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 先日,静岡県の旧東海道蒲原宿と愛知県二川宿へ行ったばかりですが,今度は,旧中山道の御嶽宿から太田宿まで歩くことにしました。
 旧中山道といえば,長野県というイメージがあるのですが,長野県から岐阜県,そして,滋賀県を通ります。ところが,愛知県に住む私には,岐阜県を通る旧中山道が謎に包まれていて,どこを通っているのかよく知りませんでした。そこで,この辺りを探索してみることにしたわけです。こうした旧街道歩きをしている人も少なくないのですが,書かれたものを読んでいても実感がなく,やはり自分の足で歩くに限るのです。
 いつも書いているように,だからといって日本に大して美しい風景があるわけでもなく,観光地でもないのですが,そうした場所を歩きながら昔の姿を想像するのも悪くないものです。なにせ,私の嫌いな人混みがないし,お金がかかりません。

 以前,旧中山道は岐阜県の土岐のあたりから北東へ落合宿までと,大垣市の北の赤坂宿から関ヶ原宿あたりまでは歩いたので,その間も歩いてみようと思いました。最寄りの駅を調べてみると,名鉄電車の各務原線,広見線と乗り継いで御嵩駅で降りて,そこから引き返す形で西に向かって歩くとよさそうでした。しかし,岐阜から西に走る名鉄電車のローカル線なんて,学生時代に鬼岩公園とやらに行ったっきりそれ以来乗ったことがありません。
 さらに調べてみると,どうやら旧中山道というのは,JRの高山本線と今回利用しようと思った名鉄の各務原線と広見線,そして,国道21号線にそって存在していたことがわかりました。
 私は寒いのは苦手でなく,むしろ汗をかかないので,冬は旧街道歩きにはもってこいなのです。
 そうしていろいろと調べているころ,今年はじまったNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公明智光秀にちなむところということで,明智荘と明智城を紹介していました。で,どこかなと地図を見ると,なんと私が歩こうと思っていた場所の近くではないですか。
 そこで,御嶽宿から太田宿まで歩くのを変更して,御嶽宿から途中の伏見宿,そこから南に旧中山道を逸れて,明智へ行ってみることにしました。
 しかし,こうした場所はテレビで取り上げられただけで多くの人が押しかけるので,ちょっとどうかな,という気持ちがなかったわけでもないのですが,まあ,平日のことゆえ,たいしたこともあるまい,と楽観しました。

 早朝,名鉄電車に乗って岐阜駅に着きました。ここで各務原線に乗り換えるのです。乗り換えたら急にローカルムード一杯になるのがまた,日本です。というか,周りが急に昭和にタイムスリップしてしまうのです。電車は各駅停車で,かつ,数えるのがいやになるほどの駅があるので,たいした距離でもないのに,いつ着くのか不安になるほどでした。
 私は岐阜駅から御嵩駅までの直通の電車があるものだと思っていたのですがそうではなく,途中,新可児とかいう駅で乗り換える必要がありました。しかも接続がわるく30分待ちでした。それに加えて,新可児駅からはICカードが使えない…!
 待ち時間にすることもないので,一旦駅を出て,近くの可児市の市民センターのようなところへ行きました。その建物のなかに観光案内所があったので地図をもらいました。

 やがて,電車が来たので乗車しました。車内には数えるほどの私のような暇な乗客が,どうやら明智を目指して乗っていました。私も帰りに明智に行くのですが,私の目的はあくまで旧中山道歩きであって,明智がブームだからそこに行くというミーハーではありません。というのは自己弁護です。
 さて,御嵩駅に着きました。このさびれた駅舎,最高でした。遠出をしたわけでもないのに,旅情たっぷりでした。御嵩の駅前から旧中山道の御嶽宿が当時のままの雰囲気で残っていました。これもまた最高でした。安藤広重の描いた「木曽海道六拾九次」では,御嶽では宿場の中ではなくその東の細久手宿から御嶽宿に至る街道沿いの木賃宿をモチーフにしています。木賃宿というのは薪代のみを支払い食事は自炊する簡易な宿泊施設のことです。囲炉裏を囲み旅の疲れを癒しながら談笑する旅人たちの会話が今にも聴こえてきそうな様子が描かれているといいます。この図柄のモデルになったと推測される場所は御嵩町謡坂ではないかといわれています。
 宿場の様子は,ほかのブログに譲ってここで詳しくは触れません。ともかく,私はいつもの通り,御嶽宿の端まで行って,そこから西に,次の伏見宿まで歩きはじめました。