【Summary】
During my trip, I realized how little I knew about Tsuruoka. Expecting little, I discovered a historic city with Tsuruoka Castle and many cultural sites. The highlight was Chidokan, a preserved Edo-era domain school promoting Sorai Confucianism. I was deeply impressed by the region’s proud heritage, respected Sakai family, and high cultural values.
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今回の旅でもまた,私の無知さが明らかになって,我ながら嫌になりました。
横綱柏戸記念館を出て,次に向かったのが鶴岡市でした。しかし,私は,鶴岡市に何があるのか,まったく知りませんでした。そもそも,鶴岡市と酒田市の区別さえわかっていませんでした。
唯一知っていたのは,酒田市には写真家の土門拳記念館があるということで,この日の残りの時間はそこに行ってから,今日の宿泊先に行こうと思っていました。2泊3日の旅ですが,この先の予定は未定でした。
カーナビの表示に従って,柏戸記念館から土門拳記念館に向かって走っていきました。
その途中で見つけたのが「雪の降るまちを」の碑でした。これは,NHKBS「にっぽん縦断こころ旅」で知っていましたが,放送されたのは,鶴岡公園にあったもののような? 私が見つけたのは,鶴岡市我老林野中川原の鶴岡市立斎小学校正門脇にあった雪の降るまちを発想の地碑でした。
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1952年(昭和27年)の冬,作曲家・中田喜直さんが鶴岡市を訪れたとき,深い雪の中,そりに乗って郊外の菅原邸からあつみ温泉の萬国屋へ向かう途中,その幻想的な雪景色にこころを打たれてメロディーがふっと湧き上がったのが,「雪の降るまちを」誕生のきっかけでした。
そこで,鶴岡市は「発想の地」としているのです。
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ということでした。
引き続き土門拳記念館に向けて走ります。午後3時くらいに到着する予定でした。
その途中,鶴岡市の中心部に差し掛かりました。私はびっくりしました。何もないと思い込んでいた鶴岡市の中心部には,鶴ケ岡城址公園を中心として,そのまわりに多くの見どころがありました。
方針変更です。ともかく,どこかに車を停めて,情報収集です。
そして,まず行ったのは「致道館」(ちどうかん)というところでした。
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「致道館」は,1805年(文化2年)9代藩主・酒井忠徳が創設した学問所で,論語の「君子学んで以て其の道を致す」からつけられたものです。
庄内藩は,藩校「致道館」において,荻生徂徠の徂徠学(そらいがく)を重んじ,朱子学とは異なる自主性や天性を重んじる教育を行っていました。
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現在,東北地方で唯一残る藩校建築として,聖廟,講堂,御入間,表御門などが現存し,無料で!公開されています。これはすごいと思いました。これまで,水戸藩の藩校「弘道館」へ行ったことがありますが,それ以上のところでした。この地の人の矜持を感じました。
徂徠学は,,江戸時代中期の儒学者・荻生徂徠が提唱した学問で,古文辞学ともよばれます。朱子学が道徳の修養を重視していたのに対して,徂徠学は政治的・実践的な学問を目指しました。
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●古典の原文重視 後世の注釈に頼らず四書五経を古代中国語で直接読み解こうとします。
●擬古主義の実践 秦漢の文や盛唐の詩を模倣し古人の心を体得する方法をとります。
●道徳より政治重視 朱子学の「道徳を守ればすべてうまくいく」という考えでなく,現実の政治に役立つ学問を目指します。
●人情の尊重 人間の自然な感情を抑えすぎる朱子学に対して「人情を大切にすべき」と考えます。
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江戸時代,現在の鶴岡市にある鶴ケ岡城は庄内藩の藩庁がありました。それに対して,隣の酒田市は,商人の町で, 豪商・本間家が農地解放による解体まで日本最大の地主と称された大庄屋。その財力を基礎に「本間様には及びもせぬがせめてなりたや殿様に」と謳われるほどの栄華を誇りました。
幕末の戊辰戦争では,庄内藩は東北諸藩最強でしたが,その強さの秘密は,豪商・本間家の支援,優れた装備,そして,戦術家・酒井玄蕃の存在にありました。また,藩主・酒井家と領民の結束が固いものでした。
徳川家康の重臣・酒井忠次を祖とする酒井家は庄内藩を治めた譜代大名の名門です。
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初代藩主・酒井忠勝は信州松代藩から庄内に移り,領民の生活安定を第一に考えた温厚な政治を行いました。
9代・酒井忠徳は藩校「致道館」を創設し,徂徠学を導入して教育改革を進めました。
10代・酒井忠器は「天保おすわり事件」で知られます。幕府の転封命令に対して領民が座り込みで抗議し命令を撤回させました。
13代・酒井忠篤は戊辰戦争で藩を率いて戦いました。敗戦後,領民たちが30万両を献金して領内によび戻しました。
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このように,酒井家はこの地で尊敬され,今も鶴岡市に住み続けていて,地元の人々から「殿さま」と親しまれているそうです。
酒井家の菩提寺は鶴ヶ丘城裏鬼門にある浄土宗の大督寺(だいとくじ)で,酒井家の墓所には,初代から17代までの酒井家当主と夫人の墓が45基あるそうですが,非公開です。
江戸時代の領主が領民にリスペストされ,今も菩提寺が大切にされているところは,文化水準が高いという私の考えが,この地で実現されていることに感動しました。
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