作詞家としての北山修さんの作った詩がどれだけあるかは知りませんが,私が知っているのは,
「あの素晴らしい愛をもう一度」「風」「さすらい人の子守歌」「さらば恋人」「白い花は恋人の色」「戦争を知らない子供たち」「初恋の人に似ている」「花嫁,帰って来たヨッパライ」
くらいでしょうか。
「悲しくてやりきれない」もそうかな,と思っていたのですが,これは,サトウハチローさんの詩です。
この中でも,私は,特に「風」と「花嫁」が大好きなのですが,これらを聞くと,いつも思い浮かぶのが,ポプラ並み木の続く天文台に続く道と,京都の学生街なのです。
ポプラ並み木の続く天文台に続く道というのは,どうも,子供のころに読んだ図鑑にあった三鷹の天文台の口径65センチメートル屈折望遠鏡のドームであるらしく,また,京都の学生街というのは,「帰って来たヨッパライ」がはやったころに,北山修さんのいたフォーククルセダースが京都の学生のグループで,また,なぜか,北山修さんが京都大学の学生だという話(間違いですが)を聞いたことがずっと残っているからなのでしょう。
そして,私には,この,天文台と京都というのが,私の原点,あるいは,トラウマになっているらしく,だから,いまでも,この曲を聞くと,懐かしさがこみあげてくるというわけです。しかも,いまでも,私はこのことにこだわっているらしく,日夜,晴れていれば星を追いかけ,春夏秋冬,花が咲けば,祭りがあれば,かえでが色づけば,雪が降れば京都へ出かけるわけです。
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先日,BS朝日の「熱中世代」という番組にその,北山修さんが出演していました。ずいぶんと歳を召されてしまったというのが第一印象でした。それにしても,医師としても一流で,作詞家でもありと,どうして,神様は,平等に人間に才能を与えないのかと嫉妬しました。しかし,お話を聞いていると,いまだ,人間らしい煩悩が話の端々に現れるので,これだけは,私は優越感を持ちました。
もし,私が,北山修さんであれば,さっさと仕事をやめて,シベリウスのように,山の中に小屋でも立てて,ラジオから流れてくる自分の作った歌を聴きながら,質素に隠遁生活を送ることでしょう。すでに,神が与え給えた才能は十分に社会に還元したはずですから。
ところで,その番組の中で,聞き手のアナウンサーが「相手のことばを話す精神科医と器となってみんなの言葉を代弁する作詞家」と言っていました。まさに,そんな使命を授かった北山修さんの歌は,こうして,歌い継がれていくことでしょう。