頂上から見えるのは360度地平線で,ただ1か所,オルガ岩群だけがその風景に変化を与えます。そして,さらにはるか遠くにマウントコナーがちょっぴり浮かび上がっています。
さて,今度は下山です。
登るときにこの道を下るのはもっと大変だなあと思ったのですが,それほどでもありませんでした。私が山頂に着いたあとでもまだ登ってくる人がいました。おそらくツアーで来たと思われる日本人のふたり組の若い女性がいましたが,山頂まで行って引き返すだけの時間があるか微妙そうでした。そのうちにやがて暑さで登頂が禁止になったらしく,だれも登ってこなくなりました。
ということで,今日の写真は前回と同じように思えますが,前回は登るときに写した写真で,今日は下山をするときに写したものです。

エアーズロックを含む周辺はオーストラリアの先住民アボリジニ(Aborigine)の人たちの神聖な場所です。
アボリジニという言葉自体に差別的な響きがあるようで,近年ではアボリジナル,アボリジナル・ピープル,アボリジナル・オーストラリアンといったよび名が使われるようです。エアーズロックはウルル・カタジュダ国立公園(Uluru-Kata Tjuta National Park)にあって,1987年に国立公園に登録されると同時に世界自然遺産に認定されました。その後,古代のアボリジニの人たちの生活様式や儀式の痕跡が数多く残っていることから文化的側面が認められ,1994年に世界文化遺産へと拡大登録されました。
エアーズロックの本来の名称はウルル。これはアボリジニの人たちに伝わるピチャンチャチャラ語(Pitjantjatjara dialect)で,岩山を表す単なる固有名詞であって「特に意味はない」らしいのですが,防御とか長い眠りを意味するという説もあるようです。エアーズロックの名前は1873年にイギリスの探検家ウィリアム・ゴス(William Christie Gosse) がその存在を発見,当時の南オーストラリア植民地の首相であったヘンリー・エアーズ(Sir Henry Ayers)の名前にちなんでつけられたもので,エアーは「Air=空気」ではなく人の名の「Ayer」です。

数万年もの太古よりオーストラリア大陸で生活してきたアボリジニの人たちは,18世紀オーストラリアに到達したヨーロッパ人たちによって大量虐殺に遭いました。
1788年,初代総督アーサー・フィリップが率いる海兵隊が流刑者とともにオーストラリアに上陸し,アボリジニの存在を知ると「彼らはオーストラリアの定住者」ではないとし,自分たちの土地を不法に占拠していると迫害していきました。さらに,入植者たちのスポーツハンティングの対象とまでされたのです。
エアーズロックはアボリジニの人たちにとっては聖地であり,エアーズロックは特別な儀式以外では登ってはいけないことになっているので,観光客が気軽な気持ちで登ることに対しては抵抗があります。こうした背景から,アボリジニの祭事が行われる際には登山は禁止となり,宗教的な理由から写真撮影が禁止されている場所も多くあります。
1967年,アボリジニに市民権が認められるようになると権利が回復され,1993年にはもともとのアボリジニ居住地域の所有権が認められました。これによってエアーズロックはアボリジニによる団体が所有権をもつことになったのですが,このオーストラリアの重要な観光地を継続させるために,1985年から2084年までの間,一帯の土地はオーストラリア国立公園に貸し出す形となっています。

エアーズロックはひとつの巨大な一枚岩です。山に岩があるのではなくて山そのものが大きな石ころで,地上に顔を出しているのはほんの一部,もう一か所顔をだしているのがオルガ岩群なのです。エアーズロックは高さは約350メートルで東京タワーよりも高く,横幅は約3,400メートルもあります。
実はエアーズロックは世界で2番目に大きい一枚岩で1番ではありません。世界最大の一枚岩はオーストラリア大陸の西側にあるマウント・オーガスタスなにのです。マウント・オーガスタスの高さは858メートルでエアーズロックの約2.5倍もあり,麓から頂上まで登ると約6時間かかるそうです。マウントオーガスタに行こうとすればパースの北のカナーボンという町から自動車で4時間,デコボコの悪路を走ることになるそうです。エアーズロック以上にアクセスが大変です。

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