DSC_0883DSC_0884DSC_0885DSC_0886●世界遺産に選定された私人の住居●
 「モンティチェロ」(Monticello)はバージニア州のシャーロッツビル(Charlottesville)に位置し,アメリカ独立宣言の起草委員およびアメリカ合衆国第3代大統領を務めたトーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)の邸宅と歴史的なプランテーションがあった場所である。邸宅はジェファーソン独自のデザインによるもので,1769年に建設が始まり,1809年に完成した。
 「モンティチェロ」はイタリア語で「小さな山」を意味する。また,アメリカの5セント硬貨に刻まれているのは,このモンテチェロにあるジェファーソンの住んだ家である。

 1826年にジェファーソンが逝去した後,遺産となったモンティチェロは彼の長女であったマーサ・ワシントン・ジェファーソンへと相続された。しかし1831年,財政難からマーサはモンティチェロを地元の薬剤師であったジェーム・.バークレーへ売却したが,1834年,全生涯をアメリカ海軍将校として仕えた最初のユダヤ系アメリカ人であるユライア・リーヴィ(Uriah P. Levy)へとモンティチェロを売却した。
 リーヴィはジェファーソンを非常に尊敬していた人物である。

 南北戦争さなか,モンティチェロはアメリカ連合国政府により差し押さえられて売却されたが,ユライア・リーヴィの遺族がこれを違法として訴訟を起こした。この訴訟は,ユライア・リーヴィの甥ジェファーソン・モンロー・リーヴィ(Jefferson Monroe Levy)が和解にこぎつけた。ジェファーソン・リーヴィはまた,ひどく状態の悪化したモンティチェロを,修復・修繕し保護に努めた。
 1923年,非営利組織トーマス・ジェファーソン財団が,ジェファーソン・リーヴィからモンティチェロを買収した。こうして,今日,モンティチェロは博物館及び教育機関として管理されている。
 モンティチェロは,世界遺産に選定されたアメリカ合衆国で唯一の私人の住居である。

 私は,アメリカの他の観光施設同様,ビジターセンターで受付を済ませ,時間の決められたツアーに参加して,内部を見学した。見学できるのは地下貯蔵庫の各部屋と1階であったが,写真を写すことはできなかった。
 ジェファーソンは大変な読書家であったそうで,その膨大な書物は,アメリカの国会図書館が焼失した折に国に寄付されたという。私はこの後でジェファーソンが寄付したというこれらの書物をワシントンDCで見ることになる。
 
 このジェファーソンの住居跡の敷地はものすごく広く,敷地内はバスが走っていて,自由にそれに乗って移動することができる。少し離れてところにはジェファーソンの墓があるということだったが,歩いていくには遠いのであきらめた。
 そのとき,ちょうどバスが来たのでそれに乗ると,バスは駐車場の戻る前に,なんと,ジェファーソンの墓の前を通りかかった。私がその墓を見たいと言うと,親切にバスは一時停車をしてくれてたので,バスから降りて私が写真に収めるまで待っていてくれた。ジェファーソンが生前に言い残した遺言によって,墓碑銘には「アメリカ独立宣言,ならびに宗教の自由のためのヴァージニア州法の起草者,そしてヴァージニア大学の父」と書かれ,大統領の功績は記されなかった。
 こうして,私は,このモンティチェロの広い構内を見学して,駐車場に戻ることができた。
 それにしても,数年前に行ったテキサス州のジョンソンタウン同様,アメリカの歴代の大統領の遺構は国立公園として立派に保存・管理されていて,今も多くの人が訪れている。
 ここでもまた,アメリカ人が歴史や偉人をリスペクトしていることを私は強く感じたのだった。