●ついにあこがれの望遠鏡を見た。●
幸運にも,土曜日に来たことで待望の口径200インチの反射望遠鏡をガラス越しでなく直に見ることができることになった。もし金曜日だった昨年パロマ天文台に来たとき,駐車場が工事中でなければ,私はガラス越しに望遠鏡を見ただけで満足していたことだろう。そして,その翌年に再びロサンゼルスに来ることもなかっただろうから,大谷翔平選手を見ることもなかったであろう。
不思議なものだ。
・・
ツアーがはじまるのが午前10時30分なので,それまでビジターセンターを見学して,それでもまだ時間があったので,ガラス越しでいいからと,ツアーの前に200インチ望遠鏡のドームに行って,ガラス越しに望遠鏡を見ることにした。
ドームの一般者見学用の入口から中に入ると,そこにあったのは,ヘールさんの銅像であった。
ジョージ・エレリー・ヘール(George Ellery Hale)さんのことはすでに書いたが,ここで再び紹介する。
・・・・・・
ジョージ・エレリー・ヘールさんは,1868年にシカゴで生まれ,1938年に亡くなった天文学者である。1897年,シカゴの実業家チャールス・ヤーキスの資金を得て口径40インチ(101センチメートル)の屈折望遠鏡を備えるヤーキス天文台を建設した。さらに,1904年にはカーネギー研究所の寄付を得て,その当時世界最大となった口径100インチ(257センチメートル)の反射望遠鏡を備えるウィルソン山天文台を建設し初代台長になった。ヘールさんは,さらに,ロックフェラー財団から寄付を受けて,パロマ天文台の建設に着手するのだが,その完成を見ることなく死去した。
・・・・・・
奇しくも,この日はヘールさんの151回目の誕生日であった。昨年のこの日は生誕150回目の輝ける記念日で,そのためにウィルソン山天文台は特別公開を実施していたのに,パロマ天文台はそんなことは知ったことでない,という感じであったように思えた。今日はヘールさんの誕生日だと,天文台のツアーのときに係の人に話したら,驚いていたので,まったくご存知ないようであった。
ドームの一般者見学用の階段を上っていくと,他の多くの天文台同様にガラス越しに望遠鏡を見ることができるブースがあった。そのブースから,巨大な望遠鏡の姿をはじめて見ることができた。ヘールさんが生前見ることができなかったまさにその望遠鏡が,私の目の前にあると思うと感動した。
これこそが,私が子供の頃から憧れた望遠鏡の実物であった。
こうして,私は,またひとつ夢が実現したのだった。
ガラス越しに念願の望遠鏡に対面して,それで私はすっかり満足して外に出た。
やがて,ツアーの開始時間が近づいて,結構多くの人が集まってきた。ツアーの人たちの入口は先ほど私が入っていった一般者見学者用の入口の反対側にあって,その入口の前がツアーの集合場所であった。
このときのツアーの参加者のなかにはひとりかなり専門的な人もいた。ツアーの説明をしてくれる人は4,5人もいて,どんな質問にも答えてくれるということだった。人が多いのは,そうした配慮の他に,不振者が混じっていたときの対策も兼ねていたのだろう。
説明スタッフの中に親切そうな女性がいて,私に昨年も来たんですってね,といって,こそっと,私だけ特別に記念切手のお土産をプレゼントしてくれた。昨年入れなかったと受付で話したのが功を奏したようだった。とてもうれしかった。
さあ,いよいよツアーの開始であった。