第150回芥川賞受賞作の小山田浩子作「穴」を読みました。
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夫の転勤にともない、彼の実家の隣に住むことになった女性が落ちた穴。不思議の国のアリスを思わせるその穴と、彼女が出会った「いるはずのない義兄」とは。
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というのが,この小説の紹介文なのですが,私は,なんだか,小川洋子さんの小説を読んでいるような気分になりました。
だから,結局,彼女には何事かが起きたのか,それとも,起きなかったのか…。
それは,読んだ人それぞれで判断が異なることでしょう。日常の些細な出来事を,常に重大事ととらえる人と,さりげなくやり過ごす人によって違ってくるということと同じだからです。
また,登場する人たちが善人か悪人か,そんなことも,この小説には,どうでもよいのです。
実際,人をそういった概念でひとくくりすること自体が間違っているのです。私には,自分の生き方に煩わしく関わってくる人は悪人だし,ほっといてくれる人は善人です。そんな私の判断基準で考えれば,この物語に出てくる夫も,夫の兄として現れる人も善人です。
この主人公の女性は,仕事を辞めて,それまで自分のやっていたことは何だったんだろうとむなしくなったりするのですが,私は,そんなことに意義を見出さなくてもいいじゃないか,と思ってしまいます。
世の中には,自分のすることに意義を見出さなければいられない人がたくさんいます。
そういった理由から,なにがしかの意義を求めて,他人と関わりを持とうとするのですが,結局,それが他人に迷惑をかけていることが結構あるんだ,っていうことに気づいていない人が多いのです。別に,仕事をやめたって,一日中暇を持て余すこともないわけだし,義祖父にどうかかわかるかっていうのも,相手の問題ではなく,所詮は,自分の内面の問題に過ぎないのです。
そんなわけで,私自身は,正直,この小説の主人公のような感性の女性は好きではないので,残念ながら,この本を読んでも,主人公に同化することはできませんでした。
しかし,小説を読んでいるときに浮かぶ潜在的な風景には,懐かしさがとてもよみがえってきました。要するに,この小説は,人物描写よりも,こうした田舎の自然描写のほうが素敵なのだと思います。だから,逆に,妙に現実感が薄い,という多くの批評にもなるのだと思いますけれど。
この物語の最後で,主人公は,コンビニのアルバイトを始めて,だんだんと田舎の奇妙な秩序の中の一員になっていくということになるのですが,それこそがどこにでもある日常。
そうして,人は,何やかやといっても,働く意義だとか生きがいだとかいっても,だんだんとみんなと同じように平凡に歳をとっていくのだよ,といった現状肯定物語というのが,この小説のありふれた結論なのでしょう。
そんなありふれたストーリーだけど,芥川賞の選考委員の作家の皆さんの好みなのか,この小説に中にもやはり,老いというものが見え隠れしていると感じるのは,私自身の老いのせいなのでしょうか。
しかし,日常の中に潜む老いというものをこの物語で十分に語るには,著者の年齢から考えてもむずかしいことなので,そのことがもの足りないと思うのは仕方がないのかもしれません。
でも,2012年の受賞作である鹿島田真希さんの「冥土めぐり」もそうでしたが,私は,こういうけだるい空気の流れる,そして,ある種の世の中の不条理さの描かれた小説は嫌いではありません。