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●商店街を壊滅させたショッピングモール●
 リゾートを過ぎて州道30をさらに南に走っていくと古い町に出る。ここがハワイの古都ラハイナ(Lahaina)である。日本でもそうであるが,そうした町のはずれの交差点にはショッピングモールがある。ここラハイナもまた,例外ではなかった。
 日本の町は,こうしたショッピングモールのために,古くからある商店街は寂れてしまっていて,惨憺たるものである。いまでも昔からの商店街が存在しているのは,皮肉なことに,そうしたショッピングモールを作る土地がない東京である。というか,東京だけなのかもしれない。しかし,このラハイナは,昔ながらの町はしっかりと30年前のまま存在していた。

 まず私はこのモールの駐車場に車を停めて中に入っていった。
 モールというのは,日本もハワイもアメリカ本土も,さほど変わるものではない。売っているものもそれほど違いがない。いわば,無国籍である。しかし,便利なものである。
 今から20年近く前,アメリカは好景気に沸き,日本はバブル経済がはじけて,都会には家をなくしホームレスとなった人のブルーシートが公園に林立し,駅には得体のしれないイラン人がうろうろしていたころがあった。
 今の若い人はそんな状態が信じられないであろう。思えば,そのころから日本はどこかおかしくなったのだが,ちょうどそのころ,アメリカではこうしたモールが作られはじめた。日本にはまだなかったから,アメリカを旅すると私はずいぶんと驚いたものだった。そのうち,日本にもよく似たものが作られはじめたのだが,何事も右倣えの日本では,ものすごい勢いで過剰にそういうものができて,その結果,地元の商店街が壊滅したのだった。

 私は,このモールに車を停めて,ラハイナを散策しようと考えたのだが,この日は暑く,また,ラハイナの町はモールから歩くには少し遠かったのであきらめて,国道30を右折して,ラハイナの町,つまり,海岸通りを走って車を停める場所を探すことにした。
 ラハイナに行ったことのない人は,湘南海岸の様子を思い浮かべてみるとよいであろう。
 ところが,ここもまた,ものすごい車で,なかなか車を停める場所が見つからないのであった。
 ずいぶんと走って,一度ラハイナを通り過ぎて,再び戻って,私は民間の駐車場に車を停めることにした。
 その駐車場もかなり混雑していたが,なんとかスペースを見つけて車を停めることができた。
 
 1795年といえば,日本では徳川家斉が将軍で文化文政時代華やかなりしころである。フランスではフランス革命戦争が起こっていた。
 この年,カメハメハ大王がハワイを統一した。この年から1845年にカメハメハ3世がホノルルに遷都するまで,ラハイナはハワイ王国の首都であった。このころ,アメリカの捕鯨船がハワイ諸島に来航し,首都ラハイナは捕鯨船船団の基地として活気づいていた。また,アメリカ本土から宣教師が訪れて,学校や教会を建てたり英語を教えたりとハワイの近代化に貢献したのだった。その時代の史跡が今もラハイナに残っているわけだ。