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●「ラハイナ・ヒストリック・トレイル」●
 カメハメハ王国初期の首都であったラハイナには「モクウラ」(Moku’ula)と呼ばれた地域に王と神官,そして妻たちが住んでいたが,今は跡形もない。「モクウラ」は現在のフロントストリートに面していた場所にあった。私はこの日,このフロントストリートを歩きながらラハイナの名所の散策をしている。
 ラハイナの史跡を見て歩くのに最適なのは「ラハイナ・ヒストリック・トレイル」(Lahaina Historic Walking Trail)と題したウォーキングセルフツアーである。このトレイルは町の史跡保存協会がフロントストリートを中心に南から北へ史跡に番号をつけたものであり,町中のあらゆるところに地図がおかれ「ラハイナ・ヒストリック・サイト」という看板には史跡の名前と番号がかかれていて非常にわかりやすい。現在もコースは整備中で,最終的には62か所の見どころが設定されるということだ。
 このトレイルを歩いてラハイナの歴史を巡る時間の迷路を散策するのが古都ラハイナのもっとも楽しい過ごし方なのだが,何だかアメリカの観光地というよりも,日本の観光地のようであった。

 フロントストリートを南に向かって歩いて行くとショッピングエリアを抜けて町はずれになってきた。ここに町営の広い駐車場があって,ずいぶんと駐車スペースが空いていた。この日私はラハイナのダウンタウンで車を停める場所に苦労したが,ここに停めればよかったと後悔した。はじめて来た場所で最もわからないのがこういったことなのである。そしてまた,こういうことはガイドブックには書いてない。
 この駐車場のあたりから海岸向かったところに「イキパーク」があった。

 1番目の写真はその「イキパーク」(Kamehameha Iki Park)である。ここは「モクウラ」の跡地にあって,かつては王家の居城があった。敷地には「モクヒニア」という池があって,その池に住む「キハーワヒネ」というトカゲの姿をした女神には聖なる強い力があり,深く崇められていたということである。カメハメハ1世の第1王妃ケオプオラニ及びその子どもたちは,死後この池に埋葬されたといわれる。
 居城は石で積み上げられた家であったため「ハレ・ピウラ」(鉄の屋根の家)と呼ばれたが,カメカメハ3世が都をホノルルに移したあとは使われなくなり,解体されて石は裁判所建築の際に使われた。
 この聖なる土地も一度は開発の波にのまれたが,住民の大きな反対運動で中断された。開発の際にこの場所に埋葬された墓はワイオラ教会の横に移された。現在は写真のように,池や遺跡を復元するための活動がされている。

 ここから東にプリズンストリートを歩いて行くと,左手にあったのが2番目の写真の「ラハイナ牢獄跡」であった。ここはラハイナが捕鯨で栄えた1850年代に使われていた小さな牢獄の跡で,ハワイ語で「監禁の家」を意味する「ハレ・パアハオ」とも呼ばれる。
 囚人の多くは飲んで暴れた海の荒くれ者たちであった。そのほか船から脱走した人,馬の乗り方が悪かった人,さらには安息日に働いた人なども投獄された。囚人たちが自ら建てたという獄舎は壊された砦から取ったサンゴ石で基礎を作った木造の建物である。囚人たちは足かせや鎖などで拘束されながら建造作業に携わったため「鉄で縛られた家」とも呼ばれている。ここは石塀とともに当時のままの姿を残していて,廊下の両側に並ぶ独房の中の様子が見られるほか,収監されていた人物などの資料も展示されている。