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 はじめてこの地を訪れた若き日,このあたりを何度も往復したことを思い出していた。
 そのときは,マンハッタンの南半分を何度も何度も南北に行き来した。歩いていると,旅行者の人に道を聞かれたりもした。そんなときは,ここに住んでいるような,いい気分になったものだ。
 月日の流れるのはなんと早いことなのであろう。再びこの地を歩くと,そんな大昔のことが,まるで,昨日のことのように蘇ってきた。
 もっと年齢を重ねて,また来ることがあったとしたら,人生とはたかがこれだけのものだったのかと思うのであろうか。

 今もこの地にあこがれて,日本から来て住んでいる若い人もいるし,何度も足を運んでいる人もいる。私も若いころは,そうしたあこがれを抱いたひとりであった。
 残念ながら,私は,この地に住むことはできなかった。というよりも,住むだけの努力をしなかったというほうが正しいのだろう。
 人生は,やりたいということがあって,そうしたいという真剣な情熱さえあれば,結果がどうなるがは別として,どうにでもできるのだ。だから,できないのは言い訳に過ぎない。私には,それだけの情熱がなかったのだ。
 しかし,齢を重ね,多くの地を訪れたり,それなりの経験をした今は,そこがどんなにあこがれた地であっても,暮らすという日常になってしまえば,どこで暮らしても,それはそれで同じような悩みやら怠惰やら不満やらが生まれてくることを知ってしまった。
 旅は,非日常であるからこそ,旅なのだ。

 その点,現在のニューヨークは,確かにすばらしいところではあるけれど,私には,非日常として語るには,あまりにも身近なところになってしまった。
 若いころ,ニューヨークはものすごく遠いところだと思っていたのに,今や,新幹線に乗ることを飛行機に乗ることに置きかえた以外には,東京に行くのとさして変わらない。それは,交通手段の進歩によって物理的な距離が近くなったことに加えて,歳を重ねて様々な経験を積んだことで,ある意味,夢をなくしてしまうことと同じなのかもしれない。今は,そのことが残念である。

 私は,マンハッタンの5番街を59ストリートから南に歩いていた。遠くにはエンパイアステートビルが見えた。
 やがて,57ストリートを過ぎたところに,ティファニーを見つけた。ティファニーの外観は,32年前から全く変わっていなかった。あのときは,この店に入っても宝石を買えなかったので,ティファニーのブランドがデザインされたトランプを買ったことを思い出したが,そんなトランプは今も売っているだろうか。
 次に見えたのが,53ストリートのセントマーチン教会であった。このあたりは,大勢の観光客が写真を撮ったりしていた。さらに進むと,52ストリートにユニクロがあった。ここは,東京でいえば,銀座である。
 一度アメリカへの進出を失敗したユニクロは,今度は,高級店としてマンハッタンの一等地に再び進出した。外から,ビルの中のエスカレーターがあってお客さんが中に入っていくのが見えた。流行っているのかどうかはよくわからなかった。
 もう1ブロック南に行って,51ストリートを西へ6番街まで歩くと,そこは,トニー賞の受賞式を行うラジオシティーミュージックホールがあった。

 ブロードウェイは観光客で一杯であった。ここにはどれだけの国籍の人がいるのだろうかと思った。さまざまな国の言葉が飛び交っていた。きっと,この人たちも,あこがれを胸に,人生一度の思い出としてこの地に来た人のであろうか。
 確かに,人と車であふれていたのであるが,東京の渋谷の交差点のような異常な人口密度ではなかった。また,以前は,このあたりはポルノショップだらけであったが,いまや,ディズニーランドと変わらないところになってしまっていた。
 日本食の食べられるレストランもあったので,久しぶりに日本食でも食べようかと思った。聞くところによると,ニューヨークは,いま,ラーメンが大流行中であるのだという。それにしても,あまりに,日本にいるような感じだったので,旅をしているワクワク感はあったけれども,海外に来たというゾクゾク感はまったくなかった。