モロカイミュージアム4モロカイミュージアム2モロカイミュージアム1モロカイミュージアム3

●シュガーミルの跡地にある博物館●
 カラウパパ展望台とファリック・ロックへ行った帰り,予定通り,来るときは通り過ぎたモロカイ・ミュージアム&カルチャーセンター(Molokai Museum and Cultural Center)という博物館を訪ねることにした。 ここは,1878年から1889年の11年間稼働していたハワイで最も小さいシュガーミル,つまりサトウキビ工場の跡が博物館として公開されているところである。
 マウイ島にもアレキサンダー&ボールドウィン砂糖博物館(Alexander & Baldwin Sugar Museum)があって訪れたことがある。ここはそれとは比べものにならないくらい小さな博物館だったが,それでも,モロカイ島では唯一の博物館であった。屋外は無料で見学できるが,館内は入館料が必要であった。しかし,クレジットカードは使えず,また,館内は撮影禁止,というように,まるで日本の時代遅れの博物館のようなところであった。

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 ハワイには,ポリネシア人がやってきたころからサトウキビは存在した。サトウキビはハワイ語ではコー(Kō)という。コーは甘味料としてだけでなく,薬としてカフナ(Kahuna=ハワイ語で聖職者,魔術師,牧師や,職業における熟練者のこと)に用いられた。また固い葉は屋根を葺く材料に,ススキのような花の部分はレイにと,様々な用途に利用されていた。
 砂糖産業は,1835年,西欧人によるカウアイ島コロアでの砂糖キビ栽培にはじまる。1848年にカメハメハ3世が行なった土地の分配「グレート マヘレ」(The Great Mahele)により土地の個人所有が認められ,砂糖キビは西欧人による砂糖プランテーションでの大規模栽培に変化していった。特にはハワイ島では土地が広く,また高山から流れ出るいくつもの水源に恵まれたため,島の北端ノース・コハラからハマクア・コースト,そして,島の南部カウに至るまでの広大な範囲がサトウキビ畑として開墾され,最盛期には20を越える砂糖精製会社があったという。
 しかし,20世紀後半,南米などで価格の安い砂糖が台頭した事からハワイの砂糖産業は衰え,1996年にパハラの製糖工場が閉まったのを最後に,サトウキビ・プランテーションはハワイから姿を消していった。
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 ばらばらとだが,観光客が途絶えることなくやって来た。というのも,モロカイ島で観光地といったところで,ここくらいしかないのであった。館内では,シュガーミルについてのビデオの上映がはじまっていたので,まず,それを見た。館内にはそれ以外に,地元の芸術品や工芸品を販売するギフトショップやペトログリフからプランテーション時代の家具までの折衷的な展示もあった。 壁にはハワイの首長であるカラマと結婚したドイツの測量士である製粉所の創設者ルドルフ・W・マイヤーの孫娘を含む肖像画が並んでいた。
 ビデオと館内の展示を見てから,外の展示を見た。
 1878年に建てられた製粉所は,博物館から上り坂を歩くと,かつてサトウキビを粉砕する機械に動力を供給していたミュールの周りを回る納屋のような製粉所と屋外ピットが見えた。ここでは,ミュールが駆動するサトウキビ粉砕機や蒸気機関など,砂糖を製造するプロセスを垣間見ることができた。


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