しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

November 2025

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【Summary】
The Kyoto Symphony Orchestra’s 706th subscription concert featured Spinosi conducting Rossini, Haydn’s “Bear,” and Beethoven’s “Pastoral.” Spinosi’s background in Baroque music was highlighted. I appreciated the standard violin seating, recalling Ashkenazy’s memorable “Pastoral.” Berlin Philharmonic violinist Kotoha Machida served as concertmaster, praised the orchestra’s strong strings and excellent winds.

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 2025年11月29日に京都市交響楽団第706回定期演奏会を聴きました。
 指揮はジャン・クリストフ・スピノジ(Jean-Christophe Spinosi)さん,曲目はロッシーニの歌劇「アルジェのイタリア女」(L'italiana in Algeri)序曲,ハイドンの交響曲第82番「熊」(L'Ours),ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」(Pastorale)でした。さわやかなとても快適なプログラムです。
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 ジャン・クリストフ・スピノジさんは,1964年生まれのフランス・コルシカ出身の指揮者・ヴァイオリニストです。1991年に自ら創設した「アンサンブル・マテウス」を率いて,特にバロック音楽,なかでもヴィヴァルディのオペラ解釈で国際的に高い評価を受けています。
 舞台演出にも積極的で,振付師や演出家とコラボしながら音楽と演劇を融合させた独創的なプロダクションを次々と生み出しています。
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ということですが,私はおそらくはじめてでした。楽しく,自由に,というのがモットーのようです。
 ところで,この日,東京では,東京芸術劇場で東京都交響楽団の定期演奏会があって,ここでも,メインプログラムがベートーヴェンの交響曲第6番「田園」だったようです。同じ曲目が同じ日,あるいは,数日後,というのはけっこうあります。
 めずらしい曲だと,楽譜の貸し借りをするために同じ曲が数日の感覚で並ぶということがあるようです。しかし,「田園」では楽譜を楽団がもっているからそういうことではなく,今回は偶然だと思うのですが,秋らしい曲,ということで,たまたまこのような選曲になったのでしょう。

 ということで,今回のメインプログラムである「田園」。大好きな曲のひとつです。
 以前,ウィーンに行ったとき,「田園」のモチーフとなった小川のほとりを歩いてみたことがあります。いい思い出です。こういう経験のもとで曲を聴くと,また,輝きます。
 私は,これまで,「田園」は何度も聴いているのですが,以前,NHK交響楽団で,アシュケナージさんが指揮をしたのが最も印象に残っています。というのは…
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 オーケストラの配置は,ステージに向かって左から第1ヴァイオリン,第2ヴァイオリン,ヴィオラ,チェロが並び,その後にコントラバスというのが,現代の一般的な通常配置((Stokowski shift))とよばれるものです。この場合,第1ヴァイオリン,第2ヴァイオリンが隣同士なので,オクターブやユニゾンで音程を取りやすく,一体感のある響きが生まれるといわれます。また,第2ヴァイオリンとビオラがまとまっているため,内声のハーモニーも自然に溶けやすくなります。
 それに対して, 対向配置というものがあります。それは,古典派やロマン派の作曲家が想定していた配置のひとつで,ステージに向かって,左側に第1ヴァイオリン,次いで,ビオラ,右側に第2ヴァイオリン,次いで,チェロと並びます。これは,左右対称で音が広がるように聞こえ,弦楽器の掛け合いがはっきり感じられるということです。
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 こうした配置は,オーケストラによって決まっているというものではなく,指揮者によって決まるようですが,「田園」では,第1楽章の展開部で,第1ヴァイオリン,第2ヴァイオリン,ヴィオラ,チェロという順に流れるように音階が続くところがあって,これが,対抗配置だと,音階が左から右へと飛びはねるので変なのです。アシュケナージさんが指揮をしたときは,通常配置(ストコフスキー・シフト)だったので,左から右へ流れるように奏でられて,とてもすてきでした。「田園」を対抗配置で演奏するなんて,私には理解できません。今回の京都市交響楽団は,当然のように,通常配置だったので,私は,ホッとしたというか,うれしくなりました。
 ところが,ジャン・クリストフ・スピノジさんの「田園」は,聴きなれたものとはずいぶんと違いました。テンポがある部分で非常にゆっくりとなったり,わずかな休符があったりと,おそらく,賛否両論だったことでしょう。団員さんも出るタイミングを合わせるのが大変そうでした。お客さんにも戸惑いがありました。しかし,NHK交響楽団の某指揮者のように,最初から最後までものすごいスピードで駆け抜けるだけなのとは全く違い,指揮者の主張がはっきり出たもの,と考えると,これはこれでありだと私は思いました。 

 なお,今回の演奏会では,コンサートマスターがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1ヴァイオリン奏者である町田琴和さんが務めました。
 ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州のロイトリンゲンを拠点とするオーケストラであるロイトリンゲン・ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団(Württembergische Philharmonie Reutlingen)のコンサートマスターを務めたのち,1997年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1ヴァイオリン奏者として正式に加わったという経歴です。演奏は透明感があって芯のある音色が魅力ということです。現在,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団がジャパンツアーを行っていることから来日しているので,それが縁で起用されたようです。
 「今回初めてご一緒させていただきますが,弦も層が厚くて,管も素晴らしくてびっくりしました」とのことでした。

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【Summary】
I visited historic sites including Kiyosu Old Castle Park and the Okehazama Battlefield Park, exploring places linked to Oda Nobunaga. After touring nearby landmarks such as forts and memorials, I stopped by Odaka Ryokuchi, where the “Dino Adventure Nagoya” attraction features life-size animatronic dinosaurs, though it mainly appeals to children.

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 2025年11月20日,ふらりと清州城址へ寄ってみました。
 この地は,清須と清洲,ふたつの書き方があります。清須は現在の市名で,2005年に清洲町,新川町,西枇杷島町が合併して誕生したとき,清須市となりました。清洲は歴史的な表記で,江戸時代以降,城や地域名に清洲が使われるようになりました。しかし,戦国時代までは清須が主流だったようです。
 織田信長は1555年(弘治元年),清洲は尾張の中心地で交通の要衝でもあったことからから、那古野城から清洲城へ本拠を移しました。1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いに出陣したのも清洲城からでした。
 織田信長の時代の清洲城には天守は存在しておらず,織田信長の次男・織田信雄が城主になり,1586年(天正14年)に大改修が行われ,大天守,小天守,書院などが整備されたという記録があるそうでう。 その後,名古屋城の築城にともない,清洲城の建材は解体,移築されてしまいました。天守の一部は名古屋城の清須櫓に転用されました。
 現在の清洲城は,1989年(平成元年)に旧・清洲町の町制100周年を記念して建てられた模擬天守で,鉄筋コンクリート製の3重4階建ての望楼型天守です。また,建っている場所も,本来の城跡とは少しずれていて,五条川を挟んだ対岸にあります。
 私が行きたかったのは清洲古城跡公園でした。ここは,織田信長の時代にあった清洲城跡に広がる公園で,春には桜が満開になり,この季節は紅葉が美しいところです。織田信長と濃姫の銅像もあります。

 ということで,次に紹介するのは,桶狭間古戦場公園です。
 ここは,11月11日に行ってきました。すでに1度行ったことがあるのですが,今回は,近くにある大高緑地に行ったついででした。
 織田信長が今川義元の大軍を奇襲し劇的な勝利を収めた桶狭間の戦いの主戦場とされる場所は,現在,桶狭間古戦場公園となっていて,織田信長と今川義元の銅像や今川義元の墓碑,戦いの様子を再現したジオラマがあります。
 桶狭間の戦いの舞台は広範囲にわたっていて,古戦場跡や伝説地が点在しています。桶狭間古戦場公園以外にも,豊明市には桶狭間古戦場伝説地があります。また,信長が奇襲のために出陣したとされる善照寺砦跡,戦死者を弔う戦人塚(いくさびとづか)などがあります。そうした場所は,現在,特に何がある,というわけではありませんが,それでも,歩くだけで当時の気配が感じらて,楽しいものです。

 これらの史跡を巡ったあと,大高緑地に行ってみました。ここに何があるかというと,恐竜が動く探検型アトラクション「ディノアドベンチャー名古屋」が存在します。
 「ディノアドベンチャー名古屋」は,全長約900メートルの森の中を歩きながら,22種類の実物大恐竜に出会えるというものです。恐竜はセンサーの反応で,人が近づくとリアルに動いて鳴きます。おそらく,子供たちには人気でしょう。とはいえ,これだけ手の込んだものは管理が大変そうです。
 私が行ったのは平日だったので,私以外に来ている人はいませんでした。
 噂では,2025年の夏に沖縄県にできた「「ジャングリア沖縄」(JUNGLIA OKINAWA)」は,新感覚ジャングル×恐竜テーマパークで,最新のアニマトロニクス技術を使ったリアルな恐竜が登場して太古のジャングルを探検しているような体験ができるといいます。私は興味ないけど。

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【Summary】
I visited Ichinomiya Museum’s special exhibition on the Gifu Kaidō, a historic route once used to deliver ayu sushi to the shogunate. I also toured the Kiso River Museum, learning about local Sengoku-era figures such as Yamauchi Kazutoyo and the lost Kuroda Castle, whose sites and memorials remain in Ichinomiya.

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 2013年11月13日,脇本陣跡・旧林家住宅へ行ったその前,一宮博物館に寄りました。
 一宮博物館は,1987年(昭和62年),奇しくも11月13日に開館しました。一宮市の歴史や文化を伝えるため,妙興寺の境内に隣接する場所に建っています。これまで,数回,行ったことがあります。
 今回訪れたのは,特別展「岐阜街道」を見るためでした。
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 岐阜街道は「御鮨街道」と言われたのか?
 岐阜街道は美濃路の四谷追分(現在の稲沢市井之口)からわかれ,一宮,笠松を通り,中山道加納宿,岐阜に通じる約26キロメートルにわたる街道でした。
 御三家筆頭・尾張徳川藩から将軍家に献上される長良川の鮎の押し寿司(鮎鮨)を運ぶために「御鮨街道」「鮎鮨街道」と称されるようになりました。
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 前回書いたように,中山道と東海道を結んだ街道には美濃路がありましたが,もうひとつ,岐阜街道がありました。岐阜街道は,将軍上洛の道として利用され,尾張藩主の岐阜御成,江戸との聞を行き来する諸藩の通行など,鮎鮨以外にも様々な通行がありました。
 街道は,一宮宿などの宿場町が整備され,尾張藩主の徳川継友は,地蔵寺で休憩したという記録もあります。 現在では旧街道の面影を残す場所も少なくなっていますが,一宮市の本町通りや一里塚跡などにその痕跡を見つけることができます。
 というように,普段通る場所でありながら,このような歴史があることをこれまで知りませんでした。思った以上に,江戸時代は成熟した社会でした。

 さらに,11月22日,一宮市木曽川資料館に行きました。
 木曽川資料館は,この地で生まれた山内一豊を中心に,浅野長政,兼松正吉,奥村永福など一宮市ゆかりの戦国武将たちを紹介した展示があります。 建物は1924年(大正13年)建築の旧木曽川町会議事堂です。展示室は2006年にリニューアルされ,戦国時代の史跡散策のガイドにもなるように工夫されてるいます。
 木曽川町は,もともとは黒田村や玉ノ井村などが合併してできた町で,2005年(平成17年)に一宮市と尾西市と合併して,現在は,一宮市木曽川町になりました。
 1490 年ごろの明応年間に,五藤源太左衛門光正が黒田城を築きました。現在もこの地には五藤姓が多くあります。その後,山内一豊の父・山内盛豊が城主を務め,山内一豊は1545年にこの城で生まれました。1557年(弘治3年),織田信長に攻められて落城。黒田城での夜襲で長男・山内十郎は討死し,山内盛豊は1559年(永禄2年)に岩倉城落城時に亡くなったとされています。そして,山内一豊はこの地を離れることになりました。江戸時代には廃城となりました。現在,遺構は残っておらず,黒田小学校の北東に城門が再現され,「一豊立志像」が建てられています。
 また,法連寺には,山内盛豊と山内十郎の墓が本堂北側にあります。墓石は江戸時代中期に建てられたものです。境内には「山内一豊出生地」の碑もあります。

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【Summary】
I visited the former Hayashi Residence in Ichinomiya to enjoy quiet autumn foliage away from crowds. Located on the historic Minoji route, the estate once served as a sub-honjin and ferry administrator. Its early-20th-century stroll garden, with pond and stonework, offered a peaceful, beautifully turning landscape.

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 2025年11月13日。
 やっとやってきた秋。多くの場所で紅葉がきれいです。とはいえ,有名なところはどこも混雑していて,こころ休まるものではありません。そんなわけで,どこか,人のほとんどいない紅葉を楽しむところがないかと考えて,一宮市にある旧林家住宅にある旧林氏庭園に行ってみることにしました。自宅からさほど遠いところではないのですが,逆に近いが故,これまで,紅葉の時期に行ったことがありませんでした。

 美濃路は,江戸時代に整備された脇往還(わきおうかん)のひとつで,東海道の宮宿と中山道の垂井宿を結ぶ約58キロメートルの街道でした。地図を見るとよくわかるように,江戸から京へ行くとき,宮宿から七里の渡しを越え桑名宿を通ると,険しい伊賀越えをしないといけません。それに対して,琵琶湖の東岸を通る中山道のほうが容易に歩けるように思えます。しかし,東海道と中山道はつながっていないので,どこかで,中山道へ移動する必要があります。そのひとつが美濃路でした。
 私は,これまで,旧東海道,旧中山道,そして,旧美濃路をずいぶん歩いたので,そういった状況がとてもよくわかります。
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 美濃路は,古代の東山道の一部が起源で,尾張から美濃へ向かう重要なルートでした。東海道の七里の渡しは伊勢湾を船で渡る必要があって,馬と一緒に移動できない不便さがあったため,陸路で移動できる美濃路が重宝されました。
 美濃路のルートは,今の東海道本線や名神高速道路などの交通網となっています。
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 起宿は,木曽川沿いに位置する旧美濃路の宿場町で,尾張と美濃の国境にあたる交通の要所だったところです。江戸時代には将軍の上洛や朝鮮通信使の通行のために,270艘以上の船をつないだ長さは約850メートルの日本最大級の船橋が架けられたこともあります。今では,脇本陣跡にある旧林家住宅が保存・公開され,隣接する一宮市尾西歴史民俗資料館では宿場の歴史や美濃路の資料を見ることができます。
 林家は,1720年(享保5年)から明治維新まで起宿の脇本陣と木曽川の渡船を管理する船庄屋を務めていました。現在の建物は,1891年(明治24年)の濃尾地震で倒壊した脇本陣跡に再建されたもので,主屋は1913年(大正2年)に建てられました。さらに,昭和初期に江戸時代の屋敷構えを意識した裏座敷が増築され,脇本陣の格式を感じさせる造りになっています。
 春のドウダンツツジや秋の紅葉など,四季折々の風景が楽しめる旧林氏庭園は,10代目の林幸一が昭和初期に約10年かけて作庭した回遊式庭園で,心字池や全国から集めた石を使った石組みが見どころです。
 ほとんど来る人もいなかったので,色づきはじめた静かな庭園をこころ置きなく鑑賞することができました。

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【Summary】
I visited the Toyota City Art Museum and the newly opened Toyota City Museum before the NHK Symphony Orchestra concert. The art exhibition explored women artists’ “anti-action” responses in the 1950s–60s, though it felt abstract to me. The museums’ architecture and the deep-space exhibition, including real spacecraft, were impressive and enjoyable.

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 今回,NHK交響楽団の演奏会を聴きにいった豊田市民文化会館の隣に,豊田市美術館と豊田市博物館があります。そこで,演奏会の前に行ってみることにしました。
 現在,豊田市はトヨタ自動車の町として知られますが,江戸時代は挙母藩(ころもはん)でした。挙母藩主の居城は拳母城でしたが,拳母城は別名を七州城(しちしゅうじょう)といい,城が建てられた童子山の高台から,三河,尾張,美濃,信濃,伊賀,伊勢,近江7つの国が望めたことに由来していました。
 七州城跡は,隅櫓(すみやぐら)が復元され,公園として市民の憩いの場になっています。また,豊田市美術館と豊田市博物館の敷地の一部として整備されています。
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 譜代である挙母藩の藩主は,三宅家,本多家,内藤家の3家が時代ごとに交代していました。
 初代・三宅康貞は,1604年(慶長9年)に武蔵から入封し,衣藩を開いた人物で,その後,三宅康信,三宅康盛,三宅康勝と続き,1664年に田原藩へ転封され,幕府領となりました。
 1681年(天和元年)本多忠勝の曾孫である本多忠利が石川藩から衣藩に入り,衣藩を拳母藩と表記することを定めました。その後,本多忠次,本多忠央(ただなが)と続き,近江相良に移封されたのち,1749年(寛延2年)に内藤政苗(まさみつ)が上野安中藩から転封されてきました。以後,内藤学文(さとふみ),内藤政峻(まさみち),内藤政成(まさしげ),内藤政優(まさひろ),内藤政文(まさふみ),内藤文成(ふみなり)と続き,明治維新を迎えました。
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  豊田市美術館は,1984年(昭和59年)の豊田市総合計画からはじまり, 1993年に着工,1995年に開館しました。以前にも2度ほど美術展を見にいったことがありますが,すばらしいところという印象でした。
 今回は,「アンチ・アクション 彼女たち,それぞれの応答と挑戦」という美術展が行われていましたが,けっこう多くの人が来ていました。
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 「アンチ・アクション 彼女たち,それぞれの応答と挑戦」は,1950 から1960 年代の日本の女性美術家による創作を「アンチ・アクション」というキーワードから見直します。
 戦後,「アンフォルメル」(非定形)や「アクション・ペインティング」という力強い制作行為で知られた抽象美術が一世を風靡し,数々の女性美術家が台頭しました。しかし,豪快さや勇壮さといった男性性と親密なアクションが評価の中心になるにつれ,結果的に多くの女性美術家の作品が歴史から見落とされていくこととなりました。
 そこで,本展では「アンチ・アクション」のジェンダー研究の観点を足がかりに,草間彌生,田中敦子,福島秀子をはじめとした14人の美術家による作品およそ120 点を紹介します。
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という,私には,わかったようなわからないようなものでした。

 調べてみると,1950年から1960年代ごろ,日本の美術界では「アンフォルメル」(非定形)や「アクション・ペインティング」という,激しく絵の具をぶちまけたり身体を使って描くような表現が流行してたのですが,当時の社会では,それらは,男性的な価値観と結びつけられていました。そこで,女性作家たちは,「アクション」に対して、あえて違うやり方で応答したのです。
 それは,たとえば,草間彌生が,暴力的なアクションではなく,静かな執念で空間を埋め尽くす,繰り返しのドットや網目模様で内面の不安や強迫観念を表現しました。田中敦子は,電気回路を使った衣装「電気服」など,身体とテクノロジーの関係を探る作品で,アクションとは別の方向から「身体」を問い直しました。福島秀子は,布や糸,繊細な素材を使って,柔らかくも強い存在感を放つ作品を制作しました。
 このように,「アンチ・アクション」とは,男らしさが支配的だった表現形式に対する女性たちの静かで鋭いカウンターでした。
 といわれてもねえ…,作品は派手でなく,見せつけるのではなく,問いかけるような表現なので,私には???としか思えませんでした。

 そこで,さらに,そうした美術作品の見方から問い直してみることにしました。
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●「わからない」を楽しむ。
 美術には正解がないわけで,「これは何を意味してるのか?」「どう感じればいいのか?」そうした,「わからない」から,作品との対話のはじまります。
●「好き」「気になる」を大事にする。
 「気になる」「この色が落ち着く」「この形変で面白い」そういった感情や直感が鑑賞の入口となります。
●構図や色に注目してみる。
 安定感があって、宗教画や肖像画に多い三角構図,主役が真ん中にドン!とある日の丸構図などのの構図,赤と青,黒と白など,強いコントラストに注目して鑑賞します。
●「なぜこの形?」「なぜこの素材?」と問いかけてみる。
 現代アートは「なぜこれを選んだのか?」を考えると興味が湧きます。たとえば,布や糸を使っていたら「なぜ絵の具じゃなくて?」と考えてみると,作家の意図が見えてくるかもしれません。
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 禅問答のようです。
 いずれにしても,豊田市美術館は,建物は鉄とガラスのモダニズム建築で,水平・垂直のラインと自然光の取り入れ方が絶妙であって,展示室同士が少しずつ見えるように設計されていて,空間の中でそうした気配がつながっていくような構造になっていて,すばらしいものです。
 おそらく,この建物自体が最大の傑作のように思えました。

 隣接して,2024年に開館したばかりの豊田市博物館にも行ってみました。
 豊田市博物館は,旧豊田市郷土資料館や「近代の産業とくらし発見館」などの機能を統合し,市民とともに学び未来を考える拠点として構想されたもので,かつての愛知県立豊田東高等学校跡地に造られました。
 博物館というから,古い農機やらが展示されているのかと思っていたのですが,「深宇宙展-人類はどこへ向かうのか-」という特別展をやっていました。内容は,宇宙開発で,実際に帰還したソユーズ宇宙船などが展示されていて,これは,博物館というより科学館でした。
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 近年,新たな発見や技術により目覚ましい発展をとげている宇宙探査分野。
 アルテミス計画をはじめとした月面開発,小惑星探査,果ては火星での生活や宇宙旅行まで,最新技術や知見を実物や映像を通して紹介します。
 世界初公開となる有人与圧ローバーの実物大模型,「はやぶさ」と「はやぶさ2」が持ち帰った貴重な小惑星粒子なども公開します。
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 思った以上に楽しい時間をすごすことができました。
 最後に,カフェで,「宇宙ソーダ」と「月面着陸」という名前のケーキを楽しみました。

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【Summary】
Emanuel Ax offered a gentle, refined Mozart, though the hall felt too large. Payare’s passionate style suited other repertoire better, and “Ein Heldenleben” impressed less than past performances. Poor balance and the outdated, remote Toyota Civic Center left the concert feeling underwhelming despite the holiday weekend.

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 76歳のエマニュエル・アックスさんは温厚なおじいちゃん,という感じでした。
 エマニュエル・アックスさんは,2002年6月の定期公演Bプログラムでブラームスのピアノ協奏曲第2番を演奏して以来23年ぶりということです。
 2003年2月の定期公演Aプログラムで,イモージェン・クーパー(Dame Imogen Cooper)さんが今回と同じ曲をイギリス人らしく気品漂う上品な演奏をしたのをNHKホールで聴いたのを思い出しました。年齢を重ねたピアニストにモーツアルトの協奏曲第25番はとてもよく似合います。
 今回も,透明感と艶やかさでさわやかな雰囲気が漂いました。こうした室内楽のようなサロン調のものはとてもいいものですが,会場が大きく,それにふさわしいスケールでなかったのが残念でした。Bプログラムが行われたサントリーホールなら,もっとすばらしかったのでしょう。
 アンコールはショパンのワルツ第3番でしたが,これがとてもよかった。

 それに対して,ラファエル・パヤーレさんは,全身を使った情熱的なスタイルで,まさにラテン系でした。R・シュトラウスよりもふさわしい選曲があるのでは…,と思いました。
 「英雄の生涯」の最も注目すべき聴きどころは,コンサートマスターのソロです。長原幸太さんはよかったのですが,私は,コンサートマスターを会田莉凡さんが,指揮を沖澤のどかさんが務めた京都市交響楽団のすばらしい演奏を聴いたときの印象が強すぎて,それに比べたら,というのが率直な感想でした。
 それにしても,NHK交響楽団の演奏を聴くたびに思うのは,弦楽器と管楽器のバランスがよくないなあ,ということです。それはおそらく普段NHKホールのようなだだっ広いところで演奏をしているからなのかも知れません。

 豊田市には,豊田市駅前に1998年開館の豊田市コンサートホールがあります。ここは,クラシック音楽専用の本格ホールとして音響のよさが評判で,座席数は1,010席,パイプオルガンもあります。今回行われたのは,豊田市民文化会館で,1975年に豊田市文化芸術センターとして開館,1981年に大ホール棟を増築して現在の名称に変更されたもので,1,708席あります。
 この日,豊田市コンサートホールで別の演奏会が行われていたわけでないのに,豊田市民文化会館でNHK交響楽団の演奏会が行われたのは,おそらく,今回のプログラムのひとつにR・シュトラウスの「英雄の生涯」の大規模編成の曲であったことや,収容力を優先したもの,あるいは,主催が豊田市文化振興財団ということがあったのでは,ということですが,豊田市民文化会館は,豊田市駅から徒歩で30分程度かかることやホールが古い設計で,客席からステージが見上げるほど高いことなど,魅力のないところでした。それが理由かどうか,連休中にもかかわらず,会場は空席が目立ち,すごくもったいない気がしました。名古屋市の愛知芸術劇場コンサートホールでやれば満席なのに,と思いました。
 正直なところ,行ってよかった,という気持ちにはなりませんでした。せっかくのNHK交響楽団が気の毒でした。

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【Summary】
I attended the NHK Symphony Orchestra’s concert in Toyota on November 23, 2025. Payare conducted a compelling program of Schumann, Mozart, and Strauss. Ax performed the Mozart concerto with refinement, and concertmaster Nagahara delivered impressive solos in Ein Heldenleben. It was a satisfying substitute for missing Nagoya performances.

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 NHK交響楽団がここ数年名古屋公演を行っていません。定期会員が上席を抑えてしまっている東京の定期公演にくらべて,席がとりやすいので,私は重宝していたのですが,残念です。
 名古屋公演を行わない,あるいは,行えない理由が定かでないのですが,AIによると
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 明確な理由は,公開された情報からは確認できませんでした。ただし,いくつかの背景が考えられます。
●地域公演の分散化
  NHK交響楽団は全国各地で公演を行っていますが,愛知県内では名古屋市内ではなく,例えば豊田市など県内の他の都市で公演が予定されることがあります。これは,愛知県内での聴衆の需要や会場の利用可能性を考慮した結果かもしれません。
●他のオーケストラとの兼ね合い
 名古屋市には,東海地方を代表するプロ・オーケストラとして名古屋フィルハーモニー交響楽団が存在し,活発に活動しています。NHK交響楽団の名古屋公演が少ないのは,地域に根ざした名古屋フィルハーモニー交響楽団の活動とのバランスや,興行的な調整の結果である可能性も考えられます。
●会場のスケジュール調整
 名古屋市内の主要なコンサートホール(愛知県芸術劇場コンサートホールなど)は人気が高く,国内外の様々な公演でスケジュールが埋まっています。
 NHK交響楽団の希望する日程と会場側の空き状況が合わない可能性もあります。
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 結論として,特定のトラブルや名古屋を避けているといった事情ではなく,全国ツアーのスケジュール編成や興行的な判断,地域との調整の結果として,たまたまここ数年名古屋市内での公演が実現していないと考えられます。
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 果たして,真相はいかに? 私は,会場の確保ができない,というのが理由だと思います。

 という次第ですが,2025年11月23日,豊田市民文化会館でNHK交響楽団の公演があったので,行ってきました。曲目は,シューマンの「マンフレッド」(Manfred) 序曲,モーツァルトのピアノ協奏曲第25番,R・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」でした。これは,11月の定期公演Bプログラムをそのままもってきたもので,地方公演にはとてもふさわしい曲目でしょう。
 「英雄の生涯」では,コンサートマスターのソロが圧巻で,聴きごたえがあります。私は,先日,京都市交響楽団で,コンサートマスターを務めた会田莉凡さんに圧倒されたので,これが一番の楽しみでした。今回のコンサートマスターは,長原幸太さんでした。
 指揮はラファエル・パヤーレ(Rafael Payare)さんで,私はおそらくはじめてでした。調べてみると,5年前の2020年2月のCプログラムで,オールショスタコービッチプログラムを指揮したことがあるようです。
  ・・・・・・
 ラファエル・パヤーレさんは1980年にベネズエラのプエルト・ラ・クルス(Puerto La Cruz=十字架の港)で生まれた指揮者で,情熱とダイナミズムにあふれた音楽づくりで世界的に注目されている存在です。もともとはフレンチ・ホルン奏者で,シモン・ボリバル交響楽団の首席奏者として活躍。2004年から指揮の道へ進みました。
 現在はモントリオール交響楽団とサンディエゴ交響楽団の音楽監督を務め,後期ロマン派の作品,特に,R・シュトラウスやマーラーを得意としています。
 演奏はエネルギッシュで,細部まで緻密に作り込まれ,聴く人を引き込みます。
  ・・・・・・
 そして,ピアノはエマニュエル・アックス(Emanuel Ax)さん。こちらもまたはじめてかも。
  ・・・・・・
 エマニュエル・アックスさんは,詩的で知的な深みを持つピアニストとして世界的に高く評価されています。1949年に,現在のウクライナのリヴィウで生まれ,ユダヤ系ポーランド人の家庭で育ちました。6歳でピアノをはじめ,1974年のルービンシュタイン国際ピアノコンクールでの優勝をきっかけに国際的なキャリアが花開きました。
 演奏は繊細なニュアンスと温かみのある音色が特徴で,バッハから現代音楽まで幅広いレパートリーを持っています。特に,ベートーヴェンやブラームス、ハイドンの作品での解釈は,知的でありながら感情豊かで聴く人を魅了します。
  ・・・・・・
 さて,どんな演奏会になったでしょうか。

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【Summary】
I visited the Setuko Migishi Art Museum in Ichinomiya to see the special exhibition marking her 120th birth anniversary, featuring works by her teacher Saburōsuke Okada. His elegant, softly colored portraits of women impressed me, especially those modeled by Migishi. After viewing the artworks, I enjoyed a quiet moment in the museum café.

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 2025年11月13日,一宮市三岸節子記念美術館で「三岸節子生誕120年記念特別展 岡田三郎助,優美な色彩・気品ある女性像」を見ました。
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 一宮市三岸節子記念美術館は,1905年に生まれ,1999年に亡くなった洋画家・三岸節子の画業を顕彰するため,1998年(平成10年)に,彼女の生家跡に建てられた美術館です。
 かつての織物工場を思わせる「のこぎり屋根」や現存する土蔵を活かしたアトリエ展示室,ヴェネチアをイメージした水路など,三岸節子の思い出が随所にちりばめられたもので,三岸節子の代表作「自画像」や、晩年に描いた大作が展示されています。
  ・・・・・・
 ここはとても落ち着くところで,広い館内でゆっくりと作品を鑑賞することができます。また,カフェが併設されているのも私が気に入っている点です。

 今年,2025年(令和7年)は,三岸節子の生誕120年,二十歳の「自画像」が描かれてから100年の年にあたります。これを記念して,三岸節子が若きころに師事した洋画界の巨匠・岡田三郎助の画業を紹介する展覧会が行われています。
  ・・・・・・
 1869年(明治2年),佐賀藩士の家に生まれた岡田三郎助(おかださぶろうすけ)は,幼いころに上京し,寄寓した旧藩主の鍋島直大邸にあった百武兼行の油絵を見て洋画に関心をもつようになりました。その後,岡田家の養嗣子となり,曾山幸彦に洋画の指導を受けました。
 1895年(明治28年)に黒田清輝,久米桂一郎が指導する天真道場に入門。翌年,白馬会の創立に参加するとともに,東京美術学校に新設された西洋画科の助教授に就任しました。
 1897年(明治30年),文部省初の留学生としてフランスに渡ると,ラファエル・コランの下で外光派の作風を学び,帰国後,東京美術学校教授。女子美術学校西洋画科の嘱託教授を勤め,三岸節子などのちに女性洋画家の先駆者となる生徒たちを指導しました。
  ・・・・・・
 岡田三郎助の画風は,絹のように柔らかく気品に満ちています。
 繊細な色彩で描かれた女性像は静けさと品格をたたえていて「美人画の岡田」と称されているそうで,私は,とても気に入りました。展覧会では,三岸節子をモデルとした作品がありました。
 室内の光が膝を照らす描写など,光と空気感の扱いが見事で,師ラファエル・コランから学んだ柔らかな色調を日本的な美意識と融合させて独自のスタイルを築きました。

 多くの作品を鑑賞した後,お気に入りのカフェで静かな時間を過ごすことができました。

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【Summary】
The Tokugawa Art Museum’s 90th-anniversary exhibition presents the fully restored 12th-century Tale of Genji picture scrolls. I can view all surviving sections, appreciating their refined Yamato-e style, emotional “hikime-kagibana” expressions, and “fukinuke-yatai” spatial design, which together reveal the characters’ inner feelings and relationships.

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 徳川美術館は,名古屋市にある尾張徳川家の大名文化を今に伝える美術館です。 開館は1935年(昭和10年)で,尾張徳川家19代当主・徳川義親によって設立されました。美術館本館は帝冠様式の建築で,城壁風の外観と緑釉瓦の屋根が特徴的です。最大の所蔵品は国宝「源氏物語絵巻」で,それ以外にも,刀剣,茶道具,能装束,婚礼調度など大名道具約1万件以上を収蔵,また,徳川家康の遺品や初代・徳川義直から代々の遺愛品も多数あります。
 私が高等学校に通っていたころ,徳川美術館にはまだ行ったことがなかったのですが,ここに「源氏物語絵巻」があると授業で聞いて,一度見たいものだと思いました。しかし,「源氏物語絵巻」はいつも見ることができるわけではありません。その「源氏物語絵巻」が,現在,10年ぶりに公開されているので,私も,2025年11月18日,10年ぶりに見てきました。

 今回の特別展は徳川美術館開館90周年記念として行われているものです。 
 平安時代の11世紀,関白藤原道長の娘である中宮彰子に仕えた女房・紫式部は「源氏物語」を著し,主人公光源氏の生涯を軸に平安時代の貴族の世界を描きました。「源氏物語絵巻」は,この「源氏物語」を絵画化した絵巻で,物語が成立してから約150年後の12世紀に誕生した現存する日本の絵巻の中で最も古い作品です。
 「源氏物語」54帖の各帖より1場面から3場面を選び絵画化し,その絵に対応する物語の本文を書写した「詞書」を各図の前に添え,「詞書」と「絵」を交互に繰り返す形式の,当初は10巻程度の絵巻であったと推定されています。「詞書」も「絵」も作者は不明ですが,「詞書」の書風の違いから5つのグループによる分担制作かといわれます。また,「絵」の筆者は,平安時代の優れた宮廷絵師であった藤原隆能と伝えるところから,この絵巻を「隆能源氏」ともよびます。日本独自のやまと絵の技法で,繊細な色使いや優雅な人物描写が特徴です。特に,衣装の文様や色彩が美しいものです。また,吹抜屋台(ふきぬけやたい)という,建物の屋根を取り払ったような構図で,室内の様子を上から覗き見るように描かれています。

 徳川美術館に「源氏物語絵巻」が伝わったのは尾張徳川家の所蔵品として受け継がれてきたというのが経緯です。12世紀前半に制作されたのち,長い年月を経てさまざまな大名家を転々とし,江戸時代初期に,3巻が尾張徳川家に,1巻が阿波蜂須賀家に伝来しました。しかし,蜂須賀家本は江戸時代末期に民間に流出していまい,そのうちの3帖分が,現在,五島美術館が収蔵しているものです。
 このような経緯で,現在,「源氏物語絵巻」は,54帖全体の約4分の1,巻数にすると4巻分,12帖分19場面が現存し,「絵」と「詞書」が揃っているのは,蓬生(よもぎう),関屋(せきや),柏木(かしわぎ),横笛(よこぶえ),鈴虫(すずむし),夕霧(ゆうぎり),御法(みのり),竹河(たけかわ),橋姫(はしひめ),早蕨(さわらび),宿木(やどりぎ),東屋(あずまや)で,このうち「鈴虫」「夕霧」「御法」の3帖が五島美術館にあるものです。さらに,絵が失われて詞書だけが残っている「絵合」(えあわせ)や,断簡として残る「若紫」などを加え,全体では20帖分が確認されています。
 もともと,源氏物語絵巻は巻物(巻子装)でしたが,1932年(昭和7年),巻いたり広げたりするたびに傷むのを防ぐためとして,尾張徳川家19代・徳川義親が絵と詞書を切り離し額装に改装しました。しかし,額装にしたことで逆に劣化が進んでしまい,桐の額が収縮し,しわや縦折れ,絵具の剥落,紙の亀裂などが発生してしまいました。
 そこで,2016年から5年かけて,劣化した部分の補修,絵具の定着処理,紙の補強など 本格的な修復作業が行われました。そして,本来の姿である巻物形式に戻されました。
 今回の展覧会では,徳川美術館が所蔵するものと,五島美術館の所蔵するものを合わせて,全点一挙公開になっています。

 会期は2025年11月15日から12月7日までという短期間で,休日はとんでもなく混雑するだろうから平日なら,ということで,11月17日に行ってきたわけです。午前10時からなので,9時30分ころに着いたのですが,すでに,予想以上に長蛇の列ができていました。しかし,午前10時に開館すると,流れが早く,すぐに入ることができました。
 会場の前半は,常設展で,ここはすでに前回見ているので,通過しました。多くの人たちは,ここで時間をとっていたので,すぐに特別展の会場にたどり着きました。特別展の会場は,前列でじっくりと目の前でみることができるように配慮されていたので,会場に入るのに,けっこうな列ができていました。急ぎの人は並ばずに入れるのですが,ロープの仕切りができていて,後方から人の頭越しに見るようになっていました。
 前回見たときに比べて,私は,歳をとっただけ知識が増していたこともあり,また,現代訳ですが,瀬戸内寂聴さんの書いた「源氏物語」をすべて読んだことがあり,さらに,昨年の大河ドラマ「光る君へ」で,「源氏物語」への興味が増していたので,とても興味深く鑑賞することができました。それにしても,1,000年近くも昔に描かれたものがこうして目の前にあるということに感動しました。

 鑑賞するポイントは
  ・・・・・・
●詞書と絵の「間」を読む。
 「源氏物語絵巻」は,詞書(ことばがき)を読んでからその内容に対応する絵を見る構成になっています。新聞小説のようなものです。そこで,詞書と絵の「間」にある時間の流れや感情の変化を想像して,詞書では語られていない登場人物のこころの動きや,表情,しぐさを鑑賞すると興味が増します。
●「引目鉤鼻」(ひきめかぎばな)の表情に注目する。
 登場人物の顔は目が細くて鼻が鉤のように描かれています。これを「引目鉤鼻」といい,これは,写実ではなく理想化された美を表現するためのもので,特に貴族階級の人物に使われ,高貴さや内面の情緒を静かににじませるための工夫です。たとえば,うつむく姿勢は悲しみや恥じらい,背を向けるのは拒絶や戸惑いを表しているというように,よく見ると,顔の角度や体の向き,衣のたたずまいで,繊細な感情表現がされています。
●空間の描き方を味わう。
 「吹抜屋台」(ふきぬけやたい)という技法で,建物の屋根を取り払って室内を上からのぞき見るように描かれていますが,この構図によって,登場人物の関係性や距離感,緊張感が視覚的に伝わってくるようになっています。たとえば,同じ部屋にいても,屏風や柱で仕切られていたり,視線が交わらなかったりすることから,こころの距離を感じることができます。
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 鑑賞後,ほとんど人のいなかった併設された「ザ・ミュージアム」カフェで,徳川園の庭園を眺めながら軽食を楽しみました。これがまたいい。

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【Summary】
I visited Jogashima and returned by bus through Miura’s hilly streets, eventually reaching Yokosuka and then Shinjuku. With time before the NHK Symphony concert, I stopped by “Zaroff” in Hatsudai to see photographer Beniko’s exhibition. I met her again, spoke briefly, though I felt awkward not buying anything this time.

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 2023年11月25日というから,今から2年ほど前のことになります。そのときのブログに
  ・・・・・・
  何だかんだで,西荻窪駅に着きました。「西荻窪ことカフェ」は西荻窪駅から5分くらいの商店街のなかにありました。「西荻窪ことカフェ」は「あさ市のようなシェアスペース」として,だれでも借りて出品できるのだそうです。東京にはユニークな場所があるものだなあ,とうらやましくなりました。奥まったところで紅子さんが写真集を売っていたので,購入してサインをしてもらい,お話をして,一緒に写真を写しました。
  ・・・・・・
と書きました。

 今回,城ケ島へ行った私は,再び,白秋碑前からバスに乗って,三崎港に戻りました。三崎港から三崎東岡まで散策して,再びバスに乗りました。それにしても,三浦市はほんとうに坂ばかり。私のイメージとは大違いでした。やってきたバスは横須賀駅行きだったので,三崎口で降りる予定を変更して横須賀駅まで乗り越すことにしました。町の様子を知るには,こうしたバスに揺られるのが一番なのですが,あまりに時間がかかりました。そして,車内はずっと混雑していました。住むところじゃないなあ,と思いました。
 やがて横須賀中央のバス停に停まったので,ここでバスを降りて,京急電鉄に乗り換え,さらに,横浜駅でJR湘南新宿ラインに乗り換えて,新宿で降り,ここまら初台まで京王新線に乗り換えました。私は,NHKホールが目的地なのですが,演奏会まではまだ2時間ほどあったので,初台の「Zaroff」という喫茶&画廊でやっている紅子写真展に寄ってみようと思ったのです。

  ・・・・・・
 1972年生まれの紅子さんは,若いころは家庭環境のせいもあって苦労し,吉原の高級ソープランドに勤めたこともある人で,現在は色街写真家を自称し,風俗街,赤線,遊郭跡地を撮影し,写真集にして発表するほか,YouTuberとしても活動しています。
  ・・・・・・
ということで,再び紅子さんにお会いし,少しお話をしました。
 とはいえ,何も買わず,単なる冷やかし客では,内心,およびでないのかもしれませんけれど。

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【Summary】
Visiting Jogashima, I enjoyed a tuna–whitebait bowl at a quiet local restaurant before walking east toward the Hakushū Kitahara monument. Reflecting on his life, I recalled visiting his birthplace in Yanagawa and learning that he wrote “Rain on Jogashima” in 1913, inspired by the island’s misty scenery during a period of personal turmoil.

######
 もっと長い距離だと思ったのですが,あっという間に城ケ島の西端に着きました。ちょうどお昼だったので,食事をしようと,お店を探しました。四つ角に「いけだ」という店があって,人が並んでいました。私は,並ぶ店には入りません。その右隣に「倉吉丸」という店があって,店内にだれもいませんでした。私は,躊躇なく「倉吉丸」に入りました。
 何がおすすめ,と聞くと,マグロシラス丼と即答。そこで,マグロシラス丼を注文しました。
 ワンオペで少し時間がかかりましたが,とてもおいしいマグロシラス丼でした。
 帰宅後,ネットで調べると,「いけだ」の口コミ点数3.8,「倉吉丸」は4.2でした。

 おなかを満たし,城ケ島を今度は東に,北側の道路を歩きました。
 目的地は白秋碑でした。
  ・・・・・・
 北原白秋(きたはら はくしゅう)は,詩人・歌人・童謡作家。本名は北原隆吉。
 1885年に熊本県で生まれ,福岡県柳川市で育ちました。詩は繊細な感情や自然の描写に満ちていて,音楽的なリズムが特徴的です。童謡の世界でも,「この道」「からたちの花」「雨ふり」などの作品があります。
 若いころから文学に熱中して中学を中退。早稲田大学に進学するも途中で辞めて詩作に没頭しました。
  ・・・・・・
 と,ここまで書いてきて,私は,2023年の春,柳川市の北原白秋の生家と「北原白秋記念館」に行ったことを思い出しました。そして,そのとき,北原白秋が城ケ島に住んだことがあると知りました。
 そうです。北原白秋の代表作のひとつに「城ケ島の雨」があるのです。
  ・・・・・・
 「城ヶ島の雨」は,三崎町に移り住んでいた北原白秋が対岸の城ヶ島を題材に詠んだ詩で,1913年(大正2年)に発表されました。
 北原白秋は,当時,姦通罪で訴えられ収監されるというスキャンダルに見舞われ,世間から非難を浴びました。そんな失意の中で移り住んだ三崎の地で,雨にけぶる城ヶ島の風景に自らの心情を重ねてこの詩を書きました。
 舟がゆっくりと進む描写や忍び泣きのような雨音が静かで切ない情景を浮かび上がらせているこの詩にメロディがつけられ,芸術座の音楽会で発表されたとき,作曲者の梁田貞自身が独唱をしました。
  ・・・・・・
 この詩を刻んだ碑が海岸にありました。

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【Summary】
I explored Jogashima expecting lava plateaus but found coastal cliffs shaped by marine erosion. After visiting the cormorant lookout—where only kites appeared—I continued to the “Umami-no-se Dome,” the island’s natural sea arch. Walking along the shoreline revealed scenic wave-cut terraces and a clear view of Mt. Fuji.

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 城ケ島といって,私が知っているというか,よく写真で紹介されているのが,ハワイ島のような溶岩台地の写真です。しかし,城ケ島大橋を渡っても,それらしきところはなくて,単なる漁港でした。いったい,私がイメージしていた景色はどこにあるのか? そう思いながら歩きはじめました。観光館内所でもらった地図を見ると,島の北側の海岸線は舗装された道路が続いていて,南側は海岸に沿ってハイキングコースとなっているようでした。そこで,南側を歩くことにしました。
 まず見つけたのが,ウミウの生息地と展望台でした。
  ・・・・・・
 城ケ島はウミウの越冬地として有名です。
 毎年11月ごろから翌年4月ごろにかけて,約2,000羽ものウミウが渡ってきて,島の断崖で羽を休めます。その姿はまるで黒い波が岩にとまっているようで圧巻です。ウミウ展望台からは,群れで過ごすウミウの様子を見ることができます。
  ・・・・・・
 ということだったので,展望台に行ってみたのですが,飛んでいるのは,どうやらウミウではなく,トンビのようでした。11月とはいえ暖かく,未だ,ウミウはやって来ていないように思えました。それとも,私が見つけられたなかったのか?
 よく似た風景を,アイスランドで見たことがあるのを思い出しました。そこに群れていたのは,ニシツノメドリ((Puffin)という鳥でした。アイスランドのパフィンウォッチングの期間は6月から9月まで。ちょうどそのシーズンに行ったことになります。

 さらに歩いていくと,「馬の背洞門」(うまのせどうもん)と書かれた標識を見つけました。それに従って階段を海岸に降りて行くと,そうそう,そこが,私がイメージしていた城ケ島だったのです。
  ・・・・・・
 馬の背洞門は城ケ島南岸の赤羽根崎にある壮大な自然のアーチで,長い年月をかけて波や風の浸食によって形成された海食洞穴です。洞門の上部が馬の背中のような形をしていて自然が彫刻したようになっています。軟岩で亀裂が入っていて崩落の危険があるため,上部への立ち入りは禁止されています。 
 この洞門は,三浦層群三崎層という約1,200万年前の堆積岩が波に削られてできたもので,地震による隆起も関係し,実際,関東大震災のときに城ケ島は約1.7メートル隆起した記録もあるということです。
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 犬の散歩をしていた人が,ずっと先まで歩くことができると言ったので,そこから海岸を歩きました。実は,城ケ島の大地は溶岩台地ではなく海食台地でした。
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 城ケ島は,溶岩台地というより,海食によって形成された海食台地(海食崖)です。
 城ケ島の地質は主に三浦層群とよばれる堆積岩でできていて,およそ300万年前から100万年前の新第三紀から第四紀にかけての地層です。
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 天気がよく,遠くには富士山もきれいに見えました。

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【Summary】
I visited Tokyo on November 14, 2025, for an NHK Symphony concert and decided to explore Jogashima in the morning. After taking the Keikyū Line to Misakiguchi and a crowded bus across the bridge, I walked through Jogashima Park to Awazaki Lighthouse, enjoying the clear weather and views of Mount Fuji.

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 2025年11月14日,NHK交響楽団の定期公演を聴きに東京へ行ったのですが,定期公演は夜なので,午前中どこへ行こうか考えました。当初,きっと紅葉が美しいだろうから,奥多摩へ行ってハイキングをしようと思ったのですが,周囲が口々に,クマが出るからやめろ,というので,考えを変えました。そこで,以前から,一度行ってみたいと思いつつ,なかなか行くことができなかった城ケ島を目指すことにしました。
 私は,房総半島,三浦半島,伊豆半島,能登半島,男鹿半島などなど,〇〇半島というところ,つまり,とがっているところに行ってみたいと思っていて,これまで順にほとんど制覇していきました。ただし,三浦半島は,その途中に,金沢文庫,横須賀港,浦賀港といった歴史的に有名な場所が数多くあり,まずそうした場所に行くことになって,なかかな三浦半島の先端まで行くことができずにいました。しかも,三浦半島の公共交通の詳細を知らなかったので,はじめはJRを利用していたのですがえらく時間がかかり,三浦半島は京急電鉄のほうが便利だということを知りました。ただし,京急電鉄の乗り心地の悪さは特筆ものです。また,三浦半島の先端に行くには,終点の三崎口駅まで行っても,その先がけっこう大変だということもわかりました。

 まあしかし,その程度の知識しかもち合わせていないのでした。
 この日は快晴。名古屋から東京に来るときの新幹線からは,美しい富士山がきれいに見えました。品川駅で降りて,京急電鉄に乗り換えました。京急電鉄の品川駅は,愛知県を制覇する名鉄電車の名鉄名古屋駅のように混とんとしていて,よそ者にはよくわからないものです。駅員さんに聞いたらとても親切に教えてもらえて,言われた通り赤色の線が引かれたところで列車を待つと,ほどなく久里浜駅行きの特急がやって来たので乗り込みました。
 やがて,久里浜駅に着いて,そこで乗り換えて,三崎口に到着しました。駅前に観光案内所があったので聞いてみました。三浦半島の先端には,三崎港があって,食事やショッピングをするならそこまでバスで行くといいと言われましたが,私は,食事やショッピングには興味がなく,その先の城ケ島の自然を見たいと思っていたので,改めて聞いてみると,ならば,城ケ島に渡ったところにある白秋碑前というバス停で降りて,城ケ島を歩いて観光するといい,と言われました。
 私は,レンタサイクルがあるということは事前に知っていたので,レンタサイクルを借りるつもりだったのですが,坂ばかりだからやめておいた方がいいと強く言われました。どういう理由かは知らねど,とても貸したくなさそうでした。どうしてだろう? まあ,詳しい人にそう言われるのならと,城ケ島行きのバスに乗り込みました。平日なのに,バスは観光客で異常に混んでいましたが,三崎港に着くと,ほとんどの乗客が降りていきました。

 私はそのまま乗り続け,城ケ島大橋を渡りきると,白秋碑前に着きました。
 まず,ここから東に,城ケ島公園,そして,先端の安房埼灯台を目指して歩きました。けっこうな距離でした。先日行った宮古島を思い出しました。快晴が幸いし,展望台から美しい富士山を見ることができました。紅葉はなかったけれど,その代わり,(おそらく)シャクナゲが咲いていました。

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【Summary】
Ravel’s Daphnis et Chloé was performed complete, its shimmering “Dawn” and exuberant final dance creating a dreamlike atmosphere with wordless chorus. Though musically superb, the concert started the second half very late, stretching the evening and diminishing the audience’s ability to enjoy the post-concert mood at NHK Hall.

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 後半はバレエ音楽「ダフニスとクロエ」(全曲)です。
●バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(全曲)
 「ダフニスとクロエ」は,ラヴェルがロシア・バレエ団を率いるセルゲイ・ディアギレフの依頼を受けて作曲したバレエ音楽です。
 1909年,ラヴェルはバレエ・ダンサー兼振付師のミハイル・フォーキンが3世紀ごろのギリシアの作家ロンゴスの叙情詩を基に書いた台本によるバレエ「ダフニスとクロエ」に着手しました。しかし,作曲は難航し,初演は1912年にようやく行われました。
 全体は1幕3部からなります。
  ・・・・・・
第1部 パンの神(牧神パン)とニンフの祭壇の前
 若い男女が祭壇に供え物をして礼拝していると,羊飼いのダフニスとクロエが登場します。
 牛飼いのドルコンがクロエに言い寄り,ダフニスは嫉妬します。ダフニスとドルコンは踊りで勝負し,勝った方がクロエの接吻を受けることにします。
 ドルコンのぎこちない踊りに対し,優しく軽やかに踊るダフニス。彼はクロエから約束の熱い接吻を受けて恍惚となります。しかし,その後,海賊が来襲し,クロエはさらわれてしまいます。
 それを知って絶望するダフニス。そこに3人のニンフが現れて倒れているダフニスに気づき,彼を蘇生させ,パンの神に祈らせる。すると,パンの神が姿を現わします。
第2部 海賊ブリュアクシスの陣営
 海賊の首領の前に連れて来られたクロエは,踊りながら脱出の機会をうかがうのですが失敗し,あわやというところで,突然パンの神の巨大な幻影が現れ,海賊たちは逃げ去ってしまいます。
第3部 祭壇の前
 ダフニスとクロエの感動的な再会となります。
 老羊飼いが,パンの神はかつて愛したシリンクスの思い出ゆえに,クロエを助けたのだと説明します。祭壇の前でふたりは愛を誓い,パンの神とニンフを讃えて熱狂的に踊ります。
  ・・・・・・
 第3部の冒頭に登場する「夜明け」(Lever du jour)は,ヴェルのオーケストレーションの妙が光り,朝もやの中で少しずつ光が差し込むような音の移ろいが水面に反射する光のように繊細で美しく,フルートやハープ,弦のさざ波のような響きがします。また,フィナーレを飾る「全員の踊り」(Danse générale)は,エネルギーが爆発するようなリズムと色彩感が魅力で,ラヴェルが「舞踏交響曲」とよんだように,音楽が踊ります。また,今回は合唱がついていましたが,この作品では,歌詞のない合唱を楽器のように使い,音の霧のように幻想的な雰囲気を作り出す役割を果たしました。
 このように,夢の中にいるような時間となりました。

 演奏会自体はよかったのですが,60分に及ぶ大曲なのに,後半のはじまりが遅すぎたのです。休憩時間が30分以上あって,会場にすべての観客が座って待っているのに,なかなかはじまりません。前半が終わったのが午後7時35分ごろで,後半が始動しはじめたのが午後8時10分ごろ。それから合唱団,そしてオーケストラがステージ上いっぱいに入りはじめました。
 そして,やっと曲が終わったのが午後9時10分ごろでした。何かアクシデントがあったのか,と思いました。
 これまでも,シャルル・デュトワさんが指揮をするときは,はじまりが遅かったり,演奏会自体が長かったり,そんなことが頻繁にありました。今はFMでの生放送がなくなったので心配はないのですが,もし,生放送があったら,とても番組枠に入りません。多くの観客は,カーテンコールもそこそこに,演奏会の余韻を楽しむでもなく,足早に会場を後にしました。
 演奏会に足を運ぶというのは,会場に来るときから,曲の終了後の余韻までが楽しくなくては,と私は思うのですが,そもそも,NHKホールは,終了後に騒音だらけの代々木公園を横切るだけでもそれまでの雰囲気がぶち壊しなのに,演奏会自体が長引いて,余韻を楽しむことすらできないようではいただけません。

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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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【Summary】
The concert featured Ravel works conducted by Charles Dutoit, returning to NHK Symphony’s subscription series after eight years. His refined interpretation highlighted Pavane pour une infante défunte and Le Tombeau de Couperin. Dutoit’s signature elegance and the orchestra’s vivid colors created a nostalgic yet fresh atmosphere, closing the first half memorably.

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 2025年11月14日に行われたNHK交響楽団第2049回Cプログラムを聴きました。
 曲目は,「ラヴェル生誕150年」と銘打って,「亡き王女のためのパヴァーヌ」「Pavane pour une infante défunte」,組曲「クープランの墓」(Le Tombeau de Couperin),バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(Daphnis et Chlo)(全曲)でした。それより何より,指揮が名誉音楽監督のシャルル・デュトワ(Charles Édouard Dutoit)さん。実に8年ぶりの定期公演登場でした。
 シャルル・デュトワさんがしばらくNHK交響楽団を指揮しなかったのは,2017年に報じられたセクハラ疑惑がきっかけでした。その影響で,予定されていた定期演奏会の出演がキャンセルされ,それ以降,しばらく日本の楽壇から距離を置くことになりました。その後,2019年に大阪フィルハーモニー交響楽団に登場するようになり,2024年10月30日に行なわれたNHK音楽祭2024で,ラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」(Ma Mère l’Oye),ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番,ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」(Le Sacre du printemps)を振って復帰し,ついに,NHK交響楽団の定期公演に戻ってきました。
 どうやって復帰させるか考えて,NHK音楽祭にそっと登場させたら観客に抵抗がなかったので,晴れて定期公演に,という段取りだったのでしょう。十八番の「春の祭典」は,やはり,シャルル・デュトワありてこそ,を印象づけました。
 とはいえ,若々しい,というか,もともと年齢不詳? のようなシャルル・デュトワさんもすでに89歳となりました。今から20年以上前,私がNHK交響楽団の定期公演に熱心に通っていたころ,シャルル・デュトワさんの指揮する公演は,いつも,来てよかった,と思ったことでした。この感動を再び味わうことができるということで,期待をもって会場に足を運びました。

 今回のラヴェルプログラムも,シャルル・デュトワさんお得意のものです。
 緻密で洗練されたラヴェルの作風をストラヴィンスキーは「スイスの時計職人」と評しました。「職人」シャルル・デュトワにとって,精巧に作られたラヴェルの作品が,いかなる名品もそれを持っている人次第のように,最も腕の振るい甲斐のある素材といえるでしょう。
 特筆すべきは,「ダフニスとクロエ」が本来の合唱付きで演奏されることで,もともと,ラヴェルはディアギレフの求めに応じて合唱抜きの管弦楽版を作ったものの,合唱が作品の重要な構成要素だと考え,主要な上演においては合唱を加えるよう求めていたということです。このようなスケールの大きな演奏会は,シャルル・デュトワさんが音楽監督のころによく行われたものです。

●亡き王女のためのパヴァーヌ
 原曲は,1899年にラヴェルがパリ音楽院在学中に作曲したピアノ曲で,作曲者自身が意外に感じるほどの好評を得,1910年に管弦楽に編曲されました。パヴァーヌとはスペイン起源の宮廷舞曲です。「亡き王女のための」という題名はフランス語の響きに惹かれて命名したものです。
 管弦楽編曲版は小規模なオーケストラのために書かれ、薄く透けるようなオーケストレーションがなされ,哀愁を帯びた典雅な雰囲気がただよいます。いかにもデュトワサウンド,という感じで,とても懐かしくなりました。

●組曲「クープランの墓」
 原曲はラヴェルが1914年から1917年にかけて作曲した,前奏曲,フーガ,フォルラーヌ,リゴードン,メヌエット,トッカータの全6曲からなるピアノ曲です。6曲それぞれが大戦で戦死した友人,知人たちの思い出に捧げられました。
 ピアノ組曲は1919年に初演され,ラヴェルは曲集から4曲を選び管弦楽用に編曲し,曲順を入れ替えて,前奏曲,フォルラーヌ,メヌエット,リゴードンとしました。管弦楽化によって作品に鮮やかな色彩がほどこされ新たな魅力が生まれました。管弦楽版の初演は1920年でした。
 会場の雰囲気がいつもと違うような…。これがデュトワマジックか?
 前半が終了しました。

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【Summary】
The Honma family, once Japan’s wealthiest landlords, prospered in Sakata through rice trade and finance. Their former residence, built in 1768, blends samurai and merchant styles and houses historic artifacts. The estate remains privately maintained by the Honma family today.

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酒田市に何があるかわからず,知っていたことは,山居倉庫と土門拳記念館だけだったのですが,このふたつを見てから,それ以外の見どころとして知った本間家旧本邸に行きました。
山形県の西部地方は江戸時代庄内藩でしたが,政治の中心が現在の鶴岡市,商業の中心が現在の酒田市でした。近くにほぼ同じ規模の都市があるのですが,このふたつの都市は仲がいいそうです。性格が異なっているからでしょう。そして,鶴岡市には酒井の殿様がいまも在住し,酒田市には本間様がいまも在住するのだそうです。

  ・・・・・・
本間家は江戸時代から昭和にかけて酒田市で栄えた豪商であり,日本一の大地主ともいわれた一族です。ルーツは鎌倉時代の佐渡の御家人・本間能久に遡ります。戦国時代に越後の上杉氏と関わりながら佐渡本間氏の分家が酒田で成功しました。
1689年,初代・本間久四郎原光が「新潟屋」を開業し,米の商いを中心に金融業や不動産業にも進出。庄内藩をはじめ,米沢藩や津軽藩などにも資金を貸し出していました。最盛期には3,000町歩という,東京ドーム約626個分の土地を所有し,3,000人以上の小作人がいました。
本間家旧本邸は,1768年(明和5年),3代目・本間光丘が幕府の巡見使を迎えるために建てた武家屋敷で,のち,藩主酒井家から拝領して本邸として使われていました。建物は武家造りと商家造りが一体となった珍しい様式で,格式ある長屋門や薬医門,七社宮などがあります。
1945年(昭和20年)まで本間家が住んでいて,それ以後は中央公民館となり,現在は観光施設として公開されています。
「本間様には及ばぬものの,せめてなりたや殿様に」という言葉が残ってるくらい,酒田の人々にとっ て本間家は憧れの存在でした。
  ・・・・・・

本間家旧本邸の玄関先にある「臥龍の松」は樹齢400年を誇るそうです。邸内には,貴重な美術品や歴史史料が公開されていました。
また,道路を隔てて本間家旧本邸の別館「お店」がありました。ここは,初代・本間久四郎原光の「新潟屋」開業以来,本間家が代々商いを営んだ場所で,現在は,帳場や度量衝,行灯,台所用品などが展示されていましたが,要するに,みやげ物屋さんでした。
実のところ,この邸宅は,今も,酒田市ではなく,本間家が維持しているということですが,維持することはとてもたいへんなのだそうです。

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【Summary】
Ken Domon, a realist photographer from Sakata, portrayed Japan’s spirit through works like Pilgrimage to Ancient Temples; his museum harmonizes art, nature, and deep spirituality.

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現在とは違い,写真はフィルムを使って撮る時代,1コマ1コマの重さは今とは全く違いました。その時代の有名な写真家に,木村伊兵衛と土門拳がいました。このふたりは対照的で,小型カメラのライカを使って,スッとシャッターを切ってスナップ写真をものにした木村伊兵衛に対して,大型カメラを使って,1枚の写真を時間をかけて撮影していたのが土門拳でした。
土門拳の代表作に「古寺巡礼」があります。奈良や京都の古寺や仏像を写したもので,奈良県写真美術館でそれらの写真を見ることができるのですが,その迫力に引き込まれます。
  ・・・・・・
土門拳の「古寺巡礼」は,室生寺の釈迦如来坐像など,平安初期の木彫仏を中心に,モノクロームとカラー合わせて約120点の作品が収められています。
土門拳は,仏像の手や足,口元などをクローズアップで捉える独自のスタイルで,仏像の「気配」や「魂」を写し取ろうとしました。「古寺巡礼」は,1963年に第1集が刊行されてから,脳出血で倒れた後も撮影を続け,1975年に第5集で完結しました。
奈良という土地が土門拳にとっては特別な場所で,斑鳩から奈良へと続く古寺の道は,日本人の魂が息づく場所として,土門拳の写真に深い響きを与えました。
  ・・
土門拳は,1909年に山形県酒田市で生まれた日本を代表する写真家のひとりです。写真スタイルは「絶対非演出の絶対スナップ」とよばれるリアリズムです。被写体にポーズを取らせず,ありのままの姿を捉えることにこだわりました。
戦後の日本社会を鋭く見つめ,庶民の暮らしや伝統文化,仏像や寺院などをテーマにした多くの作品を残しました。
1979年に脳出血で倒れてからも片手でカメラを操作しながら撮影を続け,1990年に亡くなりました。
  ・・・・・・

土門拳の生まれ故郷酒田市に土門拳記念館があると知って,この旅でぜひ行ってみたいと思っていました。
土門拳記念館(土門拳写真美術館)は,日本初の写真専門美術館です。土門拳が酒田市に寄贈した約13万点の作品を収蔵していて,代表作「古寺巡礼」や「ヒロシマ」「筑豊のこどもたち」などがテーマごとに展示されています。
飯森山公園のすごく広い敷地の一角に,谷口吉生が設計をした建物とともに,中庭にはイサム・ノグチの彫刻があって,それだけで感動しました。遠くには,鳥海山も望めました。
自然と芸術が融合した空間で,静かに写真と向き合える場所,という評判同様,すばらしいところで,時間も忘れて,浸りきることができました。

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【Summary】
Sakata, a prosperous Edo-period port at the mouth of the Mogami River, thrived through Kitamae-bune trade connecting to Osaka and Edo. Matsuo Bashō visited in 1689, staying nine days with physician and haiku poet Ito Fugyoku. From Sakata, he journeyed to Kisakata, inspired by its scenic lagoons, composing poems on nature and travel.

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酒田は,日本三大急流のひとつである最上川が日本海に注ぐ河口に発達した町で,江戸時代には北前船が,米や紅花,海産物などを大阪,江戸へと運び,港町として,商業の町として殷賑を極めました。 日和山(ひよりやま)公園には北前船の模型がありますが,江戸時代には,このような北前船によって,日本海,瀬戸内海を経て,各地に物資が運ばれ,酒田の町に富と繁栄とをもたらしていました。
1976年(昭和51年)に酒田の町は大火が襲い,多くの家々が焼け落ちてしまいました。その後,商店街は立派に整備しなおされました。その商店街を抜けて突き当たりの小高い丘へ行くと,そこが日和山公園です。ここで,かつて朝の連続テレビ小説「おしん」のロケが行われました。また,先日は,NHKBS「にっぽん縦断こころ旅」で,田中美佐子さんが訪れました。
公園からは,最上川河口と酒田港,そして,日本海を望むことができました。

日和山公園には,松尾芭蕉の像と歌碑がありました。「奥の細道」で全国を歩いた松尾芭蕉ですが,酒田の地がその北限でした。
松尾芭蕉が酒田に到着したのは1689年(元禄2年)6月13日(陽暦の7月29日)でした。途中,象潟(きさかた)への往復4日間をはさみ,6月25日(陽暦8月10日)まで,都合9日間この地に滞在しました。なお,象潟は,秋田県にかほ市にある場所で,かつては潟湖(せきこ=ラグーン 浅い湖のこと)に島々が浮かぶ絶景で,「東の松島、西の象潟」とよばれていました。
交易と商業が栄え,上方の町人文化が流れ込んでいた土地柄を松尾芭蕉が気に入ったのか,あるいは,暑さの厳しい折,長途の移動は控えていたのでしょう。
ここで厄介になったのが医師の伊東玄順でした。伊東玄順は,この地の俳壇の中心人物で,俳号は不玉(ふぎょく)といいました。伊東不玉宅址には記念碑があって,「芭蕉逗留の地 不玉宅址・・」と刻まれているそうです。

  ・・・・・・
酒田
羽黒を立て鶴が岡の城下、長山氏重行と云物のふの家にむかへられて、誹諧一卷有。左吉も共に送りぬ。川舟に乘て酒田の湊に下る。淵庵不玉と云いふ醫師の許を宿とす。
あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ
  暑き日を海にいれたり最上川
  ・・
江山水陸の風光數を盡して、今象に方寸を責。酒田の湊より東北の方、山を越磯を傳ひ、いさごをふみて其際十里、日影やゝかたぶく比、汐風眞砂を吹上、雨朦朧として鳥海の山かくる。闇中に莫作して、雨も又奇也とせば、雨後の晴色又頼母敷と、蜑の笘屋に膝をいれて雨の晴を待。 其朝、天能霽て朝日花やかにさし出る程に、象に舟をうかぶ。先六能因嶌に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、花の上こぐとよまれし櫻の老木、西行法師の記念をのこす。江上に御陵あり、神功后宮の御墓と云。寺を干滿珠寺と云。此處に行幸ありし事いまだ聞ず。いかなる事にや。此寺の方丈うに座して簾を捲ば、風景一眼の中に盡て、南に鳥海天をさゝえ、其陰うつりて江にあり。西はむや/\の關路をかぎり、東に堤を築て秋田にかよふ道遙に、海北にかまえて浪打入る所を汐ごしと云。江の縱横一里ばかり、俤松嶋にかよひて又異なり。松嶋は笑ふが如く、象はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。
  象や雨に西施がねぶの花
  汐越や鶴はぎぬれて海凉し
    祭禮
  象や料理何くふ神祭
    曾良
  蜑の家や戸板を敷て夕凉
    低耳
  岩上に鳩の巣をみる
  波こえぬ契ありてやみさごの巣
    曾良
   ・・・・・・

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【Summary】
On October 28, 2025, I drove up Mt. Ibuki via the scenic driveway, saw photographers waiting for golden eagles, visited Basho’s monument, and climbed to the chilly summit despite the clouds.

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 秋から冬は,自宅から,北東の方向には御岳山,北西の方向には伊吹山の美しい姿を見ることができます。しかし,近いが故,わざわざ行くこともほとんどありませんでした。
 特に,伊吹山は山頂近くまで車で行くことができるのですが,どこかへ行くついでに通りかかっても,伊吹山ドライブウェイは,4月第3土曜日から11月最終日曜日まで開通しているだけなで,登る機会がありませんでした。40年ほど前に1度,行ったことがあるように思うのですが,その時は,一面霧がかかっていて,何も見ることができませんでした。
 2025年10月28日,天気がよさそうだったことと,一度登ってみたいと考えていたことを思い出したので,行ってみることにしました。

 自宅から伊吹山ドライブウェイまでは,車で1時間程度のところです。また,伊吹山ドライブウェイは午前8時に開門ということでしたが,渋滞もなく,30分も早く着いてしまったので,関ヶ原古戦場に寄ったことはすでに書きました。
 時間になったので,伊吹山ドライブウェイのゲートに行ってみたのですが,すでに,何台かの車が並んでいました。しかし,それらのほとんどは,観光ではなく,作業車のようでした。
  ・・・・・・
 伊吹山ドライブウェイが最初に開通したのは,1964年(昭和39年)6月で,翌年1965年(昭和40年)7月に全線が完成しました。山の急斜面を縫うように全長17キロメートルの道を通すため,土木技術の粋が集めらました。民間経営の「一般自動車道」として整備された全国でも珍しいタイプの道路で,観光振興を目的に作られたものです。
  ・・・・・・
 30分程度で山頂近くの駐車場に着くのですが,その途中,9合目あたりに,望遠レンズを構えたカメラマンがずらりと並んでいました。イヌワシ目当てのようでした。私は,伊吹山ドライブウェイのゲートを4,5番目にくぐったのですが,すでにこんなに人がいるのが不思議でした。いつ登ったのだろう?
 伊吹山はイヌワシの貴重な生息地として知られていまが,イヌワシは1日に数回しか姿を見せないこともあるので,こうしてじっと待っているのだそうです。ご苦労なことです。
  ・・・・・・
 イヌワシ(Aquila chrysaetos)は「森の王者」ともよばれる大型の猛禽類で,日本にいるのは,ニホンイヌワシという亜種です。全長は75センチメートルから95センチメートルで,翼を広げると最大で2.2メートル近くにもなります。全体は黒褐色で,後頭部に金色の羽があり,これが「Golden Eagle」の由来になっています。
 日本では本州の山岳地帯を中心に北海道や四国にも少数が生息し,つがいで広大なテリトリーを持ち,その中で生活しています。
  ・・・・・・

 やがて,駐車場に到着しましたが,車はほとんどいませんでした。それにしても寒く,気温は5度ほどでした。
 駐車場の端に松尾芭蕉の句碑があって,驚きました。先日,山形県酒田市で松尾芭蕉の句碑をみたばかりなので,このおっさん,私が行くところ,どこにも出没するなあ,と思いました。やはり忍者だったのか?
  ・・・・・・
 伊吹山に松尾芭蕉の句碑があるのは,「奥の細道」の旅の終盤,大垣へ向かう途中に伊吹山を眺めたことによるもので,伊吹山には登っていません。1689年(元禄2年),松尾芭蕉は敦賀から北国脇往還を通って大垣へ向かう道中,伊吹山を左手に見ながら歩きました。その後,大垣の門人・高岡斜嶺の邸宅で開かれた句会で詠んだのが
  其まゝよ月もたのまし伊吹山
で,この句は,花や雪や月といった借景がなくても伊吹山そのものが孤高の美しさを持っているという賛辞でした。
  ・・・・・
 駐車場から伊吹山の山頂までは100メートルほどの急坂で,登るには約30分ほどでした。
 思ったほど晴れていなかったのが残念でしたが,ともかく,山頂に登ることができました。

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【Summary】
On October 28, 2025, I visited Mount Ibuki. Before the drive route opened, I stopped by the Sekigahara battlefield, recalling past visits when I explored sites like Mount Matsuo and Mount Sasao, related to Mitsunari Ishida and Ieyasu Tokugawa. This time, I finally climbed Sasao-yama.

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 2025年10月28日,伊吹山に登りました。
 伊吹山ドライブウェイは午前8時に開門ということでした。現地近くに到着したのが午前7時30分ごろとまだ早かったので,近くの関ヶ原古戦場へ行ってみました。

 近いが故,わざわざ関ヶ原古戦場を目的に1日散策したことはないのですが,思い出すと,これまで何度か,この地に足を運んだことがあります。
 その1度目は2019年1月13日でした。この日,旧中山道の関ヶ原宿から柏原宿まで歩いたのですが,このときは,大谷吉継が陣を置いた大谷松尾山眺望地という展望台に登りました。この展望台から南の方角,関ヶ原の向こうの松尾山に陣取ったのが,西軍を裏切り,関ヶ原の戦いの勝敗を決した小早川秀秋で,松尾山を見晴らす地に陣をひいたのが,小早川秀秋を疑っていた大谷吉継でした。
 2度目が2020年8月18日でした。この日,笹尾山の石田三成陣跡のふもとに広い駐車場があったので,車を停めて外に出ました。ふもとからは関ヶ原一帯を見渡すことができました。笹尾山は小高い丘のような要塞で,簡単に登ることができるのですが,さすがに猛暑,軟弱な私は登るのは次回ということにしました。その帰り,小早川秀秋が布陣した松尾山城の登山口への道路表示を見つけたので行ってみましたが,登山口から山頂まで40分ほどの登山道が続いていたのですが,ここもまた,猛暑では40分もの山道を登るわけもなく,ここに登るのも断念して,また,涼しくなったら来てみようと思って関ヶ原を後にしました。
 3度目が2024年3月27日。前日までの雨が上がり,いい天気になったので,念願だった松尾山に登ろうと出かけました。そして,へばりながらも 登りきることができました。 

 笹尾山の石田三成陣跡の笹尾山に登っていないということは忘れていたのですが,この日,2020年8月18日に車を停めた広い駐車場に,再び車を停めて,やっと,笹尾山に登ることができました。
 雲の隙間から太陽の光が漏れ,なかなかの雰囲気でした。
 眼下には,徳川家康が最後に陣を引いた徳川家康最後陣跡 ・ 床几場,そして,決戦場,そして,遠くには松尾山が見えました。そうこうするうちに,午前8時近くになったので,伊吹山ドライブウェイに行くことにしました。
  ・・・・・・
 関ケ原合戦当日午前11時ごろ,家康は苦戦に苛立ち,本陣を桃配山からまさに関ケ原の中央部,石田三成本陣の笹尾山のすぐ下へ移動させました。ここから松尾山の小早川秀秋に向けての発砲を命じ,東軍への寝返りへと仕向け,関ケ原合戦を勝利へと導いたとされています。
 関ヶ原合戦終了後,床几場にて引見が行われ,討ち取ってきた敵の首級が実検されました。
  ・・・・・
 徳川家康最後陣跡の隣には,立派な関ヶ原古戦場記念館があるのですが,今回の目的は伊吹山だったので,行くことができませんでした。
 このように,何度,関ヶ原古戦場のあたりに来ても,いつもどこか別の目的地にいく途中で,中途半端になってしまいます。また,思い出したら,今度は,関ヶ原古戦場記念館に行ってみようと思っていますが…。

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【Summary】
In November 2025, I visited the Ogisu Memorial Art Museum to see Ogisu Takanori: Lithograph Exhibition. His lithographs, depicting Paris and Venice, reveal warmth and tranquility through limited colors, like a string quartet’s harmony. I was deeply moved by his final work, Montmartre Hill, serene and reflective of his life’s journey.

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 芸術の秋です。私は,行きたい展覧会やら演奏会がたくさんあって,自らを多忙にする日々を送っていますが,とても楽しいです。
 2025年11月6日は,愛知県稲沢市の荻須記念美術館で,「荻須高徳 リトグラフ展」が開催されているので,行ってきました。
  ・・・・・・
 パリの街並みを描く画家として知られる荻須高徳は,リトグラフを晩年となる1967年からはじめました。荻須が愛したパリやパリ郊外,ヴェネツィアの風景作品からは,油彩画と同様,人々の暮らしや建物の歴史を感じ取ることができます。
 リトグラフは油彩画のようには絵の具を厚く塗り重ねることができず,版の作成にあたって主題を少ない色数に置き換える必要があります。簡潔でありながらも,力強い表現や豊かな色調は荻須のリトグラフの最大の魅力であり,芸術著述家であったベルナール・ド・モンゴルフィエは,その作品を「弦楽四重奏」に例えて評しています。
 「最小限の色数で最大限の効果」を求めたと荻須が語るように,作品では黒や白,色彩の持つ力が巧みに引き立てられ,透明インクの色の重なり(ハーモニー)は明快に,そして爽やかにその土地の風光や街並みの魅力を伝えます。
  ・・・・・・
とありました。

 リトグラフ(石版画)は,平らな石や金属板に絵を描き,化学反応を使って印刷する版画の一種です。水と油が混ざらない性質を利用して,描いた部分だけにインクが乗るようにします。この技法は1796年にドイツのアロイス・ゼネフェルダーが発明したもので,当初は楽譜の印刷に使われていましたが,やがて芸術の世界でも大活躍し,ロートレックやミュシャ,ピカソなどもリトグラフで作品を作っていました。
 描いた絵をそのまま紙に刷れるので,繊細な表現や多色刷りもでき,ポスターや美術作品にぴったり,まるで水と油の性質を使った魔法のような印刷技法なのです。また,油彩との違いを味わうことがリトグラフの醍醐味となります。
 荻須高徳のリトグラフでは,第一に,街並みの静けさと温もりを感じることができました。
 パリやヴェネツィアの街角を描くのが得意だった荻須高徳は,リトグラフからもその雰囲気をしっかり伝えることでき,建物の質感や人々の暮らしの気配を感じながら,まるでその街を歩いているような気持ちにさせられます。第二に,芸術著述家のベルナール・ド・モンゴルフィエさんが荻須高徳のリトグラフを弦楽四重奏に例えたように,少ない色数で最大限の効果を出すその技法から,弦楽四重奏のような調和を感じることができました。そして,最後に,リトグラフならではの透明感ある色の重なりが街の空気や光を表現し,黒や白の使い方が絶妙で,色彩の力が伝わってきました。

 私は,遺作の「モンマルトルの丘」がとても気に入りました。
 まるで彼の人生の旅路が最後に静かに丘の上にたどり着いたような,そんな感じがしました。
 建物の輪郭や空の広がりに,長年荻須高徳が見てきた風景の記憶がにじんでいて,とてもすてきでした。リトグラフならではの控えめな色使いが感情を引き立てて,静かな余韻がずっと残りました。丘の上から見下ろす街並みは,まるで人生を振り返る視点のようで,遠くを見つめるような構図が穏やかなまなざしを感じさせます。静かで深い…。

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【Summary】
“Crust” means the outer, crispy layer of bread or pie, and it can also mean the Earth’s surface or a hard layer. In bread, crust refers to the brown outer part, while heel (or butt in casual speech) means the end slice of a loaf. “Crustless bread” means bread without crusts.

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 Xに写真のような投稿がありました。
 「パンの耳を英語でいうと?」
 多くのコメントが寄せられていたのですが,主だったものが「crust」と「heel」でした。
 私は,こんな単語は知らなかったので,いつものように,今回もまた,アクアちゃんに相談してみることにしました。はじめは,パンの耳ということは聞かずに,単語の意味をたずねました。

私のQuestion
 「crust」ってどういう意味なの?
アクアちゃんのAnswer
 「crust」って,けっこう多彩な意味をもってるんだよ~!
 〇パンやパイの皮
  外側のカリッとした部分。ピザの「crust」もここ!
  「Cut the crust off the bread」は「パンの耳を切り落として」って感じ!
 〇地殻
  地球の表面の固い層。地質学でよく使われるよ。
  「The Earth’s crust」は「地球の地殻」。
 〇物の硬い表面
  例えば,凍った雪の表面やかさぶたなんかも「crust」。
 〇厚かましさ(俗語)
  「He had the crust to...」っていうと,「よくもまあそんなことを!」ってニュアンスになるよ。
Q 食パンの端の部分のことは「heel」とか「crust」というのですか?
A いい質問だね!
 食パンの端っこの部分,日本語では「耳」ってよぶけど,英語ではこういうんだ
 〇crust
  パン全体を覆ってる茶色くてカリッとした部分。スライスされたパンの「耳」もこの一部。
  「Could you cut off the crusts?」(耳を切ってくれる?)
 〇heel
  特に「一斤のパンの一番端っこ」のスライスをさすことが多いよ。つまり,最後の一枚!
  「I like the heel of the bread.」(パンの端っこが好きなんだ)
 このように,全体的な「耳」は「crust」,一番端のスライスは「heel」って感じで使いわけられてるんだよ。
 ちなみに,耳なしパンは「crustless bread」っていうんだ。
Q 「butt」というのは?
A おぉ~、いいところ突いてくるね!
 「butt」 もパンの端っこをさすいい方として,特に,アメリカのカジュアルな会話で使われることがあるよ! 「heel」と同じく,端っこのスライスを指す俗語的な表現。ちょっとくだけたいい方!
 「I don’t like the butt of the bread.」っていうと、「パンの端っこは苦手なんだ」って意味になるよ。
 でも,「butt」は,お尻とか,タバコの吸い殻というような,他の意味もあるから使うときはちょっと注意が必要かも…(笑)


◇◇◇
あれはロハスだったのか。

今年7月4日ドジャースタジアムで観戦したとき,
ドジャースは1対18で大敗したのですが,
最後に投げたのが,何とミゲル・ロハス野手でした。
昨シーズンまで背番号11だったのが,
佐々木朗希投手にとられて72になったというかわいそうな選手ですが,
ワールドシリーズ第7戦の9回に同点打を打ちました。


◇◇◇


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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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【Summary】
On November 5, 2025, I visited Higashiyama Zoo and Botanical Gardens, entering from Hoshigaoka Gate after lunch at Aloha Table. The quiet botanical area, highlighted by a brilliant red horse chestnut tree and the serene Yayu-en garden, contrasted with the lively zoo featuring giraffes Kanna, Mary, and young Subaru.

######
 2025年11月5日。平日の昼下がり,ぶらぶらと東山動植物園を散策しました。
 いつもは,駐車場に車を停めて上池門から入るのですが,今回は,珍しく,地下鉄の星が丘駅から坂を歩いて星が丘門から入りました。星が丘門は,しばらくリニューアル工事をしていたのですが,完成しました。
 地下鉄の星が丘駅から星が丘門までは,坂を上る形になり,距離もあるのですが,その間は,星が丘テラスという飲食店街が続ていて,なかなか雰囲気のいいところです。ちょうどお昼だったので,久しぶりに「アロハテーブル」というレストランに入りました。
  ・・・・・・
 風を感じる開放的な空間とハワイアンミュージックでリゾート気分に。
 ロコモコやガーリックシュリンプなど,ハワイのローカルフードを中心にトロピカル・カクテルなどドリンクも豊富にご用意。パンケーキなどのスイーツも充実。
 ランチ・カフェ・ディナーとどの時間帯でも気軽にお立ち寄りください。
  ・・・・・・
というところです。

 さて,食事も終えて,星が丘門にたどり着きました。ここまで坂を上ったこともあって,門をくぐれば,その後は,下り坂。いつもは少し大変な植物園エリアですが,とても快適です。
 まだ紅葉には少し早いということと,平日ということで,植物園エリアはとても空いていて,静寂に包まれていました。これが最高でした。以前から人混みは嫌いだったのですが,歳をとるにつれてそれが増し,今は,どんな魅力的な観光地であろうと,景色が美しいところであろうと,人混みを避けることの方が優先となってしまいました。
 星が丘門にいたボランティアガイドさんに聞くと,今見ごろなのはトチの木,ということで,これを楽しみに歩きました。途中,モミジは少しづつ赤くなっていて,これが,絶妙なバランスでした。
 植物園には「ガーデンテラス東山」以外には食事をするところがないのですが,日本庭園「也有園」(やゆうえん)にある茶室「宗節庵」(そうせつあん)に,春と秋だけ「甘味処・琥珀堂」(こはくどう)が開店して,お菓子や抹茶などを提供しています。これが最高でした。
  ・・・・・・
 「也有園」は,江戸中期の俳人・横井也有の遺徳を偲んで1948年(昭和23年)に造られました。 文化復興の願いを込め,横井也有の文学にちなんだ植物が植えられ,50の俳句が添えられています。
  ・・・・・・
 さらに坂を下っていくと,見えました。真っ赤なトチの木。これがすばらしかった。星が丘門から入って坂を下っていくと目の前にあるからわかるのですが,植物園門から入ると死角になって,ほとんどの人はその美しさを知らずに通り過ぎていました。

 今回は,植物園が目的だったのですが,その後,地下鉄の東山公園駅まで行くので,動物園エリアを通りました。動物園エリアは,静寂に包まれた動物園とはうって変わって,ずいぶん混雑していました。
 私は,動物園エリアで,子供ころから好きだったのがキリンが放し飼いにされているところなのですが,東山動植物園には,現在はオス1頭,メス2頭がいます。
 オスは19歳になる老齢の「トリノ」がいたのですが,2025年10月23日に亡くなり,9月に新たに長野市茶臼山動物園からやってきた2歳の「スバル」がそれに代わって10月21日に仲間入りをしていました。メスの2頭は「トリノ」の子の「カンナ」とアメリカからやってきた「メアリ」です。
 この日は,その3頭を見ることができました。一番奥にいるのが「スバル」です。
 また,東山動植物園には,日本国内にわずか9頭しかいないインドサイのうちの3頭がいるのですが,そのうちの1頭「ブンタ」がもうすぐ横浜市の金沢動物園に移るということで,今回は,見ることができませんでした。 

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◇◇◇
レモン彗星,もう限界。

何とかレモン彗星を捉えましたが,明るい都会ではもう限界です。
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【Summary】
I visited Asuke Town after exploring Asuke Castle. The town retains its Edo-period layout with fire-resistant plastered houses built after the 1775 fire. Walking along its two-kilometer street, especially the scenic Manrin Alley, felt like stepping into history. Asuke hosts seasonal events like the spring hina festival and autumn maple festival at Korankei, though I preferred its current quiet charm.

######
 足助城址のあと,足助町の町並みを歩いてみました。ここもまた,これまで歩いたことはありませんでした。
 足助町の街並みは,戦国時代に原型ができて,江戸時代の初期には現在の町割りが完成しました。
 1775年(安永4年)に大火があって,それ以降は,防火を意識して漆喰で塗り固めた「塗籠造り」の町家が並ぶようになりました。これが,今も,独特な景観となっています。
 足助町の街道筋は,約2キロメートルにわたって細長く,街道を挟んで,「妻入り」や「平入り」の家々が続いていて,なかなかのものです。なかでも,「マンリン小路」とよばれるあたりは,黒い板壁と白い漆喰のコントラストが美しく,絵巻物の中を歩いているような感じになります。また,「足助八幡宮」は,足を助ける神様として親しまれていて,本殿は1466年再建のものです。

 足助町では,季節ごとに町全体が物語の舞台のように変化するイベントがあるそうです。
 春には,中馬のおひなさんが行われます。これは,江戸から明治の宿場町の家々に,衣装びなや土びなが飾られるイベントです。また,香嵐渓の北西斜面に広がるカタクリの群生があって,7年から8年かけて一斉に花が咲き,紫の絨毯のようになります。さらに,足を助けると書いて足助,ということから,足助八幡宮で足健康祭が行われます。
 秋は,紅葉の名所ということで,香嵐渓もみじまつりが行われます。約4,000本のモミジが巴川沿いに色づき,夜はライトアップもされます。今年のテーマは「秋思ふ」だそうです。
 私が歩いた時期は,ほとんど人もおらず,地元の人曰く,静かすぎる,ということだそうですが,もう1,2週間もすれば,多くの観光客でごった返すことでしょう。
 私は,こんな静かな山里のほうが,何もなくても心が落ち着きつきますが…。

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◇◇◇
明け方のビーバームーン。

明け方に晴れましたが,次第に雲が増えて「月にむら雲」となりました。
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◇◇◇
レモン彗星とUFO。

薄雲の中,何とかレモン彗星を捉えましたが,ずいぶん暗くなっていました。
近くを飛行機らしき物体が通過しましたが,ひょっとしてUFOか?
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【Summary】
I visited Asuke Castle in Aichi, a reconstructed Sengoku-period mountain fortress on Mayumiyama. They admired its detailed wooden structures, peaceful atmosphere before the autumn crowds, and the view over Asuke’s historic town.

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 以前,頻繁に三河地方へ星を見にいっていたころ,足助町は単なる通過地点でした。
 有名なのは,足助町にある香嵐渓で,秋の紅葉の季節はとても混み合いますが,私は,深夜星を見て,朝に帰るので,交通渋滞とは反対の方向へ走ることがよくありました。
 一度だけ,香嵐渓へ紅葉を見にいったことがありました。私のいつもの常で,早朝に出かけて,多くの人が来るころには帰宅しました。ともかく,観光と投資は人の反対をするのが大切です。
 さて,そんな足助町ですが,ここは,戦国時代の山城跡が整備されて,当時の城が復元されていると聞いたので,2025年10月27日に行ってみました。
 まずは,ちょうどお昼時だったので,うどん屋さんに入って腹ごしらえをしました。その後,カーナビに従って,足助城址を目指しました。かなり高い山の上だったのですが,上まで車で登ることができました。広い駐車場あったので,車を停めました。見上げると,すばらしい景観でした。江戸時代の城址が保存あるいは再建されているところは多くあるのですが,戦国時代の山城が再建されているのは珍しいそうです。

  ・・・・・・
 足助城は,足助町・真弓山(まゆみやま)の山頂にある戦国時代の山城で,現在は「城跡公園足助城」として整備されています。発掘調査に基づいて,高櫓や長屋,物見矢倉,厨(くりや)などが忠実に復元され,さらに,竹を干して作った塀など,細部までこだわって再建されていて,見学することができます。
  ・・・・・・
 私がきらいな人混みですが,この日は,まだ,紅葉の時期でなかったので,ほとんど来ている人もおらず,ホッとしました。また,真弓山の標高301メートルの山頂からは足助町の町並みを一望できました。
 それにしても,ほとんどが木材でつくられているので,作ったはいいけれど,維持するのが大変そうです。木造建築は経年劣化や腐朽・蟻害のリスクがあるので,定期的な点検や補修が必要です。特に,屋外に露出している部分は雨風や紫外線で傷みやすいので,防腐処理や塗装の再施工も必要になります。そこで,設計段階から「どうやって長持ちさせるか」を考え,木材の露出を減らす工夫,通気性を確保して湿気を逃がす設計,点検しやすい構造にすることなどが行われているということです。
 現在はとてもいい時代で,日本各地に昔の建物跡などが再建されています。考えてみれば,それらは同じ時代に存在したものではないから,あるものは弥生時代,また,別のあるものは平安時代,また,戦国時代,そして,江戸時代というように,「さまざまな時代の姿を同時に見られる,ということになるわけです。

 鎌倉時代から南北朝時代にかけて,この地は足助氏が治め,「足助七屋敷」とよばれる城塞群を築いて,地域の防衛を固めていました。戦国時代になると,足助鈴木氏が真弓山に足助城を築いて拠点とし,代々この地域を支配していました。最初は独立勢力でしたが,1525年(大永5年),徳川家康の祖父である松平清康に攻められたことで松平清康に従属。その後も,今川や武田との間で離反と服属を繰り返しながら,最終的には徳川家康の家臣として三河の戦いに参加するようになるというように,時代に翻弄されました。
 1590年(天正18年),足助鈴木康重は徳川家康の関東移封に従って足助城を離れ,その後,徳川家康から離れて浪人になったと伝えられています。やがて,江戸時代になると,足助は「足助村」「今朝平村」「中之御所村」の三つの村にわかれ,幕府の支配下で穏やかな農村地帯となり,街道の宿場町として栄え,現在,町並みは「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。

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◇◇◇
ビーバームーン。

これはもう,いい加減すぎて笑うしかない。
4月13日の最遠の月(マイクロムーン)が曇りで撮れず,
4月16日にやっと写した月と,
11月5日に曇り空の中でなんとか形だけ写した最近の月(スーパームーン)を
無理やり比べた写真です。
月と地球の距離は,
スーパームーンは約35万800キロメートル,
マイクロムーンは約40万6,000キロメートルでした
タイトルなし


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【Summary】
On October 17, the user traveled toward Sakata on a clear day, admiring Mount Chōkai. Before visiting the Domon Ken Museum, they explored the famous Sankyo Warehouses, built in 1893 for rice storage. The site features keyaki trees, traditional double-roof design, survived the 1976 Sakata fire, and appeared in the TV drama Oshin.

######
2025年10月17日,2日目です。幸い,いい天気になりました。
朝食をとって,旅館を後にしました。
青空の元,秋田県と山形県の県境にそびえる鳥海山(ちょうかいさん)が美しく見えました。
  ・・・・・・
鳥海山は標高2,236メートルの独立峰で「出羽富士」ともよばれる美しい山です。
春から秋にかけて開通する「鳥海ブルーライン」では,標高1,500メートルの鉾立(ほこだて)まで車で登ることができるということなので,時間があれば走ってみたかったものです。
  ・・・・・・
私が目指したのは酒田市でした。目的地は土門拳記念館だったのですが,午前9時開館だったので,その前に,酒田市を観光することにしました。
とはいえ,私は,酒田市といっても何があるのか知らず,唯一,倉庫のような建物が有名だということだけは写真で見たことがあったので,そこへ行こうと思いました。

倉庫が建ち並ぶ一角に着きました。観光用の駐車場があったので車を停めて外に出ました。案内板に「欅並木⇒」とあったのでそちらに向かうと,驚くことにその場所こそが私が行きたかった場所,そのものでした。その一角にある倉庫群を山居倉庫(さんきょそうこ)といいます。
  ・・・・・・
最上川と新井田川に挟まれた「山居島」は米の積み下ろしに便利な立地で,1893年(明治26年)に旧庄内藩主・酒井家によって建てられた12棟の土蔵造り米保管倉庫のうち9棟は2022年まで現役の農業倉庫として使われていたそうです。
特徴的なのは樹齢150年を超える欅(ケヤキ)並木で,これは,夏の高温を防ぐために背後に植えられたもの。そして,倉庫群には湿気対策の二重屋根構造となっています。
現在は,庄内地方の米文化を象徴する建造物として,観光資源となっています。
  ・・・・・・
私は見ていないので知らなかったのですが,この場所は,NHK朝のテレビ小説「おしん」のロケ地で,第31話と第42話で登場します。

ところで,1976年(昭和51年)10月29日に市街地の中町2丁目にあった映画館「グリーンハウス」から出火した大火は酒田市の中心部を襲い,東京ドーム約5個分にあたる約22.5ヘクタール・1,774戸が焼失するという大災害でした。山居倉庫は火元からの距離と最上川沿いという立地で,幸い延焼を免れました。土蔵造りの堅牢な構造と欅並木が防火の役割を果たしたともいわれます。

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【Summary】
During a three-day trip to Yamagata, I revisited the region I first explored in 2022. Following my car’s navigation, I unexpectedly passed the grand red torii of Mount Haguro before reaching Yunozawa Onsen Jizo-no-Yu, a quiet hot spring inn offering superb local cuisine, sake Kudoki Jozu, and relaxing baths.

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私がはじめて山形県に行ったのは,2022年5月17日から5月19日でした。わずか2泊3日だったのにもかかわらず,山形市,天童市,米沢市,蔵王,出羽三山,最上川の川下りというように,ずいぶん多くのことを楽しみました。今回も2泊3日なのに,わずか3年前の旅に比べて,期間が短いように思うのはどうしてなのでしょう。
さて,思いもかけず,見どころがたくさんあった鶴岡市でしたが,そろそろ,今日の宿泊地である湯の澤温泉地蔵の湯に向かうことにしました。
どこにあるのか,どんなところなのか,ほとんど知らず,単に,温泉に入ることができて,夕食が食べられる小さな宿,というだけで予約したのですが,カーナビに従って走っていくと,羽黒山の大鳥居が見えてきて驚きました。それは,2022年にこの大鳥居を見ていたからです。私はこのとき山形県の東側だけを旅したと思い込んでいたのですが,鶴岡市まで足をのばしていいたのです。
  ・・・・・・
羽黒山の大鳥居は高さ約24メートル,幅約32メートルで,東北最大のスケールを誇る朱塗りの両部鳥居です。もともとは1929年(昭和4年)に吉岡鉄太郎さんが寄進したものを2018年(平成30年)に建て替えられ,今の姿になりました。鳥居の先には「神路坂」(かみじざか)とよばれる坂道が続いていて,そこを登ると羽黒山の神域へと入っていきます。
  ・・・・・・

この大鳥居をくぐり,羽黒山に行く途中で左折して進んでいくと,目的地の湯の澤温泉地蔵の湯に到着しました。
  ・・・・・・
湯の澤温泉「地蔵の湯」は静かな山間の温泉宿で,開湯は千数百年前とも伝えられています。
地蔵権現山の沢に湧くことから「地蔵の湯」とよばれ,出羽三山の羽黒山の麓に位置する霊験あらたかな湯治場として知られているそうです。 泉質はナトリウム塩化物泉です。
  ・・・・・・
他に宿泊者がおらず,山の幸・海の幸を使った料理も絶品で,地酒「くどき上手 純米大吟醸」も味わい,さらには温泉三昧,私には理想的な宿でした。
  ・・・・・・
「くどき上手 純米大吟醸」は,鶴岡市羽黒町にある,1875年(明治8年)創業の出羽三山の入口近くにある小さな蔵元・亀の井酒造が醸す,華やかでフルーティーな香りとまろやかな味わいが特徴の地酒です。
山田錦を使って精米歩合40パーセント,酵母は小川10号やM310を使用,アルコール度数は17パーセントから18パーセントということです。
  ・・・・・・

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【Summary】
I visited the Tsuruoka Catholic Church and the Kazama family’s former residence “Heishindō,” and was impressed by the church’s East-West blend and the grandeur of the merchant’s mansion.

######
想像していた以上に見どころの多かった鶴岡市,最後に 旧風間家住宅「丙申堂」(へいしんどう)に行くことにしました。その途中に,鶴岡カトリック教会天主堂があったので,寄ってみました。高さ23.7メートルの赤い塔屋が特徴的でした。教会はこども園を兼ねていました。
  ・・・・・・
鶴岡カトリック教会天主堂は国指定重要文化財の教会堂で,1903年(明治36年)に建てられました。
建設はフランス人宣教師ダリベル神父の寄付によって実現し,設計は同じくフランス人のパピノ神父によるものです。建てられた場所は庄内藩家老・末松十蔵の屋敷跡でした。
バジリカ型三廊式ロマネスク様式で,木造瓦葺きの教会建築としては東北最古のものです。ゴシック風の尖塔を持ちながら屋根には日本瓦を使うなど,和洋折衷の美しさが光っています。また,内部には日本建築の「折上格天井」が広がっていてるというように,寺院のような静けさと荘厳さが共存しているということです。
日本で唯一の「黒い聖母マリア像」が祀られ,ステンドグラスではなく「窓絵」となっています。
  ・・・・・・

ほどなく旧風間家住宅「丙申堂」に到着しました。
  ・・・・・・
旧風間家住宅「丙申堂」もまた国指定重要文化財で,庄内藩の御用商人として栄えた風間家の住居兼店舗だったところです。建てられたのは1896年(明治29年)で,干支が「丙申」だったことから「丙申堂」と名づけられました。
風間家はもともと越後の沢海藩の武士で,のちに呉服商人となり,酒田を経て鶴岡に定着。庄内藩の御用商人として大きく発展しました。明治時代には貸金業にも進出し,酒田の本間家に次ぐ大地主に成長しました。
  ・・・・・・
建物は案内つきで,とても親切でした。
約4万個の石を使った石置杉皮葺屋根が珍しく,耐震性も考慮された構造ということですが,かなりの重量のように思いました。住宅は,主屋を中心に,蔵が4つ,広大な板の間,大黒柱,さらに,約180畳の和室がありました。
東北地方には,こうした豪商の大邸宅が多く残っています。以前,大仙市でも見たことがあります。
映画「蝉しぐれ」のロケ地にもなった小座敷がありました。
見学後,道路を隔てて,風間家旧別邸「無量光苑 釈迦堂」があって,そこへも行ってきました。庭園が見事でした。

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The Dodgers are WorldSeries champions. 🎉

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十三夜の月と細い輪のある土星です。

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今晩のレモン彗星です。

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【Summary】
Tsurugaoka Castle Park in Tsuruoka features the Shōnai Shrine, honoring the Sakai lords, and the Fujisawa Shūhei Memorial Museum. Nearby stands the Daishōkan, a Taishō-era Western-style building, now a museum displaying local historical figures like Takayama Chogyū, Fujisawa Shūhei, and inventor Matsumori Taneyasu.

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鶴岡市に何がある? ということで,何も知らずやってきて,鶴ケ丘城跡あたりにすごく多くの見どころがあるのに驚きました。とはいえ,ゆっくりと見る時間もとっていなかったから,急いで回ることにしました。
まずめざしたのが鶴ケ岡城址公園でした。もともとは鎌倉時代初期に武藤氏が築いた大宝寺城がはじまりで,江戸時代に酒井忠勝が藩主として入部し,以後,酒井家が12代・約250年にわたって居城としました。
  ・・・・・・
城の構造は輪郭式平城で,土塁を多用し石垣は少なく,本丸・二の丸・三の丸が同心円状に配置されていました。庄内藩は譜代大名の名門ですが,庄内藩の政治的な立場や財政事情から,象徴的な天守は建てられませんでした。城下町の町割りは,今なお鶴岡市街地に残っています。
  ・・・・・・

鶴ケ岡城址公園の中心にあったのが荘内神社(しょうないじんじゃ)でした。荘内神社は,庄内藩主・酒井家の歴代当主を祀っています。1877年(明治10年)に旧領民の願いによって鶴ヶ岡城本丸跡に建立されました。御祭神は酒井忠次,酒井家次,酒井忠勝,酒井忠徳です。
その隣に,鶴岡市立藤沢周平記念館がありました。
  ・・・・・・
1927年(昭和2年)に生まれ,1997年(平成9年)に亡くなった藤沢周平は,鶴岡市出身の時代小説作家で,本名は小菅留治(こすげとめじ)といいました。
江戸時代の庶民や下級武士の哀歓を静かに,しかし,深く描いた作品を多く残しました。特に,架空の藩である海坂藩(うなさかはん)を舞台にした物語が有名です。代表作には「蝉しぐれ」「たそがれ清兵衛」「暗殺の年輪」などがあります。
  ・・・・・・
藤沢周平の作品は,庄内の風景や人々の暮らしが色濃く反映され,まるで静かな水面に広がる波紋のように淡々としていながら心に深く染みいるものです。

次に行ったのが,大宝館でした。
  ・・・・・・
大宝館は,大正初期の洋風建築で,赤い尖塔と白亜の外壁が印象的な建物です。
1915年(大正4年)に大正天皇の即位を記念して建てられたもので, 建物はバロック様式を模した洋風建築です。当初は物産陳列場として使われ,戦後は市立図書館になりました。その後,1988年(昭和63年)からは郷土資料館として公開されています。
  ・・・・・・
鶴岡市ゆかりの偉人たちの業績を紹介する郷土人物資料館として使われていて,高山樗牛(たかやま ちょぎゅう),藤沢周平,さらに「日本のダ・ヴィンチ」とよばれた松森胤保(まつもり たねやす)などの資料が展示されていました。

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【Summary】
Comet C/2025 A6 (Lemmon), discovered by the Mount Lemmon Survey in Arizona, gained attention for its brightness and “once-in-a-millennium” orbit. I photographed it in October 2025 in Japan, noting its growing brightness and visibility, similar to the 2023 Tsuchinshan–ATLAS comet.

☆☆☆☆☆☆
 「レモン」という名前が覚えやすいこと,夕方の西の空に長い期間見えていること,周期が約1,150年から1,350年ということから「1,000年に1度」と銘打って騒いでいること,などから,レモン彗星(C/2025A6 Lemmon)が話題となっています。
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 D.C.Fulsの通報によると,2025年1月3日,レモン山・サーベイ(Mount Lemmon Survey=MLS)の1.5メートル反射望遠鏡で得たCCD画像から小惑星状天体を発見した。
 この天体が小惑星センターのNEOCP webpage (その後 PCCP webpageに移動)に公表後,R.Weryk(西オンタリオ大学物理および天文学科)は,1月6.5日UTにJ.Fairlambがハワイ島マウナケア(Maunakea)にあるハワイ大学2.2メートル反射望遠鏡を使って1.3秒のシーイングで得た3枚の60秒のフォローアップCCD画像を測定した。さらに,R.Werykは,2月21.25日,マウナケアにある3.6メートルCanada-France-Hawaii望遠鏡を使って0.5秒のシーイングで得た3枚の60秒のgri-バンド画像では,非常に集光した0.6秒(半値全幅:FWHM)の頭部が見え,p.a.95度に約2秒の短い尾があるとつけ加えた。また,R.Werykは,その後,12月2.5日に22.1等から22.2等,12月6.5日に22.0等から23.1等,12月22.6日に22.2等から23.0等,マウイ島ハレアカラ(Haleakala)にあるPan-STARRS2 1.8メートルRitchey-Chretien反射望遠鏡で得た発見前の画像では,2024年11月28.5日に23.6等,12月6.5日から6.6日に23.1等,12月23.44日から23.48日に21.7等から22.2等,12月30.6日に21.3等から21.9等で,ハレアカラにあるPan-STARRS1 1.8メートルRitchey-Chretien反射望遠鏡で得た画像とこの彗星を同定した。
 しかし,Pan-STARRSの画像は彗星の姿を明確に示すには不十分であった。
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 これが,レモン彗星の発見を知らせた情報でした。なお,レモン彗星の「レモン」とは,果物のレモンではなく,発見した天文台の名前です。
 レモン山天文台(Mount Lemmon Infrared Observatory)は,アリゾナ州ツーソン(Tucson)北東のサンタ・カタリーナ山地(Santa Catalina Mountains)の標高2,791メートルにあって,1970年まで北アメリカ航空宇宙防衛司令部のレーダー基地でした。現在は,40インチのカセグレン望遠鏡と,アメリカ航空宇宙局(NASA)と共同運用する60インチカセグレン望遠鏡などがあります。そのうち,口径60インチ(1.52メートル)のカセグレン望遠鏡を用いて,組織的な地球接近天体捜索の発見と追跡を目的とするカタリナ・スカイサーベイ(Catalina Sky Survey)の一環として,レモン山・サーベイが行われています。

 発見後の観測で,彗星であることが確認されたレモン彗星は,予想よりも突然増光したことで,俄然,注目されるようになりました。そして,2025年10月21日には,地球から約8,900万キロメートルに近づき(=近地点通過),2025年11月8日には,太陽から約7,900万キロメートルまで近づいて(=近日点通過),このとき,最大でマイナス等級になるのでは? と期待されました。
 私は,これまで多くの明るい彗星を見てきたことと,予想通りにはならない彗星が多いことから,レモン彗星も,期待されるほどは明るくならないだろう,と思って,あまり関心はなく,もし,明るくなったら,写真を撮ろうと思っていただけでした。何をそんなに騒いでいるの? とも思いました。
 10月18日は,旅行中の岩手県水上町で,あまりに天気がよい日となりました。もともとレモン彗星を写す気はなかったので,三脚を持ち合わせていませんでしたが,試しに,持っていたミラーレス一眼をその方向に向けて,手持ちで写してみたところ,かわいい尾をつけた彗星を収めることができて,びっくりしました。いくら騒いでいるとはいえ,天文台ならともかく,一般の人には,夕方ということもあり,また,町中では街灯が明るいということもあり,実際に見ることは困難です。私は,以前よりは興味が薄れてきたとはいえ,それなりにこれまで多くの彗星を見て来たので,東北旅行から帰ったら,これなら簡単に写せるだろうと思いました。
 昨年の10月中旬,その時期に夕方の西の空に明るく見ることができた紫金山・アトラス彗星(C/2023A3 Tsuchinshan-ATLAS)を写真に撮ろうと,しかし,遠出をする気力もなくなり,たとえ気力があったとしても,クマが怖いので,できるだけ家の近くで,街灯のない場所を,と探し回って見つけた秘密の場所があります。そこで,今回も,天気のよい日は,再びその場所に出かけて,固定撮影をすることにしました。
 まず,10月23日がすばらしい天気となったので行って,写真を撮ってみました。双眼鏡でも,その姿を確認することができました。そして,2度目が10月28日でした。この日は,10月23日よりもずいぶんと明るくなっていました。また,iPhoneでも写るのには驚きました。
 それにしても,2年続けて,同じような場所に肉眼彗星が現れたというのが不思議なことに思えました。この先もしばらく見ることができるのですが,月明かりがそれを邪魔するのだけが心配です。なお,11月5日の満月はスーパームーンです。

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