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 源義仲(木曾義仲)と巴御前のことを知らないと,木曽路の旅はそのおもしろさが半減します。
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 巴御前は平安時代末期の女性で,「平家物語」によれば源義仲に仕える女武者とあります。また「源平闘諍録」によれば樋口兼光の娘であり,「源平盛衰記」によれば中原兼遠の娘で,源義仲の妾とあります。
 「平家物語」では「木曾最期」の章段だけに登場し,木曾四天王とともに源義仲の平氏討伐に従軍し,源平合戦で戦う大力と強弓の女武者として,次のように描かれています。
 「木曾殿は信濃より,巴・山吹とて,ふたりの便女を具せられたり。山吹はいたはりあって,都にとどまりぬ。中にも巴は色白く髪長く,容顔まことに優れたり。強弓精兵,ひとり当千の兵者なり」
 宇治川の戦いで敗れ落ち延びる義仲に従い,最後の7騎,5騎になっても討たれなかったといいます。
 源義仲は「お前は女であるからどこへでも逃れて行け。自分は討ち死にする覚悟だから,最後に女を連れていたなどと言われるのはよろしくない」と巴を落ち延びさせようとします。巴はなおも落ちようとしなかったのですが,再三言われたので「最後のいくさしてみせ奉らん」と言い,大力と評判の敵将・御田八郎師重が現れると,馬を押し並べて引き落とし首を切り,その後,巴は鎧・甲を脱ぎ捨てて東国の方へ落ち延びた所で物語から姿を消すのです。
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 源義仲ゆかりの地である宮ノ越宿の少し北側,旧中山道沿いに巴淵があります。歴史漂うこの淵は、巴状にうずまいているので,巴淵と名づけられました。
 巴淵は武勇に長けた麗将として有名な巴御前にちなんだ深淵でもあり,伝説には,この淵に住む龍神が源義仲の養父中原兼遠の娘として生まれ,巴御前に化身して源義仲の愛妾として彼の生涯を守り続けたといわれています。 巴御前はここで水浴をし,泳いでは武技を練ったとか。
 巴淵のある山吹山一帯は、この時期,全山を紅葉が鮮やかに染めます。岩をかみ巴状に蒼くうずまく淵と四季折々の花木の織りなす風情は一見に値するものがあって,とてもきれいでした。以前,NHKBSPの「にっぽん横断こころ旅」で火野正平さんも訪れていた地です。

 巴淵の石碑の右側には次の許六の句が刻まれています。
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 山吹も巴もいてゝ田うへ哉
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 これは「韻塞」に収録されている句です。1693年(元禄6年)5月,許六は江戸から木曽路を通って彦根に帰ります。芭蕉は許六が帰郷の折に次の餞別の句を贈っています。
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 旅人のこゝろにも似よ椎の花
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 1891年(明治24年)5月,正岡子規は木曽路の旅をします。このときの様子を「かけはしの記」に次のように記しています。
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 日照山徳音寺に行きて木曾宣公の碑の石摺一枚を求む。この前の淵を山吹が淵巴が淵と名づくとかや。福嶋をこよひの旅枕と定む。木曾第一の繁昌なりとぞ。
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