犬山市は愛知県の北西部にあって,地元では昔から明治村,リトルワールド,モンキーセンター,鵜飼といったレジャーパークとして知られたところです。ウィキペディアでは「尾張の小京都」と称されると書かれていますが,そんなことを聞いたことは私はありません。
「犬山」という地名の語源は,犬を使った狩りに最適だった場所だったとか,平安時代の丹羽郡小野郷が山間部であるということから小野山から転じて「いぬやま」になったとか,大縣神社の祭神「大荒田命」が犬山の針綱神社の祭神の一人玉姫命の父にあたり,大縣神社から見て犬山が戌亥の方角に当ることから「いぬいやま」が転じて「いぬやま」になったとかいう説があるそうです。
その犬山ですが,私には地元過ぎて,ほとんど行ったことがありません。犬山城なんて一度も登ったことがありませんでした。第一,かつてはお城に続く道筋は古びた家並みがあるだけでとても観光地とは程遠い状況だったからです。
近頃,この犬山,家並みに多くのお店ができ,話題になっているので,暇に任せて行ってみました。お城の駐車場に車を停めると,平日だというのに観光バスまで来ていてびっくりしました。
犬山城というのは豊臣秀吉が生まれた天文6年(1537年),織田信長の叔父である織田信康によって創建されたものですが,現存する日本最古の木造天守,そして,個人の持ち物としても知られています。
城下を歩くと,話題になっていることもあって,以前に比べてずいぶんと活気がありました。まあ,太秦の映画村のようなものですが,日本人の好む町並みではあります。
私は,犬山は城下町であるけれど,旧街道の宿場ということでもなく,この地に今もこうした家並みが残るのが不思議な気がしますが,逆に言えばこれまで発展する余地がなかったがために,古いままずっと残ってしまったといえなくもありません。それがここにきて脚光を浴びたわけです。
城下には有楽苑という信長の実弟が建てた国宝茶室もあって,ここもまた,はじめて行ってみました。
有楽苑には国宝の茶室・如庵,重要文化財の旧正伝院書院,古図により復元された茶室元庵などがあります。なかでも如庵は茶の湯の創世期に尾張の国が生んだ大茶匠・織田有楽斎が建てた茶室で,京都山崎妙喜庵内の待庵,大徳寺龍光院内の密庵とともに現存する国宝茶席3名席のひとつということです。しかし,この茶室はもともとここに作られたものではなく,各地を点々としたのち昭和47年に犬山城下の佳境の地に移築されたもので,名鉄の持ち物です。
城下のメインストリート(本町筋)には旧磯部家住宅があります。旧磯部家住宅は江戸期の建築様式を持つ木造家屋で,主屋は幕末に建てられたと伝わっています。緩やかなふくらみのある「起り屋根(むくりやね)」は犬山市内の町家で唯一現存しているもので,正面は2階建て裏は平屋の「バンコ二階」と呼ばれる造りになっています。江戸期から呉服商を営んでいた家だそうです。敷地は間口が狭く,奥行きが広い「ウナギの寝床」で,中庭,裏座敷,土蔵などもあります。江戸時代の町屋が「ウナギの寝床」であったのは,当時の税金がが口の広さで決まっていたからです。
犬山には寂光院(じゃっこういん)という紅葉で有名なお寺があるのですが,ここもまた行ったことがなかったので足を運んでみました。しかし,行ってみてびっくりしたのですが,このお寺,駐車場から泣くほど坂を上らないと本殿まで行くことができないのです。幸い無人運転をしていた乗り物があったので,それに乗ってやっと本殿に到着しました。もみじの本数は約1,000本。特に巨木が多く,秋には葉が細かく色鮮やかに染まるので見ごたえ十分なのだそうです。
犬山は,ここもまた愛知の観光施設らしく,まあ,規模も小さく整備された場所とも言えませんでしたけれど,のんびりと散策を楽しむには近いからよいところだと改めて思ったことでした。