8月21日・旅の6日目,いよいよ日食の日になりました。わずか2分のために何年も前から計画していたまさにその日が来ました。いくら先のことでもその日は来るのだなあという,妙な感想をもちました。
朝5時に起きてテントから出ると天気予報どおり満天の星空でした。東の方にはオリオン座が輝いています。あと6時間25分後に2分間のイベントが始まるのが夢のようです。
朝,日食後の渋滞の方が心配ですぐに帰れるようにまずはその準備をしました。朝食を食べ,再度撮影の確認をしていたら,10時10分,予報通り太陽が欠けはじめました。
食が進むにつれて次第に寒くなり,そしてあたりが暗くなりはじめ,いよいよ11時24分,皆既日食の開始です。ダイヤモンドリングの現れる少し前から太陽は肉眼でも欠けているのがわかりはじめて光の線が八方に伸びてきました。そして皆既。あっという間,ではなく,長い長い2分間に感じられました。私は1999年8月16日のヨーロッパ皆既日食に次いで2度目の体験だったので,肉眼で見ることが最も大切だと知っていました。へたをするとカメラをのぞいていて終わってしまいます。皆既終了後,渋滞を恐れてすぐに店じまいをするつもりでしたが思ったほどの混雑でないので,日食が完全に終了するまで見届けました。
私が日食を見た場所はアイダホ州の西の端の町,人口7,000人のワイザー。見にきた観光客は少なかったのですが,それでも帰りは町を出る車で大渋滞になりました。川を渡らなければ西に行くことができず,川を越す橋のある道路はたったの1本。何せ小さなダウンタウンを走る6本の道路からこの1本の道路にすべての車が流れ込むのですから3分で町から抜けられるところを30分かかりました。しかしその後は順調にインターステイツ84にたどり着きました。インターステイツ84を北上していくと2度ほど大渋滞に巻き込まれましたが,それは皆既日食のせいではなく,工事によるものでした。アメリカのインターステイツは普通,工事で1車線が閉鎖されれば別の車線が作られます。そうしていないオレゴン州はクレイジーです。それでも午後5時,出発から4時間後にはワラワラに着きました。
アメリカ人の多くは皆既帯でなくとも98%欠ければ一緒だと誤解していたようですが,日食は100%でないと全く意味がありません。おそらく翌日それを知って後悔した人も多いことでしょう。私が思っていたように,人口が多く,多くの人が押しかけたオレゴン州セーラム郊外のカニータあたりは薄雲が出たようですし,ワイオミング州では皆既の間雲が覆っていたようです。
日本からのツアーは60万円から100万円もするのに現地2泊から6泊程度の小旅行で,すでに多くの人は皆既日食終了後に帰国しています。私はツアーでないので,日食を見るために使った費用は成田からシアトルの往復航空運賃10万円程度と宿泊代だけでした。旅は自力でしなくちゃね。そしてまた,私の14泊16日の旅はまだまだ続きます。