プエルトリコ料理はおいしかった。というか,私の口に馴染んだ。
お肉は,ステーキのようなものではなく,鳥のササミのようなものであった。それと,バナナを料理に使うらしく,揚げたものがフライドポテトのようになっていた。ソフトドリンクは,ラムジュースであった。
日本ではなじみがないけれども,東京にも,プエルトリコ料理店があるらしい。
あまり細かいことはわからないので,プエルトリコ料理のことはこれくらいにしよう。
ともかく,旅行初日は,思っていた以上に順調であったし,現地に住んでいる人が行くお店で夕食を御馳走になって,すっかりこの地になじむことができた。
こうして,1日目は時間が過ぎていって,食事を終えて,ホテルまで送ってもらった。
あすは,午前9時頃に迎えに来ると言って,友人は帰っていった。
今回も楽しい旅になりそうであった。
実は,こちらで友人と会って話をすると,友人から連絡がなくなったのは,実は、連絡を取りたかったけれど,娘さんが事故に会って怪我をしたので,看病をしなくてはならなくなった,だから忙しくて,しばらく連絡ができなかったのだというのが理由だった。
そして,申し訳ないけれど,約束したニューメキシコ州には一緒に行くことができなくなった,と言った。
私は,そのような事態はすでに想定済みであったので驚きはしなかったが,それならそれで,1行のメールでいいから,もっと早くそういう連絡くらいしてくれたらどうなのかと思った。
私は,ニューメキシコ州には自分ひとりで行くからいい,と言った。そして,すでに予約をしてあるように,サンアントニオには明日まで滞在して,あさっての朝レンタカーを借りてニューメキシコ州ヘ行き,帰国前日の夜戻ってくる,と話した。
そうしたら,サンアントニオで案内したいところがたくさんあるから,レンタカーを借りるのはもう1日遅くしてほしい。また,ニューメキシコ州に3日間だけ行って,改めて戻ってきてから,3日間サンアントニオを案内したい,と言った。そして,最終日は朝,空港まで送るから,ホテルは,今泊まっているところは私の家から遠いので,家に近い所に変更してほしいと言った。
すでに最終日のホテルは予約してあると言うと、予約した空港の近くのホテルはキャンセルしてくれ,と言った。
私は,そのとき,サンアントニオに6日間も滞在してどこへ行くのか,と思ったけれど,そして,事前にホテルを予約するときに場所はどこにしたらいいか,レンタカーは何日借りればいいか,と連絡したのに,何の返事もなかったのに,この場でそういう話を持ち出すことに,少しむっとしたが,アメリカ人に何を言っても説き伏せられそうだったので,とりあえず,レンタカーの予約の変更と,最終日のホテルの予約をキャンセルすることにした。
私も人が好い。
ホテルのキャンセルはネットで簡単にできる。レンタカーの予約の変更は,どうせレンタカー会社の場所を確認したかったので,明日の早朝,ホテルから歩いて直接変更しに行こうと思った。
ホテルに戻って,まず,最終日のホテルのキャンセルをした。そのあとは,テレビを見たり,ブログを書いたりして,のんびりと過ごした。
歳をとって,時差ぼけも何もよくわからなくなってきた。日本で普通に生活をしていても,夜,疲れてしまえば夜の7時でも寝てしまう。だかといって,そうすれば,夜中の3時に起きてしまう。そうなると,ボッーとテレビを見たりしてそのうちに寝てしまう,そんな感じになってしまっている。さらにいけないのが,時々,夜中に起きだして,星を見に行ったりするから,不規則な睡眠時間にさらに輪をかけることになる。
だから,アメリカに来ても,これが時差ぼけなのかなんなのかわからないが,眠っても,すぐに目覚め,また,眠る,を繰り返すことになる。ただし,次の日,寝不足でお昼間に眠たくなる,みたいなこともないのだから,まあ,これはこれでよいのだろう。
私が,近ごろこころがけていることは,その日に何かをしなくてはいけないとか,何かのテレビ番組を見なければいけないとか,そういった自分の決め事は極力減らそうということだ。
私の理想は,朝起きたとき,今日しなければいけないことというのが皆無であるという状態である。だからといって,私には,暇を持て余すとか,そういうことはない。とりあえず今何もすることがなければ,クラシック音楽を聴きながら,本を読めばいいのである。
この日も,まあ,このようにだらだらとアメリカでの第一夜を過ごすことになったのだが,ここで,この旅で唯一のささやかなトラブルが発生した。それは,携帯用のシェーバーが動かないことであった。乾電池切れ? いや,そんなことはない。きっと壊れたのだろう。来る前に動作の確認をしておけばよかったと後悔した。
なにせ,持参したものはすべてぎりぎりだったので,当然,シェーバーの予備など持ってきているわけもなく,まあ,こちらで買えばいいや,とは思ったが,到着早々これではと,先が思いやられた。
そうそう,もうひとつあった。
日本から持っていった携帯電話を国際サービスに切り替えても,電波を拾わない。つまり,携帯電話が繋がらないのであった。