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 そうこうするうちに,午前10時少し前になったころ,友人がやっと現れた。
 きょうは,フレデリックバーグという名のジャーマンタウンに行くのだという。フレデリックバーグは,サンアントニオから車で1時間ほど,インターステイツ10を北西に走って,さらに,コンフォートという町で国道87を北に20分走ったところにあった。
 この人は,ここがよほどお気に入りだと見えて,わずか数日の滞在のうち,2日も私をここへ連れて行った。
 名古屋に遊びに来た友人が,今日は京都へ,明日は奈良へ,と期待していたのに,連日高山に連れていったようなものだ。

 後で書くが,結局,この旅の中で,5日間この友人と行動を共にしたが,もし,私ひとりで同じ行程をたどるのであれば,案内された場所を観光するには2日間で余りあった。私ひとりなら,残りの3日のうち,2日は,エルパソやら,別のテキサスの名所を観光したであろう。そして,もう1日は,きっと,ヒューストンへ行って,NASAを見学したことであろう。
 私にとって,きっと,人生で最初で最後のサンアントニオ,時間は,貴重であった。
 立場を変えて,日本を6日間旅行する外国人を案内することを考えてみよう。東京に3日,京都に3日,朝の出発は11時,1日目は東京タワーのみ,2日目は新宿で1日お買いもの,3日目は京都へ1日かけて移動し,4日目は二条城のみ,5日目は金閣寺… こんな旅をしているようなものだった。

 フレデリックスバーグ(Fredericksburg)は,テキサス州の中央部,テキサス・ヒル・カントリーに位置する都市で,ジルスピー郡の郡庁所在地。人口は約1万人。テキサスのドイツと呼ばれている。
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 1846年に設立されて,プロイセンのフリードリヒ王子に因んで名付けられた。昔のドイツ系住人は,この町をフリッツタウンと呼ぶことが多い。これは,ドイツ系開拓者の第1世代が英語を学ぶことを当初拒否したために残った方言である,ここはテキサス・ドイツ語が話されていることでも知られている。
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 フレデリックバーグのメインストリート沿いには多くの店が並んでいて,アメリカのこうしたよくある町と同じく,歩道沿いに駐車帯があって,ここに車を停めて,ウィンドウショッピングや食事を楽しむことができるようになっていた。
 さらに,町はずれには,軍の施設やら太平洋戦争国立博物館などがあった。

 車に乗って,途中でガソリンを入れ,冷たい飲み物を買ってもらって,さらに,1時間車に乗って,インターステイツから郊外のももの果樹園やらブドウ畑の続く片側1車線道路を走っていくと,やがて,町が見えてきた。ドイツ語の表示やら,レストランやらが見えてきて,リゾートタウンのようになってきた。
 ここが,フレデリックスバーグであった。
 メインストリートの両側の駐車帯は車で一杯であった。ここが目的であるのから,もっと朝早く出発すれば,すべてがうまくいくのに,これは,観光旅行で最も要領の悪いパターンであった。
 日本人でも,こうした観光をする人は多い。彼らは,渋滞を体験するために観光をしているようなものである。
 ともかく,町のはずれまで行って,やっと,車を停めることができるスペースを見つけ,駐車した。
 メインストリート沿いには,おもしろそうなお店やら博物館やらがあったけれど,友人は,そこをどんどんと過ぎていって,車を停めたのとは反対の町はずれにあった,太平洋戦争国立博物館に,私を連れて行った。
 友人は,ここで,それぞれが支払いましょうと言うでもなく,自分だけクレジットカードでチケットを購入して,さっさと中に入っていった。
 この博物館は,かなり大きくて,太平洋戦争に関する非常に興味深い展示がたくさんあった。日本には,これほどの規模の博物館はない。私は,ここで,規模こそ違ったが,昨年の秋に行った鹿児島・知覧の平和記念館を思い出していた。
 太平洋戦争に関して,縁もゆかりもなさそうなこの場所にこれだけの規模の博物館があって,そこに多くの観光客,しかも,若い人たちが訪れていたことが驚きであった。それに,戦勝国だからなのかもしれないが,こうした,過去を直視し学ぼうとする国民性にも,正直,驚いた。さらに,こうした博物館が,日本ではほとんど知られていないことが,一番の驚きであった。