しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

October 2025

IMG_8684IMG_8688IMG_8691IMG_8701

【Summary】
During my trip, I realized how little I knew about Tsuruoka. Expecting little, I discovered a historic city with Tsuruoka Castle and many cultural sites. The highlight was Chidokan, a preserved Edo-era domain school promoting Sorai Confucianism. I was deeply impressed by the region’s proud heritage, respected Sakai family, and high cultural values.

######
今回の旅でもまた,私の無知さが明らかになって,我ながら嫌になりました。
横綱柏戸記念館を出て,次に向かったのが鶴岡市でした。しかし,私は,鶴岡市に何があるのか,まったく知りませんでした。そもそも,鶴岡市と酒田市の区別さえわかっていませんでした。
唯一知っていたのは,酒田市には写真家の土門拳記念館があるということで,この日の残りの時間はそこに行ってから,今日の宿泊先に行こうと思っていました。2泊3日の旅ですが,この先の予定は未定でした。
カーナビの表示に従って,柏戸記念館から土門拳記念館に向かって走っていきました。
その途中で見つけたのが「雪の降るまちを」の碑でした。これは,NHKBS「にっぽん縦断こころ旅」で知っていましたが,放送されたのは,鶴岡公園にあったもののような? 私が見つけたのは,鶴岡市我老林野中川原の鶴岡市立斎小学校正門脇にあった雪の降るまちを発想の地碑でした。
  ・・・・・・
1952年(昭和27年)の冬,作曲家・中田喜直さんが鶴岡市を訪れたとき,深い雪の中,そりに乗って郊外の菅原邸からあつみ温泉の萬国屋へ向かう途中,その幻想的な雪景色にこころを打たれてメロディーがふっと湧き上がったのが,「雪の降るまちを」誕生のきっかけでした。
そこで,鶴岡市は「発想の地」としているのです。
  ・・・・・・
ということでした。

引き続き土門拳記念館に向けて走ります。午後3時くらいに到着する予定でした。
その途中,鶴岡市の中心部に差し掛かりました。私はびっくりしました。何もないと思い込んでいた鶴岡市の中心部には,鶴ケ岡城址公園を中心として,そのまわりに多くの見どころがありました。
方針変更です。ともかく,どこかに車を停めて,情報収集です。
そして,まず行ったのは「致道館」(ちどうかん)というところでした。
  ・・・・・・
「致道館」は,1805年(文化2年)9代藩主・酒井忠徳が創設した学問所で,論語の「君子学んで以て其の道を致す」からつけられたものです。
庄内藩は,藩校「致道館」において,荻生徂徠の徂徠学(そらいがく)を重んじ,朱子学とは異なる自主性や天性を重んじる教育を行っていました。
  ・・・・・・
現在,東北地方で唯一残る藩校建築として,聖廟,講堂,御入間,表御門などが現存し,無料で!公開されています。これはすごいと思いました。これまで,水戸藩の藩校「弘道館」へ行ったことがありますが,それ以上のところでした。この地の人の矜持を感じました。
徂徠学は,,江戸時代中期の儒学者・荻生徂徠が提唱した学問で,古文辞学ともよばれます。朱子学が道徳の修養を重視していたのに対して,徂徠学は政治的・実践的な学問を目指しました。
  ・・・・・・
●古典の原文重視 後世の注釈に頼らず四書五経を古代中国語で直接読み解こうとします。
●擬古主義の実践  秦漢の文や盛唐の詩を模倣し古人の心を体得する方法をとります。
●道徳より政治重視  朱子学の「道徳を守ればすべてうまくいく」という考えでなく,現実の政治に役立つ学問を目指します。
●人情の尊重  人間の自然な感情を抑えすぎる朱子学に対して「人情を大切にすべき」と考えます。
  ・・・・・・

江戸時代,現在の鶴岡市にある鶴ケ岡城は庄内藩の藩庁がありました。それに対して,隣の酒田市は,商人の町で, 豪商・本間家が農地解放による解体まで日本最大の地主と称された大庄屋。その財力を基礎に「本間様には及びもせぬがせめてなりたや殿様に」と謳われるほどの栄華を誇りました。
幕末の戊辰戦争では,庄内藩は東北諸藩最強でしたが,その強さの秘密は,豪商・本間家の支援,優れた装備,そして,戦術家・酒井玄蕃の存在にありました。また,藩主・酒井家と領民の結束が固いものでした。
徳川家康の重臣・酒井忠次を祖とする酒井家は庄内藩を治めた譜代大名の名門です。
  ・・・・・・
初代藩主・酒井忠勝は信州松代藩から庄内に移り,領民の生活安定を第一に考えた温厚な政治を行いました。
9代・酒井忠徳は藩校「致道館」を創設し,徂徠学を導入して教育改革を進めました。
10代・酒井忠器は「天保おすわり事件」で知られます。幕府の転封命令に対して領民が座り込みで抗議し命令を撤回させました。
13代・酒井忠篤は戊辰戦争で藩を率いて戦いました。敗戦後,領民たちが30万両を献金して領内によび戻しました。
  ・・・・・・
このように,酒井家はこの地で尊敬され,今も鶴岡市に住み続けていて,地元の人々から「殿さま」と親しまれているそうです。
酒井家の菩提寺は鶴ヶ丘城裏鬼門にある浄土宗の大督寺(だいとくじ)で,酒井家の墓所には,初代から17代までの酒井家当主と夫人の墓が45基あるそうですが,非公開です。
江戸時代の領主が領民にリスペストされ,今も菩提寺が大切にされているところは,文化水準が高いという私の考えが,この地で実現されていることに感動しました。

IMG_8687IMG_8692IMG_8696IMG_8697IMG_8698IMG_8699IMG_8702IMG_8703


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_8946IMG_8948

【Summary】
After visiting Mejiro Station, the writer walked to Kishimojin Temple in Zoshigaya, known for its history, 700-year-old ginkgo tree, and Japan’s oldest candy shop, Kamikawaguchiya. They then visited Zoshigaya Cemetery, where many notable figures such as Natsume Sōseki, Lafcadio Hearn, and Yumeji Takehisa are buried.

######
 まだ時間があったので,JR目白駅まで行って,歩いて鬼子母神(きしもじん)をめざしました。
 ちょうど下校時間で,目白駅は多くの学生でごった返していました。駅前にあるのは学習院です。
 やがて,鬼子母神に着きました。
  ・・・・・・
 鬼子母神は,雑司ヶ谷の静かな町にたたずむ歴史と信仰が詰まった場所です。
 もともとはインドの夜叉神の娘「訶梨帝母」(カリテイモ)として知られ,幼児をさらって食べるという恐ろしい神でしたが,釈迦の教えによって改心し,安産・子育ての守護神になりました。
  ・・・・・・
 雑司ヶ谷鬼子母神堂は,1561年(永禄4年)に清土で掘り出された尊像を祀るため,1578年(天正6年)に村人たちが建立したのがはじまりです。
 現在の本殿は,1664年(寛文4年)に,広島藩主・浅野光晟の正室・自昌院の寄進によって建てられたものです。
  ・・・・・・・
 境内には樹齢700年の大イチョウやすすきで作られた「すすきみみずく」もいて,秋になるとふわっと風に揺れます。
 私は,以前一度来たことがあって,そのときに印象的だったのは,境内にある駄菓子屋でした。
 この駄菓子屋は現在も営業をしています。
  ・・・・・・
 鬼子母神にある駄菓子屋は上川口屋(かみかわぐちや)。1781年(天明元年)の創業で,日本最古の駄菓子屋として知られ,今は13代目の内山雅代さんが切り盛りしています。
 店は木造の長屋風で,棚には100種類以上の駄菓子がぎっしり並んでいて,昔懐かしいおもちゃやグライダーまであります。
  ・・・・・・

 せっかくここまできたのだから,雑司ヶ谷霊園まで足をのばしました。雑司ヶ谷霊園は1874年(明治7年)に開園された都立霊園です。
 雑司ヶ谷霊園には,歴史や文化に深く関わった著名人たちがたくさん眠っています。
  ・・・・・・
●夏目漱石
 「吾輩は猫である」「坊ちゃん」などで知られる日本文学の巨星です。
●竹久夢二
 大正ロマンを象徴する美人画で有名。夢見るような線が魅力的です。
●ジョン万次郎
 幕末の国際人。アメリカから帰国して日本の近代化に貢献しました。
●小泉八雲
 「怪談」で知られる,異文化への深いまなざしを持った人物です。
●サトウハチロー
 童謡「ちいさい秋みつけた」など,心に残る言葉を紡ぎました。
●永井荷風
 アメリカやフランスに遊学。帰国後「あめりか物語」「ふらんす物語」などを発表しました。
●東條英機
 太平洋戦争時の首相です。
  ・・・・・・

IMG_8952IMG_8958IMG_8961IMG_8964IMG_8966IMG_8968IMG_8970IMG_8975IMG_8976IMG_8978


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_8935IMG_8936IMG_8937IMG_8941

【Summary】
The program introduces a secondhand bookstore café in Mitaka inspired by Dazai Osamu’s short story Phosphorescence. Opened in 2002 by a Dazai admirer, it offers books, a “Dazai latte,” and reflections on dreams versus reality, including the story’s symbolic, imaginary flower said to glow faintly in darkness.

######
 2025年8月18日にNHKBSで放送された「新日本風土記」-東京 つゆのあとさきーは
  ・・・・・・
 毎年必ず来る雨の季節,江戸・東京の人びとは,力を合わせ,時に風流に,鮮やかなアジサイや傘の風景とともに乗り越えてきた▽雨に備える下町の暮らし▽天気を司る神社▽時空を超えた絵師・画家たちの東京の雨への思い▽梅雨に関わりの深い文豪が結んだ縁▽青梅の老舗傘屋で見つけた,とっておきの1本への思い▽鎌倉時代から続く雨ごいと雨止めの行事▽アジサイの花に家族の歴史を載せて▽色とりどりの雨模様,心模様の梅雨の旅へ
  ・・・・・・
という番組でした。
 〈梅雨に関わりの深い文豪が結んだ縁〉は,太宰治の桜桃忌に関わる内容で,その中で,「古本カフェ・フォスフォレッセンス」という店が紹介されていました。
  ・・・・・・
 店主さんが太宰ファンということで,2002年に開業し,今では20年以上の歴史を持つ古本屋兼カフェ 「古本カフェ・フォスフォレッセンス」は,三鷹市にある文学好きにはたまらないスポットです。
 店名は太宰治の短編小説「フォスフォレッセンス」から取られていて,店内では古書を自由に読めるし,太宰ラテというユニークなメニューがあります。

 「フォスフォレッスセンス」は
  ・・・・・・
 夢と現実の境界があいまいになった「私」の内面世界を描いた作品です。
 主人公は,夢の中で理想の妻と過ごす時間を「現実」と同じ,いや,それ以上にリアルに感じています。夢の中での会話や感情が目覚めた後もこころに残り続けます。
 物語の終盤,「私」は現実の世界でその「夢の妻」に似た女性の家を訪ねるのですが,彼女には戦地から戻らない夫がいたことを知ります。そして,彼女の部屋に飾られた花を見て,編集者に「これは何の花?」と聞かれたとき「私」はこう答えるのです。「Phosphorescence」(フォスフォレッスセンス)。
  ・・・・・・
 「フォスフォレッスセンス」は。実在しない花の名前ですが,暗闇の中でほのかに光るものを意味する言葉です。夢の中でしか咲かない花,現実にはないけれど確かに心に残る光。
 店主さんとお話を楽しみながら,太宰ラテをいただきました。
 そして,その帰り,禅林寺にある太宰治の墓を訪れました。

  ・・・・・・
 「ご主人ですね?」
 「ええ、まだ南方からお帰りになりませんの。もう七年、ご消息が無いんですって。」
 そのひとに、そんなご主人があるとは、実は、私もそのときはじめて知ったのである。
 「綺麗な花だなあ。」
 と若い編輯者はその写真の下の机に飾られてある一束の花を見て、そう言った。
 「なんて花でしょう。」
 と彼にたずねられて、私はすらすらと答えた。
 「Phosphorescence」
  ・・・・・・

DSC_6137DSC_6144


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_6055DSC_6036

【Summary】
On the morning of October 24, 2025, I visited Koishikawa Korakuen in Tokyo before attending the NHK Symphony Orchestra concert. This serene daimyo garden, created by the Mito Tokugawa family, features Chinese-inspired scenery and seasonal landscapes. Visiting on a quiet Friday morning, I enjoyed its peaceful beauty away from busy crowds.

######
 2025年10月24日,NHK交響楽団の定期公演を聴きに東京へ行った午前中,どこへ寄り道しようかと考えて,まず,小石川後楽園を訪れました。
 都心にはけっこう多くの自然豊かな公園がありますが,これまでなかなか行く機会がありませんでした。小石川後楽園もそのひとつでした。
 水戸藩の藩主・水戸徳川家は「定府」(じょうふ)という扱いを受けていて,参勤交代が免除されていました。つまり,藩主は江戸に常住し,水戸に戻るときは幕府の許可が必要だったということですが,この制度は,1630年代の寛永年間に参勤交代が制度化されたときから認められていました。
 江戸城の外堀のすぐ外側に水戸藩の江戸上屋敷があって,神田川が敷地の南を流れていました。小石川後楽園は,その上屋敷の庭園として造られたものです。つまり,後楽園は屋敷の中にあったわけです。

  ・・・・・・
 小石川後楽園は,江戸時代の大名庭園で,水戸徳川家の初代藩主・徳川頼房が着手し,二代藩主・徳川光圀が完成させました。
 回遊式築山泉水庭園で,池を中心に,山や川,田園の風景が巧みに配置されていて,場所ごとに景色が変わるのが魅力です。また,日本と中国の名所を模した景観になっています。
 「後楽園」の名前は,中国の「岳陽楼記」(がくようろうき)から取られています。
  ・・・・・・
 「岳陽楼記」は,中国北宋の政治家・文人である范仲淹(はんちゅうえん)が1046年に書いた散文作品です。この文章は、湖南省の名勝「岳陽楼」の改修を記念して書かれたもので,単なる風景描写にとどまらず,政治哲学や理想の人物像を語っているものです。その中で有名なものが「先憂後楽」(せんゆうこうらく),つまり,天下の憂いに先じて憂い,天下の楽しみに後れて楽しむ。つまり,真に優れた人物は,自分の喜びよりも民の苦しみを先に考えるべきだという,儒教的な理想が込められているそうです。

 当時の人たちは,どんな権力者でも,今の我々のように気軽に旅ができるわけでもないから,そうしたあこがれから,円月橋や西湖の堤などの中国の景色や,琵琶湖に見立てた「大泉水」,また,蓬莱島や竹生島も再現されていて,居ながらにして,そのあこがれがかなえられるようになっているわけです。
 園内にいた係の人に聞いてみると,週末はけっこう多くの観光客で賑わうそうですが,そのほとんどがインバウンドだそうです。
 私が行ったのは金曜日の朝だったので,閑散としていて,とてもこころ豊かな時間を過ごすことができました。

DSC_6123DSC_6120DSC_6121DSC_6032DSC_6019DSC_6021DSC_6028DSC_6048DSC_6089DSC_6101DSC_6111


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

01047442P104731101047402

【Summary】
The concert featured Brahms’s Piano Concerto No. 2 and Symphony No. 3 conducted by Herbert Blomstedt. Despite high expectations, the slow tempos and lack of depth left the performances emotionally unconvincing. Only the encore brought quiet beauty. Overall, it was more about witnessing the elderly maestro than musical fulfillment.

######
 NHK交響楽団第2047回定期公演Cプログラム。
 前半の曲は,レイフ・オヴェ・アンスネスさんがピアノを弾いたブラームスのピアノ協奏曲第2番。
 とても美しい,大好きな曲ですが,私は,これまで,なかなかすてきな演奏に出会えません。むしろ,がっかりしたことのほうが多いくらいです。今回もすごく期待したのですが,残念ながら,その期待通りにはいきませんでした。
 テンポが遅く,それだけならいいのですが,あまり深みが感じられませんでした。
 この曲は,珍しい4楽章構成で,ピアノつきの交響曲のようなスケール感ですが,その中でも第3楽章アンダンテは,チェロがまるで独奏楽器のように扱われ,ピアノと優しく対話するようにして進み,ここが最大の聴きどころです。その旋律は深い哀愁と温もりが混ざり合ったような響きで,こころに染みいるのですが,今回の演奏では,そこまでの感動を味わうことはできませんでした。
 アンコールで演奏されたのは,ブラームスの間奏曲イ長調。レイフ・オヴェ・アンスネスさんの端正で自然なタッチが静かな余韻を残しました。
  ・・
 前半が終了した時点で,すでに1時間以上が経過し,休憩が終わったときは,すでに,午後8時30分近くになっていました。私は,午後10時10分品川駅発の最終の新幹線に乗らなければ帰ることができません。

 後半は,ブラームスの交響曲第3番。
 前半では,座って指揮をするヘルベルト・ブロムシュテットさんがピアノに隠れてしまい,まったくその姿を見ることができなかったので,この曲が楽しみでした。
 前半同様,この曲も,ヘルベルト・ブロムシュテットさんの指示するテンポが遅く感じました。実際,一般的な演奏よりも遅めで,しかも,テンポをほとんど動かさず淡々とした指揮ぶり,ということでした。このテンポは,滋味深くて染みわたるような響きを目指し,まるで,水が岩を削るようにじっくりと音楽の本質に迫っていく感じを表現したかったからなのだそうですが,私には,マエストロが,これまで何度も指揮をしてきたこの曲の1音1音を確かめながら,その余韻に浸っているような気がしました。魂の不滅を謳うようにして指揮をする姿に,きっと,テンポ以上の深い意味が込められていたのでしょう。音楽を奏でるというより対話をしている感じでした。
 しかし,オーケストラが,そんなマエストロの想いを遂げるには少し消化不良だったような気がしました。そこで,音楽の流れがやや硬直し,演奏者たちが「深さ」を表現しようとしながらも,響きの柔らかさや推進力に欠けていたように感じ,2019年のときの感動までは至りませんでした。そんなわけで,せっかくの熱演も,98歳という高齢のマエストロの指揮する姿に立ち会う,ということが最大の目的となってしまったような演奏会だったことだけが残念でした。
 来年の10月は定期公演Aプログラムではブルックナーの交響曲第5番,さらには,NHK交響楽団創立100年記念でブラームスの交響曲第2番と第4番を指揮されるそうです。それまで,どうかお元気で。
 かくいう私は,無事,最終の新幹線に乗ることができました。

01047509


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_8990

【Summary】
At the NHK Symphony Orchestra’s October 24, 2025 concert, the true focus was 98-year-old conductor Herbert Blomstedt, whose appearance and leadership were deeply moving. Together with pianist Leif Ove Andsnes, he led an all-Brahms program, including the Piano Concerto No. 2 and Symphony No. 3, performed with dignity and emotional depth.

######
 2025年10月24日,NHK交響楽団第2047回定期公演Cプログラムを聴きました。
 曲目は,ブラームスのピアノ協奏曲第2番と交響曲第3番で,指揮はヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)さん,ピアノはレイフ・オヴェ・アンスネス(Leif Ove Andsnes)さんでした。
 プログラムによると,聴きどころは
  ・・・・・・
 今回はピアノ協奏曲第2番と交響曲第3番というオール・ブラームス・プログラム。
 オーケストレーションは保守的と言われがちなブラームスだが,どちらも決してべったりと塗りつぶされた単色の世界ではないとすぐに気がつくはずだ。派手さは確かにないかもしれない。だが,明暗や濃淡の繊細な変化に満ちたその音楽には,独特の色調があり,じつに味わい深い。
  ・・・・・・
ということでしたが,何はともあれ,最大の聴きどころは,98歳になる指揮者のヘルベルト・ブロムシュテットさんがどう指揮をするか,でした。
 ピアノのレイフ・オヴェ・アンスネスさんは
  ・・・・・・
 1970年ノルウェーのカルメイ生まれ。
 50以上の録音をリリースし,グラミー賞に11回ノミネート。2011年に行われた1707回定期公演でラフマニノフのピアノ協奏曲第3番をヘルベルト・ブロムシュテットさんと共演しました。
  ・・・・・・
というピアニストです。

 NHK交響楽団,毎年10月の定期公演の指揮がヘルベルト・ブロムシュテットさん,というのがこのところの恒例ですが,これは,2020年からのことです。しかし,2020年はコロナ禍で来日ががなわず,翌年2021年が実質上はじめでした。2021年はすでに95歳でしたが,立って指揮をするほど元気でした。翌年の2022年は,来日直前に足を痛め,来日が危ぶまれました。それでもなんとか来日がかないましたが,さすがに立って指揮をすることはできませんでした。このとき異様な雰囲気ではじまったAプログラムで演奏したマーラーの交響曲第9番は,まさに神話でした。曲の終了後の長い静寂は感動ものでした。
 2023年は体調が悪く来日がかなわなかったのですが,2024年の公演は実現しました。そして,今年2025年です。2024年は,コンサートマスターに付き添われてステージに登場したのですが,今年は歩行器をつかっての登場でした。外見では,昨年よりも体調がよい感じでした。
 ヘルベルト・ブロムシュテットさんは,ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」と並び,ブラームスの交響曲第3番がお気に入りのようで,たびたび取り上げています。前回取り上げたのはは2019年11月のAプログラムで,このときの演奏は,すばらしいものでした。何と,定期公演なのに,カーテンコールの途中で,突然,アンコールがはじまり,第3楽章が演奏されました。これがすごいものでした。
 では,今回は…。

NHKSO_Poster_10_2IMG_8981IMG_8983


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_8679IMG_8681IMG_5756

【Summary】
The Kashiwado Memorial in Tsuruoka honors Yokozuna Kashiwado Tsuyoshi, a childhood hero. Born in 1938, he became yokozuna in 1961 and, with Taiho, defined the “Kashoho Era.” Known for powerful but injury-prone sumo, he retired to coach. Opened in 2004, the quiet museum displays his ring and legacy.

######
斎藤茂吉記念館を出て,次は,柏戸記念館です。
このごろは地図を見て走るのも面倒になってきたので,すべてカーナビ任せですが,そもそも,この国の高速道路はよくわかりません。多くの場所で建設中,しかも,有料なのか無料なのかさえ定かでなく,カーナビのいうままに走るしかないのです。ネットで情報を調べてもわかりにくく,さらには情報が古かったりと,何を信じていいのやら…。
ともかく,がらがらの高速道路をのんびりと走っていくことにしました。
ちょうどお昼どきだったので,サービスエリアを見つけたら昼食をと思っていましたら,寒河江(さがえ)ハイウェイオアシスを見つけたので,車を停めました。
食堂は多くのお客さんで賑わっていました。せっかくだから,山形名物の板そばを注文しました。

やがて,横綱柏戸記念館に到着しました。
  ・・・・・・
昭和の相撲界を彩った47代横綱柏戸,柏戸剛(かしわど つよし)は,1938年(昭和13年)に果樹園を営む豪農の家の次男として現在の鶴岡市である東田川郡山添村に生まれ,地元大会での活躍が伊勢ノ海部屋の目に留まり,スカウトされて入門しました。
1954年(昭和29年)に初土俵,1958年(昭和33年)に新入幕。1961年(昭和36年)には初優勝を果たし,同年横綱に昇進しました。
48代横綱大鵬とともに「柏鵬時代」とよばれる黄金期を築きました。
  ・・・・・・
私の少年時代の英雄です。当時,「巨人・大鵬・卵焼き」といわれましたが,私は,巨人は嫌いだったし,大鵬より柏戸でした。

突っ張りと右四つ,寄りが得意の速攻相撲でしたが,勝っても負けても転ばない大鵬とは正反対に,勝っても負けても転ぶので,ケガが絶えませんでした。取り組みを見ているといつもハラハラしました。生涯戦歴は715勝295敗140休,引退後は年寄「鏡山」として鏡山部屋を創設し,日本相撲協会の理事や審判部長を務めましたが,1996年(平成8年)58歳で亡くなりました。
鶴岡市名誉市民であり,山形県民栄誉賞の第1号受賞者である横綱柏戸の偉業を後世に語り継ぐために,故郷・山形県鶴岡市櫛引(くしびき)地域に横綱柏戸祈念館が,2004年(平成16年)に建てられました。東京江戸川区にあった旧鏡山部屋の稽古土俵や上がり座敷をそのまま移築,さらに,栄光の証や秘蔵資料の展示がありました。とはいえ,今や,歴史上の人。訪れている人もおらず,寂しいものでした。

スクリーンショット 2025-10-19 121849IMG_8644IMG_8646IMG_8664IMG_8675IMG_8666IMG_8669IMG_8657


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_8919IMG_8927

【Summary】
I had a front-row seat close to the violin soloist, allowing me to observe performances in detail. Arai Rio’s Mendelssohn was technically excellent but a bit restrained. Dvořák’s “New World” was moving, especially the conductor’s expressive finale. The Tokyo Symphony Orchestra, particularly violist Atsuko Aoki, left a strong impression.

######
 私の座席は,最前例の中央左側,ヴァイオリンソリストの真ん前,という最上の場所でした。
 どこに座るか? 私は,音がいいか悪いか,そういうことより,せっかく生演奏を聴くなら,なるべく前の方が,意外な音が聞こえたり,演奏者の表情がわかったりというような様々な発見があることをこのごろ覚えたので,できる限りステージに近い席を選ぶようになりました。

 1曲目は,荒井里桜さんによるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。
 メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、これまで数回、生演奏を聴いたことがあるのですが、それほどの回数はありません。それは,静かなティンパニのリズムからはじまり,ヴァイオリンが高らかに歌い上げオーケストラとの対話が美しい革新的なベートーヴェン,力強さと優美さが融合した重厚でドラマチック,技巧と表現力の両方が試されるブラームス,そして,叙情的で繊細な旋律がこころに残るロマン派の代表作であるメンデルスゾーン,これら3大ヴァイオリン協奏曲の中では,比較的軽く,深みに欠けるように感じるられるからなのかもしれません。とはいえ,すばらしい曲には違いなく,私は,第1楽章のヴァイオリンのカデンツァの最後のあたりからの合奏の部分がリズミカルで最も惹かれます。
 今回の新井里桜さんの演奏は,確かに上手でお手本通りでよかったのですが,しいていえばアクがないので,それが少し物足りなかったというか。贅沢な話です。アンコールはJ・S・バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番よりガヴォットでした。

 2曲目は,ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。
 アメリカ滞在中に書かれたこの曲は,広大な風景と郷愁が入り混じった傑作です。曲自体がとてもすばらしいので、およそどんな演奏を聴いても感動します。とはいえ,私は,若いころはどうしてこの曲がアメリカなのか? 実感できませんでした。およそアメリカらしくはないように思えました。しかし,今は,アメリカには,こうした哀愁を感じるところがあることを知ったし,その地で,遠く故郷を懐かしむドヴォルザークの心境にこころ打たれます。
 特に有名な第2楽章のオーボエのソロは,NHK交響楽団のオーボエ奏者池田昭子さんのあまりにすばらしい演奏が印象的すぎるので、どうしてもそれと比較してしまうのが残念です。とはいえ,今回の演奏は,第4楽章の最後が近づくにしたがって,指揮者の現田茂夫さんの何を表現したいのかという主張が強く反映されたすばらしいものになりました。 2024年12月に,愛知室内オーケストラを原田慶太楼さんが指揮した演奏は,いい意味でやりたい放題の第9番だったので,それに比べたら,落ち着きはらった印象でした。

 ところで、東京交響楽団は,2024年9月に秋山和慶さんの指揮で,サントリーホールのP席で聴いて以来ですが,ビオラの首席・青木篤子さんの演奏スタイルがステキで,もっとも印象に残りました。
 今回も,いい時間を過ごせました。

IMG_8925スクリーンショット 2025-10-22 213301スクリーンショット 2025-10-22 213251スクリーンショット 2025-10-22 213123スクリーンショット 2025-10-22 213147

・・


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_8917IMG_8918

【Summary】
I attended the Tokyo Symphony Orchestra’s concert in Gifu on October 21, 2025. Conducted by Shigeo Genda and featuring violinist Rio Arai, the program included Mendelssohn’s Violin Concerto and Dvořák’s “New World” Symphony. Sitting in the front row, I enjoyed the powerful yet intimate performance in the beautiful Salamanca Hall.

######
 2025年10月21日「オーケストラ・キャラバン岐阜公演~オーケストラの響きを街々へ~」と題して,東京交響楽団の演奏会が岐阜県のサラマンカホールで行われるというので,聴いてきました。指揮は現田茂夫さん,ヴァイオリンを荒井里桜(りお)さんが担当して,曲目は,メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」でした。
 現田茂夫さんの指揮ははじめて聴きました。
  ・・・・・・
 現田茂夫さんは,1959年生まれ。1986年に二期会オペラ「ヘンゼルとグレーテル」でデビューし,翌年新星日本交響楽団の指揮者に就任。神奈川フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を務め,現在は名誉指揮者。
  ・・・・・・
 荒井里桜もはじめてでした。
  ・・・・・・
 荒井里桜さんは,1999年生まれ。東京藝術大学を首席で卒業し,現在はベルギーのエリザベート王妃音楽院でオーギュスタン・デュメイ氏のもとで研鑽を積んでいます。演奏スタイルは情熱的で繊細,そして音色へのこだわりが強く,聴く人のこころに深く染み渡るような響きが特徴,ということです。
  ・・・・・・

 サラマンカホールは,これまでにも行ったことがあります。サラマンカホール,変わった名前ですが,この名前は,旧市街全体が世界遺産に登録されているスペインの歴史都市サラマンカに由来しているそうです。
 岐阜県のオルガン建造家・辻宏さんがサラマンカの大聖堂にあった「鳴らずのオルガン」を修復したことがきっかけで岐阜県とサラマンカ市の交流が深まり,その後,辻宏さんが岐阜のホールのためにサラマンカ大聖堂のオルガンの特徴を取り入れたパイプオルガンを建造しました。
 今回の演奏会は,聴きやすい曲で構成されたプログラムで,平日,ということもあって,気楽な気持ちででかけましたが,完売ということで,すごい熱気でした。
 岐阜県庁は岐阜市の郊外にあって,賛否両論だそうですが,岐阜県庁の近くにあるサラマンカホールは郊外ゆえに駐車場も広く,出入り口も入りやすく出やすく,いいホールでした。

10月サラマンカ_page-0001IMG_8920 1IMG_8921IMG_8924


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_8623IMG_8624

【Summary】
I visited the Mokichi Saito Memorial Museum at last and, in its serene setting overlooking the Zao mountains, encountered his life and original works. The grief and depth in his collection Akaikō, especially poems on his mother’s and mentor’s deaths, left a strong impression. I truly felt the value of coming.

######
2022年5月,はじめて山形県を旅したとき,上山(かみのやま)市にある斎藤茂吉記念館を知りました。しかし,あいにく水曜日で休館でした。せっかく来たのに残念でした。そこで,今回,ぜひ行ってみたいと,今回の旅の目的地である鶴岡市と酒田市からは別方向でしたが,車で20分程度,ということだったので,行ってみることにしました。
  ・・・・・・
斎藤茂吉は1882年(明治15年)生まれの歌人・精神科医です。現在の山形県上山市金瓶(かんべい)の農家に生まれ,14歳で東京に出て精神科医・斎藤紀一の養子となり東京帝国大学医学部を卒業。精神科医として働きながら文学に情熱を注きました。短歌雑誌「アララギ」の名をとったアララギ派の中心人物として,技巧よりも実感や真情を重んじ写生を重視する「実相観入」という独自の歌論を唱え自然や人間の心を深く見つめる作品を多く残しました。
  ・・・・・・
1965年の十三回忌をきっかけに記念館の構想がはじまり。1968年(昭和43年)に上山市立として開館した斎藤茂吉記念館は生まれ故郷の金瓶の南の丘みゆき公園の中に建てられています。東に蔵王連峰を望む風光明媚な場所です。現在は,公益財団法人が運営する公立博物館です。
駐車場から進むと,JR奥羽本線の陸橋を渡ることになりますが,眼下に茂吉記念館前駅という駅が見えます。館内には,斎藤茂吉の直筆の書画,原稿,書簡などが展示されていて,なかなかのものでしたが,写真を撮ることはできませんでした。
建物の外には,晩年を過ごした自宅の一部や箱根から移築された勉強部屋も再現されていました。

斎藤茂吉の代表作・歌集「赤光」は,1913年(大正2年)に刊行されたものです。834首,のちの改選版では760首がおさめられています。「赤光」は仏教経典「仏説阿弥陀経」の一節「赤色赤光」から取られていていますが,これは,子どものころに耳にしたお経の響きが背景ということです。
「赤光」に載る短歌は,母いくの死(1911年)や師・伊藤左千夫の死(1913年)から,深い悲しみと喪失感が込められています。
  ・・・・・・
 のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて 足乳根の母は死にたまふなり
  ・
 ツバメの鮮やかな喉の赤と母の死という重い現実が並べられ生と死の対比がみごとです。
  ・・
 あかあかと一本の道とほりたり たまきはる我が命なりけり
  ・
 「一本の道」が人生そのものの象徴として描かれ,命の力強さと孤独さが凝縮されています。
  ・・・・・・
以前書いたことがありますが,私は,斎藤茂吉の偉大さを,次男の作家・北杜夫から知りました。
この美しい館内で,斎藤茂吉の深い精神性を感じることができました。わざわざ来てよかったと思いました。

IMG_8626IMG_8627IMG_8632IMG_8634IMG_8638IMG_8640IMG_8622IMG_8642


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_8618DSC_5441DSC_5445DSC_5447DSC_5448

【Summary】
From Nagoya Airfield, I flew to Yamagata Airport with FDA. Most passengers were business travelers, and I was seated next to young employees on a company trip. After arrival, I rented a Prius and headed first to the Mokichi Saitō Memorial Museum in Kaminoyama.

######
2025年10月16日,1日目です。
私の愛するFDA。県営名古屋空港からは,丘珠空港,青森空港,花巻空港,おいしい山形空港,新潟空港,出雲縁結び空港,高知龍馬空港,福岡空港,熊本空港という,列車では行きにくいところに就航していて,重宝しています。もし,こういった路線がなかったら,東北地方や山陰地方,そして,四国地方に行くことは難しかったことでしょう。
さて,今回は,おいしい山形空港までですが,出発時間が午前9時15分,そして,帰りの出発時間が午後3時50分というように,行きは遅く,帰りは早いので,滞在時間が少なくなるのが欠点です。どうして何だろう? それはともかく,県営名古屋空港に着いてみると,ターミナルにいた乗客のほとんどが平日の午前ということでビジネス客でした。私のような浮かれた観光気分の不良老人は浮いてしまいます。

定刻に離陸して,わずか1時間ほどでおいしい山形空港に到着です。私は,行きは後方座席,帰りは前方座席に座るのですが,今回の行きの機内は,私の周りは若い人たちの集団でした。隣に座った女性に聞いてみると,職場旅行で山形県と宮城県へいくのだとか。それにしても,平日に職場全体で親睦旅行ができるとは,いったいどんな会社なのでしょう?
そんなこんなで,親しくお話をしていたら,すぐに到着してしまいました。
小さなおいしい山形空港ですが,ここはアクセスが不便なところで,以前,天童市に行こうと思って利用したときに,交通手段がタクシーしかない,というので愕然としました。今回はレンタカー。レンタカー会社のカウンタは空港内にあって,しかも駐車場も隣で,便利でした。青森空港のように混み合うことにもなく,すぐに借りることができました。予約をしていた車種がないということで,無償グレードアップされて,プリウスを借りることができました。燃費がよくて助かります。
まず目指したのが上山市の斎藤茂吉記念館でした。


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_8619DSC_5430DSC_5432DSC_5437

【Summary】
This three-day trip to Tohoku, mainly the Shonai area in Yamagata and including visits to the Mokichi Saito Memorial Museum and Esashi-Fujiwara Heritage Park, was poorly planned but ultimately very rewarding.

######
2025年10月16日から10月18日まで2泊3日で東北地方を旅行してきました。今回の目的地は,山形県の日本海側,江戸時代庄内藩(酒田藩)だったところです。ここにあるのは,鶴岡市と酒田市,そして,行きたかったのが,横綱柏戸記念館と土門拳記念館,なかなか渋いでしょう。
私はこれまで,山形県は何度か行きましたが,日本海側には行ったことがなく,一度訪れてみたいものだと思っていました。しかし,どうやって行けばいいのかよくわからずにいました。色々と考えた結果,今回は,FDAで県営名古屋空港からおいしい山形空港まで行って,そこでレンタカーを借りることにしました。
そんな計画を立てていて,そういえば,以前,上山市の斎藤茂吉記念館に行ったときちょうど休館で入れなかなったことを思い出し,せっかくだからそこへも行ってみようと思いました。さらに,かねてから大河ドラマのロケ地として有名な「えさし藤原の郷」へも行きたかったのですが,なかなか行くことができずにいました。今回の目的地からは遠いのですが,この機会を逃したら,今度いつ行けるかわならないので,いっそ,そこまで足をのばそうと考えました。
そんなわけで,かなりの長距離ドライブとなりますが,アメリカ大陸を走ることに比べれば大したこともないと言い聞かせ,これだけの場所に行くことにしました。

とはいえ,いつものこと,下調べをする気にもならず,行ってみればなんとなかるだろう,という安易な考えで出発することにしました。その前に,ともかく,どこかに泊らないといけないので,これもまた,いつもの常で,小さな宿で,温泉があって,夕食と朝食がついていて安価なところ,という条件で検索して,1日目は湯の澤温泉,2日目は薬師堂温泉というところを,何とか探し出しました。
あとは天気だけですが,今回は,博物館などが中心なので,それほど天気に関しては心配していませんでした。実際は,1日目が雨。2日目は快晴,3日目は降りそうで降らないという結果となりました。以前は自他ともに認める晴れ男,どうやっても晴れたのですが,近ごろはその神通力もなくなってしまい,毎回,傘のお世話になるようです。というか,日本は天気の悪い国だとつくづく思います。
そのようなわけで,ずさんな計画で出発したのですが,結果として,なかなかおもしろい旅になりました。それにしても,東北地方は奥が深いものだと,今回も痛感しました。

スクリーンショット 2025-10-19 042251


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_7915DSC_7944DSC_7963

【Summary】
The “mini-shinkansen” system is merely a provisional upgrade of conventional lines; the Akita and Yamagata Shinkansen should have been built as a full-scale Ou Shinkansen.

######
 私が秋田駅から東京駅まで秋田新幹線+東北新幹線の「こまち」に乗ったのは,2024年10月19日でした。
 秋田新幹線と山形新幹線はミニ新幹線とよばれるものです。
  ・・・・・・
 ミニ新幹線とは,フル規格新幹線の線路を新規に建設することなく,既存の在来線を改軌した上で新幹線路線と直通運転できるようにした方式で,新幹線と在来線の一体的なネットワークを形成することによって高速サービスを全国新幹線鉄道整備法の枠外にある地方都市にも拡大しようとする方法です。
 この方式を採用した鉄道路線は「新幹線」と称していますが,あくまで在来線の改軌ならびに高速化改良です。
  ・・・・・・

 秋田新幹線「こまち」は,秋田駅から大曲駅までは奥羽本線,大曲駅から盛岡駅までは田沢湖線の線路を新幹線のフル規格にしたもので,盛岡駅からは東北新幹線「はやぶさ」と連結して東北新幹線の線路を走ります。
 ミニ新幹線は在来線の線路幅を広げただけだから最高速度が時速130キロメートルしか出ません。しかも,秋田新幹線は,秋田駅から大曲駅までは奥羽本線,大曲駅から盛岡駅までは田沢湖線を走るので,大曲駅で線路がスイッチバックになっていて,進路が逆方向となります。そこで,秋田駅を出発するときは,座席が進行方向と反対側になっていて,まず,これに驚きました。
 一度乗ってみたかったのですが,秋田駅から盛岡駅まではすれ違い待ちをしたりと,とても新幹線とはいえず,これなら在来線の特急で十分だな,と思いました。

 確かに,盛岡駅で乗り換えなくていい,というのが利点ですが,それだけのことです。そんなことなら,在来線特急で十分で,盛岡駅で反対側のホームで東北新幹線に乗り換えることができれば,それで問題がない気がしました。
 実際,「こまち」と「はやぶさ」 は走行中に連結が外れるというトラブルが2024年9月19日と2025年3月6日に発生しました。こういう複雑なことをするには,技術的にかなり無理をしているような気がします。
  ・・
 なかなか完成しない北海道新幹線や九州新幹線,それに,リニア新幹線。いまだ,どこを走るかもめている北陸新幹線。運転手不足で代替バスもままならないのに廃線となってしまうローカル線。耐久年数が50年といわれすでに40年を経過した青函トンネルなど,私もこれまでそうでしたが,普段利用しない人はまったく知らない,関心もない日本の鉄道の現状。さまざまなところを旅するようになって,かなり問題だらけであることに驚きます。地元の人の利便性よりも,要するに,政治家が利権で足の引っ張り合いをしているだけのように思えます。この先の人口減少で,無理を重ねて建設したインフレは,将来かなりの負担になりそうです。
 さまざま困難な課題があることは知っていますが,山形新幹線と秋田新幹線は,奥羽本線のルートのまま,奥羽新幹線を作るべきだったのでしょう。

DSC_7896DSC_7902DSC_7918DSC_7942


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_3549DSC_3553DSC_3605

【Summary】
A three-day coastal journey around the Kii Peninsula, cherishing the serene train ride and the thrill of the unknown.

######
 ずっと以前から,紀伊半島はどうなっているのだろうと疑問に思っていました。そこで,何度か,車で紀伊半島の山間部を旅してみました。最後に残ったのが,紀伊半島を海岸線に沿って1周してみたいということでした。
 そんな念願だった紀伊半島1周の旅を決行したのは,2023年12月7日から12月9日まで2泊3日でした。11月は旅のシーズンということでそれを避けて12月の初旬にしたのですが,心配だったのは天気だけでした。心配無用,3日とも快晴になりました。

 JRで紀伊半島を1周するには,名古屋駅から紀伊勝浦駅まで特急「南紀」,新宮駅/白浜駅から大阪駅/新大阪駅まで特急「くろしお」が走っていて,途中,紀伊勝浦駅から白浜駅まで接続がないときは普通列車に乗ることになります。
 このうち,私がもっとも懐かしい思い出は,名古屋駅から紀伊勝浦駅まで乗った特急「南紀」1号でした。指定席に乗りましたが,海側,つまり進行方向の左側に座ると,景色がすばらしいのです。これほどすばらしい景色をずっと眺められる路線はほかにありません。
 さらに,車窓からの素朴さ,また,車内ののどかさもたまらない,いい方を変えれば,走っているのが人の少ないところであり,列車がとても空いているのです。

 このころの私は,まだ,こうした旅をすることに慣れておらず,それがまたよかった,といえます。だから,期待値が高かったし,予測がつかない,それもまた,今となっては懐かしい話で,知らないというのは,何物にも代えがたい財産なのです。
 また,こんなときめきのある旅をしてみたいものです。

DSC_3558DSC_3576DSC_3595


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_8596 IMG_8595IMG_8592IMG_8561

【Summary】
After visiting the Fujiwara Palace site, I explored Imai Town, enjoying its quiet atmosphere and lunch at the traditional café Café Ikiya. The town’s preserved streets have also been used as filming locations for many movies and TV dramas.

######
 橿原神宮へ行ってみようと京都駅から近鉄電車に乗ったのですが,車内にあった藤原京跡にコスモス畑があるという広告を見て予定を変更して,藤原京跡の最寄りの八木西口駅で降りて,藤原京跡へ行ったことは前回書きました。
 八木西口駅で降りたとき,今井町という案内を見つけました。これまで意識をしたことはなかったのですが,今井町は,昔の街並みが残る,しかも観光客があまりいないところだということは知っていたので,行ってみたくなりました。そこで,藤原京跡へ行った後,今井町へ行くことにしました。
  ・・・・・・
 今井町は,戦国時代,浄土真宗の称念寺を中心とした寺内町として誕生しました。町は環濠で囲まれ,外敵から守るための防御機能を備えた「武装宗教都市」でした。その後,織田信長との関係や明智光秀のとりなしを経て武装を解き,商業都市として発展し,「海の堺,陸の今井」とよばれるほどの繁栄を誇りました。 江戸時代には「今井札」という独自の紙幣も流通し,自治都市として特別な権利をもっ ていました。町民たちは茶道や能楽などの文化にも親しみ,経済と文化の交差点でした。
  ・・・・・・

 途中で雨が降って来たので,傘をさして歩いていくと,今井町に着きました。
 今井町の一角は,今も江戸時代の町家が約500軒も残る日本最大級の重要伝統的建造物群保存地区で,まるでタイムスリップしたみたいな景観が広がっていました。思った以上に広いところでした。
 戦国時代の惣年寄の邸宅で,八つ棟造りの屋根が圧巻。内部には茶室や庭園もある今西家住宅を見学しました。
 雨が降っていたのが幸いしたのか,土曜日なのに訪れる人も少なく,静かな町を散策することができました。歩いていると,古民家カフェやレストランが点在していました。ちょうどお昼どきになったので,その中で「cafe粋や」という店に入りました。品のよい,とてもいいところでした。
  ・・・・・・
「cafe粋や」は,今井町の歴史ある町並みにぴったりの落ち着いた雰囲気の店でした。私は,お昼の定食を食べましたが,四万十川産のうなぎと若狭産コシヒカリを使った名物のうな重,香ばしさとふっくら感がたまらないもっちり餅に塩気の効いた豆と粒あんがぎっしり豆大福,さらには,みたらし団子や蒸羊羹もありました。
 この店に入っただけでも,来た甲斐があったというものでした。

 今井町は時代劇の舞台のような町並みを生かして,テレビや映画のロケ地としてたびたび使われているということでした。
 明治・大正期を思わせる和風ファンタジー映画「わたしの幸せな結婚」では,今井町の町並みが重要なシーンに登場し,呉服店「すずしま屋」のシーンは今井景観支援センターで撮影されたものです。また,NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」や「あさが来た」では,大阪の下町の設定で,町家の風情が物語の雰囲気を引き立てました。さらに,映画「燃えよ剣」では,岡田准一さんが演じた土方歳三が登場するシーンが高木家住宅で撮影され,CM「伊右衛門」シリーズは,旧米谷家住宅で撮影されたそうです。
 こころが和む,とてもいい空間でした。リピートしたいところです。

IMG_8556IMG_8558IMG_8562 IMG_8570IMG_8586 IMG_8581IMG_8583IMG_8588IMG_8589IMG_8594


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_8551P1047189P1047182P1047211

【Summary】
On October 11, 2025, before a Kyoto Symphony concert, I visited the Fujiwara Palace site, admired the blooming cosmos and vast ancient capital, and stopped by Ofusa Kannon Temple.

######
 2025年10月11日,今月も,京都市交響楽団の定期演奏会を聴きに京都へ行きました。演奏会は午後2時30分からなので,午前中は,インバウンドが行かない,さらに,できれば,団体ツアー客のいない静かなところを探して,散策をしています。
 この日は,橿原神宮へ行ってみようと京都駅から近鉄電車に乗りました。
 奈良県も,これまでずいぶん多くの場所に行ったことがあるのですが,ところどころまだ行ったことがないところがあります。橿原神宮あたりもそんな場所のひとつでした。ところが,車内にあった藤原京跡にコスモス畑があるという広告を見て,行ってみたくなりました。藤原京跡も,また,行ったことがなかったし,コスモスが満開,というのは,この時期だけのことです。橿原神宮はいつでも行くことができます。
 予定を変更して,藤原京跡の最寄りの八木西口駅で降りました。藤原京跡は,八木西口駅の南東,歩いて30分というところです。駅を出て,南東に向かって歩いていくと,その途中で,おふさ観音を見つけたので,寄ってみました。
  ・・・・・・
 おふさ観音は,高野山真言宗の別格本山で「花まんだらの寺」として知られる寺です。
 1650年,地元の娘おふささんが鯉ヶ淵という池のそばを歩いていたとき,白い亀の背に乗った観音様が現れました。それを祀るために小さなお堂を建てたのがはじまり,やがておふさ観音とよばれるようになったそうです。
 現在の本堂は明治時代に地元の人々の寄付で建立されたもので,本尊は十一面観世音菩薩です。
  ・・・・・・
 現在は提灯まつりが行われれていて,境内に提灯が並び暖かな光で包まれていました。

 やがて,藤原京跡に着きました。
  ・・・・・・
 藤原京は,約1,300年前の694年(持統天皇8年),耳成山・畝傍山・天香久山の大和三山がそびえる地に造営された日本初の本格的な都城で,710年(和銅3年)に平城京に遷都するまで,持統・文武・元明,3代の天皇の都でした。唐の長安をモデルにした条坊制を日本で初めて採用し,碁盤の目のような街並みが広がっていました。中央の藤原宮の建物には,日本ではじめて屋根に200万枚以上瓦が使われました。
  ・・・・・・
  現在は広大な原野が広がっていて,この時期は,コスモスが満開でした。広大な平原に立つと,古の都を思い出します。
 藤原京を詠んだ万葉集の歌には,つぎのものがあります。
  ・・・・・・
 高山波雲根火雄男志等耳梨與 相諍競伎神代従如此尓有
 香具山は畝傍ををしと耳成と 相争ひき神代よりかくにあるらし
   第1巻・13 額田王
  ・・
 春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山
 春過ぎて夏来るらし白妙の 衣干したり天の香具山
   第1巻・28 持統天皇
  ・・
 磐走淡海乃國之衣手能 田上山之真木佐苦檜乃嬬手乎
 石走る近江の国の衣手の 田上山の真木さく檜のつまでを
   第1巻・50 柿本人麻呂
  ・
 近江の田上山から伐り出した檜材を宇治川に浮かべて藤原宮の建築に使った様子を描きます。「石走る」は近江の枕言葉です。
  ・・
 飛鳥明日香能里乎置而伊奈婆 君之當者不所見香聞安良武
 飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば 君があたりは見えずかもあらむ
   第1巻・51 志貴皇子
  ・・
 宇都曽見乃人尓有吾哉従明日者 二上山乎弟世登吾将見
 うつそみの人にあるわれや明日よりは 二上山を弟と我見む
   第2巻・163 大伯皇女
  ・
 弟・大津皇子が謀反の罪で亡くなり,二上山に葬られたときに詠まれた挽歌。「うつそみ」は空蝉からきた言葉「現し身」で,この世に生きる人を意味し,「私はまだこの世に生きているけれど明日からは二上山を弟と思って眺めることになるのだろう」という深い悲しみと別れの覚悟が込められている歌です。 
  ・・・・・・

 帰り,藤原京資料室へ寄ってみました。
 ここには,瓦や柱の出土品,1,000分の1のスケールのジオラマ,再現CGなどがありました。係の人に聞くと,藤原京は平城京より広かったと聞いて驚きました。藤原京は1辺が約5.3キロメートルの正方形からなる約25平方キロメートル,平城京は東西約4.3キロメートル,南北約5キロメートルで約22平方キロメートでした。
 そんな藤原京から平城京へ遷都したのは,次のような理由からといわれます。
  ・・・・・・
●風水的な地のよさ
 平城の地は「四神相応」(ししんそうおう)の理想的な配置とされ,東西南北に守護神が揃っていて縁起がよいと考えられていました。
●疫病や飢饉の影響
 藤原京では疫病が流行し,縁起が悪いとされていました。
●唐の都・長安との違い
 遣唐使の報告で,藤原京が唐の都・長安とは大きく異なっていたことが判明し,より本格的な模倣を目指して平城京が造られました。
●政治的な思惑
 実力者・藤原不比等の権力誇示や皇族の意向が強く影響し,元明天皇は,周囲の声に押されて遷都を決断しました。
  ・・・・・・

P1047237P1047248P1047252P1047259P1047192P1047199P1047203P1047213P1047215P1047220P1047223P1047225P1047232


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_5384DSC_5387

【Summary】
I strolled around Nishio for over three hours, exploring temples, historic streets, and the traditional “Hato Miso,” before returning to Nishio Station—a charming town walk, still untouched by mass tourism.

######
 西尾市の市街地を時計回りに散策しています。伊文神社を出て,さらに南に歩いていくと,西尾駅に戻ることになります。
 このあたりのあるのが,唯法寺(ゆいほうじ)。そして,順海町(じゅんかいちょう)通りです。
  ・・・・・・
 唯法寺は,真宗大谷派で山号は頂谷山。創建は1502年(文亀2年)と,500年以上の歴史をもつ地域の記憶を抱いた寺です。江戸時代,11世住職・順海が竹藪を切り開いて現在の順海町通りを拓いたということで,町の名も住職の名前に由来しています。
 火災や再建を経て,18世紀には境内の整備が進み,明治期には,24世・観順が仏教学者として活躍し,唯法寺に私塾「破塵館」を開き,北海道から九州まで約480人の僧侶が学びに来たといいます。
  ・・・・・・
 順海町通りは,西尾市の中でもひときわ風情のある場所でした。唯法寺と崇覚寺の間にある細い路地で,江戸時代の城下町の面影がそのまま残っています。電柱がなく,石垣と板塀が両側に続いています。
 西尾市の写真でよく取り上げられているところです。

 そこから南に向かって歩いていくと,古い家並みの続く場所に出ました。そこには「はと味噌」とありました。
  ・・・・・・
 「はと味噌」は,西尾市にある老舗の味噌醸造元はと屋が作っている伝統的な豆味噌のことです。
 はと屋は1861年(文久元年)創業で,150年以上の歴史を持つ味噌屋。こだわりの素材と昔ながらの製法で,麹菌がのびのび働ける環境を整え,自然と人の力でおいしい味噌を作っています。
  ・・・・・・
 工場のあるところは「みそぱーく」という味噌のテーマパークになっていて,味噌蔵の見学や味噌料理が楽しめるレストラン,体験教室もありました。
 豆味噌の粒感を生かした,三河産本みりんやきび砂糖,はちみつを使った安心素材で作られている味噌だれも人気ということです。
 味噌業界は「八丁味噌」といったブランドが強く,「はと味噌」は全国的な知名度はあまりなくて,私も知りませんでした。それが逆に魅力で,地元・西尾では根強い人気があるそうです。

 こうして,3時間余り散策して,西尾駅に戻ってきました。
 駅の近くには,手ごろな食事処がなかったのが残念でした。西尾駅前にあったアピタの中にフードコートがあったので,冷やし中華を食べました。残り3食と言われました。おそらく,この夏の食べ治めでしょう。
 西尾市は,歩いて回れるすてきな町でした。インバウンドに浸食されつつある日本ですが,まだまだこうした穴場があります。

DSC_5397DSC_5400DSC_5404DSC_5406DSC_5408DSC_5411


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_5375DSC_5377

【Summary】
Ibun Shrine, West Nishio’s guardian shrine with over 1,150 years of history, enshrines Emperor Montoku, Susanoo, Okuninushi, and Sayorihime. Revered by local lords and townspeople, it hosts annual rituals like the “Chinowa” ceremony. Its grounds contain the 19th-century Gisōgura (granary for famine relief) and a stone lantern donated in 1908 by Iwase Yasuke, founder of the Iwase Bunko, symbolizing his wish to share knowledge with future generations.

######
 岩瀬文庫で開催されている「江戸の出版文化と蔦屋重三郎」後期展を見てから,今度は,東に向かいました。そこにあったのが,伊文神社(いぶんじんじゃ)でした。
  ・・・・・・
 伊文神社は西尾市伊文町に鎮座する西尾の総鎮守で,創建から1,150年以上の歴史を持つ古社です。
 祭神は,55代文徳天皇(もんとくてんのう),素戔嗚(すさのお), 大己貴(おおなむち),狭依姫(さよりひめ)です。
  ・・・・・・
 55代文徳天皇は,在位850年から858年までという平安時代の天皇で,54代仁明天皇の第1皇子です。伊文神社が文徳天皇を祭神として祀っている理由は,文徳天皇の皇子または弟とされる八條院宮(はちじょういんのみや)の関わりによるものということです。八條院宮は朝廷の命を受け,三河・吉良の地に根を張っていた兼光・兼盛という逆徒を討伐するために西尾へ赴きました。その際,八條院宮が屋敷の東西に祀っていた現在の伊文神社である天王社と御劔八幡宮をこの地に移して祀ったのがはじまりとされていることによります。
 また,伊文神社に素戔嗚,大己貴,狭依姫が祀られているのは,この出雲系の神々が,自然・社会・人のつながりを守る神々ということで,古くから港や流通の要所として栄えてきた場所にちなんで選ばれたということらしいです。要するに箔着けです。

 素戔嗚は須佐之男(すさのお),大己貴は大国主(おおくにぬし)のことです。古事記によると
  ・・・・・・
 伊耶那岐(いざなき)は,黄泉国に行ってしまった伊耶那美(いざなみ)を連れ戻すため,黄泉国へと出向きましたが,蛆がたかり,躰の八箇所に恐ろしい雷神を生じている伊耶那美の姿を見てしまい,驚き恐れ逃げ出しました。逃げ帰った伊耶那岐が禊をすると,左の目から天照(あまてらす)が,右の目から月読(つくよみ)が,鼻から須佐之男が出現しました。 伊耶那岐は,須佐之男に海原を統治するように命じましたが,自分は亡き母・伊耶那美のいるもとに行きたいと言って泣いてばかりいたので,伊耶那岐の怒りを買い,追放されてしまいました。
 追放された須佐之男が姉・天照のいる高天原にやってきたとき「弟はこの国を奪いに来たに違いない」と疑ったので,須佐之男は,自らの潔白を証明するために「宇気比」(うけひ=占い)をして子神を生もうと提案しました。
 お互いの持ち物である須佐之男の剣と天照の玉を交換し,口に含んではき出した息の中から,須佐之男は五柱の男神を,天照は三柱の女神を出現させました。
 このときの三柱の女神のうちの一柱が狭依姫です。狭依姫は「神霊が依り憑く場所」「船が寄る場所」という意味があるとされていて,巫女的な神格や港の守護神としての性格をもちます。
  ・・
 櫛名田比売(くしなだひめ)と結婚した須佐之男は,出雲の須賀に宮を作り,子神を誕生させました。子神はさらに次々に次代の子神を生んでいき,須佐之男の6世孫として誕生したのが大国主でした。
 大国主は,兄神たちと一緒に八上比売(やがみひめ)に求婚に出かけ,その途中で素兎(しろうさぎ)を助けました。素兎から「あなたが八上比売を得るでしょう」と予言され,そのとおりに八上比売から求婚の承諾を得ましたが,兄神たちの恨みを買い,命を狙われてしまいました。このままでは本当に殺されてしまうと危惧した母神は,大国主に,須佐之男のいる根の堅州国(黄泉国)へ行くようにと指示しました。 根の堅州国(黄泉国)に出かけた大国主は,そこで須佐之男の娘,須勢理毘売(すせりびひめ)と出逢って結婚し,地上世界を治めることになりました。八上比売は正妻となった須勢理毘売を畏れ,自分の生んだ子を木の俣に挟んで因幡に帰ってしまいました。
  ・・・・・・
 西尾城主たちも代々崇敬してきたこの神社は地域の人々のこころのよりどころとなっていて,毎年6月には「茅の輪神事」が行われ,無病息災や家内安全を願う人々で賑わうそうです。

 伊文神社の境内に義倉蔵(ぎそうぐら)がありました。
 義倉蔵が 建てられたのは1857年(安政4年)から1859年(安政6年)ごろで,間口6.3メートル,奥行10.8メートルの木造瓦葺のしっかりした構えをしています。義倉蔵は「西尾義倉会」が飢饉時の救済を目的に設立した組織で,城下の御用商人たちが寄付した米を貯蔵していました。
 また,伊文神社境内には岩瀬弥助が奉納した石灯籠もありました。
 この石灯籠は,岩瀬文庫の創設者・岩瀬弥助が文庫設立を記念して1908年(明治41年)に奉納したものです。灯籠には「之を身にも人にも施し,且つ之を不朽に伝えんと欲す」と刻まれていて,これは「知を人々に施し未来へ残す」という志が込められているということです。

DSC_5371 DSC_5373 DSC_5360 DSC_5359 DSC_5362DSC_5365DSC_5368DSC_5370


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_8610IMG_8604

【Summary】
I was deeply moved by Shostakovich’s Symphony No.10, a work of human passion and liberation. Listening close to the stage, I learned much from the performers’ presence. I now look forward to Symphony No.15.

######
 演奏会も後半です。
 私は,ショスタコービッチの交響曲は,第2番,第3番,第11番,第12番はおそらく演奏会で聴いたことがないと思いますが,それ以外は聴きました。難解な第13番,第14番も昨年聴くことができました。
 積極的に録音を聴くことはないのですが,なかなか魅力的です。聴くとこころが沸き立ちます。今回は第10番でした。

●ショスタコーヴィチの交響曲第10番
 1953年,ショスタコーヴィチ47歳のとき,スターリンの死後すぐに完成・初演されたもので,個人の解放,怒り,希望が凝縮された「嵐のあとに静かに広がる湖のような深さと力強さがある」と評される作品です。
 第1楽章は,静かな低弦の旋律からはじまり,抑圧された感情がじわじわと広がるような構成となっています。クラリネットが提示する主題は「素朴に」(semplice)と指示され,内省的で孤独な響きです。 終盤はピッコロのデュエットが透明感を添え,静かな回想のように幕を閉じます。
 第2楽章はスターリン体制への批判と回顧です。
 「音楽によるスターリンの肖像」といわれるほど激烈で,暴力的なスケルツォで,独裁の影が音になって襲いかかってくるような,激烈なテンポと荒々しい音響が特徴です。トリオなしで突き進む構成は暴力的な権力の象徴のようであり,最後の一音は「最大音量」(sffff)で,怒りと恐怖が爆発するようにおわります(楽譜1)。
 第3楽章は自己表現と解放です。
 陰気なワルツ風の冒頭にはじまり,DSCH音型(D-Es-C-H=ドミートリイ・ショスタコーヴィチのイニシャル=楽譜2)が頻出します。これは自画像的モチーフで,抑圧から解き放たれた自分自身の姿を描いているとされます。また,ホルンで奏される「E-A-E-D-A」の音型(楽譜3)は、教え子エリミーラ・ナジーロヴァの名前の暗号とされます。愛の象徴でもあり,マーラーの「大地の歌」の旋律と重なることで死の予兆とも結びついています。
 第4楽章は,愛と死,個人と体制の対話が交錯する,私的な楽章です。
 低弦の内省的な旋律からはじまり,軽やかで華やかなアレグロへと向かいます。DSCH音型が再登場し(楽譜4),自画像としてのショスタコーヴィチが音楽の中に立ち現れ,最後は勝利や解放を思わせる明るい終結で締めくくられます。

 ショスタコーヴィチは「この作品では人間的な感情と情熱を描きたかった」と語っていて,政治的な意味をぼかしながらも魂の叫びを音楽に込めています。曲は「あなたは、抑圧の中でどう生きる?」「愛と死が交差するとき何を信じる?」と,沈黙の中から問いかけ,深い水底からの声が聴く人のこころに波紋を広げていくのです。
 このごろ,各地の演奏会で,ショスタコービッチの交響曲がずいぶん取り上げられています。世界情勢の反映でしょうか?
 私は,京都市交響楽団の定期会員になって以来,前の席で聴くようになって,再発見したことがずいぶんとあります。生演奏を聴くなら,なるべくステージに近い席がいいと思うようになりました。それは,演奏者の姿がよく見えるからです。私のような,楽器を弾くことができない者にとっては,これがずいぶんとよい刺激になります。
 今回の演奏会も,予想以上でした。大変すばらしい時間になりました。
 さて,来年度,2027年2月には,私の好きな第15番が取り上げられるということなので,今から楽しみです。

スクリーンショット 2025-10-12 084342スクリーンショット 2025-10-12 090316スクリーンショット 2025-10-12 090545スクリーンショット 2025-10-12 093841


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_8600IMG_8601

【Summary】
At the Kyoto Symphony Orchestra’s 705th Subscription Concert, conductor Pierre Dumoussaud and saxophonist Kohei Ueno performed Pierné’s Ramuntcho Overture, Tomasi’s Ballade, and Shostakovich’s Symphony No. 10. The program highlighted the vivid colors and emotional depth of French music, with Ueno’s expressive tone and Dumoussaud’s refined direction creating a brilliant, youthful atmosphere.

######
 2025年10月11日,京都市交響楽団第705回定期演奏会を聴きました。今回は,指揮をピエール・デュムソー(Pierre Dumoussaud)さん, サクソフォンの独奏が上野耕平さんで,曲目は,ピエルネ(Gabriel Pierné)の「ラムンチョ」(Ramuntcho)序曲,トマジ(Henri Tomasi)のバラードーサクソフォンと管弦楽のためのー,そして,ショスタコーヴィチの交響曲第10番でした。
 前半は,これまで聴いたことがない,しかし,魅力的な曲,そして,後半は芯のある,なかなか凝ったプログラムです。

 ピエール・デュムソーさんは,1990年パリ生まれのフランスの指揮者なので,現在34歳という若手です。パリ国立高等音楽院(コンセルヴァトワール)で指揮を学び,2017年にワロニー王立劇場オペラ指揮者国際コンクールで最高位を獲得後,パリ・オペラ座にデビューし,2022年にフランスの音楽賞「ヴィクトワール・ドゥ・ラ・ミュジーク」で新進指揮者賞を受賞したということです。
 上野耕平さんは,1992年生まれのサクソフォン奏者です。私は,NHKFMの「(かける)クラシック」という番組で知っていました。風と光が踊るような自由さと深みがある音楽と評され,クラシックをベースにしながら,映画音楽,タンゴ,童謡,現代作品まで幅広いジャンルを取り入れ,息の長いフレーズをたっぷり歌い上げる「歌心」が魅力で,速いパッセージも軽やかに,しかも力強く響かせるといいます。
 初秋にふさわしい若々しい組み合わせは,今回も,すばらしい時間をくれました。

●ピエルネの「ラムンチョ」序曲
 ピエルネは,1863年生まれのフランスの作曲家・指揮者・オルガニストで,印象主義とロマン派の間を流れるような音楽を紡いだ人物です。古典的な技法とパリの最先端の管弦楽法が融合した流麗な橋渡し的存在だそうです。
 「ラムンチョ」序曲1908年にパリのオデオン座で初演された劇付随音楽の冒頭を飾る,バスク地方の民俗的な色彩が詰まっている作品です。ピエール・ロティの小説「ラムンチョ」の舞台化のために書かれた音楽の一部で,後にふたつの組曲として再編されたうちの第1組曲の冒頭に位置しています。
  ・・・・・・
 バスクの球技であるぺロタの名手で密輸で生計をたてているラムンチョは幼馴染のグラシューズと婚約をしていたのですが,反対され,3年間の兵役から戻ると,グラシューズは修道院に。修道院長から神と恋人のどちらかを選択するように迫られ,その重圧に耐えかね息を引き取るのでした。
  ・・・・・・
 バスク音楽特有の8分の5拍子「ゾルツィコ」(zortziko)や,ファンダンゴなどの舞踊リズムが取り入れられているのが特徴で,タンバリンやピッコロなどの打楽器が活躍し,バスクの風景が音になって流れてくるような音楽です。終盤は,非公式バスク国歌「ゲルニカコ・アルボラ」(Gernikako Arbola=ゲルニカの樹)の旋律を使って爽快に締めくくられます。なお,ゲルニカ(Guernica)は,スペイン北部バスク地方のバスク文化の中心地だった小都市です。ゲルニカの樹は,バスクの自治を象徴する木で,昔はこの木の下でバスク議会が開かれていたそうです。
 風が山を越えて谷に響くような音楽,と評されますが,実際,聴きやすいすてきな音楽でした。

●トマジのバラードーサクソフォンと管弦楽のためのー
 トマジは1901年フランス・マルセイユ生まれの作曲家・指揮者で,地中海の光と風を音楽に変えた「メロディの詩人」といわれます。両親はコルシカ島出身で,バスクと同じく地域色の濃い文化に育まれました。旋律美を大切にした作風で,地中海の色彩やコルシカ島の民謡,戦争や人間の苦悩をテーマにした曲を作りました。
 1950年代に作曲されたバラード ―サクソフォンと管弦楽のためのーは,で,サクソフォンの詩的な魅力を存分に引き出す,水が光を受けて揺らめくような繊細で奥深いフランス近代音楽の作品です。8分の6拍子を基調にしながら,内包された4分の3拍子の感覚が交錯し,まるで波に揺れる木の葉のようなリズム感が生まれます。
 冒頭は静かで幻想的,霧の中を漂うような雰囲気からはじまり,徐々に情熱的で技巧的な展開へと移っていきます。中盤にはブルースの要素も感じられ,軽快になります。 演奏するには,ただ音を並べるのではなく,音楽の流れや感情の起伏をしっかりと掴む必要があって,音楽の「語り」をどう紡ぐかが鍵だそうですが,聴きごたえがある曲でした。
 アンコールはP・ボノー(Paul Bonneau)の「ワルツ形式によるカプリス」(Caprice en Forme de Valse)でした。この曲は,無伴奏アルト・サクソフォーンのために書かれたフランスらしいエスプリと遊び心に満ちた作品で,演奏者の表現力とテクニックが試される曲だそうです。

get-resimg
◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_5216DSC_5212DSC_5213

【Summary】
Walking north from Nishio City History Park, I visited historic temples such as Sei’unji, Enshin-ji, and Seigan-ji—linked to the Matsudaira clan and noted for its unique layout—before reaching the quiet Iwase Bunko Library.

######
 西尾市歴史公園から北に向かって歩きます。広い通りが北に向かって続いていました。そして,多くの古刹がありました。

 まずあったのが,立派な山門の聖運寺(せいうんじ)でした。
 聖運寺は真宗大谷派の寺で,もともとは宝光坊とよばれ,真言宗でした。山門は1919年(大正8年)建立の重層式で,入母屋造・本瓦葺の八脚楼門です。
 境内には,樹高15メートル,幹周2.45メートルのイブキの巨木が鎮座していました。
 その北には,縁心寺(えんしんじ)がありました。 
 山門は四脚門で,控え柱に「転び」がついてる珍しい造りということです。
 境内の西側に巨大な地蔵菩薩像がありました。この像は,戦時中に供出された地蔵像を1982年に信徒たちが再建したものだそうです。
 さらに北に歩いていくと,盛巌寺(せいがんじ)がありました。
 盛巌寺は曹洞宗の寺で,創建は1590年(天正18年)。松平家6代・松平家乗が父祖の供養のために現在の群馬県伊勢崎市に建立したのがはじまりで,その後,松平家の転封に伴って寺も山形・岩村・浜松・館林・唐津・鳥羽・亀山・淀・佐倉などを転々とし,1764年(明和元年)にこの地に移されました。
 この寺は,松平家の菩提寺で,歴代の霊室があり,特に14代・松平乗全の墓が有名です。
 通常,寺は,棟側が正面ですが,この寺は「殿様が雨に濡れないように」という配慮から妻側が正面となっています。三河三十三観音霊場の第30番札所で,本尊は聖観音菩薩です。

 第2次世界大戦で,周辺地域には,軍需工場や交通拠点が狙われて激しい爆撃がありましたが,西尾市自体は比較的戦火を免れました。そこで,こうした大きな古刹が今も残っているのでしょう。
 人とまったくすれ違うこともない静まり返った街中をこうして北に向かって歩いていくと,ついに岩瀬文庫に到着しました。

DSC_5220 DSC_5225DSC_5227 DSC_5219 DSC_5235124765DSC_5228


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_5154DSC_5156DSC_5157

【Summary】
During a walk in Nishio, I visited the Ishikawa Tairei Martyrdom Monument and Tsukonhi, then explored Nishio Castle Historical Park with the former Konoe Residence, the reconstructed turret, and the museum showcasing the domain’s history and Shin Buddhism art.

######
 尚古荘を出て,次に向かったのが石川台嶺殉教記念碑でした。しかし,なかなか見つからず,本町通りに出てしまいました。そこにあった真言宗大谷派の浄賢寺という寺と道を挟んで,みどりのポストがありました。抹茶の名産地・西尾ならではの「おもてなし・まごころポスト」だそうですが,これは,かつて西尾市内で丸型ポストが製造されていたという歴史からもくるものだそうです。
 その後,何とか,石川台嶺殉教記念碑を見つけました。
  ・・・・・・
 石川台嶺殉教記念碑は,「大浜騒動」(おおはまそうどう=別名・鷲塚騒動,菊間藩一揆)に関わった僧侶・石川台嶺(いしかわたいれい)を讃えるために建立されたものです。
 大浜騒動は,1871年(明治4年)に三河地方で起きた宗教的な民衆騒動です。明治政府が進めた神仏分離令や寺院統廃合政策で,浄土真宗の信徒たちは寺院の合併や廃止に強く反発し,三河護法会という僧侶たちの団体が結成され,菊間藩の宗教政策に抗議するために行動を起こし,民衆の不安と怒りが爆発し,役人が殺害される事件に発展しました。その結果,石川台嶺は死罪となり,多くの僧侶や門徒が投獄されました。
 なお,菊間藩というのは,1868年(明治元年)に成立し,わずか数年で廃藩となった現在の千葉県市原市に陣屋を置いて成立し,越後や三河にも飛地領をもっていた藩です。
  ・・・・・・
 石川台嶺殉教記念碑のそばに,西尾の女工哀史を弔う「吊魂碑」(ちょうこんひ)もありました。これは,1890年(明治33年)に一宮市の織布工場で起きた火災事故で亡くなった31人の女工たちを弔うために建てられたものですが,そのうち20人が西尾市出身だったことから、この地に建立されたものということです。
 なお,「吊魂碑」は,亡くなった人々の魂を弔うために建てられた石碑で,一般的に「慰霊碑」や「忠魂碑」と同様の意味で使われます。

 さて,ここから歩いて西尾市歴史公園に向かいました。
 途中にあった西尾小学校の校門には,かつて,西尾城の東の丸に存在した太鼓門跡がありました。これは,西尾城の惣構えの一部だったとされています。
 やがて,西尾城の一部を復元して整備された西尾市歴史公園に到着しました。そこには,旧近衛邸,西尾神社,本丸丑寅櫓(うしとらやぐら),西尾市資料館が立ちなんでいました。
 旧近衛邸(きゅうこのえてい)は京都から移築された数寄屋風の邸宅で,書院と茶室があり,私は利用しませんでしたが,抹茶をいただくことができるということでした。西尾神社は,第2次世界大戦で亡くなった西尾出身の約620人を祀る1955年(昭和30年)に創建された新しい神社です。本丸丑寅櫓は,高さ10メートル,3層構造の木造櫓で,西尾城の本丸北東隅にあった隅櫓を復元したものです。
 西尾市資料館に入ってみました。西尾市資料館は,西尾城の姫丸跡に建てられたもので,建物は城郭風の入母屋造りで、常設展示として,西尾藩の歴史や三河真宗の美術品,安祥城と安城松平氏の関係資料などが紹介されていました。

DSC_5125DSC_5130DSC_5131DSC_5133DSC_5142DSC_5144DSC_5146DSC_5161DSC_5172DSC_5204


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_5103DSC_5105DSC_5111DSC_5116DSC_5110

【Summary】
I was surprised by the crowded Nishio Line, then visited Shokoso near Nishio Station. Exploring its early-Showa garden and history, I enjoyed insightful guidance from the caretaker.

######
 午前8時ころに名鉄の新安城駅に着きました。ここで西尾線に乗り換えます。
 ここで私はびっくりしました。西尾線のホームは,電車を待つ高校生で一杯で,ホームから落ちそうな状態だったのです。
  ・・・・・・
 名鉄西尾線は,新安城駅から吉良吉田駅までを結びます。
 元々は碧海電気鉄道と西尾鉄道という別々の会社が敷設した路線で,戦前に合併して名鉄西尾線になりました。新安城と西尾間は混雑が激しいのですが,単線と旧式信号で柔軟性がなく,列車の本数も増やせず,追い越しもできない状況です。激混みなのに4両編成となっています。
  ・・・・・・
 要するに,私のような暇人がこんな時間に乗る列車ではなかったのです。それにしても,こんな状態の列車で毎日通学をする高校生が気の毒です。動くこともできなかった車内でしたが,次第に空いていき,愛知県立西尾高等学校や西尾東高等学校のある,途中の桜井駅でほとんどが降りてしまい,西尾駅に到着するころは,ゆったりとした状態になりました。

 西尾駅で降りました。駅前は閑散としていました。
 さて,ここから,西尾市の散策です。
 見どころは駅周辺で,ゆっくり歩いて見てまわって,3時間ほどということでした。まずは,駅から西に進み,第一の目的地は,西尾市歴史公園でした。そこは,西尾城のあったところ,ということでした。
 その手前に,尚古荘(しょうこそう)という家を見つけました。自由にお入りくださいとあったので,中に入りました。
  ・・・・・・
 尚古荘は,昭和初期の京風庭園付き別荘で,西尾城の東の丸跡を活かして造られた趣深い場所です。
造営者は地元の米穀商・岩崎明三郎で,西尾城への思いから,古を尚ぶ荘=尚古荘と名づけました。
 庭園は名古屋の庭師・足立代三郎が1931年(昭和6年)から6年もの歳月をかけて造られた回遊式庭園で,敷地は約1,000坪もあり,広々とした空間に,30畳の大広間,茶室「不言庵」(ふげんあん),待合,東屋,門などが配置されています。
 西尾城の丑寅櫓跡を活かした高台から庭園が一望で,特に紅葉の季節はみごとです。
  ・・・・・・
 ということですが,管理をしている人から,いろいろな説明を聞くことができて,とても楽しい時間になりました。

aaaDSC_5139DSC_5137DSC_5124DSC_5122


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_5099DSC_5410DSC_5396

【Summary】Nishio City, known as “Little Kyoto of Mikawa,” is famed for Nishio Castle and matcha culture. Its economy spans agriculture, fisheries, and auto industry, while its feudal lords included the Honda, Ii, Doi, and Matsudaira families.

######
 西尾市がどんなところなのか,行く前に調べてみました。
  ・・・・・・
 三河の小京都とよばれている西尾市は風情のある町です。
 西尾城の城下町として栄えた歴史から,今も西尾市歴史公園では本丸丑寅櫓や鍮石門などが復元されています。旧近衛邸は京都から移築された数寄屋造りの邸宅で,茶室では抹茶を楽しむことができます。また,尚古荘という京風庭園は,昭和初期に作られた静かな空間で,西尾城東の丸の遺構を活かしています。
 西尾市は抹茶の町としても有名で,緑色のポストがあります。
 西尾祇園祭は約400年の歴史を持つ伝統行事で,神輿の渡御や大名行列が城下町を彩ります。
 このように,歴史と文化が詰まった町なので,歩くだけで江戸の空気が感じられます。
  ・・・・・・
 ということだったので,ずいぶん期待しました。

 そんな西尾市ですが,現在の産業や財政もまた,第1次産業から第3次産業までバランスよく揃っているようです。財政力指数は0.94で,全国平均の0.51を大きく上回っています。
 農業では,特に「西尾の抹茶」として有名で,全国シェアの約20パーセントを占めています。
 漁業では,「一色のうなぎ」が名物で,国産養殖うなぎの約20パーセントを占めるほどの一大産地となっています。
 工業では,デンソーやアイシンの工場が立地し,自動車部品の製造が盛んで,製造品出荷額は県内6位の1.7兆円に達します。
 観光では,佐久島のアートや西尾城跡,抹茶スイーツなど地域ブランドを活かし,見どころが多くあります。  

 江戸時代の西尾藩は,多くの大名家が入れ替わりで治めていました。
  ・・・・・・
1本多康俊(ほんだやすとし) 1601年に2万石で入封しました。西尾藩の立藩者です。
2松平成重(まつだいらなりしげ) 板橋藩から転封されました。
3本多俊次(ほんだとしつぐ) 本多康俊の子で,膳所藩から再入封しました。
4太田資宗(おおたすけむね) 城下町の整備に尽力しました。
5井伊直好(いいなおよし) 井伊直政の孫で,西尾城を改築しました。
6増山正利(ますやままさとし) 徳川家綱の教育係で,姉は家綱の母・お楽の方です。
7土井利長(どいとしなが) 老中・大老を務めた土井利勝の3男です。
8三浦義理(みうらよしまさ)
9松平乗祐(まつだいらのりすけ) 1764年に山形藩から入封しました。
  以降,松平家が続きます。
10松平乗完(のりさだ) 松平乗祐の4男で,老中に就任しました。
11松平乗寛(のりひろ) 松平乗完の長男で,寺社奉行や老中を歴任しました。
12松平乗全(のりやす) 松平乗寛の長男で,大坂城代や老中を務めました。
13松平乗秩(のりつね) 松平乗寛の4男で,松平乗全の養子です。明治維新後は西尾藩知事となりました。
  ・・・・・・

DSC_5184DSC_5180DSC_5182DSC_5191DSC_5192DSC_5187

◇◇◇
Thank you for coming 450,000 blog visitors.


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_5148DSC_5154DSC_5177DSC_5202

【Summary】
During the Edo period, present-day Aichi Prefecture was ruled not only by the powerful Owari Tokugawa clan but also by many smaller domains governed by fudai and shinpan lords, such as the Matsudaira, Honda, and Doi families. Castles and jin’ya (administrative residences) dotted the region, including Nagoya, Okazaki, Nishio, and Kariya, reflecting a highly fragmented yet strategically important political landscape.

######
 2025年10月3日,岩瀬文庫で開催されている「江戸の出版文化と蔦屋重三郎」後期展に行った折り,かねてから気になっていた西尾市を散策しました。
 愛知県の地図を見るとよくわかりますが,名鉄本線が通る安城市,岡崎市といったところの南側に,岡崎平野といわれる広大な平地があるのですが,なかなかそこへ行く機会がないのです。だから,そこに何かがあるのか? 住んでいる人以外には,あまり知らないところだったりします。
 そもそも,車を使っても,近年,やっと全線が開通した国道23号線ですが,そこから南には便利な道路も少なくいつも渋滞し,また,公共交通機関も,名鉄本線とは違い,単線で,本数も少なく,あえて行こうと思わなければ,乗らないところです。西尾市は,そんな場所にあるので,私も,行ったことがありませんでした。しかし,6月24日,車で岩瀬文庫に行ったとき,遠いところだ,と思った半面,三河の小京都とよばれる場所であることを知り,ゆっくりと散策してみたくなっていたのです。
 近ごろ,こうした理由で,各地を歩いてみると,日本というのはその長い歴史ゆえ,なんとまあ奥の深いところなのか,と実感します。掘っても掘って底が見えません。そして,そこにある多くのことを知ると,これまで,そのほとんどをまったく知らずにいたんだなあ,と今にして思うわけです。

 では,今日は,西尾市について語る前に,この地のあった愛知県は,江戸時代,いったい誰が治めていたのか,を調べてみました。
 愛知県と言えば,江戸時代は尾張と三河,そして,尾張は徳川御三家の尾張徳川家であり,三河は徳川家康の生まれた岡崎藩に譜代・本多家が治めていた,くらいしか,私には認識がありませんでした。
 それがそれが…。実際は,そんな簡単なものではありませんでした。
  ・・・・・・
●尾張藩(親藩) 尾張徳川家61万9,500石 名古屋城
 尾張及び美濃や三河,信濃の一部を領しました。徳川御三家の筆頭格にして最大の藩で,諸大名の中でも最高の家格を有しました。
●犬山藩(維新後立藩) 成瀬家3万5,000石 犬山城
 尾張徳川家の付家老成瀬家が維新後に新政府の命によって立藩したものです。
  ・・
●刈谷藩(譜代) 土居家2万3,000石 刈谷城
 藩主家の交替が相次ぎ定着しませんでしたが,土井家による支配で定着しました。
●西尾藩(譜代) 大給松平家6万石 西尾城
 藩主家の交替が相次ぎ定着しませんでしたが,大給松平家による支配で定着しました。
●挙母藩(譜代) 内藤家2万石 挙母城
 三河国北西部を領しました。安中藩(上野=現在の群馬県安中市)より転封した内藤家が治めました。
●岡崎藩(譜代) 本多家5万石 岡崎城
 三河国東部を領しました。本多忠勝以来の名門本多平八郎家が治めました。
●西大平藩(譜代) 大岡家1万石 西大平陣屋
 額田郡西大平に陣屋を置きました。大岡家は大岡越前を祖とします。藩主家は江戸に居住して参勤交代をしない定府大名でした。
●三河吉田藩(譜代)大河内松平家7万石 吉田城
 吉田藩に入封することは幕閣になるための登竜門のひとつといわれ,幕末には大河内松平家が治めました。
● 田原藩(譜代) 三宅家1万2,000石 田原城
 三河の名門である三宅家が治めました。
●西端藩(譜代)本多家1万石 西端陣屋(碧南市西端町)
 元治元年に,大身旗本(旗本の中でも石高が多く格式が高かった旗本)であった本多忠相(ただすけ)が江戸警備の功績により大名となり立藩しました。
  ・・・・・・

◇◇◇
中秋の名月2025。

天気予報では曇りでしたが,見ることができました。
DSC_3217


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_5239DSC_5261

【Summary】
Iwanami Bunko in Nishio, founded by philanthropist Iwase Yasuke, preserves 80,000 Edo-era books. Its 100th exhibition highlights publisher Tsutaya Jūzaburō, showcasing yellow-cover books, sharebon, kyōka, ukiyo-e, and scholarly works. Visitors can quietly enjoy authentic materials.

######
 2025年6月24日,西尾市立図書館に隣接する岩瀬文庫で「江戸の出版文化と蔦屋重三郎」展が開催されていたので,行ってきました。このとき,8月30日から,この展覧会の後期展が行われるという告知を知りました。
 そのときは,せっかくだから,西尾市の散策もしようと思っていたのですが,なかなか涼しくならず,10月になってしまいました。やっと涼しい秋になったので,10月3日に行ってきました。
 前回は,あいにく雨の日で,車で行ったのですが,西尾市は遠いなあ,と実感しました。今回は,早朝,名鉄電車に乗って,西尾駅で降りました。西尾市のことは,次回から書くことにして,今日は,岩瀬文庫のことを書きます。

 岩瀬文庫は,西尾市にある日本初の「古書の博物館」です。
 1908年(明治41年),西尾市出身の実業家・岩瀬弥助(いわせやすけ)が創設した私立図書館で,戦後に西尾市に移管され,2003年に博物館としてリニューアルされたもので,江戸時代の出版文化や黄表紙、浮世絵などを含む約8万冊の蔵書を誇ります。とてもきれいな建物です。
  ・・・・・・
 岩瀬弥助は西尾市の文化の礎を築いた実業家であり慈善家でした。1867年(慶応3年)に肥料商の家に生まれ,20歳で本家に養子入りし,4代目弥助を名乗りました。明治30年代には西三河屈指の資産家に成長し,株式投資や鉄道事業にも関わりました。 
 1908年(明治41年)に私財を投じて岩瀬文庫を創設し,全国の古書店から約8万冊の蔵書を集めました。また,学校や病院の建設資金を寄付したり,日本赤十字社への支援も行ったりと,社会事業家としても活躍し,亡くなった後は,遺言によって文庫は財団法人化され,後に西尾市に寄贈されました。
  ・・・・・・
 
 現在開催されている「江戸の出版文化と蔦屋重三郎〜日本出版物語〜」展は岩瀬文庫の企画展100回記念として行われているものです。
 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺〜」で脚光を浴びる蔦屋重三郎が手がけた出版物は,江戸の庶民文化を彩る象徴で,主なジャンルと出版物として, 風刺とユーモアが効いた物語で庶民に大人気となった恋川春町の「金々先生栄花夢」 のような黄表紙(絵入りの滑稽本),吉原を月本国という架空の国に見立て,遊女たちを名所として紹介するといった,遊里の風俗や会話を洒落た文体で描いた道蛇楼麻阿(どうだろうまあ=朋誠堂喜三二の別名)の「娼妃地理記」(しょうひちりき)のような洒落本,大田南畝や石川雅望らの狂歌を絵とともに紹介した狂歌本や狂歌絵本,美人画や役者絵で絵師たちの才能を世に広めた 喜多川歌麿の「青楼美人合姿鏡」,東洲斎写楽の「市川蝦蔵の竹村定之進」のような浮世絵錦絵,遊女のランクや妓楼の情報をまとめた,いわば当時の情報誌であった「吉原細見」(遊郭ガイド),花見や祭り,風俗などをテーマにした地本(庶民向けの読み物)とよばれる娯楽本,さらには,和算書,暦書,仏書,国学書など物之本(学術書)も手がけていました。
 この展覧会では,それらの本物を身近に見ることができました。
 来ている人も少なく,静かな館内で充実した時間を過ごすことができました。

DSC_5242DSC_5246DSC_5253DSC_5344


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_6826IMG_7154IMG_7776IMG_7938IMG_8478

【Summary】
On trips, I enjoy local meals at inns with sake, but on day trips to Kyoto meals can be costly and crowded, so I prefer simple cafés. My highlight is ekiben on the Shinkansen—this time I tried a self-heating matsutake sukiyaki bento using quicklime’s reaction with water, and it was delicious.

######
 テレビの旅番組では,旅行先の食事が話題になります。旅の楽しみのひとつは食事です。
 私も,旅館に泊まるときは,なるべく1泊2食のところを選びます,そして,地酒を呑みながら夕食を味わうのを楽しみにしています。また,日本ならではの朝食が食べられるのも,もうひとつの楽しみです。
 とはいえ,そうした旅行でないときは,食事に苦労します。ガイドブックに載っているような食事処はどこも混雑しているし,値段の割に楽しくありません。そこで,私は,割り切って,そうしたときは,なるべく地元の人が行くような,安価で,混雑していないところに行くようにしています。つまり,食事にぜいたくさを求めないのです。とはいえ,地元の人が行くようなところは,お値打ちで,しかも,ゆっくりと食事を楽しむことできる場合もあります。
 私の自宅からは,京都は,日帰りできるので,宿泊することはほとんどありませんから,旅館探しをしたことはありません。また,日帰りをするので,ぜいたくな夕食をとるということもありません。
 しかし,困るのが昼食です。観光地京都は,物価が高いのです。カフェでコーヒーを頼んでも,安くて600円ほどもしますが,とはいえ,店はたいてい混雑していて,くつろげるものではありません。そこで,個人経営の単なる喫茶店などを探します。何か,京都で暮らす学生のような気持ちになれたりすることもあって,それなりに幸せを感じます。

 夕食は,新幹線の車内で食べる駅弁です。現在の楽しみは駅弁です。これがまたいい。近ごろは駅弁も色々と工夫が凝らされていて,季節ごとに新メニューのものが出たりするし,量もさまざまです。毎回,今日は何を選ぼうかと,わくわくします。
 そんなわけですが,今回は「あっちっち・松茸すき焼き栗ご飯」というものを見つけました。食欲の秋です。このお弁当は,側面に紐がついていて,これを引っ張ると,お弁当が熱くなるのです。まさに,あっちっちなわけです。加熱されるというお弁当があることは知っていましたが,体験するのははじめてでした。 
 弁当が加熱されるのは,次の原理です。
  ・・・・・・・
 発熱ユニットの中に生石灰(CaO)と水袋が入っていて,生石灰は水と反応すると消石灰(Ca(OH)₂)に変化し,そのときに大量の熱と蒸気を発生する,という化学反応を利用しています。つまり
  CaO+H₂O→Ca(OH)₂+熱
です。
 つまり,紐を引くと水袋が破れて水が生石灰に触れる⇒化学反応がスタートし,発生した蒸気が容器内を温め,下からの熱で中皿を加熱し, 側面からの蒸気で熱が対流し,蓋の内側で輻射熱が発生⇒弁当全体がふんわり温まる,というわけです。
  ・・・・・・
 約5分で食べごろの50度から60度になり,温かさは30分ほど持続するということです。
 この国の人は,いろいろなことを考えるものです。当然,とてもおいしくいただきました。

IMG_8430IMG_8432IMG_6823IMG_7153IMG_7773IMG_7937IMG_8474IMG_8479


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_8462スクリーンショット 2025-09-28 075135

【Summary】
After visiting the zoo and Heian Shrine Garden, I walked along the Takase River, stopped at Suya, and revisited Ryoma-related sites, deeply sensing the late-Edo history again.

######
 この日の私は,午後1時30分までに北山の京都コンサートホールに行くことにしていたのですが,京都市動物園,平安神宮神苑とまわっても,まだ時間があったので,ここから,京都市地下鉄東西線の三条京阪駅までぶらぶらと街歩きを楽しむことにしました。このあたりを南北に流れるのが高瀬川です。高瀬川畔には,幕末維新の史跡が数多くあります。これまで何度も来ているのですが,何度来てもいいものです。
 ということですが,まず,酢屋(すや)に行ってみることにしました。以前,酢屋は,一度行ったことがあります。
  ・・・・・・
 酢屋は,京都・三条通にある1721年(享保6年)創業の材木商です。
 幕末,坂本龍馬が京都滞在中に身を寄せていた場所として知られていて,海援隊の京都本部にもなっていました。
 坂本龍馬が乙女姉やんに宛てた手紙にも「すやに宿申し候」と書かれています。
 現在,酢屋の2階が「ギャラリー龍馬」として公開されていて,坂本龍馬に関する資料が展示されています。
  ・・・・・・
 坂本龍馬が慶応3年6月24日づけで坂本乙女・おやべ宛に書かれた手紙には
  ・・・・・・
 今日もいそがしき故,薩州やしきへ参りかけ,朝六ツ時頃より此ふみしたゝめました。
 当時私ハ京都三条通河原町一丁下ル車道すやに宿申し候。
 清二郎ニ御頼の御書同人より受取拝見仕候。同人も兼而御申越ニてよろしき人物とてよろこび候所,色〻咄聞候所何もをもわくのなき人ニて,国家の御為命すてるにくろふハせぬ位なものニて,当時私ハ諸生五十人斗ハつれており候得ども,皆一稽古も出来き候ものニて,供ニ国家の咄しが出来候。
  ・・・・・・
とあります。

 酢屋でもらった地図を見ながら,この辺りを歩いてみました。
 その地図に書かれてあったのは,佐久間象山,大村益次郎遭難の碑,池田屋跡,坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地(近江屋跡),中岡慎太郎寓居跡,土佐藩邸跡,土佐稲荷神社,そして,ホテルオークラの入口付近にある桂小五郎像などでした。
 そのほとんどは,単に碑があるだけのものでしたが,池田屋跡のように,現在「旅籠茶屋・池田屋はなの舞」という居酒屋を営業しているところもあります。三条木屋町の池田屋は,1864年(元治元年)に新撰組が尊王攘夷派の志士たちを急襲した池田屋事件の舞台だったところです。このように,もともと知名度は高いので,その名前を利用した店を立ち上げるというのは,いい商売センスをしています。日本史の教科書が宣伝をしているようなものだからです。店はその歴史を利用して,店内には約8メートルの大階段を造り,当時の池田屋の構造を再現しているそうですし,店員さんも当時の衣装を着て,客を寄せていました。
 私は,これまで,この時代について,ずいぶん多くの文献を読んだこともあるし,大河ドラマを見たことがあるので,何度も来ているとはいえ,今回もまた,感慨深いものがありました。とはいえ,道行く人々のほとんどは,そんな碑をまったく気にかけることもなく,通り過ぎていくのでした。

IMG_8440IMG_8441IMG_8444IMG_8447IMG_8449IMG_8454IMG_8457IMG_8458IMG_8463IMG_8464


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_8428IMG_8405IMG_8421 IMG_8424

【Summary】
The Heian Shrine’s Shin’en garden, begun in 1895 and completed in stages through 1981, offers tranquil strolling paths. Highlights include the South Garden’s classical plants and poems, and the East Garden’s Taiheikaku bridge hall, relocated from the Imperial Palace in 1912, famed for its scenic views.

######
 京都市動物園を出て,まだ時間があったので,平安神宮の神苑(しんえん)に行ってみることにしました。以前行ったことがあるのですが,遠い昔のことゆえ,ほとんど記憶にありません。
  ・・・・・・  
 平安神宮の神苑は,京都の復興と誇りをかけて造られた庭園です。1895年(明治28年),平安遷都1100年を迎え,平安神宮が創建され,同時に神苑の造営がはじまりました。神苑は社殿を囲むように配置され,最初に造られたのは西神苑(白虎池)と中神苑(蒼龍池)。その後,1916年(大正5年)までに東神苑(栖鳳池)が完成し,1981年(昭和56年)には南神苑(平安の苑)が整備されました。
  ・・・・・・

 ここもまた,人が少なく,のんびりと散策することができました。
 南神苑には,古典文学に登場する植物が植えられていました。私がまず見つけたのが
  ・・・・・・
 有馬山猪名(ゐな)の笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
  ・
 有馬山の近くにある猪名の笹原に生える笹の葉がそよそよと音をたてる。
 そうよそうですよ,どうしてあなたのことを忘れたりするものですか。
  ・・・・・・
という百人一首の歌が書かれた笹でした。
 女房三十六歌仙,百人一首の歌人として知られる大弐三位(だいにのさんみ)は紫式部の娘。藤原賢子,越後弁(えちごのべん)ともいいます。この歌は詞書「離れ離れ(かれがれ)なる男の「おぼつかなく」など言ひたりけるに詠める」として小倉百人一首の58番にあり,私が最も好きな歌のひとつです。これだけで,こころが温かくなりました。

 ゆっくりと歩いていくと,視界が開け,そこにあったのが,さまざまなところで紹介される東神苑の橋殿「泰平閣(たいへいかく)」で,ここが神苑のハイライトとなる景色でした。
 泰平閣は,栖鳳池(せいほういけ)を横断する形で架けられた屋根つきの橋殿で,別名を「楓殿(ふうでん)」ともいいます。1912年(大正元年)に京都御所から移築されたものです。
 回廊から,鶴島・亀島,尚美館,そして,借景の華頂山まで見渡せて,まるで仙境にいるように感じられると評されます。春には対岸の紅しだれ桜が水面に映り,ことばを失うほどの美しさとなります。

IMG_8406 IMG_8412IMG_8413IMG_8415IMG_8417IMG_8423IMG_8427


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_8371IMG_8400 IMG_8385IMG_8387

【Summary】
On the morning of September 20, 2025, before the Kyoto Symphony concert, I visited Kyoto City Zoo. Opened in 1903, it’s Japan’s second-oldest zoo. Despite its compact city-center location, it houses 120+ species, including tigers, elephants, giraffes, and gorillas, with themed exhibits and creative viewing paths. After touring, I relaxed with a light meal at the zoo’s library café.

######
 2025年9月20日,京都市交響楽団第704回定期演奏会を聴いた日の午前,やっと秋がやってきたとはいえ,まだ,古刹めぐりをするには時期が早いと思ったので,どこかいいところはないか,と考えて,京都市動物園に行くことにしました。これまで,京都まで観光に行って,動物園でもないだろうと,と行くことがありませんでした。ここもまた,盲点になっていました。
  ・・・・・・ 
 京都市動物園は1903年(明治36年)の開園で,1882年(明治15年)に開園した東京都恩賜上野動物園に次ぐ日本で2番目に古い動物園です。2015年にリニューアルされてからは「近くて楽しい動物園」をテーマに,より魅力的な施設になりました。
 トラやジャガーなどネコ科動物がいるもうじゅうワールド,ラオスから来たゾウたちが群れで暮らしているゾウの森,ニシゴリラの樹上生活を再現したゴリラのおうち~樹林のすみか~,ウサギやテンジクネズミなど小動物とふれあえるおとぎの国など,テーマごとに展示がされています。
  ・・・・・・

 京都に着いたのが午前7時30分ごろで,京都市動物園が開園する午前9時よりずいぶん早かったので,京都市地下鉄の烏丸線,烏丸御池駅で降りて,三条通を東にのんびり散策しました。
 道が碁盤の目のようになっている京都市の道の名前は,「丸竹夷」(まるたけえびす)というわらべ歌で覚えることができます。これは,京都の東西の通り名をリズミカルに並べた手まり歌として親しまれてきたものです。
  ・・・・・・
 まる たけ えびす に おし おいけ(丸・竹・夷・二・押・御池)
 あね さん ろっかく たこ にしき(姉・三・六角・蛸・錦)
 し あや ぶったか まつ まん ごじょう(四・綾・仏・高・松・万・五条)
 せきた ちゃらちゃら うおのたな(雪駄・魚棚)
 ろくじょう さんてつ とおりすぎ(六条・三哲)
 ひっちょうこえれば はちくじょう(七条・八・九条)
 じゅうじょうとうじでとどめさす(十条)
  ・・・・・・
 「あね さん ろっかく」は,姉小通,三条通,六角通のことです。
 これらの通りで,もともと,平安京の時代,三条通は当時,三条大路といい,何と幅30メートルもある立派な通りで,貴族の邸宅が並ぶ,都のメインストリートでした。
 しかし,時代が進むにつれて,都市の改造や住民の「住みこなし」が進み,通り沿いに建物が密集していきました。特に,明治以降は市電の開通や四条通の拡幅で,三条通の役割が少しずつ変わっていき,その結果,現在の三条通は,狭くても魅力的な通りになりました。レトロな建築や老舗が並んでいて,京都の風情を楽しむのにぴったりなのです。

 さて,こうして,街歩きを楽しみながら,矢田寺,本能寺と通って,京都市動物園に到着しました。
  ・・・・・・
 矢田寺は西山浄土宗の寺院で,山号は金剛山,本尊は地蔵菩薩です。通称「矢田地蔵」とよばれ,平安時代初期に奈良の矢田寺の別院として創建され,現在の場所に,1579年(天正7年)に移されました。
 矢田寺の特徴は「送り鐘」。死者の霊を迷わず冥土へ送るために撞く鐘で,六道珍皇寺の「迎え鐘」と対をなす存在です。また,「代受苦地蔵」(だいじゅくじぞう)という苦しみを代わりに受けてくれるとされる地蔵が祀られています。さらに,恋愛成就のご利益があるとも言われています。
  ・・
 本能寺は法華宗本門流の大本山で「本能寺の変」で知られる寺院です。
 創建は1415年(応永22年)で,日隆上人が油小路高辻に「本応寺」として建立したのがはじまり。 1433年(永享5年)に六角大宮へ移転し「本能寺」と改称。1536年(天文5年)の「天文法華の乱」で焼失し,一時堺へ移転後,油小路六角で再興しました。
 1582年(天正10年),「本能寺の変」で織田信長が自害し寺も焼失。その後,豊臣秀吉の命で現在地に再建されたものです。
 信長公御廟所は織田信長の3男・織田信孝が建立した供養塔。本堂は,室町時代の様式を再現した総欅造の建物で,日蓮聖人像が祀られています。
  ・・・・・・
 京都市動物園は,平安神宮の近く,市街地のど真ん中,岡崎公園の中にあります。これまで,外から見ただけでしたが,狭い動物園だなあ,と思っていました。実際,広大というのははばかれましたが,敷地面積は約41,383平方メートルで,立体的な遊歩道でキリンやシマウマを上から観察できたり, 熱帯動物館には多様な環境を再現したりと工夫されていました。
 京都市動物園にいるのは,約120種以上の動物でした。
 アジアゾウやキリン,カバ, グレビーシマウマ,アメリカバク,ニシゴリラといった,子供がもっとも興味のある大型の動物もたくさんいました。
 園内を一周したのち,図書館カフェに行って,ゆったりと軽食を楽しみました。

IMG_8357IMG_8359IMG_8360IMG_8362IMG_8363IMG_8365IMG_8372 IMG_8376IMG_8377IMG_8383IMG_8399


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_1746DSC_1808DSC_1900

【Summary】
I rode the Watarase Keikoku Railway on May 13, 2024, but rain obscured the valley scenery and there were few passengers. After visiting Ashio Copper Mine at Tsūdō Station, I headed to Nikko.

######
 「リゾートしらかみに乗る」からしばらく間隔が空いてしまいましたが,ローカル鉄道の旅に乗ったという話題を続けます。今回は,わたらせ渓谷鐡道です。
 私がわたらせ渓谷鉄道に乗ったのは,2024年5月13日のことでした。このとき,5月11日から5月14日までの3泊4日の東京と日光の旅を楽しんだのですが,東京から日光へ行くのに,わたらせ渓谷鐡道を利用することにして,楽しみにしていました。しかし,あいにく,5月13日だけ天気が悪く,残念な結果になりました。
 海外旅行で,雨に降られた,ということは,ほとんど記憶にありません。車で移動中に豪雨にであった,ということくらいしかなく,傘をさした,というのはほぼ皆無です。しかし,国内旅行では,雨と出会うことが多く,旅が楽しい思い出になるかどうかの大半は天気次第,と思うようになってきました。雨のために,せっかくのわたらせ渓谷鐡道の魅力のほとんどは味わうことができず,客席から雨でガスった風景を見ただけに終わりました。これでは,わたらせ渓谷鐡道について語る資格はありません。

 さて,私には,そんなわたらせ渓谷鐡道でしたが
  ・・・・・・,
 「わ鐵」として知られるわたらせ渓谷鐵道は,桐生市から日光市足尾町までを結ぶローカル鉄道です。
 もともとはJR足尾線でしたが,1990年に第3セクター方式のわたらせ渓谷線となりました。
  ・・・・・・
ということだそうです。
 ほかの多くのローカル鉄道と同じように,わたらせ渓谷鐵道に乗るにも,最寄りの駅までアクセスするのが大変です。調べてみると,東京からの方法としては
  ・・・・・・
① 新幹線+JRルート
 東京駅から新幹線で高崎駅まで行って,JR両毛線で高崎駅から桐生駅まで行き,桐生駅でわたらせ渓谷鐵道に乗る
②東武鉄道ルート
 浅草駅から東武鉄道の特急「りょうもう」または「リバティりょうもう」に乗って相老駅で降り,相老駅でわたらせ渓谷鐵道に乗り換える
  ・・・・・・
というふたつがあるとわかりました。私は,このとき②の方法を使いました。

 わたらせ渓谷鐡道の始発駅は桐生駅ですが,東武鉄道は桐生駅を通らないので,そのふたつ先の相老駅で乗ることになります。私が利用した「リバティりょうもう」は,途中の太田駅でほとんどの乗客が降りてしまい,ついに,私ひとりとなりました。
 古びた相老駅でした。わたらせ渓谷鐡道のホームは東武鉄道と共存していて,改札を出ることなく乗り込むことができました。私はそんなことも知らず,一旦,改札口のある駅舎まで行ってしまい,そこで引き返しました。
 ホームで待っていると,今にも壊れそうな古びた列車がやってきました。シーズンオフで,しかも,雨,ということもあって,乗り込んだわたらせ渓谷鐡道の,これもまた,古びた列車の乗客は私を含めてふたり程度でした。いくら私が人混みがきらいだからといっても,これでは,あまりに何もなく,「列車のレストラン清流」も営業しておらず,わびしい限りでした。
 しかし,紅葉シーズンには「トロッコわたらせ渓谷号」や「トロッコわっしー号」も運行し,込み合うので,整理券の事前予約があったほうがいいそうです。紅葉の見ごろは10月下旬から11月中旬で,トロッコ列車は予約なしだと立ち乗りになることもあるらしいのですが,平日の午前10時前や午後4時以降なら,比較的空いているので,狙い目ということです。窓ガラスのないトロッコ列車に乗れば,風を感じながら渓谷の空気をたっぷり吸い込め,高津戸峡の遊歩道,上神梅駅や神戸駅では木造の駅舎がノスタルジックな雰囲気を醸し出し,神戸駅の「列車のレストラン清流」では,食堂車気分で「やまと豚弁当」が楽しめるということです。

 私は,今にも壊れそうな車内から,雨でガスった景色を見ただけでしたが,唯一,足尾銅山には行くことができました。
 足尾銅山は,わたらせ渓谷鐡道の終着駅である間藤(まとう)駅か,そのひとつ前の通洞駅から明日セスするということでした。私は,通洞駅で降りました。ここから少し歩いたところに,足尾銅山があって,トロッコで坑道に入って,江戸時代の鉱山の雰囲気を味うことができました。
 その後,私は,間藤駅まで歩いていって,駅前にあったバス停で日光市営バスに乗って,日光へ行きました。日光に行くことが目的なら,これも楽しいコースとなるのですが,わたらせ渓谷鐡道に乗るというのが目的だと,結局,終点の間藤駅についたら,そこで,折り返すほかに何もすることがないのでは,と思うのですが…。何か別の観光ルートがあるのかな?

DSC_1729DSC_1740DSC_1743DSC_1744DSC_1768DSC_1776DSC_1783DSC_1850DSC_1855


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

このページのトップヘ