ハプスブルグ展を鑑賞してから上野動物園でパンダとハシビロコウを見て,夜はNHK交響楽団の定期公演を聴いたあと小田原で1泊して,翌日は小田原から名古屋まで途中下車をしながら在来線で帰ることにしていました。
今回途中下車するのは,蒲原駅と二川駅です。ともに,旧東海道の宿場町だったところで,一度は歩いてみたいと思っていたところです。
蒲原宿は東海道五十三次の15番目の宿場です。現在の静岡市清水区にあって,東京から行くと,富士山の美しい吉原宿を過ぎ,富士川を越えたところにあります。その先は由比宿でさらに西に行くと以前越えたことのある薩埵峠になります。
蒲原宿は歌川広重描いた浮世絵東海道五十三次の最高傑作「蒲原夜之雪」で有名です。深々と降る雪のなか,人家も遠山に埋もれ静かに眠っているかのよう…。 頭や背中に雪を積もらせた3人の人物が雪道を歩いているだけの絵画からは,雪を踏みしめる音だけが聞こえてきそうな静寂を感じるという旅情あふれるものです。
しかし,雪の降らない静岡県なので,私は子供の頃から不思議な絵だなあと思っていたのですが,当然,そう感じる人が多く,それを謎としてさまざまに取り上げられています。もともと,歌川広重描いた一連の東海道は,実際の風景というよりも旅情をそそるためのイメージ画としてとらえたほうがよいので,雪景色は蒲原宿を描いたものでなくてもよかったということなのですが,それでも,この絵が鈴鹿峠のあたりなどならば,そうした疑義は生まれなかったのでしょう。しかし,そうした疑義を抜きにすれば,日本人のもつ琴線に触れる人里さびしい雪国の姿として,とても印象に残るものです。
蒲原宿は現在のJR新蒲原駅から蒲原駅の間にあります。新蒲原駅を降りて,まずは朝食をと思って駅前にあったショッピングモールに行ったのですがまだ開店していませんでした。そこで少し東にもどり,旧東海道から少し外れた場所にある源義経硯水の碑まで行って,そこかでUターンして,蒲原一里塚跡から西に蒲原宿のはずれまで歩きました。
前日から雨が降っていましたが,この日は雨が上がるという予報でした。しかし,予報に反して小雨混じりのあいにくの日。これでは,雪の蒲原ならぬ雨の蒲原でした。蒲原宿跡のほぼ中央に,この広重の浮世絵「蒲原夜之雪」記念碑があります。歌川広重が蒲原宿を描いたのは,1832年(天保3年),幕府の朝廷への献上使節の一行に加わって京に上った折に描いたものといわれていて,この絵が描かれたと思われる場所に近ごろ建てられた記念碑なのですが,この場所から浮世絵を想像するのは無理で,こころのなかに留めておきましょう。
蒲原宿は比較的古くから開けた宿場で,富士川を控えていたことから交通の要衝としても重要な地点でした。 もともとは現在の場所よりもう少し海に近く,現在のJR東海道線の南側にあったのですが,1699年(元禄12年)の台風による津波で宿場が流されたために現在地に移転したものです。旧東海道の太平洋岸の宿場にはそうした場所がけっこうあって,日本はずっとこうした自然災害に悩まされていたことがわかります。蒲原宿は,本陣跡や旅籠の建物,大正時代の洋館は今も残り,情緒ある町並みを今も留めています。
蒲原宿には,東本陣と西本陣のふたつもの本陣がありましたが,現在本陣跡として残っているのは西本陣だけです。西本陣のあった場所に建てられている建物は大正時代のものですが,庭には土蔵や大名が駕籠を置いた「御駕籠石」が残っています。また, 江戸時代に「和泉屋」の屋号で旅籠として使われていた国登録有形文化財には,天保年間当時のままの看板や手すりが残っていますし,旧五十嵐邸は,大正3年に改装された洋風建築で,ガラスと下見板をはめ込んだ独特なデザインで軒蛇腹や軒下の歯型飾りなど洋風の意匠が見られます。また, 志田邸は1855年頃の安政年間に再建されたしょう油・味噌・油などを扱っていた商家で,しとみ戸や店の間・中の間など面影がよく残されているということでしたが,まだ時間が早く,中に入ることはできませんでした。
蒲原宿はここで鍵状にまがり,そこで江戸時代の町並みは終わります。その先は新しい町なので道路が広がって,単なる道路と歩道が続くので,何も心に訴えるものもなくなります。また,喫茶店の1軒もなく,私は朝食を食べ損ねました。さらに,その先蒲原宿から由比宿まで歩くつもりでしたが,天気が悪く,この先を歩いても特に何もなさそうだったので,私はJR蒲原駅から電車に乗って二川駅に向かうことにしました。






