しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

February 2026

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【Summary】
On February 23, 2026, I visited the special exhibition “Big Five Mass Extinctions” at the National Museum of Nature and Science in Ueno Park. Although I had prior knowledge of the topic, the exhibition was extremely crowded, making it hard to appreciate. Disappointed, I left early and had lunch at a café in Tokyo Bunka Kaikan instead.

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 2026年2月23日,東京・上野公園の国立科学博物館で,特別展「大絶滅展―生命史のビッグファイブ」を見ました。
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 生命が誕生してから40億年,地球上では幾度も生命の危機が訪れました。しかし,生命は危機を乗り越え,絶滅したグループに代わるグループが新たに繁栄することを繰り返すことで,多様に進化を遂げてきました。いわば,大量絶滅は生命の繁栄を促した現象だと捉えることもできるのです。
 本展では,その中でも規模の大きかった5回の大量絶滅事変,いわゆる「生命史のビッグファイブ」を,化石や岩石に残された様々な証拠から紐解き,「生き物たち」の生存をかけた進化の歴史を辿ります。
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というものですが,私は,招待券をもらったので,何かのついでに東京へ行ったときに,と考えているうちに最終日になってしまい,今回,名古屋フィルハーモニー交響楽団の東京特別公演を聴きに行った折に,やっと行くことができました。

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 「生命史のビッグファイブ」とは,地球の歴史の中で起きた5回の大規模な大量絶滅事変をいいます。
●オルドビス紀(Ordovician period)末の大量絶滅(約4億4,500万年前)
 氷河期の到来と海面の変動が原因で,海洋生物の85パーセントが絶滅。
●デボン紀(Devonian period)後期の大量絶滅(約3億6,000万年前)
 環境の変化や海洋の無酸素化により,魚類の時代が終わる。
●ペルム紀(Permian period)末の大量絶滅(約2億5,200万年前)
 火山活動やメタンガスの放出が原因で,最大規模の絶滅で,海洋生物の96パーセント,陸上生物の70パーセント以上が絶滅。
●三畳紀(Triassic period)末の大量絶滅(約2億年前)
 火山活動や気候変動が影響し,恐竜が台頭するきっかけになった絶滅。
●白亜紀(Cretaceous period)末の大量絶滅(約6,600万年前)
 小惑星の衝突と火山活動が複合的に関与し,恐竜が絶滅。
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 そもそも「生命史のビッグファイブ」といったところで,私はすでに詳しく知っていたことでもあり,特に行ってみたいと思ったわけではありませんでした。招待券をもらわなければ,行くこともなかったと思います。とはいえ,多くの人には「生命史のビッグファイブ」というのは初耳で,驚きのことだったのかもしれません。すごい人気でした。
 当日は,早朝の新幹線で東京駅まで行って,そこから乗り換えて,上野駅に到着したのが午前9時少し前だったのですが,すでに長い行列ができていました。この行列の先に入口があるのではなく,あくまで,入場時間の整理券がもらえるだけで,そこに指定された時間までは,国立科学博物館の通常の展示を見て時間をつぶす,という段取りでした。私がもらった整理券の指定された時間は午前10時30分でした。
 私のような老人は,国立科学博物館の通常の展示は無料です。そこで,これまでにも,何度も行っているわけですが,ここは,さすが首都東京の博物館らしく,なかなか充実しています。今回は祝日だったので多くの人がいましたが,平日の午前中なら,静かな館内でゆっくりした時間が過ごせるので,穴場です。

 やがて,午前10時30分に近くなったので,入場口に並び,ほどなくして中に入りました。
 整理券があるとはいえ,館内はすごい人で,人の頭を見るようなものでした。東京では,美術館も同様,休日に行くものではありません。何となく見て回っていたのですが,多くのものはレプリカで,たまに実物があるという程度でした。アメリカのデンバー自然科学館から貴重な標本が多数来日! とありましたが,私は,すでに,デンバーの自然科学博物館で見ているし…。確かに,「生命史のビッグファイブ」というのは,私もはじめて知ったときは驚きましたが,そんな知識もない多くの人は,ここでそれを知ったにせよ,こんなに混雑した館内では,何が学べるというのでしょうか?
 招待券で入ってこんなことをいうのも失礼なのかもしれませんが,人混みがきらいで落胆した私は,早々に館内から外に出ました。本当にじっくりと見たいのなら,2026年3月20日から6月14日まで,名古屋市科学館で開催するので,平日の午前,それも,学生が遠足や野外授業でやってこない始業式のような日を選んで行くほうがずっといいと思いました。時間はお昼少し前でした。国立科学博物館内にはレストランもあるので,昼食を,と思ったのですが,これもまた,30分待ち。こんな状態なのに,それに耐えてでも休日にやってくる東京の人たちにこそ,私は感動しました。そういうことはすべて承知で,それでも招待券を捨てることができずやってきた私は,まだまだ進化が足りないようです。
 ということで,国立科学博物館内のレストランをあきらめ,これもまた,穴場である東京文化会館のカフェで昼食をとりました。

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【Summary】
Toru Takemitsu’s Family Tree – Musical Poem for Young People (1992) is a late work for narrator and orchestra, based on a text by Shuntaro Tanikawa. Its quiet, spacious sound world reflects Takemitsu’s aesthetic of silence and nature. Listening again, I was reminded of its warm, intimate atmosphere, gently narrated this time by the young actress Noa Goto.

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 サントリーホールは,コンサート開演前にからくり時計が登場,大ホールと同じ素材のパイプオルガン37本が曲を奏でます。これからのときめきにワクワクする瞬間です。
 これまで何度かサントリーホールで聴きましたが,今回,はじめての最前列。まさかサントリーホールの最善列で音楽を聴くことができるとは…。さすがにサントリーホールは品格があります。
 
 さて,1曲目は武満徹の「系図-若い人たちのための音楽詩-」(1992年)でした。珍しい曲をやるんだなあ,と思いました。
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 武満徹の「系図-若い人たちのための音楽詩-」(1992年)は,武満徹の代表作のひとつで,語りとオーケストラのために書かれた作品です。タイトルの「系図」は「家系図」や「血筋」を意味していて,家族や記憶,時間の流れといったテーマが込められています。詩人・谷川俊太郎のテキストをもとに,語り手(ナレーター)が子どもの視点で家族について語り,その語りに寄り添うようにオーケストラが繊細で幻想的な音楽を奏でることで,語りと音楽が対話するような構成となっていて,まるで夢の中を漂っているような感覚になるものです。
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 調べてみると,初演は1992年にNHK交響楽団によって行われ,語りは武満徹の娘である武満真樹さんが務めました。とあるのですが,NHK交響楽団の演奏記録アーカイブを調べてみると,曲名が「 ファミリー・トゥリー (系図)」となっていましたが,1997年6月18日,19日に第1327回定期公演Bプログラムで,指揮がシャルル・デュトワさん,ナレーションが遠野凪子さん,アコーディオンが御喜美江さんで行われたものと,2016年4月22日,23日に第1833回定期公演Cプログラムで,指揮がレナード・スラットキンさん,ナレーションが山口まゆさん,アコーディオンが大田智美さんで行われたものが見つかりました。で,思い出したのですが,私は,2016年に演奏されたものを実際に会場で聴いています。このふたつの公演はYouTubeで見られるのですが,そこで,思い出しました。この曲,よく覚えています。

 武満徹は,1930年に生まれ,1996年に亡くなりましたから,この曲は晩年のものです。
 武満徹の音楽は,メロディックな「わかりやすい音楽」とは違い,静けさや余白,響きの移ろいが基本となっていて
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●間の美学
 音と音のあいだの「沈黙」や「余白」を大事にし,日本庭園の静けさや茶室の空気感のような,音がない時間に意味をもたせる。
 ●自然との共鳴
 風の音,水のさざめき,木々のざわめきといった自然の音を思わせるような響きが多く,聴いているとこころが落ち着いてくる。
●西洋と東洋の融合
 西洋の現代音楽の技法を使いながら,日本的な感性や美意識を大切にしている
 特に有名なのは,尺八や琵琶とオーケストラを組み合わせた「ノヴェンバー・ステップス」はその象徴。
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といった特徴があります。
 今回の「系図-若い人たちのための音楽詩-」(1992年)は,お年寄りが暖かな日差しの入る居間にいて,その姿を見ながら孫が語っている,というような感じがしました。
 語りは五藤希愛(のあ)さんという人で,2010年生まれというからまだ15歳の俳優,声優さんです。この大役をこなす人をさがすのも大変だったことでしょう。

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【Summary】
On February 24, 2026, I attended the Nagoya Philharmonic Orchestra’s special Tokyo concert at Suntory Hall. I especially looked forward to Strauss’s Ein Heldenleben. Sitting in the front row, I was amazed by concertmaster Kyoko Ogawa’s powerful solo. It felt like a violin concerto. However, the string sound seemed stronger than the winds.

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 2026年2月24日,サントリーホールで,名古屋フィルハーモニー交響楽団の東京特別公演を聴きました。曲目は,武満徹の「系図-若い人たちのための音楽詩-」,R・ シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。指揮は音楽監督の川瀬賢太郎さん,語りが五藤希愛さん,アコーディオンが大田智美さん,そして,コンサートマスターで「英雄の生涯」のソロを弾くのが小川響子さんでした。
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 今シーズンの東京公演はサントリーホールで開催します。
 サントリーホールでの開催は2021年以来4年ぶりとなります。名フィルサウンドが音楽の殿堂であるホールでどのように響くのか,僕も今からとても楽しみにしています。
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ということでした。
 愛知県芸術劇場コンサートホールでも同じプログラムがあるのに,わざわざ東京へ行ったのは,サントリーホールで「名フィル」が聴きたかったことと,地方,というか,東京公演では,定期会員がいないので,上席が手に入ること,そして,この機会を利用して,東京近郊で行きたいところがあったことにあります。このことは,また,後日書きます。

 曲目のうち,武満徹の「系図-若い人たちのための音楽詩-」は次回書きます。
 R・ シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」,これが楽しみでした。私は,何度も書いているように,R・ シュトラウスが苦手です。というか,よさがわからん,ともいえます。であったのですが,このごろになって,やっと何となくわかってきました。特に,「英雄の生涯」はいいです。
 この曲は,以前,NHK交響楽団の桂冠名誉指揮者サヴァリッシュ(Wolfgang Sawallisch)さんが得意としていました。そのころは,コンサートマスターのソロということよりも,サヴァリッシュさんの人生とダブって感じられる,ということがクローズアップされていて,特別な曲でした。
 私が,この曲を再発見したが,2025年3月16日に兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホールで「沖澤のどか指揮 京都市交響楽団〈英雄の生涯〉」と題した演奏会を聴いたときです。このときは,沖澤のどかさんが目当てで,曲目は二の次だったのですが,コンサートマスターの会田莉凡さんのソロがあまりにすばらしく,それ以来,「英雄の生涯」では,コンサートマスターのソロを聴くのが楽しみになりました。今回は,小川響子さん。私は,最前列,コンサートマスターの真ん前の座席をいち早くチケットを入手しました。

 実際に聴いてみて,正直驚きました。小川響子さんはすごい迫力で,まるで,私こそが英雄! とばかりのヴァイオリン協奏曲のような「英雄の生涯」でした。動作が大きく,音楽に合わせて,思わず足音がしたり,さらには,唸り声まで聞こえました。最前列の強みです。
 ちょっと珍しい「英雄の生涯」でした。
 先日聞いたNHK交響楽団の「英雄の生涯」は正反対で,コンサートマスターの長原幸太さんのソロは,影がとても薄かったのですが,今回の演奏では,コンサートマスターの独演会の様相を呈していました。こういう演奏は,賛否両論あるのでしょうが,私は,これはこれでありかな,と思いました。お見事でした。
 ただし,そもそも,サントリーホールの最前列なんてはじめて座ったので,サントリーホールの響きを知らなかったせいか,やたらと弦の音が大きくて,管楽器が少し霞んでいるように思いました。京都コンサートホールでは,最前列でもそういうことはなく,弦と管のバランスがとてもよいので,それだけがちょっと意外でした。

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【Summary】
I visited the Tanegashima Space Center, known as the world’s most beautiful launch site. After missing my first chance, I joined a bus tour to see launch pads and control buildings. I also climbed a steep hill for panoramic views, including distant Yakushima.

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 今日は,種子島のロケット打ち上げ基地について書きます。

   種子島の南東の先端,竹崎というところにあるロケットの打ち上げ基地は,種子島宇宙センターといいます。「世界一美しいロケット発射場」というだけあって,すばらしい景色です。
 予約制のバスツアーが1日2回行われていて,打ち上げ基地の近くまで行くことができます。1日目に種子島に来たとき,真っ先に種子島宇宙センターに行ったのですが,バスツアーがあることを知らず,参加し損ねました。そこで,最終日にバスツアーを予約して,実現することができました。
 バスツアーでは,一般には見ることができないロケットの打ち上げ場や総合管制棟を見学することができました。 バスツアーでは,まず,打ち上げられなかったHⅡロケットが展示されているロケットガレージ,次に,ゲートをくぐって,大型ロケット組立棟を経て,大型ロケット発射場へと案内されました。そして, 最後に,総合管制棟を見学することができました。

 ロケットの打ち上げ基地には食堂があって,特製の昼食をとることもできます。
 また,ロケットの打ち上げ基地にある宇宙科学技術館の前にある登り口から,カーモリの峯という,種子島宇宙センターを一望できる小高い山に登ることができます。カーモリの峯は, 標高75メートルのカーモリの峯展望台があって,全長32.57メートル,重量90.38トン、直径2.44メートルのN-1ロケットの実物大模型をはじめ,遠くには点在する小島も見え絶景です。
 ということだったので登ってみたのですが,それがそれがかなり険しく,展望台までが大変でした。 しかし,登りきった展望台からは,象の水飲み岩という名前のついた岩もよく見えました。また,その向こうには,雪を被った屋久島が展望できました。


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【Summary】
I visited Tanegashima for three days in February 2025. Reached via Kagoshima Airport, the island exceeded expectations: quiet, clean, car-friendly, with good roads, limited lodging, and a rocket base to observe rather than launches, making it unexpectedly appealing.

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 佐渡島,壱岐島,隠岐諸島の次に紹介するのは,2025年2月18日から2月20日まで,2泊3日で出かけた種子島です。
 種子島は鹿児島市内から135キロメートルのところにあって,鹿児島空港から飛行機で40分ほど,あるいは,鹿児島港からフェリーで3時間40分ほどで行くことができます。種子島とともに語られるのは屋久島。種子島と屋久島は,北海道の礼文島と利尻島に,島の形や位置など,このふたつの島の関係が何か似ているような気がします。北海道と鹿児島におなじような島々があるのが,また,不思議です,
 種子島と屋久島では,多くの人は屋久島のほうに魅力を感じるようですが,私は,屋久島にはほとんど興味がなく,種子島はなぜか気にある存在で,一度は行ってみたいと思っていました。種子島といえば,ロケットの打ち上げ基地ですが,ロケットの打ち上げは,それを見たいという人が多く,しかし,日程の変更が多いので,私は,そうした人混みやスケジュールが決まらないというのは嫌いなので,実際に打ち上げを見たいとは思っておらず,ロケットの打ち上げ基地が見られればいいや,と思っていました。
 それ以外には,どういう島なのか,ほとんど知りませんでしたが,実際行ってみて驚きました。種子島は予想以上のところでした。

 名古屋からは,飛行機で鹿児島空港まで行き,鹿児島空港から種子島空港まで,日本エアコミューター(JAC)で行くのが,最も簡単です。とはいえ,名古屋から鹿児島空港まで行くより,鹿児島空港から種子島空港まで行くほうが運賃が高いというのが少し残念です。
 島内の観光は,路線バスは本数が少ないので,レンタカー一択ということになります。また,宿泊するところは,さほど選択肢がなく,私の宿泊した「サンダルウッド」一択,といってもよいでしょう。ここは,部屋にある風呂が温泉,というところで,食事もよく,おすすめです。
 種子島は,東西約12キロメートル,南北58キロメートルと縦に長く,面積は445.1平方キロメートルで,人口は約27,000人です。北の端から南の端まで,3日あればすべてを見て回ることができます。また,種子島で特筆すべきものは,島全体がとてもきれいだ,ということです。特に,道路状況がいい。それは,ロケットの打ち上げ基地がある,ということがその理由でしょう。


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【Summary】
On February 20, 2026, I visited the Nagoya Port area using a sightseeing pass. I enjoyed panoramic views from Nagoya Port Building, explored the interactive maritime museum, and toured the historic Antarctic research ship Fuji, reflecting on Japan’s port development and polar exploration history.

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 2026年2月20日。天気がよかったので,この日も「あいち・なごや周遊観光パスポート」に該当する施設をいくつか見てくることにしました。今回は,名古屋港周辺です。
 名古屋港周辺で,もっとも知られているのは名古屋港水族館です。とはいえ,それ以外にも,南極観測船「ふじ」が埠頭に浮かび,その向こうには名古屋港ポートビルがあるのですが,なかなかそこまで足を延ばす人がいません。私も,これまで,1度だけ南極観測船「ふじ」にはいきましたが,それ以外は,名古屋港水族館だけを見て帰りました。

 そこで,今回は,名古屋港ポートビルから行ってみました。午前9時30分開館でした。
●名古屋港ポートビル展望台
 まず,展望台にいきました。
 展望台は名古屋港のランドマーク的存在で,白い帆船をイメージした高さ63メートルの建物の最上階にあります。展望室は地上53メートルにあって,名古屋港や市街地,晴れた日には鈴鹿山脈や御嶽山まで見渡せる絶景スポットです。
 時間が早かったこともあり,私以外にはだれもおらず,最高でした。また,幸い,天気がよく,展望室からの360度パノラマビューでは,遠くの美しい山々がよく見えました。さぞかし夜景がきれいだろう,と思ったのですが,夜は開放していないようです。
 私が子供のころは,名古屋港といえば,横浜港や神戸港とは異なり,観光地もなく,近づきがたいところでしたが,ずいぶん変わったな,と思いました。

●名古屋海洋博物館
 名古屋海洋博物館は,名古屋港ポートビルの3,4階にある,海,船,港をテーマにした体験型の博物館です。はじめに展望台に行ったので,そこからエレベータでおりました。
 先日行ったあいち航空ミュージアムの船版みたいなところでしたが,正直いって,あいち航空ミュージアムより楽しめました。撮り鉄,とか,飛行機を撮ることを趣味とする航空ファンの存在はよく知られていますが,船を撮るのを趣味とする人はそれほど多くないと思います。そのように,飛行機飛行機に比べて,船というのは,それほど身近な存在でないので,知らないことが多いのですが,やはり,奥が深いものです。
 あいち航空ミュージアムでは飛行機の操縦シミュレーターを体験したのですが,ここでは,操船シミュレーターがあって,すすめられたのでやってみました。なれていないと難しいものだと思いました。

 名古屋港ポートビルをでて,次に,南極観測船「ふじ」に向かいました。
●南極観測船「ふじ」
 南極観測船「ふじ」は,日本の南極観測を支えた歴史的な砕氷船で,1965年から1983年まで,南極地域観測隊の輸送船として活躍しました。「ふじ」は日本初の本格的な南極観測船で,18回,日本と南極を往復し,氷を砕きながら進む砕氷艦として,南極観測隊の物資輸送や隊員の輸送を担いました。現在は,「しらせ」,2代目「しらせ」に引き継がれています。
 引退後は,名名古屋港は港としての歴史も深く,南極観測の意義を伝える場としてふさわしいということから,名古屋港が引き取って,1985年から名古屋港ガーデンふ頭に係留・展示されることになりました。
 私は,子供のころ,南極観測船「ふじ」の,当時としては大きなプラモデルを作ったことがあって,そのころに関心をもって,いろいろと調べたので,興味がありました。そういえは,そのプラモデルは,当時通っていたそろばん教室でのご褒美でもらったものだということを思い出しました。
 船内では,当時の観測隊の生活の様子や,南極での過酷な任務の記録が展示されていました。この年になると,3か月もの間の狭い船内での暮らしを考えると,その大変さがよくわかります。それでも,戦艦やらの艦内の住居スペースの環境に比べたら,ずいぶんとマシだったのでしょう。

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【Summary】
On February 19, 2026, despite cold, windy weather, I visited attractions covered by the Aichi–Nagoya sightseeing pass. At Chubu Electric Power MIRAI TOWER, I enjoyed panoramic city views. Later, at Ama City Shippoyaki Art Village, I learned about the history, techniques, and beauty of traditional cloisonné enamelware.

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 2026年2月19日。天気はよかったのですが,風が強く寒い日でした。この日もまた,「あいち・なごや周遊観光パスポート」に該当する施設をいくつか見てくることにしました。

 まず,名古屋の繁華街・栄にそびえたつ中部電力MIRAI TOWER(旧・名古屋テレビ塔)です。
●中部電力MIRAI TOWER
 中部電力MIRAI TOWERは,名古屋市中区栄にあるシンボリックな観光スポットです。
 高さ180メートルの名古屋テレビ塔は,1954年に完成した日本初の集約電波塔です。子供のころ,何度か登りました。当時は周りにあまり高い建物もなく,当時栄町といった,名古屋の繁華街で特に目立つ存在でした。 
 そのころは,テレビ電波が送信されていましたが,地上波デジタル放送への移行に伴って,主に技術の進化と放送エリアの最適化のため,高さ245メートルの電瀬戸デジタルタワーが2003年に完成し,役割を終えました。瀬戸デジタルタワーは公開されていません。
 2020年にはリニューアルされて,中部電力MIRAI TOWERとして新たに生まれ変わりましたが,これまで登ることはありませんでした。リニューアルされた当初,中部電力MIRAI TOWERにはホテルがあると評判になりました。実際,中部電力MIRAI TOWERには,「THE TOWER HOTEL NAGOYA」(ザ・タワーホテル ナゴヤ)というホテルがあります。世界初の「タワーの中にあるホテル」全15室のスモールラグジュアリーホテルで,地元食材を使ったレストラン「glycine」(グリシーヌ)や「Lily」(リリー)も併設されているそうです。この日は天気がよかったこともあり,展望台からは名古屋の街並みが一望できました。夜景がキレイだろうなあと思いました。

 札幌に行ったとき,札幌の大通公園にもテレビ塔があって,あまりに似ているのに驚きました。高さ147.2メートルの札幌のテレビ塔のほうが名古屋のテレビ塔よりも3年ほど後に作られたそうです。なお,札幌のテレビ塔も役割を終え,現在は展望台となっているようです。

 中部電力MIRAI TOWERから家に帰る途中,あま市七宝焼アートヴィレッジに寄りました。
●あま市七宝焼アートヴィレッジ
 あま市七宝焼アートヴィレッジは,あま市にある七宝焼の魅力を体験できる文化施設です。
 この地で七宝焼が盛んになったのは, 江戸時代,この地域は尾張藩の支配下にあって,名古屋城下とのつながりが強く,武家や裕福な町人の間で装飾品や工芸品の需要が高かったことから,七宝焼のような美しい工芸が発展する土壌があったこと,七宝は名古屋と津島を結ぶ街道沿いにあり,物流の要所で,完成した七宝焼を名古屋や京都,大阪へと運ぶのに便利だったこと,幕末から明治にかけて,京都や江戸から七宝技術が伝わり,それを地元の職人たちが改良・発展させていったこと,特に,梶常吉(かじつねきち)という人物がこの地で七宝焼の技術を確立し,産業として根づかせたこと,明治以降も輸出工芸品として高く評価され,地域の経済を支える重要な産業となり,その誇りが今も受け継がれていること,などがあるそうです。
 七宝焼の展示室では,江戸時代から現代までの作品がくわしい解説とともに展示され,いろいろなことを知りました。これまで七宝焼については全く知りませんでしたが,繊細な色彩と光沢に惹かれました。
 また,体験工房があって,自分だけの七宝アクセサリーや小物を作ることもできるようです。
 この日は,実際に七宝焼の名手が作品の制作をしているところを見ることもできました。
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 2019年(令和元年),天皇皇后両陛下は,即位後初の地方訪問として,あま市七宝焼アートヴィレッジを訪問されました。訪問の際には,尾張七宝の代表的な作品,たとえば「間取り花鳥文大花瓶」や「花鳥図花瓶」などを見られ,また,地元の職人さんが七宝焼の製作工程を直接説明する場面もあったということで,写真が展示されていました。 

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【Summary】
On February 18, 2026, I used the Aichi–Nagoya sightseeing pass to visit several museums. I revisited the Toyota Automobile Museum, enjoyed a guided tour, explored ceramics at the Aichi Prefectural Ceramic Museum, and the charming Maneki Neko Museum. I ended the day disappointed to find the Obara Washi Museum closed.

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 2026年2月18日。天気がよかったので,この日も「あいち・なごや周遊観光パスポート」に該当する施設をいくつか見てくることにしました。

 まずは,トヨタ博物館です。ここは,昨年の夏,2025年9月9日に行ったことがありますが,そのときの印象がよかったので,今回も楽しみでした。
●トヨタ博物館
 愛知県長久手市にあるトヨタ博物館は,自動車の歴史をたどる旅ができる場所です。トヨタ車だけでなく,よくぞ集めた! というほどの世界中の名車も展示されているので,見ごたえのある博物館です。
 先日,トヨタ産業技術記念館に行ったことはすでに書きましたが,このふたつの施設はとても見ごたえがあります。さすが,世界の企業だと実感します。
 前回,ひと通り見たので,今回は,約1時間のミュージアムツアーがちょうどはじまる時間だったので,それに参加しました。とても親切で詳しい説明を聞くことができました。とはいえ,参加者は私をふくめてたったふたり。もったいない気がしました。
 その後,館内のレストランで昼食をとりました。

 次に愛知県陶磁美術館に行きました。ここは,トヨタ博物館からさほど遠くないところです。これまで,近くは何度も通っているのですが,愛知県陶磁美術館には行ったことはありませんでした。というか,興味がありませんでした。
●愛知県陶磁美術館
 愛知県陶磁美術館は,瀬戸市にある陶磁器専門の美術館で,日本や世界のやきものの歴史と美しさを味わうことができる場所です。
 広い敷地で,駐車場から入口まで,結構な距離がありました。もっと違う作りにできるのに,と思いました。
 愛知県陶磁美術館は,縄文時代の土器から現代陶芸まで,幅広い時代と地域の陶磁器が展示されていて,特に,地元瀬戸焼や常滑焼など,地元愛知の伝統工芸に触れられるのが魅力です。
 いかにも愛知県の施設。殺風景で,よくいえば,展示室はとっても静かで落ち着いている,悪くいえば,ほとんど来ている人もいない,というところでしょうか。もうひとつ魅力的な工夫ができそうなものです。とはいえ, 陶芸体験もできるようになっていたりと,学習の場としても機能しているのでしょう。
 愛知県陶芸美術館は,1978年(昭和53年)に開館しました。愛知県は瀬戸焼や常滑焼をはじめとする日本有数の陶磁器の産地で,長い歴史と伝統を持っています。そこで,地域の文化遺産を保存・研究・展示するためにつくられたもので,「陶磁器の総合的な拠点」として,研究,保存,教育の三本柱をうたっています。

 愛知県陶磁美術館からさらに北に進むと,瀬戸市街に着きます。そこにあるのが招き猫ミュージアムです。ここもまた,近くまで行ったことはあるのですが,中に入ったことはありませんでした。
●招き猫ミュージアム
 招き猫ミュージアムは,招き猫のふるさとともいわれる瀬戸ならではの施設です。
 館内には,江戸時代から現代までのさまざまな招き猫がずらりと展示されていて,素材も,陶器,木,紙,金属など多種多様! それぞれの表情やポーズに個性があって,見てるだけで福が舞い込んできそうな気分になります。 展示されている招き猫は,全国各地から集められた約5,000点以上もあって,地域ごとの特色や時代ごとのデザインの違いを楽しむことができます。
 また,招き猫の絵付け体験が行われていて,自分だけの福招きを作ることもできるようです。
 1階のショップには,多くの招き猫が売られていましたが,けっこうな値段がするんだなあ,と驚きました。
 瀬戸市では,明治時代から招き猫の陶器が作られ,全国の神社や商店に収められてきました。そのような歴史と文化を後世に伝えようと,1994年(平成6年)に開館したのが招き猫ミュージアムで,地元の陶磁器文化を支える企業である株式会社中外陶園が運営しています。

 これで,今回の予定は終わりだったのですが,まだ,時間がありました。
 そこで,「あいち・なごや周遊観光パスポート」に該当する施設のうちで,もっとも遠く,行きにくいという小原和紙美術館まで足を延ばしてみることにしました。招き猫ミュージアムからは車で30分ほど山の中へ行ったところです。
●小原和紙美術館
 小原和紙美術館は,豊田市小原町にあって,伝統的な小原和紙の魅力を伝えるために作られた施設です。小原和紙は,楮(こうぞ)を原料にした手すき和紙で,特に落水紙(らくすいし)という独特の透かし模様が特徴です。これは,水を使って模様をつける技法で,まるで水のしずくが紙に舞い降りたような繊細さがあるものです。
 小原和紙美術館が開館したのは1984年(昭和59年)。地元の伝統工芸を保存,発信するために,豊田市が設立しました。館内では,小原和紙の歴史や製作工程を紹介する展示のほか,実際に紙すき体験もできるそうです。
 ということだったのですが,わざわざ行ったのに,入口には,休館中という無残な文字が…。
 調べてこなかった私が悪いのか,残念な結果になりました。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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【Summary】
After visiting Hiunkaku at Nishi Hongan-ji, I toured filming locations of the NHK BS drama Kyoto People’s Secret Pleasures. Highlights included the historic kimono shop Kondaya Genbei, Doshisha University, a wagashi museum, and the long-established sweet maker Tawaraya Yoshitomi, showcasing Kyoto’s refined traditions.

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 西本願寺の飛雲閣(ひうんかく)を見て,まだ時間がありました。そこで,現在NHKBSで放送されている「京都人の密かな愉しみ」のロケ地を巡ってみることにしました。
 京都は,町歩きが楽しいところです。そこで,西本願寺から京都市営地下鉄の烏丸御池駅まで歩くことにしました。
 途中,四条西洞院を通りました。この場所こそ,織田信長の時代に本能寺のあったところです。当時の本能寺は東西西洞院から油小路,南北六角から蛸薬師に及ぶ広大な寺域をもっていました。つまり,本能寺の変は,ここで起きたのです。

 西洞院通から室町通に進路を変えて北に歩くと,やがて,室町三条に着きました。ここは,かつて多くの繊維問屋のあった場所。このあたりが「京都人の密かな愉しみ」のロケ地のひとつです。
●「誉田屋源兵衛」(こんだやげんべえ)
 室町三条にあります。ドラマでは,呉服問屋「伊づ譽」として登場します。
 「誉田屋源兵衛」は老舗の呉服商で,創業は享保年間(18世紀初頭)にさかのぼるとされる非常に歴史ある商家です。特に帯の製作で名高く,伝統的な技法を守りながらも現代的な感性を取り入れた作品づくりで知られています。
  誉田屋の帯は,単なる装飾品というよりも,まるで芸術作品のようといわれます。

 室町三条の最寄り駅は京都市営地下鉄の烏丸御池駅。このあたりには,食事のできる店が多くあります。私も京都文化博物館にあった食堂で昼食をとりました。そして,烏丸御池駅から地下鉄に乗って,今出川駅で降りました。「京都人の密かな愉しみ」のロケ地のひとつである同志社大学は今出川駅からほど近いところにあります。
●同志社大学
 御所の北側にあります。ドラマでは,洛志社大学として登場します。
 1875年に新島襄(にいじま じょう)によって創設された,日本でもっとも歴史あるプロテスタント系の大学のひとつです。キリスト教精神に基づいた「良心教育」を掲げ,「良心を手腕に運用する人物の育成」を目指しています。
 文学部,法学部,経済学部,理工学部,グローバル・コミュニケーション学部など,多彩な学部があって,国際交流にも力を入れています。
 キャンパスは,京都市内の今出川キャンパスと京田辺市の京田辺キャンパスにわかれていて,それぞれ歴史的な建築と自然に囲まれた環境が特徴的です。特に,今出川キャンパスの「クラーク記念館」は重要文化財にも指定されています。

 同志社大学を越え,烏丸通りを北に歩くと,左手に京菓子資料館があります。
●京菓子資料館
 後述する「俵屋吉富」(たわらやよしとみ)が運営する京菓子資料館です。2階には和菓子の歴史や文化を伝える展示があり,1階では,季節の和菓子と抹茶をいただくことができます。
 この1階の部屋で,「京都人の密かな愉しみ Rouge‐継承‐」第5回「まことの花」のひとつのシーンが撮影されました。
 その裏手が「俵屋吉富」の店舗です。
●「俵屋吉富」
 同志社大学のほど近いところにあります。ドラマでは,京都の老舗和菓子屋「久楽屋」として登場します。
 格式ある町家建築で,店内には美しい生菓子が並び,ドラマでは,俵屋吉富の繊細な和菓子が季節の移ろいや登場人物の心情を映す小道具としても使われています。
 創業は1755年(宝暦5年)と,江戸時代中期から続く老舗です。特に有名なのが,棹菓子の「雲龍」(うんりゅう)は季節の上生菓子です。見た目の美しさと味の繊細さが絶妙で,茶道の席でもよく使われます。

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月,水星,金星。

2026年2月19日。
夕方の西空。月齢1.9の月,水星,金星です。DSC_1861


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【Summary】
After visiting Nishi Hongan-ji’s Hiunkaku, I walked toward Karasuma-Oike, exploring filming locations from Kyoto People’s Secret Pleasures. Along the way,I saw the former site of Honnō-ji, Ono no Komachi’s cosmetic well, Chaya Shirōjirō’s residence site, and the ruins of the Nanban-dera, reflecting Kyoto’s layered history.

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 西本願寺の飛雲閣(ひうんかく)を見て,まだ時間がありました。そこで,現在NHKBSで放送されている「京都人の密かな愉しみ」のロケ地を巡ってみることにしました。あまり時間がなかったので,今回は室町三条あたりと今出川あたりに絞りましたが,京都は,町歩きが楽しいところです。そこで,西本願寺から京都市営地下鉄の烏丸御池駅まで歩くことにしました。

 途中,四条西洞院を通りました。この場所こそ,織田信長の時代に本能寺のあったところです。当時の本能寺は東西西洞院から油小路,南北六角から蛸薬師に及ぶ広大な寺域をもっていました。
●本能寺跡
 1582年(天正10年)6月2日,明智光秀に襲撃された場所には,「此附近本能寺跡」という石碑が立っており,近くには「本能寺の変跡地」を示す碑も設置されています。本能寺の変で焼失後,豊臣秀吉の京都改造として,寺町への寺院集約により,1589年(天正17年)ごろに,現在地である寺町通御池下ルへ移転しました。 現在の場所: 京都市役所のすぐ近く(中京区下本能寺前町)に位置しています。 旧地跡: かつての場所には「此附近 本能寺跡」という石碑が立っており、近くには「本能寺の変 跡地」を示す碑も設置されています。 かつては広大な敷地を持っていたため、現在の旧地碑周辺が信長を襲った場所の伝承地となっています。

 次に見つけたのが,小野小町の別宅跡にあった化粧水です。
●小野小町の化粧水
 場所は,西洞院通四条南東。四条西洞院交差点の角にある小さな石碑でした。ここに,小野小町が実際に化粧の際に使っていた井戸があったと伝わるそうです。石碑横の立て看板には「化粧水は西洞院四条の南にあり,いにしへ,この所に小野小町の別荘ありしなり」と,1780年に出された書物「都名所図會」の引用が紹介してありました。

 さらに行くと,茶屋四郎次郎の屋敷跡がありました。
●茶屋四郎次郎の屋敷跡
 場所は,蛸薬師下ル百足屋町の瑞蓮寺脇。
 この付近に,江戸時代初期「京都三長者」のひとりと称された茶屋家初代・茶屋四郎次郎清延の屋敷跡の碑がありました。安土・桃山時代,茶屋四郎次郎清延が,この地に居を構えたといいます。
 茶屋四郎次郎清延は,徳川家の御用達として徳川家康の側近になりました。戦に従い,間者として講和の内使,情報提供,軍需品調達,京都での旅宿手配を務めました。本能寺の変では,その報を徳川家康に伝え,伊賀越えに協力しました。

 次に見つけたのが,南蛮寺跡でした。
●南蛮寺跡
 場所は中京区蛸薬師通室町。
 織田信長の時代,ヤソ会(耶蘇会)によって建てられた南蛮寺は,蛸薬師通室町の地にあったと推定されています。ヤソ会はイエズス会の日本でのよび名です。ヤソはイエス(耶蘇)の音写で,当時の日本ではキリスト教徒をヤソとよんでいました。イエズス会は,1534年にスペインのイグナティウス・デ・ロヨラたちによって創設されたカトリックの修道会で,プロテスタントに対抗するための布教活動を目的としていました。日本では16世紀にフランシスコ・ザビエルが来日して布教をはじめたことで知られます。
 戦国時代末期,京都でのキリスト教布教は,1559年(永禄2年)から本格化し,1561年(永禄4年)にこの付近に礼拝堂が設けられました。数々の迫害にあいながら,ヤソ会宣教師は布教に努力し,織田信長の保護もあって信者は拡大しました。1576年(天正4年),古くなった礼拝堂を再建することにし,数百人の信者の協力と所司代村井貞勝の援助で完成し,献堂式のミサが行われました。これが南蛮寺で,信者の間では珊太満利亜(さんたまりあ)上人の寺ともよばれ,京都におけるキリスト教と南蛮文化の中心となりました。しかし,1587年(天正15年),九州征伐を終えた豊臣秀吉は宣教師追放令を発し,キリスト教弾圧に転じ,南蛮寺もその時に破壊されてしまいました。、ついにこの地には復興されませんでした。

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【Summary】
After visiting Kyoto Ryozen Gokoku Shrine, I went to Nishi Hongan-ji to see Hiuun-kaku, one of Kyoto’s three famed pavilions alongside Kinkaku and Ginkaku. Built in the Momoyama style and linked to Toyotomi Hideyoshi, its asymmetrical beauty felt deeper with age.

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 京都霊山護国神社に行った後は,西本願寺の飛雲閣(ひうんかく)へ行こうと思いました。
  ・・・・・・
 飛雲閣は,京都の西本願寺にある歴史的な建築物で,桃山時代の華やかな建築様式を今に伝える貴重な遺構です。金閣,銀閣と並んで京の3名閣のひとつに数えられ,その美しさは空に浮かぶ雲のようとも称されます。
  ・・・・・・
 飛雲閣は,学生のころ,日本史の教科書で知りました。見てみたいと思ったのですが,金閣,銀閣とは違い,非公開でした。その後,特別公開があると知って見にいったことがあるのですが,それもまた昔のことで,ほとんど記憶に残っていませんでした。偶然,今回「京の冬の旅」で公開されると知り,行ってみることにしたのです。
 飛雲閣は,2017年7月から2020年3月まで,約20年ぶりの修復工事が行われ,屋根のふきかえを中心に,表具や框(かまち)の修復や畳の表替え,耐震補強などが施されました。
 飛雲閣の特別公開は,近年は9年ぶりの公開として2023年秋,それ以降は,2024年冬,2025年秋にも行われているようです。今回は内部も公開されたようですが,これは事前予約制で,私が試みたときはすでに締め切りで,外観のみの見学となりました。

 京都霊山護国神社から西本願寺まで,どうやって行こうかと考えて,タクシーにしました。私はめったにタクシーには乗らず,およその場所は歩くのですが,歳ですな。タクシーの運転手さんは,以前の外国人の少なかった京都が懐かしい,と言っていました。私も同感でした。
 一般の公開は午前10時からということで,その30分ほど前に着きました。そこで,先に,西本願寺の唐門を見にいきました。
●西本願寺唐門
 西本願寺の国宝である唐門は,見ていると日が暮れるのも忘れてしまうことから,日暮門(ひぐらしもん)ともよばれます。桃山時代の豪華な装飾美を今に伝える貴重な遺構。細部まで彫り込まれた極彩色の彫刻が特徴で,牡丹,唐獅子,鶴,龍など縁起のよいモチーフが施されています。
 豊臣秀吉の伏見城から移築されたという説が有力で,飛雲閣と同じく桃山文化の栄華を今に伝えるものといわれます。しかし,どうやら寛永年間に改造したらしく,そのときに彫刻などで飾り立てたといいます。寛永年間は,徳川家光が日光東照宮を大修築した時期にあたり,日光東照宮の陽明門を連想させます。
 2022年に40年ぶりに修復されたということで,現在は,あでやかな様相を奏しています。

 飛雲閣の公開時間が来たので,中に入りました。多くの人が来てごった返していたら,と心配だったのですが,それほどはなく安心しました。
●飛雲閣
 飛雲閣は,池に浮かぶように建てられた三層の楼閣で,それぞれの階が異なる建築様式になっています。
 1層目は主室の招賢殿(しょうけんでん)や茶室などと,舟入(ふないり)の間があります。 飛雲閣は,滴翠園にある池「滄浪池」(そうろうち)に面して建てられていて,舟を直接正面に着けることができる造りです。書院造風で,落ち着いた雰囲。これは格式ある武家の住宅に見られるスタイルで,実用性と美しさが融合しています。
 2層目は寝殿造の要素が取り入れられていて,貴族的な優雅さが感じられる空間です。柱や欄間の装飾も凝っています。三十六歌仙が描かれた歌仙の間があって,外からも歌仙の絵を見ることができます。
 3層は摘星楼(てきせいろう)とよばれ,物見をする部屋だったといわれています。禅宗様(唐様)で,屋根の反りや装飾がとても華やかなので,この層が雲に浮かぶようといわれるゆえんです。
 また,渡り廊下で結ばれている建物は黄鶴台(おうかくだい)とよばれ,別棟の浴室には脱衣所と蒸し風呂が造られています。
 飛雲閣は,もともとは,豊臣秀吉が築いた聚楽第(じゅらくだい)の一部だったとされ,豪華絢爛な桃山文化の象徴ともいえる建築でした。1587年(天正15年)に完成した聚楽第は,政変の影響で1595年(文禄4年)には取り壊されてしまい,その際,建物の一部が移築され,現在の西本願寺に移されたと伝えられています。西本願寺に移された後,飛雲閣は本願寺第12代門主・准如(じゅんにょ)の時代に再建され,宗教的な場としての役割も担うようになりました。特に,格式高い来賓をもてなすための迎賓館として使われたこともあり,江戸時代には徳川家との関係も深く,幕府との政治的な駆け引きの舞台にもなった可能性があるということです。
 左右非対称の美しさ。これがわかるようになるには,人もまた,年月が必要なようです。私もまた,若いころは,豪華な金閣,渋い銀閣に比べると,何じゃこりゃ,と思ったのですが,今では,ぴかぴかの左右対称な金閣,なにかやつれた銀閣よりもずっとすばらしいと思うようになりました。

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【Summary】
After joining the Kyoto Symphony Orchestra,I began monthly trips to Kyoto. On February 14, 2026, I visited Kyoto Ryozen Gokoku Shrine, stopping at Rokudo Chinno-ji linked to Ono no Takamura, and paid respects at the graves of Sakamoto Ryoma and Nakaoka Shintaro, moved by their historical legacy.

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 京都市交響楽団の定期会員になって以来,毎月,定期演奏会を聴きに京都コンサートホールへ行くようになりました。はじめのうちは試行錯誤だったのですが,その折に,さまざまな場所の観光もすることができるので,今では,これが最大の楽しみとなりました。
  ・・
 私は,岐阜羽島駅まで車で行って,駅前の駐車場に車を停めます。岐阜羽島駅は名古屋駅とは異なり,駅前まで車で行くことができ,また,安価な駐車場が山ほどあります。岐阜羽島駅から京都駅までは新幹線「ひかり」「こだま」ともに,米原駅に停車するだけで30分程度で京都駅に着きますが,自由席はがらがらです。私がいつも利用するのは,岐阜羽島駅午前6時47分発の「ひかり」。京都駅着は午前7時19分です。
 この日2026年2月14日は,新幹線の車窓から雪を被った伊吹山がきれいに見えました。1週間前なら大雪で行くのも大変だったのでしょうが,それも夢のように暖かな日でした。
 京都市交響楽団の定期演奏会が行われる京都コンサートホールには午後1時30分に着けばいいので,それまで6時間程度,さまざまなところへ行くことができます。奈良県へ行くのなら,午前7時36分発の特急か,午前7時37分発の急行,ともに橿原神宮前駅行きが接続しているし,奈良県から戻るときは,竹田駅で京都市営地下鉄に接続していて,しかも,同じホームの反対側に来るので,ストレスがありません。
 京都コンサートホールからの帰りは,京都市営地下鉄の北山駅から京都駅まで行って,そこで,新幹線に乗るのですが,時間を気にせずとも,およそいつも,午後5時33分発の「ひかり」に乗ることができます。帰りは,京都駅のホームで購入した駅弁を新幹線の車内で楽しみます。この日選んだのは「神戸のあっちっちステーキ弁当」でした。

 このごろは奈良を巡っていたのですが,今回は,久しぶりに京都市内を観光することにしました。
 近年は「京都に行く」というと「外国人だらけでしょう?」と言われるようになりました。私も,それが理由で敬遠していました。しかし,実際に行ってみると,そういう場所は限られていて,具体的にいえば,東山,嵐山,伏見あたりを外せはそれほどでもないです。特に今年は中国人の団体客がいないので非常に快適です。私は,これまでに,東山,嵐山,伏見あたりの定番の京都の観光地がすべて行ったことがあるので,そうした場所には行きたいとは思わないし,今私が行きたいところは,ほとんど観光客はいません。
 この日行こうと思ったのは,京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)と西本願寺の飛雲閣でした。京都霊山護国神社は東山にあるので周囲は混み合うのですが,朝早く出かけて,京都霊山護国神社のみに絞れば,それほどのことはありません。京都霊山護国神社には,坂本龍馬や中岡慎太郎など明治維新に関わった志士たちの墓があります。以前行ったことがあるのですが,ずいぶん昔のことだったので,再び行ってみたかったのです。
 墓地のある場所は,午前9時に開場ということだったので,京都駅から京都市営地下鉄烏丸線に乗って四条駅で降り,のんびりと歩いて,午前9時少し前に到着することにしました。

 松原通を歩いていくと,松原橋に差し掛かりました。
●松原橋
 松原通は平安時代の五条大路で,嵯峨天皇の勅命により橋が架けられ,清水寺の参詣道でもあったことから,人の往来が多く,大変賑わった都の目抜き通りでした。元来,この地に架かっていた橋が五条橋で,通りの両側に見事な松並木があったことから五条松原橋ともよばれていました。
 安土桃山時代に,豊臣秀吉が方広寺大仏殿の造営に当たり,この地に架かっていた橋を現在の五条通である平安京の六条坊門小路に架け替え,これを五条橋と称したことによって,この地の橋の名前からは五条が外れ,以後,松原橋とよばれるようになりました。伝説に謳われる牛若丸と弁慶の決闘「京の五条の橋の上」は,この橋のことを指します。
 現在架かる橋は,1935年(昭和10年)の鴨川の大洪水による倒壊流失後に架け替えられたものです。

 この橋を東へ進むと清水寺に行き着きますが,その途中にあるのが,冥界へ通じるといわれる井戸で有名な六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)です。そこで,六道珍皇寺に寄ってみました。
●六道珍皇寺
 六道珍皇寺は東山区にあり,六道の辻とよばれる,あの世とこの世の境目とされる場所にあります。六道というのは,仏教で説かれる地獄,餓鬼,畜生,修羅,人間,天を指し,人が死後に生まれ変わる可能性のある六つの道を意味しています。 六道珍皇寺には迎え鐘(むかえがね)という鐘があって,お盆の時期に亡くなった人の魂を迎えるためにこの鐘を撞く風習があります。鐘の音はあの世にまで届くと信じられています。また,境内には小野篁(おののたかむら)ゆかりの井戸もあります。
 小野篁は,嵯峨天皇につかえた平安初期の官僚で,参議にまでなった文武両道に優れた人物ですが,不羈な性格で野狂ともいわれ奇行が多く,嵯峨上皇の怒りにふれて隠岐に流罪されたこともある人物です。また,閻魔王宮の役人ともいわれ,昼は朝廷に出仕し,夜は閻魔庁につとめていたという,つまり,この世とあの世を行ったり来たりできる人物ということで,この井戸は,小野篁が冥土へ通うのに使ったといわれます。

 六道珍皇寺を過ぎ,京都霊山護国神社に到着しました。
●京都霊山護国神社
 午前9時を待って,さっそく,坂本龍馬と中岡慎太郎の墓に行きました。ここには,桂小五郎と幾松の墓もありました。また,明治維新のころに亡くなった多くの人々の墓が並び,その像絶さには胸を打たれました。
 墓地は京都東山の高台にあって、境内からは京都市街が一望できる場所でした。

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【Summary】
At the Kyoto Symphony Orchestra’s February subscription concert, Schubert’s “Tragic” Symphony sounded unexpectedly bright and refined, contrasted with the raw, expansive first version of Bruckner’s Third. Its long slow movement, rugged scherzo, and dramatic pauses proved challenging yet compelling, reaffirming the unique power of Bruckner’s symphonic world.

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 京都市交響楽団の2月定期演奏会。
 1曲目はシューベルトの交響曲第4番「悲劇的」(Tragische)。シューベルトにかかると,悲劇的も悲劇的にならず,明るくなってしまう。これが救いです。要するに,あか抜けているのです。2曲目は,それに対比するように,ブルックナーの交響曲第3番。特に第1稿(初稿)。これほどあか抜けていない曲はあるのだろうか。よくいえば素朴。
 ということで,この2曲を並べたのが妙でした。

 ブルックナーの交響曲第3番,第1稿は,第1楽章はともかく,長く,それも通常の長さでない第2楽章。これが退屈でないのがすごいわけですが,このごろやっと,ブルックナーがよくわからない,という人の気持ちがわかるようになりました。あの,行ったり来たり,煮え切らない時間は,そりゃ,そのよさがわかるのは,というか,受け入れることができるのは,並大抵のことではないのかもしれません。悪くいえば,長いだけで中身のないモテない男の話みたいです。私は,第3番に限らず,ブルックナーのほどんどの交響曲に共通するこの緩徐楽章のすばらしさこそがその魅力だと思うのですが。
 そして,第3番の第1稿がさらに魅力的なのは,第3楽章です。ブルックナーの交響曲は,スケルツォが独特で個性的ですが,第1稿と第3稿違いは,劇的な構成の短縮とコーダにおけるブルックナによる41小節におよぶ追記の採用の有無です。第1稿は長大で精緻,それに対して,第3稿では簡潔かつ効果的に改訂されました。そこで,第1稿は,初期の生々しいブルックナーの音響が残されていて,より荒々しいスケルツォの雰囲気をもっているわけです。
 また,特筆すべきは第4楽章のこれでもかこれでもかとやってくる休符。これがブルックナー休符といわれるものですが,この休符はうまく演奏すれば非常にこころに残るし,下手をすれば,めちゃくちゃになってしまうわけで,おそらく,演奏者にとっては正念場でしょう。今回はとてもよかった。
 この第3番は,根底にあるのがワーグナー。そこで,ワーグナー交響曲とよばれる所以ですが,ワーグナーのメロディが時折ひょっこりと顔をだす,それもまた,聴きどころです。

 今回の演奏会に限らず,どの演奏会でも,ブルックナーの交響曲となると,それを好む人が一定数いて,会場にやってくる。そこで,曲が終わると独特なムードになります。今回もそうでした。
 京響の定期演奏会の観客はおとなしいのですが,今回はやたらと「ブラボー」がかかりました。 
 私は,久しぶりにブルックナーの交響曲を聴いて,やはりいいなあ,と思いました。京都市交響楽団の定期演奏会では,今年は10月の第716回で第6番が演奏されます。私の大好きな第6番。これもまた楽しみです。
 なお,下記の写真は,ウィーンにあるシューベルトが実際に使用した眼鏡です。

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【Summary】
The February 2026 Kyoto Symphony concert, conducted by Jan Willem de Vriend, paired Schubert’s youthful, dramatic Symphony No. 4 with Bruckner’s rarely heard Third Symphony in its original 1873 version. The performance highlighted contrasts between lyric intensity and raw, expansive writing, emphasizing silence as a vital musical element.

######
 京都市交響楽団の2月定期演奏会を聴きました。
 2026年2月13日に行われたこのコンサートは,指揮が首席客演指揮者のヤン・ヴィレム・デ・フリーントさんで,曲目がシューベルトの交響曲第4番「悲劇的」(Tragische)とブルックナーの交響曲第3番第1稿(初稿)でした。
 シューベルトとブルックナー,いつものように,なかなか魅力的な組み合わせです。
 京都市交響楽団のXに
  ・・・・・・
 今回は初稿を演奏しますが,マエストロはこの曲で 「「静寂」を音楽として響かせたい」と語っていました。「信じられないほど多くの休止が打たれていて,こんなにも「静寂」がある交響曲を他に知りません。今回の演奏で,この大胆さ,力強さ,そして静寂を,音楽として響かせることができたらと願っています。
  ・・・・・・
とありました。

 1816年,シューベルトが19歳のときに書かれた交響曲第4番は,シューベルトの交響曲の中では珍しい短調(ハ短調)の作品で,ベートーヴェンの影響を感じさせつつもシューベルトらしい旋律美と和声の豊かさが光ります。
 深い静けさと緊張感をたたえ「悲劇的」な雰囲気をもつ第1楽章の導入部から一気にエネルギッシュな主部へと展開しくので,若きシューベルトの情熱と構成力が感じられ,少し影のある美しさが魅力的な曲です。
 ブルックナーの交響曲第3番は第1稿ということです。私は,かつて,NHK交響楽団の定期公演で,ブロムシュテッドさんが指揮をしたものを聴いたことがありますが,ほとんど演奏されません。
 そもそも,ブルックナーの交響曲は,オーストリアの田舎者が書いた素朴で洗練されていない交響曲と揶揄されますが,だからこそ,多くの人がやんのやんのとケチをつけるので,改訂を経るうちに,それでも,なんとか都会らしさを身につけていきました。そこで,改訂されていないものは,その泥臭さがふんだんに残っています。
 ここで何度も書いているように,私は,交響曲第8番の第1稿を聴いたとき,聴きどころになると変なメロディが出てきて邪魔をし,突然おかしなことになり,こりゃないぜ,と思いました。それは,おそらく,聴きなれた第8番だったので,それと違うものに戸惑いがあったということでしょう。しかし,ほとんど聴くことのない第3番は,そうした先入観がないだけ,第1稿に新鮮さを感じます。
 ということで,1873年に書かれ,後年の改訂版に比べて自由で荒削り。ワーグナー的な響きや長大な構成が残っている「そのままのブルックナー」を感じさせる,なが~い第3番の第1稿を「「静寂」を音楽として響かせたい」と願うマエストロですが,それは,音の間や余白にまで神経を感じるものに違いないものになる,と期待したのでした。

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【Summary】
Using the Aichi–Nagoya Sightseeing Passport, I visited the Furukawa Art Museum on February 12. Located near Nittaiji Temple, it showcases a rich collection of modern Japanese paintings and antiques amassed by entrepreneur Furukawa Tamesaburo, along with his former residence and garden, revealing a previously unknown cultural gem.

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 「あいち・なごや周遊観光パスポート」を使ってさまざまなところに出かけています。
 今日は2月12日に出かけた古川美術館です。

●古川美術館
 古川美術館は,名古屋市千種区の日泰寺の近く,静かな住宅街にある美術館です。いつも近くを通るのですが,大通りから1本入ったところにあるので,これまで,その存在をまったく知りませんでした。今回,「あいち・なごや周遊観光パスポート」の対象施設だったので,行くことができました。
 この美術館は、実業家・古川爲三郎さんが長年にわたって集めた美術品を「私蔵せず,広く人々に楽しんでもらいたい」という想いから,1991年に開館されました。横山大観や上村松園,川合玉堂などの近代日本画を中心に,陶磁器や工芸品,15世紀の装飾写本まで,約2,800点にものぼるコレクションから展示されています。今回行ったときは,「名山巡礼2026」という日本の名山の絵画を集めた展示会が催されていました。
 さらに,近くには,分館の爲三郎記念館がありました。これは,古川爲三郎さんの旧邸を公開したもので,昭和初期の数寄屋造りの建築がそのまま残っているものでした。ここには,日本庭園を眺めながら,茶室でお抹茶や和菓子を楽しめる「数寄屋 de Café」もありました。今回は,襲名記念六代加藤作助展が行われていました。

 古川爲三郎さんは,映画配給と興行の世界で財を成した実業家です。
 もともとは名古屋で宝石・貴金属商を営んでいましたが,1921年に,名古屋・大須の映画館「太陽館」の経営をはじめたのが転機となり,その後,名古屋各地に映画館を展開。昭和30年代には「毎日ホール大劇場」や「中日シネラマ会館」などを開館し,映画配給会社「ヘラルドグループ」を創業し,日本を代表する映画配給会社に育て上げました。さらに,映画だけでなく,ボウリング場やゴルフ場,スキー場などのレジャー産業にも手を広げて,一代で巨大グループを築いた人物です。
 晩年は,美術品の収集にも情熱を注ぎ,古川美術館を設立しました。
  ・・
 六代加藤作助(ろくだい かとうさくすけ)さんは,美濃焼の伝統を受け継ぐ陶芸家のひとりで,特に志野焼や織部焼の分野で知られています。加藤家は美濃の陶芸界で名高い家系で,代々「作助」の名を継承してきました。 六代目は伝統を守りながらも現代的な感性を取り入れた作品づくりで評価されていて,特に志野の柔らかな白と繊細な釉薬の表現に定評があります。
 作品の特徴は,「伝統と革新の融合」。志野は,白釉の中にほんのりと赤みが差す「緋色」(ひいろ)の発色が美しく,朝焼けの雲のような優しい表情をしているといいます。また,緑釉の流れや歪みを活かした造形が特徴的で,どこか遊び心があるのに品格を失わない絶妙なバランスが魅力で,「使ってこそ映える器」というものです。さらに,自然釉の流れや焼成による偶然の景色を大切にし,ひとつひとつが唯一無二の表情をもっています。
 ちょうど受付に本人がみえました。

 こんな素敵なところをまったく知らなかった私を恥じました。

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【Summary】
Using the Aichi–Nagoya Tourist Passport, I visited the Aichi Air Museum and the Toyota Commemorative Museum of Industry and Technology. I enjoyed realistic aircraft displays, especially a Zero fighter replica, and impressive flight simulators. The Toyota museum’s live machinery and robotic assembly lines showed remarkable technological innovation and craftsmanship.

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 「あいち・なごや周遊観光パスポート」を使ってさまざまなところに出かけています。
 今日は2月9日に出かけた,あいち航空ミュージアムと2月10日に出かけたトヨタ産業技術記念館です。

●あいち航空ミュージアム
 あいち航空ミュージアムは,2024年8月に一度行ったことがあります。今回は,「あいち・なごや周遊観光パスポート」で再び出かけました。
 県営名古屋空港の前身,名古屋空港は,常滑沖に中部国際空港ができたことで縮小され,現在は,国際線ターミナルビルが「エアポートウォーク名古屋」というショッピング施設となりました。そこに隣接するのがあいち航空ミュージアムです。
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 あいち航空ミュージアムは,YS-11や零戦の実物大模型をはじめとして,数々の飛行機が展示されています。フライトシミュレーターでパイロット気分を味わうことができます。また,屋上の展望デッキからは滑走路が見渡せて,離着陸する飛行機を間近で見ることもできます。
  ・・・・・・
とありました。残念ながら,この日はとても風が強く,展望デッキに出る気分ではありませんでしたが,ガラス窓から発着するヘリコプタや自衛隊の飛行機を眺めることができました。
 私が興味をもったのは,零戦(ゼロ戦)五二型の実物大模型の展示でした。すでに,ワシントンのスミソニアン・航空宇宙博物館で本物のゼロ戦を見たことはあるのですが,これは,忠実に再現されたレプリカでした。しかし,細部までリアルに作られていて、当時の技術やデザインのすごさが伝わってきました。翼の形や機体の塗装,コックピットの雰囲気まで,おそらく,作られた当時はこういうものだったのだろう,と思いました。
 フライトシミュレーターもやってみたのですが,何度やっても難しいものです。
 なお,類似の施設として,昨年の夏に行った「岐阜かかみはら航空宇宙博物館」があるのですが,そちらの方が充実していました。

●岩倉市史跡博物館
 ここは,無料の施設で,「あいち・なごや周遊観光パスポート」とは関係がありません。家に帰る途中で,寄ってみたものです。ここは,以前,その横の道路を走っていて気がついたところなのですが,どうしてここに縄文時代の住居が? と不思議におもっていたので,今回,立ち寄ってみました。
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 岩倉市史跡博物館は,愛知県岩倉市にある地域の歴史や文化を紹介する博物館です。
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 この博物館には,岩倉市の歴史的な資料や遺跡の出土品,昔の暮らしを伝える道具などが展示されていて,地域の成り立ちや文化を学べる場所として,岩倉城跡に関する展示や,古墳時代から近代にかけての資料が充実しています。
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とありましたが,まあ,単なる歴史公園でした。

●トヨタ産業技術記念館
 トヨタ産業技術記念館は,名古屋市西区則武新町にあり,ここは,かつて,豊田自動織機の工場があったところです。現在は,トヨタグループのルーツをたどることができる場所として,繊維機械から自動車技術まで,非常に充実した施設となっています。実際,とてもすばらしい施設で,トヨタグループの底力を感じました。
 実際に動く機械のデモンストレーションや、職人さんによる実演もあり,とてもていねいに説明してもらえました。なかでも,最新の織物機の実演には恐れ入りました。スピードと精密さは,まるで生きてるみたいに見えました。糸がピンと張られて,シャトルがシュッと走るたびに,まるで水面に波紋が広がるみたいでした。技術の進化はすごいものです。
 自動車の自動組立ラインも圧巻でした。私が子供のころに自動車工場を見学したときは,工員さんが作業をしていたのですが,今はすべてが産業ロボット。 ロボットアームがまるでダンスしてるように,正確に,しかも超スピーディーで部品を組み立てていく様子は,すごいものでした。
 カフェやレストランもあって,ここは,何度でも行きたい施設でした。
  なお,類似の施設として,昨年の夏に行ったトヨタ自動車博物館があります。ここもまた,「あいち・なごや周遊観光パスポート」に該当する施設です。トヨタ自動車博物館はトヨタ車に限らず,世界中の自動車に関する博物館で,どちらも甲乙つけがたいとても楽しめる施設です。

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【Summary】
The Oki Islands feature dramatic nature and history. Dogo offers coastal sights, boat tours, bullfighting, and the famous Candle Rock. The more rustic Dozen Islands boast caldera landscapes, towering cliffs, red rock walls, cattle-filled pastures, and rich exile history linked to emperors and poets.

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 隠岐諸島の見どころを書きます。

●島後
 丸い島です。中心部は500メートル級の山々が連なり,島の海岸沿いを中心に見どころが点在しています。
 まず,南の海側にある西郷という集落に港があり,そのまわりに多くの見どころがあります。町歩きも楽しいし,かっぱ遊覧船に乗って,海岸を周遊することもできます。また,隠岐といって誰もが思い浮かべる牛突きは「モーモードーム」でその実演を見ることができます。
 島の北側にはローソク島というものがあります。夕日が奇岩に重なるとローソクがともったように見えるのですが,これを見るには船に乗らなくてはなりません。これが島後最大の見ものだと思うのですが,天気がよくないと見ることができないので,運次第,とも言えます。
 また,島の内部には,奇妙な形の杉やら,圧巻の滝やら,すばらしい自然の姿を目撃することができます。
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●島前
 島後はすばらしい島ですが,私は,島前に行ってみて,島前は島後の数倍魅力的なところだと思いました。それは,観光地という視点からみたとき,島前のほうがずっと素朴,という意味です。
 もともとはひとつの島だったものが,焼火山を中心としたカルデラの外輪山が3つの島々になったものです。なかでも,西ノ島には,摩天崖という高さ257メートルの垂直に切り立つ断崖が特筆すべきものです。これはすばらしい。日本にこれほど雄大なところがあるのか,と私は驚きました。
 また,知夫里島には,赤壁という圧巻の赤茶色の岩肌を見ることができます。知夫里島といえば,この島に住む人の数約600人に対して,牛の頭数も約600頭というように,牛だらけの島。これがすごい。
  ・・
●配流された人々
 隠岐といえば,島流し。
 後醍醐天皇は島後に流され,後鳥羽天皇は島前の中ノ島に流されました。中ノ島には後鳥羽天皇の遺構が多くあります。
 小野篁もまた,島前の中ノ島に流されました。中ノ島の金光寺(きんこうじ)は,小野篁が配流中に籠もった場所と言われています。小野篁は,遣唐使の副使に任命されましたが,渡航に2度失敗し,3度目の航海にあたり,正使「藤原常嗣」(ふじわらのつねつぐ)は,船が破損して水漏れしているとして,小野篁の船と交換してほしいと願い出,これに激怒した小野篁は,体調不良や母の世話を理由に乗船を拒否したことが原因でした。
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 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣舟
 「大海原に散らばる多くの島々を目指して舟を出した」と,都にいる愛する人には伝えておくれ。漁師の釣舟よ。
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 島流しにあたって詠まれた,悲哀に満ちた歌です。
 私が最も興味をもったのは,文覚上人。文覚上人は後白河法皇に暴言を吐いて伊豆へ流罪になりました。源頼朝死去と同時に文覚上人は政争に巻き込まれて,今度は佐渡国へ再度配流の身となりました。今度は,後鳥羽上皇が,謀反の疑いありとして,文覚上人を隠岐国への流罪としました。文覚上人は,いつか後鳥羽上皇を隠岐に迎え取ってやると言い残しながら配流先に向かったと「平家物語」にあります。その遺構が知夫里島にあります。

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【Summary】
I traveled to the Oki Islands for five days in August 2023, visiting Nishinoshima, Chiburijima, and Nakanoshima. Despite limited transport requiring careful planning, the Dōzen islands offered vast, tranquil landscapes. A chance encounter with the Kinnyamonya Festival made the journey especially memorable.

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 2023年8月23日から8月27日の4泊5日で出かけた隠岐諸島。
 前回書いたように,島後の西郷港から,午前8時30分出港のフェリー「しらはま」に乗って,島前・中ノ島の菱浦港に午前9時40分着,10分後の午前9時50分に菱浦港を出港して,午前10時5分に西ノ島の別府港に着きました。
 西ノ島で予約してあったレンタカーに乗って,島内巡りをしました。
 島後も多くの見どころがあったのですが,島前はそれ以上でした。
 その後,また,後日書くことになると思うのですが,種子島,宮古島にも行きましたが,そうした離島に比べても,隠岐諸島の島前はのどかな秘境,とにかく雄大でした。

 島前には,西ノ島以外に,中ノ島,知夫里島があります。そこで,翌日は,中ノ島,知夫里島に行くことにしたのですが,問題は車でした。知夫里島にはレンタカーが5台あるということだったので,ダメもとで電話をすると,午前中なら借りられるとのこと。そこで,次の日は,午前中知夫里島に行き,午後は中ノ島に行き,夜に,宿泊先のある西ノ島に戻ることにしました。
 島前の島は内航船で移動できるのですが,本数が少なく,うまく計画を立てないといけません。島間はさほど距離がないのですが,泳ぐわけにもいかないので,けっこう不便でした。もっと需要があれば,沖縄県の宮古島のように橋を架けてしまえばいいのでしょうが,そういった計画はあるのかな?
 ともかく,内航船「いそがぜ」の出港は午前7時47分で,知夫里島の来居(くりい)港着が午前8時4分,レンタカーを午前8時30分に借りました。

 午前中知夫里島を巡り,午前12時10分の内航船「いそがぜ」にのって,午前12時28分,中ノ島の菱浦港に着きました。中ノ島ではレンタカーに空きがなかったので,電動自転車を借りることになりました。
 中ノ島は,偶然,お祭りだということで,予定を変えて知夫里島からやってきた中ノ島でした。 偶然,年に1度の「キンニャモニャ祭り」というお祭りに遭遇しました。まず,中ノ島の菱浦港にあったレストランで昼食をとり,電動自転車で島の見どころをまわりました。
 お祭りではさまざまな催しがあるので,もっと長く滞在することもできたのですが,宿泊先で夕食をとらなければならないことと,花火は西ノ島からでもむしろきれいに見ることができるということだったので,午後4時47分に出港する内航船で西ノ島に帰りました。
 夕食後,中ノ島で打ち上げられた花火を見ることができました。

 最終日,2023年8月27日。この日は,予定では中ノ島にフェリーで渡り,午前中観光をすることにしていたのですが,その気がまったく失せてしまい,当初は,午後3時45分に西ノ島の別府港を出港して,本土の七類港に戻るするフェリー「おき」に乗る予定だったのを変更して,午前10時20分に西ノ島の別府港から出港する「しらしま」で,本土の境港に戻ることにしました。
 境港到着は午後1時20分でした。
 このように,隠岐諸島は,多くの島があって,それらをすべてに行くには,かなりの知恵と工夫が必要でしたが,それに余りあるすばらしいところでした。
 次回は,それぞれの島の見どころについて書きます。

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【Summary】
Using the Aichi–Nagoya Sightseeing Pass, I visited Osu Engeijo, a small traditional vaudeville theater in Nagoya. Despite past financial struggles and its hidden location, the weekday performance was well attended and offered over two hours of enjoyable rakugo, manzai, and variety acts.

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 「あいち・なごや周遊観光パスポート」を使ってさまざまなところに出かけています。
 今日は2月5日に出かけた大須演芸場です。

●大須演芸場
 ずいぶん前,漫才ブームというものがありました。また,大阪には吉本新喜劇が有名でした。
 今の私は,東京や大阪によく行く機会があるので,さまざまな演芸場があることを知っていますが,子供のころ,名古屋に住んでいた私には,演芸場というものも無縁でした。父親に聞くと大須にある,という答えでしたが,その存在はあまりにマイナーでした。
  ・・・・・・
 大須演芸場は,木造の2階建てで1階は椅子,2階は座敷席の小さな劇場で,名古屋市中区大須にある落語や色物などを上演する常設の中京圏で唯一の寄席として知られます。ビートたけしや明石家さんまらがまだ売れない駆け出し時代に出演していたといいます。
 常に経営難で,救いの手をさしのべる人々によって閉鎖の危機を乗り越えたことでも有名です。
  ・・・・・・
 2000年代には,平日の客入りは10人程度前後となり,2014年(平成26年)2月には,建物明け渡しの強制執行がなされ,営業が終了してしまいました。2015年(平成27年),名古屋青年会議所のメンバーを中心にボランティア団体として一般社団法人・大須演芸場を設立し,再出発をしました。
 かつて,一度行ってみたいと思って出かけたことがあったのですが,敷居が高く,入り口にもほとんど人がおらず,敷居が高く,入ることができませんでした。
 入場場が3,300円もするのですが,今回,「あいち・なごや周遊観光パスポート」を使えば無料で入場できるとあって,ぜひ,ということで行ってみました。

 平日の午前ということで,観客が何人いるのだろうと危惧していたのですが,意外や意外,入り口には多くの人が開場を待っていました。私が見たときは,約7割程度の入りでした。
 寄席は,前半4人,後半4人。落語が6人,ほかに,漫才と紙切り,それぞれ15分で,休憩を含めて2時間30分ほどと,たっぷり楽しむことができました。なかなか楽しい時間でした。はじまったのが午前11時で終わりが午後1時30分ごろ。ちょうどお昼時ですが,場内で飲食ができます。とはいえ,お弁当は1週間前までの予約ということだったので,軽食を買って入りました。場内ではどら焼きなどがうられていたので,これも購入しました。
 大須演芸場は,大須観音の近くにありながら,1本路地を入ったところで目立たず,これが最大の欠点でしょう。もし,アーケード街に面してあったのなら,ずいぶんと客の入りが違うことでしょう。また,180席と小さいので,結果として,入場料を高くするしかなく,もし,その倍で集客できて,2,000円程度で楽しめるのなら,現在の高齢者社会では,もっと多くの人が楽しめるのかな,と思いました。

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【Summary】
Using the Aichi–Nagoya Sightseeing Passport, I visited four sites in one day: a disappointing LED planetarium, the unexpectedly excellent Noritake Museum, a dated but scenic reconstructed Kiyosu Castle, and the Asahi Archaeological Museum, which offers impressive exhibits on a major Yayoi-period settlement and nearby shell mound.

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 すでに昨年の5月26日から発売されていた「あいち・なごや周遊観光パスポート」ですが,私が知ったのはつい近ごろ,1月30日で,発売終了の前日のことでした。これは
  ・・・・・・
 平日オトクに愛知を楽しもう! 県内の参画美術館・博物館等を利用できる,平日のお得な共通チケット 「あいち・なごや周遊観光パスポート」。
 愛知県内の参画美術館・博物館等に入場できる,平日限定のお得なチケットです。
 今年は新たに知多エリアも登場し,参画施設数も全35か所と大幅に増加!
  ・・・・・・
というもので,価格は4,500円。
 1施設目の利用日から90日間,チケットが有効で,チケットの最終有効期限は2026年3月13日です。
 2月3日に行った「名古屋中村大河ドラマ館」へも,これを使っていきました。
 そこで,これを利用して,精力的に,回ってみることにしました。これまで,お金を出してまで行こうとはおもわないけれど,気になっていた近隣の施設が多くあるので,いい機会です。35か所ということですが,その多くに行ってみることにしたので,行った順に書いてみたいと思います。

 2月4日は次の4か所に行きました。
●コニカミノルタプラネタリウム「満天NAGOYA」
 イオンモール「Nagoya Noritake Garden」にあるプラネタリウムです。イオンオールは名古屋駅に近く,5時間無料で駐車できるので,よく行きますが,あえてプラネタリウムに入ろうとは思いませんでした。ここもまた,「あいち・なごや周遊観光パスポート」で入れるということだったので,行ってみました。
 LEDを使ったプラネタリウムで40分間の上映でした。私が見たのは,「星の旅 -世界編- 特別ロングバージョン」と題したものでしたが,正直言ってがっかりでした。星のピントが甘く,また,地平線近くの星々は収差がひどく丸くならず,しかも,解説もなく,私が実際に見てきた南天の星空とは段違いでした。これなら,名古屋市立科学館のプラネタリウムのほうがずっといいです。
   ・・
●ノリタケの森にあるクラフトセンター・ノリタケミュージアム
 イオンモール「Nagoya Noritake Garden」に隣接して,ノリタケの本社があり,そこにノリタケの森として,庭園やレストランなどが整備されていて,とても気持ちのよいところなので,ここもまた,よく行きます。その一角にあるのが有料施設のクラフトセンター・ノリタケミュージアムです。あえてこの有料施設に行こうという人もほとんどなく,私も入ったことはありませんでした。
 館内は閑散としていて,というか,落ち着いていて,なかなかすばらしい施設でした。こんな機会でもなければ行くこともないところなので,楽しめました。
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●清州城模擬天守
 次に行ったのは,清州城模擬天守でした。
 清洲城は,現在の清須市にあった戦国時代,織田信長の本拠地及び居城として知られます。京鎌倉往還と伊勢街道が合流し,中山道にも連絡する交通の要所として重視され,守護所として栄え,江戸時代に徳川家康が清州越しを行うまでは尾張の政治の中心でした。
 現在は,本丸土塁の一部が残るのみで,城跡は清洲公園として,織田信長の銅像,以北の城跡は清洲古城跡公園として清洲城跡顕彰碑があります。ここは,何度も行っています,
 清州城模擬天守は,1989年(平成元年)に清洲城跡に隣接する清須市清洲地域文化広場内に建設された鉄筋コンクリート造の模擬天守で,外観や規模は当時を想像して設計されたものです。できたころに一度だけ入ったことがあるのですが,あえて,また行きたいとも思っていませんでした。そこで,今回,行ってみました。展示が古く,その後,予算づけをして新しくした形跡もありませんでしたが,最上階からの眺めは楽しめました。
  ・・
●あいち朝日遺跡ミュージアム
 愛知県で全国最大規模の弥生時代の遺跡である朝日遺跡を紹介する遺跡博物館で,ここも,できたころに一度行ったことがあります。
 朝日遺跡は,弥生時代前期から古墳時代前期まで営まれた全国でも有数の大規模集落で,この地方の生活・文化の中心として栄え,東西日本の弥生文化をつなぐ重要な役割を担っていました。これまでの調査によって,遺跡の範囲は東西1.4キロメートル,南北0.8キロメートルに及び,遺跡の面積は80万平方メートルから100万平方メートルと推定され,北東から南西にかけて流れる谷の南北の微高地に住居が営まれ,居住域を取り囲むように墓域が造られました。
 ここは,名古屋と岐阜を結ぶ国道22号の改良工事の際に大規模な遺跡が見つかって,そのために工事が中断したことで知りました。
 立派な展示館があって,発掘品やジオラマで学ぶことができます。また,屋外には弥生時代の住居跡や高床式倉庫が造られています。また,隣接して,貝殻山貝塚があって,ここもまた,交流館という展示館があります。おそらく,朝日遺跡よりも貝殻山貝塚のほうが先に知られ,施設が造られていたものと思います。本物の人骨の展示には驚きました。

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【Summary】
On February 6, 2026, I attended Naoko Kanazawa’s viola recital at HITOMI Hall in Nagoya, featuring 20th-century British works. With pianist Minatsu Kanazawa, she performed refined and powerful pieces, highlighted by Rebecca Clarke’s impressive Viola Sonata, in the hall’s intimate and engaging atmosphere.

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 2026年2月6日,名古屋市のHITOMIホールで,「叶澤尚子ヴィオラリサイタル ~20世紀に生まれたイギリスのヴィオラ作品を集めて~」が行われたので,聴いてきました。
  ・・・・・・
 ある日,いつも一緒に演奏してくれるピアニストの金澤みなつさんから「レベッカ・クラークのソナタ弾かないの?」という一言。思えばヴィオラの名曲にも関わらず今まで機会がなく演奏したことがありませんでした。
 イギリスの作曲家レベッカ・クラークといえば,女性ヴィオラ奏者として大きな歴史を切り拓いた人物。そのドラマティックな人生に敬意を称してこの度プログラムのメインとすることにしました。レベッカ・クラークの作品と,同じ時代にイギリスに生きた作曲家たちの素晴らしい名曲たちをお届けいたします。
  ・・・・・・

 出演は,叶澤尚子さんのヴィオラ,金澤みなつさんのピアノ。
 プログラムは,ヴォーン・ウィリアムズ(Vaughan Williams)のグリーンスリーヴスによる幻想曲 ( Fantasia on Greensleeves),レベッカ・クラーク(Rebecca Clarke)の古いイギリスの調べによるパッサカリア(Passacaglia on An Old English Tune),エドウィン・ヨーク・ボウエン(Edwin York Bowen)の幻想曲 (Phantasy…intermission…),フランク・ブリッジ(Frank Bridge)のヴィオラとピアノのための4つの小品(Four Pieces for Viola and Piano),レベッカ・クラーク(Rebecca Clarke)のヴィオラソナタ(Sonata for viola and piano)。すべて私にははじめての曲でしたが,グリーンスリーヴスによる幻想曲はなじみのあるグリーンスリーヴスのメロディが流れて,こころが洗われました。
 アンコールはエルガーの「夜の歌」でした。
 先日,叶澤尚子さんがヴィオラの曲は少ない,と話していましたが,何の何の,すばらしい曲があるものだなあ,と思いました。イギリスの曲は品があります。そして,こころが豊かになるとともに,何か誇らしくなります。なかでも,最後に演奏したヴィオラソナタは圧巻でした。力強さとユニークさが加わりました。

 HITOMIホールは,コンタクトレンズ「メニコン」のANNEX内にある110席規模の小さな多目的ホールで,室内楽やリサイタルに向いた「親密さ」が魅力の空間です。
 コンセプトは「視ることから広がる感動を共有する」多目的ホール。
 こうした大きさのホールで室内楽を聴くのはとても楽しいものです。名古屋にも,HITOMIホール以外にも,宗次ホール,再生した三井住友海上しらかわホールなどがあって,身近に音楽を楽しむことができます。いいものです。

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【Summary】
I continue an account of traveling the Oki Islands, focusing on the complicated transport from Dōgo Island to Dōzen Islands. Ferry schedules are limited and puzzling, requiring careful planning. Although Nakanoshima is convenient for boats, Nishinoshima offers more attractions, making travel a logistical challenge.

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 2023年8月23日から8月27日の4泊5日で出かけた隠岐諸島。すばらしい隠岐諸島ですが,隠岐諸島を旅するのは,まるでパズルを解くような難しさがありました。と前回書きました。今日はその続きです。
 前回は,本土から隠岐諸島の島後までのフェリーについてでした。フェリーで3時間25分,隠岐諸島の島後に到着し,予約してあったレンタカーを借りて,島を巡りました。見どころが多く,2日間でも足りないくらいでした。宿泊先もまた,申し分ないものでした。
 島巡りについてはあとで書くことにして,今回は,島後から島前までの行きかたです。

 島後に2泊滞在した私は,次に,島前に向かいます。
 島前は,西ノ島,中ノ島,知夫里島の3つの島からなります。西ノ島は島前の観光のメインの島です。中ノ島は観光というよりも,島に住む人たちの生業の島です。そして,3つの島の中ではもっとも小さい知夫里島は人よりも牛のほうが多く住む放牧の島です。
 8月25日。朝,旅館の部屋の窓から美しい朝日を見ることができました。朝食を終えて,チェックアウトし,予約してあった旅館のある島前の西ノ島に向かいました。
  ・・
 島後から島前の各島への移動は,本土と隠岐諸島をつなぐ3隻のフェリー「おき」「くにが」「しらはま」のいずれかを利用することになります。また,島前の3つの島間の移動には,内航船「しまかぜ」と,この3つの島を車を運んでくれる小さなフェリー「どうぜん」が,あります。しかし,運行本数が限られているので,これがまた,難しいのです。
 私が本土から島後まで乗って来た「おき」は,午前12時5分に西郷港を出港するのですが,島前では,まず,中ノ島の菱浦港に午後1時15分に到着し,2時間後の午後3時15分に中ノ島の菱浦港を出港して西ノ島の別府港に午後3時30分に到着というスケジュールなので,このフェリーに乗ると,島後から島前・西ノ島までは3時間25分もかかってしまいます。
 島前の3島を結ぶ内航船「しまかぜ」とフェリー「どうぜん」で,「おき」に乗って中ノ島の菱浦港で降り,ここから内航船に乗り換えることもできます。しかし,「しまかぜ」は,午後1時21分に菱浦港を出港して別府港に午後1時28分に着くものしかなく,この便は,中ノ島の菱浦港での乗り換え時間がわずか6分しかないので間に合いません。また,フェリー「どうぜん」は,午後2時に菱浦港を出港して別府港に午後2時15分に着くので,これを利用すればよかったのですが,このときの私はそれに気づきませんでした。
 「くにが」は,午後3時10分に島後の西郷港を出発するのですが,そのまま本土の七類港へ行ってしまうので,別府港には行かず,これは利用できません。
 「しらはま」は,午前8時30分に島後の西郷港を出港して,島前・中ノ島の菱浦港に午前9時40分着,そして,わずか10分後の午前9時50分に菱浦港を出港して,午前10時5分に西ノ島の別府港に着きます。これなら,島後から島前・西ノ島まで1時間35分です。
 そこで,私は,午前8時30分出港の「しらはま」に乗って,西ノ島の別府港に着きました。
 このように,先に島後に行って次に島前の観光をする場合,フェリーは,島前の3つの島のなかで中ノ島に先に到着するので,船便だけをみれば,中ノ島に旅館をとったほうが便利なのですが,見どころは西ノ島のほうが多いので,西ノ島に宿泊したのは正解でした。

 島前の中ノ島,西ノ島,知夫里島の3島を足した面積は,島後の4分の1程度です。島前の3つの島を観光するには,海を越えなければなりません。また,狭いといってもどの島も徒歩で観光できるわけがなく,車が絶対必要です。そこで,それぞれの島でレンタカーを借りるか,もしくは,フェリー「どうぜん」に車を乗せて運ぶということが必要です。フェリー「どうぜん」は便数も少ない上,予約不可だったので,車を乗せるのは早い者勝ちということになり,乗れなかったどうするの? あるいは,帰ってくることができなくなったらどうするの? という心配があります。現実問題,満員になることはまずないらしいのですが,それでも不確定要素があります。
 私は,西ノ島でレンタカーが予約してありましたが,フェリー「どうぜん」を利用せず,知夫里島では改めて車を借りました。また,中ノ島ではレンタカーに空きがなかったので,電動自転車を借りることになりました。
 以下,次回。


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【Summary】
I visited the Oki Islands in August 2023 after traveling to Sado and Iki. Unlike those islands, Oki travel required careful planning due to ferry schedules and complex routes between Dōzen and Dōgo. Despite logistical challenges, the islands offered rich sights and rewarding experiences.

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 離島巡り。佐渡島,壱岐島と行った次は,隠岐諸島でした。隠岐諸島は,島前(どうぜん),島後(どうご)というわけ方をします。隠岐というと,おそらく,多くの人がイメージするのは丸い島のことだと思うのですが,私もそうでした。しかし,実際は,丸い島の手前に,もともとはひとつの島だったものが西ノ島,中ノ島,知夫里島(ちぶりじま)と別れたようになっている島々があります。そこで,前者を島後,後者を島前とよび,それらを隠岐諸島とするわけです。
 出かけたのは,2023年8月23日から8月27日の4泊5日でしたが,実際は,その前後に松江市内に2泊したので,6泊7日という長期になりました。それは,それだけ,隠岐諸島に行くのがたいへんだったこととともに,見どころが多いところだったということになります。夏はそれほど暑くない,ということだったのでこの時期に行ったのですが,例年とは違い,思った以上に暑く,あてがはずれました。それでも,名古屋の異常な暑さに比べたらずっとマシでした。
 隠岐諸島はすばらしいところだったのですが,隠岐諸島を旅するのは,まるでパズルを解くような難しさがありました。そこで,まずは,そのパズルのような難しさについて書くことにします。
 
 1日目は県営名古屋空港からFDAで出雲えんむすび空港まで行き,そこからバスで松江駅へ,そして,松江市内を観光した後,松江駅前の東横インに宿泊しました。そして,2日目,松江駅前から連絡バスに乗って,七類港まで行って,午前9時発のフェリー「おき」に乗ることにしました。どうして松江市内に前泊したかというと,隠岐諸島は,これまでに行った佐渡島や壱岐島とは違って,ジェットフォイルの便の時間が悪く,午前9時出港のフェリーに乗る必要があったからです。
 フェリーはジェットフォイルとは違い,事前の予約は必要がなく,いつでも乗れますが,乗りなれていなかった私は,いろいろと戸惑いました。
 まず,乗船券の購入です。
 七類港で連絡バスを降りてターミナルに入ると,乗船名簿(A6判の単なる用紙)を記載する机があるので,そこで乗るフェリーの名前と客室のランク,氏名と住所を記入して窓口で提出します。乗船券の購入はクレジットカードが使えました。ガイドブックには,隠岐諸島では現金しか使えないところが多い,とあったのですが,実際は,ほぼカードやプリペイで事足りました。
 客室は,雑魚寝の2等から,特2等,1等,特等,特別室とあるのですが,2等は場所取りが早い者勝ちなので,はやく船内に入ることと,壁が背になるところを陣取ることがポイントでした。そんなことを知らなかった私は,乗り心地の悪い思いをしました。毛布が有料で借りられ,直方体の形をした枕を使うことができました。乗船時間は3時間25分でした。
 はじめて乗る私は,混雑する船室がいやなので,来る前は,上位の客室にしようと思っていましたが,今回の旅では,ウェブで,隠岐諸島に泊ることと島でなにがしかの体験をひとつ以上すると,帰りのフェリーが無料になるという「おき得乗船券」というものを登録してあって,これは,2等しか利用できないということだったので,しかたなく2等客室にしました。うまく場所さえ確保できれば,これで十分でしたが,私は場所の確保に失敗してしまいました。

 フェリーは,午前9時に本土の七類港を出港して,島後の西郷港,島前の菱浦港,別府港を経由して七類港に戻る「おき」と,午前9時30分に本土の七類を出港して,島前の来居(くりい)港,別府港,菱浦港,島後の西郷港を経由して七類港に戻る「くにが」,そして,午前8時30分に,島後の西郷港を出港して,島前の海士町,別府港,来居港を経由して,本土の境港に行き,そこから再び,島前の別府港,島後の西郷港に戻る「しらしま」があります。
 私は,午前9時に七類港を出港する「おき」に乗ったので,午前11時25分に島後の西郷港に到着しました。島後でレンタカーの予約がしてありましたが,フェリーから降りて,ターミナルの階段を降りたところで,レンタカー会社の人が待っていたので,送迎車に乗り込むと,レンタカー会社のオフィスまで5分程度で着きました。そこで手続きをして,いよいよ出発しました。
 島前,島後とも,レンタカーが利用できますが,特に,島前では車の台数が限られているので事前の予約が無難です。
 以下,次回。


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【Summary】
In early February 2026, I visited the newly opened Taiga Drama Museum in Nakamura Park, the birthplace of Toyotomi Hideyoshi. Entering at opening time on a weekday allowed a quiet, relaxed visit. Having seen many Taiga Drama exhibitions over recent years, this one felt familiar yet pleasantly spacious.

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 2026年の大河ドラマは「豊臣兄弟!」ということで,昨年2025年12月9日,豊臣秀吉の生誕地といわれる中村公園に行ってみました。このときは,大河ドラマ館を建設している最中でした。
 その大河ドラマ館は
  ・・・・・・
 2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」の放送を契機として,「豊臣兄弟! 名古屋中村 大河ドラマ館」をはじめとする複合施設「豊臣ミュージアム」がオープンします。
 「大河ドラマ館」ではドラマの衣装や小道具,ご当地ならではの特集パネルや独自の映像コンテンツなどが展示され,ドラマの世界観をより深く体験できる展覧会です。 また,ミュージアム内には他にも,名古屋ならではのお土産を販売する「ミュージアムショップ」,名古屋の歴史や文化等を伝える独自展示「武将も唸る!戦国めし×なごやめし」もございます。
 大河ドラマの世界観はもちろん、名古屋ならではの魅力もぜひお楽しみください。
  ・・・・・・
というもので,1月24日にオープンしたので,その数日後の平日,2月3日に行ってみました。

 初日はすごい人だったようですが,これまでの大河ドラマ館と同じなら,平日の朝はそれほど人は多くないと見越して,この日も,開館時間の午前9時に入りました。ほとんど人はおらず,ゆっくりと見学することができました。建物は,このために造ったものですが,来年の1月11日を最後に閉館すると,取り壊してしまうそうです。まだ番組がはじまったばかりで,展示されているものも少ないのですが,それは承知。これまでに見た大河ドラマ館と同様で,番組で使った衣装やら小道具が展示されていたのですが,館内が広く,気持ちのよいものでした。
 30分ほどですべてを見終えて,大河ドラマ館を出たのですが,そのころには,けっこうな見学客がやってきました。また,中学生が団体で列を作っていました。

 ここ数年の大河ドラマと,私が見にいった大河ドラマ館です。
●2020年「麒麟がくる」
 王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣,麒麟。 応仁の乱後の荒廃した世を立て直し,民を飢えや戦乱の苦しみから解放してくれるのは誰なのか……。そして,麒麟はいつ来るのか?。
 おもしろいドラマでしたが,ちょうどコロナ禍がはじまってしまい,前半のダイナミックさを出すことができず,後半はスタジオでのシーンばかりとなってしまったのが残念でした。
 岐阜城下に開館した大河ドラマ館に行きました。同じくして岐阜城などにも行くことができました。
●2021年「青天を衝け」
 まったく興味がなかったので,見ていません。大河ドラマ館があったのかどうかも知りません。
●2022年「鎌倉殿の13人」
 源頼朝にすべてを学び,武士の世を盤石にした男,二代執権・北条義時が,いかにして武士の頂点に上り詰めたのかを描く。
 この時代のことはほとんど知らなかったので,とてもためになりました。
 鎌倉の鶴ケ岡八幡宮に大河ドラマ館があったのですが,なかかな行くことができず,12月9日にやっと行くことができました。
●2023年「どうする家康」
 後ろ盾もなく,豊かな国土もなく,あるのは個性派ぞろいの家臣団だけ。豊臣秀吉,真田昌幸,石田三成と次々と現れる強者たち。ひとりの弱き少年が乱世を終わらせた奇跡と希望の物語。
 ドラマ自体は不出来でしたが,最後まで見続けました。
 岡崎城下に開館した大河ドラマ館と浜松城下に開館した大河ドラマ館に行きました。同じくして岡崎城や浜松城などにも行くことができました。
●2024年「光る君へ」
 主人公は紫式部。 平安時代に,千年の時を超えるベストセラー「源氏物語」を書き上げた女性。彼女は藤原道長への思い,そして秘めた情熱とたぐいまれな想像力で,光源氏=光る君のストーリーを紡いでゆく。変わりゆく世を,変わらぬ愛を胸に懸命に生きた女性の物語。
 このドラマはおもしろく,また,知らなかったことばかりだったので,とてもためになりました。
 大河ドラマ館は,京都府の宇治市,滋賀県の石山寺,福井県の敦賀にあって,そのすべてに行きました。
●2025年「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」
 親なし,金なし,画才なし… ないない尽くしの生まれから「江戸のメディア王」として時代の寵児になった蔦屋重三郎。「蔦重」こと蔦屋重三郎の波乱万丈の生涯を,笑いと涙と謎に満ちた物語として描く。
 ドラマは私には前半が特におもしろいものでした。
 浅草に大河ドラマ館がありました。大河ドラマ館からはマイクロバスのサービスがあって,ドラマに関連した様々な場所を巡ってくれました。
●2025年「豊臣兄弟!」
 戦国時代のど真ん中!! 強い絆で天下統一という偉業を成し遂げた豊臣兄弟の奇跡! 夢と希望の下剋上サクセスストーリー。
 今年の「豊臣兄弟!」はドラマ自体は楽しめるのですが,知っていることばかりなので,予習も復習もいりません。「光る君へ」などとは違い,軽いドラマです。また,これまで,この時代は何度も取り上げられているので,その差別化が今後の課題でしょう。大河ドラマ館は,今回行ったもののほかに,長浜城下にもあり,また,3月には大和郡山城下にもオープンするそうなので,行ってみようと思っています。

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【Summary】
In October 2019, I visited Hanamaki, Iwate, with the main purpose of seeing the National Astronomical Observatory of Mizusawa. Though it was only five years ago, it feels distant. I arrived by night bus and was surprised by the thick morning fog, making a strong impression. Staying at Kanko-so Ryokan in Dai Onsen was memorable, with great service and a relaxing hot spring. I also became fascinated by Miyazawa Kenji, who represents Hanamaki’s spirit. I'd like to visit again someday, taking more time to explore.

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 私が岩手県の花巻に行ったのは,2019年10月16日のことでした。当時は,今のように東北地方に詳しくなく,私が出かけた目的は,国立天文台水沢でした。それは,今からわずか6年ほど前のことなのに,ずいぶん昔のように思えます。今とは比べ物にならないほど元気だったので,東京から深夜バスに乗りました。今なら県営名古屋空港から飛行機に乗るか,東北新幹線で行きます。
 しかし,知らないということは,その思い出も強烈です。

 まず,早朝,花巻駅前にバスで到着して驚いたのは,一面の濃霧でした。とんでもないところに来た,と思いました。はじめの印象がそうだったから,私は,花巻というところは,いつも濃霧だと思ってしまうのです。
 次が,宿泊した台温泉の旅館「観光荘」です。このころはまだ,私は日本の旅館にはほとんど宿泊したことがなかったのですが,この旅館,最高でした。食事は部屋に運ばれてきました。宿泊客は私ひとりで,温泉もゆったりと楽しめました。ただし,お湯がすごく熱かったのが思い出されます。
 さらに,花巻といえば,宮沢賢治で,まさに,ここは「イーハトープ」そのものでした。
 その後の私は,すでに何度も書いたように,青森県に何度を行くようになり,それまでほとんど読んだこともなかった太宰治に夢中なのですが,このときもまた,それまで,ほとんど興味もなかった宮沢賢治に夢中になりました。
 今度は,もっと時間をとってゆっくりとこの地を訪れてみたいものです。

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【Summary】
“Hannari” is a Kyoto term expressing understated elegance: gentle brightness, refinement, and natural grace without showiness. Though once a negative word meaning gaudy excess in medieval times, it evolved into today’s ideal of quiet beauty, where color, atmosphere, restraint, and dignity harmoniously blend.

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 「京都人の密かな愉しみ Rouge‐継承‐」。第5回は「まことの花」。
  ・・・・・・
 洛は,三八子に教わる着付け,茶道,書道などの女将修業にやや食傷気味。老舗和菓子屋の久楽屋は,一年で一番忙しい季節を迎えていた。鶴子は,病気を抱えつつ女将業に精を出し,洛も女将見習いをしていく。
 中秋の名月の夜,お月見をしていると,三八子や鶴子は「中秋の名月より“後の名月”のほうがはんなり”している」という。「はんなり」を調べようとする洛に東雲は?
  ・・・・・・
 ということで,今回の話題は「はんなり」です。

 諸説あれど,「はんなり」は,「花なり」あるいは「華なり」が転じたということです。華やかだけれど,決して咲き誇らない。 控えめな美を尊ぶ京都の美意識そのものです。このことばを,京都人が使うとき,その背後には,色・空気・間合い・品がすべて溶け込んでいます。
●上品で,明るく,しっとりしている 派手ではない, しかし地味でもない。 ふわっと華やぐが,決して前へ出すぎない。 まるで薄紅の椿が,冬の庭にそっと咲いているような存在感。
● 力みのない美しさ 京都の美意識は「頑張ってます感」を嫌います。はんなりは,余裕・ゆとり・自然体の美を含んでいます。
●色気ではなく「気品」。 艶っぽさよりも気品と柔らかさが前に出る。 舞妓さんの所作や,京ことばの柔らかい語尾が象徴的。
 たとえば,
 「はんなりした着物やね」は,色が明るくて上品。柄がうるさくない。
 「あの人,はんなりしてはる」は,物腰が柔らかく,落ち着いていて,品がある。
 「このお菓子,はんなりしてる」は,甘さや香りが控えめで,上品にまとまっている。
という感じで,対象は人でも物でも空気でもよく,「京都的な上品さがふわっと漂う状態」 を指します。
 では,今回の番組にも出てきた「はんなり」を英語で表すのはむずかしいのですが,ニュアンスからさがしてみると
 ① graceful
  「優雅で落ち着いた」という感じ
 ②elegant in a gentle way
  「派手ではない優雅さ」
 ③subtly refined
  「控えめだけれど洗練されている」
 ④softly charming
  「柔らかい魅力」
 ⑤delicately elegant
  「繊細で上品な雰囲気」

 また,世阿弥が「風姿花伝」で表した「はんなり」は
  ・・・・・・
 ひする花を知ること 秘すれば花なり
 秘せずは花なる べからず となり
 この分け目を知ること 肝要の花なり
 そもそも一切の事 諸道芸において その家々に秘事ひじと申すは 秘するによりて大用たいようあるがゆゑなり
 しかれば 秘事といふことをあらはせば させることにてもなきものなり
 これを「させることにてもなし」と言ふ人は
 いまだ秘事といふことの大用を知らぬがゆゑなり
 まづ この花の口く伝でんにおきても ただめづらしきが花ぞと皆知るならば
 「さてはめづらしきことあるべし」と思ひまうけたらん見物けんぶつ衆しゅうの前にては
 見る人のため花ぞとも知らでこそ 為手しての花にはなるべけれ
 たとひめづらしきことをするとも 見手の心にめづらしき感はあるべからず
 されば 見る人は ただ思ひのほかにおもしろき上手とばかり見て これは花ぞとも知らぬが 為手の花なり
 さるほどに 人の心に思ひも寄らぬ感を催す手だて これ花なり。
  ・・
 秘密にする(ことによって生まれる)花を知ること 秘密にするから「花」であり
 秘密にしないならば「花」でありえない ということである
 (花になるかどうかという)この分け目を知ることが 「花」についての大切なところである
 そもそも全ての事 さまざまな芸道において そのそれぞれの家に秘事と申し上げるものは (それを)秘密にすることによって大きな効用があるからである
 だから 秘事ということを明らかにすると たいしたことでもないものである
 これを「大したことでもない。」と言う人は
 まだ秘事ということの大きな効用を知らないからである
 まず この「花」の口伝においても ただただ珍しいことが「花」なのだと みんなが知っているのであるならば
 「それでは珍しいことがあるだろう」と予期しているような観客たちの前では
 (演者が)たとえ珍しいことをしようとも 観客の心にめずらしいという感動はあるはずがない
 観客にとって「花」なのだと知らないでこそ 演者の「花」になるはずである
 だから 観客は ただ意外に面白い上手な演者とだけ見て これは「花」なのだとも知らないのが 演者の花なのである
 そういうことだから 人の心に予期していない感動を起こさせる方法 これが花なのである
   「風姿花伝」 第七 別紙口伝 六
  ・・・・・・

 この「花」という言葉の裏にひそむのは,現在使われている「上品でしっとり」という意味とはまったくの別物で,「派手」「けばけばしい」「上品さを欠いた華やかさ」 という否定的な意味を含むもの,ということで,当時の語感では, 派手すぎる,目立ちすぎる,風情がない,粗雑で洗練を欠くといったニュアンスが強いものといいます。要するに,世阿弥の美学である「幽玄」は,従来の意味の「花」ではなく,秘めた花になれ,ということです。
 だから,「花なり」ではなく,「秘めた花なり」。それが,現在では「秘めた」が消え「花なり」だけが残って,これが「はんなり」という京都で「上品・優雅」の意味に転じたのは,多くの京都語の特徴で,否定語を婉曲に柔らかく言い換える文化の中で語感が変化したと考えられているといいます。
 世阿弥が表した「花なり」の意味だと,英語に訳すなら
 ① gaudy
  「けばけばしい,下品に派手」
 ②flashy
  「やたら目立つ」
 ③showy
  「見た目だけ派手」
 ④vulgar in its showiness
  「派手さが下品」
 ⑤lacking refined elegance
  「洗練を欠く」
 このような,奥の深い文化,はんなりとした文化,インバウンドの方々には到底理解できますまい。

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Cold Moon 2026.

2026年2月2日の早朝に写した満月です。
ちょうど新幹線が通りました。
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【Summary】
Iki Island is rich in shrines, history, and food. Identified with the ancient Iki Kingdom in Wei Zhi, it was a key hub of trade and diplomacy linking Japan and the continent. Archaeological sites and large tombs reveal its geopolitical importance. Fresh uni left the strongest impression.

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 壱岐島はパワースポットの宝庫で,月讀神社や住吉神社,小島神社など,150以上の神社が点在しています。また,元寇の舞台になった場所でもあり,その昔は,3世紀の中国の歴史書「魏志倭人伝」に書かれた「壱岐国」だった場所として,現在は「一支国博物館」があって,古代の壱岐の暮らしや文化を学ぶこともできます。
 さらに,ウニ丼,壱岐牛,麦焼酎など,どれも絶品で,なかでも新鮮なウニは味わうべきものです。
  ・・・・・・
 始度一海千餘里至對海国 其大官日卑狗 副日卑奴母離
 所居絶㠀 方可四百餘里 土地山險多深林 道路如禽鹿徑
 有千餘戸 無良田 食海物自活 乗船南北市糴
 又南渡一海千餘里 名日瀚海 至一大國 官亦日卑狗 副日卑奴母離
 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴
 又渡一海千餘里至末盧國 有四千餘戸 濱山海居
 草木茂盛 行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺 皆沉没取之
 東南陸行五百里到伊都國 官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚
 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往来常所駐
  ・・
 始めて一海を度ること千余里にして対海国に至る。その大官は卑狗と曰ひ,副は卑奴母離と曰ふ。
 居する所は絶島にして,方四百余里ばかり。土地は山険しく深林多し。道路は禽鹿の径の如し。
 千余戸有り。良田無く,海物を食らひ自活す。船に乗り,南北に市糴す。
 又,南に一海を渡ること千余里,名は瀚海と曰ふ,一大国に至る。官は亦た卑狗と曰ひ,副は卑奴母離と曰ふ。
 方三百里ばかり。竹木叢林多し。三千ばかりの家有り。やや田地有り。田を耕すも,なお食らふに足らず。亦,南北に市糴す。
 又,一海を渡ること千余里にして末盧国に至る。四千余戸有り。山海に浜して居す。
 草木茂盛し,行くに前人を見ず。魚鰒を捕るを好み,水の深浅無く,皆,沈没してこれを取る。
 東南に陸行すること五百里にして伊都国に到る。官は爾支と曰ひ,副は泄謨觚,柄渠觚と曰ふ。
 千余戸有り。世,王有りて,皆,女王国に統属す。郡使往来し常に駐する所なり。
  ・・
 (狗邪韓国から)始めて一海を渡り,千余里で対海(対馬)国に至る。その大官はヒコウといい,副官はヒドボリという。
 居する所は,近寄り難い島で,およそ四百余里四方。土地(対馬国,対海国)は,山が険しくて深い林が多く,道路は鳥や鹿の道のようである。
 千余戸の家がある。良田は無く海産物を食べて自活している。船に乗って九州や韓国へ行き,商いして穀物を買い入れている。
 (対海国から)また,南に一海を渡る,千余里,名はカン海という。一大国に至る。官は,亦(対馬と同様),ヒコウといい,副はヒドゥボリという。
 (一大国の)大きさはおよそ三百里四方。竹,木,草むら,林が多い。三千ばかりの家がある。いくらかの田地があるが,住民を養うには足りないので,対馬と同じ様に九州や韓国へ行き,商いして穀物を買い入れている。
(一大国から)また,一海を渡ること千余里で,バツロ国に至る。四千余戸があり,山と海すれすれに沿って住んでいる。
 草木が盛んに茂り,行く時,前の人が見えない。魚やアワビを好んで捕り,水の深浅にかかわらず,皆,潜ってこれを取っている。
 (末盧国から)東南に陸上を五百里行くとイト国に到着する。官はジシといい,副はエイボコ,ヘイキョコという。
 千余戸が有る。代々,王があり,皆,女王国に属し続けている。(帯方)郡の使者が往来し,常に滞在する所である。
  ・・・・・・
 「魏志倭人伝」に登場する「一支国」(いきこく)または「一大国」(いちだいこく)は,現在の壱岐島に比定されています。「一支国」は,「魏志倭人伝」に記された倭国の一部で,「対馬国」の次に登場する島国。その王都とされるのが壱岐島の原の辻(はるのつじ)遺跡で,ここは弥生時代の大規模な環濠集落だったことがわかっています。 この遺跡からは,国内最古の船着き場跡や中国・朝鮮の土器,銅銭などが出土していて,当時の壱岐が東アジアの交易拠点として栄えていたことがうかがえます。ちなみに「一支国」と「一大国」は史料によって表記が違いますが,どちらも壱岐島を指していると考えられています。

 古墳が多い理由は,古代における地政学的な重要性と海上交通の要衝だったことにあるそうです。
 壱岐島は,九州と朝鮮半島・中国大陸を結ぶ航路の中間に位置していて,古代から人・モノ・文化が行き交う重要な拠点だったので,交易や外交に関わる有力者が多く住んでいました。
 5世紀から7世紀ごろ,ヤマト政権が朝鮮半島との外交や軍事活動を進める中で,壱岐はその前線基地のような役割を果たしていました。そのため,ヤマトとつながりの深い豪族たちがこの地に拠点を築き、立派な古墳を残したと考えられています。壱岐の古墳からは,中国や新羅(朝鮮半島)の遺物がたくさん出土していて,当時の国際交流の証がたくさん出てきます。これは,壱岐が単なる地方の島ではなく国際的なハブだったことを示しています。特に「双六古墳」や「対馬塚古墳」などは長崎県内でも最大級の規模を誇る前方後円墳で,当時の支配者層が自らの権威を示すために築いたとされています。 つまり,壱岐島は古代日本の玄関口であり,外交と交易の最前線で,古墳はその歴史の痕跡,水面下に眠るタイムカプセルのような存在なのです。
 そんなことを思いながらこの島を巡ると,何かとても不思議な気がしました。
 壱岐島でもっとも思い出に残るのは,最終日に食べた新鮮なウニでした。
 もし,また行くことがあれば,今度は,宿泊先などもきちんと調べてから行ってみたいと思いました。きっと印象が変わることでしょう。


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【Summary】
In July 2023, I visited Iki Island, mainly as a side trip from Yanagawa and Fukuoka. Although easily accessible and historically interesting, the experience left a poor impression due to fully booked jetfoil transport and disappointing accommodation, which prevented me from enjoying good food, sake, and hot springs.

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 壱岐島へ行ったのは,2023年7月6日から7月7日でした。佐賀県柳川市と福岡県福岡市にもついでに行きました。というよりも,そもそも,柳川市に行こうと思っていて,ついでに壱岐島に行ったのでした。
 佐渡島,隠岐諸島などに比べると,壱岐島は行くのが容易な離島で,博多港からジェットフォイルで1時間と少しで到着します。福岡市に住んでいたら,ちょっとそこまで,という感じです。だから,壱岐島に住んでいる人は,買い物に福岡市に来ることができるわけです。
 とはいえ,私には,壱岐島というのは,いい印象がありません。そこで,ほとんどのことを覚えていません。何らかの機会にテレビなどで壱岐島が出てくると,そういえばこんなところがあったな,と思い出します。そして,けっこう興味深い島だったなあ,と再認識します。それらは,サルの形をした猿岩,古墳群,そして,「魏志倭人伝」に登場する壱岐国の史跡です。
 
 では,どうしていい印象がなかったというと,ひとつ目の理由は,行きのジェットフォイルが1か月前に予約をしようとしたのに,すでに満席だったということにあります。どうしてかは不明です。他の離島とは違って,壱岐島はフェリーが夕方の便しかなく,観光で行こうとすると,ジェットフォイル一択になるのですが,これでは島にたどり着けません。途方にくれました。これは,のちに書くことになる隠岐諸島とは真逆です。フェリーは船が大きいので,満席,ということはまずなくて,よほどのことがなければ乗れるのですが,小さなジェットフォイルでは,満席となると,島に渡ること自体,できなくなって,旅行の予定が立ちません。そうなると,すでに,島で宿泊する旅館が予約してあったのに,それもキャンセルすることになってしまいます。私の場合,その後,何とかキャンセルが出て,幸い,無事に予定していたジェットフォイルに乗ることができましたが…。
 私が予約がとれなかった便に団体観光客がいたわけでもありません。いつもそうなのかも,たまたまだったのかもわかりません。ともかく,壱岐島は行きにくい島というイメージだけができあがりました。
 ふたつ目の理由は,宿泊した旅館がよくなかった,ということにあります。食事も小学校の給食のようなものだったし,部屋にはコンセントもありませんでした。せっかく離島に行ったのだから,温泉につかり,地酒を呑みながらおいしい海鮮料理を食べたいものです。それが旅というものです。それができなかった。
 おそらく,壱岐島にも,私が理想とする旅館はあるのでしょう。だから,私がそれを探せなかった,というのが原因だったと思われます。
 とはいえ,島自体は魅力的なところだったので,とても残念でした。


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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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