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●さまよった夜の記憶●
 旅の思い出というのは不思議なもので,ずいぶんと思入れのあった場所に行ってその時点では感動しても,あとになるとほとんど忘れ去ってしまうものもあれば,その逆に,この夜の出来事のように,完全なる敗北であっても,いつまでも印象に残っているものもある。
 私の泊まっているB&Bはとても美しい建物で,またカワイイ部屋であったが,狭く寝るためのベッドとテレビがあるだけだったので,寝転んでテレビを見るくらいしか部屋ではすることがなかった。バスとトイレは隣の部屋との共有だったが,使用しているときに相手方の部屋の鍵を外からかけるようになっていたので全く問題はなかった。
 若いころは日本国内のユースホステルを泊まり歩いたものだが,その程度の宿泊施設で何のストレスも感じないで旅ができる「才能」が,楽しく旅をするためには最も重要な才能であろう。

 オーロラを見ることも諦め,失意? のなかで今日1日がすぎた。そして,明日から何をしようかと思って夜を迎えた。
 夜11時過ぎ。それまで小雨が降っていたが,この時間になるとそれも止み,窓から少し星が見えたので,まだあきらめきれずオーロラが見えるのではないかとわずかな期待をもって外に出てみたのだが,フェアバンクスが小さな町とはいえ,市街地は明るく星すら見えるという雰囲気ではなかった。
 オーロラというのは天の川と同じで,天の川が見える程度の暗い夜空のある場所でないと,たとえオーロラが出ていても見ることができないのである。それは,南半球に出かけてマゼラン雲を見ようと思っても,明るい市街地では見ることができないのと同様である。
 日本でも暗い夜空のあるところに住んでいなければ生まれてから一度も天の川を見たことのない人がほどんどであるのとそれは同じだが,勝手のわかる日本であっても,深夜,空の暗い場所に出かけることはたやすいものではないのだから,外国ではなおさらのことである。最低限,車を運転できなければならないし,治安の問題もある。私のように,日本で夜星を見るために暗い夜道をドライブすることに慣れていても,海外で同じことをしてよいのかどうかはかなりの問題であった。

 フェアバンクスは治安もよさそうだったし,さすがにクマは出そうになかったので,ともかく,ためしに車に乗って市街地を抜けて空の暗いところまで行こうと,あてもなく走り出したはよいのだが,走っているうちに位置関係がさっぱりわからなくなった。後で知ったことには,北に向かって走っていたつもりだったのが,道なりに西に曲がって,フェアバンクスの西に進んでいたようであった。私がもっとも恐れたのは,帰ることができなくなったらどうしよう,ということで,しだいに恐怖を感じるようになった。
 この晩,私が走っていったのは,フェアバンクスの北西にあったアラスカ大学の構内を抜けた森のなかの一本路であった。さすがにそのあたりにまで行くと周囲は真っ暗だった。車を道路際に停めて外に出ると,満天の星空が輝いていた。しかし,樹林に囲まれていて視野がせまく,しかも,オーロラというものがどのように出現するかも皆目見当がつかなかったから,こんなところであてもなく空を眺めていたところでどうにもなるものではないなあと感じた。そのうちににわかに天気が急変して空が一面雲ってしまったので,帰ることにした。
 これではオーロラなんてやはり絶望的だなあと思ったが,無事,もどれるかどうかのほうが心配であった。迷った挙句,とにかく町の明かりのあるほうに走っていって,なんとかB&Bにたどり着いて,失望感の中で就寝することになった。
 この晩走った車の中から見た景色は,フェアバンクスの郊外にはぽつんと灯りのついた家や,まったく車の通らない道路が果てしなくずっと続いていたというものであった。たったそれだけのことであったが,ドライブをしながら眺めたそうした風景が,今でも私の記憶に鮮明によみがえってくる。