●未知なるカラウパパ●
カネミツ・ベーカリー&コーヒーショップで朝食をとり,昼食用にドーナッツを買ってお店を出て,今度は島の西側に行くことにした。今日は島の東側を観光し,明日は西側,という予定だったのだが,モロカイ島は思った以上に狭く,1日で周回できてしまうようだった。
島の形を右を向いたアユに例えれば,島唯一の町カウナカカイはおなかのところにあり,これから尾ひれの方向に向かうということになる。しかし,島の西側は,南の海岸線沿いにも北の海岸沿いにも道路がないので,カウナカカイから北上してひとまず北の海岸まで行き,そこから少し戻って右折して島の西側の内陸部を西に進むことになる。
北上する途中にあるのが,この島にやってきたモロカイ空港であった。このように,私は,2日目にしてやっと島のなかにあるもろもろの場所の位置関係がわかってきた。空港を左手に見てさらに北に進むと,クアラプウ(Kualapuu)という小さな町があって,その先にモロカイ・ミュージアム&カルチャーセンターというこれもまた小さな博物館が見つかった。
そこへは帰りに寄ることにして通り過ぎると,その先の突き当たりがパラアウ州立公園(Palaau State Park)の無料駐車場だった。これが島の北端である。駐車場には2,3台の車が停まっていた。つまり,私以外に観光客がいたということだ。私もそこに車を停めて少し舗装した道を歩くと,カラウパパ展望台(Kalaupapa Lookout)に到着した。
展望台からは右手に突き出した半島が眺められれる。その半島こそ,かつてハンセン病患者の人たちを隔離したカラウパパであった。カラウパパへはアクセスする道路はなく,海から行くか,空から行くか,あるいは,狭い山道をカラウパパ・ミュール・ツアーというもの参加してミュールで行くかしかないということだ。
ミュールというのは,馬とロバを交配させて生まれた動物で,それに乗って行くのだそうだ。このツアー,宣伝などどこにもなく,電話で申し込むという話のようだが,私が行った時期はシーズンオフで,ツアーも実施されていないようだった。というか,本当にやっているのだろうか? と,後日調べてみると,2018年12月より土砂崩れの影響によってトレイルが閉鎖中のため現在ツアーは催行されていない,ということであった。
この先は,当然,行かなかったからわからないが,カラウパパについて調べたことを書くことにする。地図と写真は Google Maps からの引用である。
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カラウパパへは3マイル,約5キロメートルの道のりで,26回ものスイッチバックを経て90分壮大な景色の中をミュールに乗って歩いくと,ハワイで最も人里離れた集落のひとつである歴史的な町カラウパパの海面に到着する。カラウパパは風光明媚で,孤立した場所である。
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そうか,本当のハワイ通になるには,このカラウパパと,禁断の島ニイハウ島に行く必要があるわけだ。ともに行ったことがある日本人は何人いるのだろうか?
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カラウパパは,かつて,ベルギーの宣教師であった聖ダミアン(Saint Damien),そして,その後継となった聖マリアンヌコープ(Saint Marianne Cope)が献身的につくした場所であった。
1873年,ダミアン神父は,カラウパパに追放されたハワイのハンセン病の住民の世話をするためにやってきた。16年間の忠実な奉仕の後,ダミアン神父もまた,この病気に屈し,カラウパパの聖フィロメナローマカトリック教会(St. Philomena Roman Catholic Church in Kalaupapa)に眠ることになった。今,そこにはダミアン神父の墓がある。2009年,ダミアン神父は聖人として列聖された。
ダミアン神父の死の数か月前,並外れた精神の女性がダミアン神父の仕事を続けるためにカラウパパにやって来た。それがシスター・マリアヌコープであった。シスター・マリアヌコープは修道会の長であり,ニューヨークのセントジョセフ病院で熟練した病院管理者であり,ハワイのいくつかの病院と介護施設を監督していたが,ダミアン神父の要請で,ダミアン神父が設立した少年や少女のための司教の家を運営し,彼らと生活を送ることを志願したのだった。
シスター・マリアヌコープは1918年に亡くなり,遺体はビショップホームの敷地内に埋葬され,のち,2005年にニューヨーク州シラキュース(Syracuse, New York)に返還された。シスター・マリアヌコープもまた,2012年,聖マリアンヌコープとして列聖された。聖マリアンヌコープを称える銅像は,ホノルルのケワロベイシンパーク(Kewalo Basin Park in Honolulu)にあって,海を見下ろしている。
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