて,とても楽しい町です。

 今回「旅する芭蕉ー野ざらしを心に風のしむ身かなー」展を見たのですが,どうしてこの地で松尾芭蕉なのかな? というのが,展覧会を知ったときに私が思ったことでした。
 旧岡田家住宅は元伊丹市長・岡田利兵衛の旧宅でした。
 1674年(延宝2年)築の町屋で,酒蔵が増築されたのは1715年(正徳5年)という,酒蔵としては日本最古のものです。松屋与兵衛以降,所有者が変わり,1900年(明治33年)に岡田正造の所有となりました。
 岡田利兵衛は岡田家22代当主で,俳諧の号は柿衞(かきもり)といい,伊丹の俳人・上島鬼貫を出発点に,松尾芭蕉をはじめとする俳文学研究に没頭し,多くの俳諧資料を蒐集したということです。
 芭蕉をもっとも重要な研究対象のひとつとして,40点をこえる芭蕉の直筆や関連資料が現在も収蔵されているということで,この展覧会が行われているわけです。
 松尾芭蕉は,50年の生涯において「野ざらし紀行」や「奥の細道」といった行脚生活を経て,世俗の価値観をこえて高い精神性をもった独自の俳諧作品を生み出しました。
 私も旅が好きなので,松尾芭蕉の足跡に通じる気持ちがあります。それらに関する多くの資料に接することができたのは,とても気持ちが温かくなる経験でした。

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【Summary】
Alice Sara Ott's June 28, 2025 recital in Hyogo featured Beethoven and John Field works. Her expressive, powerful playing and insightful talk highlighted the connection between Field’s nocturnes and Beethoven’s “Moonlight” Sonata.

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 アリス・紗良・オットさんが来日して,各地で演奏会を行なっています。
 私は,これまで,オーケストラとの共演は聴いたことがありますが,ソロの演奏会には行ったことがありませんでした。そこで,今回,兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで,アリス・紗良・オットさんのピアノリサイタルを聴いてきました。
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 魂のベートーヴェンと最新アルバム「ジョン・フィールドのノクターン」を奏でる日本とドイツの血をひくドイツ人ピアニスト,アリス・紗良・オット。
 ドイツ人でもある彼女にとって最も重要なレパートリーのひとつベートーヴェンの「月光ソナタ」と後期ソナタの傑作。そして,2025年2月発売の最新アルバムであるジョン・フィールド「ノクターン全集」から珠玉の作品をおとどけします。
 ベートーヴェンの情熱と静謐さと,アイルランドの作曲家ジョン・フィールドの美しさがアリスのもとで,どんな出会いをするのか。夢のコンサートをお楽しみください。
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 ということで,曲目は
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 ジョン・フィールドのノクターン第17番
 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第19番
 ジョン・フィールドのノクターン第1番,第2番,第4番,第10番
 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第30番
 ジョン・フィールドのノクターン第14番,第16番,第9番
 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ 第14番「月光」
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でした。当初は,ジョン・フィールドのノクターン第12番も予定されていたのですが,腱鞘炎で無理がきかないという理由でキャンセルとなったということです。

 プログラムにジョン・フィールド(John Field)とあったので,前衛作曲家なのかと思いましたが,実際は,ベートーヴェンの時代の今では忘れ去られた作曲家だそうです。
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 ジョン・フィールド(John Field)は,1782年に生まれて1837年に亡くなったアイルランド出身の作曲家で,特にノクターン(夜想曲)という音楽形式を生み出したことで有名です。この形式は後にショパンをはじめ,多くの作曲家に影響を与えました。
 音楽はロマン派の優雅さと心地よいメロディーで知られていて,穏やかな水面を漂っているような気持ちになります。
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 アリス・紗良・オットさんは,コロナ禍のころ,ジョン・フィールドに出会い,愛着を抱いたようです。演奏会では,アリス・紗良・オットさんのユーモアにあふれたお話とそのあとに演奏が続きました。そのなかに,ジョン・フィールドとベートーヴェンの共通項がていねいに解説されていたのが印象的でした。特に,情熱的で才能あふれるピアニストで,演奏スタイルは美しい音色と感情を込めた表現力が特徴です。特に,最後に続けて演奏されたジョン・フィールドのノクターン第9番とベートーヴェンのピアノ・ソナタ 第14番「月光」がとてもよく似ている,というところが興味深いものでした。
 アンコールはアルヴォ・ぺルト(Arvo Pärt)の「アリーナのために」(Für Alina)でした。アルヴォ・ぺルトは1935年生まれのエストニアの作曲家で,「アリーナのために」は1976年に作曲したピアノのための小品。シンプルでわずか数音で構成され,深い静けさと透明感がある曲です。

 それにしても,プロのピアニストだから当然といえばそうですが,これだけの曲を難なく弾きこなしてしまうというのはすごいものです。アリス・紗良・オットさんは,ショパンやラフマニノフなどの作品を奏でる際の繊細さと深さに定評があり,水の流れのように自然で優雅な感じに魅了されるという評価があるのですが,それにも増して,今回の演奏会では,力強さを感じました。

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【Summary】
Conductor Nodoka Okisawa led a powerful and expressive performance by the Kyoto Symphony Orchestra in Nagoya, with standout moments in Tchaikovsky’s Fifth Symphony and a captivating encore.

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 京都市交響楽団第15回名古屋公演はすばらしいものでした。
 沖澤のどかさんの指揮は,テンポもしっかりしていて,しかも,主張があり,力強さがあって,最高でした。前半は,ウェーバーの歌劇「オイリアンテ」(Euryanthe)序曲ではじまって,ブラームスのハイドンの主題による変奏曲(Variationen über ein Thema von Haydn)と続きましたが,そこまでですでに会場は熱気に包まれていました。
 後半のチャイコフスキーの交響曲第5番では,ホルンの響きもすばらしく,また,コンサートマスターの石田泰尚さんの奏でるヴァイオリンの音色がこころを奪いました。

 今回の私の席は最前列のど真ん中だったので,まさに,私ひとりのために演奏が行われているような錯覚に陥りました。目の前に石田泰尚さんが座っていて,ものすごい迫力でした。
 2025年3月16日に兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホールで「沖澤のどか指揮 京都市交響楽団〈英雄の生涯〉」を聴いたときにこれまで何度も聴いてきた「英雄の生涯」だったのに,その魅力を再発見したのと同じく,今回のチャイコフスキーの交響曲第5番もまた,これまでに何度も聴いたことがあるのに,とても新鮮でした。これは,曲の1音1音を大切にして,何を伝えたいかが明白であることによるのでしょう。また,京都市交響楽団は,弦楽器はもちろん,管楽器の演奏がすばらしいのです。ひと昔前の日本のオーケストラは管楽器が弱く,特にホルンは音を外してしまうことも少なくなかったのですが,今は 隔世の感があります。

 平日にもかかわらず,ほぼ満員だった客席ですが,お目当てだったのは,石田泰尚さんばかりではなく,沖澤のどかさんだったようで,この組み合わせは最高でした。
 定期演奏会でないので,アンコールがありました。曲はチャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」からポロネーズでした。
 演奏会が終了して,団員さんがすべてステージから去っても,拍手が続きました。これは,沖澤のどかさんへのものだったようです。そして,それによひだされるように,再び,沖澤のどかさんがステージに姿を見せました。若き指揮者がこれだけの感動を呼び起こしたのです。
 幸せな時間でした。

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【Summary】
I attended the Kyoto Symphony Orchestra’s 15th Nagoya concert, conducted by Nodoka Okisawa. Featuring Ishida Yasunao as concertmaster, the dynamic and brilliant performance of three familiar works fully met my expectations.

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 先日,京都コンサートホールで京都市交響楽団第701回定期演奏会を聴いたばかりですが,その5日後の6月26日,今度は,京都市交響楽団第15回名古屋公演を愛知県芸術劇場コンサートホールで聴きました。
 指揮は今回も沖澤のどかさんでしたが,曲目はウェーバーの歌劇「オイリアンテ」(Euryanthe)序曲,ブラームスのハイドンの主題による変奏曲(Variationen über ein Thema von Haydn),チャイコフスキーの交響曲第5番と,京都市交響楽団第701回定期演奏会とはうって変わった一般的なものでした。これもまたいい。
 さらにさらに,今回の演奏会のコンサートマスターは石田泰尚さんでした。

 まずは,曲の紹介。
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●ウェーバーの歌劇「オイリアンテ」序曲
 オペラ「オイリアンテ」は,中世フランスのロマンス「ジェラール・ド・ヌヴェールと徳高く貞節なウリアン・ド・サヴォワの物語」(L'Histoire du très-noble et chevalereux prince Gérard, comte de Nevers et la très-virtueuse et très chaste princesse Euriant de Savoye, sa mye.)に基づいていますが,現在,オペラ全編はほとんど上演されません。
 劇中の旋律が巧みに組み込まれている序曲には堂々とした第1主題とアリア調の第2主題があります。展開部はフガート形式で,緊張感を高めながら進行し,再現部で旋律が優雅に戻ります。
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●ブラームスのハイドンの主題による変奏曲
 1873年に作曲された「ハイドンの主題による変奏曲」は,ハイドン作とされていた「聖アントニウスのコラール」(Chorale St. Antoni)をもとにした作品ですが,実際は,主題はハイドンによるものではない可能性が指摘されています。
 「ハイドンの主題による変奏曲」は,はじめてブラームスが作曲した管弦楽のための独立した変奏曲です。主題は明瞭で親しみやすい旋律で,第1変奏から第8変奏と終曲まであり,各変奏で異なるリズムや響きが魅力的な曲です。
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●チャイコフスキーの交響曲第5番
 1888年に作曲されたロマン派音楽のひとつです。4つの楽章で構成され,壮大さと繊細さが融合されています。
 第1楽章は,暗い運命を象徴するとされるテーマがクラリネットで提示され,全楽章を通して展開されていきます。第2楽章は,ホルンが奏でる美しいメロディーが特徴的で,哀愁と憧れが漂います。第3楽章は,優雅なワルツで,軽快で夢見心地な雰囲気が漂います。第4楽章は,冒頭「運命のテーマ」が明るい調性で堂々と登場し,希望と勝利を表現,最後は壮大で華やかなクライマックスを迎えます。
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 聴きやすい曲が並びました。共通点は,3曲ともエンディングが華やかということ。そして,ブラームスのハイドンの主題による変奏曲とチャイコフスキーの交響曲第5番は,ともに曲の冒頭が低音部からはじまる,ということでしょうか。
 これらの曲は,沖澤のどかさんの「オケがダイナミックに鳴る」という長所が大いに生かされることと,特に,チャイコフスキーの交響曲第5番では,ヴァイオリンの高音部が美しく奏でられるので,コンサートマスターの石田泰尚さんの,だれしもが「高音がすごくきれい」という,そのすばらしき音色を堪能することができる,ということなので,大いに期待して,会場に向かいました。
 実際も,期待を裏切ることのない,すばらしい演奏となりました。

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【Summart】
I visited the Iwase Bunko Library in Nishio, where the exhibition on Edo publishing and Tsutaya Jūzaburō is held. Focusing on books, it offered a rich, quiet experience. I also enjoyed matcha, a local specialty. Nishio is a charming city with much to explore.

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 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の最後に紀行が放送されています。以前,そこで,愛知県の西尾市岩瀬文庫が紹介されていましたが,現在,岩瀬文庫で「江戸の出版文化と蔦屋重三郎」展が開催されていることを知って,行ってきました。
 到着した場所は,西尾市立図書館に隣接してありましたが,思った以上の施設でした。
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 愛知県の西尾市岩瀬文庫は,1908年(明治41年)に西尾市須田町の実業家である岩瀬弥助が本を通した社会貢献を志して創設した私立図書館として誕生しました。戦後に西尾市の施設となり,2003年(平成15年)に日本初の「古書の博物館」としてリニューアルし,2007年(平成19年)に登録博物館となりました。
 重要文化財をふくむ古典籍から近代の実用書まで,幅広い分野と時代の蔵書8万冊余りを保存・公開し,日本の本の長い歴史や豊かな文化について体験しながら学べるユニークな展示を行なっています。
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 ということで,これまで,岩瀬文庫の存在を知らなかった私は恥じました。ここは西尾市の誇りのひとつでしょう。

 今回の企画展は次のように岩瀬文庫のホームページに紹介されていました。
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 商業出版がはじまり,かつてない大量の本が生み出され,庶民の様々な文化が花開いた江戸時代。江戸の出版プロデューサー・蔦屋重三郎はその立役者のひとりでした。
 岩瀬文庫は,蔦屋重三郎が出版した書物をはじめ,江戸の出版に関する書物を豊富に所蔵しています。本展では,岩瀬文庫の蔵書を通して,江戸時代の出版が発展していく様子を追うとともに,蔦屋重三郎の活躍を紹介します。
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 東京の国立博物館で開催されていた特別展「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」と上野の森美術館で開催されていた「歌麿 写楽 北斎 広重 国芳-五大浮世絵師」展は,「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の時代の絵画に重点を置いたものでしたが,この「江戸の出版文化と蔦屋重三郎」展は,書籍に重点を置いたものです。
 訪れている人も少なく,落ち着いて充実した時間を過ごすことができました。

 岩瀬文庫のある施設には休憩室があって,そこで「お抹茶(干菓子つき)」を味わうことができました。
 抹茶といえば,西尾市の名産品です。西尾市は「西尾の抹茶」として有名で,全国生産量約30パーセントを占める日本一の抹茶の里です。また,「三河の小京都」として,多くの見どころがあります。さらには,一色町のうなぎ,アートの島である佐久島,西尾城と,今回は,岩瀬文庫だけが目的でしたが,西尾市は魅力のある町,ということを知ったので,涼しくなったら,ゆっくりと訪ねてみたいと思いました。

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【Summary】
On June 21, 2025, after visiting Shoryuji Castle and the Taiga Drama exhibition at NHK Kyoto, I went to the Kyoto Cultural Museum. Though small, the museum offered insightful exhibits on Kyoto's history and culture, and was a quiet, pleasant place with food and shops.

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 2025年6月21日。京都市交響楽団の定期演奏会を聴きに京都へ行ったので,その折に,前回書いた勝龍寺城跡へ行き,そのあと,ちょうどNHK京都放送局で大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」全国巡回展in京都が開催されていたので行ってみました。
 NHK京都放送局は,地下鉄烏丸線の烏丸御池駅で下車すればすぐの場所です。
 ちょうど開館の10時に到着したので,すぐに中に入ることができました。
 「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」全国巡回展では
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 ドラマ衣装,出演者サイン色紙,セリフが聴けるボタン,メイキング写真,PR映像(主演インタビューほか),ドラマメイキング写真展示,フォトスポット「九郎助稲荷」,浮世絵スタンプなどを展示しています。
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ということでした。

 NHK京都放送局の1階正面入口を入ったところが,会場である8Kプラザです。ここに「8Kスーパーハイビジョン」があることからこの名がついているようです。
 会場はそれほど広いものではなく,目玉展示は,小芝風花さんが収録で実際に着用した花魁の衣装くらいのものでした。 
 私はすでに,浅草の大河ドラマ館に行っているので,それに比べたらあまりに貧弱でしたが,無料だからこんなものでしょう。
 とはいえ,全国巡回展というふれこみなら,もう少し多くの展示があってもいいのに,と思いました。

 短時間で見終わったので,そのあと,近くにあった京都文化博物館に行ってみました。
 ここは,京都の歴史と文化の紹介を目的とし,平安建都1200年記念事業として創立されたもので,1988年(昭和63年)に開館しました。
 以前1度行ったことがあるのですが,その後,2011年(平成23年)に改修工事が行われ,かつて日本銀行京都支店だった別館の北側に鉄筋コンクリートの地上7階地下1階の建物が新たに建てられ,これが本館となったので,そこははじめてでした。
 本館の1階には,ミュージアムショップ,江戸時代末期の京の町家の町並みを再現したろうじ店舗があって,そこでは,京の伝統工芸品や名産品の店舗,食事処がありました。
 私は総合展示室を見ました。京都の歴史や文化を「京の歴史」「京のまつり」「京の至宝と文化」の3つのゾーンにわけて展示されていました。
 ここは空いていて食事もできるし,穴場でした。いいところを知りました。

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【Summary】
I visited Shoryuji Castle in Nagaokakyo, Kyoto. Known as a precursor of modern castles, it has ties to Hosokawa Garasha and Akechi Mitsuhide. The surrounding area, including the historic Saigoku Kaido, retains a charming, quiet atmosphere rich in history.

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 私は城マニアではなく,歴史が好きというだけなのですが,勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)といいうのは,名前だけは司馬遼太郎の「国盗り物語」で知っていたけれど,どこにあるのは知りませんでした。今回,それが,京都府長岡京市勝竜寺にあったと知って,ならばと行ってみることにしました。

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 勝龍寺城は,南北朝時代から江戸時代初期にかけての日本の城で,安土城に先行する「瓦・石垣・天守」を備えた近世城郭の原点として評価されています。小畑川と犬川の合流地点に位置し,西国街道と久我畷が交差する交通上の要衝で,京都では山崎城につぐ防衛拠点でした。
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 1339年(延元4年/暦応2年),京都をうかがう南朝方に対抗するため,北朝方の細川頼春が築いた城といわれてきましたが,それは歴史的な根拠がなく,1457年(康正3年)に山城守護・畠山義就が郡代役所として築城したと推定されています。
 更に,応仁の乱の1470年(応仁2年)には軍事施設して使用されていた記録があります。
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 戦国時代,勝龍寺城の主郭部分は東西120メートル,南北80メートルの長方形で,東,北側に幅12メートルの水堀がありました。また,東,西,北の三面には土塁があり,西側の土塁は高さ10メートル,幅5メートルと大規模なものでした。。
 1568年(永禄11年)の勝龍寺城の戦いで,織田信長は桂川を渡河し,三好三人衆の岩成友通が守る勝龍寺城を攻撃。上洛を果たしたのち,全軍に出陣を命じ,勝龍寺城を攻略しました。足利義昭が征夷大将軍に任じられた後,細川藤孝は勝竜寺城を与えられ,1581年(天正9年)まで統治しました。この間, 1578年(天正6年)に,細川藤孝の嫡男・細川忠興と明智光秀の娘お玉(=ガラシャ)が勝龍寺城で結婚式を挙げ,ここで新婚時代を過ごしました。
 1581年(天正9年),細川藤孝は丹後に入封し,代わって村井貞勝の与力として矢部家定,猪子高就の両名が城主となり,翌年の本能寺の変で明智光秀が占拠し拠点としました。明智光秀の援軍要請を断った細川藤孝は剃髪し,家督を細川忠興に譲って居城を田辺城に移し,明智家縁戚のガラシャを幽閉しました。
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 豊臣秀吉の時代以降,勝龍寺城は重要視されず,一旦荒廃されましたが,江戸時代の1633年(寛永10年),永井直清が山城長岡藩へ封ぜられた際に修築が行われたのですが,1649年(慶安2年)に永井直清が摂津高槻藩に転封されると完全に廃城となりました。
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 ということでした。

 京都駅からJR東海道線下りの普通列車に乗って約10分ほどで長岡京駅に着きました。長岡京は平城京から平安京に遷都されるわずか10年間,都がおかれた場所ですが,大極殿のあった場所は,長岡京市ではなく向日市にあって,現在は史跡公園となっているそうです。
 長岡京市で降りた私は,東口から出て,線路伝いに南南西に歩いていくと,ほどなくして,神足神社(こうたりじんじゃ)があって,そのすぐ南に勝竜寺城の土塁・空堀が残されていて,神足公園として整備されていました。ここにはかついて神足城があったそうです。
  そこからすぐに勝竜寺城跡にある史跡公園に到着しました。
 この場所は,1992年(平成4年)に勝竜寺城公園として整備され,模擬櫓などが建造されました。往時の遺構としては,北門に当時の石垣の一部が残ります。2019年(令和元年)には展示室や園内看板などが新装され,勝龍寺城にゆかりの細川藤孝,嫡男・細川忠興とガラシャ夫妻,明智光秀に焦点を当てたパネル展示や映像のほか,瓦や一石五輪塔などの出土遺物を展示し,「瓦・石垣・天主」を備えた近世城郭の原点として紹介されていました。
 訪れる人も少なく,なかなかいいところでした。

 帰りは,来た道ではなく,線路沿いに西側を歩き,長岡京駅の西口をめざしました。そこで知ったのは,西側の線路沿いにあった道は,かつて西国街道のあったところで,現在はきれいに整備されていたということです。そして,長岡京駅もまた,西口のほうがずっと栄えていました。
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 西国街道は,京都市の東寺口を起点とし,久世橋から大山崎を経て西宮で山陽道と合流していました。大坂を経由せずに西国と行き来できる脇街道ということで,広く西国諸大名の参勤交代に利用されていたそうです。
 そして,長岡京市は,西国街道に沿って形成された町で,江戸時代はじめに2万石の禄高でこの地に封じられた永井直清により,山城長岡藩の陣屋町として造られました。宿場町ではなかったものの,西国街道沿いには商家や旅籠屋が立ち並んでいたようです。
 JR長岡京駅西口の再開発によって,街道筋には往時をしのばせる町家が残され,通りには町並み景観に配慮して石畳舗装が施されています。
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 こうして歩いてみると,いわゆる観光地でないところには,知らないいいところが実にたくさんあります。
 先日歩いた枚方市,高槻市などとともに,京都市と大阪市の間には,独特ないい雰囲気の町が多くあります。この日はあまりに暑く,長い時間歩く気になりませんでしたが,涼しくなったころ,機会があれば,また,来てみたいものです。インバウンドとは無縁ですし,歴史好きにはたまらないところです。

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【Summary】
The concert's second half featured three fairy tale–like pieces. Though I’m not fond of French music, Nodoka Okisawa’s warm, expressive conducting made everything delightful. The hall’s atmosphere was also wonderful.

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 さて,ここからが後半です。後半に演奏されたのが3曲。どれもおとぎ話を夢見心地で聴いているような曲でした。沖澤どのかさんが指揮をすると,どんな曲もすばらしく思えます。私は,どちらかというとフランス音楽は苦手なのですが,それさえ払拭されてしまいます。
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●タイユフェールの小組曲
 タイユフェール(Germaine Tailleferre)はフランス6人組のひとりです。フランス6人組(Les Six)というのは,20世紀初頭のフランスで活躍した作曲家のグループで,ルイ・デュレ(Louis Durey),アルテュール・オネゲル(Arthur Honegger),ダリウス・ミヨー(Darius Milhaud), ジェルメーヌ・タイユフェール(Germaine Tailleferre),フランシス・プーランク(Francis Poulenc),ジョルジュ・オーリック(George Auric)。タイユフェールは唯一の女性で 新古典主義の音楽を提案したことで知られ,印象主義やロマン主義から脱却しシンプルで親しみやすい音楽を目指しました。不勉強な私は,この中で,タイユフェールだけを知りませんでした。
 小組曲はとても短い曲でしたが,フランスの伝統的な音楽と近代の感覚をうまく融合させた作品と繊細で軽やかな音楽性が反映されているということで,明るく爽やかな旋律が小品ながらも色彩豊かで聴く者に親しみやすい印象でした。
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●ラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」(Ma Mère l'Oye)
 モーリス・ラヴェルの「マ・メール・ロワ」は,ラベルが友人の子供たちのために作曲した愛らしくも美しいピアノ連弾曲として誕生しました。
 タイトルはフランス語で「おとぎ話のお母さん」を意味し,シャルル・ペローなどの童話を基にした5つの短い楽曲で構成されています。それぞれの曲は物語の情景や登場人物を音楽で描いています。
「眠れる森の美女のパヴァーヌ」(Pavane de la Belle au bois dormant)は,ゆっくりとした優雅なリズムではじまり,静かな宮廷の情景を描きます。
「親指小僧」(Petit Poucet)は,小さな主人公が森で迷う不安と冒険心を表現しています。
「パゴダの女王レドロネット」(Laideronnette, impératrice des pagodes)は,東洋風の旋律が特徴的で,中国の宮殿を舞台にした場面を再現します。
「美女と野獣の対話」(Les entretiens de la belle et de la bête)は,クラリネットとコントラファゴットがそれぞれ美女と野獣を象徴している楽しい対比のある曲です。
「妖精の園」(Le jardin féerique)は,夢のように美しいフィナーレで最後に大団円を迎えます。
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●デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」
 ポール・デュカス(Paul Abraham Dukas )の交響詩「魔法使いの弟子」(L'apprenti sorcier)は,1897年に作曲された作品で,ドイツの文豪ゲーテの同名の詩に着想を得ています。
 物語の主人公は若い魔法使いの弟子。師匠が出かけたあと,水を汲む仕事に飽きた弟子が魔法を使って箒に仕事をさせます。しかし,魔法の解除方法を知らなかったため,箒は止まることなく水を運び続け,家中を水浸しにしてしまいます。最後に師匠が戻り魔法を解き,弟子を叱りつけて物語が締めくくられます。
 テーマにはファゴットが主導するコミカルな旋律が含まれ,箒が動き出す場面を鮮やかに描写します。1940年のディズニー映画「ファンタジア」では,ミッキーマウスが弟子役を演じました。
  ・・・・・・
 
 子供に昔話を聞かせているような,そんな感じがしました。 
 それにしても,沖澤のどかさんの指揮をする演奏会は,いつもこころが温かくなるのでしょうか。会場の雰囲気も最高でした。

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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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【Summary】
At Kyoto Symphony Orchestra's 701st Subscription Concert on June 25, 2025, Nodoka Okisawa conducted a bold French-themed program featuring Arabella Steinbacher performing Lentz’s intense violin concerto. Though impressive, the 40-minute piece felt long and hypnotic, yet ended with strong applause and a Kreisler encore.

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 2025年6月20日,京都市交響楽団第701回定期演奏会を聴きました。
 私は,現在,沖澤のどかさんの推し活中で -とはいっても演奏会に出かけるだけですが- 常任指揮者である京都市交響楽団の定期会員になった理由もそこにあるのですが,今回,定期会員になってはじめて,やっと沖澤のどかさんの指揮する定期演奏会がやってきたので,わくわくと出かけました。
 曲目は,アラベラ・美歩・シュタインバッハ(Arabella Steinbacher)さんのヴァイオリンでG・レンツ(Georges Lentz)のヴァイオリン協奏曲「...to beam in distant heavens...」,そして,タイユフェール(Tailleferre)の小組曲,ラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」(Ma Mère l'Oye),デュカス(Dukas)の交響詩「魔法使いの弟子」(L’Apprenti sorcier)ということで,沖澤のどかさんお得意のフランス音楽ですが,なかなか攻めたプログラムでした。
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 アラベラ・美歩・シュタインバッハさんは,ドイツ人の父親と日本人の母親との間に生まれ,3歳でヴァイオリンをはじめ,2000年にハノーファーで開催されたヨーゼフ・ヨアヒム・ヴァイオリン・コンクールで入賞した世界的に活躍するヴァイオリニストです。
 細やかな音楽表現と卓越した技術で知られています。
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 演奏会の前に行われたプレトークで,沖澤のどかさんは,アラベラ・美歩・シュタインバッハさんを「完璧」,でも冷たくない,と言っていました。

 まずは,G・レンツのヴァイオリン協奏曲です。
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●G・レンツのヴァイオリン協奏曲「...to beam in distant heavens...」
 ウィリアム・ブレイクの「エルサレム」の壮大なポエムの中の「...to beam in distant heavens...」(...遠い天を照らす...)からインスピレーションを得て作曲したというG.レンツのヴァイオリン協奏曲は, エレキギター・サウンドも投入され,エキセントリックで物々しい過激さを併せもったアヴァンギャルドに相応しい音楽に仕上がっている,というもので,独奏ヴァイオリンが「暴力」と「天使のような愛」という相反するものの間に揺れ動く感情を表している衝撃的かつ立体的な協奏曲です。
 アラベラ・美歩・シュタインバッハさんは,この曲の依頼者であり初演者,ということです。
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 曲の出だし,すごい打楽器の音からはじまり,アラベラ・美歩・シュタインバッハさんが楽屋で演奏する,というもので,すでに,不思議な雰囲気でした。
 思ったよりもわかりやすい「現代音楽」だったのですが,この曲は40分にも及ぶ大曲で,単調なメロディが続き,私は眠たくなりました。
 プログラムに書かれたアラベラ・美歩・シュタインバッハさんの感想に
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 この曲は,無限の空間に漂いながら地球を見下ろしているような,そしてその自分はさらに大きなものの一部を成しているような,そんな気持ちにさせてくれます。そんな視点からすれば,私たち人類が憎しみや暴力にこころ奪われ,お互いや環境に対してこころない行いをしていることがとても愚かなことに思えます。
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とあります。
 劇的な効果を伴った曲のおわり。そして,そのあとのカーテンコールがいつまでも続き,演奏されたアンコールは,クライスラーのレチタティーヴォとスケルツォ「カプリース」作品6でした。

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【Summary】
ChatGPT: The writer stayed at Tsugaru Fujimiso, a hot spring inn near Tsuru-no-Mai Bridge, during a 3-day trip. They were deeply moved by the beautiful apple blossoms in full bloom and learned about Aomori's apple farming history. The inn offered delicious food, local sake, and relaxing hot springs.

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この旅は2泊3日ですが,1泊目の宿は「つがる富士見荘」というところでした。絶景の宿という触れ込みで,2食つきの温泉宿ということだったので,とても楽しみでした。予約した後で,場所が鶴の舞橋に面したところだと知りました。いつもいい加減な私です。
鶴の舞橋は一度は行ってみたいと思っていたところだったのですが,前回青森へ来たときにすでに実現したので,あたりの様子はわかってると思っていました。
とろろが,木造から向かう途中,あたりが満開のリンゴの花だらけにはびっくりしました。そして,感動しました。この時期の青森では,リンゴの花が満開で,とても美しい景色が広がっていたのです。桜の花以上にすばらしいと思いました。

青森県にリンゴ農家が多いのは,寒暖差が大きく降水量も適度にあるため,リンゴの栽培に最適な環境であるからです。特に,昼夜の気温差が大きいことで甘みのあるリンゴが育ちやすくなります。
土地がリンゴ栽培に向いている青森県には広大な果樹園地帯があって,リンゴ栽培に適した土壌が広く確保されています。特に,岩木山周辺の火山灰地は水はけがよく,果樹栽培に適しています。
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江戸時代,津軽藩ではコメ作りが奨励されていましたが,やませの影響で,3年に一度冷害となり,農民は苦しみました。明治になって政府が果樹栽培を推奨し,青森県庁の職員だった菊池楯衛がリンゴ栽培の技術を広めたことで,県内でリンゴ栽培が盛んになりました。これで救われました。リンゴは貯蔵性が高く,安定した収入源となるため,多くの農家が今も栽培を続けています。
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青森県の中でもリンゴ農家が多い地域は津軽地方です。津軽地方には世界でも有数のリンゴ生産団地が形成されています。花は白や淡いピンク色をした可憐なリンゴの花は,4月から5月に開花します。青森県では桜の開花から約2週間後にリンゴの花が咲きはじめるため「桜の次はリンゴの花!」と楽しみにされることもあります。
リンゴの花は5つから6つの花がまとまって咲く「花そう」とよばれる形態をもち,中心に咲く花を「中心花」,周囲に咲く花を「側花」というそうです。リンゴの花は他家受粉が必要であり,異なる品種の花粉によって受粉・結実し,花が咲いている約10日間の間に受粉が完了しないとリンゴの実がならないため,農家にとって重要な時期だそうです。 
私はリンゴが大好きなので,このけなげな花たちから,おいしいリンゴの実がなるかと思うと,泣けてきました。この時期に来てよかった,と思いました。

「つがる富士見荘」に着きました。
思った以上のところでした。おいしい食事を地酒とともにいただきました。そして,温泉。これぞ旅の醍醐味でした。 
さあ,雲が切れたことだし,岩木山を借景にした鶴の舞橋の夜景を見にいくとしましょう。

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【Summary】
Aiming to visit places I had missed before, I stopped by Kizukuri Station on the JR Gono Line, known for its unique building featuring a giant Shakoki Dogu motif from the Kamegaoka Site, which I also visited. Though little remains to see, imagining life there in the Jomon era felt mysterious.

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これまで行きそびれたところに行ってみようという目的でやって来た今回の青森県の旅。次にやって来たのはJR五能線の木造(きづくり)駅でした。木造駅は五所川原駅の次の駅ですが,五能線に乗っても,降りたことはありませんでした。列車が停止するたびに,木造といえば,力士だった旭富士の出身地だなあ,と何となく思い浮かべるだけでした。それが,旅番組で,木造駅が出てきたときに,その駅の建物がユニークであることを知って,一度見てみたいものだと思うようになりました。
そこで,今回,車で木造駅に立ち寄ってみました。
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私は金木を出発して五所川原に着いたのは,午前十一時頃,五所川原駅で五能線に乗りかへ,十分経つか経たぬかのうちに,木造駅に着いた。ここは、まだ津軽平野の内である。私は、この町もちよつと見て置きたいと思つてゐたのだ。降りて見ると,古びた閑散な町である。人口四千余りで,金木町より少いやうだが,町の歴史は古いらしい。精米所の機械の音が,どつどつと,だるげに聞えて来る。どこかの軒下で,鳩が鳴いてゐる。ここは,私の父が生れた土地なのである。
  太宰治「津軽」
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JR五能線の木造駅はユニークな駅として知られています。
駅舎の外壁には,亀ヶ岡遺跡から出土した遮光器土偶(しゃこうきどぐう)をモチーフにした巨大なデザインが施されていて,インパクトが群を抜いています。この土偶は「しゃこちゃん」という愛称で親しまれていて,列車の発着時には目を点滅させる「いらっしゃいビーム」で乗客を迎えたり見送ったりする仕掛けがあります。そのユニークさから,木造駅は「東北の駅百選」にも選ばれています。
遮光器土偶は縄文時代に作られた土偶の一種で,目の部分が特徴的でイヌイットやエスキモーが雪の反射光を防ぐために使用する遮光器(スノーゴーグル)のような形をしていることからこの名前がつけられたということです。 最も有名な遮光器土偶は青森県の亀ヶ岡遺跡から出土したものです。
木造町(きづくりまち)は,2005年に周辺の村と合併し,現在はつがる市となっていますが,この地域が縄文時代の遺跡である亀ヶ岡遺跡があることから,駅舎がこの形となりました。
ということで,亀ヶ岡遺跡に行ってみました。
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亀ヶ岡遺跡は縄文時代晩期の集落遺跡です。
遺跡は津軽平野の西南部に位置し,標高7メートルから18メートルの丘陵上に広がっています。遺跡内には土坑墓が多数存在し,副葬品として土器や玉類が出土しています。また,祭祀場としての捨て場もあり,漆塗りの土器や土偶などが発掘されています。
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遺跡のあるる場所は詳しい説明版はあれど,それ以外には特に何が見られるというものではありません。しかし,この場所に縄文時代に人が住んでいたのかと想像すると,何か不思議な気がしました。

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【Summary】
In a trip to Aomori to visit overlooked places, I stopped at Takayama Inari Shrine after Fukaura. I saw the Tsugaru literary monument at Senjōjiki Coast and then visited the shrine, known for its winding rows of red torii gates. I finished with coffee and a sweet at a new rest spot opened in 2023.

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これまで行きそびれたところに行ってみようという目的でやって来た今回の青森県の旅では,深浦町に行った次に向かったのが,津軽半島の高山稲荷神社でした。私は,そんな有名なところを見逃していたのです。
西海岸に沿って,国道101号線を走ります。JR五能線の線路が道路に沿って伸びています。そして,最も風光明媚なのが千畳敷海岸です。何もわからず,はじめて青森県の西海岸を走ったときに,何だ,この見事な景色は,と思いました。最果て感満載の地でしたが,その後,何度もここを訪れるとは,そのときは思いませんでした。

千畳敷海岸の駐車場に車を停めました。そここもまた,すでに何度も車を停めてその景色を眺めているのですが,今回の目的は,太宰治の文学碑でした。それもまた,私がこれまでに見逃していたものです。
車から出て,海岸を目をやり探すのですが,目的のものが見当たりません。それらしき案内標示すらないのです。そうして,何度も別の場所に車を停めて探していくうちに,有名な民宿「望洋館」のあるところに車を停めて海岸を眺めて,やっと見つけました。
この文学碑は,太宰治の小説「津軽」の一節を刻んだもので,1993年(平成5年)に建立されました。文学碑には
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木造から,五能線に依つて約三十分くらゐで鳴沢,鰺ヶ沢を過ぎ,その辺で津軽平野もおしまひになつて,それから列車は日本海岸に沿うて走り,右に海を眺め左にすぐ出羽丘陵北端の余波の山々を見ながら一時間ほど経つと,右の窓に大戸瀬の奇勝が展開する。この辺の岩石は,すべて角稜質凝灰岩とかいふものださうで,その海蝕を受けて平坦になつた斑緑色の岩盤が江戸時代の末期にお化けみたいに海上に露出して,数百人の宴会を海浜に於いて催す事が出来るほどのお座敷になつたので,これを千畳敷と名附け,またその岩盤のところどころが丸く窪んで海水を湛へ,あたかもお酒をなみなみと注いだ大盃みたいな形なので,これを盃沼さかづきぬまと称するのださうだけれど,直径一尺から二尺くらゐのたくさんの大穴をことごとく盃と見たてるなど,よつぽどの大酒飲みが名附けたものに違ひない。この辺の海岸には奇岩削立し,怒濤にその脚を絶えず洗はれてゐる,と,まあ,
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とありました。

さて,ここからさらに北に向かって走ると,高山稲荷神社に着きました。広い駐車場がありました。
ここは,多くの観光客が「何もない青森」と思っているの中でかろうじて観光地を名乗る場所で,多くの団体ツアー客やらインバウンドがいました。私にはふさわしくないところでしたが,まあ,それはそれとして,青森好きの私が一度は訪れるべき場所でした。
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高山稲荷神社の創建は鎌倉時代から室町時代にかけてと伝えられています。鎌倉時代に安藤五郎がこの地で蝦夷との対応を任されたことではじまる豪族・安藤家によって境内社である三王神社が創建されたことがはじまりとされています。かつては,この場所が「山王,転じて三王坊山」とよばれ,十三の宗寺が建ち並ぶ霊場だったそうです。
祭神は,,宇迦之御魂は須佐之男と神大市比売(かむおおいちひめ)の間に生まれた宇迦之御魂(うかのみたま),稲荷神社で祀られる佐田彦(さたひこ),宮廷の平安を守る大宮能売(おおみやめ)です。
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ちなみに,安藤家は戦国時代には秋田家と改姓し,秋田藩主となりましたが,関ヶ原の戦いで勢力を失い,佐竹家に代わりました。
観光客が押し寄せるのは,美しい千本鳥居が目的です。この千本鳥居は,1980年(昭和55年)に地元の農家が鳥居を奉納したことがきっかけではじまったものです。鳥居をまっすぐ並べるのが難しかったために龍のように蛇行させた独特の形状になって,それが有名となり,現在も全国各地から奉納が続いているのだそうです。
帰りに,参集殿の隣に2023年にオープンしたというお休み処というのがあったので立ち寄って,高山まんじゅうとコーヒーで一服しました。ここにはほかに観光客もおらず,静かな時間を過ごすことができました。

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【Summary】
I visited the "Photographed Nagoya Castle" exhibition showcasing photos taken by Tokugawa Yoshikatsu. While the photos are historically valuable, having visited all 12 original castles in Japan, I found them similar and felt little surprise.

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 愛知県の西部,江戸時代に尾張藩とよばれた地域は,徳川御三家筆頭の尾張徳川家の統治したところです。金鯱のある名古屋城と徳川御三家の尾張徳川家を地元の人は誇りとしています。
 とはいえ,尾張徳川家については,ほとんどのことを知りませんし,習いません。
 御三家筆頭であるにもかかわらず,将軍を輩出していないことや,幕末の動乱期にも影が薄く,歴史の教科書にも出てきません。私もそうでしたが,このごろ,いろいろなことを調べてみて,興味が湧いてきました。
 そんな折,名古屋城内の西の丸御蔵城宝館で,尾張藩14代・17代藩主だった徳川義勝(とくがわよしかつ)が残した写真の展覧会「写された名古屋城」展が行われていることを知りました。
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 2025年6月17日。猛暑になるということだったので,朝一番,開館時間の午前9時に名古屋城に入りました。すでに外国人観光客で一杯でした。現在,名古屋城は天守に入ることができません。耐震が十分でないということと,木造に建て替えるという計画が難航しているからです。
 私は,子供ころから何度も来ているので,今回の目的は西の丸御蔵城宝館で写真の展覧会を見ることだけで,名古屋城には特に興味がなかったのですが,多くの観光客は,天守に登ることもできないのに何を見に来るのかな? と思ってしまいました。


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 徳川慶勝は,幕末から明治初期にかけての大名で,明治維新後に議定,名古屋藩知事となりました。
 美濃高須藩主・松平義建の次男で,弟に15代藩主・徳川茂徳,会津藩主・松平容保,桑名藩主・松平定敬がいて,高須四兄弟と総称されます。幕末の動乱期には,第1次長州征討で総督を務めるなど幕府や藩を支えるために動いた人物でもありました。
 写真術に深い関心をもち,幕末における写真撮影の技術を研究し,自身で撮影を行っただけでなく,学者や家臣たちに協力を求め,化学や物理学に基づいた薬品の調合やレンズの改良を行いました。特に名古屋城の撮影では,約400枚にのぼる写真を残し,城内の様子を克明に記録しています。この写真群には、殿様しか立ち入ることのできなかった場所のものも含まれていて,歴史的資料としての価値が極めて高いものです。
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 館内は,私以外にだれもおらず,落ち着いて多くの貴重な写真を見ることができました。
 徳川慶勝のおかげで,名古屋城は日本で最も多くの写真が撮られた城,ということです。おかげで,本丸御殿を再建したときに,江戸時代のままに復元することができたといいます。
 そうした珍しい写真ですが,日本には,松江城など,現存する天守が12あり,そのすべてに行ったことがある私には,それらとほとんど同じようなものを写真で見る,という結果になってしまい,襖絵などのほかには,特に,驚きというものは感じませんでした。
 それよりも,私は,この展覧会で徳川慶勝の出身地である美濃高須藩に興味をもちました。美濃高須藩は現在の岐阜県海津町ですが,この場所に何度も行っていてもその存在を今まで知りませんでした。ほとんど遺構は残っていないらしいのですが,また,近いうちに訪れてみたいものだと思いました。

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【Summary】
During the Edo period, Fukaura thrived as a port for Kitamaebune ships linking Ezo and Hokuriku. Though I expected many temples, only Engakuji stood out—a refined Shingon temple founded by Sakanoue no Tamuramaro. Its sacred cedar once guided ships. Like Dazai Osamu, I left for my next destination after visiting.

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日本海の沖合は中世から蝦夷地と北陸地方を結ぶ西廻り海運が開かれて多くの北国船が往来しました。江戸時代には幕府および松前藩による蝦夷地経営の確立とともに,日本海の海上交通は北前船とよばれる交易船によって益々繁昌し,弘前藩の各湊も当然のように重要視され,領内の重要湊として深浦,鰺ヶ沢,十三,青森の四浦が定められました。
深浦湊は,中世に安藤家が十三湊を拠点に活躍した時代から,蝦夷地と日本海沿岸の各湊を結ぶ北国海運の重要な寄港地として利用されてきました。西津軽の最も南に位置し,北の行合崎と西の入前崎にいだかれた深い入り江は,北前船の「風待ち湊」となっていました。

そんな深浦町には多くの神社仏閣があると思っていたのですが,それは誤解で,あったのは円覚寺だけでした。
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円覚寺は真言宗醍醐派の寺院で,山号は春光山,本尊は十一面観音です。
807年(大同2年)に征夷大将軍・坂上田村麻呂が観音堂を建立し,厩戸皇子の作となる十一面観世音菩薩像を安置したとあるそうです。また,868年(貞観10年)に円覚が諸国の霊山を遍歴したのちこの地に来て坂上田村麻呂が建立した観音堂を再興して円覚寺と称したとあります。
江戸時代には,津軽藩の祈祷寺院となり,歴代藩主の庇護のもとで修復再建がされました。
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なかなか風流な寺でした。
境内に「竜灯杉」とよばれる巨木があって,これが日本海を航行する船の目印でした。信心すれば闇夜で光を放って守護したということで,漁師達からは「助けの杉」とよばれていたといいます。
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駅からまつすぐに一本路をとほつて,町のはづれに,円覚寺の仁王門がある。この寺の薬師堂は,国宝に指定せられてゐるといふ。私は,それにおまゐりして,もうこれで,この深浦から引上げようかと思つた。完成されてゐる町は,また旅人に,わびしい感じを与へるものだ。
  太宰治「津軽」
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私も,太宰治のように,円覚寺を後に,次の目的地に向かうことにしました。
その途中,深浦町歴史民俗資料館と美術館があったので,しばし,鑑賞しました。

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【Summary】
While I hadn't read much of Dazai Osamu's work, I felt drawn to visit places connected to him. At Fukaura's former Akitaya Inn, where Dazai once stayed, I encountered moving traces of his journey and writings, which made my visit deeply worthwhile.

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昼食をとった海の駅ふかうら「深浦まるごと市場」から国道101号線を隔てた山側に「太宰の宿・ふかうら文学館」がありました。ここは,太宰治が宿泊した深浦の旧・秋田屋旅館を改築したものでした。太宰治,と知れば,行かない選択肢はありません。
私は,太宰治の小説を熱心に読んだこともないのに,なぜか惹かれて,太宰治にゆかりの地のほとんどを訪ねたのですが,まだ,残っていました。
1階は深浦町の図書館になっていて,2階に太宰治宿泊の間がありました。太宰治宿泊の間では,太宰治が宿泊した当時の部屋が再現されていて,書簡や貴重な資料が展示されていました。

1944年(昭和19年),太宰治は,小説「津軽」の執筆に際して「いちど見ておきたい」という理由で,それまで行ったことのなかった青森の西海岸の深浦町へ旅行したのですが,津軽半島にある金木町の生家から遠く離れたこの地でも兄の勢力が及んでいることを旅館の主人から知らされるのです。
また,太宰治の妻であった津島美知子さんによる回想記「回想の太宰治」によれば,翌1945年(昭和20年)にも,金木町の生家に疎開する道すがら,太宰治は妻子とともに再び秋田屋旅館に1泊しました。太宰治は秋田旅館で酒を期待して足を運んだのですが,あいにく主人は病床に伏していて,期待した待遇は受けられませんでした。
  ・・・・・・
たまらない気持がして私は行きあたりばったりの宿屋へ這入り,汚い部屋に案内され,ゲートルを解きながら,お酒を,と言った。すぐにお膳とお酒が出た。意外なほど早かった。私はその早さに,少し救われた。部屋は汚いが,お膳の上には鯛と鮑の二種類の材料でいろいろに料理されたものが豊富に載せられてある。鯛と鮑がこの港の特産物のようである。
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翌る朝,私がわびしい気持で朝ごはんを食べていたら,主人がお銚子と,小さいお皿を持って来て, 「あなたは,津島さんでしょう。」と言った。「ええ。」私は宿帳に,筆名の太宰を書いて置いたのだ。 「そうでしょう。どうも似ていると思つた。私はあなたの英治兄さんとは中学校の同期生でね、太宰と宿帳にお書きになったからわかりませんでしたが,どうも,あんまりよく似ているので。」「でも,あれは,偽名でもないのです。」 「ええ,ええ,それも存じて居ります,お名前を変えて小説を書いている弟さんがあるという事は聞いていました。どうも,ゆうべは失礼しました。さあ,お酒を,めし上れ。この小皿のものは,鮑のはらわたの塩辛ですが,酒の肴にはいいものです。」 私はごはんをすまして,それから,塩辛を肴にしてその一本をごちそうになった。塩辛は,おいしいものだった。実に,いいものだった。こうして,津軽の端まで来ても,やっぱり兄たちの力の余波のおかげをこうむっている。結局,私の自力では何一つ出来ないのだと自覚して,珍味もひとしお腹綿にしみるものがあった。要するに,私がこの津軽領の南端の港で得たものは,自分の兄たちの勢力の範囲を知ったという事だけで,私は、ぼんやりまた汽車に乗った。
  太宰治「津軽」
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私は,これだけでも,深浦町に来てよかったと思いました。

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【Summary】
Photographer Ruiko Yoshida, who inspired my admiration for America and Harlem, passed away in May 2024. Remembering her brings back my youthful passion. May she rest in peace.

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 新聞もテレビのニュース番組も全く見なくなってしまったので,吉田ルイ子さんが亡くなったことを最近まで知りませんでした。
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 吉田ルイ子さんは,1934年7月10日に生まれ,2024年5月31日に亡くなったフォトジャーナリストです。北海道の出身でしたが,小学校時代に同じ学校に通っていたアイヌの生徒への差別を目の当たりにしたことでジャーナリストの道を志し,慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後,1961年にフルブライト交換留学生として渡米しました。
 ニューヨーク在住中にハーレムで撮った写真が高く評価されました。
 1971年に帰国し,写真展「ハーレムーブラック・イズ・ビューティフル」を開催。また,ルポルタージュ「ハーレムの熱い日々」を出版。また,1982年にはサンリオ映画「ロングラン」で監督を務めました。
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 私がかつてアメリカ50州を旅したり,ニューヨークのハーレムに行ったのも,すべては吉田ルイ子さんを知ったからにほかなりません。これまで何度か吉田ルイ子さんのことを書きましたが,吉田ルイ子さんの訃報を知って,私がアメリカに憧れていたころの気持ちを思い出しました。
 私の手元には,写真集「ハーレム」が2冊あります。1冊は初版で,これは古書店で入手しましたが,中に,貴重な絵ハガキが紛れ込んでいました。
 また,なぜか,映画「ロングラン」の台本があります。映画「ロングラン」は,若者がローラースケートでアメリカ大陸を横断する,というもので,その最後はニューヨークのワシントンブリッジをローラースケートで駆け抜けるシーン。これに憧れました。憧れは現実となったのですが,私が横断したのは,ワシントンブリッジではなくブルックリンブリッジだったし,ローラースケートではなく徒歩でした。

 そうした何もかもが,今となっては昔のことです。
 現在のアメリカには,当時の面影もなく,私も憧れがなくなってしまいましたが,私の若いころの熱い気持ちを今はまぶしく思います。
 吉田ルイ子さんのご冥福をお祈りします。
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 いじめられ,けんかし,愛したアメリカが,私は憎らしくて大好きだ。
  America--I hate but I love.
   吉田ルイ子「吉田ルイ子のアメリカ」
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【Summary】
Sangenjaya, once a stopover for travelers during the Edo period, blends trendy cafés and stylish living with retro charm, featuring spots like the Carrot Tower and the nostalgic "Triangle Zone" bar district.

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 2025年6月7日。この日の夜7時30分から放送される「ブラタモリ」で三軒茶屋が取り上げられるということなので,三鷹市から渋谷のNHKホールに戻る途中で,三軒茶屋に行ってみることにしました。
 しかし,いったい三軒茶屋に何があるというのだろう…。何しろ放送前だったので,テーマが「3」ということしかわかりませんでした。
 ともかく,渋谷駅から東急田園都市線に乗り換えて三軒茶屋駅に着きました。
 「にこたま」の愛称で親しまれている二子玉川とともに,「さんちゃ」の愛称で三軒茶屋も有名なので,一度行ってみたことがあるのですが,当時は,何かつかみどころのないところでした。
  ・・・・・・
 三軒茶屋は,世田谷地域の町名で,三軒茶屋一丁目および三軒茶屋二丁目を指します。
 世田谷区の中で知名度の高い商業地で,「住みたい町」ランキングの上位に名を連ねる人気の住宅地です。渋谷に近いこと,芸能人が多く住んでいる街であること,カフェブームの隆盛に影響を与えたことなどから「オシャレな街」「トレンディな街」などとして語られることも多いその一方で,駅前のエコー仲見世商店街やすずらん通りなどレトロな街並みも多く残っています。
 複合ビルのキャロットタワーがランドマークとなっています。
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 まず,観光案内所があったので聞いてみましたが,やはり,何があるのだろう? という話でした。そういえば少し前にテレビのロケをやっていた,と言っていましたが,テレビのロケをやっていても,それにだれも興味がないというのがまた,三軒茶屋らしいというか…。
 ともかく,まず,キャロットタワーの26階に無料の展望台があるというので,行ってみました。そして,「3」というテーマにかこつけて,併設されていたカフェで三角形のケーキを食べました。
 その後,通称・三角地帯とよばれているらしい飲み屋街に行ってみました。
  ・・・・・・
 三軒茶屋という地名は,江戸時代中期ごろから庶民の間でブームとなっていた「大山詣り」の途中にある休憩スポットとして「角屋」「信楽」「田中屋」という3軒の茶屋が世田谷通り(旧大山道)沿いにあったことに由来します。
 古くから交通の要衝としても知られていて,戦後間もなく闇市がつくられた「三角地帯」とよばれる一角には今もなお飲食店をはじめとした商店が軒を連ね,昭和レトロな面影を多く残しています。
 ここは名酒場がひしめくのんべえたちの聖地! なのです。
  ・・・・・・
 ということで,三軒茶屋はディープな街だということだけはわかりました。

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【Summary】
While visiting the NHK Symphony Orchestra concert, I explored places related to Osamu Dazai in Mitaka, including a newly updated exhibition at the Dazai Osamu Memorial Room. I also visited the recently opened Yoshimura Akira Study, which deepened my interest in his works.

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 今日6月13日は桜桃忌。
 NHK交響楽団定期公演を聴きに東京へ行った折り,まずは,大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」にちなんだ場所をめぐったのですが,次は,一転して,太宰治です。
 三鷹駅前に三鷹市美術ギャラリーがあって,そこに太宰治資料室「三鷹の此の小さい家」として,太宰治の過ごした部屋が再現されています。以前にも行ったことがあるのですが,この度展示替えが行われ,それを機に太宰治資料展が行われていると知ったので,行ってみることにしました。
 私は,若いころは,「三鷹=東京天文台」という図式があったのですが,このごろは「三鷹=太宰治」です。ということで,三鷹市にある太宰治にちなんだ場所のほとんどは,すでに行きました。
  ・・・・・・
 太宰治は1939年(昭和14年)9月に三鷹の住民となり,1948年(昭和23年)6月に亡くなるまで「三鷹村(町)下連雀一一三」で過ごしました。
 小説の舞台としてもたびたび登場する三鷹の自宅は約12坪半ほどで,新築ではあるものの,妻子と暮らすには十分とはいえない質素な借家でした。太宰治は,この家を「三鷹の此の小さい家」「三鷹の私の家」「三鷹下連雀の家」「三鷹の陋屋」「東京の私の草屋」「あばらや」などと表現しています。
 「太宰治が生きたまち・三鷹」を掲げ,太宰治顕彰事業に取り組んできた三鷹市では,美術ギャラリーの一室に自宅の一部再現を試みることによって,「太宰治の自宅を訪れるかのような展示室」を開設しました。
  ・・・・・・
 ということで,今回,太宰治資料室「三鷹の此の小さい家」を再び訪れて,新たに展示に加えられた資料を興味深く見ることができました。

 その帰路,太宰治文学サロンに寄って話をしていたら,吉祥寺駅近くに三鷹市吉村昭書斎が開設されて,そこで現在,「吉村昭と津村節子のふたり旅」という展示会が行われているから行ってみてはどうか,と言われたので,井の頭公園をのんびり歩いて,行ってみることにしました。
 その途中で,「吉昇亭」というところで昼食をとりました。たまたま入ったのですが,長野県上田市のソウルフードであるあんかけ焼きそばが食べられる有名店でした。
 さて,三鷹市吉村昭書斎です。
  ・・・・・・
 三鷹市吉村昭書斎は,作家・吉村昭の妻で作家・津村節子さんから寄贈された書斎を移築し2024年(令和6年)に開館したものです。
 三鷹市ゆかりの文学者である故・吉村昭を顕彰するため,執筆活動を行っていた書斎を移築・再現するとともに,展示機能を付加した施設です。「交流棟」と「書斎棟」の2棟建てとなっていて,「交流棟」では吉村昭と津村節子さんの著作を開架し,映像での展示も行っています。また,「書斎棟」には,書斎,茶室,展示室があり,書斎は執筆中の吉村の姿を彷彿させる臨場感あふれる空間に仕上げ,茶室は吉村の筆による短冊や書を飾り,往時の様子を再現しています。
  ・・・・・・
という場所でした。
 私はこういう施設が好きです。訪れる人も少なく,こころが落ち着くし,何かとても賢くなったような気がします。これまで,吉村昭の作品はほとんど読んだことがないのですが,これを機に作品に触れてみたいと思ったことでした。

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【summary】
Prompted by the 2024 Taiga drama Berabō, the author explored parts of Tokyo like Denma-cho, Nihonbashi, and Akita-dori, discovering historical ties to figures such as Tsutaya Jūzaburō and Hiraga Gennai. Though few remnants remain today, locations like the Kōshodō site and former Yoshiwara offer glimpses into Edo-period life. Even areas like Satake Shopping Street, once home to the Akita domain’s Edo residence, connect to the drama through characters like Tomseidō Kisanji. The experience revealed how modern Tokyo retains deep historical layers, linking past and present through drama and place.

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 東京に住んでいるならともかく,日本橋から北東あたりはビジネス街なので,観光で行く機会はありません。それでも,私は,昨年の9月に,吉田松陰が処刑されたという伝馬町牢屋敷跡には行ってみたことがあります。しかし,当時は,そのあたりに旧吉原があったとか,蔦屋重三郎の「耕書堂」があったとか,平賀源内も伝馬町の牢にいたとか,そんなことはまったく知りませんでした。
 どれもこれも,今年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」が放送されたからこその知識です。とはいえ,現在は,当時の遺構などほとんどないに等しいので,事前に場所を調べた地図をもって歩いてみることにしました。

 まずは,日本橋に移転したあとの「耕書堂」の跡地です。といっても,あるのは案内板だけ,ということは知っていたのですが,その場所に近づいて驚きました。その近くに,何と「耕書堂」と掲げた店があったのです。中に入ってみました。そこは,「通油町(とおりあぶらちょう)ギャラリー」というところで,要するに,ドラマにかこつけて,みやげ物屋を開業しているというところでした。さらに,少し歩いた場所には「イチマス田源」という呉服屋さんがあって,その2階にも「耕書堂」が再現されていました。
 ともに,いかにも江戸っ子という感じの店員さんがいて,気さくにお話ができました。

 現在,「耕書堂」跡地には東横イン日本橋馬喰町がありました。
 そこからしばらく歩くと,今度は末廣神社がありました。この辺りが旧吉原があった場所のようです。
  ・・・・・・
 江戸時代の初期,吉原遊廓は人形町にありました。その当時,日本橋と人形町の間には掘があり,橋がかけられていました。日本橋と旧吉原をわけたのが思案橋でした。思案橋から吉原の芝居小屋と遊郭の両方を見渡すことができて,どっちに遊びに行こうかと思案したのが由来だといわれています。今は「小網町児童遊園」という小さな公園になっています。
 江戸のあちこちに点在していた遊郭を一箇所にまとめて幕府の公認を得たのが吉原遊郭でした。
  ・・・・・・

 東横イン東京駅新大橋前に宿泊して,翌6月7日。
 この日は,朝,隅田川を渡って森下駅から地下鉄で新御徒町駅まで行って,佐竹商店街を歩いてみることにしました。
 少し前,秋田県に行ったのですが,佐竹家は現在の秋田県,江戸時代の久保田藩を治めていた殿様です。その江戸屋敷があった場所が,秋田商店街なのです。秋田商店街がどうして「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」と関係があるかといえば,それは,尾美としのりさん演じる朋誠堂喜三二(=平沢常富)が久保田藩の江戸留守居役だった,ということからくるものだからです。
 どこにいっても,こんなふうに,べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」と関連してしまうことができるなんて,江戸,いや,東京も奥が深いところです。

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【Summary】
After viewing the special exhibition on Tsutaya Jūzaburō, I enjoyed lunch at the National Museum of Nature and Science, then visited the "Five Great Ukiyo-e Masters" exhibition, featuring about 140 works by Utamaro, Sharaku, Hokusai, Hiroshige, and Kuniyoshi, including Hokusai’s masterpieces like The Great Wave and Red Fuji.

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 特別展「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」を見たあと,国立科学博物館のレストランで昼食をすませ,今度は,上野の森美術館で7月6日まで開催されている「歌麿 写楽 北斎 広重 国芳-五大浮世絵師」展を見ました。国立科学博物館は65歳以上は無料なので,昼食をとるには最高なのです。
 「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」で浮世絵のすばらしさを再発見しただけに,とても楽しみでした。
  ・・・・・・
 浮世絵が最も成熟し,黄金期とよばれた天明・寛政期。
 吉原風俗や市井の生活など艶やかな女性のしぐさや想いを写し一世を風靡した喜多川歌麿。
 繊細な感覚と事実を踏まえた独自のデフォルメで役者の演技の一瞬を劇的に捉えた役者絵を描いた謎の絵師,東洲斎写楽。
 「冨嶽三十六景」をはじめ,風景・花鳥・人物と森羅万象を描き続けた葛飾北斎。
 「東海道五十三次」や江戸名所など,江戸後期の浮世絵に新風を吹き込んだ風景画の歌川広重。
 豊かな発想力と斬新なデザインで武者絵の世界を切り抜き幕末・明治の浮世絵界をけん引するリーダーとなり,国内はもとより海外でも高い人気歌川国芳。
 美人画,役者絵,風景画など各分野で浮世絵の頂点を極めた5人の絵師の代表作を中心に約140点を紹介します。
  ・・・・・・

 ということで,「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」と同じ浮世絵もありましたが,こちらの展覧会のほうが,浮世絵という面からは作品が豊富でした。
 「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」で,私は歌麿にぞっこんとなりましたが,「歌麿 写楽 北斎 広重 国芳-五大浮世絵師展」では,何といっても見ものは,葛飾北斎の「冨嶽三十六景』(ふがくさんじゅうろっけい)から「神奈川沖浪裏」(かながわおきなみうら)と「凱風快晴」(がいふうかいせい)でした。
  ・・・・・・
●「神奈川沖浪裏」
 「凱風快晴」「山下白雨」と合わせて三大役物とよばれる傑作で,最も広く世界に知られている代表作です。凶暴なまでに高く激しく渦巻く波濤と波に揉まれる3艘の舟,それらを目の前にしつつうねる波間から遥か彼方にある富士の山を垣間見るという,劇的な構図をとっています。
  ・・
●「凱風快晴」
 「赤富士」ともよばれます。
 富士を大きく正面から描いた作品で,画面下には樹海,空にはいわし雲が描かれ,富士の山頂には雪渓が残ります。
  ・・・・・・
 ともに,縦25.7センチメートル,横37.9センチメートルと意外と小さな作品だなあ,というのが第一印象でした。

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【Summary】
On June 6, 2025, I visited the special exhibition on Tsutaya Jūzaburō at the Tokyo National Museum. Highlights included ukiyo-e by Utamaro, which deeply moved me. Thanks to the NHK drama Berabō, my interest in the mid-Edo period has grown.

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 2025年6月6日,上野の国立博物館平成館で6月16日まで開催されている特別展「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」を見ました。週末は混雑すると思ったので,金曜日の朝一番に行きました。
 NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」が放送されて,これまであまり知られていなかった江戸時代中期について脚光を浴びています。私も夢中で見ているのですが,今回,主人公である蔦屋重三郎に関する展覧会が開かれているというので,楽しみにしていました。

 中に入ると,まず,吉原大門が出迎えてくれました。会場は新吉原の家並みが再現されていました。
 はじめにあったのが,吉原細見,洒落本,黄表紙などの展示でした。「雛形若菜の初模様」がずらりと並んだ姿は圧巻でした。このあたりは,非常に多くの人でごった返していたので,私は先を急ぎました。こうした展覧会に行くといつも思うのは,どうして会場のはじめのあたりに人が群れているのかな,ということです。そして,次第に人が少なくなっていくのです。皮肉を込めていうと,来ている人の多くは勉強不足です。来る前に予習してこなくちゃ…。

 ということで,先に,ほどんど人がいなかった浮世絵の展示まで行ってみました。
 これがまあ,すごいこと。喜多川歌麿,栄松斎長喜,葛飾北斎などがあったのですが,私が感動したのが喜多川歌麿でした。
 写真などではいつも見ているのですが,本物はすごい,と思いました。筆の運び,色など,保存状態がすばらしい浮世絵の本物は,圧巻でした。これまで,こんなもののどこがいいんだろう,と思っていた私が愚かでした。当時話題になっただけのことはある,と思いました。浮世絵の再発見でした。
 浮世絵に感動した後,はじめの部分に戻って,ゆっくりと展示を見ました。

 最後のコーナーにあったのは,NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」のセットでした。
 おそらくこの特別展は,ドラマの番組宣伝を兼ねているのでしょう。NHKもやるものです。まあ,固いこといわず,ドラマを通じて,これまでほとんど知らなかった江戸時代について造詣が深まったのだからよしとすることにしましょう。
 ますます興味がわいてきました。

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【Summary】
The concert featured works by Rimsky-Korsakov, Rachmaninoff, and Tchaikovsky. Though impressed by Avdeeva’s performance in the encore and the famous 18th variation, I felt the brass overpowered the orchestra and the tempo was too fast. The season ends; next season, I’ll switch to Program C.

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 今回の曲目は,リムスキー・コルサコフの歌劇「5月の夜」序曲(May Night Overture),ユリアンナ・アヴデーエワさんのピアノでラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」(Rapsodie sur un thème de Paganini pour Piano et Orchestre),そして,チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」でした。

●リムスキー・コルサコフの歌劇「5月の夜」序曲
 ロシアの作家ニコライ・ゴーゴリの物語「5月の夜,または水死女」を元にした歌劇は,1878年から1879年にかけて作曲され,1880年にサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で初演されました。
 序曲はウクライナ民謡を取り入れた美しい旋律が特徴で,静かで幻想的な雰囲気からはじまり,次第に活気あふれる展開へと移ります。序盤ではホルンやオーボエ,チェロが静かに奏でられ,しっとりとした夜の情景を描きます。その後,弦楽器がスピードを増し,金管楽器が加わることで華やかさが増し,まるで夜の祭りのような賑やかな雰囲気へと変わっていきます。それは神秘的で幻想的な世界観を象徴するものです。
  ・・
●ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」
 1934年に作曲されたピアノとオーケストラのための作品で,25の変奏から成る狂詩曲です。
 ニコロ・パガニーニの「24の奇想曲」第24番の主題をもとに,ラフマニノフ独自の華麗な変奏が展開されます。特に有名なのは第18変奏で,パガニーニの主題を反行形で用いた美しい旋律が特徴です。この変奏は、映画やCMなどでも頻繁に使用されるほど人気があります。
 初演はボルチモアで行われ,ラフマニノフ自身がピアノを演奏し,レオポルド・ストコフスキーが指揮を担当しました。
  ・・
●チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」
 「悲愴」はチャイコフスキーの最後の交響曲で,1893年に作曲されました。
 チャイコフスキーが亡くなる直前に完成させたこの作品は,感情的に非常に深い音楽で知られています。特に第4楽章のゆったりした終わりは,とてもこころに響きます。
 私は,たった一度だけ鳴るドラの音が好きです。このドラの1打は,まるで運命の鐘のように響きます。

 リムスキー・コルサコフの歌劇「5月の夜」序曲ははじめて聴きました。リムスキー・コルサコフは交響組曲「シェヘラザード」(Scheherazade)がよく知られていますが,どこかそんな面影が感じられる聴きやすい曲でした。
 ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」はこれまで何度か聴いているのですが,私の記録にはあまり残っていません。
 歌劇「5月の夜」序曲,「パガニーニの主題による狂詩曲」とも,私の席が悪いのか,金管楽器がやたらと響き,また,「パガニーニの主題による狂詩曲」では出だしのテンポが速すぎて,曲に入り込めませんでした。また,オーケストラの演奏が私には何かバラバラに聴こえて,彼女の特徴が生かされているとは思えず,ちょっと残念な気がしました。NHK交響楽団もヨーロッパ公演から帰国したばかりで,お疲れかな,と思いました。あるいは,私の精神状態がお疲れだったからかもしれません。
 ユリアンナ・アヴデーエワさんは,近年,美しい弱音と迫力の強打が特徴ということですが,有名な第18変奏は圧巻でした。
 アンコールは,チャイコフスキーの18の小品から第5曲「瞑想曲」(Meditation)で,これもすばらしかたです。
 チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」は,先日,2025年4月19日に京都市交響楽団の定期演奏会で聴いたばかりです。出だしはともかく,第3楽章あたりからやっと本来のHNK交響楽団らしさが戻ってきて,最後はのめり込みました。

 ウラディーミル・フェドセーエフさんが来日できず,フアンホ・メナさんに急遽変更された演奏会でした。私はウラディーミル・フェドセーエフさんの指揮を楽しみにしていただけに,ウラディーミル・フェドセーエフさんがだったらどういった出来だったかな,と残念な気がしました。
 また,ユリアンナ・アヴデーエワさんお目当てらしく,ほぼ満員の観客でした。
 これで今シーズンが終了です。来シーズンからは定期会員をCプログラムに変更する予定ですが,その理由は,プログラムを見ていただければわかります。

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【Summary】
I attended the NHK Symphony Orchestra’s 2039th subscription concert on June 7, 2025. Though disappointed by conductor changes, I enjoyed the program of Rimsky-Korsakov, Rachmaninoff, and Tchaikovsky, especially pianist Yulianna Avdeeva’s performance.

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 2025年6月7日,NHK交響楽団第2039回定期公演 Aプログラムを聴きました。
  ・・
 ところで,前回,4月26日の第2036回定期公演Aプログラムは欠席しました。このときの曲目はマーラ-の交響曲第3番で,これはヨーロッパ公園のプレコンサートということで,おそらく多くの観客が詰めかけたことでのでしょう。しかし,私は,あえて,行きませんでした。
 その理由は,すでに書いたように,2024年9月14日のNHK交響楽団第2016回定期公演でブルックナーの交響曲第8番の第1稿,NHKFMで聴いた2024年12月25日の「N響第9演奏会」と,立て続けにファビオ・ルイージ指揮の演奏会で私は拒否反応を起こし,行く気がなくなってしまったからです。今回,もし,同じようなことが起きて,大好きなマーラーが嫌いになってしまってはたまりません。それは,演奏の出来不出来ではなく,私個人の趣向の問題ですが,何というか,ファビオ・ルイージという指揮者の描くテンポを私は拒絶するのです。

 さて,今回の演奏会の曲目は,リムスキー・コルサコフの歌劇「5月の夜」序曲(May Night Overture),ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」(Rapsodie sur un thème de Paganini pour Piano et Orchestre),そして,チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」でした。
 指揮はウラディーミル・フェドセーエフ(Vladimir Ivanovich Fedoseyev)さんということでした。前回,2023年11月の定期公演で出演が予定されていたのですが,病気で休場し,今回こそは,と楽しみにしていたのです。しかし,またしても病気で来日することができず,5日後に行われるBプログラムを指揮するフアンホ・メナ(Juanjo Mena)さんに変更になりました。

 来日がかなわなかったウラディーミル・フェドセーエフさんは,1932年にレニングラード(現サンクトペテルブルク)に生まれ,80歳の2013年5月にNHK交響楽団をはじめて指揮し,その後は2015年4月および11月,2017年2月および5月,2018年7月および12月,2023年3月に来日したとあるので,93歳という高齢です。もう今後,来日することはないかもしれません。
 代役のフアンホ・メナさんは,バスク地方の中心都市スペイン側のビトリア・ガステイスに生まれ,ドイツに渡り,セルジュ・チェリビダッケから薫陶を受けたという経歴だそうです。これまでNHK交響楽団とは2017年1月、2021年1月に登場し,今回が3度目ということです。
 「パガニーニの主題による狂詩曲」のピアノは,1985年モスクワ生まれのユリアンナ・アヴデーエワ(Yulianna Andreevna Avdeeva)さん。私は,2010年,ショパン国際ピアノコンクールで優勝した凱旋公演として,NHK交響楽団の定期公演で出演したときに聴いたことがあります。このときは,客席にマルタ・アルゲリッチ(Maria Martha Argerich)さんがいて,オーラが漂っていました。いい思い出です。

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【Summary】
From May 11 to 13, 2025, I traveled to Aomori Prefecture for three days, aiming to visit places I had missed in previous trips. After arriving at Aomori Airport, I drove along the scenic west coast to Fukaura Town, where I stopped for the first time and enjoyed a local seafood lunch.

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今回から書くのは,2025年5月11日から5月13日まで2泊3日で出かけた青森県の旅です。
これまで行ったことがほとんどないところにすべて行ってみよう,とはじめた旅のひとつとして,2年前に何となく出かけた青森県でした。このころは,青森県に何があるのだろう,と思っていたのですが,のめり込みました。
  ・・・・・・
●第1段階:2023年5月18日から5月20日。
奥入瀬渓谷,十和田湖,弘前城,酸ヶ湯温泉,黄金海岸,三内丸山遺跡。
●第2段階:2024年3月6日から3月8日と4月15日。
津軽鉄道のストーブ列車と五能線の「リゾートしらかみ」,そして,弘前の桜。
●第3段階:2024年7月4日から7月7日。
津軽半島と下北半島。
  ・・・・・・
この4回で,ほぼ行きたかったところに行くことができたのですが,ところどころ行きそびれたところができました。そこで,●第4段階の今回は,行きそびれたところに行ってみようというのが目的でした。とはいえ,2泊3日でどれだけのところに行くことができるのかもわからず,また,天気次第,というところもありました。

ともかく,いつものように,午前7時45分,FDA で県営名古屋空港から旅立ちました。天気予報では晴れ,ということでしたが,雲が多く,飛行機も揺れました。かろうじて反対側の座席の窓から富士山が見えました。そのうち,八甲田山が眼下に見え,やがて,青森空港に着きました。
青森空港は,アメリカの地方空港のようなところで,空港ビルのとなりにレンタカーのターミナルがあって,とても便利です。ゴールデンウィーク後ということで,もっと空いているのかと思ったのですが,レンタカーを借りる観光客でずいぶん賑わっていました。
少し待って,レンタカーを借りることができました。

まず向かったのは,深浦町でした。
青森県の西海岸は,はじめて行ったときに,その最果て感に感動し,また,驚きました。それ以来,ここには,十二湖に行ったこともあり,「リゾートしらかみ」に乗ったこともあり,と,青森県に来るたびに行くことになりました。とはいえ,私は,深浦町で足を止めたことがなかったのです。そして,気になってしました。
青森空港からは,国道101号線を西の岩木山方向に走り,五所川原市,木造町,鰺ヶ沢町と経由して日本海側に出ます。五所川原市,木造町,鰺ヶ沢町と聞くと思い出すのが,相撲です。五所川原市からは現役の尊富士,木造町からは旭富士,鯵ヶ沢町からは舞の海の名が浮かびます。青森県は相撲どころなのです。
そして,国道101号線は日本海側に出ると,風光明媚な海岸線となります。やがて,深浦町に到着しました。道路沿いに,海の駅ふかうら「深浦まるごと市場」があったので,そこで昼食として,ミニ海鮮丼・そばセットをとりました。深浦は大間以上にマグロの産地なのです。

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【Summary】
Near JR Hyogo Station is Nofuku-ji, a Tendai temple founded by Saichō and known as the site where Taira no Kiyomori became a monk. The temple flourished under the Taira clan but suffered repeated destruction and rebuilding. It houses the great Hyogo Daibutsu and Kiyomori’s mausoleum. Nearby Shinko-ji Temple, where monk Ippen died, is confirmed as his grave through a discovery made after the 1995 earthquake.

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 JR兵庫駅から南東へ10分ほど歩くと,最澄が自作の薬師如来像を安置し創建したと伝える天台宗の能福寺があります。この寺は平清盛が剃髪出家して浄海(じょうかい)となったことでも知られます。浄海というのは平清盛の戒名(「祖父大政大臣平朝臣清盛公城海大居士」)です。なお,ジョウカイボンという人間が炎症をおこす毒をもつカミキリモドキと間違われた昆虫がいるのですが,この名前は平清盛の法名が由来で,平清盛の熱病の様子が炎症に例えられるからだそうです。
 能福寺は平家一門の帰依により隆盛しましたが源平合戦で全焼,再建したのが平清盛の弟・平教盛の子・忠快です。忠快は能福寺中興の祖となり大いに栄えましたが, 寺運は次第に衰え,南北朝期には再び兵火にかかり全焼し,1599年(慶長4年)明智光秀の家臣・長盛法印が再建したと伝えられています。
 能福寺の境内には,奈良の大仏,鎌倉大仏と並び日本三大大仏のひとつとされる兵庫大仏があります。 初代の兵庫大仏は1891年(明治24年)に建立され,1944年(昭和19年)に戦時中の金属供出令により解体されましたが,現在は,1991年(平成3年)に再建された像高約11メートル,台座を含めると約18メートルの巨大な坐像がそびえています。
 また,能福寺の境内には平清盛の廟所や神戸事件で切腹した滝善三郎の供養碑などの史跡も点在しています。ということですが,能福寺には「平相国廟」とかかれていました。「相国」は太政大臣の唐名で,平相国とは平家の太政大臣という意味から平清盛のこととなります。「平相国廟」は,平清盛八百年忌を記念して作られた廟で,中央に平清盛塚を模した十三重石塔が祀られ,向かって右側に円実の宝筐印塔,左側に忠快の九重石塔が合祀されています。円実は左大臣をつとめた徳大寺実能の子で平清盛の側近のひとりです。

 平清盛が亡くなると,遺骸は愛宕(「おたぎ」と読みます)で火葬にし,遺骨を円実が首にかけて摂津国へ下り経の島に納めたといいます。愛宕は平安時代に六波羅の北にある六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)のあたり,もしくは,六波羅の東方から南東方にかけてある葬地である鳥辺野ともいわれています。
 経の島は平清盛が築いた大輪田泊にある人工島です。
 現在,清盛塚とよばれる場所に,高さ8.5メートルの大きな十三重の石塔があります。 この石塔の建つ付近は,能福寺領内の八棟寺があったところといわれ,平清盛の遺骨を持ち帰った円実がこの寺に納めたと伝えられてきました。しかし,八棟寺は平家の滅亡とともに破壊されました。そして,そののち1286年(弘安9年)にこの地を訪れた九代執権・北条貞時が 石塔を建てて清盛を弔ったといわれ,それ以降「清盛講」という集まりをつくり供養してきました。
 しかし,1923年(大正12年)の道路拡張工事の際に行われた発掘調査の結果,遺骨は確認されず,平清盛納骨の地ではないことが明らかとなりました。その後,石塔は元の場所から10メートル程北東の現在地に移されました。

 さらに歩いていると,境内入口に「大檀林」と刻まれた大きな石碑がある真光寺(しんこうじ)という寺がありました。檀林とは仏教における学問所のことです。
 833年から850年の仁明天皇の代に恵萼(えがく)が唐より観世音を奉じて帰国したものの和田岬で船が突然動かなくなったために観音堂を建立し「光明福寺」と号したのがはじまりとされます。
 鎌倉時代の1276年(建治2年)に一遍上人がこの観音堂に居を構え中興の祖となりました。
 1289年(正応2年)に諸国遊行の末に病に伏した一遍上人が観音堂で亡くなり,境内には廟が造られました。
 廟には南北朝時代の高さ195センチメートルの五輪塔がありました。1995年(平成7年)の阪神淡路大震災でこの塔は倒壊しましたが,その際に水輪の中央部から備前焼の小壺に納められた骨灰が発見され,一遍の墓であることが確定されました。
 捨聖(すてひじり)といわれた一遍上人は,1239年(延応元年)現在の愛媛県に生まれました。10歳のとき母が亡くなり,父の命を受けて出家します。生涯を「南無阿弥陀仏」と唱え「南無阿弥陀仏」と書いた札を配る旅をひたすら続けました。 

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【Summary】
In Kobe’s historical site, Ōwada-no-Tomari, Taira no Kiyomori expanded the port for trade. Struggling with construction, he consulted a diviner, who advised appeasing sea gods with human sacrifice. A young retainer, Matsuwōmaru, voluntarily became the sacrifice, enabling the port’s completion. This tragic legend reflects Japan’s historical narratives.

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 さる2025年3月16日,兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで京都市交響楽団の演奏会を聴いたことはすでに書きました。また,そのあと,山口県まで足をのばしたことも書きました。
 実は,その前,3月16日のお昼間に,神戸市を散策しました。少し前のことになりますが,そのことを書きます。
 私が行ったのは新開地という場所でした。私は,神戸市というところはほどんどなじみがなかったのですが,このごろ,神戸市に行く機会が増えたので,この折に名前だけ知っていたところを歩いてみようと思っているのです。
 新開地は,三宮駅から阪急電鉄の神戸線に乗ると5分ほどで到着します。
 私が住む愛知県は,名鉄という私鉄があるのですが,駅が貧弱で,昔から地元の恥だと思っていました。特に,名鉄名古屋駅は最悪です。若いころに大阪に行ったとき,阪急電鉄や阪神電鉄に乗って,その違いに愕然としたものです。この違いは何なのでしょう。今回もまた,三宮駅のホームで列車を待っているときに,若き日に思っていたことを思い出しました。

 さて,新開地です。知っていたのは地名だけです。
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 新開地は,かつて「東の浅草,西の新開地」と称された神戸随一の歓楽街です。
 100年以上の歴史をもち,劇場や映画館,ライブハウスなどが集まる文化芸能の街として栄えてきました。 現在も昭和レトロな雰囲気が残り,リーズナブルな飲食店が並ぶグルメスポットとしても人気です。
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 駅を降りて,地下街を歩くと,まさに,昭和のころに多くあった喫茶店を見つけました。
 新開地駅の北側に広がっていたのが,福原という風俗街,そして,南側には,平清盛の史跡が点々とありました。
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 福原は歴史ある歓楽街で,かつては福原遊郭が存在した地域です。明治時代に開設され,昭和初期には貸座敷が93軒,娼妓が1,320人もいた大規模な遊郭でした。戦後は赤線地帯となり,現在は特殊浴場街となっています。
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 まあ,これも日本らしい風景でした。

 私が行きたかったのが,平清盛にゆかりのある場所でした。
 新開地周辺には,平清盛ゆかりの史跡がいくつかあります。
 学生のころ日本史で習った大輪田泊(おおわだのとまり)ですが,この地名と神戸が結びついていない人は少なくないことでしょう。
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 大輪田泊は,平安時代末期から鎌倉時代にかけて日宋貿易の拠点として栄えたところです。
 もともとは奈良時代に僧行基が築いたとされる港で,瀬戸内海を航行する船の重要な停泊地でした。
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 平清盛はこの港を大規模に改修し,貿易の拠点として発展させたのだそうです。港の前面に経が島(きょうがしま)という人工島を築き,波の影響を軽減することで安全な停泊地を確保したといいますが,工事は困難を極めました,
 一向に進展しない港整備の状況に平清盛は陰陽師に占いを願うと,陰陽師は「海に住む竜神の怒りをしずめなくてはならない。そのためには30人の人柱を海に沈めて捧げる必要がある」と答えました。そこで,関所を設け,通りかかった旅人を強制的に人柱として捕えました。
 平清盛の側近の少年のひとり「松王丸」は人柱候補として囚われた人々の悲痛な叫びに胸を痛め自分ひとりが犠牲になることで彼らを許してほしいと申し出ました。松王丸は石の棺に入れられ,深い海の底へ沈められました。
 松王丸の人柱後,大輪田泊の周辺に「築島」(つきしま)とよばれる島が完成し,港は強風による被害を最小限にとどめることに成功しました。
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 史跡を歩いていると,史実かどうかはわからねど,こんな悲惨な伝説ばかりに出会います。

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【Summary】
A superb concert began with Quartet No.1, full of youthful energy, and ended with the elegant yet powerful “Harp” Quartet. The refined, introspective No.16 added depth. I look forward to the next performance.

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 ベートーヴェンチクルスの第1回らしく,第1番からはじまりました。
 ただし,初期の6曲のうち,実際に書かれた順番は,3番,1番,2番,5番,6番,4番という順番だそうです。 
 1770年に生まれたベートーヴェンですが,弦楽四重奏曲第1番は,1798年から1800年にかけて作曲され,1801年に出版されました。ベートーヴェン初期の弦楽四重奏曲は,ハイドンやモーツァルトの影響を多分に受けています。
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●第1楽章
 活気に満ちた楽章で力強い主題が展開されます。力強い主題が展開され,ベートーヴェンらしいダイナミックな表現が特徴です。
●第2楽章
 深い情感を持つ美しい旋律が特徴で,「ロメオとジュリエットの墓場の場面を思い描いて作曲した」と伝えられています。劇的な表現と繊細な感情の動きが交錯する構成となっていて,オペラの一場面のような雰囲気を持っています。
●第3楽章
 軽快でユーモラスなスケルツォ楽章。第2楽章の深い情感とは対照的に明るく軽快な雰囲気をもっています。
●第4楽章
 明るく華やかな終楽章で,技巧的な要素が際立っています。作品全体を締めくくるにふさわしい、躍動感のある音楽となっています。中間部で「エロイカ」の終楽章によく似た音型が登場します。
  ・・・・・・
 初期の6曲の中では唯一短調である第4番が悲壮感を伴う傑作として人気が高いそうですが,その次に演奏されることが多いのがこの第1番で,それは第2楽章のアダージョが魅力的だからということです。

 第1番のあとがベートーヴェンの最後の弦楽四重奏曲である第16番というのが,考えられたプログラムです。
 弦楽四重奏曲第16番は,1826年に作曲されました。第12番から第16番の後期弦楽四重奏曲の中で最も小規模で,古典的な4楽章形式です。音楽的な探求を経て原点回帰した作品といわれ,牧歌的で温かみのある旋律が特徴です。第1番に比べたら,各楽器の掛け合いがずいぶんと洗練されていて見事です。
 この曲は,終楽章の自筆譜に「Muss es sein?」(かくあらねばならぬか?)」と記され,続く主題に「Es muss sein!」(かくあるべし)」と書かれているというのが有名です。
●第1楽章
 軽快で親しみやすい旋律が特徴で,穏やかで牧歌的な雰囲気をもち,後期弦楽四重奏曲の中でも特に温かみのある楽章です。
●第2楽章
 活気に満ちたスケルツォ楽章。速いテンポで、跳ねるようなリズムが印象的です。前後の楽章との対比が際立ち,特に第3楽章の静けさを際立たせる役割を果たします。
●第3楽章
 抒情的で穏やかな旋律が印象的。静かで瞑想的な雰囲気をもっています。マーラーの交響曲第3番に影響を与えたともいわれます。
●第4楽章
 「Der schwer gefaßte Entschluß.」(ようやくついた決心)と題された終楽章で,哲学的な問いかけを含みます。ベートーヴェンの晩年の精神性が凝縮されたもので,人生や思想が音楽として表現されています。
  ・・・・・・・
 曲の規模が小さく,曲想全体も非常に力が抜けて穏やかなもので,「解脱」「解放」という雰囲気が感じられるのですが,多くの所で非常に斬新な音や響きを織り交ぜ,新鮮さも感じられます。傑作というより,すべてを超越したような枯れた哀愁を私は感じます。

 今回の演奏会で最後に演奏されたのが弦楽四重奏曲第10番でした。「ハープ」(Harp)の愛称で知られていて,一度聴いたら忘れられない傑作で,随所にベートーヴェンらしい特徴が現れます。
●第1楽章
 気まぐれな序奏の後,旋律的な第1主題が第1ヴァイオリンとヴィオラによって歌われます。ピッツィカートの推移部が特徴的です。これがハープのように聞こえることから愛称がうまれました。
 展開部では内声がトレモロを刻み,両外声が絡み合いながら進みます。そして,コーダでは第1ヴァイオリンのアルペッジョの伴奏の下,ピッツィカートで他の楽器が掛け合う充実した構成となっています。
 おそらくベートーヴェンの弦楽四重奏曲のなかでも屈指の楽章だと思います。大好きです。
●第2楽章
 ロンド形式で,美しい旋律が豊かな和声と装飾に彩られています。豊かな和声と装飾が施され、優雅な響きを生み出しています。美しく,情緒豊かな楽章のひとつです。
●第3楽章
 スケルツォ楽章で「運命の動機」に似たリズムが支配しています。トリオは,チェロとヴィオラがポリフォニックに旋律を展開します。ベートーヴェンの交響曲第5番との関連性が指摘され,ドラマティックな要素をもっています。
●第4楽章
 アタッカで続く第4楽章は,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中で唯一最終楽章に変奏曲を採用した作品で,大規模な構成からよりロマン的な情緒や自由な表現へと移行する過程にある作品とされています。
 主題と6つの変奏,コーダから構成され,主題は同じ動機が繰り返され,装飾による変奏が中心となっています。この楽章は作品全体を締めくくるにふさわしい華やかで技巧的な構成となっています。
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 全体的に優美な曲想を持つことと「ハープ」という副題から,女性的に感じる曲ですが,この曲は優美というよりも,特に第3楽章と第4楽章は,むしろ男性的な力強さが感じられます。
 この曲で締めくくられたすばらしい演奏会になりました。若々しいなかに力強さを感じた演奏はこころに染みました。次回も聴きたい。


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【Summary】
I, captivated by Beethoven’s string quartets, attended a concert by Quartet Integra at Munetsugu Hall on June 1, 2025, featuring Quartets Nos. 1, 16, and 10, appreciating the thoughtful programming and intimate venue.

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 室内楽,特に,弦楽四重奏曲,さらに,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に夢中になっている今の私は,そうした演奏会を見つけては聴きにいっています。
 今回出かけたのは,20205年6月1日に宗次ホールで行われたクァルテット・インテグラ(Quartet Integra)の演奏会でした。
 曲目は,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第1番,弦楽四重奏曲第16番,そして,弦楽四重奏曲第10番 「ハープ」(Harp)でした。
 クァルテット・インテグラは,第1ヴァイオリンが三澤響果さん,第2ヴァイオリンが菊野凜太郎さん,ヴィオラが山本一輝さん,チェロがパク・イェウン(Park Ye Un)さんです。2015年に桐朋学園に在学中に結成され,今年で10周年ということですが,第71回ミュンヘン国際音楽コンクール弦楽四重奏部門第2位,バルトーク国際コンクール弦楽四重奏部門第1位,第8回秋吉台音楽コンクール弦楽四重奏部門第1位というそうそうたる実績を誇ります。2018年から4年間サントリーホール室内楽アカデミーに在籍し,現在はロサンゼルスのコルバーン・スクールにレジデンス・アーティストとして在籍しているそうです。

 2007年(平成19年)に開館した宗次(むねつぐ)ホールははじめて行きました。クラシック音楽好きのCoCo壱番屋の創業者・宗次德二さんが私財を投じ建設たものです。
 客席310席で,この日は8割程度の入りでした。
 名古屋市には,ほかに,観客席700ほどのしらかわホールがあったのですが,現在は閉館しています(再開の予定だそうです)。また,観客数395人の電気文化会館ザ・コンサートホールもあります。
 この規模の小さなホールで,室内楽を楽しむのはとてもいいものです。
 宗次(むねつぐ)ホールは喫茶コーナーもあって,なかなかいいところだなあと思いました。欲をいうと,2階席は,1番前に落下防止用の透明な板があって,これが邪魔をして,どの席に座ってもステージの先頭部分に死角ができるのが難点です。

 さて,今回の曲目です。
 6回にわけて,ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を全曲演奏するということで,今回はその第1回でした。プログラムは,第1番から順にやるのではなく,前期のものを1曲,後期のものを1曲,そして,最後に中期のものを1曲となっていて,なかなか考えられたものだと思いました。
 録音ではよく聴いているのですが,生演奏は格別です。意外な発見もあり,その魅力は,やはり生演奏でなけらばわからないものだなあ,といつも思います。

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【Summary】
After enjoying a meal, I walked around Himakajima, which took just over an hour. The weather was perfect—cool and sunny at times. The island's scenery and simple lifestyle were charming. It exceeded my expectations.

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 食事を終えたので,島を1周することにしました。この日は雨の予報が一転して,涼しく,蒸し暑くなく,時折雲の間から日差しがのぞく最高の天気でした。日間賀島の周囲は約5.5キロメートルなので,徒歩で1時間と少しで1周することができます。レンタル自転車を借りようかとも思ったのですが,歩きで十分でした。
 日間賀島は西港と東港があって,どちらの場所にもタコのモニュメントがあります。また,西港にある駐在所がタコの形になっているというのが有名です。
 西港のあたりには,食事処やお土産屋さんがありました。ここで高速船を降りて食事をして帰る,という団体さんもいるようです。また,若い人たちのグループは,ここでレンタサイクルなどを借りて島を1周する,ということでしょうか。
 私は, 西港から,時計回りに気ままに歩きました。

 特に何が,というものがあるわけでもないのですが,景色もよく,素朴な島の生活の一端を感じながら歩くのは悪くないものです。おそらく,この日の天候がよかったのでしょう。小雨ならともかく,強く雨が降っていたり,あるいは,蒸し暑い日に来ていたら,まったく違う印象をもったにちがいありません。
 海岸にトンビがたくさん飛んでいました。
  ・・・・・・
 トンビはタカ科に属する猛禽類で,人間の約7倍の視力をもっているので,上空から獲物を見つけると急降下に降りてきます。 普段は,上昇気流を利用して空中をゆったりと旋回しながら飛んでいて,その姿に圧倒されます。人間の食べ物を奪うこともあるので,要注意です。
  ・・・・・・
 思った以上に早く島を1周できました。
 帰りの高速船が来るまで,近くのカフェで休憩しました。
 日間賀島は期待以上でした。

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【Summary】
I enjoyed a luxurious lunch at the Japanese inn "Uwamisou" on Himakajima, known for its fresh seafood. While not staying overnight, I savored seasonal octopus and delicious flathead sashimi, said to rival fugu, alongside chilled sake.

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 食事をするのは,「上海荘」(うわみそう)でした。
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 「上海荘」は日間賀島にある和風旅館です。漁師でもある主人が三河湾で獲れた旬の海の幸を提供していて,特に冬のふぐ料理が絶品と評判です。春の潮干狩りや夏の海水浴にも利用できる宿で,島ならではの温かいおもてなしが魅力です。館内は木造2階建てで,全室和室となっています。
  ・・・・・・
 ということですが,今回は宿泊せず,昼食のみです。
 私は,日本中のさまざまなところでこうした宿に泊まっているのですが,もし,日間賀島が私の家から遠いところなら,ここに宿泊するのもいいなあ,と思いました。
 結局,旅を重ねて行って,一度は行ってみたい,というところもなくなってくると,旅の最大の楽しみは食事と温泉,というところに落ち着くのですが,そうであれば,何も遠いところに行く必要もない,と考えるようになってきました。

 さて,この時期は,ふぐの季節ではないので,料理の目玉はタコということになります。新鮮なタコは最高でした。それ以外に,コチの刺身が出ました。
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 コチ(鯒)は海底に腹ばいになって生活する海水魚の総称です。
 体が平たく,大きなひれをもっているのが特徴で,砂地に擬態して身を守る習性があります。「マゴチ」は高級魚として知られ,夏が旬の美味しい白身魚です。
 刺身や天ぷら,煮つけなどさまざまな料理に使われます。その味はフグに匹敵するといわれます。
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 冷酒を呑みながら,こんなぜいたくな食事ができて,堪能しました。

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