画像 001画像 002DSC_0759

######
 万葉集とともに秋の植物のお話を書いていますが,万葉集に最も多く141首も歌われているのが萩だということで,今日は,萩をとりあげます。
 萩は秋の七草のひとつです。名称の「萩」は本来はヨモギ類の意味だそうですが,牧野富太郎博士によれば「艸+秋」という会意による国字で,ヨモギ類の意味の「萩」とは形は同じでも別字といいます。
 また,ハギに「萩」の文字が使われるのは「播磨国風土記」が早い例とされていますが,平安末期の写本では「荻」となっているため再考の余地があるという指摘があります。「万葉集」では「萩」の文字は使用されておらず,「芽子」という文字が多く使われています。これは刈りとった根からでも、毎年のように新たな芽が出るという性質をあらわした用字であると考えられています。
 「萩」は古くから日本人に親しまれていて,中秋の名月に萩とススキを月見団子と共に供える風習があります。花札に萩が描かれているのでが,これが冴えず,子供ごころに,萩は冴えない植物だと私は花札から教え込まれました。しかし,この冴えないことが逆に日本らしいというか,こんな地味な花が日本人を引きつけ,歌に詠まれるのです。
 萩は,秋の風物詩として,また,恋しい人の暗喩としてさまざまに詠まれています。

 私の家の近くの一宮市萩原町高松に萬葉公園と高松分園があります。
 佐藤一英は,1899年(明治32年)一宮市萩原町に生まれた詩人です。高松分園は,佐藤一英がこの萩原の地を「万葉で詠われた高松の土地だ」と感じ取り提唱したことにちなんで造られた公園ですが,「万葉集」に詠まれた高松がこの地のことなのかどうかの論議が「高松論争」となりました。
 「高松論争」になった6首の歌は,万葉集巻10の歌ですが,巻10の「秋雑歌」のなかの「詠花」は2094から2127まで34首あって,その中で,2104の朝顔,2115のをみなえし以外はすべて「萩」を詠んでいるそうです。
 ここでは,その「高松論争」になった6首の中で萩を詠んだ歌を紹介しましょう。
  ・・・・・・
 吾衣 有者不在 高松之 野邊行之者 芽子之類曽
 我が衣 摺れるにはあらず 高松の 野辺行きしかば 萩の摺れるぞ
 私の着物はあらかじめ摺り染めにして染めたわけではありません 高松の野辺を歩いていたら自然に萩の花が摺りこまれたのです
   巻10・2101 詠み人知らず
  ・・・・・・

画像 005


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。