######
「夏の思い出①」で50年前の海の思い出を書いていたら懐かしくなってきて,その場所に行ってみることにしました。行こうと思えばいつでも行ける場所ですがなかなかその機会がないし,これまではわざわざ行く気もなかったのですが,そうしているうちに行く機会を逸してしまうので,夏真っ盛りの日,ちょうどいい機会だと思ったわけです。
しかし,50年前とは違って今はレジャーもたくさんあるから,あのころのように栄えているとは思えないし,なんだか50年ぶりのクラス会で昔の女性に会う,という感じでしょうか。
電車には乗らず車で行きました。
まず,名鉄電車の河和駅に行って車を停めて,あたりを歩きました。そして,駅にあったしがない喫茶店でオムライスを食べましたが,昭和時代に舞い戻った感じで悪くありませんでした。
駅は新しくなっていましたがバスターミナルはあって,知多半島先端の師崎行きのバスが頻繁に出ていました。以前,テレビの「路線バス乗り継ぎの旅」にも出てきたような…。
今は野間までは名鉄電車が別の路線からつながっているので河和からはバスはなく,当時バスが走ったであろうと思われる道路を車で通りました。ほとんど車もすれ違わない,しかし,なぜか40キロ制限の道路だったのですが,後ろをずっとパトカーが走っていたので疲れました。思わず50キロ出したらその場で捕まるのかしらん?
野間に着く途中に野間大坊があったので寄ってみました。思ったよりずっと広い寺でしたがほとんど人はいませんでした。
野間大坊は,正式には鶴林山大御堂寺という寺です。奈良時代に「阿弥陀寺」として建立し,空海が全国を廻った折,この地で一千座の護摩を焚き庶民の幸福を祈ったといいます。のちに源義朝がこの地で謀殺され,それを供養するために源頼朝が本尊様の念持仏を寄進し,塔や金堂講堂など諸設備が調った七堂伽藍を造営しました。
やがて野間に着きました。
まず,昔登った近くの小高い山に車でも登れたので行ってみました。こんなところだったのかなあ,という感じでしたが,展望台からは伊勢湾がきれいに見えました。スケールのものすごく小さなハワイ・オアフ島のダイヤモンドヘッドですねえ,これは。
野間の集落を歩くために近くの海辺の駐車場に車を停めました。
前回のブログに
「借りていた民家の一室で過ごすわけです。その部屋は民家の10畳くらいの離れで,先祖様の写真が額に入れて飾ってあって,それが子供心には不気味でした。お風呂は民家のものを使わせてもらうのですが,珍しい五右衛門風呂でした」
と書いた場所を探そうと歩きだしました。
昔バスが走っていた海岸通りには面影がありました。もちろんゲームセンターなど今は1件も存在していませんでしたし,たばこ屋もつぶれていました。狭い道を歩きながら,この路地だったかなあ? と思うのですが,なんとなくわかったようなわからないような…。
子供のころの記憶というのはみんなそんなものです。スケール観がおかしいのです。私の記憶にあるのは,その家の窓から見えたやたらと大きなひまわりやら大きなとうもろこしの実の生っていた畑なのですが,当然,そんなものはどこにもありませんでした。
なんとなくこの家だったかなあ,と思われる場所を見つけたのですが,家は廃屋でした。
少し歩くと海に出ました。
海水浴客なんてほとんどいませんでした。海も,やたらとテトラポットがおいてあって,これでは泳ぐ場所さえありません。これが当時の海水浴場なのかと思うと,なぜか,頭のなかだけに当時の姿が思い出されてきました。
今も民宿やらホテルが残っていましたが,客の姿はありませんでした。「海水浴場」の旗だけがさびしくはためいていました。
もう少し海岸を歩いていくと,数組の海水浴客がいるにはいました。ここは今となっては絶対に穴場です。まさにプライベートビーチです。1グループだけがテントを立てて,子供たちが海で戯れて大人たちがバーベキューをやっていました。
車に戻って,野間の灯台まで行ってみました。灯台の南には小野浦というだけ別の海水浴場があって,今も海水浴客が少しいました。海沿いには駐車場やら海の家があって,走っている道路から海岸も見えました。
私が行ったハワイ島のカイルアコナをずっと人を減らしたスケールなのですが,車を駐車場に誘導しようとおばさんたちが客引きををしているのが,なにか,わびしく感じられました。
各地にリゾートプールもたくさんできて,自然の海岸にある海水浴場で遊ぶという時代ではないのです。それでも,海が透き通るほどきれいだったり,砂浜が延々と続いているのならともかくも,自然を不自然に壊してしまっては,どうにもこうにもなりません。
こうして寂れてしまったので,当時よりも人口も減少しているということです。それでも自然が昔にもどることもなく,星も見えなくなってしまいました。
帰り道,新舞子という新しくできた半分人工の砂浜がつくられた海水浴場を通りました。さすがに,ここには若者たちが楽しんでいる姿があったのですが,おそらく作られたときがピークで,ここもまた,次第に古くなっていって50年も過ぎれば,私が50年前に行った海水浴場のようになっていくのだろうと容易に想像ができました。なにせ,作った時点から,道路の設計が悪いので,無粋な鉄柵が作られていたりして,美観もなにもないからです。
この先数十年も経って,また夏の暑い日になると,こうしたたわいもない1日が,ものすごく懐かしく思い出されることだろうなあ,と思いました。
◇◇◇
夏の思い出①-子供は非日常の体験から成長する。