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NHKEテレで放送している「100分de名著」という番組で旧約聖書を取り上げていました。
私はキリスト教徒でないし,旧約聖書も読んだことがないので,この番組で取り上げられていたことは知らないことばかりで,非常に興味を持ってみることができました。それとともに,こんなことも知らないでアメリカを旅行してはいけないなあ,と思うようになりました。感動する心は,自分で育てるべきものです。
この番組の最終回は「ヨブ記」でした。
ヨブは品行方正で信仰心があつい男で,家族と財産に恵まれ幸せに暮らしていました。彼の信仰心を確かめるために,神とサタンは,そんな彼から財産や家族,友人までを奪うのですが,それでも信仰が揺るがないので,さらに重い病気を与えるのです。
さすがにこうした不幸の連続に,ヨブは神への疑問を持ちはじめます。
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正しく生きてきた自分のような人間がなぜ神によってこんな風に苦しめられなければならないのか。
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神は苦しめるために私に命を与えたのか。こんな苦しい思いをするならいっそのこと死んでしまいたい。生きることよりも死ぬことを望みたくなるような底なしの苦しみを味わっているヨブが神に向かって訴えかける言葉です。
それに対して神が語りかけます。
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あなたは海の源に行き着き淵の底を歩いたことがあるのか。
あなたは死の門を見たことがあるか。光への道を知っているか。暗黒の住みかはどこなのか。
大地の広がりを隅々まで調べたことがあるか。知っているなら言ってみよ。
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ヨブ記は,人が不幸に見舞われたときに大切なことは「なぜ私にこんな不幸が訪れるのか」とひたすら問い続けることではなく,不幸の中にあっても生きることを決してあきらめるなということをいっているのかな,と思いました。自分の身を不幸だと思うほどの不幸を本当に知っているというのか,と。
アメリカのテレビドラマ「ER XV」の第3回「The book of Abby」では,このヨブ記が取り上げられていました。
主人公のアビー・ロックハートが,自分の身の不幸を哀れんでヨブ記を口ずさむのです。まるで,ヨブのようなアビー・ロックハート。しかし,アビーは身の不幸を克服してすがすがしく病院を後にするのでした。
私は,自分の身にすべての不幸が起こった2007年に,同じようなことを感じたことがあります。その結果,世の中は不条理であるということだけは確信しました。もともと世の中は不条理なものなのに,他人と比べてわが身の不幸を嘆くことには意味がないのです。
しかし,たとえ世の中が不条理だとしても,それを受け入れる価値があります。自分には絶対的な自分の姿があるのです。それを投げ出したら終わりです。「ヨブ記」に接して,少しだけそんなことがわかったような気がします。
他人と比べて不幸のどん底だったあのときの私には,今のような,こんな素晴らしい自分の人生が待っていようなどとは想像すらできませんでしたから。