地下鉄Eラインは,すばらしい電車であった。車内の表示も電光掲示であった。地下鉄の案内標示は,英語,スペイン語,中国語,そして,ハングル。しかし,日本語はなかった。
30年も前のニューヨークの地下鉄は,そりゃひどいもので,落書きだらけ,乗るにも命がけであった。車内には警官が乗り込んでいた。日本製の,落書きのできない車両が導入されてから,落書きがおさまったそうであるが,窓ガラスに傷をつけてまで落書きがしてあるのを,いまだに見かける。
また,ラインによって,雰囲気が全く違う。JラインとかZラインとかは,今だ,やばい時代の空気が感じられたが,このEラインは,最新式であった。
ジャマイカ・センターからマンハッタンまで,このEラインは特急電車で停車する駅は少なかったが,思ったよりも時間がかかった。
およそ30分以上乗っていただろうか,列車は,5番街&53ストリートに到着した。私はここから4番ラインに乗り換えるものと思っていたが,経路図をよく見ると,ここには4番ラインは通っていなかった。
ということで,一度,地上に出た。
警官がいたので聞いてみると,レキシントン・アベニューへ行け,と言った。レキシントン・アベニューは5番街から2ブロック東であった。そこまで少し歩いた51ストリートで乗り換えることができるらしい。
私には久しぶりのマンハッタンであった。
レキシントン・アベニューは,マンハッタンのセントラルパークの東側を南北に通る5番街のその東のマジソン・アベニューのその東の道であることを思い出した。
マンハッタンのビル街を歩いてレキシントン・アベニューに着いたが,地下鉄の入口がない。実は,私は,51ストリートではなく,53ストリートを歩いていたのだが,地下鉄の駅は51スリートであった。私は,ちょっととまどった。そこからレキシントン・アベニューを南に2ブロック行けばよかったのに,北に歩いて行ってしまった。それでも,59ストリートから地下鉄4番ラインに乗ることができた。
4番ラインの車内はけっこう混雑していた。車両もEラインのような新しいものではなかったが,昔のような暗い感じはなかった。
86ストリートで大勢の乗客が下車していったので,そのあとは,座席がほぼ埋まるくらいの状況になった。
どうして,この駅でこんなにたくさん降りるのかと思ったが,そこは,メトロポリタン美術館の最寄駅であった。銀座線に乗って上野に着いたようなものであった。
私は座っていたが,この駅で降りなかった乗客を見渡すと,私以外は,全員アフリカンアメリカンであった。ちょっとびっくりした。久しぶりのニューヨークでおのぼりさん状態から我に返って考えると,この先は,イーストハーレムなのであった。
イーストハーレムなんて,昔は「怖いところ」であった。その当時は,観光客がマンハッタンの北行きの地下鉄に乗るなんて,考えられなかった。今,私がひとりでその地下鉄に乗っているという事実が,なにか,とても不思議な気がした。今や,すっかり安全になったニューヨークは,ハーレムも問題なく歩くことができるようになった。だから,ハーレムに住むアフリカンアメリカンも昔とは違うようであった。この地下鉄に乗っているアフリカンアメリカンの人たちも,ファッショナブルで,男の人たちは体が大きくてかっこいいし,女の人たちもものすごくきれいだった。
すてきだなあ,と思った。
ヤンキースタジアムにつながるこの地下鉄4番ラインは,野球見物に出かけるらしい,NYマークのついた帽子をかぶったり,ユニフォームを着た乗客も若干は乗ってはいたが,すでに,試合開始時間を過ぎていたので,スタジアムに向かう観客で混雑しているということはなくて,通常の状態のようであった。やがて,地下鉄がハーレム川を越え,地上に出て149ストリートを過ぎると,車窓からは,南には摩天楼,北には巨大なヤンキースタジアムが眺められるようになった。これには,大いに感動した。
地下鉄は161ストリート駅に着いた。ここは,すでにブロンクスである。
私はホームに降りた。
目の前に,豪華なヤンキースタジアムがそびえていた。
とうとうヤンキースタジアムに着いたが,すでに試合開始時間を20分ほど過ぎていた。
・・
私は,この日のチケットは持っていなかったが,まあ,なんとかなるだろうと思ってここに来た。地下鉄を降りたとき,ホームに,チケット買わないか,という黒人のおじさんがいたが,この駅で下車した人たちは,みんな無視してスタジアムに急いでいた。私は,ここで躊躇していても野球が見られないので,意を決して声をかけた。おじさんは「いい席だよ」と言った。おじさんに,私の後ろから来たカップルも声をかけて,値段の交渉を始めた。
私は,そのカップルとの値段交渉が忙しいおじさんから,ともかく1枚のチケット受け取り,値段を見た。70ドルだった。財布に20ドル札が4枚あったので,それを渡してお釣りをくれと言おうとしたが,考えてみれば,この国で,こういう状況で,お釣りをくれるわけがない。思い直して,10ドル札をさがして,70ドルちょうどにして,「これでいいか?」といって,チケットを受け取った。試合がすでにはじまっていたが,チケットは正規の値段で手に入れた。
このチケットがフェイクでないことだけを祈ってスタジアムのゲートを目指した。おじさんは,まだ,そのカップルと値段の交渉を続けていた。