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 コロナ禍で遠出をすることがままならなくなったころから,私は街道歩きを兼ねて,地元に残る史跡を求めて散策しました。
 そこで,これからしばらく,私の住む町を通る美濃路について書いていくことにします。
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 私は近年まで旧美濃路が稲沢市のどこを通っていたのか知りませんでした。それは,稲沢市は旧美濃路の稲葉宿だったという基本的な知識に欠けていたからです。
 この歴史ある町は,もっと地元の歴史的史跡を大切に保存していたら,ずいぶんと魅力のある町であることができたと思うのですが,愛知県人というのはそうしたことにお金をかける精神的な豊かさがありません。

 旧美濃路から少し離れたところですが,そこに,大江匡衡,赤染衛門の歌碑があります。その歌碑は,稲沢市にゆかりが深く,百人一首の
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 やすらはで寝なましものを
 小夜更けて
 傾くまでの月を見しかな
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で有名な平安の女流歌人「赤染衛門」とその夫で大江川の開削に力を注いだ 「大江匡衡」のふたりを顕彰するために,市制三十年を記念し,建てられたものだそうですが,単に碑があるだけなので,市民もほとんど関心がありません。
 大江匡衡は,1001年(長保3年)と1009年(寛弘6年)に尾張守に任命されて赴任しました。この歌碑に刻まれた二首
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 はつ雪とおもほえぬかな
 このたびは
 猶ふる里をおもひでつつ
   大江匡衡
 めずらしきことはふりすそ
 思ほゆる
 行きかへりみるところなれども
   赤染衛門
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は,大江匡衡が尾張国に再び赴任した住み慣れたこの地を思い出し詠んだものと,その「返し」に赤染衛門が詠んだものです。

 稲葉宿を出たところには,小沢一里塚跡の標識が道端に立っています。
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 稲葉宿は,稲葉・小沢両村で宿駅業務を行う合宿でした。町並みは8町21間,約900メートルあって,本陣1軒,脇本陣1軒,問屋場3軒,旅籠8軒,家数336軒,人口は約1,500人でした。本陣は小沢村の原所次右衛門が代々世襲していました。
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 宿場跡は,鍵型に左手に曲がる角の正面に本陣の碑が立っていただけでしたが,近年,というか今年,本陣跡地が整備されて,休憩所ができました。また,本陣から西に100メートルほど 行った場所に脇本陣がありました。
 さらに150メートル余り行った北側には西町の 問屋場跡の碑が民家の軒先に立っていて,すぐ先の宝光寺の門前には「右つしま道三里」と刻まれた津島道の道標があります。
 宝光寺の北の西寄りにある禅源寺は大きな寺ですが,そこは,1869年(明治2年)西尾張地域一帯で 起こった大規模な農民一揆「稲葉騒動発端」の地だったということです。禅源寺の鐘を合図に農民の不満が爆発し暴動へと発展した一揆は4日間に及び,30,000人を越える人々が加わったと伝えられているそうですが,今,そのことを知る人がどのくらいいることでしょうか。

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