書店で目につくのは「孤独」と名のつく本です。それは,歳をとるとだれでも「孤独」を感じるからでしょう。
 たとえば 下重暁子さんの書いた「ああ極上の孤独」。この本は,
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 現代では「孤独=悪」だというイメージが強く,たとえば孤独死は「憐れだ」「ああはなりたくない」と一方的に忌み嫌われる。しかし,それは少しおかしくないか。そもそも孤独でいるのは,まわりに自分を合わせるくらいならひとりでいるほうが何倍も愉しく充実しているからで,成熟した人間だけが到達できる境地でもある。 
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 また,諸富祥彦さんの書いた「孤独の達人 自己を深める心理学」では,
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 私たちは必要なつながりを持てずにいるとき,惨めでさみしくつらい気持ちになることがある。しかし,このひとりの状態を「どうせひとりでいるのなら」と主体的に選択し直すと全く異なる意味合いを帯びてくる。大きな自由と解放感が得られる。さらに世間の喧噪から離れて徹底的に孤独に徹し,「深いひとりの時間」を持つことではじめてより深く自分自身であることができ,真実の自己と内面的な充足が得られる。そして同時に,説的に,もっとも強く他者とのつながりを感じ取ることができるのだ。
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 齋藤孝さんの「50歳からの孤独入門」には,
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 いよいよ「人生の後半戦」という覚悟を迫られる50歳。後悔の念や喪失の不安といかに折り合いをつけることができるか? やがて訪れる「孤独」をむしろ楽しむにはどうすればよいか? 古今東西の賢者に学ぶ齋藤流「後半生をよく生きるメソッド」!
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とあります。
 3番目に紹介した本の題名には「孤独」に加えて「50歳」という言葉があります。そうすると今度は大江英樹さんの「定年前50歳から始める「定活」」とか,楠木新さんの「定年後50歳からの生き方,終わり方」と,よく似た類の題名の本がいくらでもでてきます。

 このごろ私は,自分が若いころから抱いていた価値観や人生観が,どうやら多くの人のそれとはまったく違っているようだ,ということに気づきました。こうした本の題名にあるような,多くの人が孤独を感じはじめた50歳を過ぎたころに感じる現実が,私には多くの人とは正反対のものだったということです。
 それは,多くの人が定年退職をするとそれで人生が終わりだと考えるのとは違って,私はやっとこれからが自分の人生のはじまりだと思っていたということです。つまり,人の最大の幸福とは自由を手に入れること,という価値観に基づくと,現役時代に地位とか名誉いう要らないものを手に入れるということは,それで自由が制限されるから,私の価値観とは真逆のこと,だから,そんなものにこだわるのは究極の負け犬だということなのです。
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 そんな私に,2年前,突然「人恋しい病」が襲ってきたのですが,このことはずっと以前に書きました。そして,その結末はまた後日。

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