あと4日で,2020年も10月が来ます。
2008年に襲ったリーマンショックのときも,立ち直るのに半年,いや,1年…,などという話で,時が経つのを待ちこがれたものですが,いつの間にかリーマンショックも過去の歴史となりました。今年のコロナ禍もまた,同じように,解決する日を待ちわびていても,気づいたときには過去の歴史となっているのでしょう。
ただし,忘れてならないのは,こうしたさまざまな問題は,ゲームが終了するように,これで終わり,というときが明確に来るのではなく,なんとなく気づいたときには終焉していて,しかし,終焉したからといっても,それで,世界がバラ色になるわけでも元通りになるものでもなく,また,別のさまざまな出来事が起きて,常にならんらかの不安が世界を襲っているということです。それが人の世です。
とはいえ,どんな状況であっても,その状況を嘆き悲しんでいても何も変わらず,むしろ,せっかくの時間をむだに過ごすことになります。現実を嘆いていても何もはじまりません。それに,若い人ならともかくも,歳をとると時間は貴重です。
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自粛自粛と騒ぎたてている人もいますが,目的は感染予防であって自粛ではありません。
何も身についていないのに答えを写して課題を提出していい子になっている学生さんと同様,100パーセント飛沫が漏れるからムダなだけのフェイスシールドをしてごまかしている人や,早朝だれもいない屋外でマスクをして犬の散歩をしている世間体を気にしているだけで何もわかっていない人たちや,顎マスクをしてタバコをふかしている人たちや,喫茶店で飛沫を防ぐことすらできない自作の目の粗いマスクをして大声で話をしている年配の人たちのグループのように,やったふりではまったく意味がないのですが,これが日本の教育の成果なのでしょう。
日本で,1日にがんを発病する人は平均して約2,700人います。新型コロナウィルスに感染する人の約5倍です。新型コロナウィルスに感染しても何もしなくても9割の人は治りますが,がんは死に至ります。なのに,新型コロナウィルスの感染を恐れてがん検診を受けない人が多くいるそうです。また,昨年は少なかったとはいえ,ワクチンがあるにもかかわらずインフルエンザに感染した人は約700万人いて,治療薬があるにもかかわらずインフルエンザが原因で死んだ人が約7,000人いました。しかし,インフルエンザでクラスターが発生してひとクラスで10人以上が感染し学級閉鎖が頻繁に起きていてもせいぜい新聞の地方版に小さく報道されるだけなのに対して,新型コロナウィルスで学校全体で数人が感染しただけでクラスター発生と大騒ぎで全国に報道するのは不安を煽っているだけです。ぜひこの冬は,新型コロナウイルスの県別の感染者数を新聞紙上に毎日掲載するのなら,同じように,インフルエンザの県別の感染者数も新聞紙上に毎日掲載してもらいたいものです。そして,感染者の多い県への移動の自粛を要請してほしいものです。
そんなわけで,このわけのわからない,かつ,人の本性が明らかになった2020年もすでに9か月が過ぎ,また,2020年度も半年が過ぎたので,一体その間に私は何をしたか,ここらあたりで振り返って,今後の糧とすることにしましょう。
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まず,1月。やがて来る不安な将来もまだ予感できなかったころ,昨年に続いて,私は朝日杯将棋オープン戦の名古屋対局で,藤井聡太・現二冠の対局を観戦しました。その後,当時七段だった若き天才棋士はタイトルをふたつも獲得し,再び時の人となりました。私は,タイトルを獲得するまでは,ということで熱を入れて応援していたのですが,そろそろそれも卒業したいと考えています。私の性格では,将棋も相撲もそうですが,勝負ごとに対して熱をあげて応援するのは,ひいきの人が負けたときに疲れ落ち込むだけで楽しむことができないのです。私は勝負ごとの観戦を趣味にするのは不向きなのです。
2月の上旬には深夜バスに乗って,高知県へ行き,ぜひ行ってみたかった念願の足摺岬と四万十川を訪れました。とてもよいところでした。このことはすでにブログに書きました。そして,下旬には,これもまたぜひ行ってみたかったハワイのモロカイ島に足を運びました。モロカイ島は私にはとても魅力的なところでした。ギリギリ間にあって行くことができて本当によかったです。これをもって,私がどうしても一度は行ってみたかった海外の場所は,ほぼなくなりました。
3月の上旬になると,すでに,新型コロナウィルスの不安がひたひたと迫りつつあって,日本国内からは海外からの観光客が潮を引いたようにいなくなりました。そんなインバウンドの去った折,私は絶好の機会と思って,車で,ずっと行きたかった新潟県の親不知海岸や兵庫県の余部,豊岡,京都府の福知山,さらには,福井県の丸岡や一乗谷に行くことができました。そして,3月の下旬には,観光客が少ないのを幸いに,連日京都市内に出かけて,満開の桜を堪能しました。この先,こんな機会は二度と訪れないだろう人の少ない生涯最高の春の京都でした。
さすがに4月になると,遠出をすることができなくなりました。そんな折,空の上には立て続けに明るい彗星が現れ,私は,それをどこで見るか頭を悩ませながらも,日ごろは行くこともない地元の史跡を訪ね歩きました。こうした楽しみを知っていてよかったと思ったことでした。
5月も終わるころは一度は新型コロナウィルスの感染も収まって,再開した木曽駒高原のペンションに行って満天の星を見たり,旧中山道の鳥居峠を歩き,ひとひとりいない奈良井宿を散策しました。
そして,7月にはネオワイズ彗星を見たいという一念で,北海道のサロベツ原野まで足をのばしたわけです。ネオワイズ彗星は,私の住んでいる場所は連日の悪天候でまったく見ることができませんでしたが,快晴の北海道で,肉眼でその美しい姿をしっかりとらえることができました。もし1,2か月ネオワイズ彗星の接近が早かったら北海道に行くこともできなかっただろうし,逆に,今の時期なら,7月のころとは違って,多くの観光客がもどってきていて,私がでかけたころのような,人の少ない北海道を楽しむこともできなかったかもしれません。幸運でした。
実は,本来なら,2020年は,3月の下旬はオーストラリアのアデレード,6月下旬には白夜のフィンランド,そして,8月の下旬はアメリカのフェニックスに行くことにしてあって,航空券も手配済みだったのですが,それはすべてかなえられませんでした。また,定期会員であったNHK交響楽団の定期公演もすべて中止となってしまいました。さらには,山形県の天童や山寺,はたまた,青森県弘前市の桜を見に行こうと密かに計画したのですが,それもかないませんでした。しかし,それらはこれから先でもできること。
こうして振り返ってみると,私には,この半年は,できなかったことよりも,こういう状況であったがためにできたことのほうがずっと多かったことに気づきます。おそらく,こんな状況でなければ逆に,静寂な京都や奈良井宿を散策することも,ネオワイズ彗星を見るために北海道に行くこともなかっただろうと思うと不思議な気がします。
それにしても思うのは,人が生きるというのは,どんな状況であっても,精神的に健康でなればならないということです。それが生きるという糧につながります。生涯独房の中で100歳まで孤独に生きても詮ないのです。人は,肉体よりも精神を病むことのほうがより危険なのです。
私のように普段からひとりで読書や音楽鑑賞や自然を楽しむことが好きならばそれでもなんとか切り抜けられても,そういう人ばかりとは限りません。そこで,生活に制限があるときこそ,楽しみが必要なのです。それなのに,唯一の楽しみはテレビを見ることという病気で入院している人や年老いた人や体の不自由な人も少なくないのに,テレビ番組は,人の不安を煽るようなものばかりでした。娯楽番組までQRコードを常時表示したNHK総合テレビ,これでは逆に精神を病んでしまいます。マスメディアは自分たちが何たるかをまったくわかっていません。
9月になると,経済活動の限界を恐れて,それまでの自粛要請はどこへやら,国は需要の喚起に乗り出しました。そしてまた,主体性のない,人の目だけを気にして自粛をしたふりをしていた人たちは,もう我慢の限界とばかりに,今になって,GoToキャンペーンとやらで背中を押され,ここ半年外出もままならなかった反動で再び旅行をしはじめて,観光地には人がもどりつつあるようです。こういうときこそ,これまで自粛警察をしていた人は旅行などしないでさらに人々に自粛を促し,かつ,自らが率先して自粛をしなければいけないのではないでしょうか。
しかし,消費税が10パーセントになった当初に行われたキャッシュレス5パーセント還元も,10万円配るのも,5,000円分のマイナポイントをつけるのも,GoToキャンペーンでクーポンを配布するのも,財源はみんな国民の税金であることを忘れてはいけません。そのうち,巨額の増税が待っています。
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私は,以前から,人が多い観光地には行きたくなかったし,群れることが嫌いなので,これからはそろそろ巣ごもりにもどりたいと思っています。そうなると,これまで読めなかった本やら,覚えたかった外国語やら,聴く機会を逸していた音楽などが,最高の楽しみとなります。また,星図を眺めていたら,これまではまったく興味のなかった重星や変光星に興味がわいてきました。こうした対象ならば,空が多少明るくても楽しむことができそうです。空の上にも,まだまだ楽しいことは残っているのです。人のまったくいない,寝静まった深夜に星空と一体となるのは,ほかの何ものにも代えがたい楽しみのひとつです。
それにしても,こうして改めて振り返ってみると,このわけのわからない2020年だったからこそできたことがこんなにたくさんあったことに,今更ながら驚きます。まさに,思想書「淮南子」のいう塞翁が馬です。
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近塞上之人有善術者
馬無故亡而入胡
人皆弔之
其父曰此何遽不為福乎
居数月其馬将胡駿馬而帰
人皆賀之
其父曰此何遽不能為禍乎
家富良馬
其子好騎墮而折其髀
人皆弔之
其父曰此何遽不為福乎
居一年胡人大入塞
丁壮者引弦而戦近塞之人死者十九
此独以跛之故父子相保
故福之為禍禍之為福化不可極深不可測也
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砦の近くに住んでいる人で占いに精通している者がいました。
飼っていた馬が理由もなく逃げてとなりの国の胡に行ってしまいました。
人々は皆これを気の毒に思ってなぐさめました。
しかしその老人が言うことには「これがどうして幸福にならないと言えようか」。
数か月たってその馬が胡の駿馬を連れて帰ってきました。
人々は皆これを祝福してくれました。
しかしその老人が言うことには「これがどうして禍となることがありえないだろうか」。
老人の家は良馬が増えました。
その老人の息子は乗馬を好み落馬して太ももの骨を折ってしまいました。
人々はこれを見舞いました。
しかしその老人が言うことには「これがどうして幸福にならないと言えようか」。
それから1年が経ち胡の人が大軍で砦に攻めてきました。
体の丈夫な若者は弓を引いて戦いましたが砦の近くの人で死者は10人中9人になりました。
この老人の息子だけは足が不自由なことが理由で父子ともに無事でした。
福が禍となり禍が福となるその変化を見極めることはできずその奥深さを測ることはできないのです。
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