今年も成人式が終わりました。しかし,若者の将来は大変なのです。危機的状況です。
人口減少と高齢化という問題が指摘されていますが,実際そのイメージを具体的に数値化されたものは意外と少ないものです。そこで今日はそのイメージを数字で書いてみることにします。
日本の人口が順調に増加し,それに伴って15歳から64歳までの「生産年齢人口」も増加していたのは1990年まででした。1990年を境として急激に年少人口が減り老年人口が増えはじめたのですが,それでもまだ2005年までは人口が増加し続けたので,事態の深刻さを指摘する人は多くありませんでした。私はそのころ,人口構成を考えると将来日本は破たんするわと問題にしていましたけれど…。
しかし,2005年を境についに人口が減少しはじめ,それに伴って生産年齢人口が減少し老年の人口比が驚異的に増えはじめました。それがいまも続いています。むしろこの生産年齢人口の減少が問題なのです。
具体的には次のようです。
1990年ごろの人口構成は,老年人口が全体の10%程度で年少人口が20%程度だったので,生産年齢人口は70%を占めていました。それが2015年になると,老年人口はなんと25%を突破したのですが年少人口は15%程度まで減ったので,生産年齢人口が60%になりました。これが現在の状況です。
今後,年少人口は10%程度まで少しずつ減少し,反対に,老年人口は2025年には30%,2050年には40%に達すると予想されています。つまり,30年後の日本は「年少人口と老年人口を合わせると50%を超す」わけです。しかしこれにもうそがあり,実際は生産年齢人口とはいっても15歳で働いているような人はまれだから実際に働いているのは50%のうちのさらに半数程度の25%くらいのものです。
したがって,今年の新成人が50歳を越える2050年には「人口の25%が75%を支える」という,とんでもないことになっているわけです。
このような現状なのに,日銀はバカで,相変わらず2%のインフレを目標に,物価の上がった分だけ賃金をあげるような政策をとっています。そんな時代遅れの常識は生産年齢人口が多いころには効果もあるでしょうが,賃金をもらう人よりも年金をもらう人のほうが多いような国では「物価が上がった分だけ生活が苦しくなる」し,将来を心配して賃金をもらっている生産年齢人口の世代は「賃金の増加分を将来の貯蓄にまわす」だけなので,まったく理屈に合わないのです。
文部科学省もバカで,学生にさらに勉強をさせようと大学入試を改革していますけれど,能力や才能など生まれたときにそのほとんどは決まっているし,就職というのは学歴ではなく学校を卒業するときの景気次第なのです。しかも,中等教育は入学試験のための順位づけをすることが目的となってしまっているので,時間とお金を使うだけで何も身につきません。それなのにさらにこの先机の前に座って点数競争を激化させようとするのだから,能力のない子はさらについてゆけなくなって,意味がないことがわかっていながらも塾通いをしなけれなばらず,結局は今よりも教育費が増すだけです。しかもそんな学校生活では楽しくないし,やっと卒業しても,この人口構成では死ぬまで働かされるのだから,そういう実態を知っている親は子供にそんな思いをさせたくないので,ますます子供を作りません。少子化の根本的な原因はそこにあるのです。完全な悪循環です。
ここに書くまでもなく,識者はそんなことはとっくにわかっているのですが,それを明確に,公に,特に若者に示してしまうとパニックになってしまうから,公然の秘密にしているだけです。本当のことは知らせないほうがいいのです。
そこでこの人口減少と人口構成のいびつさをどうすれば解決するかというと,老年人口を減らし生産年齢人口を増やすしか方法はないわけです。つまり,いつまでも働け,ということになるわけです。要するに,定年を遅らせ,年金の支給年齢を遅くするわけです。素直にそう言えばいいものを,ごまかして「1億総活躍社会」だとか「歳をとっても働きたい人が多い」とか,そういうふうに嘘? をつき詭弁を弄するから余計にわかりにくくなるのです。さらには,定年を60歳から65歳に延長しても,これまで60歳まででもらっていた給料を減額して65歳までに支給するという仕組みなので,もらえるお金の総額は増えないのです。そして定年が65歳になった次は年金の支給年齢をさらに遅くしていくわけです。おまけにもうひとつのたくらみは,成人年齢を18歳に繰り下げて(そのことの影響は選挙権だとか成人式だとかに気をそらしてごまかしていますが),将来,年金を18歳から払えという布石を作ったことです。
そこで,そうした若者が歳をとったとき「不良老人」となって人生を楽しむにはどうすればよいか,です。それを早くから考えて対策を立てておかないと取り返しがつきません。
第二の人生を楽しむには,遅くとも55歳からでなければ手遅れになります。現在のように恵まれた老人世代ですら,人生設計に失敗し,若いうちに浪費をしバブルのころに貯蓄をしなかったために,定年をすぎても仕事をせざるを得ず再雇用されて「不良老人」になりそこねている人が多いのに,希望のない将来に生きていくことになる若い人たちが「不良老人」を目指すのはさらに容易なことではありません。年金の支給年齢が遅くなり,給料から天引きされる経費が増え,退職金が減っては,我々の世代のように早期退職をして蓄えと年金で悠々自適に老後を暮らすなんていうのは無理です。
ではどうすればいいのでしょうか?
そのひとつの方法は,仕事から引退する,つまり,早期退職をして,それから楽しむということはあきらめて,仕事をしているときから遊びほうける,つまり,若いころから「不良壮年」になることです。日々の生活を若いうちからご隠居状態にするしか方法はないわけです。そのためには,日々残業に明け暮れて仕事漬けの生活から脱することがまず第一です。仕事人間はやめ,上司に何といわれようと,同僚から白い目で見られようと,決して残業はせず定刻に帰宅し,できるだけ多く休暇をとり,日々自分の生活を楽しむのです。そして,できる限りお金を使わないで済むように,お金の要らない楽しみ方を身につけることです。家を買わない,贅沢な車を買わない,子供には効果のない塾通いはさせない,そして,勤勉とか出世,というのとは真逆な生き方をすることなのです。
ふたつめの方法は,歳をとって体力がなくなってきても楽に働けるような仕事をはじめっから選ぶ,ということです。あるいはそういう仕事にありつけるようにキャリアアップをめざすのです。そのためには自分の生れもった能力や才能を最大限に生かすための何がしかの技術を身につける必要があります。しかし,学校教育で学んでいることを忠実にやっていては無駄に時間を使うだけで絶対にそういう技術は身につきません。
それに加えて,年寄りになったときに最も邪魔なものはプライドであり頑固さです。年を取ったら好々爺にならなければなりません。現役時代に偉かった人とか学歴の高かった人というのは,そうした過去の栄光? が忘れられず,老人ホームでも偉そうにしているので最も嫌われ者になっています。歳をとったときは,とっただけ若返って,キャッキャキャッキャと若者と遊べるようなじいさんやばあさんになることが大切なのです。