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●ワシントンの住んだ場所●
 マウントバーノン(Mount Vernon Estate & Garden)はアメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントン(George Washington)が22歳から67歳まで過ごした土地である。
 当時,ジョージ・ワシントンの邸宅は広大な農園に囲まれたこの地にあって,ワシントンは農園主であった。
 もともとワシントンは現在の地に葬られたわけではないが,現在は改葬されて,バウントバーノンの一角に建てられたこの写真の建物のなかの棺に眠っている。
 ここは1960年にアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定,国家歴史登録財にも登録されて,マウントバーノン婦人協会による信託で所有・維持されている。

 この地の歴史は17世紀に遡る。
 1674年,ジョージ・ワシントンの曽祖父となるジョン・ワシントンとニコラス・スペンサーがマウントバーノン・プランテーションとなる土地を所有した。
 その後,ジョン・ワシントンの子ローレンス・ワシントンが相続し,ニコラス・スペンサーの相続人と協議して、ワシントン家とスペンサー家はこの土地を分割した。
 ローレンス・ワシントンの死後,娘のミルドレッドが相続した。
 1726年,ョージ・ワシントンの父であるオーガスティン・ワシントンの要請によってポトマック川に近い部分の土地がオーガスティン・ワシントンに売却され,彼はは家族と共にこの土地に引っ越してきた。
 1738年になって,オーガスティン・ワシントンはイギリスに留学していた長子のローレンス・ワシントンを呼び戻しタバコを栽培するプランテーションを預け,オーガスティン・ワシントン自身は以前住んでいたフレデリックスバーグに隠居した。
 成人したローレンス・ワシントンは隣接するスペンサー家の領地から少しずつ土地を購入し,ローレンス・ワシントンの上官で海軍少将だったエドワード・バーノンに因んで「マウントバーノン」と名づけた。

 1752年7月,ローレンス・ワシントンの早すぎる死に接したジョージ・ワシントンがマウントバーノンに住んで,プランテーションの経営を後継したと考えられている。1759年からアメリカ独立戦争に至る間,傑出した農業専門家になることを目指していたワシントンはこの敷地を5つの農園に分けて運営した。
 ワシントンは1775年以来の独立戦争を指揮し,1783年アメリカ合衆国の独立を成就させ,初代の大統領に就任した。ワシントンは独立戦争に参加した後マウントバーノンに戻り,1785年から1786年にかけて敷地の景観の改善に多くを費やした。ワシントンはマウントバーノンでの幸福な引退生活を望んだのだが,1798年フランスとの戦いが切迫し総司令官となった。
 1799年12月12日,彼は喉頭炎にかかり医者の勧めに従って960ccの血液を抜いたことが彼の生命力の衰えを促し,14日に死亡した。18日の朝,マホガニーの棺に入ったワシントンの遺体はポトマック河を見下ろすマウントバーノンの広場に安置された。霊廟の前で宗教儀礼が行われたあとフリーメーソンによる古代儀礼が厳粛に行われ棺が廟に納められた。

 1799年にワシントンが死んだ後,プランテーションの所有権は何人かの子孫に受け継がれたが,その資産を維持する意思や手段には欠けていた。バージニア州もアメリカ合衆国もこの家と敷地を購入することは辞退したが,1860年,アン・パメラ・カニンガムが指導するマウントバーノン婦人協会が邸宅とその周辺の土地を20万ドルで購入し,荒廃と放棄の状態から救った。
 ここ,マウントバーノンはこうした経緯をたどって,現在に至っている。