「アサヒカメラ」に続き,今度は「日本カメラ」という雑誌が休刊となり日本カメラ社が解散してしまうそうです。
私は「日本カメラ」という雑誌を買ったことはありませんが,日本カメラ社が発行した「京都撮影紀行」という本を購入したことがあります。発行は平成6年5月ということなので,西暦では1994年,今から27年前のことです。
この本は,今も手元にあって,時折眺めて楽しんでいます。
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昔はよかった,ではないですが,京都はこのころが一番よかったように思います。その当時,今のように京都に詳しくなかった私は,ニコンF3というカメラを持って京都に行っては様々な寺社仏閣を訪れて写真を写すのを月に一度の楽しみとしていました。
どこを訪れても適当に観光客がいて,活気と秩序がありました。そんな町を気の向くまま歩いては,今とは違ってフィルムを入れるカメラに単焦点のレンズをつけて,1枚1枚,ゆっくりと構図を決めて自分でピントを合わせてシャッターを押すのです。そして,家に帰ったあとでフィルムをカメラ店に持っていき,仕上がりを待つのです。
本当にいい時代でした。
その後,ネットワーク社会が到来して,それとともに,外国人観光客が大量に日本に訪れるようになり,京都もまた,すごい人混みとなりました。そんなころ,カメラもフィルムカメラからディジタルカメㇻになり,やがて,スマホが普及しました。ディジタルカメラでは,ズームレンズをつけて,撮りたいものに向けてはどんどんとシャッターを押して,その場で確認して,納得がいくまで何度も何度も写真を撮り直ずことができるようになりました。また,今では,ほとんど人は,カメラではなく,スマホで,だれでも簡単に写真が撮せるようになりました。
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しかし,考えてみるに,私は,当時のフィルムカメラのままの機能と性能で,フィルムが受光素子に代わっただけのディジタルカメラがあれば,それで十分であるような気がします。ピントもオートでなくていいし,ズームレンズも要りません。そのほうが,ずっと写真を写す楽しみがあります。
京都もまた,そのころのほうがずっと魅力があったように感じます。
果たして,この27年を「進歩」というのでしょうか? というか,そうした「進歩」が,旅を,また,写真を撮ることをより楽しいものにしたのでしょうか?
私を含めて,そんな「進歩」に頭がついていけない人があまりに多く,社会は混とんとした様相を呈しているだけのように思います。
そんな時代に,古きよき時代の友であった雑誌が,またひとつ終わりを迎えました。