DSC_6260

 2021年12月30日の朝日新聞から「住まいとかたち」と題したシリーズがはじまりました。2022年1月1日からはじめるのならともかく,どうしてこの年末の時期からこうした特集が? というのが私にはなぞでしたが,それはさておき,12月30日のこの記事にあった「小さな家」というものに,私はえらく感動し,かつ,うらやましくなりました。
  ・・・・・・
 玄関で靴を脱ぐ。1歩踏み出せば、そこはもうソファのあるリビング。見上げると、寝床のロフトが目に入る。水回りを加えれば、それが折出裕也さん(25)の住まいのすべてだ。
 「ここに住み始めたからこそ、見えてきたものがあったんです」
  ・・・・・・
からはじまるこの記事では,この小さな家の間取りが書かれてありました。私もこんな生活がしてみたいと思ったことでした。

 日ごろ散歩をしていると,いろいろな家が目につきます。ずいぶんとお金がかかっているだろうなあ,という家も少なくありません。その一方で,狭い土地をさらに輪切りにした見た目不便なだけの分譲住宅もたくさんあって,こんなもの売れるのかな,そうまでして持ち家がほしいのかな,と私はいつも思います。この国の景観の悪さは不動産屋さんと住宅デザイナーが原因だと私は確信しています。。
 しかし,そうまでして苦労して手に入れた家の多くは,持ち主が齢をとったころには老朽化し,子供も独立すると,やがては住むには広すぎ,直すにはお金がかかり過ぎとなってしまっていることが少なくありません。空き家もすごくたくさんあります。
 要するに,身の丈を越えているのでしょう。
 家に限らず,狭く,混雑した道路しかないこの国に,まったくふさわしくないような車がたくさん走っています。これもまた,身の丈を越えているのでしょう。

 私は齢のせいか,何もほしいものがなくなってしまいました。動けばいい,を越えた車を欲しいとも思わないし,家を見ても,こんな広い家に住むのは不便だ,と思うようになりました。要するに,若いころに欲しかったもののそのほとんどはいらないものだということが身に染みてしまったのです。
 つまり,人として最大の幸福である「自由であること」が地位や名誉とは正反対のものであるように,ものについても,結局は「断捨離」こそが最大の幸福だったのです。本当に必要なのは,健康とともに知恵だけだったのです。
 なお,今日の写真は京都の下賀神社に復元されている吉田兼好の庵です。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。