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 私は40年以上前の「幻想」のなかで趣味を楽しんでいるのです。つまり,時代遅れです。しかし,当時発行されたこうした雑誌やその別冊を今にして面白く読んでいます。
 やっと手に入れた「月刊天文ガイド」の別冊「日本の天文台」には,40年以上前の,国立天文台のような研究施設,学校天文台や公立天文台のような公開施設,そして,アマチュアの個人天文台が載っています。
 そのなかで,国立天文台のさまざまな施設は,老朽化して現役を退き,今は歴史的保存物の対象となりました。現在,日本の天文学を支える最新の研究施設は,ハワイにあるすばる望遠鏡と南米チリにあるアルマ望遠鏡が主砲となっていて,空の明るい国内の非力な望遠鏡は使い物になりません。当時最大だった岡山の188センチ反射望遠鏡もまた,昨年その使命を終えたようです。

 「日本の天文台」に載っていた個人天文台もまた,40年も前のことだからその所有者が歳をとり,あるいは他界したので,その使命を終えたものがほとんどです。どんな機材を使っていたかというのは個人の趣味の問題なので,ここでそれを話題にするものではなさそうですが,今の私の知識でそれらを見ると,本当に自分が何をしたいかがわかっていた人は,あの時代であってもそれに応じた素晴らしい機材を工夫して作りそれを使っていたということがわかって感心します。こうしたことはなにも望遠鏡に限るものではありません。観光地などに出かけたときにカメラ好きが使っているカメラでも,自分がなにを撮りたいかがわかっている人の持ち物はそれなりに理があります。それは「ブランド」や「見栄」ではありません。
 現在のアマチュアの天文ファンは,超新星を探すとかいった特別な目的をもって楽しんでいる人は別として,単に美しい星を楽しみたい,写真を写してみたという人は,空の明るい日本で写した写真をコンピュータ処理をしてなんとかサマになるようにさまざまな工夫をして楽しんでいます。しかし,それもわびしい話で,いくら高額の機材を手に入れようと,空の暗いオーストラリアにでも出かけて安価な機材で適当に写したほうがよほど素晴らしい写真が写せてしまう,というのが現実です。

 それより切実なのは,研究を対象とした天文台ではなく,一般の人を対象とした公開用の施設です。
 「日本の天文台」に載っているこうした施設にあった望遠鏡の多くは日本光学(現在のニコン)と五藤光学の屈折望遠鏡や西村製作所,あるいは旭精光研究所の反射望遠鏡でした。当時の私は自分では手に入らないそうした機材に深くあこがれました。それらのほとんともまた老朽化しましたが,幸いにも破棄されなかったものの多くは,現在,四国にできた「望遠鏡博物館」で余生を送っています。私もそれを見にいったことがありますが,この本に載っていたまさにその「本物」を目にして感激しました。
 実際に話を聞いてみると,日本光学の望遠鏡よりも安価だった五藤光学の望遠鏡のほうが赤道儀の精度がよかっただとか,しかし,光学系は劣っていただとか,そういった生の声をきくことができました。それは本からではわからないものでした。
 現在,こうした公共の天文台には当時よりも大きな反射望遠鏡があって,週末ともなると公開観望会を実施していたりするので,私もときどき見にいきます。そして,惑星を実際に眺めると感動します。しかし,これだけ立派な機材があっても空が明るいからなかなか有効に活用できていないことを残念に思うことが少なくありません。
 確かにドームがあって,そのなかに立派な望遠鏡があるというのが,一般の人の「天文学」に対する印象でしょう。それはまさにお城の天守閣のようなものかもしれません。しかし,一般の人が星の美しさを知り感動するためには,実際の満天の星空を見るのが一番なのです。
 今,日本では「日本一星空の美しいところ」という触れ込みで多くの観光客を集めている場所があります。あるいは,ニュージーランドのテカポ湖やボリビアのウユニ塩湖のように星空目当てのツアーもあります。こうしたところに足を運ぶ人が少なくないのだから,人は満天の星空を見たいのです。そうしたことを考えたとき,望遠鏡という機材以上に,満天の星空という40年前の日本が持っていた貴重なものを失ってしまったことが私には残念でなりません。