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 まあ,ともあれ,堺駅に着きました。ところが,どちらの出口を出ればいいのかわかりません。観光案内所と書かれた標示があったので,それを目当てに行ったのですが,いっこうに観光案内所も見つかりません。探して探して,あんな標示でわかるものか,という駅の奥まった,しかも階段を降りた場所に,やっと観光案内所をみつけました。
 さあ,ここで体制立て直しです。
 観光案内所の人はとても親切でした。堺の町は思っていたよりずっときれいでした。堺東駅は堺駅からはるか1.6キロメートルほど東だったのですが,私は歩くのはまったく苦ではないので,地図をもらって歩くことにしました。20分ほど歩いて行くと,堺市役所に着きました。エレベータで21階の展望台に行きました。
 世界遺産になった百舌鳥古墳群ですが,教科書や雑誌などでよく見る写真は空から写したもので,あの姿をみることができる展望台はありません。天皇陵を仰ぎ見ることに抵抗があって,展望台を作らないのでしょうか。地上を歩いていてもこんもりとした小山が見えるだけなので,知らずに行ってもおそらくがっかりします。
 唯一高いところから見ることができるのが堺市役所21階の展望台だけということだったので,行ってみたわけです。
 エレベータで昇りました。冬休みということで,平日でしたが,子どもを連れた家族が数グループ来ていました。ボランティアの説明員もいました。しかし,正直いって,展望台といっても21階では高さが足りないので,前方後円墳の形には見えず,がっかりしました。
 それより私が興味をもったのは,どうして奈良でなく大阪にこの時代の天皇が葬られていたのかということですが,それはおそらく,この時代の国の権力者の力を大陸に見せつける必要があったからなのでしょう。今も昔も,日本は大陸,つまり中国の力に怯えて虚勢を張って生きるしかないのです。歴史を知ると,人は何も変わっていないということを実感します。

 展望台を降りて,古墳の周りを歩いてみることにしました。
 百舌鳥古墳群には多くの古墳が今も残っているのですが,なかでももっとも大きなものが仁徳天皇陵として知られている大山陵古墳です。百舌鳥古墳群で,現在天皇陵として指定されているのは,仁徳天皇陵のほかに,履中天皇陵となっている七観山古墳と,反正天皇陵となっている田出井山古墳なので,この3つの拝所に行ってみることにしました。履中天皇と反正天皇は仁徳天皇の子供です。この3つの古墳は天皇陵となっていることで宮内庁の管轄で拝所があり,学問的に古墳を発掘することに制限があるわけですが,そもそも,そうした古墳を天皇陵として特定したのが近年のことであって,それが実際その天皇の陵だったかどうか疑わしいわけです。この3つの陵にしても,特に,反正天皇陵は実際はこれとは異なっているという学説が有力です。私個人としては,本来と違うものを祀っていることの方がよほど無礼だとずっと思っているのですが…。
 いずれにしても,こうして,昔学校で習った百舌鳥古墳群を一度は見てみたいという念願がかないました。堺という町は,戦国時代の遺構はほとんど残っておらず,百舌鳥古墳群以外に大した見どころもなかったので,次の目的地・和歌山城に向かうことにしました。