駐車場に戻ってきました。駐車場から海岸に降りることができる階段がありました。帰りにこの階段を登ることを心配しながら急な階段をずいぶん降りると,海岸まで行くことができました。
私はこのところ,年甲斐もなく,思いのほか高い山に登ったりこうした階段を降りたりしています。この日も懲りずに登ったり降りたりでした。
この海岸は「芭蕉も歩いた道」という触れ込みでした。海岸には崖が迫っているので,この先を歩こうとすれば,潮が引いて浅瀬になったときに海の上を歩くほかはありませんでした。冬の日本海は過酷で波も高いので,多くの犠牲者が出たそうです。
この階段を降りる途中に,不気味なトンネルがありました。しかも,このトンネルはどうやら歩けるようでした。このトンネルを抜けた先が,先に歩いた道路の行きつく先であるようでした。冬場は向こう側のトンネルの先にある展望台が閉鎖されているために,道路の先からトンネルに降りることはできなかったのですが,こちらの階段の途中からはトンネルの向こうまでは行けるのでした。
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このトンネルは親不知レンガトンネルといいます。1905年(明治38年)帝国会議で敷設が決定され,1906年(明治39年)に富山・直江津間 の実測が始まり,1907年(明治40年)に両端から工事がはじまりました。神戸市の稲葉組が現在の金額換算で約120億円で請け負ったそうです。地質が非常に硬い安山岩であったため,手掘りでは1日平均約58センチメートルしか掘り進められなかったとされています。全長は667.82メートル,幅員4,572メートル,高さ4,700ミリメートルのトンネルは黒姫山の石灰石が北陸一帯に輸送され地域の近代化に貢献しました。
1965年(昭和40年)の複線化に伴い廃線となり,1974年(昭和49年)に日本国有鉄道から現在の糸魚川市に無償で譲渡され,地域の近代化に貢献した貴重な鉄道遺産として,2014年(平成26年)に土木学会選奨の「土木遺産」に認定されました。このトンネルが歩けるようになったのは2016年(平成28年)ということなので,私は長年来たいと思っていてそれがかなわず,今来ることができたのは幸運だったように思いました。
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こわごわ中に入りました。ところどころに灯りがあったのですが,暗く,入口に懐中電灯が置いてありました。しかし,今はスマホがあれば懐中電灯は不要です。
トンネル内の足元はぬれておらず,何の問題もなく歩くことができました。それにしても,ほぼ無人の状態でこんなトンネルが開放されているのが驚きでした。興味本位でやってきて,なかでわいわい騒ぐような不届きモノがいても大丈夫なのでしょうか? もしアメリカでこうした施設があるのなら,おそらく,入口にビジターセンターがあって,結構なお金を取って,時間を決めてガイドツアーが実施されたりするのでしょうが,日本でそうしたツアーをやっても,人が集まらないでしょう。多くのブログに,行って来たぞのようなものがたくさんあるので,興味ある人は探してみてください。
暗いトンネルの中にときどき灯りがともされていて,そこにレンガの積み方の解説などがかかれた展示があって,私にはけっこう興味深いものでした。
トンネルを抜けた先に展望台があるようでしたが,先に書いたように,展望台は冬の間閉鎖されていて景色もたいしたことはなく,結局,トンネルを歩いて抜けたというだけのことでした。
私は再びトンネルを歩き駐車場に戻り,さらに先に向かいました。