●クライド・トンボーと冥王星●
クライド・ウィリアム・トンボー(Clyde William Tombaugh)は,1906年に生まれ1997年に亡くなった天文学者である。1930年に冥王星を発見した業績で知られている。
トンボーはイリノイ州のストリーターで生まれ,高校時代に西カンザスに家族と移り住んだが,そこで農場が雹で壊滅し大学進学を諦めざるを得なかった。しかし,彼は独学で学問を続け,1926年にはじめて天体望遠鏡を自作,その後2年の間に2基の天体望遠鏡を自作して彼自身の腕を磨いたという。
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トンボーは,ローウェル天文台で台長のヴェスト・スライファーのもと,天王星や海王星の軌道に影響を与えていると考えられた未知の惑星の捜索に携わった。
新惑星の探索は,撮影時刻の違う同一星野を見比べ,動きがある星はないかを確認することだった。ローウェルが9番目の「惑星X」があると予測した周辺の星野を丹念に精査し続け,1930年2月18日についに「冥王星」と名づけられることになる新惑星を発見した。
トンボーはのち,カンザス大学に入学,修士号を取得し,再びローウェル天文台に戻った。トンボーはローウェル天文台での観測で,数百の変光星,800近い数の小惑星,2個の彗星のほか29,000にも及ぶ銀河を発見している。
第二次世界大戦中はアリゾナ州立大学でアメリカ海軍に航法を教えたが,戦後、天文台の財政難のためローウェル天文台に戻れなかった彼は,ニューメキシコ州のホワイトサンズ・ミサイル実験場で働いたのち,ニューメキシコ州ラスクルーセスのニューメキシコ州立大学で教員を務めた。
彼の遺灰の一部は2006年に打ち上げられた太陽系外縁天体探査機ニュー・ホライズンズのコンテナに納められ,冥王星に到達した。
1928年から1929年にかけて,パーシヴァル・ローウェルが考えた太陽系の9番目の惑星の名前である「惑星X」の探索をする目的で使われ,のちに冥王星を発見することになるのが,口径13インチ(32.5センチメートル)の天体写真儀である。また,この望遠鏡のドームは,1896年に24インチ(61センチメートル)望遠鏡ドームのために考案したのと同じ基本計画に従って,楽器メーカーのスタンリー・サイクスによって,1928年に設計され建設されたものである。
望遠鏡とドームを作る主な資金は,パーシファル・ローウェルの弟であり,ハーバード大学の学長アボット・ローレンス・ローウェルから贈られたものである。
この写真儀は14インチ×17インチ(35センチメートル×42.5センチメートル)のガラス乾板をもち,約1時間の露出で写真を撮影し,写された写真はコンパレータを使用して精査された。なお,ガラス乾板は現在ワシントンD.C.の航空宇宙博物館に貸し出されている。
「惑星X」の発見後,ヘンリー・ギクラスが同じ13インチ天体写真儀でこの天体の運動を調べた。また,「惑星X」の発見に加えて,この13インチ天体写真儀はローウェル天文台の天文学者によって,彗星や小惑星,測定可能な適切な動き(角度運動)を持つ星を研究するためにも使用された。13インチ天体写真儀は,のち,天文台の別の場所アンダーソンメサに移されたが,1990年代初頭に再び現在の位置に戻された。この冥王星を発見した13インチ天体写真儀は今も一般の関心を集め,世界中から10万人の訪問者がやってくる。私もそのうちのひとりである。
13インチ天体写真儀とドームは1920年代後半に創設されてから90年経ち,ドームの一部の部分が腐り,望遠鏡の部品の一部が摩耗し,他の部分は洗浄または剥離して再塗装する必要があったので,近年修復された。修復には,まず,望遠鏡をこの場所から撤去し修復,そしてドーム内の構造工事と展示の改修,ドームの修理が行なわれた。ローウェル天文台の技術スタッフは,ドーム材の一部を交換し,施設全体を耐候性にする計画を立てた。また,望遠鏡の制御機構,写真乾板ホルダー,その他のアクセサリーの修理や清掃も行った。望遠鏡とドームの改修には155,000ドルの費用がかかったという。





