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秋の大和路は,独特な静寂と張りつめた空気にも何かしらの優しさがあります。奈良公園を南に向かって歩くと,新薬師寺から入江泰吉写真美術館に至る小径が旅情に彩りを添えます。
入江泰吉は昭和時代の写真家で,主に,大和路の風景や仏像などの写真を撮り,高い評価を受けました。
その入江泰吉の写真を間近に見ることができる美術館は,忘れていた昔の土のにおいや人の温かさとともに,心の中に何とも言えぬ幸せをもたらしてくれます。きっと,誰よりも古の大和の美しさを知り,それを愛した入江泰吉がその生涯をかけて写した写真には入江の命が宿っているのでしょう。
古都大和には,古来,こうした多くの人々の心が,写真として,あるいは,絵画として,また,歌として,そして,文学として,残されています。
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冬木成 春去來者 不喧有之 鳥毛来鳴奴
不開有之 花毛佐家礼抒 山乎茂 入而毛不取
草深 執手母不見
秋山乃 木葉乎見而者 黄葉乎婆 取而曾思努布
青乎者 置而曾歎久 曾許之恨之
秋山吾者
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冬ごもり 春さり來れば 鳴かざりし 鳥も來鳴きぬ
咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず
草深み 取り手も見ず秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてそしのふ
青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし
秋山そ我は
「万葉集」巻1・16 額田王
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この歌は,天智天皇が藤原鎌足に春と秋とどっちがすぐれているかを歌で競わせたときに額田王が歌で意見を示したものです。
春が来ると鳥がさえずり花が咲きます。けれども,山には木が生い茂り入っていって取ることができません。秋山は紅葉した木の葉をとることができていいなあと思います。ただ,まだ青いまま落ちてしまったものもあってそれを置いて溜息をつくのが残念ですけれど。でも,私はそんな秋を選びます。といった意味です。
この歌の最後「秋山〈そ〉我は」がなんとも素敵ではないでしょうか。「秋山そ」私はこの〈そ〉の音に,なまめかしさとともに深い味わいを感じるのです。
秋の大和路を訪れると,そうした秋山を踏みしめることができます。秋の大和路には,ススキと柿の実をつけた樹木がよく似合います。そんな小径を歩いていると,今も,古人の息遣いが聞こえてくるような気がします。