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 こころに残っている小さな町,今回はモンタナ州の州都ヘレナ(Helena)です。小さな町といっても州都なのでそこそこに都会です。
 私は2013年にモンタナ州のビュートに行ったとき,少し時間ができたので,インターステイツ15を北に走りました。まったく人家もない山の中のインターステイツ15をずっと北に向かって走っていって,この先は地の果てだとおもったら,忽然と広大な大地にヘレナの町並みが見えてきました。このときの驚きは忘れられません。
 そのときはそのまま引き返したのですが,あの美しい町並みにひとめぼれして,ずっとこころに残り,いつかぜひゆっくりと滞在してみたいという想いが募って,2015年に再びヘレナに行ってみました。

 ビュートからヘレナまでは100キロメートル,1時間というところです。
 先に書いたように,ヘレナは,モンタナ州の州都です。人口はわずか約25,000人。19世紀後半のゴールドラッシュによってできた町です。
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 1864年「4人のジョージア人」とよばれるジョン・コーワン(John Cowan),D・J・ ミラー(D. J. Miller),ジョン・クラブ(John Crab),ロバート・スタンレー(Robert Stanley)の4人組がラスト・チャンス・クリーク(Last Chance Creek)で砂金を発見したことで町は創設されました。
 はじめ「4人のジョージア人」のひとりジョン・クラブの名を取ってクラブタウン(Crab Town)と名づけられたこの町は,やがて町名変更の機運が高まって,ジョン・サマービルが自分の生まれ故郷であるミネソタ州セント・ヘレナ (St. Helena) の名をつけることを提案し,そのうちに「セント」が落ちて「ヘレナ」のみが残って町の名前となりました。
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 1888年ごろは,およそ50人の億万長者がヘレナの町に住んでいて,人口当たりの億万長者の数は世界一であったといいます。

 ヘレナの高台にモンタナ州会議事堂とモンタナ歴史社会博物館があります。モンタナ州議会議事堂(Montana State Capitol)の庁舎は1896年から1902年にかけて建設され,1909年から1912年にかけてウイングが増築されました。
 私が行ったときは,この州議会議事堂はセキュリティがとても緩く,というか,まったくないのも同然で,何のチェックもなく自由に中に入ることができました。今はどうなのか知りません。中に入ると観光客用のカウンタがあって,親切なおじさんがいました。私が日本から来たというと「歴史概略とセルフガイドツアー・モンタナ州庁舎」と書かれた日本語のパンフレットを持ってきてくれたので,私は,そのパンフレットに書かれたように,セルフガイドツアーをしました。

 州議会議事堂の東側,博物館を出たところに,ラスト・チャンス・ツアートレイン(Last Chance Tour Train)というヘレナの見どころを2時間くらいで巡るガイドつきツアーバスの乗り場があったので乗り込んで,町の観光を楽しみました。
 ヘレナは思った以上に奥の深い町でした。
 官庁街の西側にはゴールド・ラッシュ時代の歴史的な建築物が多くあり,また,そのはるか向こうにはロッキー山脈の大自然や原野が広がっていました。ゴールドラッシュで栄えた町だから,大邸宅が並んでいて,治安もよければ,町も美しいところでした。
 ヘレナという町を観光して私が感じたのは,アメリカという新大陸にやってきて成功した人間の強さと弱さでした。アメリカには,日本人の知らないすばらしい町があるのです。

へれな (2)


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