●充実した博物館とアラスカの歴史●
朝食を終えて,アラスカ大学フェアバンクス校のなかにある博物館に行った。大学はフェアバンクスの北西の高台にあり,広大な敷地のなかを進んで行くと博物館の建物と駐車場があった。
駐車場は有料だったので料金を入れようと説明書きを読んでいたら,ちょうど車を停めて降りてきた別の観光客に,今日は休日だから駐車場は無料だよ,と言われた。
館内に入ると,広い展示室に興味深い様々な展示品があって,アラスカに来たんだということを認識させられた。私この旅の半年後,今度はフィンランドのロヴァニエミで同じような博物館に行ったので,今ではこのふたつの博物館の展示が記憶のなかに混在している。本質的によく似ているのだ。
展示室を出てから,オーロラのビデオが上映されていたので,次にそれを見た。この博物館は展示も説明も非常に充実していて,何時間いても退屈しなかったのだが,この大学はオーロラ研究で有名なこともあり,もっとオーロラに関する展示があるものだと思っていたので,それだけが不満であった。
しかし,アラスカに来るまでアラスカではもっとオーロラに関する観光の機運があるものだと思っていたのにそうでなかったことを意外に思っていたが,この博物館ではビデオを見て,やはり,この地ではオーロラは身近な存在だということを再認識することが出来たのだった。
この博物館にはカフェテラスが併設されていて非常におすすめであるということだったが,なにせまだお昼には時間が早すぎて,ここで昼食をとることができなかったのが残念だった。
私もアラスカに来るまでこの土地の歴史についてほとんど知らなかったので,ここで簡単にまとめておくことにしよう。
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アラスカの歴史は紀元前12,000年頃の旧石器時代に遡るという。一番早く住み着いたのはベーリング地峡を渡りアラスカ西部に辿り着いたアジア人のグループである。
ロシアの探検家を通じてヨーロッパとの接触がはじまるころには,この地域にはイヌイット等の様々な先住民が住んでいた。
ロシア海軍の聖ピョートル号に乗ったデンマークの探検家 ヴィトゥス・ベーリングがアラスカを「発見」したと記録されているが,先に発見したのは1741年,聖パーヴェル号に乗ったアレクセイ・チリコフであった。ロシア・アメリカ会社はすぐにカワウソの狩りを開始し,アラスカ沿岸の殖民の支援を始めたが,乱獲によるラッコの減少,イギリスのハドソン湾会社との毛皮交易競争,アラスカからロシアまでの毛皮の輸送経費がかかることなどにより経営は悪化していった。
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一方,イギリス人移住者の多くは海路でこの地にやってきて,交易のための居留地を点々と作っていた。1778年には,「北西航路」を捜索する最後の冒険航海の途上にあったジェームス・クックは北アメリカの西海岸沿いを北上した。
北西航路調査のためにアラスカを訪れているクックに対して,ロシア側は自分たちのアラスカにおける支配力を印象づけようとしたが,ロシア国内の財政事情の悪化,アラスカがクリミア戦争を戦ったイギリスの手に落ちることへの恐れ,居留地が大して利益を上げないことといった要因がロシアをアラスカ売却へと駆り立てた。
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1867年,アメリカ国務長官のウィリアム・スワード(William Henry Seward, Sr.)が720万ドル(約9,000万ドル)でアラスカを購入した。この買収は「スワードの愚行」「スワードの冷蔵庫」といわれ,当時は評判がよくなかった。しかし,金が発見されたことでこの買収が無駄ではないことがわかった。
1896年,隣接するカナダ・ユーコン準州で金が発見された。この事件は,大勢の鉱夫をユーコン準州のとなりのアラスカへも引きつけた。1899年,アラスカでも金が発見されゴールドラッシュが起こり,フェアバンクスやルビー等の町が作られるようになった。
そしてアラスカ鉄道の建設がはじまった。また,銅鉱,漁業,缶詰製造業が盛んになり,大きな町々で合わせて10の缶詰工場が作られた。
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1912年,アラスカはアラスカ準州となった。20世紀になる前からアラスカを州に格上げしようとする動きはあったが,アラスカの人口が少なすぎること,遠く離れていて孤立していること,合衆国に加える価値があるほどには経済が安定していないことが障害となっていた。しかし,第二次世界大戦と日本軍の侵略がアラスカの戦略的な重要性を浮き彫りにした。そして,石油の発見がアラスカのイメージを変えた。
1958年,大統領ドワイト・D・アイゼンハワーはアラスカ州法に調印してこれを合衆国法に加え連邦加入への道筋をつけた。ついに,アラスカは連邦の49番目の州となったのだ。準州都だったジュノーはそのまま州都になった。石油の発見があってからひとり当たりの収入は上昇し,すべての地域が恩恵を受けた。
1977年,トランス・アラスカ・パイプラインが完成すると,原油生産による収入で人口が増加に転じ,インフラ整備が進んだ。 現在,州の半分以上は連邦政府によって所有されている。
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