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昨年東京に行って,東京駅からサントリーホールまで,国会議事堂のあたりを経由して歩いていたら,都立日比谷高校がありました。こんなところにあったのか,と田舎者の私はびっくりしました。というのも,昔読んだ,庄司薫さんの書いた「赤頭巾ちゃん気をつけて」の舞台がこの都立日比谷高校だったからです。
1969年に芥川賞を受賞したこの作品は
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風邪をひいて,万年筆を落として,東大入試は流れるという災難に見舞われた日比谷高校三年の薫くん。そのうえ12年も飼ってきた犬に死なれ,左足の親指の爪まではがしてしまった。幼馴染の由美とはささいなことから仲違い。踏んだりけったりのスタートを切った薫くんの1日は…。
真の知性とは何か。戦後民主主義はどこまで到達できるのか。青年の眼で,現代日本に通底する価値観の揺らぎを直視し,今なお斬新な文体による青春小説の最高傑作。
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というものです。そういえば,私も昨年の秋,湖東三山に出かけて,百済寺の庭石に足を取られて左足の親指の爪をはがしました… と,これは余談。
この本で私が忘れられないのは,当時の都立日比谷高校の様子が描かれた部分です。少し引用してみると
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学年の変り目に,なんと生徒の方に,その年とる講義と先生を選ばせる儀式で,(略) つまりぼくたちは。或る朝1学年全員が校庭に集まってきて,それぞれの思惑に従って,1課目ごとに好きな先生を選び,そして好きなクラス担任を選んでその旗のところに集まる。
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というものでした。今の日本の高校の様子を考えると,信じられない世界です。
私の卒業したのも,同じように,補習もなく模試も強要されず,3年生は1月から休みだった自由な学校でしたが,東京にはその上を行く,生徒の自主性に任せた学校があるのかと驚きました。
当時は,そんな学校を卒業したエリートたちが東京大学に入り,卒業後は官僚となっていったわけです。
都立日比谷高校も,そのお隣にある国会議事堂や霞が関の官庁もその場所は変わらずとも,この国の精神はそのころとはすっかり様変わりしてしまったようです。今や,学校では民主主義を習わず,生徒は反抗もせず,社会に疑問も持たず,思索にふける暇も与えられず,教師の指示に従って大量の課題をこなすだけになってしまったし,官僚もまた,忖度やらに神経を費やし,国会議員の顔色を窺って多忙な毎日をおくっているだけの存在となりました。そしてまた,忖度される側のこの国の支配者たちは,自分の言葉で話すことすらできませんし,まれに自分の言葉で話せば,今度は,時代遅れの認識と価値観が暴露されるという結果になるわけです。
以前,ブログに
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私がどうしても理解できないことは,60歳を過ぎて,まだ野心をもっている人の気持ちです。
若いころなら,自分にはどれだけ能力があるのだろうかと社会に問うのは,おそらく人としての本能だと思うのですが,そうした時期を過ぎて,しかも幸いにも自分なりに成功し,将来に対する不安もないくらい財を成した人が,せっかく悠々自適に好きなことをして過ごせるようになったのに,どうしてまた,と私は思ってしまいます。
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と書きました。また,
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功成り名を遂げ歴史に生きた証を残したところで,地球上に人間という摩訶不思議な生き物が生存できる時間などたかがしれていて,そのうち何もかもなくなってしまうのに,そこに何かを残すことなど,まったく意味がありません。そもそも,そうして名を残すことが生きる目的なのでしょうか?
生きること自体が困難で,だれかがリーダーとなってそれを改革しなければならない,という状況下で,リーダーたる能力をもって生まれた人が嘱されて集団を束ねるというのは自己犠牲の上に成り立つもので,立派なことです。しかし,はじめに地位が存在していて,そこに誰かが就いていなければ組織が成り立たないというだけの規格化された今日の社会で自ら手を挙げて俺がその地位に収まりたいというのは,それとは違います。
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とも書きました。
そんな時代に,自らの人生を権力者として捧げる人たちは尊いのでしょうか。そもそも出世願望というのは劣等感の反映です。だから,だれも頼んでもいないのに,そうした地位に就くことが生きる目的だと思うほど自分に自信がなく愚かなのでしょうか?
「週刊朝日」や「サンデー毎日」がやれ〇〇高校から東京大学合格何人だのとはやし立てても,その大学を卒業したその果てに待っているのが,一生出世争いをし,政治家の顔色を伺い,多忙なだけの官僚というものなのでしょうか?
そもそも,このご時世,東京に住んでいるというだけで,幸せの半分を手放しているようなものです。
それにしても,この国の「劣化」は,留まるところを知りません。教育という名のもとで点数争いをしているだけで,若いころに自由を謳歌し,あるいは,生きる意味について悩み苦しんだ経験のある真のエリートを育ててこなかったからこの様です。今の政治家は,まるで「ドクターX」に出くる悪徳医を地でやっているようなものです。そんなドラマが現実となりつつあります。
国民が忘れてならないのは,国にはお金はないということです。国のお金というのは,国民の税金を集めたものと国債とかいう名の借金なのです。そして,国の決めた施策を実行するのも国ではなく企業です。つまり,政治家がやっているのは,予算を決め,その施策を実現するために国民の税金を原資として企業に発注するということなのです。わかりやすくいえば,さまざまな口実を作っていかに多くのお金を国民から巻き上げるか,そして,そのお金を,どのような理由をこしらえて企業に分配するか,ということです。だから,企業は,いかにして国からお金を分配してもらうかということに苦心するわけです。そこに癒着が生まれ,接待が行われるのです。
このように,何ごともやっていることには裏があるのです。だから,作らなくてもいい道路やダムができるし,教育改革といいながら実は教育産業やIT企業に金儲けをさせるために丸投げはするし,コンピュータの知識もないから不完全なアプリを高額で発注し欠陥品を納入するわけです。
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非常事態宣言とかを発令していますけれど,そもそも,自粛をよびかけていたその時期に,忘年会をやって7万円もする料理をおごってもらっただの,県境を越えて移動するだの,仲間の選挙の応援に走り回るだの,そうしたことを率先してやっていた当事者たちが,そういうことをするなという宣言を発令しているのだからお笑いぐさです。それは,酒飲みのおやじが酒を飲まない息子に酒を飲むなと説教しているようなものだからです。
政治家も医者も日ごろから宴会や飲み会,そして,群れることなど「気の緩むこと」が大好きな人たちでしょう。そうした彼らが口癖のように上から目線で偉そうに国民に「気の緩み」などと決して言ってほしくないものです。そしてまた,少し前にGo To Travel とやらを東京を除外して仲間はずれにしたときはそれに抗議をしておいて,今度は東京は非常事態宣言を続けよなんて,よくもまあ,いけしゃあしゃあと言えたものです。そもそも,国が一丸となってコロナ禍に取り組まなけばならないのに,足の引っ張り合いをし,利権争いをし,ごまかすことに全霊を捧げる様を見ていると,若者が新型コロナウィルスを軽視しているなんていえたものではなく,自分たちが一番軽視していることが容易に見てとれます。
まあ,私は,飲み会もしないし,旅行は行き飽きたし,権力争いも興味ないし,利権も関係ないし,忖度もしないし,一向に何も困らないから,欧米や中国,ロシアのように自国でワクチンも作れないエセ先進工業国はワクチン接種すら滞っていることだし,2週間だの1か月だのとけち臭いことをいわずに,いつまでたってもリーマンショックの後始末もできないで金融緩和を続けているのをよきお手本として,永遠に非常事態宣言とやらも続けてもらって,ついでに,利権に群がっているだけのオリンピックも中止しちゃいましょう。そうすれば,以前のようにインバウンドで外国人が観光地に押し寄せて迷惑することもないし,世の中静かで安らぎます。飛行機も新幹線もコンサートホールも空いているしねえ。私はこのほうがいいや。
この国の去勢された国民はそのくらいにしないと暴動なんて起こさないし,そんな事態にでもならなければ,食うに困っていない権力者たちは庶民の苦労なんて絶対わからないのだから。
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以前,「私は理解できない」とこのブログに書いたのですが,それ以降,私は増々,行っていることとやっていることが裏腹な日本の社会が理解できなくなりつつあるこのごろです。
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